【アザゼルさん】輾転反側【アザさく・アクさく】 |
ぱっちり目を開けると、そこには佐隈がおり、見慣れた事務所の部屋。
「急に呼びださんといてぇなさくちゃん。飯食う所やってんから。うちのオカンパートやから晩飯早い言ぅたやん」
アザゼルの言葉を聞いた佐隈は、少しだけ困ったように笑うと、私じゃないんです、と言葉を零す。
「はぁ?」
「アクタベさんがアザゼルさん呼べって言うんで。すみません、今から買い物行くんで、良かったら晩ご飯は食べていって下さい」
芥辺からの呼び出しなど碌な事はない。嫌な顔を作ろうとしたが、佐隈の手料理があるならそれでもいいか、と思い直してアザゼルはぴょんと佐隈に抱きついて彼女の肩によじ登る。
「ほなオムライスにしてぇな。今日のイケニエはそれでええで。べーやんおったらカレーばっかやからな」
「はいはい」
カレー至上主義のベルゼブブがいれば、確実に食事はカレーになる。それが彼の望むイケニエだからだ。カレーを食べるベルゼブブの横で豚足をしゃぶるのが虚しいアザゼルは、結局一緒にカレーを食べてしまう。しかしながら、流石に何日も続くと飽きる。芥辺自体は余り食べるということに関心がないのか、空腹を満たせれば良いと言わんばかりに黙々と食べるし、ベルゼブブはカレーが続くのは本望だ。結局アザゼルが我侭だと言う二人の視線に耐えられず下手すれば一週間カレーだと言うこともあった。そんなアザゼルの為に気を使ってか、佐隈も同じカレーであっても色々と具材を変えたり、ルーを変えたりとしてくれるが、それでも続くとキツイ。ベルゼブブが呼び出されていないという好機に、アザゼルは佐隈に自分のリクエストを頼むことにしたのだ。
肩に乗ったまま連れて行かれたのは芥辺の陣取る部屋で、思わずアザゼルは身を小さくした。機嫌が悪そうなのが見て取れたのだ。そもそも機嫌が良さそうにしているのは非常に少ない芥辺ではあるのだが、今日に限って言えば、出来れば帰りたいと思うよなレベルである。
「それじゃぁ買い物行ってきますから」
「え?さくちゃんもう行ってまうん?もうちょっと一緒におろうな」
「何言ってるんですか。卵ないとオムライス作れませんよ」
そう言い放つと、アザゼルをソファーに降ろして佐隈はさっさと部屋を出て行こうとする。
「ほな!荷物持ちするし!」
「オイ」
食い下がったアザゼルに声を掛けたのは芥辺で、部屋の温度が下がったのではないかと思うぐらいに冷ややかな声と視線にアザゼルは恐る恐ると言ったように彼の方を見る。読んでいた本から視線を外した芥辺は、手招きをしてしていた。オムライスは食べたい。けど帰りたい。グズグズしているうちに佐隈は出かけてしまい、仕方なくアザゼルはソファーから移動し、芥辺のデスクによじ登った。
「何の仕事でっしゃろ」
恐る恐ると言ったような顔をしてアザゼルが聞くと、芥辺は又視線を本に落とし、口を開いた。
「明日からさくまさんが旅行に行くそうだ」
「へぇ」
それで自分と芥辺が組んで仕事をする事になるのだろうと納得したアザゼルは、気の抜けた返事をして芥辺の言葉の続きを待った。
「お前もついていけ」
「……はぁ?」
予想外の言葉にアザゼルは間抜けな声を上げると、暫し考えて、意味が分からないと言うように声を上げた。
「いやいやいやいやアクタベはん。さくの旅行にワシが付いていくのはかまへんけど、えぇ?なんでぇ?仕事でさく旅行に行くん?」
「気晴らしの一人旅だそうだ」
「あぁ、さく友達おらへんしな……」
同情を含んだような声を上げたアザゼルをちらりと睨んだ芥辺は、持っていた本を閉じてデスクの上で手を組んだ。
「女の一人旅は物騒だからな。ただでさえトラブルを呼び込みやすい体質だ。お前が全部回避しろ」
「全部って……そんな無茶な!つーか、ワシ淫奔の悪魔でっせ!べーやんの方が暴露とか強制排便とか使えますやん!仕事失敗したらグリモアお仕置きやろ!イヤや!」
普段から使えない使えないと連呼されてるというのに、何故自分なのだ。失敗した時の事を考えるだけでゾッとするアザゼルは思わずそう反論した。どう考えても自分の能力より、ベルゼブブの能力の方が今回の仕事に関しては使いやすいはずだ。
