彼女が髪を伸ばすことに対するいくつかの理由(レンリン)
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「のびたよね」

「え?」

「髪の毛。もうずっと伸ばしてるだろ?」

「ああ、うん」

 

 ひとつの机を挟んで向かい合っている少年からそう言われて、少女ははじめてそのことに気付いたかのような素振りで、肩にかけて下に垂らしている髪をひと房だけ手に取った。

 以前は耳にかかるくらいだった髪は、今では胸の辺りまである。

 教室の窓から差す光に透かして見ると、光沢のある生地のような髪は光を拡散させることなく、小さな星のような煌きを少年の瞳の中だけに届けた。

 少年がぱちぱちと目を何度か瞬かせると、それもすぐに消えてしまった。

 

「切らないの。前はちょっと伸びただけで、暑いしジャマだって切ってたじゃん」

「そうだっけ。でも、ずっと同じ髪型っていうのも飽きるじゃない。短いとなんか子供っぽいし」

「本当にそれだけ?」

「え…………?」

 

 どうしてそんなことを訊いてくるのかわからない、と口に出すかわりに少女は少年の顔をじっと見つめる。

 少年は意味ありげな言葉を口にしたあとは何も言わず、少女の視線からはわずかに逸れた先、あわい金色の髪を見つめていた。

 グラウンド側の開いた窓から風が吹いて、同じ色をした髪が少年の白い頬にかかる。

 そして骨ばった長い指が、少女の長い髪に触れる。

 

「僕は、前のほうが良かったな」

「…………レン」

「短いほうが好きだった」

「そんなこと、言わないでよ」

 

 髪を指の間に絡めながら遠慮のない言葉を吐く少年に、少女は傷ついたような顔をして視線を下に向ける。

 机の上には、いつだったか二人でふざけて書いた落書きがしっかりと残っていた。

 下手くそな似顔絵、下手くそな字で書いた名前。

 それからずっと無言で髪を触ってくる少年の指にされるがままになっていると、教室の外からよく聞き慣れた、けれどこの場所にはそぐわない男の声が聞こえてきた。

 

「おーい、リンちゃんにレン君―。帰りが遅いから兄さん迎えにきちゃったよ」

「げ。カイト兄」

「……カイト兄」

「おいで。下に車停めてるから」

 

 嫌そうな声でレンが呟いたあと、少し安心したような声でリンが呟いた。

ていうか部外者が勝手に入っていいのかよとレンが悪態をつくと、卒業生だからいいんですーと妙に可愛い子ぶった声で返される。

 それから二人は鞄を持ってカイトと一緒に来客用の駐車場に向かい、そこに停めてあった青のミニバンに乗り込んだ。

 助手席にはリンが、後ろの席にはレンが座ると、運転手は車を動かす前に隣の少女を見て、世間話でもするような口調で声をかけた。

 

「リンちゃん、髪伸びたねぇ」

「ヘ、ヘンかな」

「そんなことないよ。大人っぽくて素敵だよ」

「ありがと」

 

 照れたように俯いたリンは、しかし後ろの席からの視線を感じてもいたので素直に喜ぶことはできず、横髪に軽く触れた。

 カイトはいつもよりも口数の少ない二人に気付いた様子はなく、どうでもいいような世間話──スーパーの特売がどうとか、隣の家で子猫が産まれただとか──をしながらハンドルを切る。

 車を運転する姿は妙に決まっていてかっこいいのに話している内容は主婦みたいだと、リンは思わず唇に小さな笑みを浮かべた。

 混みあった広い道路からあまり人通りのない裏道に抜けて、数十分ほど車を走らせた先にある一軒家の前で停車させた。

 

「今日はミクもめーちゃんも帰りが遅くて外で食べて来るらしいから、俺達も外食にしようか。兄さんここで待ってるから、二人とも着替えておいでよ」

「えー、めんどくさいなぁ。このままじゃダメなの?」

「いやさすがに制服のままだと目立つしね……。俺が危ない人に見られるかもだし」

「じゃあちょっと待っててね。行こ、レン」

 

 制服の袖を掴んでぐいぐいと引っ張るリンと、面倒くさそうに後ろからついていくレンの二人を、あいかわらず仲いいなぁとカイトは運転席から微笑ましく眺めていた。

 それからけっこうな時間が経って、私服に着替え終わったリンが自分の部屋からレンが待っているリビングへと向かった。

 どんな店に行っても恥ずかしくないようにと、いつものボーイッシュな格好ではなく女の子らしい白いアンティークレースのワンピースを着て、頭のてっぺんにはお気に入りの黒いリボンをつけている。

 そんなリンの服装を見て、リビングで待ちくたびれていたレンはなぜかハサミと大量の紙を手にしたまま、複雑な表情を浮かべた。

 

「準備できたから行こっか……って、何遊んでるのよ」

「遅い。僕はとくに準備終わってんのにさ」

「だ、だって外食って言うからきちんとした格好しなきゃって思って……」

「別にいいけどさ」

 

 リビングのソファーに半分くらいは身体を沈めているレンの服装は白いシャツにズボンと揃いの黒いタイという、ラフではあるが正装とも呼べる格好だった。

 それを見て、いいなぁ男の子は、とリンは羨ましそうに息をついた。

それからレンの手元にある大量の紙とハサミを見て、最初はまた散らかして……と思っていた紙片が ちゃんとした形になっていることに気付いた。

 それはジンジャーマンが手を繋いで輪になっているものだったり、鳥の羽根の一枚一枚を細かく切り取っているものだったり、なかには糊を使って立体の家になっているものまであった。

