コラージュ |
兎は老兎であり、老兎であるからには足を痛めていて、当然、写真家であった。
足を引き摺るようになってどれほどの時間が経ったのか、兎はよく覚えていない。
けれどその足で二度と、あの頃のように、鮫の背中を走り回るようなやんちゃもできなければ鳥のように自由に空を跳び回ることができないことも知っていた。
なんてことはない。これまでの兎たちがそうであったように、やはりこの老いた兎も、歳には。積み重ねられた年月には勝てなかったというまでのことだ。
兎は別段そのことを、悔やんでも恨んでもいなかった。
いや、兎にとっては、悔やむことでも恨むことでも、そもそもなかった。
兎は老兎であり、老兎であるからには自分もまた自然の一部であることを理解していて、今はただただ流れる月日に身を預け、首から下げた黒く小さな写真機で、風景を切り取り続けているのだ。
兎の写真の腕前は、実際の所、大したことはない。
いや、むしろ、平凡な構図。ありきたりな題材。のっぺりとした色合い。いつも少しだけぶれる焦点。他にも数えあげればきりがないほど、一般的で、平凡で、特筆することもない、取るに足らないものであった。
けれど、そんなことは兎にとってはさしたる問題ではなかった。
兎は老兎であり、老兎であるからには視力も徐々に衰え、赤目がちのその瞳が写す世界は朧がかったような風合いになり、それもまた自然をとらえる兎の心持ちの一つに他ならないからである。
加えて、今やこの地上には、兎の写真の出来などを気にする生物は、少なくとも兎の手の、目の、耳の届く範囲にはほとんどなく、唯一の友である蛙はただただ((下戸下戸|ゲコゲコ))と鳴くばかりで、鳴き声の如く下戸である蛙とは、酒を呑もうにも盛り上がらず、せめて((大蛇|うわばみ))さえこの地に残っていてくれさえすればと、一人哀しく盃を逆さにする毎日であった。
つまり、兎は寝過ごしたのである。
競い合う亀すらいないのにもかかわらず、哀れなる兎は老兎であり、老兎であるにも関わらず眠りが深く、この地を離れる箱舟に乗るたった一度の機会を寝過ごし、地上に残ったのである。
いや、或いは、老い先長くない身を思い、自らの身よりも若い命を、先のある未来をと思い、潔く身を引いたのやもしれぬ。
しかしその感情を忘れるほどの月日が経ち、その感情を忘れるほどは月日を生き、今はこうして、一人、写真機で世界を切り取り続けているのである。
ずり、ずり、ずり。
ずり、ずり、ずり。
世界は相変わらずの夜であり、空には不気味なほどに青白い、大きな円を((描|えが))く月が、天に開いた穴のようにぽっかりと、地上を照らしている。
若かりし頃は美しく絹のようであった漆黒の毛皮の面影は最早なく、白髪が斑に交じり、毛並みも乱れ、引き摺る足には土が付き、けれどそのような瑣末な事象には目もくれず、兎は、ずり、ずり、ずり。と、歩みを進める。
人が告げずとも、暦が読めなくとも、風が、川が、草が、土が、月が、自然が、兎に告げるのだ。
時は近い。月は満ちる。餅をつけ。酒を盛れ。祭りの時だ。舞え。舞え。舞え。と。
すなわち、中秋の名月である。
そして、老兎は、足を引き摺り々々々々、写真機を片手に、一つの決意をするのである。
月へ飛翔してみせようと。
老いた足。老いた耳。老いた目。決して届くことのない月。
けれど、兎は決意するのである。月へ飛翔してみせようと。この足で大地を蹴り、この耳で大気を裂く音を聞き、この目で月の地表を見てやろうと。
或いは、本能のどこかが。自然の何かが兎に、次の中秋の名月が最期だと。もうそれほどにお前は老いているのだと、兎に語りかけているのやもしれぬ。
けれど、その動機が何であれ、兎は決意をしたのだ。
足を引き摺り、耳を垂れ下げ、赤目に映るその月がいくら霞んでいようとも。
