天国に電話はつながらない |
起きている間中、ずっと待っていた。
電話が鳴るのをいつもいつも楽しみにしていた。
今は鳴らない電話を見ながら、私はときどき思い出す。あの声を、優しさを。
『天国に電話はつながらない』
1
生まれて初めて学校を休んだのは、やけに暑い九月の日だった。
太陽が眩しいくらいに照っていて、カーテンの向こうはこれ以上なく明るいのだ。それが嫌で嫌で、カーテンを目一杯閉じるのだけれど、ほんの少しだけ隙間ができてしまう。もう、なんとしてでも光を遮ろうとした報われない努力のせいで、カーテンレールのフックが一つ、外れた。
わざと乱暴に布団を被り、甲羅へ閉じこもった亀のようになる。布団の中は静かで居心地が良いのだ。小さな小さな空間であり、少々埃っぽいところも好きだった。なによりも、外の世界から私だけの世界に引っ込めるから好きだった。
母がドアを叩いていて、休むなんて何を考えているのと怒鳴っていた。その日の私という子は、休むどころか学校へ行きたくなかった。一生行きたくなかった。行くぐらいなら死にたいとさえ考えていた。近づくだけで吐き気がして、嫌いな子の顔を見ると人生の幸福をすっからかんにしてしまったような気になる。今にして考えてみると、それは登校拒否というよりも、嫌いな子拒否だった。大人からすると違いのないことだけれど、私にとっては大違いもいいところ。あの子が地獄へ落ちるのならば諸手を上げて万々歳するのもやぶさかではない、この世の敵といえばあの子だ。戦争の悲惨さを訴える映画を半月前に観ていた私は、うろ覚えの言い回しに似せてそう考えていた。
やがて母の小言を聞きながら午後になると居間の電話が鳴った。私には室内で走るなと口うるさい母も、電話を取りに行くときだけ小走りになる。
「あなたに電話よ。学校の連絡だって。男の子から電話なんて珍しいわね」
「もしかしたらこれからもずっと男子から来るよ」
投げやりな態度で受話器を受け取った私は、保留ボタンを押した。
「どうも」
電話相手は当時同級生の千君。苗字はなんだったっけ。どうもあの頃のことを心が忘れたがるせいで瞬時に思い出せない。ただ、何度も呼んだ名前は思い出すまでもなく覚えている。クラスでの自己紹介のとき、長生きするようにと親が名づけてくれたと言っていたのも覚えている。ちなみに、この話を書き始めた理由は私自身が昔のことを段々と忘れていることに気づいたからだ。
話を戻そう。千君は学校でしか話したことのない相手だったし、なにより異性の中でもあまり好印象というわけでもなかったのであまり気にしていなかった。ただただ大人しそうなイメージがあっただけで、電話が来る前の千君を詳しく教えてくれなどと言われたらお手上げになる。
言ってしまえば、親しくなどなかった。けれど千君が電話をしてきた理由はハッキリしている。私がクラスのグループの中で良い印象を持たれていなかったせいで、先生からの連絡事項を伝える子が見つからなかったのだ。ありていに言えば、女子全員が私への連絡役となるのを渋ったということだ。
千君が選ばれたのは席が私の手前だからだろう。頼みやすい顔をしていたのも原因の一つかもしれない。
千君は連絡事項を告げると、すぐに電話を切ろうとしたものの最後に一言付け足した。彼なりの心遣いだったように思う。
「今日、調子悪かったの?」
私は即座に「最悪」と返事をしたので、気まずい時間があってから電話が切れた。当時は小学六年生、今にして思えば子供だった。自分に言うのもなんだけれど、性格は良くなかった。
2
翌日からは学校へ行った。嫌だと言ってそれが通るような親ではなかったので、半ば無理やり行かされた。学校では特にだれと喋ることもなく、帰り道も一人だった。世界中から見放された気分で歩き、帰り道の小川を渡り、家に帰っても親がいなくて一人。だれか帰ってくるまでの時間は、いつもテレビを見て過ごすだけ。
いつものようにテレビを見ながらちょこんと座っていると、電話が鳴った。ナンバーディスプレイに映っていたのは千君家の番号だ。人の誕生日と電話番号を覚えるのだけは昔から得意だった。
「もしもし」
電話相手はまた千君だった。挨拶もそこそこに千君は言った。僕は来週から入院するので連絡は先生から直接聞いてね、と。私がクラスで浮いているのを気にかけていたのだろう。聞いていて、なんだか情けない気分だった。
