誰かと誰かの対話篇・1
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 帰宅途中の電車の中での話。

 座席で本を読んでいた私の耳に、こんな会話が届いた。

 

 

「ところで、麻生君はテレビって見るのかい」

「質問の意図がよく分かりませんが、見ないということはありません」

 本から前に視線を移すと、高校生の男女が並んで立っているのが見えた。先ほど停まった駅で乗り込んできたのだろう。高校生だと分かったのは私の娘が毎朝着ていくブレザーと同じものを彼らが着ていたからだが、それはまあ、あまりここでは重要ではない。

 麻生君と呼びかけたほうが男子。呼びかけられたほうが女子だった。

 やけに醒めた調子の麻生君とやらの返答にも、呼びかけたほうの男子学生は慣れた様子で、

「意図は興味。君は本しか見ないものだと思ってたから、少し意外だな。どういう番組を見るんだい?」

「主にニュース――と言うよりは、天気予報を。それから気が向いたら、それ以外を。興味本位の質問なんですか?」

 ほとんど抑揚のない声音で麻生君が答えた。

「興味本位だとまずいのかな? 部員に興味を持っては駄目かい?」

 男子学生の問いに、麻生君は、

「……いえ」

 呟くようにそう答えたきり、黙る。

 男子学生は鼻から息を漏らして、

「普段君とは小説の話しかしないからね。小説以外に君がどんなことに興味があるのかちょっと気になったんだよ」

「それでテレビですか?」

「そう。で、聞いてみたんだけど――君らしい番組チョイスだねえ」

「はあ」変わらず、抑揚のない声。

 会話が途切れる。

 規則的な振動音に混じって、それよりも大きな喋り声があちこちから聞こえてくる。ちょうど帰宅する社会人や高校生やそれ以外が大量に乗り込む時間帯で、車内は混雑していた。高校生らしき少女達のグループが、あはは、とにぎやかだ。

 後ろの窓からの冷気が首筋に触れる。乗客たちの向こう、窓の外の空はまだサーモンピンクで明るいものの、空気の温度は確かに立秋を過ぎたことを感じさせる。

「あの、部長」

 麻生君が男子学生に話しかけた。そこで私はようやく、どうやら部活の先輩後輩らしい、と気付く。

「テレビで思い出したんですが。部長はボランティアというものについてどう思われますか?」

「いきなりだね。どうって?」

「ボランティアというものは本当にありうるのかどうか」

 部長と呼ばれた男子学生は、ふふっ、と短く息を吐いた。

「思ったより俗っぽい番組も見てるんじゃない」

「どう思われますか?」麻生君が繰り返す。

「そうだねえ……」たん、たん、たん、とゆっくり右足を鳴らす部長。「ありうると思うよ」

「私はないと思います」

「どうして?」

「その番組を見ていて――」麻生君が答える。「どうも、ことさらに感動を呼ぼうとしたり、努力していることへの評価を求めているかのような印象を受けました。ボランティア活動が正しくていいことである、という通念に乗って、自分はそれをやっているんだというポーズを見せることで評価を期待するかのような」

「ふむ」

「そう思って考え直してみると、いわゆる『ボランティア活動』が全てそのようなものなのではないかという気がしました。大学の推薦枠が欲しくて『ボランティア活動』に精を出す、というのも同じ。逆に学校が『ボランティア活動』と称して生徒にやらせるものも、学校のイメージアップを狙っているのではないかと考えれば、同じ」

「その推測、というか憶測はちょっと強引だと思うよ」

 部長の指摘に、麻生君は、

「それは分かっています」語調が乱れる気配もなかった。「問題はそこではなくて、そんな風に評価を求めてする『ボランティア』をボランティアと呼んでいいのか、ということです」

