【ポケモン小説:バクフーン】空白の向こう側へ |
さっきまでのボクは、全てを持っていた。
強さも、仲間も、信頼も。
勇気も、居場所も、名前も。
そして、隣を歩いてくれるキミという存在も。
でも。
ボクは失った。
キミの、たった一言で。
全てを失ったんだ…。
幾重にも連なるビルの隙間に、夕日が沈んでいく。
今日の仕事の締めくくりだと言わんばかりに、街を茜色に染めながら。
音もなく世界に哀愁を振りまきつつ、沈んでいく。
街にあふれる人間たちも太陽の後を追うように、足早に帰路へとついていた。
そんな、人々の雑踏に支配された都会の真ん中で、夕日に目を奪われているポケモンが居た。
「はぁ…。」
彼の名は、バクフーン。
ベンチに腰かけ、何も言わず遠くを見つめるその姿を見ていると、まるで長年の仕事に疲れたサラリーマンのようだ。
バクフーンはため息をひとつ洩らしただけで、ひたすらに沈みゆく太陽を見つめていた。
だがその光はビルに遮られ、無情にも彼から光を奪っていった。
公園は一瞬にして闇に包まれ、街もまた夜の帳に包まれていく。
「…どうして、こうなったのかな…。」
誰に話しかけるわけでもなく、口の中で小さくつぶやいた。
寂しさで形作られた言の葉は誰の耳に届くこともなく、夜風に乗って溶けてゆく。
「どうして…?」
太陽の沈んだ空から目を剥がし、自らの足元に視線を落とした。
その視線の先には、バラバラになったモンスターボールがある。
今まで、バクフーンの居場所でもあり、彼との絆でもあった証だ。
それが見るも無残な姿となり、冷たい地面に小さな影を落としている。
「ボクは…捨てられたの?」
バクフーンは、その残骸に向かって問いかけていた。
答えは目の前に在る。だが、それを認めたくない。
認めてしまったら、心が折れてしまいそうだったから。
「マスター…。」
数刻前の出来事を思い出しながら、彼の名を呼んだ。
返事がないのはわかっていた。それでも。
「マスター…、会いたいよう…。」
彼の名を、呼ばずにはいられなかったのだ。
その時は、突然やってきた。
主人であるトレーナーの腰につけられた、モンスターボール。
揺り籠のようにゆらゆらと揺れる世界の中で、まどろんでいるときだった。
いきなり世界の上半分が開き、茜色に染まった空が飛び込んできた。
それと同時に、体が見えない力に引っ張られる。
とっくの昔に慣れてしまった、ボールから飛び出すあの感覚だ。
「…お呼びですか、マスター。」
半分閉じかかった目をこすりながら、自らの主人に対して問いかけた。
彼は背を向け、腕を組んで遠くの空を眺めている。
「ああ。ちょっとな…。」
返ってきた言葉は、何処か煮え切らないような口ぶりだった。
いつもの様子とは違う雰囲気に、妙な感覚が背筋を走る。
頭の中の眠気を慌てて払い、あたりに目を向けた。
そこは、来たこともない公園の中だった。
辺りには他のトレーナーの姿も、野生のポケモンの姿も見えない。
なら、何故自分はボールから出されたのだろうか…。
そんなことを考えていると、背を向けていた彼がゆっくりと振り返った。
そして、信じられない言葉を口にする。
「お前、もういらないや。」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
頭の中で言葉だけが反芻し、その意味を捉える事が出来ない。
そこで思わず、聞き直してしまった。
「今、なんて…?」
「だから、お前弱いからいらない。それだけ。」
その言葉には、何の感情も含んでいなかった。
ただ単純に、事実のみを述べるだけの簡単な言葉。
しかし、その言葉の持つ衝撃は計り知れないものだった。
まるで鈍器で頭をぶん殴られたように、目の前が真っ白に染まってゆく。
「悪いけど、俺の手もいっぱいいっぱいなんだわ。」
自分の主人、いや主人だった人間から、再び辛辣な言葉が飛んでくる。
その鋭い言葉は容赦なく、無防備なバクフーンの心に突き刺さった。
ショックが大きすぎて、言葉を紡ごうにも声が出ない。
いや、声を出す以前に呼吸の方法すら頭から吹き飛んでいた。
「これももう、要らないよな。」
カランと乾いた音をたてて、何かがバクフーンの前に転がり落ちた。
赤と白、2色のツートンで彩られた小さな玉。
それが自分のモンスターボールだと気付き、手を伸ばした。
その瞬間だった。
