風車のある街
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 風下街と呼ばれる風のまく街を、ルミは軽い足取りで歩いていた。

 

 風下街28番地と風雨街27番地の境目は、あってないようなモノで、自警団ぐらいしかその境目を意識している者はいない。どこの街の境界も似たようなもので、問題にすらならないけれど。

 

 すでに日は沈み、顔を上げれば空高く伸びる柱が一つ夜空に溶け込みそうな姿で聳え立っていた。その柱に巻きつき螺旋を描く街を、ふらふらと彼女は下っていた。

 むやみやたらに増築され、家の上に家が建ち、その家の上に道が走り、その向かいに家が建ち、その上その隙間からは風車が顔を出していたりする、そんな煩雑な街だ。気がつけばいつも使っていた道がなくなってたなんて珍しくもなんともない。

「ルミちゃん、仕事おわったんかい?」

 28番地と27番地の境目をちょうど踏み越えたところで後ろから声をかけられた。

「うん、あがりだよー」

「おつかれさまぁ〜」

「ありがと!」

 手を振ってねぎらう老人に、ルミも力いっぱい手を振って返した。大きく揺れる彼女の腕の先、巻かれたリストバンドが家から漏れる光を受けて細い光りの軌跡を描いた。

 

 ◆

 

 

 電精ブランと呼ばれる酒がある。

 

 合成アルコールで作られたよくある合成酒だ。ただその中には電精が封じ込められているという。錬金術の燃料になるエリクシルの中でも一番良く使われるあの電精である。なんて言ったところで人間の目にその電精が見えるわけではない。普通に手に入る電精ブランは、光らない琥珀色のよくある合成酒だ。

 だが噂では本物の電精ブランは、人間の目でも電精の発する微かな光りが見えるらしい。

 それはきっと、とても綺麗なものだろう、とルミは考える。

 

 27番地は風雨街である。常に風が同じ方向から吹き続けるこの街では、風上の風上街を前にして右が風雨街、左が風砂街と呼ばれている。ルミの住む街は風下の風下街。風下街は他の街と比べて風車がすくないのが特徴だが、それ以外街の差など無いようなものだ。

「28番地の自警団の方がなんの御用でしょうか?」

 ゆらりと家と家の隙間から、大きな人影が顔をだす。

 脚を止め、声の方を振り向いた。

 そこには27番地の自警団いた。

「……今は非番ですから」

 身長2mを越える耳長族の大男。見覚えのある顔。いやこの場合姿、といったほうが良いかもしれないが。

「困るんですよ、前も管轄引継ぎ確認しませんでしたよね。管理局に業務報告したいのは分かりますが」

 街を守る自警団と呼ばれる集団がある。街ごとに運営され街の人の厄介ごとを納めたり、探し物を探したり、住民調査をしたりと、街の管理を行う集団の総称である。予算は柱の街全てを管理する管理局から仕事内容によって割り振られていて、基本街の運営で賃金は行き来しない。

 だから街と街の境界で起きる事件はいつも取り合いになる。成績が予算に直結しているので仕方が無いといえば仕方が無いのだが。

 だから離れた街の自警団ほど仲が良い――なんて、揶揄されるほどにそれは絶対的で壊滅的。

 そしてルミはこの前ペットの猫探しに借り出され、うっかり27番地まで入ってしまった事を思い出した。

「で、ですから非番です。非番ですから仕事はしませんよ」

「非番でも仕事はできるでしょう?」

 いやソレはそうなのだが。

 ルミは言葉に詰まる。これは耳長と人間の前に横たわる大きな溝だ。彼らとの会話は、たまに会話が横滑りする時がある。屁理屈に聞こえるときもあれば、支離滅裂に聞こえるときもあり、いやに確信を突いてくるときもある。慣れてるとはいえ、急いでいるルミにとって今は関わりたくない相手だった。そもそも、大きな男性はそれだけで怖い。それが腕力も体力も人間の数倍といわれる耳長族であれば尚更で、さらに2mもある大男ならばもっとだ。

「し、仕事はしませんよ。“シュペート”にお酒飲みに行くんです」

「お酒? ですか。なるほど。では大丈夫ですね、お時間をとらせました」

 なぜか納得した大男は、耳長族独特の長い耳を上下に揺らしながら一歩後ろに下がる。

 仲が悪い自警団同士ではあるが、基本的に礼節は保たれているのか、むやみやたらに絡まれたりすることは少ない。たまにはそういう敵愾心をむき出しにするタイプもいるのだが。少なくても彼はそうではない。

