TS物(タイトル失念)1 |
――序章
俺の足が水溜りを蹴散らす。かなりの時間探しているというのに、あいつの姿は見えなかった。焦るほどに空回りすることは十二分に知っていても、やはり知識で感情を抑えることは難しい。
「人を助けられないなら何の意味がある」親父の道場を辞めた時の台詞を思い出す。この考えは今もこれからも変えるつもりはないが、それでも今の状況を考えれば、腕っ節で何かを守れたとしてもそれは上辺だけなのかもしれないと思ってしまう。
霧に沈むように辺りの景色がぼやける。雨は容赦なく傘を叩き、骨を伝って垂れる水はズボンを容赦なく濡らしていく。
「はぁっ……はぁっ……」
一旦落ち着こう。そう思って俺はバス停近くの屋根がついたベンチに寄りかかった。風自体はそれほど強くないのでそれだけで雨はほとんどしのげた。
雨は携帯で確認する限り、日没まで降り続くらしい、昼食をとっていないうえにこの雨の中半日も居れば風邪をひくだろう。早いところ見つけなければ。
携帯でカナメを呼び出す。一応手伝ってもらっているが、見つけられただろうか。
「若、見つかりましたか」
電話の向こうでも雨はかなり酷いようで、電話越しにここと同じ雨音がノイズのように聞こえてきた。
「いや、お前はどうだ?」
「残念ながら……一度家に戻りましょう、その後姉さん達にも協力を頼んで探すようにするべきだと思います」
確かに、理性的に考えればそれが一番だろう、しかし俺の感情はその選択を頑なに拒んでいた。
「カナメ、お前が先に帰れ、俺はもう少し回ってからだ」
「若、無理ですって……」
カナメの言葉を最後まで聞くことなく携帯を閉じる。お前には悪いが大事な友人がこんなことになってる状況で自分の身体を心配できるほど俺は豪胆な人間ではないんだ。
雨脚は相変わらず衰える様子がないが、それでも俺は構わず傘を広げた。
――一日目
楽しい事なんか何一つない。
俺は一週間ほど前からの記憶を辿ってその結論を出した。別に「毎日楽しい事が起こって欲しい」とか「嫌な事が全部なくなれば良いのに」みたいな甘えたことを言いたいんじゃない。ただ単に変化のない生活に割と本気で愛想が尽きてきた。そういうわけだ。
とりあえずは飴についていた棒を口に咥えたまま、それを使って「ヒマ」の二文字を書くくらいに退屈な今、それをぶち壊す何かが欲しかった。
「アキ、ヒマそうにしてるな」
ヒグマが学生服着たみたいなでっかい男子生徒、リョウ兄さんが声を掛けてきた。兄さんと呼んでるけど別にダブッてるわけじゃない、なんとなく頼れそうだからそう呼ばれているだけだ。他にも「師匠」とか「先生」とか呼ばれている。まあ本人が喧嘩殺法でかなり強く、父親が道場を持ってるらしいのも一因らしいが、俺はなんとなく頼れる兄貴分って意識で兄さんと呼んでいる。
今は昼下がりの学校、窓際の最前列が俺の席だ。ここは教師から目立たないし、あつらえたかのように昼寝するのに快適な日光が差し込んでくるし、授業中に外を見れるしで言うこと無しの席だ。
ただ問題なのが今の時期が梅雨だって事だ。なんと言うかじめじめしたのは無駄に汗をかくから俺は嫌いだ。
「まあこんだけ何も無いとな、ほら、なんか一ヶ月くらい前からニュースでやってんじゃん、ああいうことが起きてる側で何にも起きてないってのが余計さ」
「ああアレか、なんか超常現象がどうのこうのって奴」
何のニュースか言うまでもなく通じるほど頻繁に全世界規模で「空から女の子が落ちてくる」だとか「突然異能に目覚めて怪物と戦う事に」「異世界に飛ばされて命からがら帰ってきた」みたいな創作の中、それも漫画だとかそういう俺くらいの人間をターゲットにしたような出来事が、ここ最近起きているらしい。
