2064年7月27日 マクロス・オリンピアにて事件
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 2064年7月27日。マクロス・オリンピア、アイランド1にて。

 

 

 

 

 

 

 

「わあ、シェリルさん、上手上手!」

 

「ほんとね、最初はどうなることかと思ったけど」

 

 口々に褒められて、シェリルは照れながら、うふふ、と笑った。

 

「ありがとう。ランカちゃんとキャシーのおかげよ。泊まり込みで手伝ってもらっちゃって、悪かったわね、助かったわ」

 

 調理台とテーブルの上に用意されているのは、豪華なディナー。

 

「アルトくんまたガイノス3に行ってるんだっけ?」

 

「そうなの。三日前から。今日の夕方には帰ってくるって言ってたから。……ねえ、ちょっとはびっくりしてくれるかな」

 

 シェリルはほんのり頬を赤らめて、ランカとキャシーに手伝ってもらって準備した、それはもう豪華な料理を見る。実際かなりの部分、彼女たちに手伝ってもらっているのだが、普段料理をしないシェリルにしては、すごく、ものすごくがんばったのだ。

 

 中でも特にがんばったのが、ケーキのデコレーションだった。他の料理は殆どランカたちに手伝ってもらったが、ケーキだけは、ひとりでレシピとにらめっこして、自分だけの力で一所懸命作ったのだから。

 

「きっと喜んでくれるわ。早く帰ってくるといいわね」

 

 キャシーの言葉に、シェリルはうふふ、と照れて頷いた。そのとき、電話が鳴った。

 

「アルトかしら」

 

 うきうきとシェリルは受話器を取った。

 

『シェリルか?』

 

「そうよ。ねえアルト、今日は何時頃に帰ってこれるの?」

 

『あ、それがさ、今までずっと許可が下りなかった、ガイノス3の飛行調査の許可がやっと出たんだ。だから俺もう一日こっちにいることにしたから、今日は帰れそうもなくてさ』

 

「……え?」

 

 電話の向こうのアルトの声はうれしさに弾んでいた。それは以前から、シェリルもアルトに何度も聞かされていたことだった。あの惑星の空を飛びたいのに、さまざまな事情で、なかなか飛行許可が降りないのだと。

 

 普段だったら、一緒に喜んだだろう。よかったわね、ずっと待ってた望みが、やっと叶ったわね、と。

 

 けれど。

 

「アルト」

 

 落ち着いて。努めて冷静に、シェリルは彼の名を呼んだ。

 

『ん?』

 

 そして電話の向こうの声は、その、返事だけを聞いてもわかるほどに弾んでいて。

 

「今日、帰ってこないの?」

 

『うん、ごめんな、シェリル。あといちに……』

 

 プッ。と音を立てて、電話は途中で切れた。否。切った。

 

「あ」

 

 ランカがちいさく声をあげた。

 

「……あらー……」

 

 キャシーも間抜けな声を出し、シェリルを見る。

 

 シェリルが切ったのは、電話ではなく、電話線。

 

 シェリルの左手には受話器。右手にはたまたま近くにあった包丁が。もはや何の音もせず、用を為さなくなった電話の、受話器をシェリルは生ゴミの入った三角コーナーに投げ入れる。左利きでもないのに、そしてえらく不器用なくせに、そのコントロールは正確だった。

 

「……シェリルさん、えーっと、アルトくんは?」

 

「バカは帰ってこないわ」

 

 ランカとキャシーに背を向けたまま、シェリルが答える。

 

「あー……」

 

 ランカは、何と言葉を掛けていいものかわからず、口を噤んだ。

 

 シェリルが二日前から、それはもうがんばって、がんばって、今日なんて殆ど徹夜に近い勢いで、それはもう必死に、アルトの誕生日のために、慣れない手つきで料理を作っていたのを知っている。

 

 そして自分たちも巻き込まれ、散々手伝わされて、それもそれでかなり大変だったのだが。それでも、シェリルのあまりの一所懸命さに、文句を言う気にもなれなかった。

 

 殆ど包丁を持ったこともないシェリルが、その形のいい、撮影のために綺麗に整えられた指に、いくつもの切り傷を作りながら、恋人の誕生日のために、極上のディナーを用意して待っていたというのに。

 

「アルトくんのバカ……」

 

 ためいきと共に、ランカはつぶやいた。

 