「それでは。お仕事がんばってくださいね」

 そういってルミはまた歩き出す。

 返答するように、耳長族の大男は一礼をして街の闇に消えていった。

 

 ――そういえば、なんて名前だっけ。

 この前の仕事で27番地に入ったときに、一番世話になった人であることは覚えているが、名前が上手く思い出せなかった。名前より、あの長身が印象深い。そもそも耳長族は長命であるため成長が遅い。それ故、小さい人というか子供のような見た目なのに同年代と言うのは珍しい話ではない。年齢層が広い自警団界隈でも、基本的に耳長族はみな子供のように見えるものだ。

 だから、あの大きさは何もかもの印象を飲み込んでしまう。

「ま、いっか」

 今日は非番だ。そして“シュペート”に念願の電精ブランが入荷するという噂を聞きつけた。

 瑣事に気を取られているわけにはいかない。

 よし、と気を取り直すように息を吐き出しルミはまた夜の道を歩き出した。

 人通りの少なくなってきた大通りは歩きやすく、思わず坂道をトントンと、跳ねるようにして歩いてしまう。すると、彼女の短く刈られた髪の毛が、一呼吸遅れて跳ねる。

 トン。

 空気を吸った髪の毛が勢い良く空気を吐き出して落ちる。

 トン。

 跳ね上げられた髪の毛が呼吸をするように空気を吸い込む。

 そのリズムにルミは口元を引き上げて笑った。

 大通りを覆い隠すように伸びた家屋を見上げる。圧縮木材で組み上げられた家たちは、デコボコで整合性なんて言葉はどこかに置き忘れたかのような佇まいを見せていた。

 開いていた窓から、不意に声が漏れてくる。笑い声だったり食事を始める合図であったり、粗相をした子供を叱り付ける親の怒鳴り声で――

 思わずその怒鳴り声にルミは肩をすくめ、

「……」

 ほどなく自分が怒られた分けでは無いことに安堵して肩の力を抜いた。

 

 

 街は夜でも賑やかだ。

 大きな大通りも、左右は家に埋め尽くされているし細い路地にはいればもっとごちゃごちゃしていて、そこかしこに人の息遣いが聞こえてくるだろう。人間も、耳長族も、もののけも、水棲族も、妖精も、この街には何だっているのだ。

 テンションがあがって、思わず幅跳びみたいに飛び出す。

 トン。

 着地した足元に違和感があって視線を下ろすと、ルミの靴の傍でもののけが踏まれないように必至に体を曲げて彼女の足を避けていた。

「あ、と。ごめんなさい」

 しゃがみこんで、ルミの足から必至で逃れたもののけと視線を合わせる。

 不定形のもののけは、別に気にしていないとばかりにゆらゆら体をくねらせると、手のように一部分を伸ばすとルミの頭を撫でてた。

「ふふふ」

 それがくすぐったくて、思わず笑い声が出た。もののけの頭らしきところから、木の枝みたいなのが生えていてソレが髪の毛みたいに見えて可愛かった。つぶらな瞳が無ければ、砂山に刺さっている枯れ木に見えること請け合いの姿である。きっと子供がその山を囲んで、みなで砂を奪い合うのだ。

 一番最初に木の枝を倒した子供の負け。

 昔そんな遊びをしたことを思い出し、思わずその木の枝に手を伸ばす。

 だが、ゆらゆらと木の枝が揺れ、ルミの手から逃げ出すように離れていく。

「あ」

 そのままもののけは、人の間をすり抜けてどこかにいってしまった。

「あー」

 残念。

 

 気を取り直して、ルミはまた歩き始める。

 “シュペート”はもうすぐそこだ。28番地のお店は自警団に入ってから団員の皆と回りつくした感があり、たまにこうして27番地の店にまで足を伸ばしている。

 もう行きなれたといっても良いほどルミはこの店に来ているし、お陰で電精ブランの話も聞けたのだ。

 大通りを跨ぐような洗濯屋の看板が見えたら右の細い道へ。家を5軒通り過ぎ所にある階段を使って上へと向かう。幾つか家を通り越し、階段が終わった場所にある小さな道を真っ直ぐ道なりに。

「ほっ、ほっ、ほっ……」

 最近出来た割には不安定な小道は、ほとんど27番地の最上部にあって、家の屋根ばかりが見える。

 ルミはこの景色がお気に入りだった。遮る物がなく、力いっぱい吹いてくる風に眼を細めて周りをみれば、27番地のその先に、月明かりに照らされた雲海が広がっているのが見えた。視線をそのまま上にむければ真上には31番地の腹と星空が広がっていた。