そういうニュースを見てしまうと、やはり期待してしまうのが人間って奴だろう、しかも俺らの妄想を具現化したような事が現実に起こるとなれば、期待せずには居られない。
「お、アキと師匠、揃って何の話?」
カラフルなヘッドホンを首に掛けた、いかにもナンパでジゴロっぽい男はテッちゃん。中身と外見はこいつの場合イコールで結べるくらい分かりやすい奴だ。その軽い性格から女子連中からはからかい半分ながらも中々人気はあるらしい。いつも俺に自慢してくるが、生憎女は苦手なのであまりコイツの気に入る反応は返せずに居た。
「ああ、なんかアキがヒマしてるみたいだったから声を掛けたところだ」
「そうそう、そんで何かニュースみたいな事起こらないかなーって話してたんだよ」
そんなこと当然ながら近くで起こらないよな、と続けて俺は肩をすくめて見せた。もし起こるなら……そうだな、悪魔が召喚出来るようになるとか面白いと思う。
「んなもん俺らの周りで起こるわけねーだろ。一般論で考えろって、だからアキって呼ばれんだよ」
それがどう俺のあだ名につながるかはテッちゃんの脳内で完結してるらしいので必要以上には追及しないで置こう。こいつのギャグセンスはよく分からない。
だが、前半部分はやはり現実的というか夢のない話だ、若いのに夢を見ないと言うのはいささか人生を損しているのではないだろうか。
「テッちゃんは夢がなさ過ぎんだよ、全世界的だぜ? しかも最近は回数も増えてきてる。俺らの周りで起きてもおかしくないだろ」
希望は捨てるべきじゃない、こんな日常をぶち壊す何かが近くにあって何も願わないのはよっぽどつまらない人間だろう。
「まあ、アキの言い分も理解できるけどさ、宝くじに当たる人が居るからってそう当たるもんじゃないだろ、俺の親なんか50枚バラ買いして全部はずれとかやらかしたし」
半分あきれたようにリョウ兄さんが笑ってみせる。こう見ると一人で族潰したとかいううわさがある人物には見えないよな。
しかしリョウ兄さんの言い分にも一理あるか、落雷とかも何千何万とあるだろうけど知り合いで直撃した奴居ないしな。
「じゃああんなに面白そうな事おきてんのに俺らはニュースでしか見らんないのか?」
かといってそれじゃ詰まらない、しかし現場に遊びに行こうとしても、最寄の場所は県を三つも挟んでいて、距離的にはとても自転車と電車ではいけそうにない距離だ。ゴールデンウィークも先月終わっちゃったしな。
どうしようもない事だが、やっぱりつまらないことしか俺の周りに起こらないと改めて実感すると、溜息が出ることも仕方ないだろう。
「ま、そんなにがっかりすんなよアキ、今度合コン呼んでやるからさ」
「遠慮しとく、ていうかテッちゃん、俺が女嫌いなのをよく知ってんだろ」
以前飯食いに行くって言うからついて行ったら女が待機してて一回酷い事になったっつーのに懲りないなお前は。ちなみに酷い事ってのは、まず俺が注文したオムライスを……あーもう、思い出したくねえ。
あからさまに不機嫌になった俺の顔を見て、リョウ兄さんはどうしたもんかな、とでも言いたげに目を逸らし、一方のテッちゃんはそのまま話を続ける。
「おいおい、女が嫌いな男なんていねーだろ、少なくとも俺が会って来た中じゃ一人も居なかったな」
「テッちゃん、からかうのはそこら辺にしとけって、アキが困ってんだろうが」
不穏な空気になりかけた時点でリョウ兄さんが割って入る。兄さんは喧嘩慣れしてるからか、そういう空気には人一倍敏感らしい、まだそういう状態の兄さんを見た事はないが、やはりチビるレベルで怖いのだろうか。
その言葉にテッちゃんは萎縮する。やはり体格的に相手を威嚇出来るのは便利そうだ。真似できるとは思ってないけどな。
「んー師匠が言うならしょうがないか……それにしてもアキは相変わらずだよなー」
「お前もな」
