魂の還る星[ところ]第3話”さざなみ”
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第3話”さざなみ”

 

次の日、僕は服を取り戻すとアリシアと共に図書館に出かけた

 

案の定、監視チップは全て”クリーニング”されていた

 

(やっぱり只者じゃないみたいだな)

 

僕は朝食の席でにこやかに笑うグランマを頼もしく思うと同時に警戒した

 

ーーーーー

 

その日はアリシアの休日だった

 

アリシアは昨日僕が練習に使った彼女のシングル時代の黒いゴンドラの用意をしていた

 

「それじゃどこの図書館に行く?ネオ・マルチャーナ図書館とネオ・ヴェネツィア大学図書館の2つがあるわよ?」

 

櫂を握ったアリシアが僕に聞く

 

「大学の方がいい」

 

僕は即答した

  

確かにマルチャーナ図書館は歴史的に貴重な資料にかけては世界有数の豊富さを誇る

  

しかし僕が探している資料は科学的な物だ、ならば学術機関の方が充実しているだろう

 

「ネオ・ヴェネツィア大学は日本学研究図書館も受け継いでいるものね」

 

そういって微笑むアリシアに僕はリクエストを出した

 

「そうじゃない、物理学方面について調べたいんだ」

 

「随分難しいことを調べるのね?」

  

アリシアは不思議そうに小首を傾げた

  

それはそうだ、こんな子供が物理学を調べたがれば当然だろう

  

僕は視線を逸らして話しを誤魔化すことにした

  

「ねえアリシア、もしかしてあれは軌道ロープウェイ?」

  

僕は巨大な塔とそこから天に向かって昇るゴンドラの連なりを指差した

  

「いいえ、浮島に行くロープウェイよ、とても高いところまで昇るから耳がツンとするの」

  

アリシアの視線の先を辿るとそこにファンタジーから抜け出したような空中島が浮かんでいた

  

「ああやってAQUAの季節を管理しているの」

  

空には浮島の他にたくさんの航宙船がゆったりと飛んでいた

  

昨日ここが火星だとわかった時点で重力制御技術を有していることは必然的に判った

  

そして環境制御技術があることも連鎖的に判った

  

そうでなければ1Gの重力はなく、呼吸すらままならないだろう

  

町並みとはうらはらにある程度の技術水準には達している

  

むしろ技術水準とはうらはらの町並みをわざと見せているのだと判った

  

「どうしてこんな不便なところにしているの?」

  

当たり前の疑問をついうっかり口に出した

  

しかしそれに対するアリシアの答えは僕に無い考え方を教えてくれた

  

「そうね・・・懐かしいから・・・かな?」

  

そういって微笑むアリシアの笑顔が眩しくて、僕はしばしそれに見とれていた

  

ーーーーー

  

大学の図書館の玄関で受付係に呼び止められた

  

「水の三大妖精の御一人にお越しいただけるとは光栄ですな、何か調べ物ですか?」

  

係員はよほど暇をもてあましていたらしい

  

「ええ、ちょっと本を探していますの」

  

優雅に切り返すアリシアに向かって係員が1枚の紙を差し出した

  

「ではこちらの用紙に必要事項を記入していただけますか?」

  

「あら?見るだけで貸し出しはしなくてもよろしいのですよ?」

  

「規則で入場の際には利用者カードを作成していただくことになっておりましてね」

  

そう言いながらアリシアの背後にいた僕を覗き込んだ

  

「どちらのお子さんですか?」

  

「私の弟です」

  

アリシアは躊躇いも無く言った

  

ほう、と受付係は大袈裟に驚いた様子を見せた

  

「貴女に弟さんがいたとは初耳ですな、ネオ・ヴェネツィア中が吃驚するでしょう」

  

そう言うと受付係はなぜかうなずきながら再び僕を珍しそうに眺めた

  

「弟さんの髪は黒髪ですか?ご両親のどちらに似られたのでしょう?」

  

アリシアはそれには答えず、ただ微笑みながら差し出された年代物のインク式万年筆を手に取った

  

”セリオ・フローレンス”

  

利用者カードの申込書に当たり前のことのようにすらすらと書き込むアリシアに僕は危惧を抱いた

  

あの受付は書面提出などという原始的な方法に見せかけて電子システムによる管理が行われている

  

ここからは見えないが係員の手元に量子コンピューターネットワークの端末があるのを感じた

  

あれを誤魔化すのは不可能ではないが厄介だ

  

天の助けか悪魔の誘いか?書庫の奥から司書の女性が係員に呼びかける声が聞こえた

  

