夜から夜まであなたといたい |
お日様が高くのぼっているある日に、バルログは故郷のスペインから旅立ちました。
行き先は中国、バルログには今までえんの無かったアジアのたいりくです。バルログはアジアのことを山や森の緑の深い、しずかな場所としか思っておらず、最初はそこで生活できるのだろうかと心配になっていました。
ですが、彼にはたいせつな任務があるのです。家にとどまって自分とたわむれたい気持ちをおさえ、行くしかありません。
バルログに任務をくだしたのはシャドルーのそうすい、ベガさまです。シャドルーは麻薬を売りさばく、たいへん大きなシンジケートです。初めはその怖さがわからず、どんなに手まねきされても協力を断っていたバルログでしたが、ついにはベガさまがお家にやってきていくつもの鏡を割ってしまいました。ベガさまは怖いお人です。やめてくれとどんなに頼んでも手を止めてくれません。
やがて部屋のさんじょうを見ておられなくなったバルログが諦めて手鏡をせいりしていると、ベガさまが
「私に協力すれば 何枚でも鏡を買ってやろう」
と言い出しました。自分で割っておいてこの人は何を言うのだろうとふしんに思う気持ちをおいやり、バルログはしぶしぶうなずきました。このままでは世界各国からあつめにあつめた七百枚の手鏡ですらこわされてしまいます。それだけはごめんでした。
中国に行ってまず最初にすることはホテルを予約し、別のシンジケートの幹部とせっしょくしたあと、新しい麻薬のデータを受けとってシャドルーへ送信することです。
ベガさまはいつも忙しく世界をとびまわっている方ですから、そうやすやすとは取り引きにあらわれません。たいていは数人の部下にお仕事をまかせ、せんようきでとんでいってしまいます。
しかし、ヨハネスブルグや中国に向かった何人かの部下たちが物とりやゆうかいの被害にあって一向に帰ってこないのもまたじじつなため、今回はバルログのように強い男の人が取り引きに向かわねばなりませんでした。
「これが終わったら 鏡をべんしょうさせてやる」
ひこうきにゆらゆらとゆられ、バルログは心に決めました。
取り引きに来た人たちはみないちようにバルログを恐れ、誰も彼のそばにちかづこうとはしませんでした。それもそのはず、バルログはするどい鉄の爪をはめているからです。
護身用なのか飾りものなのか判断のついていない彼らは早く切り上げてしまいたいと思い、お金と書類のやり取りをかわすとさっさといなくなってしまいました。
「取り引きとは こんなにもうすっぺらいものだったろうか……」
いぶかしげに眉をひそめても、もう終わってしまったものはしかたがありません。すぐにパソコンを立ち上げてデータを送り、電話でベガさまにごほうこくすると、この間のことが嘘のようにほめられました。
「そちらに迎えを出す ただちにきかんせよ」
「りょうかいした」
連絡も終え、いよいよ帰国の準備です。荷物をまとめ服をととのえ、あとは迎えを待つだけになりました。
「スペインとは まったくちがう文化を持っているのだな」
眼前に広がる繁華街のあまりのまぶしさに、彼は目をほそめました。そういえば、中国に来てからまだ半日しかたっていません。当初はしばらく滞在する予定だったのにどこで計画がおれてしまったのでしょうか。
バルログはもう少しだけ歩いていたい気分になりました。
「お兄さん」
色とりどりのお店のそばを歩いていると、後ろから怪しい男がしのびよってきました。
「カッコイイお兄さん かわいい女の子 買わない?」
異国からやってきた男性はいつだってぼったくりのたいしょうです。こういう輩はかわいい女の子をあてがったあと、法外なねだんをせいきゅうし、やっと国に帰れるていどのお金しかのこしてくれない人たちです。もちろんそれを知っていたバルログは――
「いらん」
ぶあいそうに、すっぱり断りました。しかし怪しい男はあきらめません。
「お兄さんなら 女の子に 大人気になれるよ 女の子も よろこんでくれるよ」
