子爵様と私
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「本日より新しい者が入る」

キムラスカ=ランバルディア王国が首都、バチカルの最上層にキムラスカ王宮は位置する。王族を始め、内外問わず数多の貴族達をもてなす迎賓館の役割をも果たしているだけあって、調度品は絢爛極まりない。

だがそれはあくまで表向きであり、使用人達の居住区は可憐さよりも実用性が重視されていた。寝起きし、食事を摂り、王族の生活を維持するための細々とした作業を行うのに金襴の類は必要ないのである。

また王室に雇われているとはいえ、使用人たちは皆、元々が贅沢とは縁のない者達ばかりだ。着ている物を含め、自分達の生活空間が、贅を凝らしていないことに違和感すら覚えないのである。彼らにとって壁の漆喰が塗りっ放しであることも、天井の梁が剥き出しのままであることも、ごく当たり前のことであった。

そんな機能美に満ちた仕事場の一画に、主だった侍女達が集まっている。居並ぶ侍女達を前に、頭に白い物が混じり始めた女官長は重々しく口を開いた。

「皆、仲良くするように。――自己紹介を」

はいと短く応じ、女官長の後ろに控えていた少女が一歩前へ出る。

「ミリア・グランツと申します。宜しくお願いします」

そう名乗った少女は、静かに頭を下げた。国家の中枢、王宮に雇われるだけあって、出自はしっかりしているのだろう。真新しい前掛けの上に両手を重ね、足をきちんと揃えた立ち姿からは、そこはかとなく高貴な雰囲気が漂う。だが緊張しているためか、声も顔もどこか硬い。

それはそうだろう、なにせこの城は、世界に名立たる大国が一つキムラスカ=ランバルディア王国の由緒正しき王宮、貴族でさえ足を踏み入れることを憚る聖域だ。その内部、実質的な王室の日常を回す中央でこれから働くことを考えれば、緊張するのも無理のない話であった。

自分が過去に通った道であるだけに、侍女達の視線は一様に同情的であり、好意的であった。初出勤に身を縮ませる彼女に話しかける声は明るい。

「ミリアさん、出身はどちら?」

この場合の出身とは地方ではない。家柄のことを訊ねているのだ。聞かれた方もそれを分かっているのか、会釈を浮かべる。

「ユリアシティ市長グランツ家の、遠縁に当たります」

「ユリアシティ? あの、魔界にあるという……いえ、魔界にあったという?」

「はい。外殻大地とは長らく隔絶されておりましたので、貴族の方々がユリアシティに参られた際、応対に粗相のないようにと、市長のご命令を受け、作法をわたくしが学びに参りました」

この質問は想定内だったしく、ミリアの回答は淀みなかった。

「そうだったの。二千年も交流がなかったのですものね、色々と違いがあって大変でしょうけど、頑張って覚えてくださいね」

分からないことがあったら何でも聞いて頂戴、とおどけて胸を叩く侍女に釣られたのか、ミリアが笑みを零す。

「ご指導の程、宜しくお願い致します」

再び会釈した頭上で、一つに括られた亜麻色の髪が柔らかく揺れた。

 

 

 

ミリアは王女ナタリア付きの侍女に配属された。

「姫様。新しくお側に上がる者を連れて参りました」

侍女がそう告げると、王女は執務机に向かい書き物をしていた手を止めた。明るい緑の瞳が、真っ直ぐにミリアを射抜く。

「女官長から話は聞いておりますわ。宜しくお願いしますわね」

にこりと品良く微笑まれ、新人の侍女は慄くままに頭を下げた。

仕える主人との顔合わせもそこそこに、ミリアは先輩の侍女の後ろについて歩き、仕事の流れや物品の在り処、補充など実に様々な事柄について注釈を受けた。

「敷き布の洗い換えはここ。必ず枕覆いと一緒の布かどうか、確認してくださいね。――これで一通り説明しましたけれど、何か質問はありますか?」

「いえ、今のところは。分からないことが出てきましたら、その都度お訊ねしたいと思っていますが、それで構わないでしょうか?」

侍女は破顔した。

「とんでもない。一回の説明では到底覚えきれないことばかりですし、そうして貰えると、こちらも助かります」

「恐れ入ります。――色々と作業があるようですが、覚えることが大変なのは何ですか?」

そうね、と侍女は考える顔になった。

「一番苦労すると思うのは、やっぱり貴族の方々の関係を把握することかしら」

王女付きの侍女と聞けば、身支度の手伝いや食事の給仕、部屋の掃除等を想像しがちであるが、実際はそれだけに留まらない。王女の世話、という括りの中には訪問客への対応や取次ぎも含まれる。寧ろキムラスカにおいてはそちらが中心と断言してしまっても言い過ぎではないだろう。

