朔 -The dragon slept on the moon. |
一章 放逐の月
赤い月が間近に迫るとき、大地は滅びの黒い影に覆われるだろう。そのとき、竜の抱く宝玉に輝きが戻らなければ、生命は永遠に失われ戻らない――。
神殿から訪問者があると聞いていたので、新顔の衛兵はてっきり町中にある簡易神殿の主と同じく顔色の悪い神官の来訪を想像していたのだが、輿から降りてきた賢者を見て予想と結果の違いに驚いた。なぜ同僚たちが朝から色めき立っていたのか、やっとその理由を悟りもした。
柔らかい色合いをしたラベンダーの長い髪が華奢な顎を縁取り、トーガの上で一休みしたあと、おそらく豊満であろう胸部へとこぼれている。白い布、白い肌のなかで唇だけは紅い。その肉感的な曲線は、とても神殿などという厳かな場所からやってきた女とは思えない。長時間の移動が彼女を窮屈にしていたのは間違いなく、緊張を解くように、ふう、と可愛らしく小さな息をついた。ちらり青い瞳が衛兵を見る。
宝石のような青さ…… いや、真夏の海のような生きた煌めきをもっている。自然の風景のような鮮やかな色が意志を持って彼らを見渡していた。
蒼い月の神殿を司る神官たちは、この土地の多くを占める大地の民とはかなり異なる風貌をしている。緑色の肌、額から伸びた触覚、さらには不思議な力−− 大地の民は彼らを<緑の人たち>と呼んだ。以前には魔法使いと呼ばれたこともあったらしい。彼らは大昔に空の彼方からやってきて、この地に移住したという。大地の民と等しく交わることよりも、彼らはその能力を使って神と人との仲立ちをすることを選んだ。ごく平和のうちに彼らと人々は共生して、もう何百年にもなる。
その異貌の民のなかに、ひとりだけ賢者と呼ばれる人間の女がいるといわれていた。
賢者には美しい人間の女が選ばれる。決まってラベンダーの髪と青い瞳をもっているといわれていた。幼い頃から神殿で養育され、同じく神殿に寄宿する行政官候補者たちのように<緑の人たち>によって、さまざまな知識を身につけさせられる。だが、神殿の外に出ることは滅多になく、行政官ですら年数回しか顔を見る機会がないという噂だった。
ほとんどの民が出会うことはないであろう、女。
それが目の前にいる。
衛兵の誰もが、一瞬、彼女が賢者であることを疑った。なぜなら、彼女に感じるのは崇拝よりも、肉欲の方がより強かったからだ。
ほどなく、彼らは彼女に賢者たる徴を見つけた。
額と両手足、トーガから僅かに見えた胸元には、滑らかな皮膚を裂いて埋め込まれた宝飾が光っている。
聖痕−− 髪と目の色以上に、賢者が力ある宝玉を身体の一部としていることはよく知られた話だ。七つもの宝珠をもつ女は、賢者と呼ばれる者以外に存在しない。
そのことを理解した途端、彼らは知らず敬礼の体勢を取っていた。
ふうん。
彼女は、さしておもしろくもなさそうに周囲を見た。強ばった顔の衛兵たち。彼女を見る外部の人間は、みな似たような態度を取る。
神殿から輿についてきた補佐官は慌てて彼女を制止した。
「まだお降りになっては困ります。輿にお戻りください」
「やーよ」
町娘のように彼女は明るく返事をした。は? と衛兵たちは顔を見合わせる。賢者、だよな?
