カムバック マイサードアイ
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第三の目が家出した。

 いや、家出と言うのは不適切かもしれない。

 正確に言うならば、第三の目が朝起きたら消えていた、である。

 何度胸をさすってみても、そこに広がるのは一面の大平原のみ。

 自室をぐるりと見回すが、やはりそれらしきものは見当たらない。

 

「……困りましたね」

 

 台詞こそ冷静であったが、その声は自分でも分かるほどに震えている。

 さとり流コミュニケーション術には必要不可欠な貴重品の消失に、私は自分の気が遠くなるのを感じていた。

 私なんて心が読めなければただのひ弱な妖怪、地霊殿の長などとても勤まらない。

 というか、アレが無いと最早私のアイデンティティが危ない。

 古明地さとりと言う妖怪は、第三の目があって初めて成り立っているのだ。

 何処かそこらへんに転がっていないかしら、とベッドの下を覗き込んでみる。

 しかし暗がりでどうにもよく見えない、まるでこれからの私の未来を暗示しているかのようだ。

 などと絶望感に満ちたポエムを頭の中で作り上げたところで、不意に部屋の扉が開く。

 

「さとり様ー。朝ですよー」

「ひゃっ」

 

 ペットであるお燐の登場に、咄嗟にベッドの下に潜り込む私。

 だって仕方がないではないか、心を読めない状態で誰かと対面するのは非常に怖いのだ。

 突然扉を開けられては、心の準備も出来ないと言うもの。

 ちゃんといつもノックしなさいと言っているのに、全く困ったペットである。

 

「さとり様? あれ? 家出ですか?」

 

 ある意味私の一部が家出しているけども。

 早起きとかの前に家出と言う発想が出てくるお燐に思わず溜息を吐く。

 

「む、しかしベッドはまだ暖かい。これはまだこの部屋に居るフラグ」

 

 推理小説の影響でも受けたのか、よくわからない思考回路で部屋のあちこちを探し始めるお燐。

 あぁ、これはまずい。

 このまま捜索を続けられれば、見つかってしまうのは必至。

 ベッドの下に蹲る主の姿を目にした時、果たして彼女は何を思うのだろう。

 正直言って、かなりドン引きされるのではないかと思う。

 出るならば今の内、今ならば正直に探し物をしていたと言えば通じるだろう。

 しかし、困ったことにどうにもその勇気が湧いてこない。

 前述したとおり、心が読めない状態での対面は、覚妖怪にとってとても恐ろしい行為なのだ。

 理性ではそちらの方が賢いとわかっていても、中々その一歩が踏み出す事が出来ない。

 

 

「あ」

 

 

 そうやって私がしどろもどろしている内に。

 おもむろにベッドの下を覗き込んできたお燐とばったり目があってしまった。

 余りに突然の事態に、思わず硬直する私達。

 互いに見つめあった状態で、何ともいえない気まずい空気が二人の間に流れている。

 まずい、うん、多分まずい、コレ。

 いきなり主人がベッドの下に潜っていたのだ、お燐が驚いたのは間違いないだろう。

 けれど具体的に今、彼女は一体どのような事を考えているのだろうか。

 何故ベッドの下に、と疑問をもっているのか。

 寝相が悪いなぁ、と呆れているのか。

 狭くて気持ちよさそう、と猫本能丸出しなのか。

 普段ならばすぐにでもわかる相手の感情を、今は全く読み取る事が出来ない。

 こんな時一体どんな反応を返せばいいのか、私にはさっぱり理解が出来なかった。

 しかしこのまま無言のまま見つめあうのは、限りなく拷問に近い行為。

 何とか状況を打破するべく、私は頭の中から言葉を搾り出す。

 

 

「趣味よ」

 

 

 余計に気まずい空気が二人の間を流れていった。

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「うぇ!? 第三の目が無くなった!?」

 

 現状を理解したお燐は、尻尾と全身の毛を逆立たせて驚きを表現した。

 こういう時、彼女のリアクションは非常にわかりやすくていい。

 

「ええ。お燐、貴女何か知らないかしら」

 

 普段ならば聞くまでも無い事を、わざわざ疑問にして紡ぐ。

 何とも面倒くさい行為だが、第三の目をなくした私としては、こうやって地道に質問するしか手がないのだ。

 心が読めないと言うのはつくづく不便である。

 

