オベリスク
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 そこは、見渡す限りの星の海だった。

 バジュラクイーンと共にフォールドしたアルトは、どうやらクイーンの中で、小さめの透明なポッドのようなものに護られているようで、その中では息をすることもできたし、明らかに宇宙空間に漂っているにもかかわらず、絶対零度に近いはずの温度に晒されることもなく。この中にいてバジュラと繋がっている限り、栄養を摂取する必要などもないらしい。まるでへその緒で繋がれた胎児だ。

 朝も昼も夜もない、なにひとつ変わることのない星々の天蓋を眺めるだけの日々。あれからどれくらいくらい経ったのかも、もうわからなくなっていた。

 そして、アルトを包んでいたその透明な場所は、時間と共に少しずつ、ひび割れてきていた。

 それを見てアルトは悟った。バジュラがアルトの為に作り出したらしいこの唯一の安全地帯は、どうやらもうそれほど長く保つものではないようだと。それほど長い時間をかけず、劣化して朽ちてしまうものであるのだと。

 初めはちいさなものだったその亀裂は、今はもう、時間と共に、見る見る間にひろがっている。

 ああ、そろそろやばいな、と、アルトは本能で思った。

 幾度も彼女の歌を届け、自分の命を救ってくれた、シェリルのイヤリングは、あれからずっと沈黙していて。それがなにを意味するのかを、アルトは深く考えたくなかった。

「シェリル」

 アルトは耳につけたままのイヤリングに触れた。

 初めから気になった。最悪だったのは初対面のアマチュア宣言の時だけで。ステージで輝くシェリルを見て、なんてまぶしいんだろうと思った。高いキャットウォークから、アルトの腕だけを頼りに飛び降りた、類い稀なその度胸。ガスジェットクラスターなどというものを装備していたが、彼女はあれをほんとうに緊急用以外の目的で使う気はなかっただろう。ジェットクラスターの取り扱いはかなり難しい。飛ぶための訓練を積んだりしていない限り、あれで思い通りに飛ぶことはほぼ不可能だ。

 ひとり、ステージという戦場で、数万の観客を魅了し、なおも高みに向かい挑もうとするシェリルを美しいと思った。それはかつて自分も同じような場所に立っていたことがあったから余計に。アルトにはすぐわかった。

 人々が讃える『銀河の妖精』という称号は、運や周囲の商業的なお膳立てで階段を登ったお姫様ではなく、彼女自身の凄まじい努力を積み上げ積み上げてその先に築き上げたものなのだと。

 そんな彼女に魅了された。ステージを降りたシェリルは、あの大人びた印象やプロとしての立ち振る舞いとは対照的に、無邪気で意地っ張りで可愛くて。

 けれどそばにいるうちに見えてきた彼女は、その内側に孤独を抱えていて、弱くて、淋しがりで。

 デートしたときのあの、好奇心に満ちあふれたくるくるとよく変わる表情。けれど自分やランカを高みへと導くその後ろ姿は女神のようで。

 そして忘れられない。ランカを護って宇宙空間へ吸い出されようとした、あのときに見せた決意の表情と、涙とを。

 ほんとうの彼女は、誰よりもやさしく、気高く、強かった。

 シェリルに、自分の気持ちを、もっと早く言っておけばよかった。いつでも言えると思っていた。シェリルはなにも言わなかったけれど、自分のことをとても、とても大切に思ってくれているのだということはわかっていた。それは思い上がりではなかったと信じている。

 シェリルのあのまっすぐな瞳が、自分に向けられるたびにはっとした。なのにシェリルはなにも言ってはくれなくて。

 今思うと情けない話ではあったが、彼女が、好きだ、と言ってくれればいつだって受け入れる用意はあった。自分からは、なかなかその一歩が踏み出せずにいたけれど、もしかしたらシェリルの方から、その線を越してきてくれるのではないかと、そんな虫のいいことを考えていたりもした。

 けれどシェリルは決して自分の心を言葉にすることはなく。今思えば、彼女はずっと、自分の命の残り時間を数えながら生きていたのだろう。遠からず消えてしまうとわかっている命。シェリルは自分に、思いを告げる気はなかったのだ。

