久遠の国 (パンドラの塔)
[全1ページ]

 

 

統合暦511年――エリュシオン暦元年。グラエキア大陸北端、テーバイの地にて。

かつては小さいながらもひとつの国の中央領として栄えていた街は、今や瓦礫の地と化していた。

崩壊したテーバイの中央領、そこに青の旗が立てられている。エリュシオン王国軍の旗だ。……最も、現在王制は廃止され軍部が政治を取り仕切っているのだが。

 

エリュシオン軍の旗は、破壊と殺人の跡に墓標のように掲げられている。荒廃した北国の風が青の旗をバタバタと音を立てて揺らし、それは風の力で略奪者の証を消し去ろうとするかのようだった。

破壊し尽くされた瓦礫の中に、異形の者達の姿がある。異様な大きさの野牛のようなもの、雷電を纏った狼、地に這い回る牙持つ蟲。

異形達の中央に、ふたつだけ変わった影があった。ひとつは人間の青年の姿。エリュシオン軍である事を示す青い軍服を着用していながらも、風に揺れる髪の色は金に輝いている。そして青年の傍にもうひとつ、すらりとした大きな金色の影があった。

金色の影は、女性を模したしなやかな美しい肢体に幾つもの輝く光を纏い中空に浮いている。

人間の青年は名をエンデといった。元はエリュシオンと敵対していたアテナイの生まれである。

金色の影は通称アセルテ・セレステと呼ばれていた。遥か500年前、エリュシオン王国とドヴェルグの民が力を合わせ作り上げた、12の理を持つ神の器。

しかし今アセルテ・セレステの器に入っているものは、元の名をセレスという少女だった。収穫祭で巫女に選ばれた身でありながら獣の呪いを受け、その果てにこうして神の器を戴いている。

強大な力を持つアセルテ・セレステは自身の力を駆使するだけでなく『下僕』と呼ばれる異形達を従える能力も持っており、そこを見込まれて現在はエリュシオン軍の陸軍大将に召し上げられていた。そのアセルテ・セレステを暴走させる事なく従える事が出来るのは青年エンデのみであり、その関係からアセルテ・セレステの指揮役としてエンデもこの軍に在籍している。

 

――アセルテ・セレステとエンデの率いる下僕による特殊部隊の力は凄まじく、危うい均衡を保っていたアテナイ・テーバイ・クレタとの戦況を一気にひっくり返し、あっという間に大陸全土を掌握するまでに至った。

そしてここが最後に残された地である。大陸の最北端、テーバイの国。

現在ここには崩壊したクレタ・アテナイの残党兵も加わり抵抗を続けていた。

彼らは停戦の説得という名目の恫喝にも背を向けた者達であり、それならばもう遠慮はいらないだろうと言わんばかりにエリュシオン軍は破壊と殺害を命じた。特殊部隊はその通りに動き、幾つもの村を焼き都市を破壊し、この中央領も征服し、残るは大陸の隅にあるテーバイの海に面した街のみとなった。

 

青の旗が風に激しく波打ち音を立てていた。もう海風のにおいがする。

エンデは青の旗をその眼で見上げた。己がそこに突き立てた旗だ。しかしそれはいつ見ても、薄ら寒い滑稽なものに見えた。

異形が身を捩る音がする。カチカチカチと野牛のような下僕が歯を鳴らした。ふ、とエンデは笑う。

滑稽に見えるのは、自分自身をそう嘲っているからだ。己は何をしているのかと、常に頭の片隅にある疑問がまた渦を巻く。しかしそれから眼を逸らし、エンデはただ破壊された街を見た。

エリュシオンに比べれば小さく貧しい街だ。アテナイの街の風景にも似通った所がある。痩せた土地、冷たい風、ひびの入った建物。

エンデの斜め後ろにつき従うように揺れている気配がある。この下僕達を一度に操っているエリュシオン軍最強の兵士であり最大の兵器である『主』だ。……人間であった頃はエンデにとって何よりも大切な女性だった存在だ。