「んー、知りませんねぇ。もう少し手掛かりはないんですか? それだけじゃ情報が少なすぎて」

「あ、その、えっと、ごめんなさい」

「? どうして謝るんですか?」

「え、だって今怒って」

「いや、別に怒ってませんって」

「そうなの?」

「はい。それで、どうですか?」

「え?」

「手掛かりですよ。手掛かり」

「ああ、そうよね。えっと」

「……」

「な、何?」

「や、別に待ってるだけですって」

 

 

 何だこのぎくしゃくコミュニケーション。

 普段読心ありきのコミュニケーションに慣れてしまっているせいで、相手の心中がわからないと会話一つまともに出来やしない。

 お燐もお燐でいつも何も言わなくても私が理解してしまうせいか、一から説明しなくてはいけない状況に何とも言えないやりにくさを感じているようだ。

 

 ひょっとして今、面倒くさい奴だなぁ、とか思われて無いだろうか。

 いやいやまさかお燐がそんな事を、と心の中で否定はするものの、読心が出来ない以上、それを証明する手立ては無い。

 そう考えると、心の中のもやもやはどんどん広がっていく。

 まさか自分のペットとの会話でこれ程までに気まずい思いをしようとは。

 カムバック、マイサードアイ。

 

「そうですねぇ、昨日何時頃まで第三の目があったのかは覚えてますか?」

「えっと、昨日は仕事を終わらせた後、こいしに誘われて一緒に温泉に出かけて、そしたら偶然萃香さんが先に居て、その場でお酒を勧められて……」

「最悪なパターンが頭をよぎったんですが、とりあえずその後は?」

「酔ってて覚えてない」

「……弱いのにお風呂の中で呑むから」

 

 あ、滅茶苦茶呆れられてる、心読まなくてもわかるくらいに。

 いや、私だって先程から自分自身に呆れている、酒に呑まれて自分の身体の一部とも言える第三の目を無くすなど、言語道断もいい所である。

 萃香さんのお酒の誘いを断れる者なんて幻想郷にはいないだろうが、それでも貴重品の管理は徹底しておくべきだったのだ。

 後悔してもしきれない己の愚行に、自嘲めいた笑みしか浮かんでこない。

 そんな私は彼女の目にどう映ったのだろうか、お燐は一つ大きく溜息を吐くと、ゆっくりとその口を開く。

 

「そうなると、温泉からこの部屋までが一番濃い線ですかねぇ」

「え……ええ、そうね、その通りだわ。寝室にはどうやら無いようだし、外に探しに行くしかないようね」

 

 そうだ、後悔よりもまずは、温泉までの道のりを調べてみなければ。

 お燐の落ち着いた様子を見て、少しだけ私も冷静さを取り戻すことが出来た。

 始めからわかっていた事ではあるが、次に取るべき行動を再度確認できた事で、前へと進む活力が湧いてくる。

 

 

「うん、よし」

 

 私は覚悟を決めたように一つ深呼吸すると、寝室の扉に向かって大股で歩を進める。

 目的は勿論、我が第三の目を探し出す事である。

 お燐もまた私の背後にぴたりとついて来る、どうやら共に探してくれるらしい。

 心強い味方に思わず笑みを零しながら、私は部屋の扉を大きく開け放った。

 さぁ、オペレーション・サードアイの始まりである。

 

「さとり様、おはようございます」

「ひゃっ」

 

 バタン、と部屋の中へと逆戻り。

 オペレーション・サードアイ、早くも頓挫。

 だってずるいではないか、扉を開けていきなり横から挨拶とか不意打ち過ぎる。

 全く悪くない掃除中のペットに責任転嫁しながら、高鳴る心臓を抑え付けるのが今の私の精一杯だった。

 

「さとり様?」

「あ、いや、えっと、その」

「行かないんですか?」

 

 お燐が首を傾げながら、私の表情を覗き込む。

 その綺麗な瞳が今の私には直視出来ないほどに眩しかった。

 言えない、誰かと対面するのが怖いとか言えない。

 後方からのプレッシャーに押されながら、もう一度恐る恐る扉を開いてみる。

 

『さとり様、おはようございます』

 

 考えるよりも先に条件反射で扉を閉める。

 ずるい、二人に増えるとかずるい。

 やはり全く悪くないであろうペット達に責任を押し付けて、その場で硬直する事しか出来ない私。

 背後を振り返ってみれば、目の前で繰り広げられる奇行にお燐が苦笑を浮かべている。

 まずい、このままでは主の威厳が地の底に。

 何とかして上手く取り繕わなければ。

 

「ど、どうやらこの扉には強力な結界が張られているみたいね」

「やー、その誤魔化し方にはかなり無理があるかと」

 