相変わらずの言葉の応酬だ。価値観が正反対でも普通に話せるっていうのはすごい事だと思う。まあキリストとムハンマドは価値観逆じゃなくても話せないだろうけど。
「シショー、弁当持って来ましたーっ!」
突然甲高い声が響いたと思うと、リョウ兄さんの身体がわずかに揺れた。
ああ、いつもの事か、そう思って俺は眉間にしわを寄せてこめかみを押さえた。
何かリョウ兄さんは、腕っ節の強さからか、実際に師匠と呼ぶ奴、つまり「弟子」が何人か付いていた。大体はチンピラみたいなガラの悪い連中だが、その中で一人、チビっこい一年生が居た。
「無意味に人の背中を蹴るな、サカタ」
「えっ、先手必勝じゃないですか」
俺が眉間にしわを寄せた事である程度俺の気持ちを察してくれたようで、リョウ兄さんは振り返って栗毛のショートヘアー頭を首根っこ掴んで持ち上げた。どうやら外に連れ出してくれるらしい。
「今は喧嘩してないだろうが、とりあえず廊下に出ろ」
確か名前は坂田……なんだったか、女の名前は覚える気がしないからな、とにかくリョウ兄さんは綺麗に上履きの跡を残した背中を見せつつ俺たちに「済まない」と手だけで伝えてチビっこを抱えたまま出て行った。
「リョウ兄さんも大変だなあ」
「いやいや、女の子から手作り弁当貰えるなんてうらやましい限りだろ」
「……お前とは一生、価値観共有出来ないだろうな」
俺は半ばあきれて鼻を鳴らした。
俺が女を苦手になったのはいつだったか分からない、それは何か決定的なことがあってそれを忘れたとも、特にきっかけのような物は無かったとも言えるようなあいまいな物だ。
「……ただいま」
ドアを開けるとどぎつい香水の臭いが漏れてきた。こんなむせ返るような臭いを作るメーカーもメーカーだが、使うほうも使うほうだ。性格の一端はこの家にいる人間にあるような気がする。
小さい声で帰宅を告げた後、周りの人間を刺激しないように部屋まで歩いていき、制服を脱いでハンガーに掛ける。もうじき学ランの季節も終わる、クリーニングに出さなければ。
鼻が曲がりそうな香水の悪臭も、ある程度かいでしまえば嗅覚が麻痺して何も感じなくなる。汗で汚れたシャツを取り替え、私服に着替えて洗面所へ向かうと、頭の痛くなる光景が広がっていた。
脱ぎ散らかした女物の服と下着、放置するなよ。仕方なく俺は中指と人差し指で挟むように持ち上げて洗濯機に放り込む、そのまま放置して腐臭と香水の臭いをぶちまけられるよりはマシだ。
軽くさっき触った手を洗ってシャツを粉の洗剤と一緒に洗濯機に放り込んで開始のスイッチを押す。洗濯はこれでいいとして、後は夕飯の支度か、あいつらはどうせ外で食ってくるだろうけど万が一と言う事もある。チャーハンくらいは作る材料が残っているか確認しておこう。
「ただいまー」
そう思って台所へ向かおうとすると、聞きなれた声が聞こえてきた。声の主は履いていたブーツを脱ぐとまっすぐ洗面所へ向かってきている。それを足音で感じ取り、なるべく会話が無いようにさっさと台所へ向かった。
お互いに話したくは無いのだろう。無言のままドアですれ違うと、会話もなしに妹は顔を洗い始めた。
台所へ向かう途中、リビングを見るとタオルケットやら雑誌やらお菓子の空き箱が散乱していた。二日でよくここまで汚せる物だ。ある種の才能を感じるな。
とりあえず、また土曜日に掃除をしなければいけないようだ。
台所は台所でカップ焼きそばの空容器などが積まれていて、とてもじゃないがつい昨日、洗物をした後のようには見えなかった。俺は一度それを無視して、そうは言っても洗う人間は俺しか居ないから必然的に洗う事になるが、まずは冷蔵庫の在庫チェックをすることにした。
少し調味料の汚れでべたつく取っ手を掴んで扉を開けるとモーター音と共に心地の良い冷気が流れ出してきた。それを全身で思う存分受けたい衝動を抑えつつ、冷凍室を中心に見る。