「……ベルゼブブは駄目だ」
「はぁ?別の仕事でもやっとるんかいな」
「アレはさくまさんが甘い。だから駄目だ。お前相手ならさくまさんは十分過ぎるほど自衛するがな」
ベルゼブブに対する佐隈への態度が甘いと言うのなら、芥辺の佐隈に対する態度はその何十倍も甘く見えるアザゼルは、思わず半眼になって芥辺を見上げた。要するに、アザゼルのセクハラは自衛するが、ベルゼブブに対して佐隈が何かと甘いのが気に入らないから、消去法でアザゼルを選んだだけだ。そう取れて、淫奔を冠するアザゼルは流石に呆れ返った。どこの世界にトラブル回避の相棒に淫奔能力の悪魔を使う人間がいるのだ。莫迦が目の前にいる。そう思いアザゼルは溜息をついた。
「まぁ、さくとの旅行やし、喜んで行かせて貰うけどな。なんつーか、アレやでアクタベはん。さくに上手いこと言ぅてな。十中八九さくはワシを連れてくの嫌がんで」
「あぁ」
淫奔の悪魔としては確かに美味しい仕事ではあるが、下手にセクハラすれば佐隈からのグリモアお仕置き、仕事を失敗すれば芥辺からのグリモアお仕置きと、特攻か自決か選べと言われている気もする。段々気が重くなってきたアザゼルは、デスクからぴょんと飛び降りると、佐隈が帰ってくるまでソファーで丸くなって寝ることにした。
ケチャップを持った佐隈が入ってくる所でアザゼルは目を覚ました。ヨダレを拭きながらテーブルを眺めると、ほかほかのオムライスが三つ並んでおり、正面には芥辺が座っていた。
「あ、起きたんですか?ご飯できてますよ」
「さくちゃん!そのケチャップで【アザゼルさん好き】って書いてぇな!」
「手がすべりました」
勢い良く佐隈が押し出したケチャップはアザゼルのオムライスにドバドバとかかかり、黄色い卵など見えない状態になる。あぁん!と涙目になったアザゼルは、ちらりと芥辺の方を見る。佐隈から受け取ったケチャップをかけ、いつも通り黙々と食事を取る。
「なぁ、さくぅ。旅行行くんやろ」
「あ、芥辺さんから聞いたんですか?」
スプーンでオムライスをすくいながら佐隈が返事をしたのを聞いて、まだ芥辺が同行の話をしていないのだと判断し、アザゼルは佐隈を見上げた。
「どこ行くん?」
「温泉街ですよ。たまには羽伸ばそうと思って」
チラチラとアザゼルは芥辺に視線を送りながら話を振るが、芥辺の方は食べるのに集中しているのか全く話に乗ってくる様子はない。あれぇ?と思いながらアザゼルはいつもの調子で話を続けることにした。よくよく考えれば、佐隈がここで自分の同行を断固拒否すれば、仕事はなくなるのではないか、そう思ったのだ。
「ええな!ワシも連れてってーな!温泉!温泉!」
「えー嫌ですよ。セクハラするアザゼルさんと何で一緒に行かないといけないんですか」
露骨に嫌そうな顔をした佐隈を見て、アザゼルは心の中で小躍りする。この調子なら行かなくてすむ!グリモアお仕置きもない!そう思った矢先に芥辺が口を開く。
「連れていけば?さくまさん」
思わぬ援護射撃……否、アザゼルからすれば後ろから撃たれたようなものなのだが、芥辺の言葉に佐隈は不服そうな顔をする。
「けど、アザゼルさんセクハラするし……」
「……さくまさんは天使に目を付けられているかもしれなからな。用心に越したことはない」
そう言われ、佐隈は少しだけ考える素振りを見せる。
「そうですかねぇ。確かに天使は厄介ですけど……」
以前悪魔を一匹消されてしまった佐隈は天使に対して良い印象を持っていない。
「最悪こいつのグリモア差し出して全力で逃げればいい」
「ちょっとぉぉぉ!アクタベはーん!」
「それもそうですね」
「えぇぇぇ!さくちゃんなんで納得しとるん!おかしいやろそれ!」
涙目で抗議するアザゼルをちらりと見た芥辺が口元を歪めたのを見て、がっくりアザゼルは肩を落とす。最後の晩餐になるかもしれない。そう思ったアザゼルはしょんぼりしながら佐隈の作ったオムライスを口に運んだ。ケチャップの多いオムライスは少ししょっぱかった。