 わぁ、一瞬でバレた。

 流石私のペット、賢明である。

 

 

「さとり様、もしかして人前に出るのが怖いんじゃ」

 

 そして間髪入れずにこの追撃である。

 心臓が一気に跳ね上がり、思考回路はいよいよもって混乱していく。

 ぷるぷる震えながら引きつった笑みを浮かべる事しか出来ない私に対して、お燐は困ったように頬を掻いた。

 

「図星ですか」

 

 こくり、と首を縦に振る。 

 主人の威厳があっさりスペルブレイクした瞬間であった。

 目の前のお燐の顔すら直視できず、下を俯いてしまう私。

 呆れてる、普段は主人面しておきながらこの体たらくだ、絶対呆れてる。

 いや、それどころかもしかしたら、余りの不甲斐なさに憤慨すら覚えているのではないか。

 ネガティブな思考が、私の心の中を支配して行く。

 耐えるように歯を食いしばるが、お燐の心が読めないことで、不安の感情は加速度的に強くなっていた。

 もし許されるのならば、すぐにでもこの場から逃げ出したい気分だった。

 

 

 

「ご安心! さとり様」

 

 しかしそんな私に投げかけられるのは、何処かおどけたような調子の言葉。

 思わず反射的に顔を上げると、視線の先のお燐は自信に溢れた様子で胸をはっていた。

 

「このあたい、忠猫お燐が必ずや第三の目を見つけてみせましょう。どうかあたいを信じて、さとり様はゆっくり読書でも満喫しちゃって下さい」

「お燐……」

「その代わり、見事あたいが第三の目を探し出したその時は! 今日の夕食、一品増やして下さいな」

 

 そう言って、くすくすとおかしそうに笑う。

 先程までの真面目モードから一転、その姿は普段の陽気なお燐そのものだ。

 心の読めない、今の私でも理解できた。

 ああ、これは気を使ってくれているんだな、と。

 本当にいいペットを持ったと、今更ながらしみじみ思う。

 同時に、彼女が憤慨しているなどと勝手に恐れていた、己の浅はかさを恥じた。

 

 お燐はそんな私の右手を掴むと、やんわりとした仕草で扉の前の私と位置を入れ替える。

 どうやら早速出発するつもりらしい。

 扉の前でぴしっと敬礼を決める彼女が、今はとても頼もしく感じられた。

 

「んじゃ、行って来ます。さとり様、吉報をお待ちください」

「あ、お燐。一つだけ」

「くれぐれもこの件は内密に、でしょう?」

 

 本当に頼もしいペットである。

 わかってますよ、と言わんばかりのお燐の態度を見ながら私はほっと胸を撫で下ろした。

 オペレーション・サードアイ絶対の鉄則。

 それは私が第三の目をなくしたと、第三者に知られてはならないと言う事だ。

 今は少なくなったとは言え、私の能力を畏怖の対象としている者は確かに存在する。

 そんな者達に私の能力が使えなくなったと知れれば、一大事。

 私への嫌がらせはおろか、地霊殿のみんなに危険が迫る可能性もゼロではない。

 それだけは、何としても避けなければならない事態だった。

 そして、うん、そもそも恥ずかしい。

 そのような主の考えを言うまでも無く理解していたお燐は、私に向けて一つウインクしてみせる。

 

 

「お任せください。このお燐、さとり様が第三の目を失くした事、決して」

「うにゅ!? さとり様第三の目失くしたんですか!?」

「え」

 

 急に扉が開かれたと思うと、扉の奥から私のペットの一人であるお空の姿。

 どうやら入室のタイミングが今の話のタイミングとばっちりかち合ってしまったらしい。

 も、もしかしなくても聞かれてた?

 鉄の掟の早々の崩壊に、私とお燐の頬にだらだらと汗が伝う。

 いや、お空に知られる事自体はそこまで問題ではないのだ。

 何せ彼女は心に裏表の無いとてもいい子だ、心の目が無くなったからといって、私を迫害したりする事は無い。

 問題は彼女が、その、物事を深く考えられないと言うか、あまり先の事を計算できないと言うか、極力オブラートに包んだ表現をするならば、馬鹿だという点にある。

 予想しうる最悪のケースを避ける為、私は努めて温厚な声で、彼女の名前を呼ぶ。

 

「お空。違うのよ。これは」

「大変です! すぐに地底中のみんなに聞いてきます!」

「ちょ、待っ!」

「誰かあああああ! さとり様の第三の目知りませんかあああああ!」

「やめてええええええ!」

 