やはりというかなんと言うか、肉は太るだの何だの言いつつ、姉さん達は油分たっぷりの冷凍食品を好んで食べているらしい。最近のものは健康に気を使ったものが多いとは言え手料理のほうが遥かに健康的だという事をあの人達は知らないらしい。
だが、冷凍食品しか減っていないという事は逆に言えば食材は手付かずだという事だ。切って焼く事すら面倒なのか、トーストサンド用の材料すら減っていなかったのは僥倖とするべきか。
とりあえずは材料が残っている事を確認したので、俺は洗物に取り掛かることにした。
絶対にゴキブリの数匹は居るんだろうなあ、と思いつつ水道の蛇口をひねる。もうこの家に住んでいる分にはゴキブリごときで驚く事もない、ここと風呂場なら洗剤、それ以外なら新聞紙か殺虫剤。冷静に対処すれば何も怖いことはないのだ。
最近は毒餌の効果も向上しているからそれも置いてみようか、そんなことを考えつつ綺麗に汚れを落として乾燥機に並べていく。目の前の窓から見える空は灰色で、俺の気持ちをよく表していた。
「アキラー、腹減ったからなんか作ってー」
洗物が三分の二ほど終わった頃、間延びした声で俺を呼ぶ声がした。ほぼそれと同時に、香水の臭いがどっときつくなる。なれている俺ですらむせそうな臭いを振りまいている声の主は、認めたくはないが俺の姉だ。
姉は無遠慮に台所へ入ってくると、髪留めを全部外してぼさぼさになった髪の毛を揺らしつつ俺に抱きつこうとしてくる。臭いが移るから心底止めて欲しい。
「タコヤキが冷凍庫に残ってたよ、ソースはまだ残ってる」
抱きつこうとしてくる腕を相手を見ずにさりげなく回避しつつ、冷凍食品を薦める。夕飯まで待てないのかと思うが、言ったところで待たないのは知っているから黙っておいた。
これでも男に人気があるらしい、全くもって下半身直結の奴らには頭が下がるな。
「タコヤキは飽きたから嫌、あたしはアキラに作って欲しいの」
さっさと結婚して出て行ってくれないかなーとか考えていると、おぞ気のするほど気持ち悪い言い方で「お前が作れ」と言われてしまった。
仕方ない、夕飯もそれほど遠いわけでもないし、作ってしまうか。
「分かったからリビングでテレビでも見ておいてくれ、洗い物も終わってないんだ」
俺としては今すぐついた臭いを消臭剤でどうにかしたいところだが、俺さえもこの家の家事を放り出してしまうとこの家はたちまちゴミ屋敷になるのでそうも行かないのだ。
本当にこんな日常が終わるのなら俺は死ぬ以外なら何でも許容できる。ぶつくさ言いつつリビングへ引っ込む姉を視界の隅で確認しながらそんなことを思った。
そうは言っても昼間のあいつらと会話した通り、そう都合の良いことは早々起こらない、いやそれが起こってくれるのなら大歓迎だけれども、まず起こらないだろうということについ昼間に気付かされてしまった。そういう点ではあいつらを恨んでも良いかもしれない。
「痛っ」
空想に耽ると手元が疎かになるのが俺の悪いクセだ。パンも減っていない状況で何に乗せたのかは分からないが、珍しくツナマヨを作って食べたのだろう、鋭利な蓋で左手の小指を切ってしまった。
滲む血を見て絆創膏を貼ろうかと思ったが、案外深い傷でもなかったので気にしないことにした。粗方終わった洗い物を放り出してまで治療する傷じゃないと思うし。
残る数枚の皿をすすいで乾燥機に掛けてタイマーのねじを九十度ほどねじってから、俺はもう一回冷蔵庫を開ける。中身は変わるわけではないので、適当な具材と冷凍ご飯を使ってチャーハンを作ろう。
姉の好みに合うかどうかは分からないが、気分屋のアレに合わせて夕飯を作ること自体が明らかな失敗フラグなので、自分が作りやすいと思ったものを作ることにした。
しばらく考えた後、ハムが余っていたのでそれを使ってチャーハンを作った。