「ずっと輿のなかで疲れちゃった。これなら歩いた方がマシだわ。少しくらい行政庁のなかを歩いたって別にいいじゃない。運動になるわよ?」
少し鼻にかかる甘い声で、しかし自分の主張をまくし立てると、彼女はさっさと歩き始めた。こっちよね? と手近な衛兵に確認してあとは振り向きもせず進んでいく。その背中を二人の補佐官が急いで追いかけていった。
勝手知ったる人の家…… ではないが、お偉いさんがふんぞり返っている館なんて、さほど作りに違いがあるわけでもない。高そうな雰囲気のする方向を選んでいくと、彼女はやがて、近衛兵が番をする豪奢な大扉に行き着いた。
彼女が前に来たときと、いろいろなものが変わっているけれど、この扉だけは大昔から同じものを使っている。
一度は槍を交差させて行く手を阻もうとした近衛兵だったが、さすがに彼女に気づいて自ら扉を開けた。
「遅くなっちゃったー。ねえ、前の通りだけどさ、道、悪くなってない?」
勢いよく部屋に入った彼女は、見知らぬ顔が並んでいたので、少しだけぎょっとした。老年と中年ばかりの顔のなかから知っている顔を発見する。武天老師と呼ばれている最も年老いた行政官は、顔をゆがめてため息をついた。
「おまえさんは、相変わらずじゃのう……」
お客がいるならいるって伝えておいてよ。彼女は、引きつった笑いを見せてから、老人を睨んだ。用件は知らされていない。ただ、急いで欲しいと頼まれて来たのだ。
「あー…… おほん。こちらは東の都から来られた使者どのじゃ……」
皺だらけの掌で示された二人の使者は、紹介を受けて気を取り直した。彼女はとっくに立ち直り、じろじろと使者たちを観察している。
足首までの長衣と、腰に巻きつけられたサッシュは確かに東の都の風俗だ。性別に関わらず一つにまとめ上げた黒い髪も、それらしい。でも、髭がない。東の都では、もう髭は流行らないのかしら……。
そんなことを考えてるとはつゆ知らず、使者たちは強い視線に姿勢を正した。どれだけイメージと違っていようと、賢者は賢者だ。
「こちらが、賢者ブルマ殿じゃ。我が国の神殿には、女性神官がおることは噂でご存じじゃったな……」
「ハーイ。初めまして。ね、最近、東の都では髭がないのが流行りなの?」
老師は大きく咳をした。ブルマは口を尖らせて肩をすくめる。せっかく神殿の外に出たときくらい、多少の情報収集をしたっていいじゃない。
「わかったわよ」
賢者がすんなり引き下がったので、使者たちはその質問を聞かなかったことにした。武天老師は目配せして、補佐官に扉をきっちりと閉めさせた。イタカの古木で作られた両扉を合わせると、音は外部にほとんど漏れなくなる。密談のためにしつらえた作りだ。
東の都からやってきた男たちは、封をした金属の箱を取り出した。テーブルの上に置くと、ずしりと重さが天板に響く。とはいえ、中身が黄金などという俗っぽい理由ではなさそうだ。箱そのものが重厚に出来ている。
そんなものをわざわざ東の都から?
相当に大事なものか、それほど開けてはならないものか、どちらかなのだろう。両方かもしれなかった。
「一応処置は施してありますが、見目の良いものではありません…… よろしいでしょうか」
少し東の訛りのかかった発音で使者は言う。
もちろん。賢者と行政官たちは頷く。そのためにわざわざ来たのだから。
幾つもの鍵を使い、使者たちは二人がかりで重い蓋を開けた。なかには、何十にも包まれた布の塊が帯で固定して安置されていた。ブルマは、くんと鼻を動かす。
「お気づきになりましたか」
死臭がする。
若い方の使者が目を伏せ、震える指でゆっくりと布をはぎ取っていく。彼らが大事に運んできたものは、変色しかかった赤ん坊の死体であった。
「防腐処置をしてありますが、今日明日が限界でした」
これを見てください、と彼は哀れな赤ん坊から布をすべて奪った。小さなその身体には不自然な部分が一カ所だけある。
「尾……!」
行政官のひとりが真っ青になって呟いた。使者は頷く。
「そうです…… この子は幸か不幸か死産だったため、気づいた産婆が私たちのところに直接もってきました。母親は、尻尾のある赤ん坊を生んだことを気づいていません」