「んー、綺麗だねぇ」

 自分の物でもない癖に、宝物がちゃんとその場所にあるのを確認して満足する子供のように頷くルミ。

 細い道は曲がりくねり、家の屋根と屋根を渡り伸びている。その先にみえるのは、

「みーえた!」

 目的の“シュペート”。屋根の海の中にポツリと顔をだす小さな店は、雲海に顔を出している柱みたいだ。

 時折顔を出している風車や新しくできた家は本当にまばらで、隙間だらけであるがまさに家の海といってよかった。

 もとより店事態がそういった趣向もあるのだろう、店の形は円柱形をしていて、わざわざ柱と同じように二つが風上と風下に突き立っていた。また店の周りを螺旋を描くようにツタが伸びているのだ、これは街の代わりだろう。そして開店中を示す看板の飾り電球が、風に靡いては、辺りの陰影を大きく揺らしていた。

 

 その店に続く細い道には幾人かの人影が見えた。

 ルミの想像以上に電精ブランの人気は高かったようで、順番待ちの列が店の外にまで伸びていたのだ。

「あー、一足おそかったかぁ」

 ため息は風にのって、勢い良くかき消されていく。

 

 ◆

 

「いらっしゃい。お待たせしました〜。あら、ルミちゃん。もしかしてルミちゃんも?」

 顔なじみの店員の声が聞けたのは、店に並んでから随分とたった頃だった。

「ね、電精ブラン、残ってる!?」

 挨拶もせず、勢いよく詰め寄るルミ。

「あー……」

 ルミの視線に、店員の女性は視線をそらした。

 その視線の先。

 10代前半に見える小さな耳長の女の子が横切った。彼女に抱きかかえられるようにして、丸いガラスのボトルが揺れている。ボトルの中に、確かに小さな光りが見えた気がした。

 

「最後のボトル売れちゃってね……開いてるボトルなら、あるんだけど……飲んでく?」

 

 

 ルミはがくり、とうなだれる。仕事が終わってから、取るものも取り合えず、やってきたというのに。

 なんだかここまで歩いてきた疲れもどっと出てきたようで、体を投げ出し椅子に座ると、そのままふて腐れてテーブルにアゴを乗せた。

「はい、一応今日入った電精ブラン」

「……ありがとう」

 目の前には、いつもと変わらない少し琥珀色をした、透明な液体がコップの中で揺れている。

 眼を細めてコップの中を覗いてみても、やっぱり電精はいないのか別に光ってるような事はなかった。

 取り合えず口をつけてみる。

「……」

 喉を焼く合成アルコールの容赦の無い刺激。そのまま胃の中におちて、まるで燃えるように熱くなる。

 いつもの電精ブランより、少しアルコールがきつい気がするが、味の差はその程度のものであまりよく分からなかった。気のせいか、少しだけピリピリと刺激がしたような気もするが、きっとアルコールの所為だ。

 味が分からない自分が情けなくて、急いでやってきた自分がバカらしくて、思わずぐいと大量に飲み込んだ。

 ルミはそんなに酒に強いわけでもない。ちびちび酒を飲むのが常の彼女が、一気に酒を開けて大丈夫なわけもなかった。

 今までに無いお腹の中の熱に、驚くように眼を丸くしたかと思うと、ニヘラと頬を歪めてテーブルに体をあずけるように倒れこむ。

「あ、ちょっとルミ? 大丈夫?」

「んぁ。だいじょーぶ……」

 歪んだ視界というよりは、ぼやけて焦点が合わない視界の向こうで、心配そうな店員の顔が見えた。

 ――あぁ、なにやってんだろ、私。

 お腹の中の熱はまだまだ取れそうになく、指先や足先の感覚がおぼろげになっていく。顔中に透明な毛布を巻きつけられたかのような感覚に、ルミはのらりくらりと体を起こした。

 と、いきなり視界が暗闇に包まれた。

「?」

 アルコールで眼が潰れる。なんて話をどこかで聞いたことがあって、脳みそが覚醒する。

「眼が!」

 思わず顔に手をやるが、己の手のひらが見えてすぐに安堵した。

「お疲れ様です」

「……あ」

 影の正体は、先ほど27番地に入って来た時に出会った耳長の自警団員だ。

「あー」

 もやもやとした頭の中で考える。

 ――えっと、名前は何だっけ?

