ダンジョンキーパー(五) |
「くそっ!」
振り降ろされた拳を受けてちゃぶ台が盛大な音を立てて揺れた。当然、上に乗っている湯飲みもたまらずにひっくり返る。
「これナルサワ。行儀が悪いぞ」
「落ち着いて」
悠長に構えるコマに、あわててこぼれ落ちた茶を拭くカラ。
その動きが訳も無くナルサワをイラつかせて語気を荒くさせるのだった。
「これが落ち着いていられますか。ポウには先日もさんざんな目に合っているのに、さらに期間予定日を守らない。これじゃあ……」
「気持ちはわかるがナルサワ。冷静にならないと余計にドツボにはまるぞ」
カワグチの言葉にナルサワは言葉を抑えた。
いまは熱くなるときではない。細く絞った目線は言外にそう語っているようであった。
時刻はすでに夜。ポウが出かけてから4日目を終えようとしていた。
ガス灯が煌々と輝き、4つの影を不規則に揺り動かしている。
大きな影の一つが、ゆらゆらとゆれる小さな影に話しかけた。
「こういう時の対応はわかっているよな」
「……ええ」
先ほどとは打って変わり、まるで少年のように縮こんだ影は控えめな言葉で答えるのみであった。
冒険者が帰らないときは、ダンジョンキーパーが守り神であるコマとカラを連れて探索に出る。それは歴史上、何十年と繰り返された光景であった。
しかしここ数年はそういったことはなかった。
ひとえに数年前の、ナルサワの両親の事件が冒険者の心理に喰いこんでいるのがある。ダンジョンへの挑戦に危険は付きものだが、命がなくなってしまえばそれまでなのは当たり前である。
また、現在の当主であるナルサワが未だ若く、経験が浅いということから冒険者組合の方でも、あまり無茶な探索はしないようにと触れを出していたのも影響しているのだろう。
とにもかくにも、ここ数年の一般的な冒険者はその辺りを考慮してダンジョンに挑戦するようになっていた。
だが今回の冒険者は遠くウェストから来た、しかもろくに情報を得ずに早々とダンジョンに挑戦した冒険者である。そのようなことを配慮に入れろという方が無茶であった。
「怖いか」
「……え?」
「ダンジョンに入るのが怖いか」
カワグチからの問いにナルサワはぐっと息を詰まらせる。
ダンジョンは両親が死んだ場所だ。それも、冒険者を助けに行った先で、である。
ぎゅ、と両手で袴を握る。気が付いたら汗がべっとりと掌を覆い、気持ちの悪い感触が広がっていた。
「怖い……ですね。やっぱり」
正直にそう答えた。嘘や見栄を張るのは簡単だが、そんなものは歴戦の冒険者であったカワグチや守り神であるコマとカラには到底通じるとは思えなかった。
カワグチがひとつ、溜息をつく。
「まあ、仕方ないな。なあコマ。俺がダンジョンキーパーの代理で行くことはできるか」
「できんことはない。じゃが、我らはダンジョンキーパーが居てこその守り神じゃ。それ以外の者ではまともに力は発揮できんぞ」
「俺だって腐っても冒険者だ。剣の腕に覚えはある。ポウを探すことができればいいさ」
「ふむ……カラはどうじゃ」
「ん……」
ちら、とカラはナルサワを見た。重なった視線はなんとなく悲しそうでもあり、ナルサワの心を照らす日差しのような感じもした。
その視線もすぐに外し、カラはカワグチの方を向いた。
「なんとか……できると思う」
「そうか。なら我もできうる限りの力はだそう」
「じゃあ、決まりだな。さっそく支度をしよう」
そう言って席を立つカワグチ。それにあわせてコマとカラも立ち上がったが、ナルサワだけがただ座ったままであった。
袴を握る手をさらに締める。
自分は何もできない。両親が亡くなったときもそうであった。
ただただ大人たちに囲まれて、待ち続けた先に両親の死が待ち受けていた。
ふと鉄の匂いに気が付く。
あまりにきつく手を握っていたために爪が布越しに掌を突き破り、血がにじみ出ていたのだった。
玄関でごとり、と音がした。
ナルサワは驚きでにわかに立ち上がり、誰もいない廊下を渡って玄関へと足を運んだ。引き戸を開けると、そこには血まみれで倒れる2匹の犬、そしてその背には息を止めたカワグチと金髪の女の子の姿が……。
「しっかりして、ナルサワ!」
大きな声にはっと顔を上げる。その先には珍しく必死な形相のカラが目前に迫っていた。
「カラさん……?」
「……!」
ぎゅっと抱きしめられことでようやく我に返り、ナルサワは辺りを見回した。てっきり玄関にいたと思っていたのだが、ガス灯の光に未だ居間にいるということが確認できた。
妄想。
掌の痛みがナルサワの心を現実に引き戻すが、同時に暗い影を立ち込めさせた。
「あまり自らを追い詰めるのはよくないの。自分で自分の身を滅ぼしてどうするのじゃ」
コマが困ったように言った。
カワグチもどうしたものか、という表情でナルサワを見つめるのみである。
「あ……すみません」
「無理もなかろうて。すこし行水でもして頭を冷やしてこい」