忠実につき従う彼女を振り向く事はもうしない。必ずそこにいると解っているからだ。彼女はエンデの命令にしか従わないのだから。

 

ピィイ、と遠くで音がした。その音の方を振り返る。

下僕達の特殊部隊から離れた場所に、エリュシオンの一軍が留まっていた。

特殊部隊の出兵には、必ずエリュシオン軍の一軍が監視役として後に続いている。成果を確認し、王都の軍の元帥や総司令官に報告するために、或いは特殊部隊やアセルテ・セレステやエンデが裏切らないように。

幾ら最強の部隊といえども、命令権は常に軍部にあった。その気になればエリュシオン本軍をも滅ぼす事など容易いだろうが、彼らが少しでも軍部の意向に反るような行動を見せれば王都にいるセレスの家族に害が行く事になっている。セレスが大事にしていた母と弟達。……それを切り捨てる事など、エンデには出来ない。

監視役の軍にいる司令官の男、男が何かを指示して兵士が両手に持った旗をきびきびと動かした。手旗信号で命令を伝えるのは、彼らが下僕の軍団に怯えているからだ。進軍の後に続いているといっても監視の一軍は決してこちらには近寄って来ない。

手旗信号は、再度の出撃を命じていた。最後の街、最後の破壊に。

 

「…………」

 

エンデは無感情な赤の眼でそれを見ると、軽く頷いた。

 

「次の街へ……」

 

そして、斜め後ろにいる彼女に指示を出す。

――だが、いつもはエンデの指示をそのまま下僕に伝えるはずのアセルテ・セレステが、何も言わず沈黙している。

少しの間待ってみてから、反応がない事をいぶかしみエンデはようやく振り返った。そして、見た。

いつも悠然と浮いているアセルテ・セレステが、両手を己の胸に当てて苦しげに身体を歪めている。

 

「……セレス?」

 

名を呼ぶ。少女の名を。

人間であった頃の名を彼に呼ばれた彼女は、ひときわ苦しそうに身を捩った。

 

「エン、デ、…だ、め……わた、し……ごめ、なさ、」

「セレス!?」

「おねが……動かないでえっ……」

 

悲痛な声で少女が叫ぶと、周囲の下僕が一斉に動きを止める。その反応に驚き周りを見回すエンデの眼の前で、アセルテ・セレステの身体がゆらりと揺らいだ。

その指先が、爪先が、翼の先が黒い霧に染まっていく。さらさらとそれが崩れ出していく。

 

「セレス!!」

 

名を呼びながら、エンデは手を差し伸べた。

あの時と同じだ。あの時……最初にこの姿に変化した彼女を、元のセレスの姿に戻した時と。差し伸べたエンデの手の先で黒い霧が崩れ落ちていく。そしてその中からふわりと倒れてくるのは――白い服の、少女。

エンデは少女を受け止めた。

 

「セレス、セレス……!」

 

少女は……セレスは、青ざめた顔のまま、エンデの腕の中で気を失っている。

まるで時を止められたように身動きひとつすらしない下僕達の中、戸惑いながらもセレスの名を呼ぶエンデの声だけが木霊した。

 

 

 

 

 

「困りますな、あともう一息という所で」

 

司令官の男が口元に皮肉な笑みを浮かべながらそう言った。

 

「あのバケモノ達はセレス殿の命令しか受け付けませんからな。エンデ君、きみだけがいても無意味なのですよ。セレス殿がいなければ。これではまるで戦力にならない……。最後の街に身を潜めているのは、アテナイとクレタとテーバイの残党どもですからな。ここまで逃げ延びたとだけあって、恐らく戦闘面でも粘りましょう。もしもそやつらに知られ、奇襲をかけられれば……」

「仕方ありますまい、幾ら最強の兵士といえども燃料切れとあっては……のう、エンデ?」

「…………」

 