 挨拶しないと、失礼だよなぁ。それにしても大きいな。なんで店にきたんだろう? 仕事かな? 背たかいなぁ、スタップさんより大きいもんなぁ。お腹が熱い。でもなんか飲み足りないなぁ。明日仕事……休みだっけ? 目の前で売り切れだもんなぁ。あと一人早ければ買えたのに。この人が邪魔しなければ間に合ったかも。あー。だんだん腹が立ってきた。なによ、街の境界なんて曖昧なんだしそんなちょっと入って猫探したからってさぁ。幼女怪盗が出たってわけでもないしぃ、いいじゃない猫ぐらいさぁ。本当、融通が――

「猫だろうが盗賊だろうが、決まりは決まりです。事後報告なり、なんなり出来たはずです……。ですが今日、邪魔したのは申し訳ないと思ってます」

 思わず仰け反る。

「え、え……あの」

「はい?」

「もしかして、私なんか言ってました……?」

「え? えぇ。目的のお酒が売り切れてしまったと……」

「え、やだ」

 酒ではなく理由で頬が熱くなっていくのが分かる。

「ご、ごめんなさい。その、なんか……あの、気にしないでくださいっ!」

 もう殆どアルコールの余韻はなくなってしまった。あせりと酔いでなんだかわからないテンションになる。

「探していた酒というのは、電精ブランのことですか?」

「……え、えぇ。まぁ。今日本物がはいる、ときいて」

 席失礼しますね。そういって、耳長の大男は丁寧な動きでルミが座っているテーブルの向かいに腰をかけた。体の大きさに反して、神経質すぎる動きに思わずほほが緩む。

「おや、デクちゃん。珍しいね店くるの」

 声をかけたのは、顔なじみの店員で、デクという呼び名に顔をしかめながら振り返る。

「デクではありません。ティルト・グルジットです」

「テグもデクもかわらないじゃな〜い」

 いいながら店員は、笑ってティルトの頭をぱしぱしとたたく。それにしても大きい、とルミは酒の抜けきらない視界で思う。立っているはずの店員の手が随分と高いところまで上がっているぐらだ、もしかしたら2m以上あるかもしれない。座っているかれが、まだ立ってるかのように錯覚してしまう程。

 短く刈り上げた髪の毛と、少し堀の深い顔立ちが無表情に近い顔で自分を見下ろしている。眼があって彼は、これ以上何も言うまいとため息まじりに、頭をはたく店員の手を丁寧に払いのけた。

