黒竜と魔法使い |
この世界では『竜』とは『強者』である。
燃えるような赤の鱗を持つ竜は無遠慮に他竜の巣へと地響きを立ててやって来た。
それを出迎えることが面倒な、漆黒の鱗を持つ竜は巣の奥で丸まったままピクリとも動かなかった。
「よう、黒竜ベルデウィウス!」
響く掛け声に黒竜―ベルデウィウスは片目瞼を開けてその黄金の瞳で赤の竜を見た。
そして、瞼を閉じる。
「おーい!おおーい!!」
ぺしぺしと黒竜を赤の竜は己の尻尾で叩き始め、
「起きろってば!」
騒ぎ始めた。
「で、何か用か…赤竜ディウクリス」
壁に大穴が開いた状態を気にせずで黒竜は問う。
「うががが…。いてぇ…っ」
穴の中から赤竜がはいずる様に現れ、
「てめぇ!ベルデウィウス!!」
「黙れ。貴様がしていたことと同じことをしただけだ」
尻尾で叩かれたので、尻尾で叩き返しただけだと答えると、赤竜が声を上げた。
「アレは叩いたってレベルじゃねえ!!殴ったの間違いだろう!!!」
わーわーと声を上げる赤竜―ディウクリスにベルデウィウスは身体を丸め始めた。
「待て!待ってくれ!ちょっと待て!寝るな!!」
「……何だと言うんだ、一体、貴様は…」
「ちょっと相談事があるんだけど…」
その言葉に、黒竜はため息をついた。
「貴様の相談事など些細なことだ。私でなくとも、青竜あたりにでも――」
「その青竜が、だな…」
「?」
言いよどむディウクリスをいぶかしみながら見つめる。
「俺の炎で大やけどを負ってしまったんだ…」
「死ね」
勢いよく尻尾を振り上げたベルデウィウスにディウクリスは悲鳴を上げた。
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!ころさないでーーーーーーーーーー!!」
* * * *
赤の竜の炎で焼けただれた青竜の身体は悲惨なもので…。
かろうじて息はあり、赤竜ディウクリスの治癒力で傷を癒してはいたが…。
「……エウセリウ…」
青竜は黒竜のつぶやきに黄金の瞳を細めた。
「なんてバカなことを…。むしろ、氷漬けにしてしまえばいいものを…」
「ベルデウィウス、てめぇ!!」
「……丸焼きにしておいて声を上げる資格があるのか。貴様に」
「うぐぐぐ…」
「私とて、竜だがエウセリウを治すことはできない…」
赤竜によって丸焼きとされた青竜を助けることができない…。
沈痛な表情を浮かべる黒竜に、青竜はかすれた声で告げた。
「この身は、…っよく永らえた…」
赤竜はおろおろと慌てだした。青竜の言おうとしていることが分かったのだ。
「……このまま、空へ…還ること、嬉しく…」
「………エウセリウ…、俺…っ」
赤竜がぼろぼろと涙をこぼし始めた。
空へ還る――それは、竜の死を意味する。
長らく生き続けた竜は、空へと還る――。『空』は竜の故郷でもあり、古の母でもある。
竜の住む地は、大地と空の間――『狭間』と呼ばれる空間にあり、狭間は竜にとっての『大地』である。
狭間で生きる竜には、人間たちの干渉を受けず穏やかにその長き生を過ごすのだ。
「ディウクリス、人に近しい竜を知らないか?」
ディウクリスは涙を止め、ベルデウィウスを見た。
人間?、と。
「人間の魔法使いの中で秀でた治癒能力者がいるはずだ。その者に癒してもらうほかない…エウセリウ、悪いが、死ぬならばこの赤竜を氷漬けにしてから死んでくれ」
「…ヒドイ、お前、ヒドイッ…」
言葉の凶器に涙をこぼした赤竜の腹を尻尾でしたたか殴る。
「貴様はエウセリウの痛みを和らげることに専念しろ。いいな」
「ぅう…わ、わかっ…たっ」
痛みをこらえて言葉を返す赤竜。
「で、貴様の知る竜はいるか?」