司令官の傍に並び立つ壷を背負った老婆――グライアイが司令官の言葉に首を振りエンデににやりと笑いかけた。エンデは沈黙でそれを返し、グライアイはただ低く笑う。

主や下僕の生態に詳しいグライアイは、アセルテ・セレステが陸軍に兵士として連れられた際に軍事顧問として召し上げられていた。今は監視役の軍と共に特殊部隊を見張る役割を持っている。

 

「燃料切れ、か……」

 

苦々しく呟く司令官の男に、グライアイは深く頷いた。

 

「ええ。0号の器といえど、この世界への具現化を保つには燃料が必要でしょうぞ。燃料を補給すれば、また0号に……アセルテ・セレステに戻られますよ」

「顧問殿、燃料とは何ですかな?」

「肉、ですよ」

「……!」

 

グライアイの言葉にエンデが眼を見開く。司令官の男も落ち窪んだ眼を驚きに剥いていたが、すぐに納得したように頷いた。納得しているように見せかけただけ、だろうが。命令を下す者として動揺を見せてはなるまいとこの男は考えているらしい。

 

「エンデ、あんたもよぉーく知っているだろう? 下僕の肉ならば僅かな期間、主の肉ならばここまで長い時間……セレスは力を保っていられるのさ」

「…………」

 

エンデはただ苦々しく顔を歪めるだけで、やはり沈黙したまま。

すると司令官の男が取り直すように咳をすると、グライアイを見下ろし言い放った。

 

「では、早急に肉を与えてセレス殿を戻すように。猶予は長くありませんぞ」

「存じておりますとも。しかし、今晩一晩中は無理でしょうな。明日の昼辺りになれば、大将殿はまた皆様方の力強い味方に戻っておりますよ、ヒッヒッヒ……」

 

引き攣れたようにグライアイが笑い、司令官の男はその答えに満足したのか鷹揚な笑みでただ頷いた。

エンデは黙って頭を下げると、その部屋を後にする。そして真っ直ぐ、軍のキャンプから外れた街の中に向かっていった。

破壊の爪痕が残る街、そこは行軍により特殊部隊が打ち壊した場所だったが、そこまで破壊が酷くない建物の一室にセレスは寝かされてるのだ。

もう陽は落ちて夜になっている。軍のキャンプのかがり火が北風に揺れていた。

暗闇に沈む壊れた街、街の隅には下僕達がひっそりと身を縮め、主の命令をただ待っている。

その中を1人エンデは歩いていった。

 

 

 

 

小さなランプとふたつの蝋燭が照らす部屋の中、無事だったベッドの上にセレスは寝かされていた。

あの日々と同じように、夢にうなされている。その背中で紋章が淡く光っていた。

 

「……セレス……」

 

枕元に座りながら、エンデはただ彼女の目覚めを待つ。

あの日々と、同じように……。

静かな部屋の中でただセレスだけを見つめていると、不意にコツコツコツと音が聞こえてきた。足音だ。

聞きなれたその音の主はすぐに判った。判ったので、あえて振り向かず顔を上げる事もしない。足音は開かれたままの部屋の中に入ってきて、ベッドの足元で止まる。

 

「うなされているようだの」

 

セレスを見ながらグライアイが呟いた。

 

「何の用だ」

 

短く冷たく問いかけると、グライアイは肩を揺らして笑う。

 

「つれない言葉だねぇ、ねえ爺さんや」

「#&%@」

「ヒッヒッヒ……」

 

相変わらず壷の老人が何を言っているのかも聞き取れない。エンデは黙ってセレスを見ていた。

 

「……肉は」

「んん? 何だい?」

「肉は、下僕から取ってくればいいのか?」

「おや、オレイカルコスの鎖もないのに肉を取ってくるつもりかい?」

「…………」

 

その通りだった。エリュシオン軍に入ってから、グライアイが軍事顧問に召し上げられてから、鎖はグライアイに返されておりエンデの手にはない。

グライアイは低く笑いながら言葉を続けた。

 

