多彩色の箱 |
目が覚めるとそこは白の部屋だった。ここに来る前までに何をしていたのか自分の名前でさえ、思い出すことが出来ない。とにかく、デザイン性の欠片もない部屋に私はいた。
起きたベッドには、申し訳程度の白い毛布が一枚。白いシートが一枚。白い枕が一つ。その近くには白い机が一つ。引き出しが二つあったので、それを開けてみようと思ったが、体を動かしてすぐにドアが見つかった。そこでようやく周りを見渡した。白い壁が六個貼り付けられたかのような作りだった。その内のひとつにドアがある。窓はなかった。それでも何故か明るいのは、天井に白い電球が一つ垂れていたためだと理解する。
ドアも白一色に統一されていて、見辛いことこの上ない。ノブの部分ぐらい白くなくてもいいのではないか。ノブを掴み、右に捻る。しかし、廻らない。自分の右手だけがノブをスライドし、摩擦で少し熱を感じるだけだった。今度は左へと回す。しかし、結果は同じだった。
やはり、このノブにある鍵穴に鍵を挿し込まなければならないのだろう。それはきっと、机の中にある引き出しの中にあるのだろう。片方の引き出しを開けてみる。中には鍵が入っていた。ポケットはないかと服を見たところでようやく気付く。白いシャツと白いズボンを履いている。私自身もこの白い部屋の一員となっていたようだった。幸いにも、ズボンにはポケットが付いていたので、その中に鍵をいれる。やはりこれも白色で木製だった。もう一つのほうの引き出しにはメモ用紙が一つ。白色の紙に黒い文字が書かれている。ようやく、黒という白と対局の存在を見ることが出来て、安堵した。世界は白しかなくなってしまったのかと思いかけていたからである。
メモ用紙にはこう書かれていた。
『鍵は、開けるものです。鍵穴がある限り、鍵もあるでしょう。開くことのできない扉はありません。しかし、中に入ると戻れない扉はあります。この部屋を出た後の扉がそれです。選択は貴方の考えるままを選択することが出来ます。例えば、Aの部屋に入るのが正解などといったような確固たる答えはありません。それでも答えとして定義するのならば、貴方が選んだものが答えになるということです。さて、それでは部屋を出てからの貴方の選択がどうなるのか。貴方自身が見届けてください。』
回りくどい言い方だ、と私は思った。要するに、この部屋を出た私には選択肢が用意されているのだろう。それを選べというのだ。何を選択するのか全く分からないのは、外に出てもこれと同じようなメッセージがあるからだろう。
メモ用紙を机の上に置くと、私はポケットから取り出した鍵を鍵穴に挿しいれドアノブを捻った。ガチャリと、この細い板の中で音がする。ドアを押して外に出た。
そこはまだ中だった。これまでいた部屋と同じように六個の板が合わさったような作り。まるで、ずっと続くサイコロの中を進んでいるようだった。ただ、色が違う。自分が入ってきた部屋のドアは白。しかし、私の今の位置から見て、右面は、青。正面は、赤。左面は、緑。それに加えて、下面は黒だった。一つ一つの壁が放つ異彩の輝きに目がおかしくなりそうだ。
唯一普通……いや、これも統一してあるのだろうか。天井だけは白い色をしていた。そして小さな電球が一つ垂れている。大きさも先ほどの部屋と変わらない気がする。ただ、ドアの数が多い。三つ……増えている。天井を除く四つの面にドアが貼り付けられていた。下面……本来なら床と呼ぶ場所にドアが張り付いている異様さ。最初の部屋の時点から感じてはいたが、これはどう考えてもおかしいのではないか。
それにこの部屋のドアの位置はこれまでと違う。白い部屋のドアは床と接していた。それが普通のドアであって、当たり前のことだ。だが、この部屋のドア――私がまだ通過していないドア全て、面の中央にあった。開くことが出来ないほどの高さにはないが、なぜ中央にあるのか。私は考えても答えは出ないと判断をし、赤いドアを開くことにした。
手を伸ばしてドアノブを回す。入るのに苦労したが、中へと入った。部屋にドアはなく、壁しかなかった。最初に目についたのは中央に置かれていた台。そして手の平ぐらいの箱だった。その台の前に赤いメモ用紙と鍵が綺麗に置かれていた。そのメモ用紙には白い字でこう書かれていた。