 シェリルは右手に包丁を握ったまま、ふたりに背をむけ振り向かない。泣いてるかも知れないな、とランカは思った。

 

 もう随分と長いこと、彼女のそばにいるランカは知っている。他人にはそう簡単には見せようとしない、彼女の表情を、たくさん。

 

 彼女は気丈に見えるけれど、ほんとうはとても、とても感受性が強くて、感情豊かで、よく笑うかわりに、意外とすぐに泣いてしまうのだ。特にアルトに関しては。

 

 ランカはテーブルの上に並んだ豪華な料理を見た。ローストビーフに、パスタサラダに、ひとつひとつ違う具を挟んだカラフルなサンドイッチ。蒸した色とりどりの野菜に、テリーヌに、デコレーションケーキ。確かに明日でも食べられないことはないだろうけど。

 

「……ランカちゃん」

 

 シェリルが、自分たちに背を向けたまま、低い声で言った。

 

「今すぐ、オズマに連絡は取れるかしら」

 

 と。

 

 それはやっぱり少し詰まった声で。泣いてたな、とランカは思った。

 

 

 

 

 

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 大きなバスケットを持ったランカとキャシーを従え、自分はケーキ箱を抱えて。銀河の妖精は、S.M.Sオリンピア支部のビルに乗り込んできた。

 

 受付にオズマを呼び出して、とりあえず奥で話を聞くからというのをまったく相手にせず、ここで済むからいいから聞きなさいと、シェリルは話を切り出した。

 

「バルキリーを一機チャーターしたいの。……ああ、チャーターじゃなくていいわ。レンタルで。あたしが自分で操縦するから」

 

「ちょっと待て、シェリル」

 

 シェリルがS.M.Sと契約を結び、護衛部隊を雇っているのは周知の事実だったが、彼女本人がここに姿を見せることは珍しい。

 

 しかも最も人の出入りが激しい、受付の前でそんな折衝をしているのだから、そこにはあっという間に人だかりができていた。

 

「操縦するって……シェリルさん」

 

「あらランカちゃん知らなかった? あたしS.M.Sと護衛契約を結んだときに、ついでだからパイロット養成コースに半年くらい通って、バルキリーの操縦習ったの」

 

「なんでそんなこと……」

 

「いつも空バカが、あたしにバルキリーの話をうれしそうにするから。まったくその話について行けないよりは、ちょっとくらいはわかった方が楽しいじゃない? それにあいつがそれほど魅力を感じてる、空を飛ぶって、どんなことか知りたかったから……」

 

 照れたようにそう言うシェリルに、背後の野次馬がどよめいた。若いパイロットなどは、ほんのり頬を染めたシェリルを見て卒倒しそうになっている。オズマは頭痛を憶えて額をおさえた。

 

「確かにガイノス3はそれほど遠くはない場所にある惑星だから、一通りの操縦ができればたどり着けはするだろうが。だけどシェリル、おまえひとりでバルキリー乗るのは初めてだろう、大丈夫なのか」

 

「平気よ。あたしを誰だと思っているの。あたしはシェリル。シェリル・ノームよ。やってできないことなんて何もないんだから。苦手な料理だってやってのけたわ……」

 

 料理、と自分で言った途端にシェリルがにわかに殺気立つ。

 

「そうよ、料理だってできたんだから。それに比べたらバルキリーの操縦なんて簡単よ」

 

「…………」

 

 その料理をするために、自分の恋人と妹を、二日にわたって連行、監禁しただろう、とは、オズマでさえ今のシェリルにはとても言えなかった。S.M.Sオリンピア船団支部では、泣く子も黙る鬼隊長、オズマ・リーと呼ばれる男であったが、誕生日に恋人をガイノス3の空に奪われた銀河の妖精の迫力を前にして、オズマも身の危険を感じたのだ。

 

「大体ね、どうして誕生日前に出張なんてさせるのよ!」

 

 シェリルがオズマに詰め寄る。オズマは思わず一歩あとずさったが、野次馬の中に、自分の部下たちの姿を見つけて、このまま押されるわけにはいかないと思い言い返した。

 

「誕生日も何も関係あるか!」

 

「誕生日くらい休暇出しなさいよ!」

 

「うちみたいな民間企業に誕生日休暇などない」

 

「まったく器がちいさいわね、だからいつも経営がかつかつなのよ!」

 

「誰もがおまえみたいなお大尽様じゃないんだ」

 