「しかしセレスも、よく今まで保っていられたもんだよ。いつ糸が切れるか見ていてヒヤヒヤしていたからねぇ……」

「…………」

「あんたも知ってるだろう、セレスは元々0号に乗っ取られていたのを、あんたが0号の力を弱めたせいで逆に取り返してた状態さ。あれからもセレスは0号の意思を封じ込めるためにずっと力を使ってたみたいだね。同時に下僕が暴れないように操ってもいたみたいだ。全く、惚れた男のためとはいえ、よくやるもんだよ。ま、あたしらはそのお陰で興味深い研究が出来たけどねぇ」

「…………」

「なに、少し休めばまた回復するはずだよ。そうだね、起きたら肉を与えなきゃあならんねぇ、ヒヒヒ……」

 

エンデは厳しい顔でグライアイに手を差し伸べる。

 

「今だけでいい、鎖をもう一度貸してくれ」

「はて、ちゃんと返してくれるか保障はないからね、ヒヒ、どうしようかのぅ」

「…………」

 

舌打ちをしたエンデは差し伸べてた手を引くと、腰のベルトに下げている剣に触れた。鎖ほど有利に進められはしないが、下僕程度ならば剣や槍でも可能な筈だ。

それを見てグライアイは肩を竦める。

 

「まァ、今はセレスが下僕たちの足止めを命じているからねぇ、鎖でなくとも抵抗はしないだろうよ。……でもあんた、いいのかい、それで?」

「…………」

「セレスが起きたら肉を渡して0号に戻して、そしてまた戦争しに行くのかい?」

「……それ以外に何がある?」

 

眉を寄せて問いかければ、グライアイは軽く肩を竦める。

 

「あともう少しで、エリュシオン軍は大陸の覇権を完全に握るだろうねぇ。次のあんたらの戦争でさ。しかしあんたらは、その後の事は考えているのかい?」

「その後?」

 

その後。エリュシオンが、グラエキア大陸を完全に掌握したその後……。

 

「近かれ遠かれ、セレスは殺されるよ」

「――……!!」

 

静かに放たれたグライアイの言葉に、エンデは眼を見開き動きを止めた。

思いもしなかったそれにエンデが絶句していると、グライアイは首を軽く振りながら続ける。

 

「最強の兵士であるセレスは、逆に最も危険な兵器って事さ。この大陸を全て侵略したら、いずれセレスは殺されるよ。勿論、あんたもね」

「……でも、下僕達は……特殊部隊は、セレスにしか」

「その前にあんたを使って、セレスに下僕を殺させる気さ」

「…………」

「セレスに下僕を一掃させた後で、奴らはセレスの持っていない理……火と岩を使ってセレスを殺す気だよ。あんたが0号から抜き取った理でね」

「!!」

「しかも今回の事で、セレスはダウンする事もあると教えちまった。これは更なる弱点になるだろうねぇ……」

 

しみじみと呟くグライアイの言葉に、エンデは口をつぐみセレスを見下ろした。細身の少女は昔のまま、儚げな姿で横たわっている。エンデが愛おしいと感じていた、そのままに。

 

「……共にいられるなら、それでも構わないと思ってきたのに……」

 

苦々しく吐き出しながらセレスの手に触れ、握り締める。白い小さな手はいかにも非力で、力を込めれば握り潰してしまいそうだった。この手をずっと守りたいと思っていた。共にいられるならばと願ってきた。だが……。

 

「……何の目的があってそれを僕に教えるんだ」

 

セレスの手を両手で握り締めながら声を絞り出すように問いかける。

まさかただ、こうして絶望を植えつけるためだけに来たのか。それともこれも研究なのか。或いは、全くの虚言なのか。

エンデの問いかけにグライアイは静かに頷く。

 

「今のあたしらの目的は、戦争がなくなる事と、一族の復興さ。そのためならば多少の事はするさね」

「……戦争を失くすために戦争をする事も、か?」

「そうでしか失くせないならね」

「…………」

 

苦く顔を歪めるエンデに、グライアイは軽く首を振った。

 

