無題
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「飛んだからには、落ちねばならない」

 彼女は、私にそう言ってきかせた。

「着地の事を考えずに飛ぶヤツは、タダのバカか、さもなくば自殺志願者だ」

 

 彼女、榎並冬子は空が飛べた。

 とはいっても、別段彼女の背中に天使の羽根が生えているわけでも、ましてや一昔前のアニメにでてきたような超能力があるわけでもない。それは純粋な彼女の身体能力に因るものだ。

 彼女と私との出会いは、丁度2年前の冬だった。

 

 

 当時の私は、多少不登校ぎみだった。高校一年生の冬。春に高校生になった時点で自分の立ち位置を変えてしまえばまだ話は違ったのだろうが、そういったいわゆる高校デビューもできなかった。休み時間も誰と話すでもなく、ただ教室の隅で本を読んだり寝たふりをしたりしてやりすごしていた。そうやって、周囲に干渉したいという欲望を押さえ込んだり、周囲からの干渉を避けたりする事に労力を使うのにも飽きてきたのが丁度冬ごろだったのだ。要はその場にいなければいいだけの話ではないか。

 親には学校に行く振りをして家を出て、うまく駅のトイレに滑り込む。個室で普段着に着替えてしまい、そのまま個室の中で小一時間をつぶす。今は携帯があるからそれもあまり苦にならない。軽く寝てしまう事もあった。あとは晴れて自由の身だ。

 平日の繁華街を歩く事は、それだけで新鮮だった。別に買い物をするわけでもないし、わかりやすくゲームセンターでたむろするわけでもない。ただただ歩き回った。特に好きだったのは繁華街の表通りを一筋はずれたようなところにある、場末の臭い漂う裏通りだった。表の華やかさからは想像もつかないようなさびれた佇まい。錆付いた非常階段や、荒れ放題のごみ捨て場や、ざらついた独特の気配が何よりも好きだった。

 その日も私は、特にどこへいくという目的もなく、ただふらりと裏通りへと足を踏み入れた。前の晩が日曜だったこともあってか、祭り騒ぎの後特有の、酒気を含んだ据えた臭いが鼻を突いた。左右はどちらも背の高いビルにさしはさまれていて、陽の光も満足に差してこない。見上げると、左右のビルがお互いに自分の制空権を奪い合い、ベランダや階段の踊り場を差し出して取っ組み合いの喧嘩をしているように見えた。

 その階段の踊り場が、下から見ても眺めのよさそうな位置にあったので、衝動的に私は手近にある非常階段を駆け上がった。普段運動などほとんどしないものだから、途中からわかりやすく息切れをおこしてしまったが、それでもなんとか目的の場所にはたどり着く事ができた。大きく息をつきながら、街を見下ろす。

 そこからの眺めは想像した以上だった。下から見上げていた時には考えてもいなかったような場所にまで視界が通る。向こうにみえるのは方角からいって駅ビルだろう。普段なにげなく通過しているが、外からみるとあんな姿をしていたのか。駅があちら側だから、私の家は方向的にはむこうがわだろう。さすがにここからは見えないだろうか。

 そんなとりとめもない事を考えながらぼんやりしていたものだから、唐突に声がかかった時にもとっさに反応できなかった。そもそも私がいた非常階段の踊り場という場所が、急に声をかけられるような場所ではなかったこともある。しかし、今考えればこれはこれで正解だっただろう。彼女の正確さのほうがよほど信用できる要素だったはずだ。

 

 彼女は、上空から唐突に現れた。今私がいる踊り場も、地面から考えれば相当高度があるはずだが、彼女はそこに上から飛んできた。彼女を見た瞬間に私が思考に上らせたのは、正に「人が飛んでる」という言葉だった。それと、もう一つ。「凄い」

 彼女が「どいて!」と声を挙げた時には彼女自身はまだ空中にいた。反射的に身体を硬直させてしまった私の目の前、距離にしておそらく1m未満。その瞬間の映像を私は今でも鮮明に覚えている。

 だぁん! と、優雅とはとてもいえない轟音をひびかせ、彼女は私の目前に着地した。スカートを翻し、両足を柔らかく曲げて衝撃を吸収していく様子がスローモーションのように見える。飛んできた速度からして、全て曲げきってもまだ足りない。このままいくと地面に叩きつけられる。彼女はあらかじめさし出していた右手を地面に触れ、そのまま肩口からころりと転がる。柔道などでみる受け身と同じ理屈だろうか。

 口を半開きにして状況を飲み込もうと努力している私に向かって、彼女はスカートの裾を両手ではたきながら無傷で立ち上がった。「やあ、ごめんごめん」と人懐っこい笑顔で事も無げに言う。

 思えばこれが始まりだった。

 

 彼女と私はその後打ち解け、携帯番号やメアドも交換したが、それをつかって交流することはほとんどなかった。なにも打ち合わせなく私が裏通りにくると、彼女はたまにこうやってビルからビルへ「飛んで」いた。それを私が見つけ、ビルの屋上でコンビニのサンドイッチなどを食べながら、とりとめもない話を延々とした。