「そのあたしの財布がすっからかんになるくらいの請求を寄越したことがあったわよね。なぁにが一億二千万クレジットよ。あたしに送られてきた請求書の額は、軽く二億を超えてたわ」

 

「それはな、おまえのお気に入りの、当時まだケツに卵の殻がついてたような新米パイロット様が死なないように、最高級の装備をつけて出してやったからだ。大体いつの話をしてるんだ!」

 

 そのくだらない言い争いを、ランカとキャシーは、バスケットいっぱいに詰め込まれたご馳走を抱えて呆然と眺めていた。

 

 そしてその怒鳴り合いの中で、バルキリーのレンタル契約はすっかりシェリルに乗せられる形で締結され、豪華な料理の詰まったバスケットと、ケーキの箱を乗せた、銀河の妖精が操縦する、エール・ド・リュミエールのシンボルを抱いたバルキリーが飛び立つのを見送り。オズマは、隣にいる恋人に、ぼそっとつぶやいた。

 

「来年からは、アルトにだけは誕生日休暇をやることにするか……」

 

「オズマ」

 

「怒りに燃えるシェリル・ノームの相手を毎年させられたんじゃたまらん。あんなの、ミサイルを吐き出すバジュラより恐ろしい。何が銀河の妖精だ、銀河の怪獣の間違いじゃないのか!?」

 

 一直線に飛ぶバルキリーが、可視圏外に消えていく。それを見送り、二晩たっぷり彼女の手伝いをさせられたキャシーは、苦笑と共に答えた。

 

「怪獣にしては可憐だけど。……まあ、間違ってはいないかも知れないわ」

 

 

 

 

 

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 星々がきらめく、宇宙は果てしなく。そして淵がなくどこまでも吸い込まれるように暗い。

 

 シェリルは、しがみつくように操縦桿を握っていた。

 

 あんな風に啖呵を切って、バルキリーをレンタルして出てきたはいいが。ほんとうはシェリルも、怖くてたまらないのだった。

 

 自分でバルキリーを操縦したことなど数えるほどしかなく。そしてそのときには、いつも後ろにアルトがいた。

 

 宇宙はあまりにも広く、ひとりきり星の海を進む、そこにあるのは一瞬も気が抜けない不安。こんなに緊張して、ガイノス3に到着するまで体力気力が持つだろうか。心配になってくる。

 

「……バカアルト」

 

 つぶやいたシェリルの、目の端に涙が滲んだ。

 

 彼の空好きなんて今に始まったことではない。どれほどに彼が空に焦がれ、バルキリーを愛しているのかを、誰よりも知っている。そしてシェリルは、そんなアルトが好きだった。彼が空を語るのを聞いているのが何より好きだった。

 

 今日のことも、彼はそれほど悪いことをしたわけではないということを、シェリルもほんとうは理解していた。きっとこれがシェリルの誕生日だったら、アルトはこんなことはしない。何を置いても帰ってきてくれただろうし、そもそも毎年シェリルの誕生日には、アルトは必ず休暇を取って、一緒にいてくれるのだった。

 

 だからこれが、自分の我が儘だということはよくわかっている。

 

 それでも、アルトの誕生日を祝いたかったのに。そのために、何日も前から、アルトに秘密で準備を進めていたのに、その努力が水の泡になってしまうのかと思うと、かなしくて悔しくて仕方がなくて。

 

 それなら、自分が追いかけていけばいい。そう、シェリルは思ったのだった。

 

 けれど、やはり想像していたよりも、ひとりで旅をする宇宙というのは、思ったよりもずっと孤独で。そして人の手の及ばない大きな自然を前にして、畏怖と恐怖が心の中をどんどん浸食してきて、悪い妄想が止まらない。

 

 何か間違いがあって放り出されたら死んでしまうかも知れない。いくらEXギアをつけているからといって、ここは人の手で人が住めるように整えられた空間ではない。外は絶対零度の真空。それは本来人が生きられない場所。

 

 そんなことを思うと、余計に怖さが増してくる。

 

「アルト、怖いよぅ……」

 

 とても誰にも聞かせられないような情けない声を出して、シェリルはぼろぼろと涙をこぼした。

 

「バカ。アルトのバカ。おまえはひとりぼっちじゃないって、言ったくせに……」

 

 誰も聞いていないのをいいことに、シェリルは、わーっと声をあげて泣きながら、アルトに悪態をついた。

 