「…いてて…さあ、どうだろう…。俺の知る竜って言うと『花嫁』を持っている奴らだけど…魔法使いなら南の魔法使いの『都』カールセンのやつらに聞けばいいんじゃないか?」
「カールセンか……」
嫌そうに顔をゆがめた黒竜に、赤竜は言った。
「それか、セント・リリエル」
「…一日で何とかする。ディウクリス、エウセリウを頼むぞ」
「ああ…。っベルデウィウス…、悪い…宜しく頼むっ!…いてて…」
すがるような声 (というか、痛みをこらえた声)に、ベルデウィウスは目を閉じた。
* * * *
半日、治癒できる魔法使いを求めて大陸を回った。
竜が現れたことに驚愕する魔法使いたちとその中の僅かな魔法使いの『貪欲』眼差しに嫌悪を抱かずにはいれらず、身の危険を感じる前に早々に立ち去る。
時間稼ぎに魔法使いを探す手伝いを申し出る魔法使いたちもいたが、貪欲な眼差しを持つ魔法使いを信用するほど『竜』は愚かではない。
半日周ったが、竜を癒すことのできる高位の魔法使いはいなかった。
最後に回った塔の壮年の魔法使いと出会い、その魔法使いが言った。
「高位の治癒魔法を使える魔法使いですか…?」
険しい顔をして、そして告げる。
「残念ながら、我が塔にもそのような者はおりません」
お力になれず申し訳ございません。
その魔法使いは、魔法使いでありながら、その瞳は『力』を求めてはいなかった。
世界の真理を追究し、己の魔法を磨き上げることを好む魔法使いがいる中、魔法を研究ではなく『誰かの為』と心に決めている者の眼差しだった。
魔法使いの言葉に落胆を隠せずにいたベルデウィウスは、その男の次の言葉に可能性を見出した。
「治癒魔法ではなく、薬はどうでしょうか?腕の良い魔法研究者《ディーン》を知っております」
だが、魔法研究者《ディーン》という言葉にその黄金の瞳が細められ、魔法使いは畏縮した。
魔法研究者《ディーン》とは、あの貪欲な眼差しを向けた者たちのことだ。
魔法使いの中でも、あまり褒められた部類のものではない。
そう認識しているベルデウィウスは内心毒づく。
だが、
「その魔法研究者《ディーン》は変わり者ですが、悪い人間ではありません」
魔法使いの苦笑い、と言うよりも、脛を蹴られたような沈痛な表情に言葉を飲む。
さて、どうすべきか…。
刻々と迫る、赤竜との約束の時間。青竜の容体も気になる。
あまり好ましくはないが、その変わり者の魔法研究者《ディーン》に会ってみよう。
(他に手がないのだから)
そうベルデウィウスは割り切って魔法使いにその者の居場所を問うと、
「東の森です。中央都の魔法学院《セント・リリエル》の生徒なのですが、東の森の塔へこもりっぱなしなのです」
今度は本当の苦笑い。
そして、
「黒竜様、一つよろしいですか。あの者と会うには、そのお姿は非常にまずいのです。人の姿をとることは可能でしょうか?」
魔法使いは、ベルデウィウスにそう告げた。
そして、
「そして、決して―――貴方様が『竜』だと告げてはなりません」
それは――その『魔法研究者《ディーン》』があまりにも『竜』には危険だと言っているようなもので。
「………」
会う事には決めたが、魔法使いの言葉にやはり止めようかと本気でベルデウィウスは考えた。
* * * *
その、魔法使い―魔法研究者《ディーン》の名を、シルヴィアと言う。
東のアルファレシュトの塔でカビ臭い魔法書に囲まれ、『彼女』は朝から晩まで本を読んでいるらしい。
何時寝ているのか、魔法使いが問うとその者はこう答えたらしい。
「えっと、気がつくと床で寝てるんですよ」
それは、倒れたの間違いだろう。
話を聞いていたベルデウィウスは魔法使いの言葉に内心突っ込んだ。
