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 白状すると、俺は今最悪だ。

定期テストではケツから二番目、当然小遣いもカットされたし家族が俺を見る目は出来の悪い失敗作をたたき壊す陶芸家のようだ。もちろんこんな底辺な俺についてくる彼女は居るはずもなく、158 三島陸と順位の貼りだされた翌日に、付き合っていた相手からあっさりとフラれた。またその時の台詞が俺をへこませるのに一役買っているのだ。

「私、頭の悪い人嫌いなの」

 それは認めよう。高校入試を目前に控えた進路相談で、当時の担任から「あなたが合格する確率は一万分の一」と言われたし、こうして今この高校に通学出来ているのは単に運が良かっただけに過ぎない。また一年から二年に上がる時も「このままでは君を進級させることは出来ない」と言われ、春休みを潰してマンツーマンの授業を受けたこともある。これは学校創立以来初の事だそうだ。

そして何よりも、学力でしか付き合う男を決められない相手に、勢いだけで告白してしまった自分の行動は本当に大バカだと思う。

取り合えず俺がこの先誰かと付き合うことがあるなら、もう少し真面目に考えてから行動した方が良いのかもしれないとしみじみ感じている。

 

昼休みの教室は学食組が半分、残りが弁当組といった具合でいくつかのグループが出来ている。いつもなら俺も学食へすっ飛んでゆくところだけれど今日は違う、なんと京子サマがお弁当を下賜してくださる日だからだ。よって俺たちも机を二つくっつけ一つの島を作った。昼食代にと渡された5百円が浮くのは、小遣いがカットされた身としては大助かりだ。その使い道は参考書や辞書に……変わるはずもなくCDやよからぬ雑誌へと消えてゆく。島を囲むメンツは当然俺、亮二、京子ちゃん……いや本日は京子サマだ。

さて、本来ならここで俺の気分を持ち上げるような事を言うのが親友の役どころなんだろうが、亮二のヤツは相変わらず京子ちゃん中心の精神活動を営んでいるようで、昨日の出来事を話しても俺に慰めの言葉ひとつない。それどころか、

「それでお前、もう振られたのか」

亮二が、もう、の部分を強調して楽しそうに言った。こいつは瀬川亮二、俺の古くからの友人で、小中高校とこっちは望みもしないのにずっと同じクラスで過ごしている、いわゆる幼馴染ってやつだ。

「るっせ、俺だって好きで振られたんじゃねーっての」

「確か付き合い始めたのは二カ月くらい前だったよな、それなら、もう、で間違いないだろう」

俺より頭半分ほど大きな体で甘い卵焼きを口に運ぶ姿は少しユーモラスだ。

「そりゃそうだけどさ、失意のどん底にある親友にはもうちょっと優しい言葉をかけても罰は当たらないと思うんだけど」

「前のバイトの子の時は一週間くらいだったか、今回はお前にしては持った方かもな。ま、俺からするとリクは振られるのが趣味の変わった奴にしか見えないが」

 澄ました顔で酷いことをさらりと言ってのける、くそっ。

「ちょっと、悪いわよ。リク君だって別れたくて別れたんじゃないんだから、ね?」

 ふわふわの髪の毛を揺らせながら、ぬいぐるみが出すような声でフォローを入れてくれたのは京子ちゃんだった。彼女も同じ中学出身で、しかも亮二の所属している弓道部のマネージャーをしている。ついでに言えば京子ちゃんが亮二の彼女って事は公然の事実だった。

「そんなに気を使わなくたって平気だろう。コイツのことだからどうせ明日には『何々ちゃんって可愛くね?』とかなんとか言ってるに決まってるさ」

 同じ町内で育ち、悪友として付き合ってきた分容赦がない。いや、悪なのは俺だけか。亮二は危険な遊びやイタズラをしようとする俺を止める側だったし、亮二の言っていることはあながち間違っていない。