それは本当だろうか。誰もが冷えていく腹の底で考えていた。この大地に生きる者なら知っている滅びをもたらす<赤い月>の伝承…… そのなかで、前兆として現れるのが尾をもった人間なのだ。死霊のように忌み嫌われる不吉の象徴を見て、経験豊富な産婆が母体を気遣って死産としたことは容易に想像できた。だが、それを責められる者などはいない。
「今年、赤い月は、例年になく接近しているのよね。神官たちが計算してたわ…… たぶん、そのせいでしょ」
初めに発言したのはブルマだった。赤い月が近づく年には、必ず何かの変事が起きる。
「でも、まだ<大接近>といえるほどではないの。三十年前にも同じようなことがあったけど、そのときは結局何事もなく離れていったわ。今回もそうでないとはいえない……」
でも、そうでないなら。
可能性は、常に彼女の頭のなかにある。
そのときこそ、赤い月の災いを永遠に追い払うための最後の機会となるだろう……。
しかし、使者たちに、そんな憶測を言うわけにはいかない。確実な証拠など、まだ何ひとつないのだから。彼女は赤ん坊に優しく布をかけた。
「この子は本殿で埋葬しておくわね。連れて行くから、一緒に輿に乗せておいてあげて。この話は神官たちに伝えるわ。だから、しばらくは伏せておいてくれる?」
秘密を抱えきれずにいた使者たちに、否やはなかった。しばらくどころか、永遠になかったことにしそうな勢いだった。
「ハイ」
彼女は、ぱんと両手を合わせた。
「じゃあ、重苦しい話は終わり! ね、あんたたち西の都初めて? 少しくらい遊んできなさいよ!」
「使者殿はそれでもよいが、おまえさんはすぐに帰るんじゃぞ」
彼女の意図を察した老人は、間髪入れずに釘を刺す。ええ? 彼女は不満げに眉をひそめた。案内にかこつけて、一杯くらい飲んで行こうと思ったのに。
「ほんと口うるさいわね、亀ちゃんは」
今度は老人が苦々しい表情をする番だった。
「幼名で呼ぶやつがあるか。それより、悟飯に会っていってやったらどうじゃ。あやつ、ひとりだけ先に行政官見習いになったせいで寂しがっておるようでの」
彼女は、昨年まで神殿で一緒に過ごした少年を思い出した。行政官候補としてやってきた少年たちのなかでずば抜けた成績を残し、修業期間終了を待たずに見習いとして行政庁に呼ばれていった。滞在期間は他の候補よりも短かったが、知識欲旺盛な少年は、ブルマによく懐いていた。孤独の影を背負った子どもだった。
もっとも寂しげなのは、なにも彼だけのことではない。行政官の候補となる子どもたちは、みな親の保護を受けにくい者ばかりだ。悟飯の場合、数年前に派遣された調査船の事故で父親を失っている。
「はいはい、わかったわよ。そーするわよ」
文句を言いながらも彼女は承諾し、大人しく部屋から出て行った。扉が鈍い音を立てて閉じられると、ふう、と使者たちは緊張を解いた。
蒼い月の神殿の本殿がある西の都には美しい女性の賢者がいると聞いてはいたが、実際に目にすると想像の違いにも、その軽やかさにも驚くしかなかった。
「もっと、聖女という印象の方かと思ってました」
若い方の使者がつい正直な感想をもらす。おい、と年長者にたしなめられたが、武天老師は彼の無礼を笑い飛ばした。
「ああいうお人での。それで、あまり外には出せんというわけじゃ」
「いや、しかし、羨ましい……」
町娘といっても通用するような瑞々しさがあった。けれども、いざ赤い月の災いに話が及んだとき、彼女の瞳には何百年の叡智があった。両立しようのない二つの要素が、ひとりの女のなかで共存している。
しかも、美しい。
老人は頭を振った。賢者を見る者、特に外部から来た者は、ほとんどが同じ反応をする。その理由がどこにあるのか、彼はよくわかっていた。少女の面影さえ残っている女の身体に、一国の宰相をも凌ぐ膨大な知識が詰め込まれている。これは不自然で、いびつな書物だ。
人間は、そういうものが好きで仕方がない。
好奇心といってもいいだろう。
あの女は、そのような艶っぽい存在ではない……。そう呟いた老人の声は乾きすぎていて、周囲の空気を振るわせることはなかった。
「どうぞ、賢者殿のことは口外なさらぬよう。無用な混乱のもとですので」
