【オリジナル小説】空の欠片と、飛べない竜と。 |
私は知らなかった。
こんなにも空が青く、海よりも澄み渡っていることを。
私は知らなかった。
こんなにも風が心地よく、心を穏やかにしてくれることを。
私は知らなかった。
大地から離れ、新しい世界へ飛び立つときの高揚感を。
そう、私は今。
空の欠片を、手にしている。
風になびく草原に、いくつもの影が落ちていた。
大きく翼をはばたかせ、自由に空を駆ける竜たちの影が。
綺麗にシンメトリーを描く影達が、心地よさそうに地面を駆けてゆく。
まるで、私のことを誘うように、駆けてゆく。
もしも私が空を仰げば、その影の主たちを目にすることができただろう。
空を飛ぶことの喜びを、今まさに感じている竜たちを、見ることができただろう。
でも、私は顔を上げることは出来なかった。
ただひたすらに地面に目を向け、遠ざかってゆく影たちを見守ることしかできなかった。
その理由は、私自身にあったのだ。
幼いころから、不思議に思っていた。
近所の仔竜たちが、翼を使う訓練を始めたというのに。
私の両親は、私にそれをさせようとはしなかった。
大人たちが仔竜たちを背にのせ、風と触れ合わせている時でさえ。
私の両親は、私を背に乗せてはくれなかった。
大人の竜が当たり前のように空を飛んでいるというのに。
仔竜が背の上で、嬉しそうにはしゃいでいるというのに。
私はただ、その光景を地面の上から眺めているだけ。
私が両親に嫌われているわけではない。
それは私自身が一番よくわかっている。
両親は、私に溢れんばかりの愛情を注いでくれた。
周りと同じように、いや周り以上に。
心の底から可愛がってくれていることは、よくわかっているのだ。
なら、何が理由なのだろうか。
そんなことは、すぐに解った。
幼い私の頭でも、解ってしまった。
でも、私はその理由を口にできなかった。
もしも、それを口にしてしまったら。
もしも、その事実を受け入れてしまったら。
私はきっと、両親に問いかけていたことだろう。
「どうして、私には"翼"が無いの?」
と。
それから月日は経ち、周りの仔竜は立派に成長していった。
幼いころは心もとなかった翼も、今ではしっかりと風をつかんでいる。
大人たちも、そんな彼らの成長ぶりを見て、しきりに褒め称えていた。
これならもうすぐ、ひとりで飛べるようにもなるだろう、と。
本人たちもそれを実感し、お互い嬉しそうに将来のことを語り合っていた。
飛べるようになったら、何処へ行こうか。
飛べるようになったら、何をしようか。
穢れの無い、澄んだ瞳を輝かせて。
自らの心に広げた"空"という名のキャンパスに、想い想いの夢を描いていた。
そう、空を飛べること。
それが"大人"になるということ。
それが、私の村での掟だった。
彼らの影を追い続けて、どれくらいの月日が経っただろうか。
とうとう、彼らが大人になる日がやってきた。
村中の大人たちが見守るなか、仔竜である彼らは自信ありげに翼を広げる。
空を見つめる、凛々しい横顔。
大地に落ちる、巨大な影。
そして、風と共に舞い上がっていく姿。
彼らはもう仔竜ではない。
彼らは、竜になったのだ。
帰り際、離れたところを歩いていた彼らの会話を耳にした。
彼らは数日の間に、村から旅立っていくという。
生涯の伴侶を見つけ、村へと胸を張って戻るために。
世界を知り、心を成長させ、種の繁栄に貢献するために。
彼らは風と共に、世界へ旅立つのだ。
でも私は、その中には含まれていなかった。
誇らしげな顔で、一列に並ぶ彼らの中に。
私は並ぶことができなかったのだ。
彼らの背中に在って、私の背中には無いもの。
大人である証。竜である証。生きるための証。
私は、その"証"を持っていないのだから。
私は、その"翼"を持っていないのだから。
風になびく草原に、いくつもの影が落ちていた。
大きく翼をはばたかせ、自由に空を駆ける竜たちの影が。
はるか遠くに見える、山々の向こう側へ。
果てしなく続く、水平線の向こう側へ。