 

「これ、切り絵?」

「ペーパークラフト。なんか最近うちのクラスで流行ってるんだよね」

「ふうん……。あ、急がないとカイト兄が待ちくたびれてる」

「なあ、リン」

 

 よくこんなに細かく作れるなぁ、と不器用な自分とくらべて手先の器用なレンを尊敬の目で見ていると、声をかけられる。

 なに、と振り向いた先には視線を紙の上に落としたままでハサミを何度も閉じたり開いたりしているレンの姿。

 その傍には、さっきまでは途中だったリボンをつけた女の子と男の子の形をした白い紙があった。

 なによ、早く言ってよ、と焦れったく思っていると、かすかに開いた唇から、声が漏れる。

 

「リンが髪を伸ばしてるのって……誰かのため?」

「え……。なんで」

「言ってよ。誰のため?」

「そんなの、ただの言いがかりじゃ……」

 

 シャキンと、軽快なハサミの音。

 何もない空間を切り裂く音に、まるで刃先を向けて脅されているような気持ちになる。

 そんなこと、あるはずがないのに。

 いつも優しいレンが、そんなこと──……。

 

「あいつのため?」

「…………え?」

「あいつが好きだって言ったから、ずっと伸ばしてんの?」

「ちょ……、何のことだか分かんな……っ!」

 

 ぐい、と髪を強く掴まれて痛みに眉を顰めると、視界の端にそれまで紙の上を漂っていたハサミの切っ先が映る。

 それは少しでも動かせば頬に触れるほど近く、刃が向いているのはレンの手に握られた、リンの髪だった。

 やだ、やめて、切らないで!

 リンは必死に拒もうとしたが、どうしても声は出なかった。

 

「…………っ、」

「抵抗しないんだ」

「レ、ン……。やだ……」

「──…しても、やめないけど」

 

 シャキン、とハサミの音。

 レンがどんな顔をしているのかを見るのが怖くて、リンは固く目を瞑る。

 唇からは諦めと、そしてなぜか安堵の入り混じった息が漏れる。

 

 

 床に落ちたのは、黒いリボンの切れ端だけだった。

 

「なんて、ね」

「…………レン」

「ごめん。悪ふざけが過ぎた。夕飯はカイト兄と二人で食べてきてよ」

「っ……レンの、ばか」

 

 

 リンは今にも泣きそうな声で呟いて、すぐにリビングから逃げ出した。

 それから玄関で慌てて靴を履くと、鍵も閉めずに家の外に飛び出す。

 車の中では、カイトが待ちくたびれた様子で組んだ両腕をハンドルの上に乗せていた。

 カイトは遅いよー、と情けない声を漏らしたあとに、リンが一人で来ていることに気が付くとあれ? と首を傾げた。

 

「レン君はどうしたの?」

「二人で言って来い、だって。自分は家で適当に食べとくからって」

「えー? まあ気が向かないなら仕方ないけどね……。あれ、リンちゃん」

「…………え?」

 

 カイトの指が、結び目から垂れている黒いリボンの先に触れる。

 普段から運転しているせいか日に焼けた、大人の男のひとの指。

 その指を見ながら、リンはついさっき見たばかりのレンの指を思い出して、少しだけ震えた。

 カイトの指は滑らかなリボンの表面を辿り、そこだけ不自然に斜めになっている部分を掴んだ。

 

「リボンの端、切れてるよ。どうしたの」

「……レンが馬鹿だからよ」

「え? もしかして喧嘩でもしたの?」

「何でもない。行こ?」

 

 

 

 そう言われてもしばらく府に落ちない顔をしていたが、「何食べよっか?」と愛らしい笑みを浮かべながら瞳を覗きこんでくるリンに、カイトもそれ以上は追及しなかった。

 ……というよりも、昔からリンとレンには二人の間にだけ通じ合っているものが多すぎて、自分がそこに立ち入る気にはなれなかった。

 そういえば、リンが髪を伸ばすようになってから、その長さに比例するように二人の間には微妙な距離が生まれるようになったことを、カイトは少し前から気が付いていた。

 けれど、気付かないふりをした。

 

 

 

「だけど、本当に髪のほうを切ってくれれば良かったなんて思ってるあたしは、もっと馬鹿よ」

「髪を伸ばせば、子供だった頃の自分の感情と距離を置くことができる、そんな浅はかなことを考えているなんて」

「馬鹿よ。……馬鹿」

「あたしも、レンも」

 

 声に出すことのない言葉は、車のエンジン音に紛れて少女の唇から吐息と一緒に漏れた。

 そして切れてしまったリボンの端を、愛おしげに見つめる。

 ふいにハサミの音が聞こえた気がして、リンは車の窓に視線を向けた。

 流れていく町の風景と、伸ばした髪の長さだけ囚われている自分の姿だけが、そこには映っていた。

 

 

 

 

           End.

 

 

 

 

 

 

 彼女が髪を伸ばす理由、切られることを切望する理由。誰かのため、が自分に向いていることに気付くのはいつになるのやら、という話。実験的に書き方を変えてみたので、読みにくかったらすみません。

 

 嫌がっているリンちゃんに対して何とも言えない電波を受信したことは、ここだけの秘密ということで。(……)

 

 

 

 

 

説明
レンリン。現代設定。今読み返すと近親っぽいですが読まれた方のご想像にお任せします。
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レンリン リンレン 鏡音リン 鏡音レン 現代 小説 二次創作 シリアス 

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