「それでもあたしは、あんたらには最大限の手助けをしていたつもりだよ」

「――どこがだ!? 僕達を、セレスを軍に売っただろう!」

「ありゃあ、セレスの望みを叶えたまでさ」

「セレスの……!?」

 

エンデがその眼を見開く。グライアイは静かにエンデの紅の眼を見返し、頷いた。

 

「あの時……あんたが主の肉を求めて十三訃塔に行っている間、セレスはあたしらによく言っていたのさ」

 

“もしわたしに何があっても、エンデだけは助けたいの”

“例えそれが苦しくても辛くても……エンデが無事なら……”

“だからグライアイ、もしも――……”

 

「もし自分が、完全に獣に変化してもね。あんたさえ無事ならば、とな」

「…………」

 

その日々の中で、やがて軍部に勘付かれた事に気付いたグライアイは、逆にそれを利用したのだ。

 

「セレスもそれに気付いていただろうよ。無意識にだろうがね、勘のいい娘だからの……」

 

そのためにだろうか、グライアイが軍部の者と密かにやり取りを続ける内に、セレスが『エンデを助けたい』と訴える回数も増えていった。

そして、あの日。軍部が踏み込む算段をつけたあの日。

セレスが0号に変化したあの時。

グライアイは二人を軍に売りつけ、セレスは自ら軍の兵器となる事を選択した。そしてエンデを助けるため、アテナイ生まれのこの青年の命を助けるために、己はエンデの命令のみに従う兵器になるという手段を取ったのだ。

 

「セレス、が……」

 

初めて知らされたそれに、エンデは呆然と呟いた。

グライアイは静かに顔を伏せる。

 

「あんたを生かし、軍にとってのあんたに価値をつけるためにはそれしかなかったのさ」

「…………」

 

グライアイの言葉にエンデは言葉を失う。

ゆっくりと、両手で握り締めた少女の白い手を見下ろした。小さな手。この手を守っているつもりだった。しかし逆に、エンデは守られてもいたのだ。

 

「じゃが、このままじゃセレスとの約束も違えちまう。あんたもセレスも殺されるんじゃあね」

 

コツ、コツ、と杖をつきながらグライアイはセレスとエンデの前に立つ。

セレスの手を握りながらそこに項垂れ、エンデは苦しく息を吐き出した。

 

「……どうしたら、いいんだ」

 

このままでは、いずれセレスもエンデも殺される。

 

「逆にひっくり返せばいいのさ」

 

グライアイはまた静かにそう呟いた。エンデがゆっくりと顔を上げる。神妙な顔の老婆は、猫のような眼でエンデを見下ろしていた。

 

「あたしらの目的は、戦争を終わらせる事、そしてあたしらドヴェルグの一族を復興させる事。……それを約束してくれるならば、あたしはエリュシオン軍ではなく“あんたら”の軍事顧問になろうじゃないか」

 

低く言いながらグライアイは右の手を差し出す。長い袖のその中から、ふわりと光が浮かび上がった。

光を纏い浮き上がるのは、金色の鎖。

力を取り戻した、オレイカルコスの鎖。

 

「…………」

 

エンデは無言で鎖を見た。

そして、未だ眼を醒まさないセレスをそっと見下ろす。愛しい少女を。

セレスの白い手をまた握り締めながら、エンデは顔を上げた。

 

 

 

 

 

グライアイが去って半刻ほどすると、ベッドに横たわり眼を閉じていた少女の瞼が微かに震えた。

 

「ん……」

 

どこかむずがるような声が上がり、セレスの眼が開かれる。

目覚めたセレスが最初に見たものは、己の傍に付き添い手を握り締めていたエンデの姿だった。

 

「……エン、デ?」

 

セレスの囁きにエンデは頷く。

ゆっくりと身を起こしながら、セレスはぼんやりと己の額に手をやり、そしてハッとエンデに向き直った。

 

「!! ――わたし……! ごめんなさい、エンデ!」

 

悲痛に顔を歪める少女に、エンデは静かに首を振る。

 

「疲れているんだ、もう少し休んだ方がいい」

「…………」

 