 私の静止を聞かず、お空はあっという間に扉の向こうへと消えていく。

 重大な国家機密を大声で叫びながら。

 

「お燐!」

「合点! おーい、待てお空ー!」

 

 こうなってしまっては、もう作戦どころではない。

 親友の名を呼びながら、すぐさまお燐が後を追う。

 しかしお空はああ見えてかなりの健脚、日頃の死体運びで鍛えている彼女の足でも追いつけるかどうか……。

 不安ばかりが募るが、50m走9秒4の私が今更どうにか出来る問題でもない。

 私に出来るのは、何とか今回の事件が周囲にばれないよう、部屋でびくびくしながら祈る事だけだった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 いつも思うのだが、運命さんはもう少し私に優しくしてくれてもいいのではないか。

 ベッドに突っ伏しながら、頭の中に浮かんだオリジナルキャラクター運命さんを握り拳でぽかぽか殴る。

 そうでもしないと、やっていられない気分であった。

 まぁ詰まる所、バレたのだ。

 私が第三の目を失くした事が、お燐の健闘もむなしく、ものの見事に地底中にバレた。

 余程私の事が心配だったのだろう、お空は本当に地底中で私の第三の目に付いて聞き取りを行ったらしい。

 否、それどころか地底のアイドル、ヤマメちゃんのオンリーライブ中にマイクを奪い、観客たちに一緒に探してくれるよう訴えかけたとか。

 戻ってきたお燐からそれを聞かされた時には、本当に主人思いのいいペットを持ったものだ、と涙が止まらなかった。

 もう何と言うか、うん、運命さん絞め殺す。

 

「はぁぁ」

 

 毛布にくるまりながら、大きな溜息一つ。

 こうして自室にこもっていても、どんどん気分が滅入ってしまうだけであった。

 とは言え一度外に出れば、向けられるのは普段と違って心を読みとれない他人の目、目、目。

 果たして読心の出来なくなった私に、彼らはどのような感情を抱くのか、想像する事すら恐ろしかった。

 第三の目有りでも密集地帯は苦手なのに、今の状況で外出など論外と言わざるを得ない。

 そう、お燐達が第三の目が見つけてきてくれるまでは、たとえ辛くとも部屋に閉じこもって―――――

 

 

 

「たのもー!」

「わぁあああ!?」

 

 

 

 バキィ、と言う音と共に扉が開かれ、驚きのあまりその場に飛び上がった。

 なんで? どうして? 鍵は掛けてあった筈なのに……!

 突然の事態にびくびくしながら扉の方向へと視線を向けると、そこにあったのは見知った方々の姿だった。 

 

「ゆ、勇儀さん……パルスィさんまで」

 

 思わずへなへなと身体中から力が抜ける。

 

「よっ。何してるんだい、そんな所にへたりこんじゃって」

「アンタがノックもせずに突然入るからびっくりしたんじゃないの?」

「そうかい? そりゃ、悪かったな。でも鍵を掛けておかないさとりも悪い。この状況で少し無用心じゃないか」

 

 掛けてましたがな。

 どうやら彼女、バキィなどと鳴らしておきながら、至って普通に扉を開けたつもりだったらしい。

 まさか円筒錠も鬼の剛力で回されるとは思っていなかっただろう、無残にもひん曲がったドアノブと、抉り取られた壁には同情を禁じえない。

 と言うか、一体何しに来たんだ、この人達。

 顔を引きつらせる私だが、勇儀さんは気にせず私の頭をぽんぽんと叩く。

 

「お前のペットから話は聞いてるよ。いや、どうしてもお前の様子が気になってさ」 

「ふん、さまぁないわね。普段偉そうにしているから罰が当たったのよ、罰が」

「ほら、パルスィもこんなに心配してる」

「え? 心配してたんですか、今の」

 

 

 相変わらず複雑な思考回路をしているお方だ。

 第三の目を無くした私には到底理解する事が出来ない。

 しかし、勇儀さんの言を信じるなら、彼女達は私が心配で見に来てくれたとの事。

 嘘を嫌う鬼の言葉だ、信憑性は高いとは思うが、普段他人から避けられる事の多い自分としては俄かには信じられない。

 確かに彼女達から私に対して嫌悪の感情を読み取れたことは無いが、それでも今はどうしても疑り深くなってしまうのだ。

 こんな事聞くに聞けないし、こういう時、心が読めれば一発でわかるのになぁ。

 思わず大きな溜息が口から漏れる。

 