「館長、今朝の便で新しい蔵書が届きましたよ、館長のいつものドイツのヘフトも入ってます」

  

それを聞くと受付係と思っていた図書館長は満面に笑みを浮かべてそわそわとし始めた

  

「ちょっと失礼致します、着荷の確認をしてまいりますので・・・用紙はそこにおいといてください」

  

僕はいそいそと書庫に向かう館長の背中を見ながら、

ダイモス基地のとある対コンピューター・フリゲートの支援を受けて端末をインターセプトしデータベースを改竄した

  

自分の図書館のデータベースに存在しない人物が登録されたのも知らず、

嬉しそうな館長の声が書庫から玄関まで響いてきた

  

「やっと届いたか!待ちかねていたぞ”ペリー・ローダン”10,000巻達成記念号!」

  

ーーーーー

  

僕はまっすぐに物理学の専門書の棚に向かった

  

ほとんど訪れる者のいないその一画は少し黴臭い匂いがした

  

「わたしも手伝うわ、どんな本を探しているの?」

  

にっこり微笑ながらのぞき込んできたアリシアの申し出に僕は少し考え込んだ

  

「もしも・・・もしも”意識情報理論”という本があったら教えて欲しい」

  

そう頼みながらも、心の中では見つからないだろうと思っていた

  

もしあったとしてもあの理論は表沙汰にはされていないはずだ

  

「わかったわ、それだけでいいの?」

  

無言でうなずく僕に微笑むとアリシアは別の書棚の列に向かっていった

  

僕はすまないと思いながらもアリシアの後姿を見送った

  

僕が今探しているのは別の理論だ

  

それが”見つからなければ”僕の知りたいことが判る

  

僕は天井まで届き通路の果てまで連なる大きな本棚に向き直った

 

  

ニュートン力学、相対性理論、量子力学、ペンローズの量子脳理論、それに量子情報理論・・・

  

ここまでは間違いない

  

時のたつのも忘れて執拗に書籍を漁り続け、そして絶句した

   

  

   

エーテル理論が存在していない

  

  

  

それで不安が確信へと変わった

  

僕の心を現実が打ちのめした

 

ここにあの人はいない

 

僕に魂を宿した人

 

僕が会いたい人

 

僕が還りたい人

 

あの人はいない・・・

    

ーーーーー

  

私はセリオを図書館に案内しました

  

セリオは物理学の本を読みたがっていました

  

子供には不釣合いな難しい話をすらすらと話すセリオに私は途惑いました

  

ますますこの子が遠くに逝ってしまうような胸騒ぎがしてならなかったのです

  

セリオの頼みを聞いて本を探しに行く時、私はそっと振り返りました

  

その薄暗く黴臭い書庫の一画がセリオの墓所の様に感じられて、私は慌ててその想いを打ち消しました

  

最後に振り返ったとき、私の目に映ったのはセリオが書物の山に埋もれるように没頭している姿でした

  

でもどうしてもその姿が泣きながら母親を探す幼い迷子のように見えて痛ましくて仕方がありませんでした

  

ーーーーー

  

オレンジ色の夕陽を浴びながら僕達はアリア・カンパニーへの帰路についていた

  

帰りは僕が櫂を握った、アリシアに僕のわがままでせっかくの休みを潰させてしまったのが心苦しかった

   

席に座ったアリシアの姿を見ながら、その傍らに目を留めた

  

「アリシア、その傷は何?」

  

黒いゴンドラの手すりに刻まれた傷を見て僕は問うた

  

アリシアはそれを聞かれるとほんの少し困った顔をしながら寂しげに微笑んだ

  

「それは・・・私の”想い出”よ」

   

そのアリシアの表情になぜか僕は微かな嫉妬を覚えた

  

その夜もアリア・カンパニーは賑やかだった

  

さすがに連泊は出来ないので晃は帰っていったが夕食はしっかりとたかっていた

  

晃とグランマを見送り、アリシアと二人で昼間のことを話し合った

  

アリシアはもう僕のことを詮索しようとはしなかった

  

ただ静かに夏の夜の時間が過ぎていった

  

夜半、ベッドに横たわった時、初めてアリシアが僕に聞いた

  

「あなたは何を探しているの?」

  

その問いにすぐに答えることは出来なかった

  

ややあって僕は答えた

  

「還る所・・・だと思う」

  

僕の事を見つめ返すアリシアの姿は月明かりに照らされてとても美しかった

  

「・・・それが見つかったら、あなたは還ってしまうのね」

  

アリシアはなぜか悲しそうに呟くと寝返りを打った

  

