蒼に還る夏(改)第4話 −The Balmy Autumn Day−
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第4話 −The Balmy Autumn Day−

 

私は夢を見る

 

その夢はいつも暗く冷たい海の底に閉じ込められている夢だった

 

太陽は遠く、その光は寂しく、世界は冷たい静寂に包まれていた

 

夢の中で私は足掻いた

 

明るい暖かい蒼い海に還りたい

 

海の声の聞こえる蒼に還りたい

 

夢の中の私は泣き続けていた

 

ずっとずっと泣き続けていた

 

 

 

 

アリシアが合格したことと晃が落ちたことは当然だ、がアテナが落ちたのは全く不可解だ

 

正直にそう感想を述べると突然視界が回転した

 

世界を狙える晃のシュートが炸裂しアリア社長が「フライングキャッチ」でゴールを守った

 

ちなみに「ボール」は僕だ

 

僕は初めてゴールキーパーのアリア社長に感謝し「フライングキャット」の称号を送った

 

そんなぬいぐるみ虐待?に少しも動じずいつもの「あらあらうふふ」の笑みでアリシアが笑った

 

「アテナちゃんは”女の子の病気”で気が散っていたのよね?」

 

くすくす笑うアリシアの言葉にアテナが真赤になった

 

いったい何の病気だろう?

 

心配になってアテナにドクターの診察を進めると、なぜか怒ってそっぽを向いてしまった

 

げしっ!と晃のヒールが僕を踏みつけた

 

心底あきれ返った表情の晃に軽蔑のこもった声で非難された

 

「全く、これだから男って奴は・・・!」

 

僕がいったい何をしたというのだ?!

 

困惑する僕にアリシアがおもしろそうに笑いかけた

 

「アテナちゃんの”病気”は”お医者様でも草津の湯でも”治らないのよ、ジョーイ君?」

 

僕はますます訳がわからなくなった

 

 

 

 

「悪い知らせです」

 

局長室のドアをノックもせずに開けながらトレーナーが言い放った

 

ゆっくりと振り返る局長の目に非難の色は無い

 

その目はその先を早く話せと促していた

 

「”エウレカ”からのレポートです、”アレス”の脳波に覚醒の兆しあり、との事です」

 

局長は大きく息を吸うと瞑目した

 

トレーナーは静かな、それでいてよく通るはっきりした声で続けた

 

「相手は”アレス”ですよ?、”アンタレス”以外では歯が立ちません、

 完成可能な船が1隻だけでは他に手の打ちようもありません

 いまからかからないと”もしも”の時は間に合いませんよ?」

 

トレーナーはそこまで言うと唇を噛み締めながら搾り出すように続けた

 

「”どちら”の影響かはわかりませんが確かに目覚めつつあるのです・・・」

 

「もう少し様子を見よう・・・」

 

溜息をつきながら静かに答える局長の目はいつもの目ではなかった

 

 

 

 

僕はアリシアのプリマ昇格祝いにアリシア専用のゴンドラを設計しようと思い立った

 

アリシアの船足の速さを最大限生かすため、主船体をディープ・V船型にし

 

船体後半部分に主船体長の30%くらい長さのサイドハルを両舷に伸ばした

 

メインハルの船首は外洋の波も斬り進めるようにウェーブ・ピアサー形状にして

 

さらにメインハルの中央やや後方にエリアルール的なくびれを設け、メインハルと

 

サイドハルの起こした船首波が干渉しあって擬似的な圧縮浮力がでる事を期待した

 

トリマラン船型は船足も速く、安定性にも富み、喫水も浅く出来る便利な船型だ

 

造船局のコンピューターの支援を借りて一晩がかりで3D図面を仕上げた

 

鋭く、それでいて優雅な曲線を描く芸術品のように美しい純白のゴンドラ

 

僕の最高の自信作だ、これなら他のゴンドラの3倍のスピードだって出せるだろう

 

翌日、彼女達にそれをお披露目すると、なんともいえない沈黙が場を支配した

 

「やっぱり天才って言うのはどっか抜けてるんだよな・・・ジョーイ、おまえは最高だよ!」

 

晃が僕のぬいぐるみをバンバン叩きながら爆笑する

 

心から、最高に、腹を抱えて、それはそれは豪快に爆笑してくれやがった!

 

おもわずカチン!ときて言い返そうとした時、笑顔のまま固まっていたアリシアが口を開いた

 

「ジョーイ君、がんばってくれてありがとう・・・でもね、ちょっと言いにくいんだけど・・・」

 

アリシアは困ったような笑顔で他の二人に助けを求めた

 

なぜかアリシアの沈黙がとても痛く感じられた?

 

「ゴンドラの規格は決まっているの・・・」

 

アテナがぼそりと呟いた

 

・・・・・・・・・・・・・・・なんてこった!