目の前で、モンスターボールが粉々に砕けた。
いや、砕けたのではない。砕かれたのだ。
主人だった人間の足で、二人を繋ぎ止める絆が。
粉々に、砕かれていた。
「リーグ戦だと、お前は力不足なんだよ。」
彼はそう言って、踵を返した。
最後の言葉にも、名残惜しさは微塵も感じられない。
夜の空を吹き抜ける風のように、冷え切っていた。
遠ざかっていく足音を耳にしながらも、動くことができない。
辛うじて顔を上げたものの、遠ざかる背中に声をかけることは出来なかった。
彼の背中が見えなくなった途端、捨てられたという事実が重くのしかかる。
これまで築いてきたものの全てが、音を立てて崩れていった。
「うっ…、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
彼との思い出が、心の中に溢れてくる。
初めて出会った草むらも、共に闘ったあのジム戦も。
負けて悔し泣きをしたあの夜も、ライバルを倒した時の嬉し涙も。
その全てが形を失い、大きな瞳から零れおちていく。
寂しさに包まれた街の一角で、バクフーンはひたすら叫び続けた。
今はもう届かない、相手のために。
公園の地面を見つめ続けて、どれくらいの時が過ぎただろうか。
時間の感覚はとっくに無くなり、日が沈んでからどれだけ経ったのかもわからない。
ゆっくりと顔を上げると、目の前には闇に支配された世界が広がっていた。
あれほど煩かった人々の雑踏も聞こえなくなり、遠くから時折車の走る音が聞こえてくるだけだった。
だが、バクフーンにとってはそんなことはどうでもよかった。
捨てられた。ただその事実だけが全てを支配し、絶望の淵へと叩き落としていた。
「…もう、どうでもよくなっちゃった。」
再び俯き、瞳を閉じた。
指一本動かす気力すら湧いてこない。
呼吸をすることにすら気だるさを感じる。
(これが、絶望。)
体とは反対に、妙に冷静な自分が心の中にいる。
まるで、もう一人の自分が自分を眺めているようだった。
心の底から信頼していた者に裏切られ、生きる目的と術を失ったポケモン。
その末路を辿り始めた様子を、どこか遠くで眺めている自分が居る。
(もう…、疲れたよ。)
ゆっくりと体を倒し、ベンチの上へ横になった。
何もしたくない。
手も足も、指の一本ですら、動かしたくない。
心も体も凍らせたまま、ただひたすらに眠っていたい。
このまま起きれなくてもいい。静かに逝くことができるのなら。
どうせ、自分には何も残されていないのだから。
そんな思いを胸に、深い眠りの淵へと沈んでいった。
眠りについたバクフーンの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
その悲しみの欠片は頬を伝い、口元へ吸い込まれた。
次の瞬間、体にある異変が起き始めた。
指先から徐々に、色を失っているのだ。
黄色がかった腕の毛も、自慢だった尻尾も、鬣を彩る赤い炎でさえも。
白く、白く染まっていく。
まるで、全てを失った心を表すかのように。
バクフーンは失っていく。
心と、思い出と、全ての色を。
僕は、睡眠と覚醒の間で揺れ動いていた。
ゆらゆらと水面に浮かぶ葉のように。
霞がかった意識の中で、起きるべきか否かを考えていた。
もしも覚醒を望むなら、それはすぐに叶うだろう。
何ということはない。ただ目を開けばいい。それだけだ。
だが、それを望みたくなかった。
眠りから覚めるには、まだ早すぎる。
全てが思い通りになる、この夢の世界で。
ひたすらに、眠っていたかった。
だが、その願いは叶いそうにない。
何処か遠くで声が聞こえる。
意識の向こう側。眠りという壁を隔てた先で。
誰かが、話しかけてきている。
何度も何度も、話しかけてきている。
僕は、その声に応えたくなかった。
応えてしまえば、この眠りから出ていかなければいけないから。
ただ、眠っていたいだけなのに。
放っておいてほしいだけなのに。
壁の向こうから響く声は、僕を眠りから呼び覚ます…。
ぼやけた視界の先に、ふたりの人影が映っていた。
その様子からして、何かごちゃごちゃと話しているようだ。
だが、眠りに片足を突っ込んでいるバクフーンにとって、それは雑音にしか聞こえない。
再び眠りの世界に戻ろうと、ゆっくりとまぶたを閉じ始める。
その時だった。
