【からくり卍ばーすと】クライ・ベイビー |
闇に紛れてしまいそうなその色も、月明かりを背負っては際立つだけであった。
ミクは、瞠目する。
明らかに招かれざるものが、人目を忍ぶ様子もなく、堂々と、そこに居た。
大胆にも、壁に背を預けるようにして。
おまけに相手の読んでいるものが、門外不出の設計図だったらどうだろう。
へまですまないことはさすがの彼女にも分かったが、上からの叱責を考えると声を上げることも出来ない。
残す手はただ一つであった。自分で、内々に処理する。
思考がそこに至った時点で──銃口がこちらを捉えていれば、どうしようもないのかもしれないが。
「動くな」
冷たい声が、体を貫いた。
相手の視線は書類に向けられたままだというのに、手も足も、凍り付いたように動かない。
銃を向ける腕にはめられた章に、焦りだけは増す。
「なによ、あんた」
なんとか絞り出した声は、自分で笑ってしまいそうなほど掠れていた。
「何って、見れば分かるだろ? 敵だよ」
その通りである。そんなこと、とっくに知っている。
卍の章は悪の証。丸腰の自分に勝算はない。
それでも、急速に近付いた死の気配を振り払おうと、ミクは言葉を続けた。
「そう。それにしては妙ね。どうしてそれを持ち帰ろうとしないのかしら」
震えないよう、精一杯強がって。
──一通り目を通し終わったらしい男が、こちらを見るまでに、少しの間があった。
「なに、君はこれが怖くないの?」
「怖いわよ! あんた馬鹿じゃないの!?」
あまりに呑気な口調に苛立って、思わず声を荒げる。表情を変えたのは、相手の方だった。
取り繕おうともしない、驚いた顔。
引き金を引くだけで、恐らく自分の命は終わってしまうのだ。
人間らしい反応に気が抜けたのか、一瞬で視界が滲む。拭うこともできない。頬を伝っては床に落ちていく水滴が、鬱陶しくてしょうがない。
滲んだ視界の中で、何かが動いた。あの冷たい感覚が失せて、手も足も軽くなる。
ミクはとにかく手の甲で、視界の妨げになるものを取り去った。
その光景は、とても信じられるものではない。相手は、すんなりと得物を納めていたのだ。
敵であるはずのその男は、罰が悪そうに帽子の鍔に手をやった。
「……ごめん」
「……は……?」
今、自分の耳が捉えたのは明確な謝罪の言葉だ。だが、そんなことがあるだろうか?
自ら敵だと名乗った男が、泣き顔くらいで手を緩めるなんて、そんなことが。
「な、なんのつもりよ」
「は?」
「だって、あんた、その腕章。それにさっき、自分で敵だって言ったじゃないの、どうしてそれで謝罪なんて出てくるのよ。間者かなにかなんでしょう! だって、その情報を、奪うつもりだったじゃない!」
理解に繋げるには、あまりにも情報が少なすぎた。
此処に敵方が侵入してくること自体が初めてのことであったし、おまけに自分以外の誰もが、この状況を把握していないようである。
簡単に潜り込んでこられるほど、守りは甘くないはずだった。
ご丁寧に書類も戻されている。頭の中に入れたからいいとでも言うのか。
敵の極秘情報を掴んでそれは有り得ない。少なくとも自分なら、その場で抹消してもおかしくないのに。
「ああ、そういうことか」
発せられた納得の声は、いやに落ち着いている。今や微笑みすら浮かべて、相手はなんでもないように肩を竦めてみせた。
「どうしてこんなに不自然な行動をするかって、そういうこと」
ミクは、無言で睨みつける。余裕綽々な態度も気に障った。彼の言葉は続く。
「答えは簡単、これはあくまで私事だからさ。組織の命令で動いているわけじゃない。まあ、もっとも──このことを教えれば、うちの連中は大喜びするだろうけどね」
「だったらなんで!」
「だって、私事と組織は関係ないだろ?」
彼が目にしたものは、開発中のからくり人形の設計図。それも、ただの人形ではない。対人用の殺戮兵器だ。
この情報を流出させれば、向こうが有利に動けることは、火を見るより明らかだった。
それなのに、この態度。ミクの頭はパンク寸前である。
分かることは一つ。どうやら向こうにはもう、害意はないということ。
「驚かせて悪かった。でも、見せてくれって言っても無理だろうし……何より、騒がれると面倒だったから」
「……私事って、なによ。そのデータが外に出たら、私、きっと殺されるわ」
「上に?」
「そうよ」
「ふうん」
切れ長の目が、スッと細められる。
あとになって、何を言っているのだろうと我に返った。厄介な兵器を作り出す自分が消されれば、相手にとっては好都合だ。きっとこちらも、たまたま目に留まったというだけで──自分の代わりになる人材など、すぐに見つけてくるに違いない。