 

こうして僕の造った設計案は没になった、何故だ?

 

自分の迂闊さに落ち込む僕に晃が楽しそうに話しかけてきた

 

「ジョーイ・・・”Joey”にはオージースラングで”坊や”って意訳もあるって知ってたか?」

  

そして晃は僕にトドメを刺した

  

「”坊やだからさ”」

  

僕は深い敗北感と共に”エリジウム”と名付けた設計案をしまいこんだ・・・

 

  

 

 

「”アンタレスの身体”の様子はどうだ?」

 

局長がトレーナーに問いただす

 

簡潔で無駄の無い感情のこもらない声、訓練された者の声、鍛え抜かれた男の声

 

「予定より3%遅れています、が順調です、後はエンジンの据付とチェックだけです」

 

即答するトレーナーの答えには安堵とためらいがあった

 

「それに既に艤装が16%完了しており、明後日から増援部隊も来るそうですから」

 

それを聞いても局長は少しも嬉しそうでは無かった

 

「使わずに済むのが一番なんだがな・・・」

 

溜息混じりに答える局長の声が暗い室内に冷たく響き渡った

 

その声にだけ局長の素直な感情がこもっていた

 

 

 

 

晃に迂闊さを突っ込まれた僕は仕方なくゴンドラの細かいデザインを手伝うことにした

 

デザインといってもシャチの僕に人間の乗る内装の良し悪しはピンとこない

 

だからゴンドラに描きこまれる装飾文字を手がけることにした

 

アテナが僕に付けてくれた名前がヒントになった

 

僕は”歓喜の歌”のある一節を古代クレタ文明のヒエログリフィクに訳して

 

ゴンドラに描きこんでもらおうとしたが思いとどまった

 

そんな聖刻古代文字など人間には読むことも書くことも出来ないし、何より似合わない

 

次に”約束”の意味をこめてカナン文字で書こうと算段していると、不思議な事に局長が

 

古ヘブライ文字やアラム文字にも詳しかったのでそちらに訳してもらうことにした

 

今までほとんど僕に話しかけて来たことの無い局長がなぜか最近はよく話をしたがる

 

局長は僕に旧約聖書を読み聞かせてくれた

 

まるで子供に子守唄を聞かせるように・・・

 

アテナは自分のためのゴンドラでもないのに喜んでいた

 

僕が”歓喜の歌”のどの節を選んだのかを知ると喜んだ

 

相変わらず僕にはその理由が判らなかった

 

そのことを晃に話すと「鈍い!」と怒られてまた蹴られた

 

その隣でアリシアはまた「あらあらうふふ」と笑っていた

 

僕はそんな穏やかな日々がこれからもずっと続くものと錯覚していたんだ・・・

 

 

 

 

[おめでとう、これで今日から君は最新鋭のトランジエント−Ωだ]

 

僕の体のナノ・マシンの換装が終わった

 

再び海に戻れることになった僕をトレーナーが祝福してくれた

 

トレーナーは僕がオルカ・シリーズの頂点に立ったことを讃えてくれたが少しも嬉しくは無かった

 

換装するナノマシンの種類は”TYPE−β”の予定だったはずだ

 

なぜ後になって僕に知らされることなく変更されたのだろう?

 

しかしそんな疑問すらもどうでもよかった

 

自分でもはっきりとわかった

 

この身体は今までの身体じゃない

 

いままで僕の身体に埋め込まれていたナノ・マシンとは桁が違う

 

明らかに管理局の技術水準以上の”どこか”からもたらされた物だ

 

[いきなりαからΩに飛ぶとはネーミングの飛躍が過ぎるんじゃないか?]

 

ほんの少し疑惑と非難を込めてそう答える僕をトレーナーは笑った

 

なぜかその笑いはいつもの陽気な笑いでは無かった

 

[これで最後にしたいんだよ]

 

意味がわからず戸惑う僕に向かってトレーナーは話を続けた

 

[さっそくで悪いが、君の復帰第1戦として”団体さん”をご案内してある、行ってくれるね?]

 

最後の一言はお願いではなかった

 

僕に拒否権など無い

 

僕は黙ってドックを抜け出ると外洋を目指した

 

他のオルカ達を”仲間”としてではなく”部下”として引き連れて

 

 

 

 

「行くのか?」

 

いつの間にか先回りしていた晃に声をかけられた

 

どうやって僕の行動を知ったのかは疑問に思わなかった

 

そんなことよりもっと大切なことがあったから

 

”ああ・・・”

 

本当は会いたくなかった

 

彼女は僕がこれからすることを知っている

 

そう直感で感じた

 

だから会いたくなかった

 

しかし彼女は笑ってくれた

 

全てを知った上で微笑んでくれた

 

「必ず帰ってこいよ」

 

そういって胸元を飾る真赤なスカーフを振って見送ってくれた

 