優しくそう声をかけながらエンデはセレスの頬に触れた。

セレスは己の頬を撫でるエンデに眼を見開き、そしてそっと微笑む。

 

「……エンデに触ってもらえるの、久しぶりだね」

「…………」

 

微かな喜びと切なさを含んだセレスの言葉に、エンデは複雑な顔になった。

静かに頬を撫でるエンデの手に上から己の手を重ね、セレスは眼を閉じる。

 

「もう少しだね」

 

そして、そう囁いた。

 

「エリュシオンが全てを纏めて、戦争が終われば……きっとお母さん達も、みんな平和に暮らせるよね」

「…………」

「エンデ?」

 

セレスの言葉に苦々しい顔になるエンデを見て、セレスが不思議そうに声をかける。

その、セレスに。頬を撫でていた手を首の後ろに回すと、エンデはそっとセレスに顔を近付けた。

あ、とセレスが呟く間に、唇が重ねられる。

優しいキスを交わして――エンデは間近でセレスに囁きかけた。

 

「僕は、君とずっと一緒にいたい」

 

囁きながら、エンデはセレスの眼を覗き込む。万象を湛えて七色に変化したその眼を。

虹のような鏡のようなセレスの七色の眼に、涙が浮かんだ。

 

「……わたしも、エンデとずっと一緒に、いたい」

 

震える声でセレスが答え、エンデの胸に縋りついて来る。エンデはその細い身体を抱き止め、腕の中に包んだ。

 

「君にはずっと辛い思いをさせてきた……」

「っ……」

 

金色に輝く紋章が浮かぶ背中、儚く白いその肩を宥めるように撫でると、セレスが腕の中で嗚咽に身を震わせる。

少女を抱き締めて、エンデは言葉を続けた。

 

「――けれども、最後にもうひとつだけ、お願いしてもいいだろうか」

 

エンデの問いかけに、顔を上げたセレスは涙を浮かべたまま微笑みかける。

 

「なあに? あなたが望むなら、わたしは何でもするよ」

「…………」

 

セレスの問いに、エンデは小さく微笑んだ。そして口を開き、セレスに語りかける。

グライアイから聞かされた話、そしてエンデが決心した、『その後』の話を。

 

 

 

 

 

翌日。

司令官の前には、いつものように青い軍服を纏ったエンデと、そしてアセルテ・セレステに戻ったセレスがいた。

危惧してた兵士の襲撃もなく、この日も太陽は昇る。

 

「セレス殿、無事に戻られましたか。これでひと安心ですな」

 

司令官の男は満足げに笑う。その言葉にエンデも頷いた。

彼らの周りには監視役のエリュシオン軍が取り囲んでおり、司令官の横にはグライアイとその夫が並んでいる。

 

「それでは、最後の行軍に参りましょうか」

 

司令官の男は1人頷きながら声を上げた。

 

「これが終われば世界はエリュシオンの元に纏め上げられ、平和になりましょう。エンデ君も、セレス殿も、セレス殿の母君や弟君も安心して暮らせましょうな」

 

言外に、最後まで逆らうなと釘を刺す男の言葉にもエンデは頷く。

 

「最後の行軍、そうですね。……ここで終わりにしましょう」

「ええ、これが終われば……」

「――セレス。下僕達に命令を」

 

司令官の言葉を遮りエンデは朗々と声を上げた。

 

「この軍を壊滅、同時に“爪痕”に残る下僕、主を動員してエリュシオンを総攻撃。逆らう者は抹殺、民間人はなるべく攻撃しないよう」

「ッ!!? 何を……ッ」

 

司令官が声を張り上げ、兵士達の間に動揺が走る。

エンデが命令を放つと同時に、アセルテ・セレステの纏う光球が光を増した。

僅かに離れた瓦礫の街から、下僕達の動き出す音と咆哮が木霊する。

 

「ここで、終わらせよう」

 