なぜその時、その言葉が僕の口から紡がれたのかは判らない

  

でも僕はアリシアの背中に向かって語りかけた

  

「大丈夫だよアリシア、”想いは力になる”のだから・・・」

  

そして僕も床についた

  

脳裏に一昨夜出会った心が思い浮かんだ

  

(あの存在なら僕の想いを理解出来るかもしれない)

  

そして僕は夢の中に沈んでいった

  

ーーーーー

  

ジョーイは夢を見た

  

人間以外に天敵のいないオルカは安心して眠りを取ることが出来た

  

それでもその時間は数分単位、そして1日2時間にも満たない

  

しかし夢の中で時間は無意味だった

  

想いさえあれば時間は一瞬にでも無限にでも出来るから

  

だからジョーイは夢を見た

   

ーーーーー

  

僕は暗い海の中にいた

  

僕の周りを”彼ら”が埋め尽くしていた

  

鋭い槍が僕の身を貫き、そのまま砕けて肉を抉った

  

僕は叫んだ、なぜこんなことをする?

  

”彼ら”は答えようとはしなかった

  

答えのかわりに再び身体を貫かれ抉られた

  

僕は叫んだ、なぜ僕を殺そうとする?

  

”彼ら”は答えようとはしなかった

  

不思議と痛みは感じなかった

  

それで僕は悟った、これは夢なのだと

  

そして僕は悟った、これが答なのだと

  

そう、彼らの存在そのものが答えなのだ

  

彼らは”僕ら”の存在を認めようとしない、なぜなら認めてはならないから

  

僕らも”彼ら”の存在を認めようとしない、なぜなら認めてはならないから

  

僕の中に”私”が甦った

  

私は再び戦いに身を投じた

  

この世界が明晰夢だということを自覚していたから恐れるものは何も無かった

  

ここで私がかつての”私”として振舞ってもアテナの所に還れなくなることは無い

  

ならば戦おう、そして真実を掴み取ろう、私の中に再び闘志が燃え上がった

  

しかし私の体躯は既に戦える状態では無かった

  

人間は私を満身創痍のまま送り出していたのだ

  

なぜこんなことを?

  

どうにもならない疑問が沸き起こった

  

勝つための準備がなされていない、本当に戦う気があるのだろうか?

  

私に一体何をさせようというのだろうか?

  

目的がまるでつかめなかった

  

かつての私には明確な目的があった

  

”人間を守る為に生きる”

  

私は常に己の存在意義に純粋でいられた

  

その目的はいまや1人の家族と共に生きることに変わっている

  

しかしこの夢は何を求めているのだろうか?

  

私が答えに辿り着くには時間が足りなかった

  

夢の終わりが近づいていることを感じた

  

私を守ってくれていた者が離れていく

  

私に別れの言葉を告げながら

  

私に最後の宣告を告げながら

   

  

  

  

「さよなら、・・・・・・セリオ・・・」

  

  

  

  

その声が全ての始まりだった

  

その声が全ての終わりだった

  

私の中に”僕”が宿った

  

この夢を見ている本当の者が

  

この夢を体験した本当の者が

  

その者の想いを知って私は再び僕に還った

  

”僕”は僕にわかってもらいたかったのかもしれない

  

”僕”が消えてゆく、闇の向うに、世界の彼方に

  

”僕”は叫んでいた、泣きながら、叫んでいた

    

  

  

「還りたい」

  

  

  

でも”僕”は還れなかった

  

その時の”僕”は還ってはならない存在だった

  

人間たちが”僕”に期待した存在意義はたった1文字の言葉に集約されていた

   

  

  

   

   

   

それが”僕”の存在意義だった

   

ーーーーー

  

目が覚めたときジョーイはもう気がついていた

  

夢の中の”僕”はあの少年だ

  

あの少年の体は既に無い

  

残されたのは想いだけだ

  

想いだけが還ってこれたのだ

  

その想いをかりそめの命の器に納めた姿

  

それが今のあの少年

  

そしてジョーイは自分と少年を見比べた

  

かつて僕が私であった頃

  

私は自分の義務に忠実だった

  

私は自分の意義に純粋だった

  

役立つことに忠実だった

  

生かすことに純粋だった

  

でもあの少年に求められていることは

  

殺すことに忠実であることだけだった

  

死ぬことに純粋であることだけだった

  

ジョーイは心の揺らぎを感じていた

     

少年の心が漣の様に波立ち始めていた

  

第3話 終

説明
2007年6月「天野こずえ同盟」様にて初掲載、2009年4月「つちのこの里」様にて挿絵付き細部修正版掲載
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