「いらん」
「そう言わずに」
怪しい男が食い下がるので、彼はついうっかりして言ってしまいました。
「私には 私がいる きさまのかこっている女より 私のほうが美しい」
怪しい男はびっくりしてかたまってしまいました。バルログの腕をつかんでいる指が力をうしない、今にもたおれてしまいそうです。
「お兄さん」
怪しい男がささやきます。
「麻薬 やってるの?」
それを聞いたバルログは持っているトランクをふりかざし、黒髪のふさふさした脳天にいちげきおみまいしてやりました。がつんとすさまじい音がひびき、怪しい男が地面にめりこみます。
すると、怪しいお店から何人もの男たちがとび出し、彼目がけておそいかかってくるではありませんか。
「まずいことになった」
状況をはあくするとだっとのごとく逃げ出しました。ふだんなら切りきざんですておいているところでもここは中国です。異国の地で人をころすことなどできません。万が一指名手配犯になってしまってはスペインの名に傷がつきます。
「どこまで 追ってくる気だ」
街を抜け、川を三つ渡り、小さな山を超えて後ろをふり返っても、怪しい男たちは鬼のぎょうそうで追いかけてきます。もしつかまれば肉まんにされてしまうでしょう。そんな美しくない姿にはなりたくありません。
「もはや これしかあるまい」
バルログは腹をくくって森の奥へとわけ入りました。
季節は夏がはじまったばかり、深い森林を発見することなどぞうさもありません。これには怪しい男たちも手をやいたらしく、わさわさとした森の半ばまで来ると足音に耳を立てるものはもういませんでした。
「うまく まけたようだ」
満足したようすで汗をぬぐいます。あとは元来た道をたどり、ベガさまのところへ帰るだけです。
「しまった ここは 樹海か」
方々を半日ほどさまよい、木々の海と言われるだけある広大さの真ん中にぐったりとすわりこみました。
時刻はもののけもはびこる深夜。ほうほうと鳥の鳴き声がぶきみにこだまします。とても今日中には帰国できそうにありません。
「こんな場所でそうなんするなんて 一族の恥だ 母さんに申しわけが立たない」
バルログはおいおいと泣いてしまいたくなりました。
ですが、彼は美しく強い男です。こんなところでくじけるわけにはまいりません。気を取りなおして、樹海から出る方法を探しに行きました。
それから四日間は歩きとおしたでしょうか。
アリやカや、何だかよくわからない虫がかさかさと靴下をのぼってくる前にふみつぶすことにはもう疲れ、へとへとになってしまいました。
「ここは どこだ」
頼みのつなのきのこはたくさんあります。しかし人間の家はどこにもありません。
「ここから生きて 帰れるのだろうか」
あまり悪い方向へものごとを考えてしまうのはいけません。それはわかっていました。だからバルログは無心に歩きつづけます。
どろだらけになりながら草をふみこえ、かれ木をまたぎ、つるをちぎり、鳥をしとめ、きれいな葉っぱで寝どこをこしらえている内に、大きな大きな川に行きつきました。天然のしぶきが肌をいやします。
「ああ 川だ やっと体を洗える」
大よろこびで川にとびこみ、冷たいきらめきでどろやよごれをきれいに洗い流すと、すっかり気持ちがおちつきました。
しかし、あまりにもおちつきすぎたため、急流に足をとられて流されてしまいました。
「また まずいことになった」
下流へ下流へとどんどんおされ、きしに上がることさえ叶いません。いっしゅん「このまま流されていけばスペインへ帰れるのではなかろうか」とさくらんするぐらい上がれません。いけないいけないともがいたとたん、彼は重たい流木に頭を打ちつけて気をうしなってしまいました。それが森の中での最後のきおくです。
気がついたとき、バルログはあたたかなふとんの上に寝かされていました。
古いストーブの上に乗せられたやかんがしゅうしゅうと音を立て、かわいた唇にやさしさをそえています。あたりを見わたすと、ちゃんと人の手が入ったたてものだとわかり、窓のむこうからも人どおりがうかがえます。流された時にできたあちこちの傷も、ていねいに手当てされていました。