それを感じたのか、魔法使いは苦笑いを浮かべた。どうやら同じ意見らしい。
確かに変り者だ。
面倒なことだな、と人の姿に変わった黒竜―ベルデウィウスは東の森にあるアルファレシュトの塔を地上より見上げた。
人の身で感じる太陽の日差しは熱く、『夏』という季節を感じられた。汗が流れるほどではないが、涼しくもない。
不思議な気持ちで太陽を見上げ、塔の門を叩く。数分待つが何の音沙汰差もなし。
だが、塔内部に人の『魔力(マナ)』を感じた。
(……どうやら気がついていなようだな)
もう一度、今度は強く叩く、が待てど中のものは現れない。
扉を強く押すと、勢いよく半開きとなり、
「…………」
頭を抱えたくなった。
魔法使いの塔にしては、不用心すぎる。
薄暗い内部は特に異状もない。
いや、罠《トラップ》の可能性もなくはない。
さて、
「…どうするか…」
そう呟くと、よたよたとした足音が聞こえる。何処までも危なっかしい、足音だ。
竜の耳で捉えたその人間の息遣いはどこか荒い。
「っうう…おもい…」
よたよたと、塔の螺旋階段より少女が両手いっぱいの本を抱えて降りてきた。
見ているだけでも危なっかしい足取りで、だ。
「…うっんしょ」
抱えなおしながら、よたよた歩き、
階段を完全に降り、「やった!」と声を上げ再び本を抱えなおした。
その様を見ていたベルデウィウスは少女の若葉のような新緑色の長い髪に目を引かれた。
そして、少女と視線が合う。
確か、シルヴィアという魔法研究者《ディーン》は新緑色の髪に、紫《アメジスト》の瞳。
少女はベルデウィウスを見てぽかんと口を開けた。
そんな少女にベルデウィウスは問う。
「シルヴィア・ローアセム、か?」
と。
まだあどけなさを残す少女は、人の姿のベルデウィウスの漆黒の髪の美しさに言葉を失っていた。
艶やかな髪に陽の光が反射し、まるで輝石の輝きを放っている。
逆行から見てとられたその切れ長の瞳は、髪と同じ漆黒。
この、真夏の炎天下、黒衣をまとった男の異質さにも驚きはしたが、男から感じた魔力《マナ》の大きさもさらに追い打ちをかけた。
逆に、ベルデウィウスは、可憐と言っても良い少女のあまりにもありきたりな魔法使いの魔力《マナ》に
少女を紹介した魔法使いをいぶかしむ。
この少女が、ベルデウィウスが求めるだけの働きを果たして行うのだろうか、と。
少女は、はっと我に返ったがその瞬間、手にした魔導書を落としてしまい慌てて拾う。
そして、拾いながら――ベルデウィウスを見上げ、
「はい。私が、魔法研究者《ディーン》のシルヴィアです。…えっと…?」
戸惑うように本を拾い上げ、
「どちらさまでしょう?」
ベルデウィスに問う。
あからさまに警戒が滲んでいる。その眼差しに、ベルデウィウスは警戒を解いた。
魔法研究者《ディーン》としては、変わり者かもしれない、と。
ベルデウィウスはシルヴィアに告げる。
「薬を調合してもらいたい。友が酷い怪我を負ってしまったので――」
「!? 怪我、ですか!?大変です!傷の具合は!?いえ、どんな傷ですか?!」
魔法書を再び落とし、けれど先ほどとは違うのは魔法書に気を取られてはいない。
ベルデウィウスの黒衣をつかみ、傷の具合を聞いてくる。
その勢いに、ベルデウィウスはたじろぐ。
「や、やけど…」
「やけど、やけどね!やけどの薬で新調合した魔法薬があるの!構想では、通常の魔法薬の100倍は効き目があるはずなのよ!」
パンと手をたたき、紫の目をキラキラとさせベルデウィウスを見つめる。
「大丈夫、きっとお友達は良くなるわ!」
頬を染め上げて、微笑む少女はそう自信たっぷりに言い放った。
