デニムスカイ 第三話 「黄土高原 -quest-」 |
「お父さん。私、フリヴァーの免許が取りたい。……駄目?」
やりたいことがあると親に伝えるのは初めてだった。
母親に言っても望みはなかっただろう。しかし、子育てに関わってこなかった父親だけに、母親の許可を取れとも言われかねない。ネオンは椅子に座った父親の顔をじっと見つめた。
父親もネオンの顔を見つめ返し、そして口を開いた。
「お母さんが取れって言ったんじゃあ、ないよね?」
ネオンはうなずいた。
「自分からやりたいと思った?」
「うん」
「そうか、そうか……」
父親は神妙な顔でしばらく黙ったが、雰囲気に尖ったものはなかった。
「好きにしなさい。お前の好きにするべきだよ。お母さんのことは、何とかするから」
そう言うと父親は椅子から立ち上がり、ネオンの頭をそっと撫でた。
「もっと好きなように生きなさい、今までずっと我慢してただろう。お母さんに任せっきりで、悪かった」
「ありがとう……」
仕事ばかりに打ち込んできた父親だが、ネオンの窮屈さを本当は分かっていたのだ。
手の平から伝わる温もりが心強く感じられた。
週末の飛行場。ネオンは運良く母親の目をすり抜けて出かけることができた。エレベーターで地表まで下り、飛行場行きのトラムに乗り換える。
停車場を離れたネオンの頭上高く、何かがかすめ通った。
先日の黒いフリヴァーだった。
行く手に目を凝らすと、ごま粒のようなもう一機。
また何か起こるところみたいだ。
遠くの機体は右へ駆け抜ける。
急旋回でこちらを向いた。柿色をしている。
黒い機体は滑らかなターンで背後につく。
柿色が左に揺れた。黒いほうも左に。
柿色はすぐに右、また左に。
黒いほうは全く離れない。
いくら柿色が身を揺さぶっても、黒は意地悪にまとわりつく。
二機の動きはネオンの目に読みきれない。
ただこれが二人の勝負であることはわかった。
黒いほうの優勢がなぜか嬉しく思える。
波打ちながら二機が近づく。
はっきり姿が見えてくる。
急に揺れが止んだ。
ネオンのすぐそばの空間に降り、草を舞い上げて着地。
黒いフリヴァーの頭部から抜け出た顔は、先日の帽子を拾ってくれたパイロット。だが、この前の喜色を浮かべた顔とは正反対にまなじりが吊り上がっている。
「てめえ、何ボサッと後ろ取らせてんだ!回避も左右ばっかりでワンパなんだよ!やる気あんのか!」
機体を背中から降ろしきらないうちに、怒鳴り声を上げた。
「明らかに勝ち目ねーもん……俺なんか的みてーなもんだよ」
「的なら的で小さくなる努力くらいしろ!デカい的ならいらねえんだよ!」
今にも殴りかからんばかりの剣幕で相手に詰め寄る。この獰猛な姿が、実は彼の本性なのだろうか。ネオンにはとても声をかけることなどできない。
柿色のパイロットは慌ててなだめた。
「ヒムカイほら、女の子見てる!女の子ビビってるから!」
「あ?」
黒いパイロットは言われてようやく、すぐそばで固まっていたネオンのほうを見た。
「ああ、この前の」
「こ、こんにちは」
黒いパイロットの表情はもう平静なものだったが、ネオンはたじろいでいた。
この飛行場にはほんのわずかでも知り合いと言えるのは彼しかいない。しかし目の前の様子を見るにつけ、その彼を頼って来たのは間違いだったのではと思えてならなかった。
そこに、ネオンをさらにすくみ上がらせることが起こった。
ネオンより背の高い深緑の塊が、背後からぬっと現れたのだ。
「やあ、この飛行場には初めてだね?」
口を利く塊。コートと帽子を着込んだ中年の男だった。
コートの襟と帽子の鍔の間から、にんまりと三日月型に笑んだ口だけが覗いている。
「ようこそ、飛行場へ!ヒムカイ君、ひょっとして彼女がこの前言ってた帽子の?」
「うん」
「お嬢さん、お見苦しいところをお見せしてすまないね。彼はフリヴァーに真剣なものだから」
男の物腰は意外にも柔らかだったが、ネオンはその異様から目を離せなかった。丸々と膨らんだコートの袖や裾からは、なぜかタンポポの綿毛が煙のように漏れ出ている。
あまりに不条理な姿に、ネオンは声も出せない。こめかみを汗がつたう。
「さっきみたいに熱くなることもあるけど、真剣さの表れだからね。怖がらないでほしい」
「今はクサカさんにビビってるみたいだけど」
「……ああ、そうかあ」
黒いパイロットが指摘すると、コートの男はばつが悪そうに頬をかいた。
先日と全く違う、荒々しい姿を見せる黒いパイロット。その彼と完全になじんでいる、緑の怪人。
どうやら大変な所に来てしまったらしいということが、ネオンの脳裏に染み渡った。
「これは失礼、かえって驚かせてしまって申し訳ない」