『貴方は赤の部屋で本当によろしいのですか。考えることを止めてはなりません。悩みに悩んだ結果の答えこそ、意味が与えられるのです。突発的な判断は決して貴方の選択と呼ぶことはできません。
よろしいのですか。箱を開けてください。鍵はこの用紙の上に置いてあるはずです。開けることは選択ではありません。まだ後戻りすることは出来ます。中に入っているモノがあります。それを掴み、潰してください。それで、選択は終わりです。
それでは、もう一度問います。貴方の選択は赤の部屋で本当によろしいのですか』
……箱を開けることにした。このメモを書いた者のようにいうならば、私が選択したことになるわけじゃない。一考するために、開けるのだ。メモの言葉からは何が入っているのか分からない。それが分からなければ判断などできるはずが無かった。
中から出てきたのは、赤い立方体だった。指でつかめるほどの大きさ。何で出来ているのかは分からないが、力を加えれば粉々に出来そうだった。指で掴み、爪で軽く叩いてみる。叩いた瞬間――部屋に轟音が響き渡った。まるでこの部屋の壁に車が激突したかのような轟音。
私は察した。この赤い立方体は、この赤の部屋だ。立方体に衝撃が走れば、この部屋にも衝撃が走る。立方体が砕け散れば、この部屋も砕け散る。そう考えて血の気が引いた。メモ用紙の選択というのは、立方体を破壊することだからだ。そんなことをしたら、私も巻き添えとなって死んでしまう。これが本当に選択なのか。未だに何の選択なのか掴めない。しかし、ここにいてもできることは悩むことぐらいで、ただ時間を浪費するだけだった。立方体をゆっくりと箱の中に戻し、私は赤の部屋を出ることにした。
……これを選択することは絶対にないだろう。
またあの奇妙な空間へと戻り、三つのドアを眺める。その中でもやはり床にあるドアが桁外れに不気味だと感じた。そのドアを踏まないように避けつつ、青い壁の前に立つ。さきほどのように、手を伸ばしドアノブを捻る。そして、青の部屋の中に入る。中には、やはり台と箱。そして青のメモ用紙と鍵が置かれていた。メモ用紙には白い字でこう書かれていた。
『貴方は青の部屋で本当によろしいのですか。考えることを止めてはなりません。悩みに悩んだ結果の答えこそ、意味が与えられるのです。突発的な判断は決して貴方の選択と呼ぶことはできません。
よろしいのですか。箱を開けてください。鍵はこの用紙の上に置いてあるはずです。開けることは選択ではありません。まだ後戻りすることは出来ます。中に入っているモノがあります。それを掴み、この箱の中にある小さな水槽へと落としてください。それで、選択は終わりです。
それでは、もう一度問います。貴方の選択は青の部屋で本当によろしいのですか』
ほとんど赤の部屋の文章と変わらない。変わったところは、やはり箱の中にあるガラスで作られている水槽だ。そして、青い立方体。この立方体も、赤の部屋のものとは違う。色は勿論そうだが、所謂、骨組みだけが残されているような形だった。中はスカスカの空洞で、手の平の上に載せれば、手の平を見ることが出来る。私にはある予想があった。水槽の中に指を入れる。濡れた指についた水滴を青い立方体につけた。その瞬間、どこからか青の部屋の中に水が現れた。少量であるが、この青い部屋の中で静止している。普通なら流れて床を濡らすのだが、角のあたりで丸く固まって静止しているのだ。
この青の部屋も選択することはないだろう。私は死にたくない。間違っても、水槽の中に青い立方体が落ちないようにするために、箱の外に青い立方体を置いた。そして、青い部屋の外へと出る。次こそは、普通の部屋であってほしいと願い、緑の部屋へと足を運んだ。
緑の部屋は、やはり赤、青と同じく異様だった。壁が緑色なのに加えて植物が生えていた。記憶が不安定な私のせいかもしれないが、詳細は全く分からなかった。中央にある、台。その上にある箱。そして下に落ちている緑のメモ用紙。メモ用紙には白い字でこう書かれていた。