あまりにいらいらしていたので、入院するから暇になるなどと冗談を言う千君に、なら私に電話してくればいいと言ってやった。これには天邪鬼な理由があったように思う。彼が忙しくなると言っていたら忙しいのに電話なんてするな、と言ったに違いない。彼が暇になると言ったので、じゃあ忙しくなれと言いたかったのだ。少なくとも電話の手間くらいわずらえばいいと思った。実際、嫌味のような言い方をしたはずだ。なのにそれ以降、千君は本当に電話をかけてくるようになった。
千君は病院のことをあまり話さなかった。
そして面白い話題もそれほど持ってはいなかった。つまらないことでよく口論になったものだ。
そう。学校まで歩いていくのは大変なので空が飛べたらいいと主張する私に、千君は空を飛ぶのはとても疲れると思うなどと反論する。天国の祖母にも電話がつながったらいいと言うと、電話線が伸びているところまでしか電話はつながらないと諭したり。まったく、私の夢を壊すのが千君の日課だったに違いない。
ある日の千君は話題が尽きたようで、自分の趣味を私にも勧めてきた。それは分厚い本を読めという話だった。新聞といえばテレビ欄しか見ず、国語の教科書は一種の拷問だと考える私にとっては嫌がらせの類だ。私が本という趣味をけなすと、普段は女々しい千君が烈火のごとく怒った。電話口から放水程度では鎮火せず、最後は病室まで謝りに行った。よくよく考えれば、あれが最初のお見舞いだった。
それからはお見舞いに行くのが私の日課になった。平日は挨拶程度だったけれど、休日は午後から面会時間の終わりまで居たこともある。千君の病室は大部屋だったので、おじさんやおばさんを交えて話をすることも多々あった。でもやっぱり、二人で話をすることが一番多かったように思う。
千君が病室に持ち込んでいる荷物は着替えと本の山で、たいていは病室のベッド上で原稿用紙に小説を書いていた。彼は児童向けのファンタジー小説が好きで、本の虫の見本のような子だった。一方の私といえば、原稿用紙なんて夏休みの感想文でしか見たことがなかった。本と言えば子供向けの漫画雑誌を読むのが関の山で、どちらかというとそれらは暇つぶし程度にしかならないと考えていた。今でもそう思うことが多々あるのだけれど、別に本が嫌いという意味ではない。暇のつぶしかたにも色々あるというだけのことだ。
千君はお見舞いの私にお土産を持たせるのが好きだった。彼のお気に入りのファンタジー小説はどれも長ったらしいものばかりだったけれど、お土産にしては面白い作品も多かった。なかなかに笑える出来事も多く、例えば指輪物語などはその数年後に映画化することになるけれど、千君が貸してくれたのは瀬田貞二訳の指輪物語だったということもあった。なにがおかしいのかと説明すると、瀬田貞二訳の指輪物語では一部の主要人物や固有名詞が原作と違うのだ。私はストライダーという呼び名をずっと馳夫さんが正しいと信じていた。よくよく考えると海外の児童文学作品なので、馳夫さんなどという日本語の名前があるはずもない。けれど千君のおかげで、私の中のストライダーは永遠に馳夫さんになっている。
家に帰ってからは、お土産のファンタジー小説を上の空で読みながら、週に何度かかかってくる千君の電話を心待ちにしていた。その頃には、千君とはその日あったことを話し合うのが日課になっていた。
電話越しでは直接会ったときには喋らないようなことを結構喋っていた気がする。
例えば親と喧嘩したときなんか、こうだ。
「なんて言われたの?」
根堀り葉堀り、彼はなんでも知りたがる。特に私のことは何でも聞きたがった。
私としては、一生の友達に愚痴でも言うような気分だった。
「可愛げのない女はなあ、嫁になんてなれんわ。自分で食っていくことを考えて、少しでも勉強しとけ。だってさ。あんまりにも失礼すぎるから怒鳴ってやった。ジジイは働けなくなったら子供に食わせてもらうんだから黙っとけって」
そのときの千君は電話越しにも分かるほど笑いをこらえていた。笑いをこらえるのに必死で肺がふくらまないのか、苦しそうな呼吸で聞いてくるのだ。
「そ、それで?」
「そんなことは働くようになってから言えって怒鳴り返された」
ついに耐え切れなくなった千君は、ベッドから笑い転げ落ちていった。あの時の私は千君の態度に失望した。別に聖人君子であってほしいとは思わなかったが、同情する素振りくらいしてほしかった。でも今になって思い返すと、あそこで笑ってくれたことがどれだけ私のためになったことかと思う。一緒に愚痴を言ってくれる学校の友達より、生意気を言って怒られた私を笑ってくれた千君のほうが人生のためになる相手だった。もっとも、そういうのは愚痴を言い合える学校の友達がいてこそなのだけれど。