「しっかし、アレが着脱式だっとはねぇ。私はてっきり身体の一部だと思ってたよ」

「あ、いや、まぁ、身体の一部なのは間違いないんですけどね。取り外しもしようと思えば」

「あ、でも確かに取り外せでもしないと、着替えも出来ないか。女の子だし、お洒落もしたいもんな」

「お洒落と言うか、その」

「どの口からお洒落なんて言葉が出るのよ、年中体操着。さとり、もっとビシッて言ってやっていいのよ」

「え? そんな、いきなり」

 

 そして会話をすればこのぎくしゃくコミュニケーションである。

 自分のアドリブ力の無さが憎い。

 二人の顔を覗いてみると、浮かべられているのはなんとも複雑な表情。

 普段の私とのギャップの大きさに、戸惑いを隠せない様だ。

 

「なんかぎこちないねぇ」

「す、すみません」

「別に怒ってる訳じゃないけど。本当にアンタって、読心ありきで会話してたのね」

「うぅ」

「うーん、私は心が読めないのを不便なんて思った事はないんだがなぁ」

「それは心が読めないのが私達の当然だからでしょ。さとりにとっては読めるのが当然なんだから、また話が違うわ」

「むぅ、そういうもんか」

「私達からしたら、視力や聴力がいきなり失われたような物って事よ。それがどれ程恐ろしいか、実際に失っていない私達にはわからないけどね」

「成程なぁ。そりゃ中々厄介そうだ」

 

 自分の五感が失われた時の事を想像したのか、勇儀さんはうへぇと顔をしかめる。

 辛さを理解してくれようとするのは嬉しいが、こうして難しい顔をしている二人を見ると、なんとなく申し訳ない気分になってしまう。

 

「その、すみません」

「だから怒ってないって。余り謝るのやめなさいよね、調子狂うわ」

「す、すみません」

「……」

 

 ああ、本当に上手くいかない。

 私は次第にイライラを通り越して、哀しくなってしまっていた。

 言葉が浮かんでこないのだ。

 浮かんだとしても、それを口にしてしまっていい物か、判断がつかないのだ。

 やれやれ、と呆れたように首を振るパルスィさん。

 その仕草がただポーズだけなのか、本当に呆れを表しているのか、それとも他の感情を隠そうとしているのかすら、今の私にはわからない。

 そしてその事が、今の私にはたまらなく恐ろしいのである。

 このままもし、第三の目が見つからなければ。

 考えただけでもぞっとする。

 あれは本当に、覚妖怪にとって命とも言えるもの。

 大切さは十分に理解しているつもりだったが、こうして失くしてみて、他者とコミュニケーションをとってみて、次々と私は自分の考えの甘さを思い知らされていた。

 

 そんな震える私の肩をぽん、と大きな手を叩く。

 その感じ慣れた暖かさに、振り返るまでも無く勇儀さんだと理解できた。

 どんどん下を向いていく私の思考を吊り上げるように、ゆっくり優しく言葉を紡ぐ。

 

「はは、まぁ仕方ないさ。第三の目が戻ってくるまでの辛抱だ」

「戻ってくるんですかね……」

「戻ってくるさ。あれだけの人数で探せばすぐだよ、きっと」

 

 え?

 彼女の言葉の意味を、私は瞬時に理解できなかった。

 あれだけの人数ってどういう―――――

 

「お前のペットの地獄鴉、褒めてやりなよ」

「お空を?」

「ああ、そうさ。アイツがそこら中で頼み込みまくったおかげで今、たくさんの連中がお前の第三の目を探してくれてるんだ」

「はい?」

「見つけた奴はヤマメが握手してあげるとか言うおまけもついて、今や旧都中大騒ぎよ。全く、アンタ一人の為に旧都中が動いてるのよ。妬ましい奴だわ」

「は? え、え?」

 

 二人の話す内容の余りの突飛さに、頭がぐるぐると混乱する。

 私の為に、地底の妖怪達が動いてくれている?

 思考を整理できない私に対して、勇儀さんはばんばんと肩を叩きながら大きな笑みを浮かべてみせる。

 

「お前は地底の連中に今回の件、知られるの嫌だったみたいだけどさ。こういう時は、頼るのも立派な手の一つだよ」

「でも、そんな事したら」

「そうね。確かにアンタの読みどおり、アンタが読心出来なくなったって聞いて、よからぬ事を考えてる奴も居るでしょうね」

「なに、そういう時の為に私達がいるのさ。大船に乗った気持ちでいてくれよ」

「あ……」

 

 ひょっとして、その為に?