外交面で積極的な活動を行っているナタリア王女には、ひっきりなしに客が来る。馴染みの貴族達の名前や顔、縁戚関係をきちんと把握し粗相のないよう対応する技量が、案内の侍女には求められるのだ。給仕する茶の好みからお茶受けに至るまで配慮しなければ、王女の名声はおろか、キムラスカ王国の名を失墜させることに繋がりかねない。その辺りは追々覚えてもらうから、と案内の侍女は軽く言ったものの責務は重大であった。

城内を一通り回ったところで、再び二人は王女の執務室に戻った。

「では今日はここで、仕事の流れを見ていて頂戴。――姫様、何かございましたら、こちらのミリアにお申し付けくださいませ」

失礼致します、と入り口で頭を下げ侍女が出てゆく。

丁寧に扉が閉ざされ、軽やかで快活な足音が遠ざかる。その途端、王女が耐えられないとばかりに噴き出した。

「メイドの格好が、随分板についていますこと」

「そうかしら?」

侍女は肩を竦める。

「以前、ナタリアに言われて着たことがあったじゃない? 違和感がないのはそのお陰かもしれないわね」

この時の新米侍女の態度といったら不遜としか言いようが無かった。敬語を外すことさえ言語道断なのに、あまつさえ一国の王女を呼び捨てである。

だが肝心の王女はそれに頓着する素振りすら見せなかった。他人行儀な遣り取りがよほど可笑しかったのか、笑いが止まらないらしい。

「ティアって演技がお出来になるのね」

眦の涙を拭いながら、意外ですわ、と褒めているのか貶しているのか分からない感想をナタリアが漏らす。

「今はまだ、始めたばかりだから。おじい様にも口裏合わせをお願いしてあるけれど、いずれぼろが出るわ。そうなる前に、早く造反組の尻尾を掴まないと」

侍女姿のティアは真剣な顔で考え込む。

事の発端は、国王インゴベルトの娘に対する諫言であった。

「どういうことですの? お父様」

ナタリアは文字通り特攻した。憤懣やるかたない様子のまま、父の私室に押し掛けたのである。

「しばらくの間、公務から離れろとは」

武芸を嗜むだけあって、キムラスカの王女には気品と気迫の両方が備わっている。そんな彼女が肩を怒らせて詰め寄っているのだ。並の男なら震え上がって声も出ないであろう。

だが国王は娘が猛抗議に来ることを、予め予想していたらしい。静かに怒り狂う娘を宥めるように一つ息をつくと、おもむろに口を開いた。

「城内に不穏な動きがある」

王女の緑の瞳が見開かれる。

「偽りの姫を亡き者にせよ、という」

長い嘆息の後、国王は疲れきったように弱々しく笑った。

「この期に及んで、尚も血統に拘る者達がおるのだ。馬鹿馬鹿しいことだがな」

国王は机に手を突き、頭を下げた。

「すまぬ。お前にはいつも辛い思いをさせる」

事情が飲み込めた王女は、ひとまず国王に頭を垂れることを止めさせた。

「お父様、そんな。止めてくださいな」

「しかし……」

「王家の血を引いていないわたくしが王族であり続けることを、快く思わない人がいる、というのは納得できる話ですもの」

そうにっこり笑って国王の意向に添うことを了承した王女であったが、心中は複雑であった。

ナタリアの体にはキムラスカ王家の血は一滴も流れていない。父と呼び敬うインゴベルトとの間にも親子関係は皆無である。

だが彼女は、自身がの出自を知る前も知った後も、ムラスカの未来を担う王女たらんと、涙ぐましい努力を重ねていた。それは自他ともに認めるところであり、だからこそ偽王女事件の時、多くの民衆が彼女の脱出を助けたのである。

だが一方で、彼女が自身には備わっていない血統を盾に権力を行使してきたことも、また紛れもない事実であった。自分の出自を確かめようとしなかった怠慢を責められると、ぐうの音もも出ない。敢えて抗弁するとするなら、ナタリアは自らが偽の王女となった経緯に関して全く関与していない、という点くらいだ。バチカル城の闇の中、死産に終わった本物の王女とのすり替えは、彼女の預かり知らぬところで行われた。すり替え当時、ナタリアはまだ何も分からぬ赤子だったのである。