気を回した他の行政官が使者たちに口止めをする。わかっておりますとも、と彼らは請け合ったが、それが守られない約束であることははっきりしていた。だからといって、使者をそれなりの者に会わせなければ、東の都は納得しなかったろう。
そんなやりとりを気にすることもなく、ブルマは行政官見習いたちが暮らす棟に向かっていた。行き過ぎる人たちは彼女に気づくと頭を下げ、脇に避ける。その礼を当然のように受け気にする風もなく、彼女はノックもせずに悟飯の部屋の扉を開けた。
「ブルマさん!」
椅子で本を読んでいた少年は顔を上げて、嬉しそうに笑った。
「えーと。賢者殿」
いいわよ。彼女は掌をひらひらと振って、空いた椅子に腰を下ろした。少年は二人部屋をひとりで使っているようだった。
「用事があって、こっちに来たの。ねえ、あんた、おっきくなったわね! 身長伸びたんじゃない?」
そうかな? と彼は照れながら頭を掻いた。彼の手にしている書物の題名を、ちらり見る。
「あら、それ本殿に居たときに読んでなかった?」
「これは、東の都で新たに見つかった二百年前の写しなんです。部分的に違うところがあるので、そこに興味を持って読んでるところなんです」
うわあ。彼女は顔をしかめた。
「真面目ね」
「ボクの目標は、いつかブルマさんに追いつくほどの知識を手に入れることですから!」
にこにこと希望を語る少年を目にして、彼女は寂しそうな笑いを浮かべる。
それは、無理なのよ。
近況を口にしながらもも、悟飯はブルマの用事とやらについては尋ねずにいた。彼女が行政庁まで来るというのは、赤い月の災いに関わることだとわかりきっていたからだ。
それほど、天にある月は大きく不気味に輝いている。
この大地に住む者なら誰でも知っている赤い月の災い…… 単なる伝説としてではなく、現実の脅威として、行政官候補になった子どもたちは真っ先に正しい知識を教えられる。
かつて、この大地に月はなかった。大昔、遙か空の彼方から月はやってきて、この空に留まったという。当時月はもっと近くにあり、古代人は優れた技術によって月へと<跳躍>することができた。多くの人たちが移住し、独自の文化を育て月に国家を築いた。
彼らは赤い月を赤い大地、故郷の地を蒼い月と呼んだ。
しかし、平和な時は短い。やがて赤い月は蒼い月に接近を始め、同時に数々の異変が起きるようになる。争いが増えた。月の住人たちは理性を失い、原始に還って殺戮を愉しむようになった。
あの月は、人を狂わせる。
やっとそのことに気づいた人々は、赤い月を放逐することに決め、諍いは本格化した。最後に勝利したのは蒼い月だったが、完全なものとはいかなかった。
一時は遠ざけることに成功したけれど、月は変わらず空に在り、離反と接近を繰り返しながら徐々に距離を詰めている。赤い月を監視する役割をもつ神殿から彼女が出てくるということは、それなりの危機が迫っているということだ。
彼女も、それには触れなかった。
「確かに、あたしは本の中身はよく知ってるけど、これからあんたに必要なのは生きた人間についてのことなんじゃないの? たとえば、この行政庁の外にある街で、どういう人たちが暮らしてるのか、とかさ…… ね」
彼女は声を落とした。
「本殿から出る前に教えたとこ、石組みが緩くなってたでしょ? 抜け出せた? どう?」
ブルマさんは、すぐそれだ! 彼は少しふくれた…… が、年相応の少年に戻って、照れくさそうに笑う。
「行けました…… 友だちも、できましたよ」
やったわね! ブルマは、ぽんと彼の肩を叩いた。
「もちろん、女の子でしょ?」
格闘家を父親にもつ勝ち気な女の子と知り合った、と悟飯は正直に教えた。まだ幼くて恋とか愛ではないけれど、同年代の友だちがいるのは行政官としての経験に役立つだろう。彼女は嬉しかった。
後見のない多くの子どもたちと一緒に本殿にやってきたときは、内気で引っ込み思案な子どもだった。まだ五歳か六歳だったろうか。母親は、父親がいないぶん息子をしっかり育てるのだと、厳しい選抜試験を通過させたのだ。
「お母さんには、会えた?」
少し表情を曇らせて彼は頭を振った。行政官になるまで帰ってくるでねえ! と気の強い母親は本殿へ旅立つ日に悟飯に言い含めて出発させた。強気のくせに涙もろい母親が後ろで泣いてるのがわかっていたから、彼は振り向くことさえできなくて、声を押し殺して迎えの馬車に乗ったのだ。