と、話が逸れていた。私はどうにも話の本筋を見失ってばかりで、千君のようにはいかない。そもそもこの筆不精が思い出話を書こうなんて思ったのも、記憶の中で千君が「優しかった人」だとか「電話相手」なんてぼんやりとした人影に変わってしまう前にメモしておこうと思ったからだ。悪口が多い気もするけれど、まあ、メモしておく内容が良い所ばかりでは公平性に欠けるというものだろう。千君には平等さや公平さについては譲らないところがあったし、こういう本人のいないところで勝手な印象を作られるのも嫌うに違いないのだから
3
千君が本格的に体調を崩したのは、私が中学二年のときだった。千君はずっと入院していたために、復学するとしたら中学一年生になるはずだった。
薬のせいで髪の毛が抜けたとかで、千君は私と会いたがらない。そのせいで千君と話をするのは、ときどき彼から電話してくるときだけ。振り返ってみれば、無理をしてでも会っておけば良かったと思う。最後に直接会ったのは、体調を崩す前のお見舞いだった。もっとも千君のことだから、元気でない姿を見せたくないだとか生意気なことを考えていたに違いない。そのせいで会えなかった私の気持ちに対する賠償責任をとってもらいたいところだ。
その頃は私が弱音を吐くたび電話越しに「大丈夫、なんとかなる」などと口うるさく励ましてくれた。今になって思えば、それは私が千君へかけるべき言葉だったと思い至る。一番不安だったのは誰でもない、千君だったのだから。
もっとも、一瞬だけなら私が慰め役だったこともある。千君がもう電話もできなくなるかもしれないと言ったとき、心優しく言ってあげた。
「なら私から電話をする」
「天国に電話はつながらないよ」
彼の返事は、いつかの私にそっくりだった。天邪鬼な私にそっくり。あとで謝られたときはお返しとばかりに、なんで千君が謝るのかと笑ってあげた。
最後の電話の内容は、天国は無いに違いないというものだった。生きているうちになんとかしないと、が千君の口癖になっていた。当時の私はひどいことを言った。
「ならなんとかしろ」
間違っても病人に言う言葉じゃない。当時は看護師になって千君の病院へ行こうかと思っていたけれど、病院側からすれば迷惑な看護師に違いない。今でも看護師さんを見ると尊敬してしまうのは、自分では務まりそうもないからだ。
その後の千君は、あまり誇れるようなことではない体験をして去っていった。
それは片手で数えられる数の作品を残しただけの、作品を発表したことすらない作家人生の体験だ。いつわらずに言うのなら、残されていた小説はあまり面白くなかったけれど、まあ、そこそこ楽しめた。そう、何度も読んだ。そのせいであの大切そうに扱っていた原稿用紙を濡らしてしまったことだけはいつか謝ろうと思う。ただし、原因の根っこは千君なので許してもらうつもりだけれど、こう考えることに意味はないだろう。
なにしろ天国に電話はつながらないと言ったのは千君だ。電話はもう鳴らないのだから、私の独り言が増えるだけだ。
4
蛇足になるが、大学を卒業した私は本の出版社に入った。
作家と意見を交換できるほど詳しいわけでもないので編集者なんて出来るわけもなく、お茶くみのオフィスレディーとして入社した。働き始めてから騙されたと思ったのは、お茶くみは仕事の合間にやらされるのであって基本的には書類仕事ばかりすることだ。書類の多さというのは驚くべき量で、甘く見ていると現代建築のバベルの塔を作ってしまう。仕事は早めにやるべきだと悟るコツは、バベルの塔の解体工事を泣く泣くこなす事だ。
ちなみに最近の私は先輩から企画書の書き方をご教示いただいた。今回、企画書には千君の小説のコピーを一部つけてある。
企画が通ったら今度こそ私から電話してやりたいものだ。そもそも天国があるかも分からないし、彼はきっと言うだろう。天国に電話はつながらないから意味がないと言い張るだろう。
私は言い返すに違いない。そうでなければ面白くない。きっと言う。絶対に言う。
電話をしたいと思ってあげるのが、私なりの優しさだ。と。
説明 | ||
ある女の子のお話です。 作品は別サイトで投稿していたものです。移籍に伴い作品もこちらで再投稿いたします。 |
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