 ブレラと会ったというランカから、シェリルの病のことを聞かされ、そのことに気づいたときに、猛烈に後悔した。時間は無限にあると思っていた、けれどそうではなかった。

 そばにいたのに。ずっとそばにいたのに、どうしてなにも気づいてやれなかったのかと悔やんだ。三ヶ月の間、ボディガードとしてシェリルの身近にいたが、その間幾度かシェリルが体調を崩したときも、彼女の言う、ちょっとした過労だ、という言葉を信じた。

「馬鹿だったな、俺……」

 アルトがつぶやくと、アルトを包む透明な壁に、また大きな亀裂がひとつはいった。

 そろそろ限界だな、とアルトは思ったが、だからといってどうにかできるわけでもないのは明らかだった。

「なあ、バジュラクイーン」

 まるで友達にするかのように、親しみを込めて呼びかける。

「俺、シェリルのところに帰らなきゃならないんだ。もう、あいつを、ひとりにしたくないんだ……」

 そうは言っても、シェリルが生きているのかどうかもわからなかった。

 沈黙したままのイヤリング。

 あのとき。アイランド1の瓦礫の中でシェリルを見つけて、帰艦しようとした自分にシェリルは言った。どうせ死ぬなら舞台の上よ、と。それを聞いた自分は、死を覚悟したシェリルの願いを、当然のように叶えようとした。それは愛していたからだ。誰よりも深く、シェリルの願いを感じたから。その思いを叶えたいと願った。

 カナリヤの説明で、V型感染症と、現在のシェリルの状態に関して、大体のことは理解していた。歌えばフォールド細菌が活発化すること。その際にフォールド細菌は体内に毒素を放出し、宿主を致命的に蝕んでゆくこと。そして想像されるシェリルの病状と、残された時間とを。

 きっとあのとき、シェリルを歌わせずに無理矢理にでもクォーターに運び込んで集中治療を受けさせたなら、もう少し命を延ばすことは可能だった。そしてあれだけ弱った体でもういちどステージに立って歌えば、おそらくもう彼女に訪れる未来はないのだろうともわかっていた。

 それでも自分は、シェリルを、彼女の戦場へと運んだ。歌うシェリルの背に、純白の、大きな翼が見えたような気がした。彼女の歌声を聞き、死に瀕した白鳥が最後に歌うという、スワンソングを想った。それはそれは美しいのだというその歌を。

 だから自分も飛び込んだ。最後の戦場と定めたその場所に。シェリルと共に燃え尽きようと。

 

 シェリル。

 もうこの世にいないというならそれでいい。どうやらこのままだと、ここで自分の命運も尽きることになりそうだ。シェリルが既に空の向こうへ還ったというのなら自分もそれを追おう。

 けれどもし。

 もしも、そうでないのなら。

 まだ、自分を待って、この世界にとどまってくれているのなら。

 呼んでくれ。どこにいるのか教えてくれ。そこに、会いに行くから。

 

 アルトは、まるで宝物を胸に抱くように、やさしく、たいせつに、その名を中空に向けて囁いた。

 

「俺を呼んでくれ、シェリル――――――!」

 

 

 

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 キラリ、と、イヤリングが光った。

 

『シェリル』

 

 名を呼ばれた。そう思った。そして耳に届く歌。

 

   無限の広がりの中

   君への愛おしさを歌えば

   永遠の彼方から

 

 それはやさしい声。たいせつなたいせつな誰かを想って歌う、やさしい声だった。

 願い。祈り。その祈りは、誰かと、自分を呼んでいた。

 その強い願いが、深いまどろみの中にあった意識を、水面へと引っぱり出す。

 

   「星がキラリ」

 

 遠くで聞こえていたはずだった歌が、唐突に、ごく近くで聞こえたような気がした。

 解け合ったふたりの声。ふたつの旋律。

 耳に触れたもうひとつの歌は、自分の声だった。

 透明な蒼い水の底に、深く沈んでいた意識が浮上する。けれど浮き上がろうとするのに、水面には蓋が。まるでフロンティアのアイランドを覆っていたような透明な蓋が、邪魔をしていた。

