君はやさしい夜の匂い
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 革命の起こった夜は遅くまで騒がしかった。ただしそれは銃声によるものではない。

 火を焚き囲んで犠牲になった者を悼み、傷ついたものを清め休ませ、始まる夜明けへの期待と、それから少しの不安で遅くまでざわめいていたのだ。それは避けられない営みなのだろう。過去への哀惜も決別も、未来のすべても、生きている者が、生きているのだから。

 その喧騒を聞きながらシンドバッドは眠った。王宮は一部が壊れたが、無事な一室を借り寝台に溺れるようにして意識を沈ませる。

 もうこの国は大丈夫だ。生まれ変われる。

 深く息をつく、これは安堵。黒い光りに導かれ傾きかけたバルバッドは新しい姿になるだろう。それがどのような形になるのかはまだ分からないが、今よりもきっと良い国になる。民にはその意志も強くある。そして自分も、そうなるように動く。

 離れつつある意識の端でも感じるざわめきは胎動だ。善き方向へと往くための、どこか密やかな夜の蠢き。そしてその中で不動の気持ちでシンドバッドは信じている。知っている。

 悲しい方向に引き摺られても、何度でも生まれ変われることを。

 

 

 

 

 砂漠の夜は灼熱の日中と打って変わって酷く冷える。雲一つなく冴えわたる夜空に熱が逃げて行くのだ。

 今日は特に冷えるな、と思いながらシンドバッドは夜道を歩いた。足元の砂がさらさらと崩れて行く。自分の影がくっきりと見えるほど月は大きく、風もなく静かに月光は降りて辺りを青白く照らした。小さな砂丘は遠くまで続き、まるで静止した海の底のようだと思う。それは自然と目を細めるほどに美しい光景だった。

―――さて、どこへ行こうか。

 後ろを振り向いてシンドバッドは言った。しかし答える者はなく、ついて来たのは砂に残る自分の足跡一つ。はて、誰かいたような気がしたが、気のせいだったろうか。首を傾げてみたが、前に向き直ればすぐに忘れて歩き出した。

 目的地がないというのは、どこへ行ってもいいということ。一人ということは、好きな場所へ気ままに行けるということ。東には黄金の都があるという。西には全く知らない文化を持つ民族がいるのだという。北は夜空に揺れる虹が出るのだという。南の島には見た事もない動植物でひしめき合う森があるのだという。

 そうだ、冒険がしたくて旅をしているのだ。新しいものを見て胸を奮わし焦がすような!足は羽が生えているように軽くどこまでも行けそうな気がした。いくつもの昼と夜を超え、たくさんの出会いと別れがあった。危険に襲われても立ち向かい切り抜けた。容易ではない世界を若い逞しさでシンドバッドは駆け抜ける。

 世界は、こんなにも楽しい!――――でも。

 不意に足元が揺らぎ、更に一歩踏み出した所で足が沈む。咄嗟に手は地面を掴んだが砂は突如として崩れ始めた。ずず、ずずずず、と底から不気味な音が響き、瞬間に理解した。

―――蟻地獄か!

 抗っても手掛かりなく体が砂のすり鉢の底へとずり落ちていく。徐々に命を削られるような感覚は一息に落ちるよりよっぽど精神を蝕んで、胸に嫌なものを満たし染め上げていく。薄皮一枚剥いだ世界は転落するようにどこまでも深く黒く蠢いていた。街に行けば手足を鎖で繋がれ人としてすら扱われぬ奴隷が当たり前にいる。行く先の国に突如行けなくなり、数日待っていれば些細なきっかけで戦争が始まり二つの国は焼け野原になった。あらゆる場所に貧富と差別ははびこり、涙と憎しみはそこら中に渦巻いている。

 こんなものなくなってしまえばいいのに!

 シンドバッドは砂を掴んでいた手を離し、蟻地獄へ落ちながら剣を抜いた。恐れはもうとうになく、沸々と沸き上がるのは燃えるような純度の怒りだ。あそこにいる魔物さえ殺せば、世界はもっと―――――砂を盛り上げて姿を現そうとする魔物に剣を突き立てようとした、その時。

 砂から現れたのは白い少年だった。咄嗟に振り降ろす腕を渾身の力で止めた。それから、どっと汗が出て息が上がった。

 どうしてこんな所に子供が。剣をおさめ、二、三呼吸を整えて少年の傍らに膝をついた。蟻地獄は止まり、もう足は沈まない。やはり彼は魔物なのだろうか。けれど、少年は微かに胸を上下させ生きている。人間に見えた。

―――おい、大丈夫か?

 ためらいがちに声をかけ体を揺すると、その冷たそうな容貌とは打って変ってあたたかな体をしていた。子供の体温。その事に酷くシンドバッドは安堵する。そうだ、遠い昔に置いていってしまった。忘れてしまっていた。本当はいつも一緒だったのに、どうして一人で長くさみしい旅をしてしまったのだろう。

 白い少年の、頬の砂を撫でながら落とすと彼のまぶたが震え深い色の瞳を見せた。

―――すまなかったな。

 少年は何を言われているのか分からないといったような、ぼんやりとした表情で見上げている。何も映さず何も残さないよう育てられて澄んでしまった、何もない目にシンドバッドが映る。でも何もないなら、これからたくさんの、お前にとってすべてが新しい世界を映せるだろう。

―――置いて行ってしまった。今度はちゃんと、二人で旅をしような。

 未だ少年はぼんやりとした表情をしている。けれど言葉の意味がようやく彼に浸透したのか、わずかに、ほんのわずかに、目元をほころばせた。それだけでシンドバッドは満足して、笑った。

 最初はこうだった。でもお前はどんどん変わって行くよ。なあ?