何かを叩く音と同時に、頬に強烈な痛みが走る。
しかも、一度だけではない。
二度三度と繰り返され、音と痛みが信号となって脳を揺さぶってくる。
「ひぐっ!」
無意識のうちに、思わずうめき声を洩らしていた。
自分でも聞いたことの無い声が、口から飛び出してくる。
「えぅ…ぇ?」
無理やり覚醒へと連れ戻されたおかげで、頭の中は真っ白だ。
だが、頬から伝わる痛みの感覚は夢ではない。
混乱する意識を押しのけ、何が起こったのか確かめようと目を開いた。
「…ダメねー。もう一回かしら。」
呆れているような、諦めているような、そんな声が聞こえてくる。
バクフーンはその声の主が何を言っているのか分からなかった。
ゆっくりと口を開き、その意味を確かめようとした…のだが。
「あのっ…。」
「ハピナス、おうふくビンタ。」
「ハッピー。」
一歩遅かった。
その言葉の意味を理解する前に、バクフーンに向かって放たれた技が襲いかかる。
パァンパァンという小気味良い音が頭の中に響いたあと、我慢できないほどの痛みが再び顔中を駆け抜ける。
「ってぇぇぇぇ!」
「あら、起きたみたい。」
バクフーンは思わずベッドからとび起きていた。
じんじんと鈍い痛みの残る頬を抑えつつ、ゆっくりと目を開く。
大きなベッドに、それを囲むように張られた白いカーテン。
そして、鼻をつくのは薬品の独特なにおい。
「ここは…、ポケモンセンター?」
「その通り。」
バクフーンがそう尋ねると、ジョーイはにっこりと笑って頷いた。
彼女の隣に控えていたハピナスも、同じように頷いている。
「気分はどうかしら?何処か痛むところはない?」
あれだけ頬を殴っておきながら、表情一つ変えずに尋ねてくる。
「あ、えぇ。まぁ。ほっぺた以外は、おかげさまで。」
「それは結構。」
痛烈なビンタのおかげで目は冴えてきたものの、頭の中は相変わらず靄が掛かっていた。
何故自分がポケモンセンターで眠っていたのか、その理由さえもつかめていない。
困惑したバクフーンは、不思議そうに辺りを見回す。
「何故ここにいるのかって顔をしてるわね。」
「えっ?」
「図星みたいね。思ったより顔に出ちゃうタイプなのね。」
そう言って、ジョーイはバクフーンの頬を指でつついた。
自分がまるで小さな子供に戻ったような気がして、バクフーンは思わず顔を赤らめる。
それを見てジョーイはクスクスと笑い声を洩らした。
「何にせよ、無事でよかった。ここはお察しの通り、ポケモンセンターよ。」
「街の真ん中にある、センターですか?」
「そう、私はそこのジョーイ。それと彼女は私のパートナーで、センターの看護婦長でもあるハピナス。」
「ハッピー。」
ナース用のヘッドキャップをつけたハピナスは、ジョーイの隣で小さく頭を下げた。
バクフーンもそれを見て、慌てて頭を下げる。
「あなたをここまで運んできたのも彼女よ。」
「そうだったんですか…。ありがとうございます。」
驚きを隠しながらも、慌ててお礼を口にする。
ピンプクやラッキー、ハピナスは元から力が強いとは聞いていたが、
ポケモン一匹をひとりで運べてしまうとは驚きだった。
感心するようにハピナスを見つめていると、隣でジョーイが咳払いをこぼす。
「えっと…。それじゃあ、あなたの名前を教えてもらえる?」
そう言われて、バクフーンはまだ名乗っていなかったことに気付いた。
状況を把握することで精いっぱいで、そこまで頭が回っていたかったらしい。
「あ、僕はバクフーンです。種族名、そのままで。」
「バクフーン…っと。僕ってことは男の子かしら?」
「あ、はい。そうです。」
手元の書類に書き込みながら、ふむふむと何度か頷いている。
まるで、珍しいものを見るような視線だった。
バクフーンは思わず、首をかしげていた。
「えっと…何か問題でも?」
「いや、さっき体をイロイロと見させてもらったんだけどね。男の子にしてはまるい体つきだと思って。」
「…調べたんですか?」
「ええ。イロイロと、ね。」
意味深な言葉を響かせながら、にやりと不敵に微笑むジョーイ。
その表情を見ていると、背筋を冷たいものが流れていくように感じてしまう。
バクフーンは思わず、ベッドのシーツを手繰り寄せていた。
「大丈夫よ。性別までは調べたりしてないから。」
「…ホントですか?」
「あら、調べたほうが良かったかしら?」
「じょ、冗談じゃありませんっ!」