 自分を遮るもの、その透明な壁を壊したい、そう思い叩いてみたけれど、それは頑丈で完璧で、まったく無情にそこに存在するだけだった。

 なのに、そのとき、どうやっても壊れなかった壁を破って、ただひとつの声が、シェリルの元へ届いた。

 

『俺を呼んでくれ、シェリル!』

 

 それは愛しくてたまらない、あのひとの声。

 その声と共に、浮かぶヴィジョン。無限に広がる宇宙、そこと内側とを仕切る壁には無数の亀裂が。自分を呼んでくれ、たすけてくれ、という願い。

 まだ死にたくない、会いたい人がいるから。そういう祈り。

 

 アルト。アルト。アルト。

 

 シェリルは叫んだ。イメージの世界の中で。それでも、彼と自分の間を隔てるもののすべてを破壊して飛んでゆき、彼の腕の中に飛び込もうと、そのヴィジョンを描き続ける、強く。

 会いたい、会いたい。

 そして、次に会えたら、もう二度と離さない。

 

 アルト!

 

 

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「ア……ル、ト?」

 それは声にならぬほどのかすかな声で。空気を震わせることも叶わない、掠れた声でしかなかった。けれど、その名はシェリルを今度こそ覚醒に導いた。

「……あ……」

 長い眠りから醒めて痛む頭は、靄がかかったようにぼんやりとして。

 けれど聞こえた声があった。呼んでくれ、と。そしてたいせつに、たいせつに、護られるかのように呼ばれた、自分の名前。

 焼けつくような痛みを感じる喉で、シェリルは、必死にその名を叫んでいた。

「アルト……!」

 呼んでくれ、と言うのであれば、彼がそれを自分に頼むというのなら、それを叶えよう。なにをしても。どのような代償を払っても、彼の祈りをすくいあげる。それが自分の願いだった。

 耳に触れるのは、単調な機械音。自分の心臓の音と同期する。けれど鼓動というものはこんなに軽い電子音ではありえない。魂が震える音は、人ならざる機械からは決して、決して出せない。

 シェリルは息を吸って、声をあげた。祈りと共に。銀河の果てまで響く、歌声を。

 歌声の振動か、それとも歌が内包するまた別の理由でなのか、とにかくにも、ばりん、と破裂音が響いて、シェリルを覆っていた医療用カプセルの、白雪姫の棺の如き透明な硝子の蓋が、砕けて散った。

 歌いながらシェリルは自分の置かれた状況を把握する。急速に意識は目覚め、正気を取り戻しつつあった。歌いきって燃やし尽くしたと思った命は、まだ辛うじて燃え尽きてはおらず、細い糸の先に未来が繋がれていたらしい。

 最後に歌ったあのときよりも、全身を浸食していたV型細菌の毒素は幾分か抜けているようにも思えた。長く眠っていた所為か、全身に力が入らず、指先ひとつ満足に動かすことはできなかったが、それでもあのときに感じていた、全身を内側から切り刻まれ続けるような痛みと、世界が重力を増しているような、潰されんばかりに鈍く体にのし掛かってくるようなあの重さは、今はもうなかった。

 けれど歌えば、再びそのような状態に近づいていくことが実感としてわかり、シェリルは、自分は病魔から逃れられていないのだということを理解した。

 それでも、今、歌わなければならなかった。

 今歌わなければ、きっと、もう永遠に間に合わない。

 そのときに歌えないのだとしたら、自分に歌がある意味がない。

 シェリルは歌った。病に冒され、満足に立つことすらできない状態にまで弱った後に、どれだけともわからぬ間眠り続けて。体中どこにもまともに力など入りはしないのに、不思議と、歌おうと思ったそのときだけ、力が湧いてくるのだった。

 熱を持って傷む喉は、ちいさく言葉を吐き出すだけでも痛むのに、それでも歌だけは止まらずに、その喉を通り、あふれてくる。

 止められない。

 

 

 

