「遙けき塔と白い君」第1章その3
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  *

 

 砂嵐が近付いていた。

 辺り一面から砂同士が擦れる音が聞こえ、まるで何か巨大な生き物に飲み込まれたような感覚に囚われてしまう。

 明かり取りの窓から見えた空は降砂でぼやけ、赤き月明かりが仄かに夜という時間を照らしていた。

 

 寝床の中で目を覚ましたとき、妙に風がうるさく、そして異様に静かだと思った。

 赤月の眼差しが、夜明けにはまだ時間があることを示していた。

 ゆっくりと寝床を這い出すと、隣から聞こえて来るはず寝息が感じられないことに気が付いた。

 嫌な予感が胸を過ぎる。

 どこに向かえばいいかは、なんとなくわかっていた。

 懸命に足を動かして、息が切れるのも構わず走り続けた。

 

 外は酷い砂風だった。

 風に舞う砂が体中を打ち据える。

 目を開けるのも困難な砂塵の空。

 その下に黄色い輝薔薇の灯りを見付け、叫んでいた。

 

「ジェイジーっ!」

 

 叫んだ愛しき者の名は、砂嵐の激しさに虚しくかき消される。

 どんなに呼んでも決して届かない。

 その事実を突き付けられて、瞳からは涙が零れだしていた。

 

 

 

 

 

 胸苦しさに息が詰まる。

 ゆっくりと目を開けると、東の空に昇る太陽の光がオーディの顔を照らしていた。

 

「……夢か」

 

 多少の頭痛を抱え、オーディは身を起こした。頬に走しる濡れた跡に気付き、気恥ずかしさに急いで顔を拭う。

 

「今更、あんな夢……」

 

 先程見た夢をオーディは鮮明に覚えていた。

 夢幻の類ではない。あれは確かに昔、オーディが体験した情景だった。

 たった四年前の出来事。あのときのことをオーディはまだ忘れられずにいた。

 

 そこは少し窮屈に思える手狭い部屋だった。

 寝台を除けば数個の葛籠(つづら)があるだけ。その飾りっ気のない殺風景な部屋はオーディの性格をそのまま表していた。

 

 血が体を上手く巡っていない。

 あまりにも悪い目覚めにオーディは、寝惚け気味に建家の裏手にある水場に向かった。

 戦士にあるまじき力無い足取りで辿り着いた水場には先客がいた。

 

「オーディ。起きるのが遅いねえ。もっとしっかりしたらどうだい」

 

「キルビ姉、胸隠したらどうだ?」

 

 水場ではキルビ・レニーが上半身裸で体を拭いていた。

 ふくよかな胸を晒したまま、隠そうなんて素振りを全く見せなかった。

 

「ガキの癖に生意気なこと言うようになったね。私で欲情するようになったかい? あんたももう十四だろ?」

 

「頼まれてもしないから、服着ろよ」

 

 戦士団『砂漠の雁』の団長であるキルビ・レニー。まるで姉弟のような関係であるが、血のつながりはない。

 それはクロエ族独特の浅黒いオーディの肌と妖艶な色気を出すキルビの白い肌を見れば一目瞭然だった。

 生まれ故郷の村を飛び出して、路頭に迷っていたオーディを拾い、キルビが面倒を見ているのだ。

 

「何だい、その口の利き方は。私に女の魅力がないって言うのかい!」

 

「はいはい。キルビ姉は充分お美しいです」

 

「けっ! これでも、昔は男達の視線を釘付けにしたもんだけどねえ」

 

 キルビの言葉をオーディは否定しない。

 もうすぐ三十路を迎えるキルビ・レニーは今でも確かに美しい。黙っていれば求婚者も大勢現れるだろう。

 ただし、彼女が『砂漠の雁』の団長であることが示すように、キルビ・レニーは歴戦の猛者であった。

 素人目にはほっそりした体付きは、見る者が見れば無駄のない引き締まったもので、力強い筋肉に裏打ちされたしなやかな体だった。並の男ではキルビの相手は務まらないであろう。