「それじゃ、明日朝事務所で呼び出しますから寝坊しないでくださいね」
コクリと頷いたアザゼルはしょんぼり魔界へ帰って行った。それを見送った佐隈は苦笑して言葉を零す。
「大人しくなっちゃいましたね」
「少しぐらい脅した方がアイツは大人しくていい。さくまさん……天使やトラブルには十分に気をつけて」
「解ってますよ」
なんだかんだで心配性だと思いながら、佐隈は芥辺を見上げて笑った。
寝坊したら朝一でグリモアお仕置きだと思ったアザゼルは、自分の目覚まし時計と、母親の目覚まし時計をセットし、更に携帯アラームもセットする。これだけ準備すれば万全だろう。あとは何事も無く任務が完了すればいい。そう思い、少し早いがアザゼルはさっさと布団へ潜り込んだ。
しかしながら、どういう訳か目が冴えて全く眠れない。どないなっとんねん!と思わず声を出して布団から這い出たのはかれこれ三時間も経ってからの事であった。パートに行っていた母親が帰ってきた様子はあったので、足音を忍ばせながら台所へ向かうと、冷蔵庫を開けて牛乳を飲む。
「……くそう。いつもやったら速攻で寝れんのに」
ブツブツ言いながら薄暗い台所で牛乳を持ったまま立っていると、アザゼルに気がついた母親が顔をだした。
「明日早いとか言ぅてなかった?夜更かししてええの?」
「全然寝れへんねん。ったく」
舌打ちをしながら牛乳に再度口を付けると、母親は可笑しそうに口を開いた。
「篤史は昔から遠足とか楽しい行事あったら興奮して寝られへんかったしな。仕事楽しいん?」
その言葉にアザゼルは飲んでいた牛乳を一気に吹き出す。鼻からも溢れた牛乳をぬぐいながら、アザゼルは慌てて口を開いた。
「仕事が楽しい事あるかボケ!何が悲しゅうて手ェ出されへん女のお守りせないかんねん!」
その様子を見ていた母親は、ニヤニヤと厭な笑いを浮かべて自分の方を見ていたので、アザゼルは牛乳を冷蔵庫に戻すと台所から早々に退散した。何勘違いしとんねんオカンは!と心の中で毒づきながら、また布団に潜り込む。
余計な事を言った母親を呪いながら、睡魔が訪れるのを待ったが、結局うとうとしだしたのは明け方で、漸く寝れると思ったときにはけたたましくアラームが部屋に鳴り響いた。
「……大丈夫ですか?アザゼルさん。体調悪いんでしたら……」
佐隈がそこまで言った段階で、後ろに立つ芥辺の視線が怖くなって、アザゼルは全力で首を振った。
「寝不足なだけやから!あー、楽しみやな!旅行!」
無理矢理テンションを上げた様な様子に、佐隈は少しだけ困ったような顔をすると、アザゼルを抱き上げて芥辺に向き合った。
「それじゃぁ行って来ますねアクタベさん」
「あぁ」
短い返事。けれど鋭い視線にアザゼルは思わず身震いした。
駅まで着くと、佐隈はアザゼルを連れて電車に乗り込む。移動時間は長く、荷物を座席の上へ押し込めると、椅子に座った。その隣りの座席に座るアザゼルを見て、佐隈は彼を抱き上げると、己の膝へ乗せた。それに驚いたアザゼルは佐隈を見上げる。
「アザゼルさんの座席はないんでここで我慢してください」
他の誰かが隣に来る可能性があるのだろうと言う事で、アザゼルは納得して大人しく佐隈の膝に収まった。
「寝ててもいいですよ」
「置いていかんといてな」
「はいはい」
アザゼルの心配そうな声に苦笑すると、佐隈はアザゼルを抱く手に少しだけ力を込めてやる。それに安心したのかアザゼルは佐隈にもたれかかりじきにうとうととしだした。心地良い揺れと、佐隈の体温。これだけでも来て良かった気がしてきたし、いつも膝の上に乗っているベルゼブブはずるい、そう思いながら睡魔の糸に絡み取られていく。
寝息をたてだしたアザゼルを眺めながら、小さく笑った。芥辺が怖くて、体調不良であるのに付いてきたのだと思ったのだ。少しは起きたら元気になるだろうか。煩いとかセクハラは勘弁して欲しいが。そんな事を考えながら、佐隈はアザゼルを抱き直し、窓の外に視線を送った。
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