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「きゃ……っ!」

 シェリルの様子を見に、病院に来ていたランカは、お腹を押さえてその場に座り込んだ。

「なに……?」

 腹部を襲う、ぎゅっと引き絞られるような痛み。この感覚には覚えがあった。バジュラと意思の疎通を図ったときの。そしてシェリルの歌を聞いたときの。

「……歌!?」

 聞こえる。腹の底から、脈打つように聞こえる。シェリルの歌が。

 ランカは痛みを耐えて歯を食いしばりながら駆け出した。

 まさか。この歌が聞こえるということは。彼女が目をさましたのか。

「シェリルさん!」

 病室のドアを開ける。途端、歌が、奔流となり、まるで物理的な圧力を持っているかのように襲いかかる。その嵐をやり過ごして病室に飛び込むと、砕け散った硝子の中で、横たわったまま、空に向かってふるえる手をのばし、シェリルが歌っていた。

「シェリルさん、目が、醒めて……」

 視界が涙でにじむ。けれど割れた硝子の中で歌い続ける、シェリルの尋常ではない様子を見て、ランカは血の気が引く思いをした。

「歌っちゃだめ……!」

「ランカ……ちゃ、ん」

 確かにシェリルは眠り続けている間、L.A.Iの最新の医療器具を使用して、できる限り筋肉や体の機能が衰えないような措置をされてはいたが、末期の感染症で衰弱した上、一ヶ月の昏睡から目ざめた直後に、こうして声を出し、わずかでも体を動かせるだけでも奇跡的なことと言えた。それもシェリルの強い意志の力があってのことなのだろう。

 目線だけでランカの姿を追い、シェリルはランカの名を呼ぶ。歌だけは歌えるのに、喋る声は痛々しいほどに掠れて、とぎれとぎれで。

 けれどシェリルは、必死の様相でランカに言う。

「外、に、連れて……行って、早く……!」

「なに言ってるんですか、無理です!」

 泣きながらランカはシェリルの願いを退けようとした。けれどシェリルが、ぎゅ、とランカの手首を掴んで、握る。そのためにシェリルが、精一杯力を入れているのは、その手が震えていることでわかるのに、握られた手首にはささやかな力しかかかっていなくて。それでもシェリルの気迫が、ランカにシェリルの手を振り払うことをさせなかった。

「お願い、今じゃなきゃ、間に、合わない……、アルト、アルトが」

「アルトくん!?」

 シェリルが目線で頷いた。

「ランカちゃん、お願い……!」

 きっとシェリルは、自分には感じ取ることができないアルトに関するなにかを感じたのだ。だからこんなにも必死に。

 あまりにも懸命に懇願する、そんなシェリルを見て、ランカも心を決めた。

 それはもしかしたら、漸く症状がおさまって、何とか一命を取り留めたシェリルを、今度こそほんとうに殺すことになるのかも知れない。けれど、その重さすら受けとめる覚悟を、ランカは決めたのだった。

「わかりました」

 ランカは、シェリルの手を、そっと握った。

「待っていてください。今車いすを取ってきますから。シェリルさんの言うところまで、私が連れて行きます」

 そう、力強くランカが言うと、シェリルがふわりと微笑んだ。

「ありがと……」

 だからランカは、それ以上はもうなにも言わず、ただシェリルに微笑みを返した。廊下に置いてあった車いすをがらがらと押して戻り、シェリルの服や肌から注意深く硝子の破片を払い落として、なんとか彼女を抱きかかえて車いすに座らせる。自分よりも頭ひとつ分くらい背が高いはずのシェリルの、その体は悲しくなるくらい細くて、華奢で、軽くて。それはあの時、教会のステージで、倒れかけたシェリルを支えたときにも思ったことだったけれど。

「シェリルさん……」

 自分が泣いても仕方がない、それはわかっていたけれど、やっぱり辛くて、また涙がにじんでくるのを抑えることができなくて。それでもランカは、ぼろぼろ泣きながら、それでもするべきことはした。

「どこに行けば」

「夢の中で、見たの。デュランダル……」

「デュランダル?」

「そう……草原の」

 それは、墜落したデュランダルが安置されているあの場所に違いなかった。シェリルは見ていないはずのその景色を何故知っているのかと、不思議に思わないわけではなかったが、それでもきっとそのような奇蹟はあるのだろうとランカは思った。いくつもの奇蹟を重ねて、重ねてここまでやってきた。今更どのような不思議なことがあったとしても、もう驚かない。

