【手紙】 |
「人ってェのは、直に見るまで分かんねえもんだなあ」
気もそぞろに大将が呟くので、長曾我部軍は浮足立った。何があった、さては女にでも騙されたのかと目に見えて動揺する部下たちに、長曾我部は思わず苦笑する。すると精悍な顔立ちが一気に崩れ、親しみやすい青年の貌が表れた。部下たちは今度は別の意味でそわそわとし始める。彼らは彼らを育んだ海同様、もしくはそれ以上に大将長曾我部元親を愛しているのである。
彼らの気を知ってか知らずか、元親は誤解のもとを詳しく語ろうとはしなかった。彼の手には一通の手紙がある。最近のものではなく、古び、端々が汚くなったものだ。それはかつて彼の友人から送られてきた、友人自身の近況を綴った手紙だった。彼と友人とは離れた場所で暮らしており、友人は不自由な身の上だったため、手紙は元親にとって友人を知る貴重なものだった。
それも友人、徳川家康が元親を裏切るまでの話だったが。
手紙の内容はシンプルだ。子どもなりに元親以外の者に見られることを懸念したのか、不平不満は一切書いていなかった。昨日の夕餉が上手かっただの、わしは乗馬が下手らしいだの、他愛ないことばかり書いてある。だが、元親にはそれだけで充分だった。
手紙を送るということは生きているということだ。少なくとも右手はついたまま。
だから元親はいつでも手紙を待っていた。それでも、その全てを保管していたわけではない。一通だけ、いつもと違う手紙があったので、それだけは読み捨てることができなかったのだ。
家康がはじめて心情を素直に書き綴った手紙。
はじめて元親以外の友人をつくった時の手紙だけは。
『元親、久しいな。お前も、お前の軍の頼もしいものたちも息災か?
わしは元気にしておる。忠勝も元気だ。他の者は忠勝の機嫌なんて分からんと言うんだが、いったいどういうことだろうな? まあ忠勝は無口だが、だからって何も考えてないわけじゃない。お前なら分かってくれるだろうな。
お前はわしの無二の親友だ。お前がわしを友人と認めてくれた時、わしがどれほど嬉しかったか。
お前はわしより年上だ。おまけに、他に誰を頼る必要もないほど沢山の仲間に囲まれていた。そんな男がわしを認め、一人前の男として扱ってくれたのがわしは嬉しかった。わしは自分でも知らないうちに、随分と友情というものに憧れていたらしいのだ。
わしは多くの者に囲まれている―――三河の者は皆、わしを慕ってくれておる。
ああ、だが、分かるだろう、元親。それだけで心が満たされることはないのだ。わしは気付けば傲慢にできていて、わしと対等な存在を求めていた。わしを好きでいてくれる、だがわしの言動だからと言って無条件に肯定したりなどしない、わしと鏡合わせのような、対となる存在を求めていた。
そして見つけたのだ、元親。わしとまるで正反対で、それなのにどこか似ている気のする、三成と言う男を。
石田三成というのだ。お前は知っているだろうか。
豊臣軍にいる男で、秀吉殿と半兵衛殿に心酔している。ふたりのためなら死んでもいいという男はこの軍に少なくないが、あいつほど本気な男はいないだろう。
年はわしと同じくらいだ。わしより背は高く、肩幅もあるのだが、どうにも痩せていて頼りない。筋肉のついた骸骨といった感じなのだ。今はわしの方が小さいが、背が伸びたら確実にわし方が体格はいいだろうな。わしは今めきめきと身長が伸びているのだ。お前も会ったら驚くだろう。
話を戻そう。
三成は、お前や半兵衛殿と同じような銀髪をしている。銀髪というのは綺麗なものだな。陽の光をきらきらと小さく弾くので、気になって触ろうと手を伸ばしたら物凄い目で睨まれた。物凄い目つきの悪い男なんだが、その目の色は海のような翠色でな、お前にも見せてやりたいくらい澄んでいる。
透明過ぎて怖いくらいだ。
なあ、元親。
わしが怖いと言うなんて驚いただろう。
わしだって不思議なんだ、筆を持つ手が震えている。こんなことははじめてなんだ、どうしたことか、できればお前が答えを見つけてくれないか。
わしはあの男が怖いわけではない。あれは素直な男だ。絶対に嘘は吐かないから、その面ではわしは安心してあれの傍に居る。
だがな、三成は、わしの倫理とは異なる倫理で動いているのだ。倫理だけじゃない、あれのなかに息衝く正義も、よろこびも、わしのものとはかけ離れている。はっきり言おう、あれとわしとの望む世界は異なっていて、それなのにわしは三成を否定できないのだ。
わしはそんな自分が、自分の変化が恐ろしい。
わしの世界はもっと単純だったはずだ。わしは、わしを慕ってくれるものの世界をもっと健やかにすることを求めてきた。そして、誰しもが絆で繋がれる世を望んでいた。
だが三成はそんなものはいらんという。あれに必要なのは秀吉殿のための世であって、そこに自分がいようといなかろうと関係がないと言いだすのだ。
なあ、元親、そんなことがあろうか。己を必要としない人間などいるのだろうか。
だが実際三成はまともに生きようとしていないのだ。飯は食わんし、寝ずに戦場にでかけるし、いつ事切れるか心配でならん。
あの男を失いたくなくてわしは毎晩うなされている。
こんなことはかつてない。わしは、お前も忠勝も、そんなことを心配したことはないのだ。
何故って、お前たちは心配せずとも良いからだ。わしが心配するまでもなく充分強い、…いや、違うな、三成とて居合の腕は三国一なんだ。
なのにわしはあの男がふいと消え失せてしまいそうで怖い。三成は命を大事にしないから、わしが見ていてやらねばと考えてしまう。だが、それはおかしなことじゃないか?