ジョーイとは思えない大胆な発言に、思わず顔を赤らめるバクフーン。
その純朴すぎる仕草はまるで、年頃の女の子のようだった。
「あなたって、女の子みたいな反応するのねぇ。本当に男の子?」
「ぼ、僕は♂ですよっ!♀じゃありませんっ!」
「冗談よ、冗談。」
いちいち面白い反応を返すバクフーンを眺めながら、くすくすと笑いを洩らしていた。
思わず頬を膨らませそうになるが、慌てて表情を戻した。
どうも、このジョーイの前ではスクールの生徒になってしまったような気がしてならない。
「さてと、それじゃあ話を本題に戻しましょうか。」
カルテを叩きながら、話を戻すようにジョーイが言った。
「本題…ですか?」
本題というのが何を指すのか分からず、首をひねる。
「そ、本題。実は今朝がた、公園で眠りこけてるポケモンがいるって連絡があったのよ。」
「…あ、それって。」
「そう、あなたのこと。いくら炎タイプだからって風邪ひいちゃうわよ?」
「いや、あれは…。」
そのとき、昨日の記憶が頭の中にどっと押し寄せてくるのを感じた。
元トレーナーだった人間の最後の言葉。
遠ざかっていく足音と、夕日に消えた小さな背中。
頬を伝う涙の感触や、枯れ果てるまで叫んだ喉の痛み。
それら、全ての記憶が絶望に変わり、バクフーンの心を容赦なく痛めつける。
「ちょ、ちょっと!大丈夫!?」
ジョーイは慌てて駆け寄り、その両肩をつかんだ。
バクフーンの顔からは血の気が失せ、瞳も光を失っている。
「ど、どうしたの? いきなり真っ青に…。」
「僕は…、捨てられたんです。」
「えっ?」
「昨日…、あの公園で言われたんです…。育ててたけど、力不足だから…もういらないって…。」
バクフーンの瞳から、大粒の涙が零れおちた。
昨日あれだけ泣いて、もう枯れ果てていたと思っていたのに。
「…そう…だったの…。ごめんなさい、嫌なこと聞いちゃって。」
申し訳なさそうに首を垂れるジョーイ。
バクフーンは俯きながら、首を横に振っていた。
「いえ、気にしないでください…。大丈夫ですから…。」
何とか口では虚勢を張ったものの、感情を抑えることができない。
哀しみの欠片は止まることなく、両の瞳から溢れ続けていた。
「…ハピナス、温かいスープを持ってきて。」
「…ハッピー。」
ハピナスは何か言いたげな表情をしていたが、黙ってジョーイの指示に従った。
遠くでドアの閉まる音が聞こえ、部屋の中は静まりかえる。
「大丈夫?」
「…だい…じょうぶっ…です…。」
その言葉を聞いても、ジョーイは何も言わなかった。
ただ黙ってバクフーンの隣に座り、肩を抱いてくれたのだ。
肌を通してほんのり伝わってくる、人間の暖かさ。
ポケモンである自分にとって、それは安心感を得られるものだった。
だが、今のバクフーンにはその暖かささえも、辛かった。
肩を支えてくれる存在が、あの人ではない。
その事実を突き付けられているような気がして…。
「落ち着いたかしら?」
「ええ。ありがとうございます。」
バクフーンは温かいスープを飲みながら、小さな声で答える。
高ぶっていた感情の波も収まり、冷静さを取り戻していた。
しかし、心の奥底には、ぽっかりと穴があいているような気分だった。
「すみません、取り乱してしまって…。昨日は平気だったんですが…。」
申し訳なさそうに謝ると、ジョーイは気にしないでと言うように首を振った。
「あなたの気持ちはよくわかる。私も、何度も見てきたから…。」
「そう…ですか。」
「気落ちしないでっていうのは無理かもしれないけど。元気を出してね。」
「…ありがとうございます。」
会話の途切れたその後は、ふたりとも口を開こうとはしなかった。
静かな部屋の中に、スープを飲む音だけが響いている。
それでも、バクフーンは居心地の悪さを感じることは無かった。
今のバクフーンにとって、静寂こそが唯一の安らぎだった。
やがて皿の中身が空になると、静かにスプーンを置いた。
感じていた空腹感も薄れ、ほっと溜息を洩らす。
温かいスープのおかげで、先ほどよりも気力が戻ってきた気がする。
「それで、あなたはこれからどうするか決めた?」
スープ皿を片づけながら、ジョーイがそう尋ねてきた。
「僕ですか?」
「ええ。やっぱり野生に帰る?それとも、公共機関に?」
「うーん…。」
基本的にトレーナーのもとを離れたポケモンは野生に帰るか、もしくはトレーナーズスクール等の公共機関で働くか、どちらかしかない。