「アルトが誕生日に帰ってきてくれないから! バカアルト! もうこうなったらはずみで七週間宇宙旅行してやるんだから、憶えてなさい! うわあああん」

 

 コクピット内にあられもない泣き声を響かせて、光の翼と題されるマーキングを施された美しいバルキリーは、星の海を一直線に駆け抜けてゆく。

 

 

 

 

 

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 その頃、アルトは、うきうきと空を飛んでいた。憧れだった、大気のある惑星の空。バジュラ本星でも幾度も飛んだが、やはり場所が違えば空は違う。

 

 茜色に染まる夕暮れの地平線を見ながら、アルトは、先刻のシェリルとの通話を思い出していた。随分不自然に突然切れた電話。その後携帯にかけ直したが、いくらかけても出ない。仕事の合間にかけたから、そのままになってしまったが。降りたらまた携帯にかけてみよう。そんなことを思っていたときに、無線に連絡が入った。

 

『アルトか』

 

「……隊長?」

 

 惑星でのミッション中の機体の無線に、直接、オリンピアから連絡が入ることは珍しかった。

 

『おまえ、今すぐ宙港に向かえ』

 

「……は!?」

 

 まったく話が見えない。アルトはオズマに訊ねた。

 

「何かあったんですか?」

 

 思わず声が固くなる。緊急事態だろうかと。しかし返ってきた答えは意外すぎるもので。

 

『シェリルがそっちに向かってる。バルキリーを自分で操縦して、ひとりで』

 

 あまりに予想外すぎるその返答に、アルトは一瞬ぽかんと口を開け。

 

「……なんで!?」

 

『おまえ、誕生日だろう』

 

「…………え!」

 

 そこで初めて、アルトは思いだしていた。二週間ほど前に、誕生日楽しみにしていてね、と、とてもうれしそうな顔で言っていたシェリルの顔を。

 

「うわー……」

 

 コクピットで思わず頭を抱えたアルトに、オズマが言う。

 

『覚悟しとけよ。シェリルの来訪も、その所為で多大な精神的損害を被った俺たちの報復もな』

 

 

 

 

 

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 オリンピアから飛び立って二時間後。順調に、シェリルはガイノス3が見える場所まで辿り着いていた。

 

 それまでにはしっかり、散々ひとりで泣きわめいてぐしゃぐしゃになった顔も、まるで何ごともなかったかのように元に戻して。

 

 飛行機は昔から、離着陸がいちばん難しいと言われている。シェリルは集中力を研ぎ澄まして着陸準備に入り、宙港へ着陸許可を求めるためにサインを出す。すると突然通信回線が開き、聞き慣れた声が飛び込んできた。

 

『シェリル!』

 

「……アルト!?」

 

 予想外に、突然耳に触れたアルトの声に、シェリルの胸がどきんと鳴った。

 

『おまえなんでこんなところまで来たんだ!』

 

 けれどそんなアルトの言葉に、シェリルは思わずかちんと来て。

 

「……うるさいアルトのくせに! 来て悪かったわね!」

 

『そんなこと言ってないだろう! ……とにかく今は操縦に集中しろ、誘導するから』

 

「言われなくてもわかってるわ、集中してるわよ!」

 

 無線でぎゃんぎゃん言い合いを続けながら、それでもシェリルの操縦するVF-25は着陸態勢に入る。ガイノスからの着陸コントロール補助も受けて、すべるようにバルキリーは、そのちいさな宙港の滑走路に着陸した。

 

 無事に機体を地面に着けて動力を切ると、シェリルは深くためいきをついた。二時間の間、全力で操縦桿を握っていた手が震えている。シェリルはヘルメットを脱いだ頭を、シートに預けた。一気に脱力する。

 

 そこに、アルトが駆け寄ってきた。

 

「シェリル!」

 

 はぁ、とためいきをついて身を起こすと、シェリルはコクピットのハッチを開けた。

 

「なによ、なによ、どうして誕生日なのに帰ってこないのよ!」

 

「だっておまえのならともかく、俺の誕生日ってそんなに重要じゃないから憶えてなくて……」

 

 そう言ったアルトの目に飛び込んだのは、シェリルが操縦してきた機体の機番、#727。

 

「せっかく! せっかく一昨日からがんばって、部屋も飾り付けして、誕生日のディナー作って待ってたのに!」

 

「……ディナー? おまえが?」

 