香ばしい匂いと共においしそうな小麦色のご飯粒が皿に盛り分けられると、丁度俺の腹が捻れるように空腹を訴えた。
そうだな、どうせ腹の中に入るんだから今食っても問題ないだろう。味見もかねて食べてしまおう。
「二人とも、ご飯」
たらふく食べた後に、二人を呼ぶ、注文を出した姉はもちろんだが、妹もそれなりの速さでやってきたので、案外みんな空腹だったらしい。
窓から見える景色は夕日もほぼ沈みきり、群青色に染まっていて、太陽の代わりに電灯が急場しのぎで片付けた机と俺を含めた三人を照らしていた。
机の上にあるのは俺が運んできたチャーハンを盛った皿が二つ、俺は味見も兼ねて既に食べたので、机から離れたところでペットボトルのウーロン茶をゴクゴクと飲んでいる。
曲がりなりにも家族だ、別に一緒の食卓を迎えたくないと言うわけではない。だからこそ俺は、自分の部屋があるにもかかわらずここでウーロン茶を飲んでいるのだ。
問題はこの二人、ひたすら二人で会話しながら食べるので、俺はいつも仲間はずれだ。別に構って欲しいわけじゃないが、自分を認識してくれる人が周りにいないのなら長々とその場にいたくないと言うのが理由だ。
洗濯物ももうすぐ終わるだろう、そうすれば俺は部屋干しをした後、食器を洗ってシャワーを浴びれば、後は俺個人の時間だ。
「お兄ちゃん、一緒に食べないの?」
口元にご飯粒をくっつけたまま、妹がこちらを見る。俺のことは放って置いて良い、という意味で首を横に振って、その後ウーロン茶をぐっと傾けて飲み干すと、俺は台所へ向かおうとする。
「ちょっとアキラ、食事時くらい一緒に居なさいよ」
さっさとやる事を済ませてしまおうと思っていると、姉のほうから呼びとめが掛かった。どうせくだらない理由だろうが、ここで無視すると余計ややこしいので従う事にする。
「なんだよ姉貴」
今度はどんなドラマに影響されたんだ、とは流石に言わなかったが、今の声はかなり不機嫌そうな声に聞こえただろう。
あえてそれを気にせずに、俺はさっきまで座っていた場所に戻る。
「何って、家族なんだから一緒に食事をするのは当然でしょ?」
何を言っているの、とでも言いたそうな顔で姉貴はスプーン片手に言った。それはもっともなんだが、散々俺をないがしろにしてガールズトークとやらに花を咲かせていた奴に言われると釈然としない気持ちが募る。
まあここで俺がどうこう言ってそれ以上空気を悪くするのは憚られたから、俺はそれ以上何も言わずに夕暮れ時の料理番組を見始めた。
番組の中では、ヤラセだろうが一人の男が、ゲストである女優ににこやかな笑いを振りまきつつ料理を作っていた。
よくもまああんな気持ちの悪い笑顔を振りまきながら料理が出来るもんだ。俺なら絶対に仏頂面だな、友人相手ならまたちょっと違うかもしれないが、女相手ならどんなに美人で性格がよかろうと俺にはとても出来そうにないし、今後もやるつもりは無い。
「お兄ちゃんもこれくらい愛想よければモテるのにね」
突然妹がそんなことを言い出した。
「そうねー、もうちょっと可愛げのあったほうが可愛い弟として見れるわね」
姉貴も妹の意見に同調するように言う。しかしその中に明らかな棘があることを、俺は感じ取った。
誰のせいでこんな捻じ曲がった性格になったと思ってるんだ。俺は夕飯を食べたばかりだというのに腹が立ってきた。要因の全部ではないにせよ、だらしの無いこいつらが一端だという事は俺の中では絶対の自信を持って主張できるところだ。
「愛想無くて悪かったな」
そう言って立ち上がると、今度こそ俺はペットボトルをゴミ箱に捨てて部屋のドアに手を掛けた。これ以上イライラさせる言葉を聞かされても胃の粘膜を傷つけるだけだし、その場の和を乱してしまうと判断したからだ。
「アキラ?」
姉貴に呼び止められたが、俺はこれ以上いると余計に陰気を撒き散らしそうだった。だからもう何を言われようと無視をして自室の布団に入ってしまおうと考えた。