 車いすに乗せ、移動するだけで、酷く消耗しているように見えるシェリルを気遣いながら、ランカは外に出た。風は草木のにおいを運んでくる。それはアイランド1でかいだよりも遙かに生々しい、本物の自然の気配。そしてどこまでもひろがる本物の空。車いすの背にぐったりと身を預けながらも、シェリルはうれしそうに目を細めた。

 ランカはできるだけ揺れないように、シェリルの体に負担をかけないように気遣いながら、デュランダルのある草原まで辿り着く。幸いなことに、そこは病院からいくらも離れていない場所だった。

 そしてその落ちた機体のそばに車いすを止めると、先程まで満足に自分の体を動かすことすらままならない様子だったシェリルが、歌いながら、立ち上がった。

「シェリルさん……」

 それもまた、重ねられた奇蹟のうちのひとつだった。シェリルは、歌うためだけに、そうしていくつもの奇蹟を呼び醒ます。響き渡るその声は、あの日死に瀕しながらも銀河を震わせる声で歌い続けた時と同じで。

 けれどあのときがそうだったように、今も、やっと助かった命を再び燃やし尽くしてしまうのかと、そう思って、ランカは泣いた。泣きながら、一所懸命にシェリルを支えた。

 シェリルのV型感染症は完治していない。血液に入り込み全身を巡る毒素を医療的措置で濾過し、ランカからの輸血で、細菌からの毒素の放出も少しずつおさまってきてはいたはずだったが、それだけだ。

 だから今、ほんとうはシェリルは歌ってはならないのだった。ランカと歌うことで目覚めたシェリルの力は、フォールド波を出すかわりに、体内の細菌の動きも活発化させてしまう。

 それでも今のシェリルを止めることはできなかった。

 長いこと意識が戻らなかったシェリルに、声帯除去の手術をするという選択肢が提示されたとき、ランカは断固としてそれに反対した。

 シェリルがそれを望むことは絶対にありえないと。

 それは彼女と共に歌い、心を交わしたことで、彼女の魂に触れたから。そしてシェリルと同じ、歌い手の端くれとして、ランカは思ったのだった。

 彼女から歌を奪ってはならないと。

 体ばかりを生かして魂を殺して、もし目覚めたとしてそれから彼女はどうするのかと。

 だからランカは言った。最後まで希望を捨てないでと。まだシェリルさんは生きている、戦っている、だから歌を奪わないで、彼女の命を。

 

 

 

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 そして歌い続けるシェリルの体を支えていたランカは、空の一角が歪むのを見た。

「デフォールド……?」

 目を疑った。そこにあらわれたのは、あの日見た女王バジュラの巨大な姿だった。ランカとシェリルとアルト、その三人は確かに、歌を通して、バジュラと心が通じ合ったと感じていた。わかり合えたのだと思っていた。それでも、やはりその姿を見れば、心に恐怖は生まれる。バジュラが引き起こした惨劇を散々目にしてきたのだから、当然と言えば当然ではあった。

 けれどシェリルは、ひるむことなく、逃げもせず、バジュラに向かって歌っていた。一直線に。そして、光が見えた。あの日見た、アルトが纏った金色の光。それと同じものが。

「アルト」

 歌の合間に、息を継いで、シェリルは呼んだ。

 降りてくる光。一直線に近づいてくる、それは、EXギアをつけたままのアルトだった。

 その姿を見て、シェリルは笑った。この上なく幸せそうに。そして、歌が途切れる。唐突に。シェリルの体が、糸の切れた人形のように、その場に頽れた。いくら軽くなってしまったとは言っても、突然預けられた全身の重みを支えられず、シェリルを抱えたままランカもよろけて膝をつく。

「シェリル……!」

 そして駆け寄ってきたアルトが、シェリルを抱き上げた。

「アルトくん」

 ぺたりとその場に座り込んだまま、二人の姿を見上げる。よかった。ほんとうによかった。ああ、私の役目は終わった。ランカはそう思った。

「シェリル!」

 叫ぶアルトの声に、シェリルがうっすらと目を開け、そしてひとこと、なにかを囁いて目を閉ざした。

「シェリル、……シェリル!」

 そのとき、遠くから駆け寄ってくる人影が、ランカの目に入った。シェリルの病室で起きた異変を察知したのだろう、カナリヤやルカ、その他、病院でシェリルの看護をしていたスタッフたちが走ってくる。