特定のトレーナーを持たないということは、そういうことなのだ。
とはいえ、すぐに決めることなどできるはずもなかった。
「まだ…、決めていないんです。」
「そうよね。すぐに決められるはずが無いわよね…。」
そのとき、ジョーイがポンと手を叩いていた。
まるで何かを閃いたように、顔を輝かせている。
「ねぇ、バクフーンくん。私なら、もう一つの選択肢を用意してあげられるんだけど。」
「…もうひとつの?」
「ええ!もうひとつの!」
自信満々な表情を浮かべるジョーイ。
いや、その顔はなんというか…。
新しいおもちゃを買ってもらった子供のような笑顔だ。
一見、無邪気なようにも見えるその表情。
だが、その裏にいじめっ子が隠れていることを、バクフーンはひしひしと感じていた。
バクフーンの嫌な予感は、見事に的中していた。
渋々ながらうなづいたのを見ると、大量のラッキーが病室に押し寄せたのだ。
あれよあれよという間にラッキーの波にのまれ、何処かの部屋へと連れ込まれる。
それからは文句を言う暇もなく、無理やり着替えさせられたのだ。
そして10分後…。
ジョーイの前には、シミひとつ無いの桃色の白衣と真っ白なエプロン着たバクフーンの看護士が出来上がっていた。
「キャー!かわいいっ!」
「かっ、可愛いって…。僕、♂ですよ?」
「男の子だって、可愛いものは可愛いわよ。」
バクフーンは自分の恰好を見下ろし、ため息を漏らした。
ピンクの白衣に、大きなエプロン。
周りにはフリルまでついて、何処からどう見ても♀にしか見えない。
頭の上にはしっかりナースキャップまでかぶらされている。
「…これって、ジョーイさんの服よりヒラヒラしてません?」
「あら、そんなことないわよ。」
ジョーイは同じだと言うが、この服は明らかに違っていた。
やたらにフリルは付いているし、後ろのリボンだって一回り大きそうだ。
それに、エプロンをめくってみると、お腹とお尻は丸出しになる。
普段は全然気にしていなかったが、こうして服で覆われると、すぐに見えてしまうことが少し気恥ずかしい。
「あのー…、♂用の服って、無いんですか?。」
「残念だけど、それは無いわ。うん、絶対無い。」
残念といいながら、ジョーイはあからさまに楽しんでいるようだった。
しかも、「絶対」と決めつけている辺りが嘘っぽい。
とはいえ、ここで喚いてもジョーイは男性用の白衣を持ってきてはくれないだろう…。
何を言っても無駄だと判断し、バクフーンは大きくため息をついた。
「それにしても、ホントによく似合うわねぇ。」
「…そんなに似合ってないと思いますけど。」
「似合ってるわよー。ほら、鏡で見てみたら?」
「えー…?」
バクフーンは部屋の隅に置いてあった鏡の前に立った。
鏡の向こうには、妙な白衣姿の自分がいる。
…と思っていた。
「…え?」
バクフーンは思わず鏡に飛びついた。
鏡に映るもう一人の自分が、自分ではなかったのだ。
黄色がかった顔の毛や、青いはずの頭の毛が無い。
いや、真っ白なのだ。
まるで雪をかぶっているのではないかと思うほど、白に染まっている。
「な…な…な…なんじゃこりゃぁ!」
予想していなかった出来事に、思わず叫び声を上げるバクフーン。
それもそうだろう。誰だっていきなり身体が白くなれば驚くものだ。
バクフーンは後ろで目を丸くしているジョーイに詰め寄った。
「ど、どうなってるんすかコレ!?」
「ど、どうって…。元から白いんじゃないの…?」
「いや、白くないです!僕、普通のバクフーンですよ!」
「でも、私達が公園であなたを見つけた時は、もう真っ白だったんだけど…。」
「そんな…。」
その時、頭の中に以前の光景がフラッシュバックしてきた。
その光景とは、トレーナーと別れた後の場面。
生きる気力すら失い、ベンチに横たわった時のことだ。
擦れていく視界の向こうに、自分の指先が映っていた。
その指先は、なぜか白に染まっている。
そして、その勢いは止まらずに腕のほうまで…。
「…あれは、夢じゃなかったんだ。」
「夢じゃないって?」
「眠る前、確かに見たんです、自分のの身体が白くなっていくのを。」
「…なるほど。」
話を聞きながら、ジョーイは神妙な顔で何度も頷いていた。
それは何か、心当たりがあるようにも見える。