「……はい」
そう言われてナルサワは立ち上がろうした。しかし、カラに強く抱きつかれて身動きができないことにいまさらながらに気づく。
抱きつかれたときは呆然としていたのでわからなかったが、日の暖かさのようなカラの匂いが鼻をつく上、そのやわらかい体を押し付けられているのだ。その刺激に反応して心がどぎまぎしてしまい、どうしても静めることができないでいた。
「カラさん?」
「離さない」
「は?」
「ナルサワが安心するまで、離さない」
耳元でささやく声は涙まじりになっており、横目で顔をのぞくと明らかに泣いているというのがわかった。
「や、俺はもう安心できてますから」
「嘘」
「いや嘘じゃないですって」
「嘘」
「う……」
目の前にある犬耳は垂れ下がり、しっぽも元気なく垂れ下がっている。
なんとかならないものかとコマとカワグチの方を見ると、2人とも「やれやれ」とでも言いたげに笑みを浮かべているのが見えた。
「どうするよ、コマ」
「カラは吽形(うんぎょう)ゆえあまり喋らぬが、一度感情に火がつけば起こす行動は激しいからの。放っておくのがいいじゃろう」
「だな。じゃあ俺は一度帰って得物をとってくるぜ」
「わしも出立の準備をしてくるかの。終わったら大鳥居まで集まるのじゃぞ」
「ちょ、ちょっとコマさん、カワグチさん!?」
「安心せい。おぬしの心が定まれば離してくれようぞ」
そう言って二人とも居間から出て行ってしまった。
抱きつかれたカラの頭に手を載せる。さらさらの髪を梳くと、さらに香りが広がってナルサワのざわついた心を落ち着かせた。
「ありがとう、カラさん」
「ん……」
5分程してようやく、ゆっくりとカラが体を離した。
「カラさんにはこうやって助けらてばっかりですね」
「それが……守り神の勤め」
「はは、確かに」
赤くはれた目を隠さず、真正面にナルサワを見つめるカラ。
彼女はこうやって何代ものダンジョンキーパーを守ってきたのだろうかと思うと、彼女やコマの積み重ねてきた歴史、ひいてはダンジョンキーパーとしての連なりを感じずにはいられなかった。
居間の壁際を見る。
数日前と変わらず居続ける真改国貞。これも彼女たちに比べれば歴史は浅いが、すくなくとも数代はダンジョンキーパーと共にあった存在である。
刀掛けに掛けられた国貞を握り、そっと鞘から引き抜く。重厚な刀身がガス灯の光に反射してその存在を主張していた。
「俺は……何をしていたんだろうな」
自分自身に問いかける。
この刀も両親を救うことはできなかった。 だが、なにもできない自分よりははるかに有能だとも思えた。
あのときは無力な少年であったが、今は違う。この刀を振ってカワグチから剣の手ほどきを受けた。実力も駆け出しの冒険者など相手にならない程度には付いたと褒めてもらった。
(なら……俺ができることはあるじゃないか)
刀身を鞘に仕舞う。刀と一緒に置いてあった絹帯で白衣にたすきを掛け、もう一本で腰帯を作ると国貞を差した。
そのそばにいつの間にかそばにカラが立っている。顔にはすでに涙が消え去り、嬉しそうに耳をぱたつかせている。
「決心がつきました。行きましょう、カラさん」
「ん」
2人で玄関を潜る。真っ暗なのでカンテラを手に大鳥居まで行くと、コマとカワグチが待っていた。
カワグチの腰には二本の大小が差してある。
「お、来たか。……その様子だと俺の正宗は出番なさそうだな」
「まったく、心配かけおって」
ナルサワの姿を見てカワグチは安堵の表情を浮かべた。
それはコマも同じようで、ふん、と鼻息を鳴らすと腰に両手を当てる。
「お世話をおかけしました。このとおり、万事準備が整いました」
その言葉にカワグチとコマは同時に頷いた。
まだすこし不安は残っているが、それでも押し込めておける位にはなったと感じられる。
「おし、行ってこいナルサワ。修行の成果をふたりに見せてやれ」
「はい。留守はお願いします」
冒険者の救出にはダンジョンキーパーと守り神が行く。それが本来のダンジョンキーパーの姿であり、部外者であるカワグチは例外が発生しない限りついていくことができない。
なのでナルサワが持ち直した今、カワグチはセノミの留守役としてセノミに残ることになるのである。
「よし、では行くとしようかの」
「ええ」
「ん」
3人は並んで大鳥居を潜った。
その途端、暖かい夜風に混じってこの世のものとは思えない冷たい空気が3人を包み込んでいった。
説明 | ||
ダンジョンキーパー本編の5です。 とりあえずここまではpixivのほうにあげてるので一気あげ終了。 あとは毎週土曜日に順次あげる予定です。 全部あげ終わったら一まとめにまとめます。 最後まで読んでくれる人がひとりでもいるといいなぁ。 |
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