確かに、変わり者というか――いや、この自信たっぷり感は魔法研究者《ディーン》そのものだと、顔が引きつるのを感じた。
魔法研究者《ディーン》とは、攻撃魔法、補助魔法、防御魔法、癒しの魔法、この四つの魔法を数式で現し、組み立て、混ぜる魔法使いのことだ。
数式だけではなく、薬学にもおよび、その知識をさらに発展させる研究をする者のことも言う。
少女―シルヴィアは薬学を主体とした魔法研究者《ディーン》のようだ。
「……二つ、聞きたいのだが…」
黒衣を掴み、ベルデウィウスの顔がすぐ近くにある状態でシルヴィアは目をぱちくりとさせた。
「まず一つ、『新調合』した薬ということ。二つ、効果が『構想』では、ということ…」
険しい眼差しを向けるベルデウィウスにシルヴィアははて?と首をひねる。
だから、何?と眼差しがベルデウィウスに問う。
「………、使える薬かもわからないモノを私が友に使うとでも?」
「? なら、私が使えない薬を他者に与えるとでも?」
問いかけに問いかけを返し、
「私は私の知識を持って、完成度の高い魔法薬を調合しているの。私の知識は完璧で、完全よ。だから、この薬は100倍の効力があるの。それは、私の構想で証明されているのよ」
「………」
頭を抱えたくなったベルデウィウスは呻くようにシルヴィアに告げる。
「…大した自信だな」
「自信じゃないわ。これは、当たり前のことよ。私の知識は完璧で、完全なのだから」
ふくよかとは言えない胸を張りながら、満面の笑みを浮かべて告げる。
「私の薬を持って行って。ただで差し上げます。もしも、この薬が100倍の効果が無かったのなら私を殺しに来てください」
「…は?」
「だから、私を殺しに来てくださいと言ったんです。この薬が効かなかったということは、あなたのお友達が助けられなかったということでしょう?魔法使いでなく、魔法研究者《ディーン》を頼ったということは、あなたほどの魔力《マナ》を持ってでも助けられない怪我なのでしょう?なら、藁にでもすがるようにこの薬を使ってください。そして、もし助けられなかったのなら、すべては私の責任です」
なにを、…。
絶句するベルデウィウスに追い打ちをかけるように、シルヴィアは微笑む。
「薬を受け取らず、悔むのなら、賭けに負けて悔み、私を怨んでください」
薬を取ってきますね。と言って本を散らかしたまま螺旋階段の上へと消えた。
茫然とシルヴィアの背を見送り、
「…………」
彼女の言葉の意味するところに気付く。
つまり、助けられなかったら――己を怨むな、私を怨め、ということだ。
今日、初めて会った者に何故そこまで言えるのか――。
それほどまでに、その薬の出来に自信があるのか。
どういう魂胆なのか。
測りかねているうちに、シルヴィアが瓶を抱えてやってきた。
ワインボトルほどの瓶には、桃色の液体が入っている。
「やけどの範囲がわからないので、全部持ってきました。こちらは魔法陣を描いた紙です。魔法薬なので魔法陣を使って効果の範囲を広げてください、えっと…」
紙と瓶をベルデウィウスに押し付けて、その瞳を見つめて、
「…魔法使い、ですよね?魔法陣の展開は大丈夫ですか?駄目なら、私も一緒に行きますが…」
問いかける。
ここで、違うと言ったらどうなるのか。
そう思いつつも、紙の内容を見て、その魔法陣の完成度に目を見張る。
どうやら薬だけではなく、数式にも強いらしい。
「…大丈夫だ。この紙に描かれた魔法陣を見て、確かに『完成度』は高いようだな」
「もちろん、魔法研究者《ディーン》ですから」
微笑むシルヴィアに、ベルデウィウスは薬の礼を告げる。