司令官は驚愕に眼を剥いた。光を受けるエンデの紅の眼は、冷たい色を宿している。

動揺に動けずにいる兵士達、彼らに下僕が一斉に襲い掛かった。

獣の声。悲鳴。絶叫。肉を千切られる音。生きたまま喰われる音。

アセルテ・セレステの光に引き裂かれ腹からふたつに別れ倒れる司令官の躯を、エンデは感情のない眼で見下ろしていた。

その隣に、グライアイが並び立つ。そして――荒廃した街に、彼ら以外に動く人間は、いなくなった。

 

 

 

 

統合暦511年――エリュシオン暦元年。

グラエキア大陸はアセルテ・セレステ率いる下僕から成る特殊軍の元によりひとつに纏め上げられた。

エリュシオン軍は解体され、新たな帝国を開いた支配者――エンデは、各国に監視塔と呼ばれる建物を建造させる。そして監視塔の付近には『風穴』と呼ばれる深い深い穴がそれぞれひとつずつ開かれた。

監視塔の中にいるのは“主の下僕”と呼ばれる風穴から這い出た者達で、彼らは小さなものでも紛争が起こると監視塔からその場に向かい戦う者達を敵味方の区別なく殺戮していくのだ。監視塔と下僕は帝国最強の兵士であり兵器であり、また王妃でもあるセレスの力によるものである。

また、彼らの軍事顧問であるグライアイ夫婦の協力の報酬としてドヴェルグ族は帝国の領土を一部与えられ、条件つきではあるが建国を許可された。

監視塔と下僕の恐怖により大陸から戦争の火は消え去り、新たな帝国による戦なき政治が始まった。

 

 

 

 

 

エリュシオンの王都、ラダマンチェスの城。王の間。

ステンドグラスが嵌め込まれた窓から、陽の光が七色に輝き色と形を変えて降り注ぐ。

開け放たれたテラスの外には沢山の花が今を盛りに咲き誇っており、高台の強い風に拭かれて花びらを舞い散らせていた。

広く静かなその部屋には、ひとつだけ大きな椅子が置かれていた。玉座だ。

玉座には1人の少女が座っている。輝かしい椅子が大きすぎるほどの、白いドレスを纏った細身の少女。

名を、セレスという。

『アセルテ・セレステ』ではなく人間の『セレス』の姿を取っている彼女の身には、金色の鎖が絡み付いていた。まるで玉座に縛り付けているように。

セレスは七色の瞳でどこともしれない中空を見つめていた。その身に絡みつくオレイカルコスの鎖は、彼女に力を分け与えながらも金色に輝いている。

その眼で彼女は大陸中を見ていた。オレイカルコスの鎖と、12の理を完全に取り戻した神の器である0号の力で、セレスはここから動きもしないで大陸の全土を見渡す事が出来る。

ラダマンチェスで無事暮らしている母と弟達の姿も、故郷の村も、そして戦が起こりそうな気配のする地も。万象の眼で見取ったそこに下僕を使わせるのはセレスの仕事だった。

彼の帝国を無事保てるように。愛する青年の国が永久に続いていくように。

 

「……セレス」

 

玉座の間、鎖に絡み付けられ座るセレスの前に、この大陸の支配者である青年が立った。

名を、エンデという。

エンデは愛する少女の名を囁きながら、彼女の頬をそっと撫でた。花びらを纏わせた風が吹き込み、セレスの銀の髪がさらさらと揺れる。

 

「セレス……」

 

エンデは玉座の前に膝をつくと、セレスの膝の上に子供のように頭を預け眼を閉じた。

 

「歌ってくれないか」

 

囁くエンデの金色の髪を、セレスの白い手が撫でて梳いていく。

 

「君の歌が聴きたい……」

 

セレスは、七色の眼でエンデに微笑みかけ、そっと唇を開いた。

光が揺れ花が舞い踊る支配者の間に、澄んだ歌声が流れ出した――……。

 

 

 

説明
エンデ×セレス Cエンディング『それでも一緒に』の後の話、捏造エンディングです。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
2806 2794 0
タグ
パンドラの塔 エンデ セレス 

野次缶さんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com