分かっていたはずのことなのに、改めて刻んでみると虚しくなった。
短い沈黙の後に、男の方が口を開く。
「実はさ、俺も作ってるんだ、からくり」
唐突な告白に、ミクは言葉にも成り切らぬ音を漏らした。
出で立ちを見るに、彼は最も露骨に敵対している組織──特殊警察の兵士である。剣を得意として自分達を相手取る彼らの中に、まさかからくりを作れるものが居るとは。
「そっちみたいな危なっかしいものじゃないから、殺戮云々は興味ないよ。……そう、それで、組織で一番この方面に精通しているだろう、君の頭の中を見てみたかった」
それだけ、と彼は秘め事でも告げるかのように、囁くように言う。
「案の定、参考になったよ。ありがとう」
長衣が靡いて、その退散を悟った瞬間、ミクは、声を上げていた。
「待って!」
それは、自分でも抑えられない──言わば、衝動であった。
素直に振り向いた男が、不思議そうに首を傾げる。
真っ白な頭で放った台詞は、恐らく、相手以上に不可解なものだったに違いない。
「ねえ、あんたの名前は?」
「名前?」
だが「ミク」という、一人の人間の腕を買って訪れてきたということが、急に有り難く思えたのである。
そのとき、多少なりとも、不安定になっていたのは認めざるを得ない。どれだけ真剣な顔をしていたのか、男がその言動を嘲らなかったのは、幸いだったと言える。
「……名前、ねえ……九〇?」
「きゅうじゅう……って、それ、番号じゃない」
「それ以外に心当たりがないんだから、仕方ないだろ」
「あんた、もしかして……名前、ないの?」
「そうかもね」
単に名乗るつもりがないと考えることもできたが、彼が何かを隠し立てしている様子はないと断言できた。
根拠はないし、個人的に、彼を深く知っているわけでもない。
だが、妙に浮世離れしたこの男が、いちいち名前を隠すような──警戒心の強い人間とは思えなかったのだ。
「さて……用が済んだら長居は無用。悪いけど失礼するよ、貴重な資料をどうも、深玖さん」
敬礼して恰好付けたあとに、出入口とは反対側へ歩いていく。
「じゃあね」
少し力を入れて押すと、混凝土の壁が、立ちどころに「崩れた」。
どういう細工をしていたのかは分からないが、ここへもそうして侵入してきたのだろう。
ひらりと闇の中に飛び出して行った彼を追って大穴を覗いても、人影などどこにも見当たらない。まるで、夜に溶けてしまったようである。
しばらくそうしていたミクは、吹き込んだ冷たい風に身を縮めて、ようやく現状に気付いた。
侵入しましたと言わんばかりに開けられた空間と、瓦礫。
自分は少し席を外していて、戻ったら既にこの状態で、この書類は持ち歩いていて──ということで、果たして誤魔化しきれるだろうか。
例の書類を胸に抱き締めて、ミクは嘆いた。
「もう、なんなのよ」
反面、『組織で一番──』と言ってくれた声が、頭から離れない。長らく忘れていた嬉しい気持ちは、妙にくすぐったく、落ち着かず、内側から頬の筋肉を緩めていく。
ふと、覚えにないなにかが目についた。
瓦礫をかき分けてみると、出てきたのは、立派な太刀。
自分のものではないとなると、これは──。
「……まさか、忘れて行ったっていうの?」
なるほど、これでこんなことを……納得すると同時に、本気で呆れた。
何度も言うが、先に敵だと宣言したのは向こうである。
そのくせ、ぺらぺらと事情は話すわ、簡単に名乗るわ、挙句忘れ物なんて有り得ない。
「九〇……さしずめ、クオ、かしら……」
長い髪を夜風に遊ばせて、彼の消えた方を眺める。
さすが、特殊兵士だけあって相当腕がたつようだった。
呼吸すらうまくできない、あの緊張を思い出して、ミクは深呼吸する。
重い太刀を抱えたまま、辺りを見回した。
──さて、これはどこに隠しておこうか。
彼ならば、ひょっこり忘れ物を取りに来ることもありそうである。
これは、期待なのだろうか。
実におかしな話だが──また会えたら、なんて、そんなことを考えている。
「からくりを作ってるって言ってたわね。警察のくせに」
物騒な人形を作るのが自分なら、凶器を振り回しているのが向こうだ。
自然と、手が「人形」へと伸びる。少女の姿をした、残忍な殺戮人形。
ここで手がけるものは何から何まで他人を傷つけるばかりで、愛着など湧くはずもない。
それは、これとて例外ではなかった。
「……変な奴」
説明 | ||
またはあるであろう、邂逅 *自己解釈SS *原曲(sm13313111) *サムネは嫁に頂いたイラストを使用してます |
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