わしは三成の何なのだろうか。
元親、わしははじめに三成は友だと書いたな。だがそれはわしが勝手に言っていることで、三成には認められていない。
あれは浮ついた関係などいらぬと言う。男女の仲でもあるまいし、何を言っているのかはじめは分からなかったが、あれは真剣に友誼は忠誠を妨げると考えている節がある。
だからわしにとって三成は友だが、三成にとってわしはただの男だ。絆は結ぶどころか見えもしない。
わしは引けば良かったのだと思う。
本来、わしはそうした時期の見極めに長けている方だと思うのだ。だがわしは三成と親しくしたかった。あれにわしを必要としてほしかった。
何故だろう、元親。
わしは三成に対してだけ、我慢が効かないのだ。
ああ、それでも。
わしが進む道の先にあれはいないのだとわしは知っている。あれは豊臣のために生きて死ぬ男で、わしのことも、その範疇でしか認識していない。
わしはわしでどれほどあれを好こうと、あれのために己の人生を曲げも折れもしないのだ。
なあ、元親、お前はわしと異なる道を歩んだとして、いずれその道を繋ぐことができるだろう。お前は気持ちの良い男だし、お前とわしの望む世界はそう遠くないと信じている。
だが、あれはどうなのだろうか。
わしがつくる世界の果てで、あれはどんな純粋な憎悪を抱くのだろうか、それを思うとわしは悲しい。そして悲しいと思いながらも、それがひどく薄っぺらいものであることにわしは驚いている。
お前が部下にそうであるように、我が身として考えることができないのだ。哀れだから労わってやりたいとか、そのように思えないのだ。
わしの自分に関する感情が鈍いからだろうか。それとも、わしは情のない人間なのだろうか。
あれを幸せにしてやりたいと思えないのだ。
どうしてだろうなあ。
わしはあれを好いているだけで、あれに与えられる何ものも持たない。』
その手紙は家康の懐刀である本田忠勝の手ずから元親に渡されたものだった。珍しいこともあるものだ、すわ一大事かと本田を待たせて読んだ元親は、それを読みきった後どうすればいいのかと悩んだものだ。
手紙の中には徳川への反旗のようなものも含まれており、だからこそ忠勝に送らせたのだろうが、自分に読ませてどうするのだろうと元親は困惑した。
手紙はまるで恋文であるのに、家康の言葉には熱がない。そのことが幼い家康の面影と重ならず、余計に元親は悩むのだった。
(それにしても家康が誰かに執着するとはなあ)
元親にとって家康というのは、民が好きなくせに特定の個人に興味を持たない子どもらしくない子どもである。元親とは友人関係にあるが、だからといって離れていることが寂しいということもないらしい。恐らく忠勝を取り上げられても多少落ち込むくらいだろう。個がしっかりし過ぎていて、他者を受け入れられないのだ。
その家康が傍らにある存在を求めていたということも、そえを見つけ、対処に困っていることも元親には不思議でならなかった。
そして三成とはどんな男なのだろうと考えた。
会うのをひそかに楽しみにしていたのだ―――まさか、家康を倒すために手を組むなど思いもしなかったのだが。
家康の手紙から受けた人物像と、実際の三成は大きくかけ離れていた。三成は青白い肌の幽鬼のような男で、あまりに独善的で、西軍総大将だということが信じられないほど世俗的な欲がない。一体何をどうすればこう育つのかと思うほど、豊臣の威光にしか興味がない男なのだ。
はじめは家康がなぜ三成に興味を抱いたのか全く分からなかった。だが、ひたむきな姿を見、死合う内に、単に同盟を結ぶだけのつもりが元親もほだされていたらしい。
三成にはそうした力があった。
あまりに己に興味がないので、見ている者の方が三成の分まで彼を気にかけてしまうのだ。
だがそうした態度は家康の泰然とした態度からはかけ離れている。そして、手紙でも軽く触れていた通り、家康は己の信ずる道のために三成の主君を手にかけた。
そして家康は元親さえも裏切り、天下を力づくで平定しようとしている。彼の進む道が元親には最早見えなかったが、その手紙だけは捨てられず、三成のこともまた、家康の言葉を通して見てしまうのだった。
(俺も未練がましいなァ)
その目の郷愁は何だと見破った三成は正しい。
だからこそ元親は思うのだ。
三成こそがあの男にそれを感じているのではないか。
あの、思い返すということはしない、ただ前だけを見て進んで行ってしまう相手に。
だからこそ元親は捨てられない。
家康がただ一度だけ、唯一人のことを想い、立ち止まった証である手紙を。
説明 | ||
家三+元親です。ちまっと過去を妄想したりしています。 権現がポエマーと化しています。 元親一周めネタばれ気味です。 |
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戦国BASARA 徳川家康 石田三成 | ||
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