 部長が、また右足を鳴らす。しばらくそれが続いた。電車の鳴る音と彼の右足の音が、ずれたリズムで絡み合う。

「テレビに関して言えば、それは演出する側の意図でそうなっただけで、実際に活動をしている人は別に評価を求めていなかったかも知れないな」

 彼のその言葉に、麻生君は、あ、と声を漏らした。

「しっかりしてね麻生君。どんな表現物にも、それを表現した者の意図が含まれる。テレビ番組だって例外じゃない」

「……はい」ほんのわずか、トーンが下がっている。

「ええとね。そういう、視聴者の感動や評価をあおるような姿勢は、まあテレビってそういうものだからと言っておくことにするよ」部長が言う。「テレビってさ、分かりやすさがウリみたいなところ、あるじゃない。できるだけ難しいことを避ける。難しそうな雰囲気になるとどこかの大学教授なりなんなりを引っ張り出して、『難しい感』を漂わせる。笑わせることが目的のバラエティ番組なら、わざわざでっかい字幕スーパーを用意して、ここが笑うところですよと視聴者に教える」

「感動の場面ならコメンテーターに涙を流させたり、『いい話ですね』と言わせたりする……」

「例の番組も同じようなものだと思うよ。ボランティアをやっている人がいる、偉いですね、凄いですねと出演者に喋らせる。そうすることで、活動している人のボランティア精神を分かりやすく強調する」

 麻生君が黙った。部長は言葉を続ける。

「それは、傍目には『評価しろ』と言っているように映るかもね。でもそれは演出側の意図かもしれない。実際に活動している人達がそう思っているとは、必ずしも言えない」

「……そうですね」

 明らかにトーンが下がった。彼女のその言葉を聞いて、部長はまた短く笑って、

「テレビ番組の演出のそういう姿勢がどうかっていうのは、今は脇に置いておくとして」吊革に掴まっていないほうの手で脇にのける仕草。「ボランティアの話に戻ろうか。問題は、評価を求めてする『ボランティア』をボランティアと呼んでよいか、全てのボランティアは評価を求めているのか、ボランティアというものは存在するか、かな」

 麻生君は黙っている。

 部長が、あ、と何か思いついたような声をあげた。

「そうだ。それ以前に、麻生君はボランティアってどういうものだと思ってる? 奉仕活動?」

「自発的な奉仕活動、です」元の抑揚のない調子に戻って、麻生君が答える。

「ああなるほどね、自発的か。原義に忠実なわけだ」

 麻生君は、はい、と頷いて、

「奉仕ですから、評価を求めるのはお門違いという気がします。評価されたいがために自分から奉仕するのなら、それはむしろ恩の押し売りではないかと思うのですが」

「まあ、確かにね」

「それに、volunteerの指す自発性というのは、そのような欲に駆られての行動を意味するものではないでしょう」ヴァランティーア、と英語風の発音。意味の差別化を図ったのだろう。

「そうしたいと思ったからそうした、という感じだね。どちらかと言えば」

「はい」

「とすると君の中では、『その行動自体が、奉仕したいという欲求の表れである奉仕』が真の意味でのボランティアで、『自分の他の欲求を満たす手段としての奉仕』はニセボランティアだ、って、そういうことになるのかな?」

「偽善と真善、と言うこともできますね」麻生君が淡々と返す。「今の部長の『ニセ』という言葉で浮かびましたが」

「ふむ」

 部長が右足を鳴らし始める。そのうちに電車はトンネルに入り、轟音が数秒間車内を包んだ。

 そう長くはないトンネルを抜けると、窓の外はトキ色に変わっていた。

「偽善でも真善でも、外から見れば一緒だよね」部長が口を開く。「その人がどういうつもりでボランティアをしているのかなんて、本当のところは確かめようがない。それに、奉仕された側にしてみれば、そのことはあまり重要じゃない気がする。少なくとも奉仕された瞬間にはね」

 麻生君は、空いている手を軽く握って口元に当てた。

「言われてみればそうですね――となると、結局はボランティアをする個人の意識の問題ということになるのでしょうか」

「うん、僕はそう思う」頷く部長。「だからさっき挙げた問題の答えは、君の定義によればこうなるかな。一つ目、評価を求めてする『ボランティア』は、それをする当人にとってはボランティアではない。される側にとってはどちらでもいいこと。二つ目、全てのボランティアが評価を求めているかどうかは誰も判断できない。僕は違うと思うけどね。三つ目、ボランティアというもの、つまり真善のボランティアが存在するかどうかと聞かれれば、それは存在しうる。証明はできないけど」