兎は老兎であり、老兎である前に、一匹の兎である。武器は、己の老体と、首から下げた黒く小さな写真機。
よってこれは、兎による反逆史である。取り残された兎の、最後の意地なのだ。
((下戸|ゲコ))、((下戸|ゲコ))、((吐瀉|ゲロ))、((吐瀉|ゲロ))、((寓話|グウワ))、((愚話|グワ))。
((下戸|ゲコ))、((下戸|ゲコ))、((吐瀉|ゲロ))、((吐瀉|ゲロ))、((寓話|グウワ))、((愚話|グワ))。
兎の決意を聞いた蛙は、いつもの調子でそう鳴くだけであり、兎はその返答を予期するまでもなく知っていたため、感慨もなく、杯を一人煽る。
そも、この友人は言語を持たない。兎の言葉を理解しているかさえ定かではない。
けれど少なくとも箱舟に乗らず、この地に自らの意思で残った変人であり、住む世界は違えど、月を見、跳ねる同志であり、同時にただ一人の友人である。
酒も呑めず話も通じぬ輩ではあれども、いや、だからこそこうして互いに齟齬もなく、関係を維持できているのやもしれぬ。
「月までの道のりは幾らだろう」
呟くように兎は言う。
「いやはや、困ったものさね。この歳になるまで一度も、月までの道のりなど考えたことも無いのだから、まったく。先祖が月にいた同志。何かいい手段はないものかねぇ」
「((寓話|グウワ))」
「なるほど。確かにソレは寓話やもしれぬ。あの月に、私や君がいたとはやはり、絵空事の寓話であろう。けれど、ならば、君。私が月に行こうという考えは、もはや寓話ではなく科学ではないか。今や世界は科学の時代だ。我々がそれに取り残される道理はないであろう」
「((愚話|グワ))、((愚話|グワ))」
「なるほど、なるほど。確かに我らは箱舟に取り残された同志であり、世界にも取り残された同志であろう。ふむん。まったく、君の言う通り、これほどの愚かな話はないだろうねぇ」
「((下戸|ゲコ))、((下戸|ゲコ))」
「なあに、私が下戸だって。馬鹿を言ってもらっちゃ困る。これでも私は素面だよ。酔っちゃあいないさ、こんなこと。こんなこと、酔って言える類の話じゃないだろう。御覧の通り、私は灰面をした素兎でさぁ」
「((帰|ケエ))ろ、((帰|ケ))ろ」
「ああ、ああ、そうさね。酔っちゃあいないがね。それは真によい提案で。いいかい、同志。私はね。君にひと泡吹かせてやろう。見事に月へと舞ってやろう。見ていろ、見ていたまえよ、君。必ずや、必ずやひと泡を」
「((吐瀉|ゲロ))、((吐瀉|ゲロ))、((愚話|グワ))、((愚話|グワ))」
「ああ、ああ、ああ、もう、確かに君は、ひどい下戸さ。酒を飲めば泡を吹いて、吐瀉もするだろう。けどね、けれど、そうじゃぁない。いいかい、必ず見ていたまえよ、月を舞おう。月にて舞うのだ。さもなくば、そう、今の君のように、私をそうして笑うがいい。愚かな話と笑うがいい。けれど、けれど、必ずや。必ずや私は――」
一夜はそうして酒の場となり、兎はいつしか酔い潰れ、蛙もひっそり眠りにつく。
残暑を吹き抜ける風が、どこかに秋を含んでいた。
起床するたびに兎の目に映るのは相変わらずの月の姿であり、それはすなわち夜であって、満月の日もそう遠くないことを如実に表していた。
兎にしてみれば、月の満ち欠けもその((理由|わけ))も、或いは餅をつくその理由さえ、どうでもいいものであった。
そも、先祖が月にいた頃についていたのは餅ではなく不死の薬であり、そのことを蛙に告げればまたもあの((濁声|だみごえ))で「寓話、愚話」と鳴くのであろう。などと考えているうちにも時は流れ、月はまた一歩遠くなるのである。
そのことに気付いてか。それとも単なる偶然か、兎は不意に写真機を月に向けると、パシャリと切り取るのである。相変わらずの面白みのない、月がただ月として鎮座するだけの写真。続け様に、二枚、三枚。どれも無個性で、無価値であり、けれど同時に、紛れもない月であった。