 彼女は私よりも一つ年上の高校二年生だった。都内でも有名な進学校だったので、受験が圧力を増してのしかかってくる頃だ。彼女も、私と同じように閉塞感を感じると学校をさぼり、こうやって繁華街をぶらつくのが習慣なのだという。そして、その裏通りライフの中で独学で身につけたのが、先刻の跳躍(というよりは飛翔)と、受け身の取り方だった。最初はやっぱり打ち身擦り傷痣だらけだったそうだ。一度スカートを引っかけて裂いてしまい、家に帰って親に大騒ぎされた、という武勇伝もあった。年頃の娘を心配する親の心中を想像し、自分の親の事を思って少し胸が痛んだ。それからスカートを履かなくなったのかといえばそんなことはなく、彼女からいわせると「むしろ良い練習になる」だそうで、空を飛ぶ様な人が考える事はよく分からない。

 私が「飛び方」を教えてほしい、と申し出た時、彼女は口をぽかんと開けてしばらく私の方を見つめた。その口から次に発せられた言葉は「バカじゃないの」だった。

 そうかもしれない。しかし、私も考えた末に申し出た事だ。半端にやるつもりはない。そう伝えても彼女はまだ渋った。

「失敗したら下手すると投身自殺だよ? そこまでしてやりたい事なの?」

 そういわれると身がすくむ思いがしたが、同時に鳩尾に正体の分からない熱いものが込み上げるのも感じた。それは多分、私が目に見える形で直面した、ほとんど初めての「リスク」だったからかもしれない。そうまでしないと、「飛べ」ない。それが私を熱くさせているのだ。

 そうでなければやる意味がない、といった意味の事を訴えたと思う。彼女はもう苦笑を浮かべるしかない、といった風で私の申し出を快諾した。

 

 それからは、彼女と会う度に練習になった。高度別の受け身の取り方に始まり、飛ぶ瞬間の踏み切り方、足場の見つけ方、そして怪我をした時の応急処置まで、様々な事を習った。彼女も教えるのが特別うまいというわけではなかったが、独学から得た実感を伴った言葉には説得力があった。

 なにより、彼女の飛ぶ姿は、美しかった。

 ビルの間を、屋上から地面まで、足場を探しながら飛んで降りる。ビルにはパイプ、手すり、非常階段、空調の室外機、そういった足場が無数にある。足場に着地し、身体全体を使ってしなやかに衝撃を殺す。両手も使ってバランスと姿勢を整える。もう目はその足場を見ていない。前の足場から飛んだ時点から、既に対面のビルを瞬間的にサーチし、次の足場を探している。選択肢の中から充分に妥当なものを選択し、また飛ぶ。迅かった。

 いつかテレビで見た、崖を駆け下りるカモシカを連想した。動物的な動き。私にも可能だろうか。そう思いながら、ただ彼女の飛ぶ姿を見ていた。

 

 

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 彼女に教えを乞うてから、1年あまりが経った。私も踏み切りや受け身に慣れ、彼女には到底及ばないものの、どうにか「飛べる」ようになってきたころだった。

「来週が、最後の練習だ」と宣言された。

 普段は意図して意識しないようにしてきていたが、やはり時はきてしまった。

 桜の花びらが舞う、美しい、暖かい日だった。私は桜の絨毯の下校路を外れ、そのまま繁華街に向かった。

 私が到着した時、そのビルの屋上には既に榎並冬子が立っていた。

 制服姿で、凛然と屋上に立ち、春の暖かい風に吹かれていた。

 その右手には、卒業証書の筒。

 振り向いた彼女は、やはり笑顔だった。

「海外に行くことにした」

 彼女は成績も良い。悪くない選択だと思った。そう伝えると、彼女は少し照れくさそう顏で卒業証書で自分の頭を軽く小突きながら、また笑った。

「そろそろ地に足をつけていかないとな」

 つられて私も笑顔になる。彼女はこれから、もっと大きな意味で「飛ぶ」のだ。そう考えるとまるで自分の事のように嬉しくなった。お互いに簡単に別れを告げる。

 抜けるような青い空の下、春の風のもと、二人の種類の違うセーラー服が靡いた。風に帆のようにスカートを張らし、どちらともなく踵を返して背を向ける。ビルの違う辺から、それぞれ踏み切る。

 それぞれの飛翔を。

 

 

 そんな昔を思い出して、無理をしたのがまずかった。OLという仕事にも今のスーツにももう慣れてきて、油断をしていたのもある。書類を急いで持っていかないといけないという状況にも原因はある。なにより、丁度よくビルの窓が開いていたのが一番まずかった。

 ビルの屋上から踏み切り、となりのビルの室外機に身体を沈め、蹴りつけ、開いた窓めがけて飛ぶ。轟という風を切る音を久しぶりに感じて嬉しくなった。窓のふちにまず右足をかけて衝撃を殺す。ステップするように廊下へ。左足、次いで右足が着地し、速度をおさえていく。右手小指付け根から廊下につき、肘外側、右肩、背中、腰。受け身も完全に決まる。

 なんだ、まだできるじゃないか、と満足げに一人にやつきながら立ち上がり、スーツのヨゴレをはたいていたら、こちらを見ている目に気付く。

 まずった。見られた。ああ、噂されるだろうなあ。変人扱いかな。ひょっとしたらクビまであるぞ。この人見た事あるな。となりの部署の人じゃなかったかしら。ああ、こんな男前を前にして空から飛んでくるスーツ女。

 冷や汗が背中を伝うが、背筋は伸ばして。こうなったらもう笑い飛ばすしかない。

 不敵な笑みを浮かべ、言ってやるのだ。

「驚きました? 私、実は空が飛べるんですよ」

 

―了―

 

説明
はてな文学賞「飛翔賞」 http://q.hatena.ne.jp/1231862453 受賞作。
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