『貴方は緑の部屋で本当によろしいのですか。考えることを止めてはなりません。悩みに悩んだ結果の答えこそ、意味が与えられるのです。突発的な判断は決して貴方の選択と呼ぶことはできません。
よろしいのですか。箱を開けてください。鍵はこの用紙の上に置いてあるはずです。開けることは選択ではありません。まだ後戻りすることは出来ます。中に入っているモノがあります。それを掴み、呑み込んでください。それで、選択は終わりです。
それでは、もう一度問います。貴方の選択は緑の部屋で本当によろしいのですか』
今度はこの緑色の立方体を食せというのか。掴んでみると、柔らかい。しかし、壊すことは出来ないようだった。何が起こるのか今度は試しようもない。これを口にした瞬間に、それが選択になるからだ。このメモ用紙から読み取る限りそういうことになるのだろう。私は緑の部屋を調べることにした。やはり、気になるのは植物だったので、この植物が生えている場所を探そうと試みた。
どうやら、出所は一つのようで、そこから長い茎が生え、枝をつけ、葉を増やしているようだった。私は茎を持ち上げながら根源のところへ徐々に近づいていった。そうすると、部屋の角にたどり着いた。そこには茎の集合体と呼べるものがあって、その中を見るために茎と茎の間を広げた。
何か黒い物体があった。いや、黒い人間の体の形をした何かがあった。本来ならば、口と呼べる部分から茎が生えている。――死体。最悪の考えが頭をよぎった。恐れながらも手を前に出して、黒い物体に触れる。その感触は堅く、人間が腐ってできたものではないということは分かった。よく観察してみると人間の形をした、ただの人形だと分かった。
私にこの立方体を飲み込んだらこうなるということを示唆したかったのだろうか。ああ、きっとそうだろう。何が起こるのか分からないようなことは選択ではないのだから。
この緑の部屋も選択することはないだろう。
また色の入り混じった奇妙な空間へと戻ってきた。残るは、この足元にて存在感を放つ黒いドアのみ。それを開く前に私はこれまでのことを纏めることにした。
まず、三つの部屋全ては私の死か、部屋の死、あるいは両方に関係することだった。赤の部屋と青の部屋は私と部屋の両方が壊れるだろう。緑の部屋は死ぬのはきっと私だけなのではないだろうか。それから考えるに、やはり全ての元となるのは私の死。それを選択せよ、ということか。
――そんなもの選べるわけがない。
理由は簡単だ。死にたくない。生きたいと思うことはなくても、死にたくないとは思う。そんないい加減な考えだが、死んでさえいなければ生きたいと強く思えることがあるかもしれない。今ここにタイムマシンがあって、生きがいもなく私が外の世界で暮らしているのを確かめることが出来たのだったら、赤の部屋、青の部屋、緑の部屋のどれでもいい。選択をして命を絶つだろう。それは無理なことだ。不可思議なことが起こる部屋に閉じ込められてはいるが、そんな都合のいいことは起こらない。とにかく、この三つを選択することはありえない。
そう再認識したところで、この黒いドアに視線を落とす。これも、私の予想では私の死と関連する何かの選択を用意されているのだと思う。それが杞憂であって欲しいと願ってドアを押した。……開かない。ドアを引いてみるとすんなりと開いた。何故このドアだけ引くタイプのドアなのか。その理由はすぐに明白のものとなった。黒いメモ用紙がドアの裏側に貼り付けられていたからだ。押すタイプのドアではメモ用紙を見ることが出来ないからだ。とにかく、メモ用紙の内容に目を走らせる。メモ用紙には白い字でこう書かれていた。
『貴方は黒の部屋で本当によろしいのですか。考えることを止めてはなりません。悩みに悩んだ結果の答えこそ、意味が与えられるのです。突発的な判断は決して貴方の選択と呼ぶことはできません。
さて、このドアを開いたということは、きっと貴方は三つの部屋を見てきたことでしょう。そして、その三つの部屋との関連を理解し、絶望したでしょう。貴方の考えるとおりです。貴方が選ぶことが出来るのは、貴方の死に方。それだけです。
