ラムネ
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 よく晴れた夏のある日。

 いつも愛用している帽子と服に着替えた僕は、いつもの場所に来ていた。

 腰につけてある手作りのキーホルダーの所在を確認するのが、最近のクセになっている。

 そして──僕は今、困っていた。

「あ、あ……」

 高台にある住宅の造成地の一角にある公園。そこには大きなジャングルジムがあり、そのてっぺんは僕の特等席だった。

「あの!」

 悲しい時や嬉しい時、色々な気分の時。ここから眺める街の風景が、僕は好きだ。

「聞こえてないのかな?」

 特等席に座ってる人物は、下からなのでどんな人かよく分からない。

 しょうがなく、僕はジングルジムを登ることにした。

「すいませ──」

 先客の横へと並び、先ほどと同じように声をかけようとして、そのまま言葉を失ってしまう。

 まず先客の正体は意外にも、女の子であった。それもかなり可愛い。いつも不法に占拠するのは同年代か、年上の少年たちだったのだ。

 彼女は白いワンピースに、日焼けした麦わら帽子を身につけ、片手にはラムネの瓶。

 そして──その顔は、涙で濡れていた。

「何?」

「い、いや、その……」

「ごめんなさい。ちょっと、一人にさせて」

 自分が泣くことは多々あって慣れている僕だが、女の子がこんなにも間近で泣いているのに、ただオロオロするばかり。

 しばらくそうしていたが、僕はどうすることも出来なかった。ただ、彼女の横で街を眺めるだけ。

 どれだけ時間が経っただろうか。五分、十分、三十分か──沈黙に耐えれなくなったのか、向こうから声をかけてきた。

「……ねぇ」

 緊張で、自分の心臓がまるで壊れてしまったかのようなくらいドクドクと鳴っている。

 出来るだけ平常心を保ちつつ、返事を返す。

「な、なな何?」

「ここ、良い景色だね。風も気持ちいい……」

 気が動転して気がつかなかったけど、彼女の声はとても綺麗だ。

「うん。ぼ、僕のお気に入りの場所なんだ」

 この高台からは、僕の住んでいる街が見える。買い物客で賑わう商店街、夏休み中で閑散としている小学校、川原で楽しそうに遊んでいるみんな──街の全部が見える。眺めているだけで、穏やかな気分になれる。

「君って」

 彼女は手に持っていた瓶を傾けながら、こう言ってきた。、

「……君って、ラムネのビー玉みたいだね」

「え?」

 意味が分からず、僕は口を開けたまま頭を混乱させた。

 ただ、それは彼女なりの褒め言葉だったらしい。

「ビー玉ってそれだけだと、ただのガラス玉なの」

 太陽に向かって瓶を掲げながら語るその姿に、思わず魅入ってしまう。

「でも、シュワっとした透明の液体の中にあるだけで、ビー玉は宝石以上に輝くの」

「……」

 いつの間にか彼女は瓶では無く、僕を見ていた。

「ありがとう。一緒に居てくれて」

「え、あ、うん。どうも……」

 顔が赤くなっていくのが分かる。

 思えば、人生でこれほど女の子と一緒に居た時間があっただろうか。お礼を言われたのも、久しぶりかもしれない。

「私ね、もうすぐ遠い遠い所へ行くんだ」

「遠い所?」

「うん。だから、最後にこの街を見ておきたくて」

「それじゃ、今日は譲ってあげるよ。ここ、僕の特等席なんだ」

「ふふっ、ありがとう」

 初めて笑ってくれた。それだけで、どうにも胸がつまるような想いがする。

 しばらくはそうやってどうでもいいような、でも何物にも変えられない大切な時間を過ごした。

 くだらない話をすれば彼女は笑ってくれ、その度に僕も嬉しくなる。

「先生がその子に向かって『お前はもう死んでいる』って言ってね」

「先生、凄い変な人なのね──あっ」

「ん?」

「そろそろ、時間みたい」

 ふと空を見ると、さっきまで頂点にあった太陽も、すっかり山の向こうへ隠れようとしている。

 もう夕方、僕たちは家へ帰る時間。

「そうだね……ま、また、会えるかな?」

 無理だ。

 彼女はこれから、遠い所へ行ってしまうのだ。

 もう──会うことは無いだろう。

「会えるよ」

「……」

 そんな僕の心を見透かしたように、彼女は微笑んだ。

「きっと、いつか。そしたら、また特等席貸してくれるかな?」

「うん、いつでも貸してあげるよ──あ、そうだ!」

 自分の腰につけてある手作りのキーホルダー。これは工作の時間に作った、僕の宝物だ。

 チャチで絵柄も歪んでるプラスチックの飾り。それでも自信作には間違いない。

「これも貸してあげる。大切にしてるんだ。だから、」

「うん」

「だから、絶対いつか返しに来てね」

 頬を伝う、暖かいモノ。それはよく知っている。悲しい、悔しいモノならいつも流していた。

 でも違う。これはもっと違うモノなんだ。

「うん、絶対返しに来るから。私からも、これあげる」

 彼女はラムネの瓶を押し付けるように僕に渡すと、涙で濡れている頬に触れるかどうか分からないくらいの、軽い口付け。

「またね!」

 そのままジャングルジムを飛び降りると、一度も振り返らず彼女は走り去っていた。

 僕もまた、ラムネを胸に抱えたまましばらくはそこで、街を眺めていた。

 

 

 それから僕は毎日、高台にあるジャングルジムから街を眺めるのが日課となった。

 いつも学校が終わると、家に帰る前にここへ寄ってしまう。

 何も無かった造成地も今ではたくさんの家が立ち並び、さらに新しく増えていく。

「ふぁぁ……寒い。それにもうすぐ受験か。嫌だなぁ」

 学校で教師が口煩く喋っていたことを頭の隅に追いやり、今日もまた公園を目指す。

 前まではかなり長く感じていた道のりも、今では家から徒歩十分というお手ごろな距離になっていた。

「ん?」

 何も変わらない普通の毎日。それはまるで、ラムネの無いビー玉みたいなものだ。 

 でも、本当に何も変わらないのだろうか。変わってないのは、ただ自分が変わろうとしてないからではないか。

「誰か居る」

 きっかけがあれば良い。かつて、僕もあるきっかけで少し強くなれた。

「おい、そこに居る奴。そこは僕の特等席だぞ!」

 ジャングルジムの上に座り込み、堂々と季節外れの瓶ジュースを飲んでいる人物に、僕は声をかけた。

「知ってるよ!」

 そう笑顔で振り向いたのは──僕にとってのラムネだった。

 

 

 終。

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淡い一つのボーイミーツガール
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