「最後の問題が、まだよく分からないのですが――」麻生君が言う。「『行動自体が欲求の表れであるボランティア』って、ありますか? 例を挙げていただけませんか」

「そうだね、例えば、か――」またも右足を鳴らし始める部長。「余所見をして道路にフラフラ出て行った人のところに車が走ってきたのを見て、とっさに『危ない!』と脇から叫ぶとか。転びそうな人に向けてとっさに手を伸ばすとか」

「とっさに、から離れませんね」

「そうでないのもあるだろうけどね、それは言ったって嘘臭くなるだけだから」

 と、車両が徐々に減速を始めた。外に目をやると、ちょうど見慣れた住宅街が流れていくところだった。私は降りる支度を始める。と言ってもずっと持ったままだった本をカバンにしまうだけだったが。

 慣性に従って、車内の乗客が一様に進行方向へ身を傾ける。

 車両はあまり勢いを殺すこともなく駅構内に滑り込んだ。

 しばらく進み、いきなり、がっくん、と止まる。

「きゃっ」

「っと……」

 なんて運転だ。

 立っていた客が一斉にたたらを踏む。どよめきが満ち、しばらくして、女子高生の群れが「なに今のありえなくねー?」などと不平の声を上げるのが聞こえた。

「無事? 麻生君」

「え、あ、はい」

 目の前では部長が麻生君を支えていた。抱きとめていた、と表現してもいい。バランスを崩したらしい麻生君の体を、部長が吊革に掴まったまま、空いた右手を彼女の背に回して押さえている。彼自身は体をくの字に曲げ、動くに動けない状況のようだ。

 ドアが開き、乗客が外に向かって流れていく。

 私も降りなければならないのだが、目の前でそんなことをされていて席を立つことができなかった。もちろん物理的な理由で、だ。私の左右に座っている客も同じらしく、横目でうかがうとなにやらどちらも苦笑を浮かべている。

 きっと私もそうだろう。

「すみません、ありがとうございます……」

 やっと気がついたかのように部長の体から離れる麻生君。声はいくらかトーンが高くなっていた。

「いーよ別に」

 一方の部長はやたらと気楽な調子だった。よっ、という掛け声と共に体勢を戻し、網棚からバッグを下ろそうと手を伸ばしている。

 左右の乗客が立ち上がった。

「あの、部長」麻生君が吊革から手を離し、その手を口元に当てる。「今のは真善ですか? それとも偽善ですか?」

「僕が本当のことを言うとは限らないよ?」フフリと鼻を鳴らす。

「構いません」

「偽善だよ」

 私は顔を上げた。

 そして初めて二人の顔を見る。

 部長はいたずらっぽい笑みで、麻生君は少しだけ顔を紅潮させて、けれど無表情だった。

 時間が止まりそうな気配だった。困る。

 仕方なく私は立ち上がると、

「失礼」その二人の間に割って入った。

 時間が速度を取り戻す。

 自動ドアのように左右に分かれる部長と麻生君を尻目に、私は車両を出た。

 下車客でごった返すプラットホームを、ゆるゆると人の流れに沿って歩く。このホームには連絡通路の階段が一箇所しかなく、必然的に全ての下車客はそこに向かって移動することになる。

 見上げなくても空はすでにすみれ色だと分かった。この駅の周りは空が広い。

「ところで麻生君、君、意外と可愛らしい悲鳴を上げるね」

「その発言はセクハラだと思いますが」

「そんなことはないっ。一見冷静な子が時折見せる強い感情。イエスだね。正しいよ。コレクトっ」

「なんですか、それ」

 そんな会話が後ろから聞こえた。彼らも降りたらしい。

 私は歩調を速め、人波をクロールするように階段を目指した。

 

 

 私の娘も彼氏とあんな調子なのだろうか、などと思ったりしたことが、その場を早く立ち去ろうとした要因だと言えなくもないが、まあそれは些細なことだ。

 たぶん。

 

 

("without thinking" is closed.)

説明
電車の中で小耳に挟んだ高校生たちの会話。
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