 

 

「オーディ、久しぶりに稽古つけてやろうか?」

 

 やっと服を着たキルビが濡れた手拭いを投げて寄こす。オーディはそれで顔を拭いた。

 

「折角、体拭いたんだろ? わざわざ汗かいてどうすんの」

 

「ほ〜。オーディはいつの間に、戦技の師である私に汗をかかせられるほどに上達したんだい?」

 

 キルビは三白眼をオーディに向ける。そういう目をしたときのキルビが冗談では済まないことはよく知っていた。

 

「いや、それは……その」

 

「オーディ。斧を取りな。言い訳と遺言は体に聞いてやるよ。優しい姉さんが懇切丁寧に徹底的にね。

 もし間違ってど頭かち割っても、冥神に弔ってもらうから安心しな」

 

 昨晩と似たような言葉を聞かされたオーディは顔をしかめた。

 どうやらオーディの言葉はキルビの琴線に触れたらしい。

 帰還報告をしなかった件を失念していたオーディが軽率なのだろう。キルビの機嫌はまだ治ってなかったのだ。

 『戦斧狂舞』の二つ名で恐れられたキルビ・レニーの顔が笑っていた。とてもにこやかに。

 

 オーディは四年前にキルビに拾われてから、ずっと体術と斧技を教えられてきた。

 戦士であるキルビには十の子供だったとはいえ、他に教えられるものがなかったのだ。

 オーディはそれに感謝こそすれ恨んだことは一度もない。この砂漠の地で生きる為には強くあらねばならないのだ。

 

 元々、オーディ達クロエ族は体が丈夫であることで知られている。元来このエルトの地に住むのは、今では少数民族となったクロエ族だけだった。

 灼熱の砂漠、魔獣が蔓延る土地で生き残ってきたクロエ族は、怪我を負いにくい丈夫な体と、砂漠で生き残る体力が備わっている。つまりクロエ族は戦士向きの種族なのだ。

 本人の筋がよかったのもあるのだろう。オーディはたった四年で一人前の戦士に数えられるほどの力量になっていた。

 ただし、それも師であるキルビを前にすれば、まだまだ未熟。斧を交わす度にオーディは地を這う羽目になる。

 

 

 今も稽古を始め、既に数十と斧を交えるが、オーディが無様に追い詰められるだけで、完全にやり込められていた。

 そうしてまたオーディが砂地の大地に膝を突く。

 

「ほら、どうした! もう一本いくよ!」

 

 キルビは無様に屈したままのオーディの返事を待たずに斧を振り下ろす。

 寸前で転がるように避けると、オーディは両手の斧を突き出すように構えた。

 

 無論、キルビも両手に手斧を携えている。双斧同士の対決。オーディの戦技はキルビが手取り足取り教えたものだ。

 得物も当然の如く全く同じ二本の手斧。全ての技をキルビに叩き込まれたオーディは、どんな技を繰り出そうがキルビに読まれてしまう。

 つまりオーディはキルビに教わっていない自身が編み出した技を出すか、身体能力でキルビを上回るしか術はない。

 しかしそれも無理な注文だ。相手は戦士団を束ねるキルビ・レニーだ。戦士の中の戦士である彼女に対して有効な一撃など、簡単に実現出来るはずがない。

 連撃。蹴撃。投撃。

 オーディはありとあらゆる攻撃を想定するが、成功する気が全くしない。それが眼前たる力量の差だった。

 

「ほら、いくよ!」

 

 オーディが迷っている間に、キルビの横薙ぎが襲いかかる。すんでの所で身を逸らし、斧をやり過ごす。そこにもう一本の斧が唐竹割りで振り下ろされる。

 オーディはその振り下ろしを自らの斧の腹でいなし、空いているもう一本の斧をキルビの胴へと薙ぎ振るう。

 

 無理っ! オーディは内心叫んだ。

 考えより先に体が動く。オーディは咄嗟に斧を止め、真後ろに転がった。

 そこに一度やり過ごしたはずのキルビの横薙ぎが再び通り過ぎていた。

 