少しばかり早い時間で、何の支度もしていなかったが、明日早く起きれば良い、廊下を進んで自分の部屋に鍵を掛けて閉じこもるとそんなことを考えた。
暑いので服を脱いで下着だけになると、俺はそのまま布団に入った。パジャマを着ても良いのだが、最近は暑いからちょうどいいだろう。
時計を見るとまだ七時半を回った辺りだったが、その時刻を示す時計でも、やはり俺を思い留まらせるには不十分で、俺はそれらの主張をすべて却下するかのように電気を落とした。
目を閉じるとすぐに睡魔がやってくる……はずも無く、俺は眠れずに居る事をもどかしく思うと、真っ暗な天井を見つめた。そこにはいくつかの染み以外は特に見るべきものもなく、代わり映えのしない眺めだった。
「アキラ、起きてる?」
ノックの後、ガチャガチャとドアを開けようとする音が響いて、最後にその声が聞こえてきた。
放って置いてくれれば良いのに、姉貴はなにやらドアの前でごそごそと何かを始めた。まさか十円玉を使って開錠するつもりか、一瞬そう思ったものの、どうやら金属同士が擦れるような音はしないようなので、それも違うようだ。
ドアの下から漏れる光を頼りに動きを推察すると、どうにかして中に入ろうとしていると言うよりは、俺の返事を待っているように感じられた。
「……なんだよ、姉貴」
そのままだと朝までうろつきそうだったから早めに声を掛ける事にした。夜更かしは肌の敵だとか言いつつも、こういうことに関しては本当にしつこい。
「アキラ……!」
俺に返事してもらったのがよっぽど嬉しいのか、姉貴はさっきの控えめな調子とは打って変わって機嫌の良さそうな声で一方的に話し始めた。
「えっと、ごめんね、あの子も反省してるしさ、ちょっとあてつけみたいな事を言っちゃって……」
「いいよ、別に気にしてない」
俺としては、散々世話焼かせておいて、食事時はないがしろの癖に、こういう皮肉を言う時だけ俺を見ている態度の方を怒っていたんだが、もうどうでも良い、朝まで不貞寝をして自分の機嫌を直すつもりだ。
「でもアキラ怒って……」
「うるさいな、もう寝かせてくれよ、明日には元に戻ってるからさ」
そう言って今度こそ目を閉じる。しばらく手持ち無沙汰にドアの前をうろついている姉貴の気配があったが、それもしばらく経てば無くなっていた。
その日、見た夢はとても奇妙な物だった。
闇の中で立っているのか浮いているのかよく分からない状態で、そんな不確定な空間ではあるものの俺自身の身体は嫌というほどに良く見えた。
夢というのは奇妙な物で、こんな不安になりそうな空間にいても、俺はむしろ落ち着いた気持ちで辺りを何とか見渡せないかと見回してみたり手を動かして周りに何があるのか確認しようとしてみたり、とにかく何の恐怖も抱かずにいられた。
それがありがたいのか不幸なのかはよく分からないが、ぬるま湯に首までつかったような脱力感を俺は体全体で感じていた。
そして、そういった行動を続けていくうちに、ふと自分の左小指が夕飯前につけた切り傷からぱっくりと二つに裂けていることに気付き、慌てて手で押さえる。すると、どろりと塗り薬を手に出したような感触と共に、骨ごと俺の小指は闇の中へ溶けていってしまった。
小指の無くなった手を見ると少しずつではあるがその切り口から徐々に俺が溶け出し始めていた。しかしそのことにさえ俺は全く不安を抱かずに、むしろ気持ちの良い気分のままそれの感触を楽しんでいた。
そのまま溶けていく中で、丁度手首まで溶け切った頃だろうか、足を見ると膝から下が無かった。ああ、つまり俺はこの暗闇で浮いているんだな、そんなことを考えたのを俺は覚えている。