 俺は失われた半身を探すように、次から次へと新しい相手を求めていた。軽薄だと亮二からそしりを受けた事もある、けれど、どうしても止められないのだ。これは持って生まれた性としか言いようがない。但し、横のつながりがありそうな女の子に手を出すことは無かった、風評被害が怖い、つまりそれだけ大胆に行動して居ながら臆病なのだ。

「亮二、あのな、お前はこの俺の姿を見て何も感じないわけ?」

「いつもと特に変わりは無いようだが」

 ちら、ともこっちを見ずに言う。

「わかってない、まーったくわかってないね。俺の表情をよく見ろ、どことなく憂いを含んでいるだろ?こうやって喋ってても行間にため息が混じってる感じがするだろ?」

「いや別に」

 即答だった。

「はーっ……相変わらず幸せに過ごしている人にはこの悲しさが解らんですかそうですか、ヤダヤダ、人の痛みが理解できない人にはなりたくないねぇ」

「そうじゃない、お前が振られるのは日常茶飯事だからな。今更何か特別な心の動きがあるわけでもあるまい」

 目下の関心ごとはデートの行き先なんだろう、京子ちゃんお手製のクッキーを頬張りつつ興味が無さそうに言う。

「……京子ちゃん、こんな冷たい男とはさっさと別れて俺と付き合おうぜ」

 ついさっきまでの決意は何処かへ行ってしまったようだ。

「ドサクサに紛れて人の彼女を口説くな」

眼鏡を人差し指と中指で、くい、と持ち上げそれだけ言うと、読んでいた雑誌に視線を戻す。あくまで俺を慰める気は全くないようだった。

 ふと横を見ると京子ちゃんが「むぅー」やら「ふにゃぁ」と、女の子女の子した様子でなにやら考え事をしている。ったく可愛いったらありゃしねえ。

 大体だな、こんなに可愛くて優しくて料理も上手気配り上手、たまにお弁当を作ってきては恥ずかしそうに『あ〜ん』なんてやってくれる彼女と、亮二なんていう真面目と頑固をこね合わせ、優等生って型に流し込んで出来上がったようなやつが3年近くも続いているのはなにか間違ってると思うぞ。

俺にもその幸せの半分でも……いや、三分の一……十分の一でもいい、分けやがれって話だ。

そう、例えばだな、海岸線で「待ってーリクくーん」「ほらほら、急がないと置いてくぞー」「あはは」「うふふ」てなシーンをな、俺にもたまには味あわせてくれ。

 そんな妄想にふけっていると、京子ちゃんは真剣な顔つきで俺をまっすぐ見つめ、がばっと頭を下げた。その勢いで彼女から淡くフルーティーな香りが漂ってくる。

 やっぱ彼女にするならこんな感じの子だよなぁ……自己主張の激しい子が多い中、控え目だけれどきちんと女の子だって事を意識させてくれる。正直俺の理想のタイプなんじゃないかと思う。

でも、ま、亮二から奪おうだとか全く考えた事はないけど。

「え、ええと、ごめんなさいっ、その……リク君の気持ちは嬉しいけど、わたしはやっぱり亮二君がいるからっ」

 ……や、だからね、そんなに真剣に答えられたらこっちが恥ずかしくなるじゃないですか。

部員とマネージャーというごくごく普通の出会いで始まって、それまで全く異性に興味がないと思っていたヤツが初めて好意を持った相手だし、不器用ながらも自分の気持ちを真剣に伝えようとしていた姿は傍から見ていても微笑ましかった。亮二からは色々相談を持ちかけられたこともあったし、休日に三人で出かけ、俺は用事が出来たからと席を外したり、二人きりで出会う機会を作ったりもした。お堅い亮二は最初は戸惑っていたものの、結局自分の気持ちを伝え、京子ちゃんがそれを受け、二人はめでたくお付き合いを始めることになった。おそらく京子ちゃんも最初から亮二に対して思う所があったのだと思う。