 薙ぎを振るったキルビの捻られた体が、回転力を伴って元に戻っていく。

 普通の人間ならそんな無茶な体勢をとれば、よろめくところだろうが、キルビは絶妙の足捌きでその体を柔軟に支えていた。

 

 華麗な足捌きで、上下左右、体を自由に振り回し、両の手で途切れることなく斧を繰り出す。『戦斧狂舞』キルビ・レニーの無敗の技だった。

 やり過ごしたはずの斧が幾度も襲いかかって来るのである。初見で相手をすれば、体を斬り刻まれ無惨に散るだろう。

 

「勘はよくなったみたいだねえ。でも、相変わらず技に鋭さがないよ。

 戦う時は敵を殺すつもりで全力で打ち込みな。相手が私でもね」

 

 肩で息をし、構えの取れないオーディを見下ろしキルビは言う。

 オーディも手加減しているつもりはない。キルビを前にしてそんな余裕は欠片もない。

 稽古とはいえ、キルビの放つ闘気は毛が逆立つほどに感じていた。

 オーディが振るう斧にしても、昨日商隊を襲ってきた野盗程度なら、身動き一つ出来ずに首が飛ぶほどの鋭い一撃なのだ。それなのに、キルビ相手だと掠りもしない。

 

「オーディ。私はまだ本当に汗をかいてないよ」

 

 謝るなら今のうちだよ。そう言いたげなキルビの皮肉がオーディの感情を不快に染めていく。それが闘志を沸き立たす。

 

「まだまだっ!」

 

 オーディは右に大きく回り込みつつ、間合いを詰めた。

 実力に圧倒的な差があるキルビに勝つには、小細工程度では無理がある。

 もっと単純にキルビの予想を上回るしかない。

 

 一つ、以前から考えていた手を試す。オーディはそう決めた。

 オーディの突進に、キルビは軸足を強く踏み込んで必殺の一撃を放つ。

 その一撃がかわされても、二撃、三撃といくらでも追撃の斧を振るえる。それが『戦斧狂舞』、キルビの双斧の強さ。

 だったら、その一撃目で隙を作ればいい。

 

 オーディはキルビの薙ぎに構わず、真っ正面から対峙し斧を振るう。

 それは相打ちの間合い。それも僅かにオーディの方が遅い。

 無謀なオーディの反撃にキルビが目を見開いた。その間合いなら、オーディが回避をしなければ、斧が本当に命中してしまう。

 咄嗟にキルビが斧の握りを変え、止めに掛かる。

 しかし、体重を乗せた一撃が簡単に止まるはずがない。

 

 キルビの手に嫌な感触が伝わる。オーディの腕に斧が食い込んだ感触。

 二人の目前で手甲も付けてないオーディの素肌の腕に、斧が確かに突き刺さっていた。

 

「うおぉぉぉっ!」

 

 オーディが気合いの声をあげる。そして無理矢理、腕に突き刺さった斧をそのまま押しのける。

 幾度となく死線を越えてきたキルビでも、目の前で義弟の腕に斧が突き刺さったのだ。刹那、動きを止めてしまう。

 

 その間をオーディは見逃さなかった。無事な方の手で、キルビの首筋に斧を押し当てる。

 二人の動きが完全に止まった。一時の間。それがとても長く感じられた。

 

「一本取った……」

 

 オーディが呟いた。その言葉に、見る見るうちにキルビの顔色が変わる。

 

「あんた! 何してるの! そんな危険な!」

 

 キルビが怒るのも無理はない。斧を腕で受け止めるなど正気の沙汰ではない。それもキルビの横薙ぎだ。本来なら胴を斬り飛ばす程の威力があるのだ。

 オーディが腕を上げて斧が当たった場所を確認する。刃の痕が赤く腫れているが腕自体は無事のようだった。

 

「お前、いくらクロエの民が鱗の様に硬い皮膚を持ってるからって、稽古用の刃を潰した斧だからよかったものを本当の斧だったな……」

 