「一文字もあっていませんよ」

「んで、なんかのむの?」

「電精ブラン、ボトルで一つ」

「ふへ?」

 思わず声がでた。

「あいにく、もう今日入った分は売れちゃったんだけど」

「いや、いつも置いているやつでいいです。ボトルで」

「ん? あぁそう。了解〜。少々お待ちくださいね」

 そういって、店員はそれ以上何も言わずさっさとカウンターの奥へとひっこんでいった。

「あの、私……」

 そんな飲めないし、そもそも探してたものでも――

「まぁすこし、付き合ってください」

「はぁ……」

 意図が読めず、またティルトの表情も読めず、ルミはただ首をかしげつつも頷くしかない。

 ――しかし……。

 何を話していいものやら。そもそも、同じ自警団とはいえ迷惑をかけたぐらいしか繋がりはないのだ、共通の話題などあるわけもなかった。

「……先日は、本当にご迷惑お掛けしました」

「いや、気にしないでください。もう終わった事ですから。今度から気をつけていただければ問題はないです」

 そういわれてしまえば、もうそれ以上何も言えない。そもそも話すだけ雰囲気まで悪くなりそうで、ルミは押し黙るほかなかった。

「電精ブランの話、どちらでお聞きになりました?」

「えと……。この前ここで飲んでいたときにですね、誰かが言ってたのを小耳に。“本物の”電精ブランが入るって」

「ああ、それで今日は人が多かったんですね」

「どういうことです?」

「いつもは、入荷日通知しませんから誰も知らないんですよ。だから売り切れることもないです」

 いつもは? はて、本物の電精ブランは今日珍しく入荷するという話ではなかったか。とルミが首をかしげると、

「はーい、電精ブランおまたせしました。それとこちら、氷と水、になりますね。ごゆっくり〜」

 そういって、目の前に置かれたのはいつも見かける光りもしない琥珀色の液体が入った瓶だった。そしていつもみる水割り用の水と、氷。

「電精ブランって何が入ってるかご存知ですか?」

「電精、ですよね?」

「ええ人間には見えないエリクシルです。もともと、電精ブランって私たち耳長族のお酒なんですよ」

 それはそうだ。そもそもエリクシルを瓶に詰め込むなんて芸当、錬金術師とはいかなくても錬金術を生まれつき扱える耳長族ぐらいしか作れないだろう。

「はぁ……」

「それと電精ブランを作ってる会社は、一つしかありません。基本は耳長族の家で作られる自家製酒なので」

 これは知っていましたか? と、少しうれしそうに笑う大男。なんだから仕事中と違って、随分と砕けた雰囲気だ。少しだけそのことに、肩の力が抜けた。

「つまりですね、これも“本物の”電精ブランなんですよ」

「え? でも、これ光ってないですよね。一社でも種類が違うとかじゃないんですか?」

「時間がたつと、電精が瓶から抜け出してしまうんです。そうでなくても、弱くなって人の目には見えなくなる。本当は電精が無くなってからが飲み頃なんです」

 そういってティルトは、瓶の蓋をあけコップに注ぐ。

 促されるまま、ルミはソレを一口舐めた。先ほどのんだものよりも、随分とやわらかい味がする、いつもの飲みなれた電精ブランだった。

「こっちのほうが、味が落ち着いておいしいんですよ。電精を入れたきっかけも、瓶に封をして飲み頃が分かるようにって入れたらしいですから」

「へぇ」

 なるほどなぁ。などと、随分と酔いが回ったあたまでルミはまた一口酒を舐めた。

「ですけど、光ってる電精ブラン、探しにきたんですよね?」

「え、えぇ。まぁそうなんですが」

「店に行くのを邪魔したお詫び、といってはなんなんですけれども」

 そういって、ティルトは瓶を両手で包み込む。

 そもそも変わりにはならないんですが。そういって、彼は笑った。

「ふへ?」

 ぼやけた頭に疑問符が浮かぶ。パチ、という静電気がはしるような音をルミはきいた。

 

 ◆

 

 “シュペート”の店内は、暖色系の間接照明だけなので建築材に使われている圧縮木材の色とあいまって、ぼんやりとした赤い夕日の中にいるような感覚になる。火照った頬に、冷たいテーブルの温度がじんわりと溶けてこのまま眼をつぶれば何処までも眠れそうな気にすらなる。

 昼寝ならぬ夕寝だ。贅沢だなぁ。そんなことを考えながらルミはぼやぼやと溶けた視界を眺めていた。

「ルーミ!」

「ひゃっ!」

 いきなり振ってきた声に、思わずばね仕掛けのように立ち上がった。

「もう閉店だよ。ほらほら、しっかりする」

「あ、あーー」

 見回せば、もう店内には自分しか客はいない。

 と、テーブルに視線が落ちる。

「お、あれ? 電精ブラン……」

「デクちゃんが置いていったよ。土産に持たせてやれってさ。でかいくせに、ちまいことするよねぇ」

 うししし、そういって笑う店員に、視線だけで笑い返しながら、酔っ払った記憶を必至にたどる。

 ――だめだ。思い出せない。

 ただ瓶を手で覆っていたティルトの姿だけはぼんやりと思い出せた。

「あー」

「あの子ね、錬金術それなりに使えるのよ。自警団なんかより錬金術師やった方がいいんじゃないなんて、昔は言われてたんだけどさ」

「……綺麗」

「さ、それもって今日はもう帰りな。電精は多分3日もすりゃ抜けるから気をつけてね」

 とん、と背を叩かれ、言われるがまま頷くルミ。

 ふらふらと店を出ると、外はもう真っ暗で家の明かりもほとんど消え始めていた。電気が貴重なこの世界では、夜中ついている街頭なんてものはない。

 だから街を、道を、照らすのは家から漏れ出すかすかな明かり達だけだ。

 夜空からかすかに降り注ぐ月明かりも、今日は柱に隠れてほとんど見えない。月明かりを反射する雲海だけが、薄く街と空の境界を彩っていた。

 

「あー、帰らなきゃ……」

 と胸元に視線をやれば、ほのかに光る酒瓶がある。

 つい、と前に瓶をかざしてみれば、

「おお」

 まるで提灯みたいに辺りが照らされる。影は濃くなり、輪郭には薄い明かりが滑っている。

 ゆらゆらと揺れる酒瓶の中、電精が抗議をするかのように、パチパチと音を立てていた。

 随分と奮発して電精を入れてくれたようだ。小さいけれど、力強いその光りはまるで、

 ――お星様みたい。

「お礼、しなきゃね」

 

 風に煽られるように、来た道をふらふらと歩くルミ。彼女の行く道を星明りが照らしている。

 帰り道は、誰にも邪魔されずに帰れそうだった。

 

 

 

説明
真っ白でなにもない雲海に、ぽつりと顔を出している二本の柱に住む人たちのお話。
同人誌「風車のある風景」のスピンオフ。絵師は同人誌と同じく、myu氏です。

不備があったので修正。
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