見習いになれば多少は自由時間がある。けれども、母親は会うことを許さなかった。
「あんたなら、すぐに会えるようになるわよ!」
彼女は母親に抱かれることもなかった赤ん坊を思い出す。せめて埋葬は手厚くしてあげたい。そろそろ戻るわね、と告げると、悟飯は出口まで送ります! と勢いよく立ち上がった。
見習いたちの部屋から出口までは複雑で長い廊下を通らなければならない。悟飯は近道があるといって、細い通路に入っていった。何百年も前から増改築を繰り返したせいで、行政庁のなかはやけに複雑だ。ブルマも詳しいとはいっても、ここに住んでいるわけではない。やはり内部については、住人には負ける。
こんな廊下があったのね。
通路は薄暗く、湿気があった。この感じを彼女は覚えている。
赤い月との戦いだけでなく、影響を受けた人々は仲間内でも争い合った。月は、そこにあることによって、人々を少しずつ狂わせていたのだ。そのとき戦火を逃れ、または戦果をあげるために、いくつもの地下通路が掘られた。それらは互いに繋がりあい、今では迷路になっている。行政庁にも地下通路に繋がる入り口があり、現在は封鎖されているとはいうものの、そこから伝わる冷たい空気によって一部の通路は翳りをもった空間になっているのだった。
「段差があります」
少年は、彼女の手を取り、目を留めた。彼女の宝玉を見つめ、もう片方の手に視線を投げた。
「いろが落ちてますね」
そういう頃合いなのよ。彼女は答えず微笑んだ。
前触れもなく、手前の石が揺れた。崩落? と一瞬考えてから、壁全体が滑るように脇へ退く様を認めて、二人は地下通路の入り口が開いたことに気づいた。使われぬように封じられて壁となった場所が、ぽっかりと暗い口を見せている。
まずい。
ブルマが先に事態を把握した。
いたずらなんかじゃない。こんなことができるのは…… もっと意図的で、もっと意志をもった何者か。
相手に見つかる前に戻った方がいい。けれども、悟飯は少年らしい率直さで闖入者を誰何した。
「誰ですか? ここは行政庁です。立ち退いてください」
だめ。ブルマが制止する前に、金属の輝きが少年に返事をした。
「ほう?」
僅かな明かりすらもない地下通路の闇から、黒い影が分かたれて出てくる。その禍々しい姿に、彼女は息を呑んだ。
「では、正しい場所に出たというわけだ」
異民族の男。
最初、二人はそう思った。彼らの知識をもってしても、どの土地の者かわからない異装の者だった。しかし、すぐに彼を異端たらしめているのは、彼の持つ半月刀に象徴される戦いの装備だと気づいた。周囲を威嚇するような派手な文様と色合いの布を身にまとい、小手と胸当てをつけている。本格的な戦支度としては軽装といえただろう。だが、それを補って余りある殺気が、男の眼からあふれ出ていた。
禍々しいのは、その表情だ。
声を出すことが、できなかった。
鋭くつり上がった目は、獲物を見つけた猛獣のそれと同じだ。黒く深く油断ない光を帯びているのに、冷静さを失っていない。漆黒の髪は怒りに触れたように逆立ち、彼が殺しを生業としていることを教えている。
そして、もっとも強く感じる彼の意志…… 彼女たちを殺すつもりがあるということ。そのことに何のためらいもないであろうことが、二人の身体を金縛りにしていた。
彼はにやりと笑い、すっと剣先を下ろした。
「ここの人間だな? おまえらの仕えるヤツのところに連れていってもらおうじゃねえか。行政官…… とかいったか」
悟飯はめざとく、半月刀に血を拭き取った跡があることに気づいた。連れて行けるわけがない。幼くても、彼は行政官の見習いだ。
「な、なんの用ですか!」
震える声で問うた。やめて、悟飯くん、とブルマは止めようとしたが、少年は彼女を背中に押しのけ、守る体勢を取った。
「貴様のようなガキには関係ないことだ」
「ぼ、ボクは行政官見習いです! 知識だけなら、行政官に匹敵します」
ふん。男は子どもをじろじろと凝視した。
「殺されたいのか…… まあいい。オレは永遠の命について知りたいんだ。この蒼い月の地には、その秘密を知っている者がいると聞いた。貴様にわかるか?」
永遠の命? 悟飯とブルマは視線を合わせた。
何のことだ?