 私は思わず目を丸くする。

 万一、第三の目を失くした私を狙う輩が現れた時の為に。

 その時私を守る為に、彼女達はここまでやって来たと言うのだろうか。

 いや、彼女達だけじゃない。

 必死で第三の目を探してくれるお燐やお空も、自分のファンに呼びかけてくれたヤマメさんも、お空の訴えを聞いて行動してくれた旧都の皆さんも。

 みんな、みんな、私の、嫌われ者の覚妖怪の為に……。

 

「どうして」

 

 頭の混乱はますます酷くなり、一体何を信じればいいのか訳が分からなくなってしまう。

 何とかして搾り出せたのは、惨めなほどに弱々しい声だけだった。

 

「どうして、私なんかの為に、そんな」

 

 そんな私の質問が予想外だったのか。

 それを聞いた二人は、一瞬きょとんとお互いの顔を見合わせ、すぐにおかしそうにその頬を緩ませた。

 何を今更、二人の間からそんな声が聞こえたような気がした。

 ぐしゃぐしゃと私の頭を撫でながら、勇儀さんは言い聞かすようにゆっくり、優しく言葉を紡ぐ。

 私の質問の答え、たった一つの、簡単な理由を。

 

 

 

 

「お前が好きだからだよ、さとり」

 

 どくん、と胸が高鳴る音がする。

 わけがわからなかった。

 わけがわからなかったにも関わらず、彼女のたった一言が、私の心の中に暖かな何かを満たして行く。

 目の前が真っ白になるほどに混乱しながらも、何故か心地よくすら感じられる。

 

「私もアンタの事、まぁ嫌いじゃあないわよ」

 

 勇儀さんの背後から、少々小さめな声でパルスィさん。

 再度、私の心が不思議と満たされたような気分になる。

 好きか嫌いか、そんな事を彼女達に向けて質問する機会なんてこれまで無かったから。

 彼女達の私に対する好嫌の感情を知るのは、これが初めての事であった。

 果たして私は今、どのような表情をしていたのだろう。

 パルスィさんは何処か恥ずかしそうに目を逸らすと、釘を刺すように私に向けて言い放つ。

 

「もっとも、言葉だけなら何とでも嘘を吐く事は出来るけどね」

「あんな事言ってるけど、ありゃ、相当お前の事気に入ってるよ。パルスィは嫌いな奴は嫌いってハッキリ言う奴だからね」

「アンタは嫌いよ」

「ま、好きな奴にも嫌いって言う事はあるみたいだけどな。「嫌いじゃない」は信用していいって事だ」

 

 彼女達の言葉を聞きながら、私は自分の心臓がやたらと早く動くのを感じていた。

 これはきっと、歓喜の鼓動だ。

 二人の私に対する感情を耳にして、この時私は確かに喜びを感じていたのだ。

 ああ、どうしてだろう。

 こんなの、ただの言葉に過ぎない筈なのに。

 パルスィさんの言う通り、幾らでも偽りを告げる事は可能な筈なのに。

 どうして、彼女達の『言葉』がこんなにも嬉しく感じられるのだろう。

 

「別に、そんなに難しく考える事じゃないわよ」

 

 私が何を考えていたのか、彼女達にはわかったのだろう。

 パルスィさんは一言をもって、私の心の中での自問を遮ってみせる。

 慌てて顔を上げてみれば、そこには勇儀さんの穏やかな表情。

 まるで娘に大切な事を教える時の母親ように、優しげな笑みをもってその口を開く。

 

「確かに言葉ってのはさ、酷く信用ならないもんさ。さっきパルスィも言ったけど、悪意があればいくらでも嘘を吐く事だって出来る」

「……」

「けど、それでも、心の読めない私達が伝えあうには、言葉にするしかないんだ。「私達はアンタが好きだ」ってね。後は受け手がそれを信じるかどうか、それだけの話だ。本当にそれだけで、割とどうにかなっちまうもんなのさ」

 

 そういう、物なのだろうか。

 勇儀さんの曇りのない表情を見ながら、誰へでもなく問いかける。

 彼女たちが考えている通り、私はずっと、言葉を信じてこなかった。

 相手の真意など、言葉に頼らなくても、幾らでも読み取る事が出来たから。

 読心のフィルターを通し見る事で、私は会話などせずとも安心を得る事が出来たのだ。

 言葉など頼りにしても、傷つくだけ。

 聞くのは心の声だけでいい、幾らでも取り繕える言葉など、私は何一つ信じていない筈だった。

 

「言葉ってのもさ、存外悪くないもんだよ」

 