「助かったのか……」
ぽつりとつぶやきますが、家の中にはだれもいません。
寝かせてくれた人も、ほうたいを巻いてくれた人も、お茶の準備をしているはずの人も、みんなどこへ行ってしまったのでしょうか。
「私の蛇を 恐れているのだろうか」
そう言ってむなもとに手をそえるバルログのひょうじょうは暗く、どこからどう見てもかたぎの人間ではないのに助けられてしまった今、もしかしたらけいさつにつき出されてしまうのではないかと考えました。
「いつまでも ここには いられない」
いったい何時間ねむってしまったのだろうとしゅんじゅんする一方で、かわかされた靴や服をさがし、手際よく着替えると、家の戸を開けて一歩ふみ出しました。先ほどまで雨がふっていたのでしょう。地面はしとどに濡れ、あちこちに水たまりをつくり、普段の彼なら足のふみばもありません。しかも、思いのほか日差しが強く、金髪がどんどん熱をもちはじめます。
「うっ……」
とつぜん空気のちがう場所に出て吐き気がし、がっくりとひざをついてうめきました。
そういえば、もうずいぶんとまともに食べていません。今の体力でこの反応をするのはとうぜんのことでした。
「なんと なさけないことだ……」
「大丈夫?」
肩口からかけられたすんだ声。バルログは思わず声のしたほうを見上げました。ぬれたような瞳がバルログの顔をじっとながめています。
世にも美しい女性でした。はれたばかりの空の下で、まだうっすらと雨つぶを身にまとう姿は、いくおくもの星をちらしたようにすてきなこうけいでした。
「あなたは おぼれていたのよ いきなり うごけるはずがないわ」
彼はまばたきも忘れて、その女性の全身を見つめていきます。
きっちりとまとめ上げられたなめらかな黒髪。ほどよく日にやけた健康的な顔色。目が覚める青をしたチャイナドレス。それに、ほそい手としぼられたウェスト。さいごに見たのはすらりとのびる長い両脚でした。
「君が 助けてくれたのか」
「そうよ 今お茶をいれるから 中に入ってちょうだい」
手を引かれ、やわらかなざぶとんに腰かけるように言われたあと、彼女がわかしてくれたお湯でお茶を楽しみました。久方ぶりに口にする飲み物は熱く、波立っていた不安もしずまっていきます。
「あなた どうして川から流れてきたの? そうなんしたとしても 何だかおかしいわ」
バルログは目の前の女性をながめました。大きな瞳にけいかい心やかいぎの念はなく、凛とゆるぎない黒曜石色が不思議そうにまたたいているだけです。
しかし、どこからどう切りとっても大まじめにそうなんしているにもかかわらず、うんともすんとも答えることができません。
聞けば、春麗と名乗るこの女性は刑事ということではありませんか。よくよく思い出さなくとも悪いことばかりしてきたバルログです。夜な夜なひがいしゃの夢の中にあらわれては鏡ばかり見ていてこんわくされるバルログです。おとなしくそのけいいを話しておなわをちょうだいするわけにはいきません。それに、こんなに美しい女性に出会っておきながらおとなしく帰ってしまうのも、とてももったいない気がしました。
もう少し春麗のとなりですごしていたい、そんな心が芽吹いたのです。
「春麗 君は 独り身か」
「ええ それが どうしたの?」
「私と 結婚してほしい」
「え?」
彼女はすっと立ち上がった男のうわぜいの高さにおどろいたようでしたが、すぐに先ほどと同じひょうじょうにもどりました。
「いいわよ でも 私の村で はたらいてくれる?」
「君の 村で?」
今度は彼がおどろきました。
今の今まではたらくと言えば、シャドルーのおつかいに出たり、モデルになったり、きぞくをしゅざいする人に読み聞かせたり、きんにくのたっぷりとした牛を切りわけたり、それぐらいしかありません。
それでも春麗をやしなえるほどにやっていけるでしょうか?