「そうよ!」

 

 何しろ普段、シェリルが料理をする機会というのはほぼ皆無に等しいのだった。その理由としては、まずシェリルは、歌うこと以外の日常生活においてのさまざまなことが壊滅的だったのと、致命的に不器用だったこと、そして何よりシェリルが料理をする機会が得られない、最大の要因としては、家に料理好きで器用な男がいること、だったのだが。

 

 そんなシェリルが、一昨日から料理を作って待っていたのかと思うと、さすがにアルトも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

「……悪かったよ、シェリル」

 

「だから! 持って来ちゃったんだから!」

 

「え?」

 

 シェリルが半べそをかきながら、座席の後ろに積んであったバスケットをアルトに手渡す。

 

「がんばって作ったんだから……」

 

「おまえ、これを持ってくるために、ここまで?」

 

「そうよ! ランカちゃんとキャシーに手伝ってもらって、でもこのケーキは、あたしひとりで」

 

 そう言いながらシェリルが、ケーキの箱を持って降りようとした。けれどオリンピアを出てから二時間、ずっと緊張状態でここまでバルキリーを操縦してきた所為か、ケーキを持って立ち上がったシェリルは、きゃ、と言いながらよろめいた。

 

「シェリル!」

 

 おまけに操縦桿を握りしめていた手はまだ、ちゃんと力が入りきらなくて。コクピットから転げ落ちそうになったシェリルはアルトが咄嗟に抱き留めたが、そのシェリルの手から、ケーキの箱が転がり落ちる。

 

「あっ……」

 

 シェリルが絶望的な声をあげた。アルトに抱きかかえられながら着地したシェリルは、落ちたケーキの箱の前に、ぺたんと座り込んだ。

 

「シェリル……」

 

 アルトはその、座り込んでしまったシェリルの、ストロベリーブロンドがふわりと広がる背中に向かって、手を伸ばした。その肩が震える。

 

「う……」

 

 わああ、と声をあげて、シェリルが泣き出した。

 

「がんばったのに。あたし、このケーキだけは、ひとりで……」

 

「シェリル」

 

 アルトが、泣き出してしまったシェリルのそばに膝をついて、その顔をのぞき込んだ。かなしげに、ぽろぽろと涙を流すシェリルが愛しくて。可愛くて。

 

「シェリル、ほんとうに俺が悪かった。こんなことまでさせて。ちょっとくらいケーキが崩れたって大丈夫だ、俺が全部食べる、心配するな!」

 

 ぎゅっとシェリルを抱きしめて、アルトは言った。

 

「でも、こんなんじゃ、きっと生クリームだって取れちゃって……」

 

 しゃくり上げながらシェリルが言う。

 

「少しくらい取れてたって、うまいものはうまい、俺が甘いもの好きなのは知ってるだろう、楽しみだよ。……それより、シェリル、おまえが無事でほんとうによかった……!」

 

 アルトは、シェリルを抱く腕に力を込めて言った。まったく血の気が引く思いをした。いくらバルキリーの操縦を覚えたからといって、まだ数回しか実機を操縦した経験がないくせに、いきなりひとりで宇宙に出るなんて。

 

「アルト」

 

「おまえがひとりで、バルキリーに乗って飛び出してったって聞いたとき、どんなに心配したか……! しかも、俺が誕生日に、家に戻らなかった所為で。これでおまえにもしものことがあったら」

 

「……バカね、アルト。もしものことなんて、あるわけないでしょ」

 

 目を真っ赤にしたまま、シェリルが、腕の中でアルトを見上げて笑った。

 

「あたしは、シェリル・ノームなんだから」

 

「……シェリル」

 

 思わずアルトはもういちどシェリルをぎゅっと抱きしめると、そのままシェリルが乗ってきたVF-25にひらりと飛び乗り、無線のスイッチを入れた。

 

「……オズマ隊長! 勝手を言って申し訳ないんですが、今から一週間休暇をください。残務のスケジューリングは何とかします」

 

 アルトが叫ぶと、投げやりな声が帰ってきた。

 

『俺はシェリルが怖い。ここでダメだと言ったらどうなるか。もう勝手にしろ』

 

「ありがとうございます!」

 

『……そのかわり、帰ってきたら、覚悟しとけよ』

 

「はい!」

 

 アルトが座り込んでるシェリルを見下ろして笑うと、シェリルが立ち上がり、駆け寄って飛び上がると、アルトの首根っこに抱きついた。

 