敵を知るにはまず、敵を知らねばならぬ。
そう誰ともなく兎は呟くと、更に、二枚、三枚、写し出す。
角度を変え、倍率を変え、風合いを変え、意図を変え、五、六枚。
池に映る月を写し、戯れに石を投げ入れ、水面を揺らす。
朧のかかった池の中の宇宙は瞬く間に崩壊し、波を生み、静まり、再度宇宙となる。
次善の策だな。
兎は一人ごちる。
月に行けぬとわかれば、最後は池に飛び込もう。
蛙はまた、笑うだろう。愚話愚話と得意げに歌うだろう。
だが、それでも良いのだ。中秋の名月であり、祭りである。月に行くなど戯言にすぎず、兎にとっても本当は座興にすぎないのだ。
けれど、もし。もし、本当に月に行けるのであれば。月の土を踏めるのであれば。そう願わずにはいられないのだ。
それは、或いは兎の本能なのやもしれぬ。
兎として生まれた宿命であり、それほどに月は兎には魅力的で、いつかたどり着くことを願わずにはいられない場所なのだ。
ああ、でも水の中だと、上手く舞えないなぁ。と、またも呟く。
いやはや、歳をとるにつれて、独り言が増えてきたものだ。
最近などは、蛙がいるのかいないのか。そんなことはお構いなしに話しかけているような気すらする。
やはり歳は重ねたくないものだ。
どこからか、蛙が鳴く声が遠く、小さく聞こえてくる。
くすんだ体を撫でる風は、やはり秋のにおいを孕んでいた。
暗室の中は独特の酢酸めいたにおいと、赤暗い沈黙に支配されているのだが、兎にとってはもう慣れたモノで、ついついと手際よく作業が進められていく。
なにせ、一秒のずれが生じればそれだけで写真の仕上がりに天と地ほどの差が出る作業である。
けれど兎にとって写真は、今や自分で眺めるためのモノでしか無く、たとい唯一の友人である蛙にソレを見せた所で、吐瀉吐瀉と鳴かれてしまうのが関の山だろう。
ネガの現像を終え、乾燥させる。
隣にもずらりと、これまでのフィルムがつるされている。
兎はその中の一つへ適当に手を伸ばすと、印画紙に光を焼き付け、現像液につける。
この瞬間が、兎にとってはどれだけ回数を重ねようが変わらない、一種の快楽の時であった。
何もない白い紙に徐々に浮かぶ切り取られた白黒の景色。
それは花であったり、月であったり、木々であったり、蛙であったり、意識して撮ったモノから無意識に撮っていたモノまで、それぞれの瞬間が、克明に映し出されるのである。
適当に手にした写真は類に漏れず、月の写真であった。
白と黒で構成された、月。
一枚では飽き足らず、二枚、三枚と月のネガを選び、印刷。
やはりどれも平凡で平坦ではあるが、それぞれに趣を変え、兎の前に姿を現す写真たち。
兎はついと老眼鏡に手を伸ばし、乾かしている最中の月を、舐めるように見つめる。
なにせ兎には、もう、コレしかないのである。
武器は小さな写真機と、自らが切り取った月の姿見。
こうして拙い手で切り取った月の写真から、わずかでも手がかりを探すより他にないのである。
月へと至るわずかな痕跡を。道のりを、小さな穴を。
けれど、兎はそこからは何も見つけることができない。
その後も数枚印刷をし、部屋につるし、赤目がちな目をさらに((真赤|まあか))にして。
それでも、月は変わらず一瞬の隙も見せず、いや、むしろ兎を嘲笑うかのような、それとも慈愛するかのような穏やかな瞳で、小さな紙面の中、静かに納まっているのである。
やがて、大抵の場合そうであるように、兎もまたどこか不思議なくらいの疲労を感じ、ああ、今日はこれまでかと呟くと、小さく寝息を立て始めるのであった。
赤暗い部屋の中には白黒の、嘲笑うような、慈しむような瞳の月が、いくつもいくつもつるされていた。