「アルト先輩……!」

 ルカが驚いて、喜びと共にその名を叫んだ。けれどその腕の中のシェリルの様子を見て、表情を引き締める。アルトの腕の中でぐったりと目を閉ざしたシェリルの顔からは、完全に血の気が引いていて。かつては桜色だったその唇も色を失って青ざめていた。

「ルカ、シェリルを……」

 アルトが必死の様子でルカに言う。声がかすかに震えていた。

「わかっています。必ず助けます」

 そう言いルカが手早く部下に指示を出す。

「アルト先輩、シェリルさんを病院へ!」

 その言葉に我に返り、アルトはそっとシェリルを、壊れ物を抱くように大事にかかえ直し、そして足早に病院へ歩き出した。

 

 

 

 

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 絶望的だと思われていたアルトの帰還に、彼を知る誰もが喜びを憶えたのは確かだった。けれどその代償として、一度はそれなりに安定した状態にまで回復していたシェリルは、再び危険な状態に陥っていた。

 ランカの懸念通り、シェリルが歌ったことで、細菌の活動は活発化していたのだった。

 その唯一の対抗策となりうるランカの血液の輸血が行われ、ランカは自身が重度の貧血を起こすほどに献身的に協力した。これ以上はもうランカの身に危険が及ぶと止められるまで輸血を続け、順調に入ってきていた仕事もすべてキャンセルした。そのことでメディアへの露出が減り、飽きっぽい大衆に忘れ去られたとしてもかまわなかった。

 きっとこのことを知ったらシェリルは怒るだろう。なにをしているの、あなたはプロなのよ、と。けれど早くそう言って、怒ってほしかった。目をさまして、呆れた顔でランカのことを見ながら、ランカちゃん、だめじゃないの。そう言って自分を諭す姿を見たかった。

 

 

 

 長い、長い時間が過ぎた気がした。

 その間アルトは、生死の境をさまようシェリルのそばをひとときたりとも離れなかった。

 アルト自身も、バジュラと融合し、フォールドした状態から帰還しているのだから、体にどのような異変が起きるともわからない、検査を受けろと、再三に渡って忠告を受けたのだったが、何を言われてもなだめすかしても脅しても、それらをすべて雑音だと決め込んで、シェリルのそばから離れようはせず。

 そして、祈りが通じたのか。数日の後、シェリルは目をさました。

 

 ゆっくりと、目蓋があいて、その下から宝石のような青い瞳が見えた、その瞬間を、アルトは一生忘れないだろうと思った。

 そしてシェリルは、アルトの顔を見て、二、三度、ゆっくりとまばたきをした。それから、甘い、甘い声で、その名を呼んだ。

「……ある、と?」

「ああ。……俺だよ、シェリル」

 医療用カプセルのガラスで隔てられ、シェリルに触れることは叶わなかったが、アルトはじっと、シェリルの目をみて、ガラス越しに触れようとしているかのように、カプセルにそっと手をあてた。

「アルト、アルト……」

 シェリルの目が、ふわりと緩んで細められる。その眦から、たまった涙がこぼれ落ちて。

「もう、いちど……」

「え?」

「もういちど、あたしの、名前を呼んで……」

 シェリルの言葉に、アルトはやさしげに微笑んで。

 そして、名を呼んだ。

「シェリル」

 どこにいても、宝石のように思ってきた、その名を。

 そしてあのとき、彼女に伝えられたのかどうだかわからなかった言葉を、もういちど、今度こそはっきりと聞こえるように、口にした。

「シェリル、愛してる」

 涙を流す目が、大きく見開かれて。その表情を見て、ああ、やっぱり聞こえていなかったんだ、とアルトは思った。

 だから重ねて言う。

「シェリルのこと、愛してるから」

 シェリルの蒼い瞳が、じっと、アルトを見つめて。そして言った。

「アルト……、ねえ、これはほんとうは、夢、なんじゃ、ないの……? あたし、天国で、夢を見てるだけなんじゃ……」

「そんなことはない。ここは現実で、おまえと俺が出会った世界で、俺たちは生きてるんだ。……だけど、もしかしたら、ここは天国かも知れないな。だってこんなに、今、俺は幸福なんだ」