 そこでキルビの声が止まる。そして見る見る驚きから怒りの表情へと変わっていった。

 

「オーディ、さては、それは私を驚かす為だけの技か? 私なら斧を止めるからって!」

 

「はは……」

 

 オーディは笑って誤魔化す。

 

「キルビ姉、冷や汗はかいただろ?」

 

 やっとのことで成し遂げたと自慢げなオーディ。その顔面にキルビの蹴りがめり込む。

 

「あんたって子は! 馬鹿なのは知ってたけど、ここまで大馬鹿だったとは」

 

 キルビは容赦なくオーディに蹴りを何度も見舞う。あまりの勢いに、オーディが地を舐める。そんなことはお構いなしにキルビはオーディを罵り、蹴りとばし続ける。

 

「痛いって、痛い!」

 

 オーディが転げ回りながら逃げまどう。しばらく一方的に怒りをぶつけたキルビは足を止め、荒い息を整えるように吐く。そして、硬い表情のままに口を開いた。

 

「オーディ、立ちな」

 

「……はい」

 

 命令されたからというには、オーディはやけに従順に従った。

 

「腕、見せて」

 

 オーディはしずしずとキルビに斧を受け止めた腕を差し出す。

 

「切れてはないようだね。骨も大丈夫……、痛みは?」

 

「ちょっと痛いけど、単なる打撲だよ」

 

「オーディ、私に心配させるな……。あんたはいつも無茶をする。

 いつも言っているだろ。七つ神に戦武を司る神が、戦神と武神の二神いるのには意味があるんだよ。ただ戦いに勝つだけを求めるのは修羅に堕ちるだけさ。

 守るべきもの為に戦って、己自身も生き残る。そうして始めて意味があるのさ。

 その為に互いに高め合い、力を合わせることも必要だって七つ神も示している。

 オーディ。お前の戦い方は自分を犠牲にし過ぎている。

 いくら武人として生きろと教えてるっていっても、あんな技、やっちゃいけないよ」

 

 キルビ・レニーは悲しそうな顔をした。それは戦士団団長としては絶対に見せない顔だった。

 

「わかってる」

 

 オーディは短く素直に答えた。

 

「そうか……。そろそろ時間だ。オーディ、飯食って詰所に行くよ」

 

 オーディの明快な返事を聞いて、キルビの表情は明るく戻っていた。

 

 

 

 

 二人が遅めの朝食を摂って家を出た頃には、太陽は真南を向き始めていた。

 それは広場の朝市が終わり、クロセリカの町が最も静かになる時間帯であった。

 白い日干し煉瓦造りの町並みが、水路のせせらぎを湛えている。

 乾いた大地エルトにおいて真の意味で命の水。クロセリカはエルトで最も水に恵まれた町だ。

 町の中に水の流れが見られるなど、他の集落では考えられぬこと。枯れ地のエルトで他に類を見ない住みよい町がそこにはあった。

 

 オーディとキルビの二人は『砂漠の雁』の詰所へと向かっていた。

 通りの真ん中を我が物顔で揚々と歩くキルビの数歩後を、オーディは潜むように静かに付いていく。

 

「オーディ、どうして私の後ろを歩く? 後ろから襲う気なのかい? 私を押し倒す気なら家に帰ってからにしな」

 

「誰が押し倒すか! どこをどう歩こうと俺の勝手だろ」

 

「ほう。そんな勝手と言うのなら、勝手に私の横を歩きな」

 

 キルビは自分の真横の地面を力強く指し示した。つまり並んで歩けという意味だ。

 

 実はオーディはキルビと並んで町を歩くのが好きではなかった。道々すれ違う者は皆、キルビに声をかけるからだ。

 キルビはただでさえ目立つ容姿をしているのに、ましてや町の自治警護も担う『砂漠の雁』の団長だ。町の者でキルビ・レニーを知らぬ者はいない。

 オーディもキルビの義弟として、ある程度、顔が売れている。並んで歩けば尚更に注目を浴びてしまう。そういうのがオーディの性分には合わないのだ。

 気恥ずかしいというか、極りが悪いというか、目立つのが好きではないのである。

 