二日が過ぎ、三日が経ち、四日が走り去ったところで、それでも変わらず兎には、何ら勝算の糸口すら見えていない。
兎は老兎であり、老兎であることをこの時ばかりは恨んでみたものの、それすらどこか空しくなり、以後は大人しく、月を、星を、大地を、自然を写しては現像をする環の中へと没頭していった。
それと同時に兎には、こなさねばならぬ案件があった。
餅をつき、団子とするその作業は、今や兎のみが取り行える、中秋の名月というどこか儀式めいた月見に花を添える、重要な役割なのである。
そも、月見といえば酒であり、酒を呑むにはつまみがいる。
今や兎と下戸蛙しか存在しないこの地ではあるが。いや、この地だからこそ、宴の花として、肴として、餅はなくてはならないモノなのである。
そしてそれはつまり、名月までの日がもう残り少ないことを――兎の敗北が目前に迫っていることを――如実に表しているのだ。
今や暗室には百と十七にものぼる月がつるされ、故に二百と三十四にも至るあの瞳が兎を見下ろしており、けれどそこからは何らかの情報も発せられることはなく、まさに、天上の月のように、手の届かない光だけを、その内に宿しているのであった。
兎には焦りがなかった。といえば、それはもちろん嘘になるだろう。
だが、それでも、兎はどこか落ち着いていた。必ず勝機はあるのだと、無根拠に確信をしていた。
兎は老兎であり、老兎であるけれど、結局のところ、その天性の楽観性は消え失せることはなかったのである。
過去に鮫に毛皮をはがされようが、亀に歩みで負けようが、それでもなお、兎は等しく楽観主義であり、そのことに矜持さえ持っているのである。
だからこうして餅をつき、一人でそれを返し々々する姿を愚痴りながらも、月への道筋を、算段を、模索し続けているのである。
そしてふと、ここ数日は蛙に会っていないことを思い出す。
もちろん、酒の入った中とはいえ、あれだけの大見栄を張ったのだから、なかなかどうしてそう簡単に顔を出すことができない心情ではあった。
けれど、こう、数日にわたって顔を見せなかったことはてんで兎の記憶にはなく、まあ、だが、それでも、たまにあるかないかの機会だ。むしろ私が月へ行ったあかつきには、蛙は一人だけこの地に残されるのだから、その前練習と考えればよいだろう。なんてひとりごちて、不意に体を震わせる。
嗚呼。月とはもしや、ひどく孤独なのではなかろうか。
これまで百と十七の月を見てきたが、そこに生物の痕跡などもなく、何より、月に兎や蛙がいたなどというのは、お伽噺。
蛙の言葉を借りるなら寓話愚話でしかあり得ないのだ。
きゅぽん。
と。
兎は、兎自身の中の、何かが外れるような音を聞いた気がした。
けれどその音がなんであるか。今、老兎の心に芽生えたこの感情がなんなのかは、理解ができる類のものではなかった。
或いはもしこの場に人間がいて、兎は寂しくなると死んでしまうのだ。と告げられれば、その文面の通り、兎はここで死に絶えていたのやもしれぬ。
だがしかし、兎の経験が。兎のこれまでに連綿と紡いできた歴史が、それを寂しさだとは認識せず、また、兎自身に、兎は寂しいと死んでしまうという知識すらなく、よって、その言い知れぬ感情を抱きながら、ただただ、ぺたん。ぺたん。と、餅をつき続け、月を思い続けるのである。
吐瀉吐瀉と、どこか遠くで鳴く蛙の声を、老いた耳で拾いながら。
兎とて、いつでも寝坊をするわけではない。
むしろ兎は老兎であり、老兎であるからには眠りも短くなり、必然。中秋の名月を迎えるその日、兎は早くに目覚めたのである。
場所はここ数日ですっかり寝室へと化した暗室であり、暗室であるからにはやはり赤暗い沈黙が場を支配しており、その頭上には二百と三の月が掲げられ、四百と六の瞳は、相変わらずの色で老兎を見下ろしているのである。