彼らは旅立ってゆく。
私には無い、その立派な翼をはばたかせて。
生まれ育った村のために。
育ててくれた、大人たちのために。
世界へ、旅立っていく。
その光景を目にした大人たちは皆、大粒の涙を流していた。
彼らの成長に感動し、喜びの涙を流す竜が居る。
彼らとの別れを惜しみ、哀しみの涙を流す竜が居る。
そして、私の背中に謝りながら、憐みの涙を流す両親が居る。
でも、私は泣けなかった。
旅立つ彼らを見ても、何も感じなくなっていたのだから。
そう、私は無くしていたのだ。
悲しみも、喜びも、怒りも、全て。
"翼"を無くした私は、"心"まで無くしていたのだ。
彼らが旅立った後の村は、何も変わらなかった。
いや、大人たちがわざと、変わらないように見せていた。
大人たちは誰もが、悲しみを表に出さぬように。
いつも通りの生活を続けているように、振る舞っていた。
そんな、見かけだけはいつも通りの世界。
少し裏を返せば、別れの悲しみで溢れた世界。
その世界の中で、私は取り残されていた。
私だけが、何も変わらない。
私だけが、何も感じない。
私だけが、この世界から切り離されている。
そんな気さえ、していたのだ。
昼と夜の狭間にある、夕闇に包まれた世界。
彼らの旅立った昼の世界でも、大人たちの悲しみに溢れた夜の世界でもない。
どちらの世界にも居られない、"私"だけの夕闇の世界。
そんなふたつの世界を淡々を眺めながら、私は筆をとっている。
竜になれなかった竜の想いを、絶やさぬために。
幼いころに失った心を、残していくために。
私は今、真っ白な紙にインクを垂らしている。
これは、誰かに詠まれるのだろうか?
これは、誰かの心に刻まれるのだろうか?
それは私にはわからない。
何も持っていない私に、できることがあるとすれば。
私の心に眠る、本当の想いを文字にするだけだった。
『生きた"証"であるこの本が、誰かの心に留まらんことを。』
そう、最後の言葉を書き終えて、私は家を後にした。
私は私なりに"証"を残した。
私はもう、仔竜ではない。
私はもう、立派な大人になったのだ。
ならば、私が行くべき場所はひとつ。
大人として、竜として、旅立つために。
私は、あの海が見える丘へと歩き出した。
風になびく草原には、影一つ落ちていなかった。
仔竜たちのはしゃぐ声も、それを叱る大人の声も聞こえない。
この丘に居るのは、私一人だった。
私は白い本を携え、丘の真ん中にある木へ向かっていった。
幼いころは、あれだけ大きく見えた木も、今では簡単に登れそうだった。
白い本を木の幹に預けると、丘の先へと歩き始めた。
これまでの私は、あの木から先には進めなかった。
あそこから先は、"証"を持っていないと進んではいけない。
そんな感情が、私の中にあったからだ。
でも、今は違う。
昔は持っていなかった"証"を手に入れたのだ。
私の背中には、私の手で描いた"翼"がある。
例え、それが幻のインクで描かれていたとしても。
私にとっては、幻でも何でもない。
私の"証"であり、"翼"であることは、真実なのだ。
あれほど遠く感じていた空が、目の前にある。
手を伸ばせば届きそうなほど、近くにある。
私は、彼らに追いつくために。
今、一歩を踏み出そう。
恐れることは、何もない。
村のために、父のために、母のために。
私は大きく翼を広げ、果てしない世界へ飛び立った。
私は知らなかった。
こんなにも空が青く、海よりも澄み渡っていることを。
私は知らなかった。
こんなにも風が心地よく、心を穏やかにしてくれることを。
私は知らなかった。
大地から離れ、新しい世界へ飛び立つときの高揚感を。
そう、私は今。
空の欠片を、手にしている。
最初で最後の、翼を広げて。
説明 | ||
今までとはちょっと違う書き方に挑戦してみました。彼(彼女)の最後は…。あなたの、想像のままに。 | ||
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