「人手がたりなくて こまってるの」
少々なやんでいる間に重ねて言われ、彼はしっかりとしょうだくしました。
「しかたがない いくらざんこくな私でも 妻の頼みは断れない」
そうしてバルログと春麗の新婚せいかつがはじまりました。
バルログは彼女がインターポールでの捜査におもむく間、いくつかの仕事をまかされることになりました。
バルログは春麗のために朝はいつもよりも早くおきて、夜は帰ってきた春麗いがいのみんなが寝しずまったころ、彼女としずかにお茶を比べ、おかわりのお茶をひとつだけだしてベッドでねむるのでした。
そのほかにも、バルログは毎日毎日だいどころにひつような器具をそなえつけたり、数少ないかんぽうのちょうごうをしたり、おいしいお茶の葉っぱをつんだり、夕食につかうニワトリをしめたり、天然のひりょうをつくってくれる牛のせわをしたり、親戚の結婚式に出すブタをかいたいしたり、食用のサルをテーブルにくくりつけたり、自分でしとめたトラの皮を刃ものではいだり、てっぽうを持ったままシカを追いかけたり、とてもきちょうなざざむしの重さをてんびんでたしかめたりして、春麗の村でたくさんはたらいていました。
彼がいっしょうけんめいはたらいているうちに、あっという間に数日、数週間、数ヶ月がたちました。
夏においしげったあざやかな緑も今ではきれいなオレンジに色づき、実りの秋がやってきたことをしんしんとしらせています。
外におかれた木の長いすに春麗とならんですわり、お茶とおだんごを楽しんでいると、バルログは季節のかわり目を強くかんじました。じゅんぱくの湯のみの中におさまったこげ茶色の飲み物のひょうめんに、木々からまいおちたイチョウの葉のざんぞうがうつります。横にしせんをなげかければ、そこにいる彼の奥さんが山々のいろどりにかんどうして、ほほえんでいます。
おだやかで、やすらぐ日々でした。人が聞けばうらやむくらいでした。妻もたいへんに美しく、彼女といることにたいしての不満はいっさいありません。こうしてかたわらにいると、何もかも忘れてしまいそうなほどに……。
しかし、ある日ふと、「私は 何をやっているのだろう」と考え、ちょうりばを抜け出して山奥にたたずむベガさまの基地へ帰ってしまいました。
「いままで 何をしていたのだ」
久しぶりにお会いしたベガさまはたいへんふきげんでした。ごつごつとした岩のようなかんばせに深いシワをつくり、地のそこからひびくような低い声で頭からしかりつけます。
「きさまを 迎えに行った部下が また行方不明になったぞ」
ひらひらとなびくマントがつくりだす影の中にいるバルログは、しょんぼりした顔のまま口をつぐみ、ひとことも話そうとはしません。正座した足がしびれだしても、びどうだにもしません。
「なんの申し開きも 無いというのか?」
「私は 言いわけなどという みにくいまねはしない」
そうつぶやいたバルログは夜からつぎの夜までずっとしかられてしまいました。
そのままにされていた自分の部屋にくたくたになってもどると、あまりにもしずかな夜のとばりにとても心がおちつきます。どうじに、なんだかさみしい気持ちになってしまうのでした。妻のやさしげなえがおが目の前にあらわれてきそうなのを、まぶたを閉じてぐっとこらえ、ゆっくり立ち上がります。
「私には いけにえの血がひつようなのだ」
おとした言葉は重みを持ち、深いおうのうがただよってきそうでした。
毎夜、春麗の枕元に立ってその首すじをながめていると、どうにも解しがたいよくぼうがふつふつとにえたぎってきます。彼女をころしてしまいたいのだと、美しいえものを切りさいてしまいたいのだと、気づくまでに三十秒もかかりませんでした。
その殺気をおさえるためにニワトリのしめ方を教わっても、やはり夜になるたびに衝動はよみがえるのです。彼女のやさしさではこの男をかんぜんにはいやせません。
「やはり私には しょうりをえて流される えものの血こそがふさわしい。
私のいるべき場所は たたかいの場をおいて ほかに無いのだ。
たたかい しょうりし 世界中のだれよりも美しくなる。
私は 私でいるために たたかいつづけねばならん」
深くうなずいた横顔。それは仮面の貴公子にほかなりません。
「妻とのせいかつは おだやかで 幸せなものだった。
だが 闘志をうしなったかりうどなど ただのおろかな男にすぎん」
とおくはなれた中国に向かい、仮面をとりもどしたバルログはささやきます。
「さらばだ 春麗 美しい女よ――」
「いったい どこに行ったのかしら」
空になった湯のみを前にして、春麗は不思議がっていました。
今朝方になっていなくなった夫をあちこちさがしましたが、その姿はどこにもありません。まるで、霧がさってしまったかのようです。
「ざざむしの梱包を 頼んでおいたのに」
彼はいつもいやがりましたが、バルログのざざむしの重さをはかる腕は天下一品とたとえてもいいほどでした。今ではだれもざざむしの重さをはかれません。村の人はとてもこまっていました。
開けはなしたままの戸口に目をやっても、顔を出す気配はありません。
「でも そのうちもどってくるわ。
だって そんな気がするんですもの」
そう言ってだいたんにわらう春麗は、やはり彼の思ったとおりに美しいのでした。
また、夜が明けて太陽がのぼってきます。
それはきらきらとまぶしく、あたりを照らし上げていました。
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童話調のバルログ×春麗。二人の新婚生活やらベガ様やら葛藤やら。2009年のゲスト原稿。 | ||
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