今思えば完全に場違いか、気が狂っているかのようにも見える冷静な分析だが、その時俺はそうあって当然だと思っていたし、残るもう片方の腕も既に解け始めて、二の腕から先はもう原型を止めないほどに解けている状況に気がついても、それ以上の危機感を感じられなかった。
その危機感の感じられない危機的状況のまま、四肢を完全に溶かし、徐々に胴体も溶けていき、喉、下顎、目、頭蓋骨が溶かされ、脳味噌だけの存在になった。五感が既にないというのにそれは理解できて、そのまま徐々にさっきまでとは逆の順序で体が出来ていくのを感じた。
その身体は、何か前までの体とは違う感触がして強烈な違和感を俺に与えてきた。そしてその違和感から来る抵抗しがたい苛立ちによって俺は目が覚めた。
「……」
吐き気がする。
なんだろう、体が自分のものじゃない、すべての感覚がそう訴えている。
近くに明かりは無いのかと目を開けて辺りを見回すが、辺りが暗すぎて手元すらもおぼつかない、今は何時だ? 窓から見えるはずの景色も光の数粒が見えるのみで正確な時間を知るには不十分だ。
「クソ、明かりは……?」
想像していたよりもかなり甲高い声が出たことに驚いた。この強烈な倦怠感にも似た違和感も含めて考えると、風邪でも引いたのだろうか?
どちらにしても汗が気持ち悪い洗面所へ向かおう。俺が身体を起こすと違和感はさらに顕著になった。
立ち上がるのも嫌になるほどの気持ち悪さを振り払って立ち上がると、ずっしりと体の重さを感じた。そして、寝起きとすさまじい感触に抵抗してドアの鍵を手探りで開け、洗面所まで俺は壁に寄りかかりつつも歩いていく事に成功した。
吐き気を催すほどの感覚にさいなまれつつもトイレではなく洗面所へ向かったのは、ただ単にこちらの方が近かったことと、汗をさっさと流してしまいたいからだ。
手探りで電源を探す。この暗さは正直耐え難い、姉貴も妹も今は寝ているらしく、辺りには静寂が満ちていた。その静寂を少し不気味に思い始めた時、手に電源スイッチの感触が掠った。
「うわっ!?」
なんとか短い声を上げただけで済んだ自分を褒めて欲しい、電気をつけると女が目の前にいるとか本当にドッキリも良いところだ。
そして、ここから先が恐ろしい事なのだが、その女は鏡の中にしかいない点だ、辺りを見回しても、頬を抓っても、彼女は消えないし俺以外の人間は見当たらない。
「え……いやいや、まさか」
さらに恐るべきは、その鏡にしかいない女の代わりに、俺の姿が消えていて、なおかつ彼女は俺の行動を完全にトレースしていた。
「そんなわけが……」
無い、と俺は言えなかった。少し冷静になり始めた脳味噌で、冷静に考えればこの声は明らかに女の物だったし、体の違和感も体の構造が違うのだから当然だろう。
恐る恐る指を鏡に向かって伸ばす。マニキュアも何も塗っていないが、艶があり、血色の良いやわらかそうな手が俺の動きに合わせて動き、鏡の前にある自分の手も同じように「女物」だった。
ついに手が鏡に触れた。その瞬間、俺の中で決定的な何かが壊れたような気がする。
「う、嘘だろ? おい」
長い黒髪、細い眉、化粧気の無い割には長いまつげと赤い柔らかそうな唇、そして華奢な体格の割には強烈に自己主張をする胸。
残った腕も鏡に触れてみるが、こちらもまるでそうであるのが当然であるかのように片方の腕と対称になっていた。
信じたくない事だが、どうやら俺は一番嫌いな「女」になってしまったらしい。
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MF一次落ち。評価はキャラが没個性、生き生きとしてない、視点が不安定など散々。ヒロインの視点から主人公を書こうとして失敗したという言い訳。いつか再チャレンジする。 | ||
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