キョトンとするシルヴィアは、くすくすと笑いだす。
「?」
「お礼はお友達の傷が癒えてからでお願いします。助からなかったら、どうぞ、怨んでください」
冗談を言うように、それでも、―――、
「私の魔法薬は完璧です」
自信を持って、ベルデウィウスに告げた。
* * * *
完璧だった。
魔法薬の効力を広げる魔法陣も、魔法薬の効力も、通常の100倍、いやそれ以上だった。
あっという間に、あれほどひどかった青竜のやけども後もなく消え、薄氷のような美しい青の鱗もすべて元通りになった。
これは、魔法薬ではない。
霊薬と言っていいほどの効力だ。
驚く赤竜に青竜。
そして、
黒竜―ベルデウィウス。
これほどの薬は長く生きてきた中ではじめてみた。
『お礼はお友達の傷が癒えてからでお願いします』
シルヴィアの微笑みとその言葉を思い出す。
魔法研究者《ディーン》にしては、確かに変わり者かもしれない。
ベルデウィウスは念のために安静を、と青竜に言い、赤竜を青竜の傍につけさせた。
『狭間』の下に広がる大地。
その東の森に居る、少女の思い浮かべる。
「礼を、言いに行くか」
言葉に出すと、シルヴィアの笑顔がよぎる。
思い立つとすぐ狭間から身を落とし、黒竜は大地へと降りる。
人の姿を取り、夜が明けるとともにアルファレシュトの塔へと赴く。
一人の少女が大地に伏せていた。
ぞっとした。
慌てて駆け寄ると、少女は寝息を立てていた。
すやすやと穏やかに大地に伏せて寝るシルヴィアに、魔法使いの言葉が蘇る。
『気付いていたら寝ている』
昨日感じ取れなかった、魔力《マナ》の乱れ。
魔法薬の最後の仕上げに多量の魔力《マナ》を消費したのだろう。いや、少女から見て取れる疲労は昨日の出来事だけではない。
朝から晩まで魔法書を読み、研究に明け暮れているのだろう。
穏やかに眠る少女のその身を抱え、
「軽いな…」
そっと呟く。すると少女が身じろぎし、
「ん…ぅ」
ゆっくりとまぶたを開ける。
「………?」
数度瞬きを繰り返し、
「?、?!」
ぎょっと身を起こした。
「!? ま、まて!!」
突然、飛び起きたシルヴィアに驚き抱えていた腕が緩む。さらにバランスを崩し、二人は絡み合いながら倒れた。
「……たた」
「ぅ…」
痛みで声を上げたシルヴィアと、シルヴィアに押しつぶされるようになったベルデウィウスは、はっと視線を交わらせた。
「ご、ごめんなさい!?」
ベルデウィウスから飛び降り、ベルデウィウスは身を越した。
「いや、大丈夫だ」
「でも、つぶしちゃった…」
頬を押さえて、どうしよう〜と慌てる彼女に苦笑いをこぼす。
「そんなことより、なぜこんなところで倒れていたんだ?」
「え?」
ベルデウィウスの問いかけに、シルヴィアが数度瞬きを繰り返し、
「倒れていないわ。寝ていたのよ!」
とにっこりとほほ笑んだ。
「………」
どうやら、本気でそう思っているらしい。
この話題では長く話が続きそうにない。
そう思いながら、ふと、『長く話が続きそうにない』と感じたい己に驚いた。
ベルデウィウスは、シルヴィアと会話がしたいと――そう思ったのだ。
相手が、魔法研究者《ディーン》であるというのに、だ。
「その様子なら、魔法薬は効果の100倍はあったのね」
嬉しそうに声を上げシリヴィアの喜びように、釈然としない。
「嬉しいか?」
「もちろん!!嬉しい!だって、私の構想が正しいことがはっきりしたもの!私の完全で完璧な魔法薬のね!」
さらに釈然としない。
―――いや、面白くない。
そう感じた。
だから、
「誰が、魔法薬が効いたと言った」
などと、嘘を言ってしまった。
シルヴィアはその言葉に目を見開き、