 なのに、どうしてだろう。

 私の事を好きだと言ってくれた彼女達の言葉が、私はとても嬉しかったのだ。

 信じていない筈の言葉が、私の心を不思議と満たしてくれる。

 第三の目を失った今、それが唯一すがる事の出来る藁だったからだろうか。

 いや、きっとそうではない。

 心を読めなくとも互いを認め合う、目の前の二人を見ているとそう思えた。

 彼女達は言った、自分たちは言葉にして伝えるしかないのだと、あとは受け手が話し手を信じるか否かだと。 

 だとしたら……ああ、なんだ、とても簡単な話じゃないか。

 今更になって私はようやく、当たり前の結論へとたどり着いた。

 

 

 

 私が喜びを感じたのは『ただの言葉』なんかじゃない、『彼女達の紡いだ言葉』なのだ。

 信じる相手の言葉だったからこそ、私は当然のように受け取る事が出来た、ただそれだけだった。

 わかってしまえば何と言う事はない。

 確かに言葉が嘘かどうかなんて真実の所は覚でもなければわからない。

 けれども、嘘では無いと信じる事は、誰にでも出来る。

 それが、彼女達にとっての当たり前なのだ。

 互いが互いを信じあって初めて、彼女達のコミュニケーションは完成する。

 そしてもし、言葉にする事で、相手に喜びを与える事が出来るのならば。

 もしかしたら勇儀さんの言うとおり、言葉と言うのは存外悪くない物なのかも知れない。

 そう考えると、先程までよりほんの少しだけ心が暖かくなるのが感じられた。

 

「なに、ニヤついてるのよ」

 

 はっとして声がした方向へ顔を向ける。

 するとそこにはパルスィさんの意地悪そうな笑顔が一つ。

 もしかすると彼女にとって、今の私のリアクションは予想通りだったのかも知れない。

 それは信じたくない、と私は真っ赤になった顔を隠すように下を俯いた。

 すぐに追い討ちが来るかと思ったが、二人はもうそんな私に声を掛ける事も無く、ただただ時が経つのを待ち続けている。

 不自然なまでの静寂が、三人の部屋を満たして行く。

 ひょっとして、私の言葉を待っている?

 私の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。

 試しに恐る恐る二人の顔色を伺ってみると、にっこりと笑顔を返してくるではないか。

 あ、これ確実に待ってますね。

 戸惑う私だが、確かにここで何一つ示さないのは少し卑怯だとも思う。

 彼女達は私を好きだと言ってくれたのだ、その想いに対して私はまだ何も返せていない。

 そう、彼女達は覚ではない、こうして思うだけでは何も伝わらない。

 彼女達がしてくれたように、言葉にしなければ自分の気持ちを伝えられないのだ。

 それは今回の事件、そして彼女達が改めて私に教えてくれた大事な事。

 その事に対する感謝の為にも、自分の言葉で想いを伝えたかった。

 すーはーと深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。

 相変わらず鼓動は早いが、ここで尻込みしていてはこれまでと何も変わらない。

 自分の気持ちを奮い立たせながら、震える唇をゆっくりと開いていく。

 

「私も、その、お二人の事……」

 

 そこまで、何とか私が言葉にしたその時だった。

 ノブの壊れた部屋の扉が、大きな音と共に勢いよく開かれる。

 何事かと私達がそちらに振り返るよりも早く、耳に飛び込んできたのは聞きなれた少女達の声だった。

 

 

 

 

「さとり様!」

「第三の目、見つけましたぁー!」

「お燐、お空」

 

 頼りになる我がペット達の帰還。

 その手には、私の探し求めていた第三の目が大事そうに乗せられていた。

 あっ、と思わず喜びとも驚きとも思える声が漏れる。

 そんな私の仕草に気を良くしたのか、得意げな表情を浮かべる二人の英雄は、すぐさま私のもとへと駆け寄ってきた。

 

「さて、こりゃ御役御免かな」

「全く愛されちゃって。妬ましいったらないわね」

「あ……」

 

 お燐、お空と入れ替わるように、勇儀さんとパルスィさんはその場に立ち上がると、私に背を向けて歩き出した。

 先程まで私を守ってくれていた背中が、見る見るうちに遠ざかっていく。

 何かを言わないと、そうだ、せめてお礼を……!