「そんなものは、ここにはないです! あなたは何か勘違いをしてるんじゃ……」
彼の目が剣呑に光った。
「勘違いだと? 誰が信じるか。そんな戯れ言を聞くために、わざわざこんな星までやってきたんじゃあ、ない」
男はずかずかと近づいて、悟飯の襟首を掴んだ。
「お遊びはここまでだ。さあ、行政官のところに連れて行ってもらおうじゃないか…… そこで相談なんだがな。道案内はひとりで十分なんだ……」
彼はブルマを掠めるように見やった。
「オレとしては女を生かしたいところだが、ガキの方が抱えやすいからな」
そのまま悟飯を脇に放り出す。石畳に打ち付けられたものの、彼はすぐさま身を起こした。
「やめろ!」
「少し惜しいが仕方ない…… 悪く思うなよ」
男は半月刀を振り上げた。その逞しい腕に、悟飯が身体ごと全身でかじりつく。
「ブルマさん、逃げて!」
「だめ!」
あたしなら大丈夫だから! 彼女の声も、必死になっている悟飯には届かない。男はうるさそうに腕を振り回し、彼を引き剥がした。
「貴様、勘違いするな…… 別に殺すのは貴様の方でも構わないんだ……」
なよなよしたガキだと思ったのに、こんなに向こう気が強いのでは扱いづらくて敵わない。彼は気を変えた。半月刀を持ち直し、悟飯の上へと振り上げる。刃が光った。
「根性だけはあったようだがな」
振り下ろす瞬間、ブルマは男に体当たりした。その衝突でよろめきはしたが、彼は倒れはしなかった。よく鍛えられた戦士は脚を踏みしめ、ぐっとこらえる。そのまま肩越し、彼女を睨めつけた。
「女……」
彼女は男に構わず、悟飯に駆け寄る。母親に会えないまま、少年を死なせるわけにはいかない。
「悟飯くん、早く……!」
立ち上がらせようとしたとき、トーガごと、彼女は半月刀で引き裂かれた。
絶叫が細い通路にこだまする。
「死にたがりが多い星だぜ…… ご希望通り殺してやるよ」
血飛沫が彼女と男を濡らす。返り血を浴びて残忍な笑みを満足げに浮かべた男は、腰の直刀を抜き、ブルマの肋骨の間を深く一突きした。
「死んでろ、女」
彼女は冷たい石畳に崩れた。物体になった彼女の身体は、ごろりと転がる。白いトーガは彼女の血液を吸って見る見る赤く染まっていった。
「ブルマさん! ブルマさん!」
悟飯は叫んだ。応えはない。大きく見開かれた青い瞳からも、輝きは消えている。
「もう死んでる」
男は鼻で笑い、直刀の血を払った。半月刀は、わざと血濡れたままにしている。子どもに、自分の立場をわからせる必要を感じていた。彼は少年の服を掴み、ぐいと引いて無理矢理立たせる。
「なんてこと…… なんてことをするんだ……」
「ふん。貴様も同じ目に遭いたくなかったら、言う通りにするんだな」
大きな黒い目に涙を浮かべ、悟飯は男をきっと睨んだ。いい目つきだ。男は褒めてから、悟飯の頬を強く打った。
「せっかく女が助けた命だ。大事にしないといけないんだろう?」
にやりと唇を歪める…… その動作が止まった。
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ドラゴンボール二次創作。惑星ベジータとサイヤ人誕生を考えたアナザーストーリーの1章(一部)。■スターシステム採用なので、性格も名前も外見もほぼ同じキャラが出てきます。関係性は、ほぼ原作通りです。公式カプでは、ベジブル、次にクリパチが中心。悟チチは原作ベースで少し。■※同人誌で発行済。サンプルにつき注意。■とらに扱ってもらっています(http://www.toranoana.jp/bl/cot/circle/17/54/5730313835343137/ns_bcb7c2e7cea6_01.html) | ||
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