そう言いながら男が大げさな仕草で帽子を取ると、恰幅のいいシルエットに反してすっきりした輪郭の顔が現れた。全体が見えてみると、温厚そうな笑み。
「私は日下・陽童(ようどう)。この飛行場のすぐそばで個人的にフリヴァーの開発をしています。以後お見知りおきを」
男は帽子を胸に当て、丁寧に頭を下げた。
ネオンは自分を恥じた。今ネオンの前にいる人は、れっきとした紳士であり、大仰な言葉や手振りはひょうきんにさえ思えた。黒いパイロットにしても、不真面目な相手に腹を立てていただけらしい。
それなのに、自分がされて気が滅入るような、表層的な見方だけで彼らを恐れていた。
挨拶を返そうとしたネオンも、大きな帽子を脱いで髪と眼を晒さなくてはならなかった。
心構えはできていなかったが、この飛行場に受け入れられるにはきちんと挨拶をしなければいけない。
怖ず怖ずと帽子を取り、高鳴る胸の前に。
隠していた白い髪がはさりと垂れる。
「わっ」と短い声を上げたのは柿色のパイロット。黒いパイロットはそっちに不審そうな目を向けた。
日下氏はほんの少し両眉を上げただけだ。
(大丈夫、これだけしか気にされていないんだから、大丈夫)
頭の中で繰り返し、大きく息を吸った。
「鏑木ネオンと申します。こちらの飛行場の皆様にフリヴァーのことを教えていただきたくてお邪魔いたしました。どうぞよろしくお願いいたしますっ」
一息に言い切って頭を下げた。
母親に連れられて会わされた人には落ち着いて挨拶できるのに、このときは耳たぶの熱さが自分でもわかった。
その赤くなった耳に飛び込む、短い含み笑い。
「そんな硬くなるなよ。大した場所じゃないんだから」
顔を上げると、黒いパイロットの雰囲気はすっかり丸くなっていた。
「ヒムカイ・ワタル。よろしく」
「は、はい」
差し出された右手をそっと取った。強く握り返してくる、初めての感覚。
柿色のパイロットは、すでにその場を離れつつあった。
「じゃーヒムカイ、その子の世話は任せるわ」
「あ!?初心者の世話は全員でやることになってるだろ!」
ワタルは再び大声を上げた。柿色のパイロットは、飛行場の中心らしき建物に向かって逃げていく。
「お前らそんなサボってばっかだから」
引き止めようとするワタルだったが、
「ヒムカイ君」
日下氏が肩に手を置いた。
「僕も彼女は君の力で育てたほうがいいと思うな」
振り返ったワタルの表情はすでに落ち着いている。
「彼らにまかせて、彼女まで君が怒鳴らなきゃいけなくなるよりはね。むしろ君のやりたいことの面白さを証明するのにもいいんじゃないかな?」
「……あの子を世話することが、俺の目標の役に?」
「ああ、真剣に取り組ませればね」
「ん……、そうか」
ワタルはネオンのほうに向き直った。
「ネオンっつったか」
「あっ、はい」
「俺が大体教える。あっちの連中はあんま当てにしなくていいから」
ワタルは柿色が入った建物を顎で示しながら言う。
「彼はプロ中のプロだからね。多少厳しいかもしれないけど、きっと丁寧に教えてくれるよ」
かなり若く見えるが、プロだとは意外だった。フリヴァーの開発をしているという日下氏の太鼓判とあって、何も知らないネオンにも頼もしく感じられる。
それに、二人ともネオンを受け入れてくれたらしい。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるネオン。
日下氏が帽子を取るまで高まっていた不安は、もうなかった。
と、そのとき、建物から叫ぶ声がした。
「ヒムカイ、応戦モードで入ってくる余所のバカがいんぞ!ちょっとやっちゃってくれよ!」
「あ?今話し中だよ!……ったく」
怒鳴り返しても応えがないので、ワタルは渋々機体を身につけた。ネオンには見つけられなかったが、飛行場に進入してくる機体があるらしい。
ワタルの表情が真剣なものに変わる。
飛び上がるなり、猛然と上昇して侵入者のいる方角に迫った。
急激に小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、ネオンは、自分が本当に大変な場所に来たのだと自覚した。
説明 | ||
二十二世紀初頭、一面の草原と化した東京。 主人公の少女・ネオンは黒いパイロット・ワタルの導きにより飛行装置「フリヴァー」を身に着け、タワー都市を飛び出してスポーツとして行われる空中戦の腕を磨く。 空を駆ける男女のライトSF。 ◆日下さん人気ないです。悪い大人だからかな。 |
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