すなわちそれは、兎の敗北であった。
いや、たとい兎があと百年をかけ、一億の月を眺めたとして、結果は変わらなかったであろう。
それほどまでに月は兎にとって圧倒的であったし、兎は老兎で、科学者でも天文学者でも物理学者でもなく、ただの写真家にすぎなかったというまでのことだ。
不思議と、兎に悔しさは無かった。
むしろどこか安堵のような、言い知れぬ感情が、くつくつと静かに腹の中で蠢いているのだが、それが何に由来するものであるかを、老いた兎には確認する術もない。
未だ真赤な寝ぼけ((眼|まなこ))を手で擦り、昨日現像しておいたネガを印刷する作業に取り掛かる。
一枚。二枚と印刷し、つるしては目を凝らし、けれどそこには何も見つけられず、また次の印刷へと戻る。
哀しいかな。実に二百を超える月の写真をここ数日で取り続けたのにもかかわらず、老兎の写真の腕前は一向に上達することなくこの日を迎えていた。
せめて。せめて腕前が上達でもし、最高の一枚が取れたのであれば、蛙にだって自慢を出来たであろう。
月の真の姿をこうして収めたが、なに。月は大したことがなくこうして戻ってきたのだ。と、虚を吐くこともできたであろう。
或いは、これから数年して、ああ、あの時に一心不乱に写真を写し続けたおかげで、劇的に成長したものだった。と、懐かしむことだってできたかもしれない。
けれど、現実とは得てしてそういうモノなのだ。
徒労は徒労で終わり、けれど本人はそれを徒労であるとすら気付かずに、((暖々|のんのん))と日常という積み重ねの一幕として、いつかは忘れてしまうのだろう。
と、兎は新たにつるした写真の一部に、目を向ける。
それは、なんてことはないただの月の、なんてことはない汚れであった。
概ね、寝ぼけ眼を擦った目ヤニが、感光時に交じりでもしたのだろう。
不自然に一部だけ白く抜かれた、現代芸術だというにもおこがましい、失敗作。
無論、兎だってそんなことは承知していよう。
だが、それでも、一度転がり出した想像は膨らむのである。
さては、あの箱舟は、月へと向かう箱舟だったのではないか。
そうして箱舟は昨夜、こうして月に降り立ち、これより先は月にて生を広げ、満ち満ちて、第二の楽園へと至るのではなかろうか。
兎は知らず、微笑んでいた。
その頬笑みがどこから端を発するモノなのか。やはり老いた兎には想像だにできない。
けれど、少なくともその想像に、ありえない絵空事に、善しと。それならば、万事が善し。と、太鼓判を押したのだった。
そして、そうだ、この写真を、あの下戸蛙に見せてやろう。一緒に悔しがり、一緒に喚き、呑めない酒を呑ませて、吐瀉吐瀉鳴かせてやろう。
いや、この写真だけではない。全ての写真を持ちだして、全ての写真を見比べて、寓話愚話と言われながらも、その痕跡を見つけてやろう。嘘を本当にしてやろう。本当を嘘にしてやろう。
なあんて、老兎らしくもなく、心を躍らせ空想を広げ、そうと決まれば納まりが悪い。残りの写真も現像せねばと、しこしこ作業に戻るのであった。
ずり、ずり、ずり。
ずり、ずり、ずり。
日増しに重さを感じるようになった足を引き摺り引き摺り。
けれど心はどこか軽やかに、兎は歩みをのろのろ進める。
空は一面の星で雲ひとつなく、月はいつもにもまして、不気味なほどに青白く巨大な円を天に描き、変わらぬ瞳で兎を見下ろしている。
写真は実に二百と十一枚になり、結局絵空事を詰め込む余地のある写真となると、先の一枚、それのみであった。
けれど、兎は老兎であり、老兎であるからには足を痛めていて、当然、写真家であった。
そしてそれ以上に、兎は老兎であり、老兎である前に、一匹の兎であり、下戸蛙の唯一の友であった。