(不埒者を刺激するわけにはいきませんし、本来なら自重するのが妥当でしょうけれど……)

国王にはああ言ったものの、ナタリアは悩み続けていた。

確かに、連中の目標であるナタリアが活動を自粛し表舞台に現れないようにする方法が一番手っとり早い。だが世界情勢は刻一刻と変化し続けている。彼女の事情など斟酌してはくれない。いくつかは取りやめることが可能だとしても、公務を完全に放棄するわけにはいかなかった。

一体どうしたらいいものか悩んでいた時、ナタリアは旅仲間の存在に思い至ったのである。

「そうですわ!」

そう叫ぶなりティアの手を握り締めた王女に、ユリアの子孫は目をぱちくりとさせるばかりだった。城内の一室に戻るなり一人うんうん唸っていたかと思えば、急に瞳を輝かせてティアに飛びついたためである。あまりに唐突な王女の変化に若干引き気味の仲間に対し、王女は一気にまくし立てた。事情を聞き終えたティアは、二つ返事で王女の提案を受け入れたのである。

「我ながら名案でしたわ。そうは思いませんこと? ティア」

自画自賛ここに極まれり、とばかりに鼻をうごめかす王女に、ティアは苦笑を禁じ得ない。

「確かにあの時点では、私が適任だったでしょうね」

侍女に扮したティアに自分の護衛をさせる。かつて神託の盾において情報部という隠密部隊に所属していた彼女は、見事その大役を務め上げていた。実は国王の諫言通り、王女の元に闖入者があったのだが、ティアはこれをものの見事に撃退したのである。

「あの時はお見事でした」

窮屈な侍女服を物ともしない大立ち回りを思い返しているのか、王女が感嘆のため息をつく。だがティアは護衛という仕事に対し至って愚直であった。

「一度あなたの暗殺に失敗したのだから、向こうは計画を練り直し、より注意深く接近してくるはずよ。今までのように、分かりやすい方法は取ってこない。――少なくとも私ならそうするわ。警戒はより強めるべきだと思う」

そのまま肘を抱いて考え込む。だが王女の方は事態を楽観し始めているようだ。彼女を襲った剣士は生け捕りにしてあるため、背後関係など芋蔓式に明らかとなるに違いないと踏んでいたのである。

そんな見通しも手伝ってか、ナタリアは珍しく軽口を叩いた。

「あなたがいてくだされば百人力ですわ。先ほどのやり取りを見ている限り、護衛だけではなく、侍女としても優秀に働いて頂けそうですしね」

王女の予見は的中した。

集団生活の経験に乏しいティアは人付き合いが得意な方ではない。だが侍女の生活を仕事と割り切ったことが功を奏したのか、年頃の少女達の中に、驚くほどすんなり溶け込んでいった。

勿論、中には妙な顔をした者もいた。旅の間、あれだけ頻繁且つ派手にバチカル城に出入りしていたのである。顔を覚えられてしまって当然なのであるが、彼女は白を切り通した。知らぬ存ぜぬを押し通し、あくまで他人の空似だと強引に言い張ったお陰なのか、物言いたげな視線は直ぐに沈静化した。

(そういえば玉璽を探した時も、ばれそうになったんだっけ)

ティアは国王の私室で書架と向き合っていた。ナタリアに頼まれ、報告書作成に使う資料を探しに来たのであるが、流石は一国の主の所蔵だけあって量が半端ない。膨大な書物で上から下までぎっしりと埋まった本棚を覗き込んでいるうちに、彼女は初めて侍女の服を着た日のことを思い出していた。

「玉璽なんて大変だわ。一緒に探します」

その侍女は、ナタリアの私室へ飛び込んで来るなり玉璽紛失の急を告げた。丁度侍女の服を着ていたせいか同僚と勘違いされてしまったらしく、ティアにも探索の指示が飛んだのである。

着付けてくれたナタリア付きの侍女が、ちらりと彼女の方を見た。その顔にはありありと困惑の色がある。それはそうだろう。部外者に自分達使用人の不手際と、王国の危機を知られてしまったようなものなのだ。その辺りの事情は充分に汲み取れたので、ティアは承諾と機密保持の意味を込めて、頷きを返したのであった。