そんな貴方に希望を与えましょう。それがこのドアです。このドアの下を見てください。光が見えるでしょう。それは外の世界の光です。ここから飛び降りることで、その世界へ行くことが出来る可能性があります。あくまでも可能性です。確実なものではありません。そして、外の世界に出ることを成功と例えるならば、失敗したときは三つの部屋のどれよりも長く苦しみが続きます。成功する確率は二分の一。失敗する確立も二分の一です。
さて、貴方はどうしますか。確実に死んでしまう選択か、もしかしたら生き残るかもしれない選択か。貴方の選択は本当にそれでよろしいのですか』
メモ用紙はそれで終わっていた。ドアの向こう側は果てもないように長い距離があるようだった。結局は私の死に関係する選択しかないということも意味していた。この文章を見て、即座に判断することは出来やしない。こうやって考えることも二度となくなるかもしれないのだ。辛い、苦しい、痛い、そんな感情は今やどうでもいい。それがあるということは生きているという証なのだから。
死んでしまえば、それすらなくなる。いや、死後の世界もあるかもしれない。しかし、それは希望的観測でしかない。あるのかも分からないものに頼って安心して死ぬことが出来ようか。私は妄信的にそれを信じている信者でもない。このまま何も選択しないというのもある種の選択だ。それを加えれば選択肢は五つ。だが、結果的には二つに分けられるわけだ。生きる希望に欠けるか、諦めて死ぬか。この二択に結局は絞られる。私は、やはり死にたくない。この考える時間、意思が消えてしまうのが最も恐ろしい。私は腹を決めた。この黒いドアの下に落ちていこう。そして外の世界に出るのだ。失敗することは考えない。成功すると信じて落ちるのだ。
あと一歩踏み出せば落ちる位置に立つ。呼吸が乱れる。肩が震え、視界も震わせていくのを感じる。自分の息遣いがこんなに激しいものだったのかと、認識する。失敗を考えずにここを落ちる。そんな考えを数分前まで持っていた私を後ろから蹴飛ばしてやりたくなる。しかし、今そんなことをやられたら、と考えて馬鹿なことを考えるのを止めた。足をゆっくりとずらしていく。右足の半分ぐらいが空中にある状態になった。
さようなら。この異様な箱。落ちてみなければ何が起こるか分からない。頭に、『シュレディンガーの猫』という単語が浮かんだ。私はそれだと猫になるわけだ。たまには猫が自ら箱を出たっていいだろう。足元のドアのメモ用紙を再び見た。
――貴方の選択は本当にそれでよろしいのですか。
最後の言葉が頭の中を反響して、私を惑わせる。だが、これでいい。私の選択に後悔はない。私は右半身の支えを失い、落ちていった。
落ちていく最中、頭に直接響く言葉が浮かんできた。
『おめでとう。貴方はちょうど百人目の挑戦者。そして百人目に黒い部屋を選択した人間でもあります。残念ですが、外の世界に出ることは出来ません。しかし、安心してください。貴方の同胞は九十九人も地面で待っているのですから。結局、黒の部屋以外の選択がされることはありませんでした。貴方もやはり黒い部屋。生きることが出来る可能性などないのです。嘘と気付き騙されていると心で理解しながらも、黒の部屋を選択する人間もいました。体は本能に従うものなのです。それがよく分かりました。貴方には、九十九人分へのメッセージも込めて、ありがとう、と伝えさせていただきます。それでは、さようなら』
私はその言葉を聞きながら、どこにあるのかも分からない地面に落下するのを待っていた。雫が足を通り過ぎ、遥か上へとのぼっていくのを眺めながら。
――選択をしてしまった私はただ終わりが来るのを待つことしか出来なかった。
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箱の中身は開かれるまで分からない。 | ||
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いずみさん> ありがとうございます。これからもちまちまとやっていきます。(玉枝 樹) 面白かったです。終わり方も良かったと思います。(いずみ) |
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