たとい ((下戸|ゲコ))、((下戸|ゲコ))、((吐瀉|ゲロ))、((吐瀉|ゲロ))、((寓話|グウワ))、((愚話|グワ))。としか鳴けぬ友であっても、その友のためであれば、その友と楽しみ、杯を交わすためであれば、夢絵空事など、たった一つあればよいのだ。
蛙は中秋の名月は雨であるべきだ。などと愚痴をこぼすやもしれない。
空に映る月などまやかしであるなどと大言壮語を吐くやもしれない。
無論、蛙が話す言葉は、兎には伝わらないかもしれない。
けれど、それでもいいと思えるほどに、兎の心は晴れていた。
兎による反逆史などと息巻いていた過去を笑い飛ばし、そんなことよりあの箱舟は――。と新たな物語を提供すること。それこそがこの名月の肴であり、花なのだ。と、強く、強く、思っていた。
それにしても、静かな夜であった。
不気味なくらい、静かな夜であった。
ともすれば、この世界にはもはや兎ただ一人しか存在しないのではないかと感じさせるような、そんな夜であった。
ずり、ずり、ずり。
ずり、ずり、ずり。
足を引き摺る音だけが、夜空に吸い込まれ、消えていく。
ああ、蛙と会うのはいつぶりだろうか。もう、しばらく会っていなかったような気さえする。
ずり、ずり、ずり。
ずり、ずり、ずり。
蛙の声は、聞こえない。風の音すら、聞こえない。摺(ず)り摺(ず)り摺(ず)り摺(ず)り足を引き摺る音だけが、ただ、ただ、響く。
ずり、ずり、ずり。
ずり、ずり、ずり。
ずり、ずり、ずり、ずり、ずり、ずり、ず
足が、止まる。
池であった。
兎と下戸蛙が幾度となく語り明かしたいつもの池であった。
池は見事に鏡の体をなし、その湖面にはやはり、不気味なほどに青白く巨大な月が、写しだされていた。
「おい」
声を張る。
「おい、蛙」
返事はない。
「おい、蛙。私だ。兎だ。老いた兎だ。名乗るまでもないだろう」
「ここ数日はすまなかった。めっきり、自分事に打ち込んでしまってな」
「だが、聴いてほしい。なに? その前に月に行くのではなかったかと? なるほど。確かに私はそういったやもしれぬ」
「だが、そんなこと。些事にすぎぬ。そんなものより私は、より、大きな物語を持ってきた」
「全ての生物を、月へ運ぶ物語だ。老いたウサギ一匹が月に行くなどというちっぽけな話とはわけが違う」
「なあに、証拠はここにある。長い話になるだろう。だがしかし、今宵は名月。酒と団子ならここにある。無論、君が、下戸であるのは承知だがね。だが、たまには良いのではないか。なあ、君。たまには、不格好に、無様に、酔いつぶれて、吐瀉吐瀉鳴いて、愚話愚話言って、そんなことが許されるのが、名月だろう」
「なあ、おい、だから、そんなところで。まさか湖面に映る月の真ん中で、そうして黙って浮かんでなくてもいいだろう。なあ、ほら、こっちに来いよ。月の写真ならたくさんある。一つの月より、二百の月を愛でようじゃないか。ああ、そうだ、この月を見てくれ。この月こそが、先に私が述べた箱舟の鍵。物語の証拠なのだよ。なあ、ほら、君。こっちへおいでよ。なあ、君、一体どうしたって――」
不意に。風が起こる。
一瞬の、秋の風だ。
そしてその風はいともたやすく兎の手から写真を。二百と十一枚にのぼる写真を奪い、舞いあげ、水面へと。残らず投げ出すのである。
さあさ、見ものだ。大勝負。挑みますは、老いたる兎。跳び方忘れた、哀れな老兎。
されど、兎は((飛翔|とび))ましょう。武器は、己の老体と、水面に映る二百十二の月、月、月。
さよう、これは兎による反逆史。取り残された老兎の、最後の意地の飛翔であります。
さあさ、皆さま御立会。月へと((飛翔|とん))で見せましょう。
風が止み、水面は静まり、もはや聞こえるのは、兎の小さな吐息だけ。
そして、二百と十二の月のもとへと、
兎は――
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