「薬は効かなかった。それを言いに来た」
その言葉を聞いた。
「……そう。それは残念でした…」
さて、どうするのか。
薬の弁解をするのか。
私のせいではないと喚くか。
ベルデウィウスは驚いたシルヴィアの表情を冷めた眼差しで見つめた。
だが――。
シルヴィアはまぶたを閉じ、そして開けた瞬間――微笑んだ。
「では、私を殺してください。あなたは賭けに負けたのです」
……。
耳を疑う、と言うのはこのことだろうか。
いや、わずかながらにも会話を交わした中で―――この少女がこう言い出すことは分かっていただろう。
耳を疑うというのは、いつから『賭け』となっていたのか。
あれは、『例え話』ではなかったのか。
「存分に、殺してください」
ずいっと身体をベルデウィウスに差し出すシルヴィアから逃れるように数歩後退する。
「?」
きょとんとして、もう一歩シルヴィアが前に出る、そしてベルデウィウスが下がる。
「……??」
あれー?と首をひねるシルヴィアに、ベルデウィウスが白旗を上げた。
****
「怒ってませんよ?」
確かに、怒ってはいなかった。だが、出されたお茶の色が得体のしれない泥のような茶色だった。
「いや、しかし…悪いことをしてしまったと…」
しどろもどろと言葉を吐くベルデウィウスにミルクと砂糖を差し出す。
「?」
「珈琲と言う飲み物です。豆を炭化させて、それを細かく機械で砕いてお湯で抽出したものです。苦いんですが、砂糖とミルクを入れると美味しいんですよ」
ミルクと砂糖をどばどばとカップにそそぎいれ、スプーンでぐるぐると回す。
その様を見て、どう美味しいのか理解できずにいた。
甘いだろうに、それだけ砂糖を入れれば…。
そう、ベルデウィウスが思っていると、
「ところで、私に何か用でしょうか?」
そうベルデウィウスに問うシルヴィア。
ベルデウィウスは何とも言えない表情で、シルヴィアを見つめる。
用、とは。
たぶん、礼を言いたいのだろう。
それは良い。
いま、告げればいいのだから。
告げて、去ればいいのだ。
だが、その言葉が出てこない。
告げて去れば――、それまでだろう。
「………」
シルヴィアのまっすぐな紫《アメジスト》の目の視線に耐えられず、彼女から顔をそらす。
シルヴィアはいぶかしむことなく、珈琲を一口口に含む。
静寂が数分間支配する。
シルヴィアの珈琲をこくりこくりとと微かに響く飲む音。
そして、ベルデウィウスは覚悟を決める。
覚悟?と、戸惑いながらも、シルヴィアに視線を向け、
「私の友の傷が完全に回復したのは、シルヴィア、君のおかげだ」
喉の奥から吐かれえる言葉。
その言葉が、喉を割くように痛い。
「ありがとう。私の友を助けてくれて…」
そして、最後の言葉を吐きだす。
視線はシルヴィアの顔から手元のカップに下がっていた。
だから、シルヴィアのキョトンとした表情を見ることなく、そして――。
「ふふふ」
笑い声が響く。
ベルデウィウスはカップから上へと視線を上げ、
「どういたしまして。漆黒の方」
今までと違った――美しい微笑みを見た。
全身が熱くなる。
音を立てて席を立ちあがり、呂律の回らない口調で帰る旨を伝えるとシルヴィアはベルデウィウスに告げる。
「では、またいつか。また頑張って魔法薬を作って待っています」
そう言って微笑んだ。
説明 | ||
某所で掲載した短編を掲載してみます。 恋愛になる予定(…)だったファンタジーです。 手直しなしでの掲載です。後日、気になるところを修正まします。 ※8/31修正しました〜。 |
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