「ほれ、最近は仕事で忙しいんだ。町に居るときぐらい私の言うことを聞かないか」

 

 そう言うとキルビはオーディの腕をとり、先程指し示した自分の隣にオーディを無理矢理に引っ張った。斧を片手で自由自在に振り回すキルビの腕力はとても抗えるものではない。

 

「わかった! わかったから引っ張るなよ」

 

 オーディが観念すると、キルビも上機嫌に歩き始める。並んで歩くのは居心地は悪いが、キルビの機嫌が良くなっているのでオーディはほっとした。

 

「団長さん、この間は助かったよ」

 

「よっ、姐さん。またウチによっとくれ。安くしとくよ」

 

 そんな言葉が町のあちこちから聞こえてくる。声をかけられる度、キルビはにこやかに応えていく。

 戦士としての実力と町民からの人望。それこそがキルビ・レニーが団長たる所以だ。

 改めてオーディは義姉の偉大さを思い知る。どんなに技を磨いて強くなっても、オーディが『砂漠の雁』の団長になることはないだろう。

 人を惹き付ける何かは、生まれ持ったものなのかもしれない。それは残念ながら、オーディには備わっていないものだった。

 

 道々に、行き交う人影が増えてくる。表通りに出ると急に視界が開け、エルト地方独特の刺すような日差しに目が眩んだ。昼時とはいえ、表通りには活気が溢れていた。

 そんな中でも一際、人が集まっている建物がある。飾りっ気のない無地の壁。窓は一切なく、小さな入り口が一つあるだけだった。その所為で中は薄暗く外から建物内を窺い知ることは出来ない。

 そんなひっそりとした建物なのに、出入りする人の流れは途絶えることはない。その建物は地神ディフェスを祀った祭殿であった。

 

「オーディ。私はお祈りしていくが、お前もどうだ?」

 

 明るい義姉の誘い。しかしオーディは返事もせずに渋い顔をした。

 

「お前な……。まぁ、それはお前の問題だ。私がとやかく言うことではないんだろうが……」

 

 珍しく歯切れの悪いキルビ。それも当然だろう。もう何年も同じやり取りを繰り返しているのだ。キルビも、何を言ってもオーディの態度が変わらないのをよく知っていた。

 

「悪ぃ、キルビ姉。先に行ってるから」

 

 そう言うと、オーディは逃げるように去っていった。実際オーティは逃げたのだろう、後にはキルビ・レニーの吐く溜息だけが残る。

 

「まったく、あいつはいつになったら……」

 

 義弟に対し、愚痴のような言葉をこぼす。そしてキルビは頭を振って、もう一度大きな溜息を吐いた。

 しかし、そんなしみったれた感情はキルビに似合わないのか、直ぐに気を取り直して地神の祭殿に足を向ける。

 

「嬢ちゃん。また小僧に逃げられたんかい?」

 

 祭殿の入り口付近にたむろしていた老人達から声がかかった。オーディとのやり取りを見ていたのだろう。キルビは苦笑いの会釈を返すしかなかった。

 その老人達も皆、顔見知り。戦士団を武力によって率いる女戦士キルビ・レニーを「嬢ちゃん」と呼べるのはクロセリカのご老人達ぐらいなものだ。

 

 燦々と降り注ぐ太陽の下から祭殿に入ると、何も見えぬ暗闇が出迎える。

 しばらくじっと待っていると、目が慣れ、窓のない屋内が浮かび上がるように見え始めた。

 普段はひっきりなしに礼拝者が訪れる祭殿だったが、昼食の時間帯が近い所為か、人の出入りは少なめでひっそりとしていた。

 地神の祭殿とはいえ、それほど広い建物ではない。人が三十人入るのがやっとの建物。その奥手に祭壇が一つあるだけだ。

 