 そう私の頭が結論付けるよりも早く扉の外に出た二人は、お燐とお空に手を振りながら、私に向けて言葉を紡ぐ。

 先程と同じ、意地悪な笑みを携えて。

 

「言葉にしないとわからないのは、こいつらも同じよ」

「ま、たまにはハッキリと伝えてやんなよ。受け取るばかりじゃなく、さ」

 

 そう言うや否や、二人は私の引き止めを回避するかのように扉を閉めてしまう。

 今更追いかける勇気は、私には残っていなかった。

 お礼、言えなかった……。

 自分ののろまさに思わず肩を落としそうになるが、目の前には既にお燐お空の満面の笑顔。

 そうだ、せっかく彼女達が見つけてくれたのだ、今は何より先に能力を取り戻さなければ。

 これ以上情けない所を見せまいと慌てて居住まいを正した私は、二人から差し出された第三の目に手を伸ばす。

 そしてすぐさま、二人の視線と自身の心に急かされるままに、それに対して霊力を込めた。

 刹那、単純な球体だったそれから管が伸び、私の身体ともうひとつの目を繋いで行く。

 そしてその作業も間も無く完了し、第三の目は完全に私の身体の一部として同化した。

 私は三つの目を持つ覚妖怪の姿を取り戻したのだ。

 

「どうですか、さとり様」

 

 目を開く直前、思わずごくりと唾を飲む。

 先程まで見えない世界を味わっていたせいだろう、もし万が一これで見えなかったら、と僅かながら緊張していたのだ。

 しかし、どうやらそれは取り越し苦労だった様子。

 ゆっくりと第三の目を開いてみれば、お燐とお空の緊張の色がはっきりとその視界に映り込む。

 私の目の前にはいつも通りの覚の世界が広がっていたのだ。

 

「見える……」

 

 失ったのはほんの僅かな時間だったが、それは酷く懐かしい感覚に思われた。

 戻ってきた普段どおりの感覚に、私は目を細めて幸福と安堵を噛み締める。

 先程までが嘘のように心に余裕が満ち、自然と笑みが浮かんできてしまう。

 その姿を見たお燐とお空からも、喜びの声が上がる。

 二人の功労者は手を叩きあい、互いの労を労っていた。

 覚の目で二人を見てみれば、映り込むのは歓喜、そして安堵。

 思えば彼女達は今回の事件を、本当に自分の事のように真剣に考えてくれていた。

 そして、必死になって地底中を駆け回り、見事に私を救ってくれたのだ。

 ご褒美は当然後であげるとして、今はまず何よりお礼を言いたいと心から思った。

 そんな時、私の脳裏に浮かぶのは、先程の勇儀さんとパルスィさんの言葉。

 ―――――言葉にしないとわからないのは、こいつらも同じよ。

 ―――――たまにはハッキリと伝えてやんなよ。受け取るばかりじゃなく、さ

 思えば、今まで一度も言った事が無かったかも知れない。

 幾らでも偽る事が可能な言葉で、その気持ちを伝える事に、私は何ら意味を見出せなかったから。

 心の中で思うだけで、一度も形にして伝えようとはしなかったのだ。

 けれども今は、言葉で伝えなくてはと……伝えてみたいと心から願える。

 心の読めない彼女達に伝えるには、そうするしかないのだから。

 自分が伝えられてみて、それが存外悪くないものだと体感できたから。

 私は二人の頭を優しく撫でながら、穏やかな気持ちで笑みを浮かべる。

 そして心からのお礼と共に、ありったけの気持ちを言葉に込めて、我が親愛なるペット達へと送り届けた。

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、お燐、お空。大好きよ」

 

 

 

 

 

 

 ……あ、凄い。

 これ、本当に凄い。

 二人の心から溢れ出る感情を眺め、思わず目を丸くする。

 これまで幾度と無くお礼をして来たが、それでここまで幸福な気持ちになる彼女達を見た事があっただろうか。

 たった一言だ。

 たった一言、最後に正直な想いを伝えただけで、私の視界に映るのは眩いばかりの歓喜の色。

 好きだという私の言葉を聴いて、彼女達はこれ以上ないまでに喜びを感じていたのだ。

 それは、彼女達が私の言葉を信じてくれたと言う事の何よりの証明。

 そしてその事実に、今度は私の心が暖かくなるのを感じていた。

 ああ、やはり、悪くない。

 覚でなくともこうして気持ちを伝えあう事が出来るのだ、言葉という物は本当に、存外悪くない。

 これからはもう少し、言葉に頼ってみるのもいいのかもしれない。

 そうだ、私はいつも、受け取ってばかりだった。

 けれどこれからは、自分も届けていきたいと思う。

 私達は、それを可能とする素敵なツールを持っているのだから。

 

 

 

 

 

 了

 

 

 

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さとりんはへたれかわいい
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