 

 

 

 

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 ガイノス3の前線基地の居住ドームは、ちいさかったが、案外居心地がよかった。宿舎から少し離れた場所にある、士官用の特別室を開けてもらい、シェリルとアルトは、そこでふたりきりの時間を過ごせることになった。

 

「すぐわかるのが悔しいのよね」

 

 シェリルが、蒸した野菜をフォークでつつきながら言う。

 

「明らかに形が違うんだもの。あたしが切ったのと、ランカちゃんとキャシーが切ったの」

 

「いいじゃないか、わかりやすくて」

 

 そう言うアルトの皿に乗っているのは、いびつな形の野菜ばかり。

 

「がんばったんだなって、すごくよくわかる。……すごく美味いよ、シェリル」

 

「だって、がんばったもの」

 

「うん」

 

 持って来たシャンパンも開けて、料理を一通り食べたあと、シェリルが、おそるおそるケーキの箱を開けた。

 

「……あ……」

 

 箱を開けると、やはりケーキは崩れていて。生クリームは箱についているし、並べたいちごも落ちていて、それを見てシェリルはまた涙ぐんだ。

 

 そんなシェリルを、後ろからぎゅっと抱きしめて。アルトはケーキの端にフォークを立てた。そして口に運ぶ。

 

「……うん、うまい。スポンジも上手にふくらんでるし、生クリームの固さもちょうどいい」

 

「……おいしい?」

 

「ああ。ほら、おまえも食べてみろよ」

 

「ん……」

 

 シェリルにフォークを手渡すと、シェリルは、ケーキから落ちた生クリームのついたいちごをひとつぶ、口に入れた。

 

「……うん、味は、変わらない」

 

 それでもやっぱり元気が出なくて。アルトは、心から申し訳ない気持ちになった。

 

「シェリル、今日は帰らないなんて言って、ほんとうに悪かった。ごめんな……」

 

 そう言うと、シェリルが顔を上げて、そして笑った。

 

「ううん。いいの。だって、ちゃんと一緒に、誕生日お祝いできたもの。ディナーも食べられたし、ケーキも、……こんなになっちゃったけど……」

 

 その健気さに、思わずアルトはもういちどシェリルを抱きしめて。それからアルトは、ケーキの崩れていない部分をフォークに乗せて、シェリルのくちもとに差し出した。

 

「でもほんとうにおいしかったよ。ありがとう、シェリル」

 

「……うん」

 

 ぱく、と、アルトが差し出したケーキを口に入れて、シェリルが笑う。それがあまりに可愛らしくて。生クリームがほんのりついた、桜色の唇に、アルトはそっと口づけた。小鳥がついばむようなキスをして、それから、深く。

 

 胸の奥が、愛しさで満たされていく。長いことそうして抱きしめ合い、それから唇を離して、目を開けて、間近で笑い合う。

 

「シェリルが甘い」

 

 ついそんな感想を言うと、照れた顔をしてシェリルが、アルトの髪を、ぎゅっと掴んで引っぱった。

 

「……バカ」

 

 

 

 

 

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 夜中。

 

 シェリルとアルトは外に出て、地面に並んで寝転んで、手を繋いで空を見上げていた。

 

 町中とは違って、明かりもない、誰もいない、静かな、静かな夜。

 

 見渡す限りの、本物の満天の星空を、アルトとシェリルは見上げていた。

 

「なんだか、この星に、ふたりだけしかいないみたいな気がするわ……」

 

「それもいいな。……いつか、探そうか、ふたりだけで。他に誰もいない星」

 

「うん……いいわね」

 

 シェリルがぎゅっと、繋いだ手に力を込めると、同じ強さで握り返された。

 

「……あ、流れ星」

 

 アルトが指で追った、空の端から端まで流れる、きらめく星に、シェリルは願いをかけた。

 

 

 

 この人と、いつまでも一緒に、いられますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 星にかけた願いは確かに聞き届けられ。

 

 それから長い長い年月を経たある日、数十年も昔の、同じ日付に起きたささやかな事件をふと思いだして、シェリルは笑った。

 

 そばにいる愛しい人と。

 

 

 

 

 

 

 

 

説明
マクロスF二次創作。5年後のアルトとシェリル、それを取り巻く人々の、馬鹿馬鹿しくも幸せな物語。
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