 そのアルトの言葉に、シェリルも笑った。

「そうね。アルトがいるなら、どこでもいい……。天国でも、地獄でも、どんなところでも」

 

 

 

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 それから数ヶ月が経った。アルトは検査の結果、なにも異常は認められず。そしてシェリルは、だいぶ病状は落ち着いてきてはいるものの、声帯を取らない限りはやはり病気の完治が望めないとは言われていた。それでもシェリルの、声帯を取ることはしないという意志は強固で。

 そしてアルトも、シェリルに無理強いをすることはなかった。シェリルのことがたいせつで、そしてシェリルが生きていくために、なにが必要なのかを理解していた。

 けれどある日、アルトと寄り添うようにして療養生活を送るシェリルの元へ、朗報が届いた。ルカが編成したV型感染症専門のプロジェクトで、ランカの血液から、V型感染症の進行と症状を止める薬ができたのだという。

 それを聞いて、アルトが帰還した時以来一度も泣かなかったシェリルが泣いた。

「ねえ、あたし、歌も命も、今度こそなにもあきらめずにすむの……?」

 震える声で問うシェリルを、アルトはしっかりと抱きしめた。

「そうだ。これで、やっと、おまえも過去に負った柵から逃れられる」

「……うん……」

 シェリルもアルトの背に手を回して。そして言った。

「……ねえ、アルト。あたしにとって歌は命だけど。その命は、今は、アルトに捧げてるの」

「シェリル」

「あたしたち、幸せになりましょ!」

 シェリルが笑った。満面の笑みで。それは、アルトがずっと見たいと切望していた、屈託のないほんとうの、シェリルの笑顔だった。

 

 

 

 手を繋いで、風に吹かれ見つめ合い、草原を歩くアルトとシェリルを、少し離れたところから、ランカは眺めていた。

「ありがとう、アルトくん。シェリルさん……」

 ちいさなちいさなその声は、本人たちに届くことはなかったが、ざあっと吹く風にとけてゆく。

「大好きでした。……そしてこれからも、きっと、ずっと大好き」

 なにもかもが、ここからはじまるのだと思った。

 あとは紡いでゆくだけ。みんなの幸せの物語を。

 

 本物の空に浮かぶ本物の太陽を、ランカはまぶしく見上げた。

 

 

 

 

 

 

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あとがき:

 

今までも、このシーンに関しては、なんとなくぼんやりとイメージはあったのですが、夜中の一時過ぎに突然怒濤のように話が降ってきて、そこから朝の五時までノンストップで書き上げました。土曜日の夜でよかった(笑)

 

いろんな方が、このシーンを書いているのを見て、私もそのうち書いてみたいなと思っていました。

書き手さんのそれぞれの解釈、それぞれのアルシェリへの理想、そんなものが詰まっていて。

それらを読んでいるうちに、私の中にも、いつの間にか、二人の再会のシーンが描かれていました。

 

私の中にあった「その後の話」のキーワードは、目覚めたシェリルが、アルトを呼ぶために歌うことと、シェリルの声帯除去はやっぱりないということ、ランカちゃんの血からシェリルのV型感染症の治療法が見つかること、でした。

私はとにかく、このあとのシェリルが、なにひとつたいせつなものを失うことなく、欠けることなく、120%の幸せを享受して笑うのが見たかったのです。

 

タイトルのオベリスク。

シェリルがアルトを呼ぶために歌った歌は、何となく、オベリスクのイメージだったから。

この歌は、焦がれるような恋の歌が多いシェリルの歌の中でも、少しベクトルが違う。

これもまた、とてもシェリルらしい歌だと思ってます。

 

 

 

説明
マクロスF二次創作。サヨナラノツバサ、その後です。アルトの帰還とシェリルの目覚め。
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マクロスF シェリル シェリル・ノーム 早乙女アルト アルト サヨナラノツバサ 

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