「もしかすると、精神的なショックからかもしれないわね。」
「精神的なショック、ですか?」
「ストレスを受けると、白髪が増えるっていうでしょ? あれの突発的な変化かもしれないわ。」
「でも、あれは急に…。」
「ええ。人間の場合は急には起こらない。でも、ポケモンなら起こるかもしれないわ…。」
「…。」
バクフーンは、真っ白になった自分の腕を見下ろした。
本当に、変わってしまったのだ。
大切なものを失い、大切な場所を失い、自分の姿すらも失ってしまった。
なぜ、こんなことが起こってしまったのか。
自分の体だというのに、何一つわからない。
そのことが悔しくて、情けなくて、もどかしくて…。
口から洩れるのは、重いため息ばかりだった。
「…バクフーンくん。もし、センターの手伝いが嫌だったら、断ってくれていいからね。」
「…ジョーイさん。」
「でも、ひとつだけ言っておくわ。私達はあなたを必要としているの。だから、お手伝いをお願いしたい。それだけは覚えておいて。」
ジョーイはそう言って、部屋を出て行ってしまった。
静かになった病室に、バクフーンひとりが取り残される。
「僕は…どうすればいいんだよ…。」
ベッドの端に座りこみ、乱暴に枕を叩いた。
混乱のせいで心の整理ができず、今にも感情が爆発しそうになる。
いっそのこと、爆発させてしまえば楽になるのかもしれない。
だが、その後に残るのは今以上の虚しさだけだ。
「…ほんと、どうすればいいのかな…。」
バクフーンは何気なく、鏡のほうに目を向けた。
鏡の向こうに映るのは、ボロボロになった自分。
昨日までの自分の姿すらも無くしてしまった、まっさらな自分。
全てが変わってしまった存在が、そこに在る。
「笑えるよなぁ。昨日までリーグを目指してたのに、今ではこんな服を着てるんだから。」
バクフーンはゆっくりと立ち上がり、もう一度鏡の前に立った。
鏡に映った、看護士姿のもう一人の自分。
認めたくは無いが、その服は気持ち悪いくらいによく似合っている。
それに、体の毛だってそうだ。
色が無くなってしまったのは少しさみしいが、よく見れば真っ白なのもなかなか悪くない。
「そうだよ…。いつまでも、落ち込んでちゃいけないよな。」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
見ず知らずのジョーイさんが、自分のために手を焼いて元気づけようとしてくれているのだ。
例えその方法が、少し強引だったとしても。
バクフーンにはわかっていた。
立ち直るきっかけを、与えてもらったのだと。
「あなたを頼りにしている…か。」
先ほどの、ジョーイの言葉を思い出す。
捨てられた自分を必要としてくれている誰かがいる。
その手を払う必要は無い。ただ、掴めばいいだけなのだ。
「…よしっ!」
両の手に力を込め、自らの頬を思いっきり叩いた。
ハピナスのおうふくビンタに劣らない痛みが走り、思わず顔をしかめる。
バクフーンは顔を上げ、再び鏡の中の自分を覗き込む。
両の頬は赤くはれていたものの、先ほどの自分とは思えないほど明るい顔になっていた。
「僕は変われる…、いや変わってやるさ!」
対となる世界に映るバクフーンの瞳には、決して消えることの無い決意の炎が宿っていた。
過去は全て失った。なら、新しい未来を探すしかない。
目の前に立つ真っ白な自分のように、零から全てを始めよう。
バクフーンはそう心に誓い、勢いよく部屋を飛び出した。
説明 | ||
妄想の中から生まれた、ポケモン(原型)小説の第一弾です。今回の主人公は、トレーナーに捨てられてしまったバクフーン(♂)。全てを失った彼が、人間の世界の中でどう生きていくのか。絶望の淵に立たされた彼は、どんな成長を遂げるのか。そんなシリアスな雰囲気を基盤として、真面目(?)に進んでいくストーリーです。まぁ、途中で暴走すると思いますが。 | ||
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コメントありがとうございますー。まったりマイペースですので、続きは気長にお待ちください・・。(白森 秋) 心情描写がリアルでのめり込みました! 続きを楽しみにしてますね!(鞍馬子竜@ついった) |
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