―――ジャーファル。

 

 

 

 

「はい、シン。ここに」

 やわらかな声は耳にすっと融けて消えそうになり、それを追いかけるような気持ちで目が覚めた。

「…ジャーファル?」

 寝台の傍らに顔を向けると、声と同じようにやわらかな顔をしたジャーファルがいた。彼はシンドバッドの額に冷たく濡らした布を乗せる。それからそのままシンドバッドの頬に手を添えた。

「熱が出ています。でも体が冷たい…寒くはありませんか?」

「…いや」

 夢を見ていたのか、と思った。妙に長い夢のような気がしたが、実際は数時間の夢だったらしい。眠る前に聞こえていた喧騒は静まり、夜は深くバルバッドを包んでいる。静寂を破らないように、シンドバッドは何となく小声で話した。

「お前の手があたたかいよ」

「やっぱり寒いんじゃないですか?毛布を持ってきましょうか。ああそれと水も飲んで下さい。熱もですか、体の中も損傷したらしいじゃないですか」

 昼間、恨みや憎しみを増幅させられた人間を核としてできた黒いジンの魔力を操作しようとしたが、膨大すぎた魔力が逆流して少し内臓をやられた。熱はそのせいで出たのだろう。ジャーファルはその場にいなかった筈だが、誰かから聞いたのかもしれない。

「随分な無茶をして…」

 いつもの小言のような言い方だったが、そうでない事は顰められた眉を見て分かった。心配したとありありと分かる、泣く寸前のような顔。頼りなく頬を撫でる指は、あたたかいと言ったから離れないでいてくれるのかもしれない。

「熱なんか久々に出したな」

 笑うように言うと、ジャーファルも困ったように笑った。

「ばかなんだから、滅多に風邪もひきませんしね」

「酷いなー」

 酷いですよ、と彼は静かに言って、一粒涙が頬をすべる。薄く光る水の筋をシンドバッドは不思議な気持ちで見上げた。彼の手は頬を離れ、涙の跡を拭う。

「…ジャーファル?」

「すみません、駆けつけられなくて」

 いくらシンでも、あの化け物には敵わない事を分かっていたのに。

 静かな物言いはジャーファルの深い後悔だったのだろう。王であるシンドバッドを守る事が従者の務めであり、彼は務めに対して誠実であり忠実だった。けれどそれ以上のものがある事だってシンドバッドは知っている。もうずいぶん長い時間を彼と共に過ごしてきたのだ。自分もジャーファルが同じように床に伏したらきっと後悔しただろう。

 ずっと大事にして、されてきた。白く小さく細い、少年だった頃から。

「気にするな。王宮の外も酷い惨状になっていたとマスルールからも聞いている」

「でも、貴方に何かあったら…」

「大丈夫だったろう。俺は、大丈夫だ」

 所在なく放られているようなジャーファルの手を掴んで、真っ直ぐに見上げた。それでも彼の瞳は痛ましげに揺れ、でも、と言う。大丈夫だったのは幸運だった、とシンドバッドも分かっているのだ。一つ間違えば命を落としていたかもしれない状況だった。それでも、結果論でも大丈夫だった。現実はそれだけだ。「もし」も「まさか」ももう意味のない通り過ぎた可能性。それを使って責めないで欲しかった。お前は頭が良いから、ありとあらゆる可能性で自分を責めるだろう。

「ジャーファル」

「…はい」

「―――寒くなった」

ぐっと、掴んでいた手を引っ張ってジャーファルを寝台の中に引き摺りこんだ。熱と怪我で弱った体でも案外力は出るものなのか、それとも今この時、離してはいけない手を離さないための馬鹿力だったのか。

「ちょ…シン!?」

「泣いた子はあったかいもんだな」

 はは、と笑って、それからぐったりと体の力が抜け、ジャーファルの肩口に顔を乗せた。鋭い抗議が来ると思ったが、その代わりに「体、本当に冷たいんですね」とそっと彼の手が体を包むようにした。今日はきっと、小言はないんだろう。そろそろ受け止める体力もなくなってきたのでありがたい。そしてとろとろと睡魔が首をもたげてきた。長い長い革命の一日だったのだ。

「放っておけなかったんだろう。俺は、お前がそんな奴で嬉しいよ」

 そんな風になってくれて嬉しいよ。

 夢うつつに言った。ジャーファルの手は相変わらず白く細いが、もう頼りないままではなく、誰かの苦しみに手を差し伸べるやさしいものになった。あたたかな手がわずかばかりの力で服の端を握る。今彼はどんな顔をしているだろう?

 見たいと思ったけれど、抗い難い眠気で幕を下ろすように目蓋が閉じてしまった。きっと寝台があたたまったせいだろう。けれどやはり惜しいから、シンドバッドは深く息を吸い込んだ。髪の近くの、少し湿った彼の香りが肺を満たす。それはとても仄かで穏やかな、静かな夢の月の匂い。傷付いた体に夜闇は優しく沁みて癒すだろう。

 そして今度は二人、夢の砂漠を冒険しよう。

 

 

 

 

説明
8巻まで一気に読んでシンジャにはまって書いてみたんですけどシンジャってこんな感じでいいのかしら…。できてるようなことやっといて二人とも無自覚なのでなんかよく分からんものが募るだけ募っちゃってワーってなってるけど無自覚なので…がループしてる同士の二人に萌えます本編はその状態なんだと錯覚し始めた末期( ?///? )
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マギ シンジャ シンドバッド ジャーファル 

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