確固たる形を持たぬ国家にとって、印影を施す玉璽は数少ない象徴の一つである。外交文書など、国家の重要文書に押される国璽は国王の、ひいてはキムラスカ=ランバルディア王国の有形の表れに等しい。管理を厳重に行うべく専用の官職が用意されているほどだ。万が一心無き者の手に渡ったら最後、キムラスカ王家の権威は地に堕ちる。そんな玉璽を紛失したことが王族の耳にでも入ろうものなら、文字通り首がいくつも飛ぶ。

四方八方に飛んだ侍従や侍女達は、必死の形相で国璽の行方を探し求めた。表沙汰にできない分、探索は時間との勝負である。とにかく今は、城の中から出ていないことを祈るしかない。

ティアも探索に当たり、そして第一発見者となった。

一緒に探すと言ったはものの、どこを探せばいいものか皆目見当もつかなかった彼女は、適当に人気の薄そうな扉を叩いた。判の保管庫や官吏の居室などは、既に何度もひっくり返されているだろうと思ったからである。

そっと足を踏み入れた場所はインゴベルトの私室である。今の時間、国王は謁見の間にいるとみえ、部屋は無人であった。

いや違う、とティアは咄嗟に息を殺す。何かがいる。それは人というより生き物の気配だ。異変を捕らえようと視界が目まぐるしく動く。

上下左右に走らせていた視線は、唐突に床で止まった。

「猫……?」

拍子抜けしたティアは呆然と呟いた。塵一つない磨き上げられた石造りの床に鎮座していたのは、虎縞の猫だった。傍目にはごく普通の猫に見える。音素の流れを辿っても、特に不審は見当たらない。

ティアの気配に気づいたのか、猫が首だけをこちらに向けた。その口元に、ひどく眩い金色の光があった。

「きみ、おいで?」

逸る心を抑えつつ、しゃがんで優しく手を伸べると、猫は素直に近づいてきた。ぽとりと掌に落ちたそれは、予想通り国璽である。ティアは意外な位、あっさりと国璽を入手した。

今までの大騒ぎが嘘のよう、と珍しく感慨深くなっているところへ、血相を変えた男が飛び込んできた。

「こんなところで何をしておる。玉璽は見つかったのか? ……うん? そなたが手にしているのは、もしや」

少し小太りの威厳ある面立ちは、謁見の間で目にしたことのある顔だった。国の中枢に近い人なのだろうと思い、ティアはそれとなく目線を下げる。貴人とは目を合わせぬのが礼儀だ。

「猫が咥えておりました」

件の玉璽を手渡しながらそう言うと、男は一瞬、怪訝そうな表情になった。

「猫……? まあよい、玉璽が無事で何よりだ。そなたには褒美を取らせよう」

自身の首が飛ぶ最悪の結末を回避できた男は、顔をほころばせっ放しである。勘違いから流されるままに加担した探索劇だが、役立てたのなら何よりだ。ティアもまた胸を撫で下ろす。

ふいに彼女は妙な視線に気づいた。悪意ある殺気の類ではなかったが、注視さるのはあまり気分の良いものではない。何だろう思い振り視線を上げると、そこには不思議そうな顔をした男がいた。首を捻り、記憶の底を探るような目で、しげしげと自分を凝視している。

「そなた、どこかで見たような……?」

「し、失礼しますっ」

ティアは慌てふためいて部屋を出た。

皆と合流した後、せがまれるままに事の顛末を語ったのだが、反応は薄かった。自分の説明が事務的過ぎたか、と内心後悔したものの、王女の受けすら鈍いことに気づいて、ティアは初めて戸惑いを覚えた。

ナタリアは先程の男と同様、城では猫なんて飼っていない、と言い切った。となると、あの猫は一体どこから入り込んできたのだろう。誰かが運び入れたのだろうか。だが飼い主が現れたという話はついぞ聞かない。

何より不可解なのは、あの猫が持っていたのが玉璽だけだったという点だった。室内で飼われていたとしても、そこは肉食動物ならではの獲物を咥えている方が自然なのに、食べられもしない金属の塊を選んでいる。それも国王だけが扱える玉璽だけをきっちり狙ってくすねていたとなると、どこか不自然な感じがした。

勿論、このことは誰にも言っていない。作為的だ、と思いはしたが、以後のことはバチカル城内部で処理されるべきであるし、部外者があれこれ口を挟むことではないからだ。

ただ何かが引っかかる。現場を訪れたせいか、当時沸いた疑念が再沸騰してしまい、そのせいで前から来た人の気配に気づくのが遅れた。

「あなたは……」

危うくぶつかりそうになる寸前で顔を上げ、ティアは目を大きく見開く。

 

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