 キルビは他の礼拝者に会釈を繰り返しながら、祭壇に歩み寄った。

 それはとても小さく、こぢんまりとした祭壇だった。飾り気もなく、一つの大きな白い石がクロエ族に伝わる織物で飾られた台の上に載せられた簡素なもの。

 クロセリカに落ち着くまでは、エルトやシグを旅して回ったキルビ・レニーは知っている。神を祀る祭殿がこんなにも質素で小さいのは七神いれども地神ディフェスぐらいなものである。

 他のどの神も大きな神殿があり、祠祭が神の教えを説いている。

 例外として冥神ヘアレントが在るが、死を司る神を崇める民をキルビは聞いたこともない。

 

 キルビが目を閉じ地神に祈りを捧げると、祭壇に祀られた石に薄緑の光が浮かび上がる。地神ディフェスが乗り移るとされる綺神石だ。

 普段は何の変哲もない白い石なのだが、綺神石は礼拝者の意志に答え、光を帯びる。

 それは太陽の光を溜め込んで夜中光る輝薔薇水晶の光とは異なる神々しい輝き。

 神の加護をもたらし、邪を祓い、病気を癒すといわれる仄かな輝きがキルビの目の前で灯った。

 実際、病に倒れたキルビも綺神石の光によって命を救われたことがある。

 こんな石を通してさえ、それ程の力が振るえる神とは、どれだけ偉大な存在なのか、計り知ることは出来ない。

 

 一通り祈りを終えると、キルビは踵を返した。

 これから人に会う約束がある。寄り道も程々にしないと迷惑がかかる。

 足早に地神の祭殿を後にし、道を急ぐと、眼前に義弟オーディの後ろ姿が見えた。

 

 礼拝が終わるのを待ってくれていたのかと、キルビはぬか喜びしたが、どうも違う。

 道の真ん中に突っ立っている様は奇妙なほどオーディに似合っていた。

 戦士のくせに町中で背中を晒したまま突っ立っているなど、一つお灸を据えねばと、キルビは足を忍ばしてオーディに近付いていく。

 無音の足運びでオーディに足払いを放とうとした。そのとき、呆けて立ち尽くしているオーディの視線の先にあるものが見えた。

 それがどんな意味があるかを察し、キルビは胸苦しさに足払いを取りやめると、未だに背後まで迫ったキルビに気付いていないオーディに声をかけた。

 

「感傷か?」

 

 オーディの視線の先には、町中を流れる水路があった。

 砂漠の町にあって、僅かながらも水が流れるその水路には水遊びをする子供達がいた。

 姉妹だろうか。十にも満たない子供が二人。水路の水に足をつけ、仲良く並んで座っている子供の姿をオーディはじっと眺めていた。

 声をかけられ、キルビに気付いたオーディだが、向き直ることなく、その子供達から目を離そうとしなかった。

 キルビも水路で無邪気に戯れる子供達に目をやった。キルビの簡潔な問いかけにオーディが答えるまで、少しの間があった。

 

「いえ、平和だな、と思って」

 

「そうか、幼女を観賞するようになったら、私はあんたの保護者として、責任を負いかねないからね」

 

「そんな趣味はない!」

 

「……なら安心だ」

 

「何か信用されてないような気がする」

 

「普段の行いさ。よく我が身を振り返るんだね」

 

「俺が何をしたっていうんだよ」

 

 さあね。と答えをはぐらかしてキルビは先に行ってしまった。

 

 

 もうそこは『砂漠の雁』の本部詰所。決して大きくはない建物の壁には白い水鳥の絵が大きく描かれていた。

 オーディもキルビの後を追って本部詰所に急いでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(「遙けき塔と白い君」第1章の4につづく)

 

説明
少年オーディは砂漠のエルト地方を守る戦士団『砂漠の雁』の戦士である。
彼は異国から来た学者ケルケの依頼を受け、生まれ故郷であるクロファリ村に帰郷する。
ケルケの目的は地神ディフェスの聖地「白の塔」を調査することだった。
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