”必ず還る”

 

僕はそう答えて深く潜った

 

 

 

 

[なかなかいい成績だよ、トランジエント−Ω・・・いや、アンタレス君]

 

全てが終わった後、トレーナーからの通信が中継された

 

周囲を取り巻くトランセタス・イルカ達が僕の挙げた戦果を確認していく

 

[180頭の群れを僅か13分で殲滅とは期待以上の成果だ・・・と言いたかったのだが]

 

トレーナーはそこで言い含んだ

 

[他のノーマル・トランジエントへの命令の手際と中身が温いな・・・まだまだだ]

 

成績評価には決して感情を込めないトレーナーの言葉に珍しく苛立ちが混じっているのを感じた

 

[彼女達との逢瀬が君の闘争本能まで温くしてしまったのかな?【ジョーイ】君?]

 

トレーナーの声に返事をせず僕は黙ったまま朱く染まった海を離れた

 

 

 

 

僕は再び最終調整のために、ドックに戻された

 

トレーナーは端末をつなぎっぱなしにしてくれていたので彼女達とはいつでも話が出来た

 

もうすぐ終わる

 

それがその日の話題だった

 

あれから一月たっている

 

夏は終わりが近づき、涼しくなり始めた風が”夜の秋”を感じさせていた

 

もうそろそろ夜光鈴の寿命も尽きる

 

きっと今夜が最後の夜になるだろう

 

そしてそれが夏の終わり

 

それが彼女達の話題だった

 

彼女達の心にも終わりの予感があった

 

それは夏との別れ

 

それは彼女達の練習友達としての関係の終わり

 

そしてもう一つ

 

それは別の終わりと別れ

 

 

 

 

 

 

”今夜一緒に星を見よう”

 

 

 

 

 

僕は提案した

 

夜光鈴の寿命が今夜で尽きるなら夜光石を星に一番近いところに連れて行ってやろう

 

そしてそこからアクアの蒼い海に還してやろう

 

そう提案した

 

彼女達は賛成してくれた

 

珍しく晃が僕を誉めてくれた

 

「鈍い奴がやっとここまで進化したか!」

 

そういって実に晃らしい人を小馬鹿にした誉め方をしてくれた

 

 

 

 

その夜、僕達は浮島に向けて登っていくロープウェイのゴンドラの中にいた

 

上から見下ろす夜のネオ・ヴェネツィアには星の光のように街の灯りが広がっていた

 

僕達は浮島に着くと空中遙かに突き出た桟橋に向かった

 

いつの間にかアリシアと晃は姿を消していた

 

どこに行ってしまったのだろう?

 

僕とアテナはその桟橋で二人きりになっていた

 

”もうすぐ終わりなのね・・・”

 

アテナの心を感じた

 

アテナの心に夏の終わりの寂しさはなかった

 

”でも本当の夏はこれから始まるものね”

 

嬉しそうで意味深なアテナの心を感じた

 

 

 

その時だった

 

 

 

微かな一陣の風が吹いた

 

それを合図にするかのようにアテナの風鈴から夜光石がぽとりと落ちた

 

青白い仄かな光の残像を残して夜光石は海に還っていこうとしていた

 

「あっ・・・!」

 

小さな声を挙げて無意識にアテナはそれを手で追った

 

微かな手の緩みにぬいぐるみがするりと抜け落ち夜光石の後を追っていった

 

僅かな間をおいてジョーイを失ったアテナの悲鳴が夜空に響いた

 

 

 

 

僕は数百メートル上空の浮島桟橋から暗い海に落ちていった

 

暗い夜空をまっすぐに落ちていった

 

落下していく浮遊感

 

夜空を覆う星の光

 

街に輝く家の灯り

 

天も地も星の輝きに満たされているようだった

 

どちらが上なのか下なのかも判らなかった

 

僕は星の海に浮かんでいた

 

僕は星の海に包まれていた

 

どちらがどちらなのかも判らなくなった

 

僕の中に僕の想いが流れ込んできた

 

その時やっと僕は僕に気づいたんだ

 

”そうか・・・僕は・・・”

 

 

 

 

僕は夢を見る

 

その夢はいつも暗く冷たい海の底に閉じ込められている夢だった

 

太陽は遠く、その光は寂しく、世界は冷たい静寂に包まれていた

 

夢の中で僕は足掻いた

 

明るい暖かい蒼い海に還りたい

 

彼女の声の聞こえる海に還りたい

 

夢の中の僕は泣き続けていた

 

ずっとずっと泣き続けていた

 

 

 

 

 

 

 

それは夢ではなかったんだ

 

第4話 終

説明
2006年8月「天野こずえ同盟」様にて初掲載、2009年4月「つちのこの里」様にて挿絵付き細部修正版掲載
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天野こずえ ARIA 谷甲州 星の墓標 航空宇宙軍史 

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