なにしろ男の俺から見ても男前で、気風が良く、誠実だ。こんなヤツなら惚れたっておかしくない。

嗚呼神様は不公平だ……

話を戻そう、つまり京子ちゃんは女の子ってよりも『亮二の彼女』って感じなんだよな。だから二人がこれからも大きな波乱を起こすことなく幸せでいてくれればいいなと思う。

なんつーの、保護者みたいなモン?まあ、俺が振られっ続けているせいで、最近立場が逆転しているような気がしなくもないが。

「ほら、振られた男はおとなしく帰れ。俺たちは放課後デートだし邪魔するなよ」

二人で見に行く映画でも決めたのだろう、亮二はしっしっと追い払うように掌を舞わせた。

「んだよ、親友が振られた時くらい飯おごったりしてくれてもいいんじゃねーの」

「お前の言うようにしてたら俺は破産する」

流石にそれは大げさだとしても、亮二の言いたいことは理解できた。性格には問題はない、と自分では思う。浮気をするわけでもなく、まめに電話やメールをするほうだし、誕生日なんかのイベントが近ければプレゼントだってきちんとしている。けれど付き合い始めしばらくすると彼女の方から別れを切り出される、それが俺の常だった。

「リクは私をちゃんと見てない」

こんな感じのセリフを何度言われたことか。

「まあいいや、これだけもらってくわ、ごっそさん」

クッキーを1枚つまんで退散することにした。相変わらず美味い。

……バレンタインには手作りのチョコでも貰うんだろうな。

「あのっ、リク君っ……うまく言えないけど……その、気を落とさないでね。リク君ならすぐにいい子見つかると思うし」

「おう」背後からかかった声に片手をあげて返事をすると教室を出た。

「また振られたら報告しに来いよ、京子との話のネタくらいにはしてやるから」

これは聞かなかったことにしておく。

 

忙しさのピークを過ぎた学食の前を通り過ぎ、音楽教室や化学実験室のある棟に入ると、教室と同じ敷地内にあるとは思えないほど周囲は静まり返っている。外はすっかり秋めいていて、遠くに見える山々は色とりどりの化粧をしている。冬の足音が徐々に大きくなってくるこの季節が俺は大好きだった。少し季節を戻すことになるが、台風もいい。子供の頃から「危ないから止めなさい」と言われても、外に飛び出て傘もささず、暴風と豪雨に身を任せるのが好きだった。体ごと持っていかれそうな風、体中を叩く雨粒、その一つ一つが俺を別世界へ運んでくれる。多分俺は日常から半歩踏み出した場所にいるのが一番落ち着くのだろう。

屋上を目指す足音が反響する、宝物を目指して洞窟の奥深くへ入り込む冒険者のイメージが一瞬浮かんだ。目的地まであと少しだ。

びっくりするほど大きな音をたてる鉄扉を開くと、寒さのせいか珍しくそこには誰もいなかった。温暖化防止のために張られた芝の上に体を横たえると、背中をちくちくと刺す感触や頬を撫ぜる風が心地良く、俺はいつの間にかまどろみに抱かれていた。

 

どれくらいの間眠っていたのか、サクサクと芝を踏みしめる音に刺激されゆっくりと瞳を開くと、そこには俺の顔を覗き込んでいる女の子の姿があった。夢を見ていた気もすぐが、どんなものかよく思い出せない。天地が逆でも可愛いなとか、この校章の色は三年生だなとか、ばっちり下着が見えてますよとか、色々な事が頭をよぎったのだが言葉にならない、俺は寝起きがあまり良くないのだ。

「オハヨ、もう放課後だよ?」

 落ちついた声と極上の笑顔で彼女がそう言った瞬間、トクンと鼓動が一つ強く打った。

「お、はよう……ございます」

 横になったままの格好でそれだけ返事をすると何とか起き上がる。気づけば俺の体にはカーディガンが掛けられていた、おそらく彼女のものだろう。

「これ、どうもでした」

「ああ、少し寒そうだったからね」

 背丈は俺よりやや低い程度、女の子にしては高い方だ。

手渡す時に触れあった指先が驚くほど熱く思えて、思わず手を引いた。

「ちょっとちょっと、そんなに身構えないでよ。あたし藤沢空(くう)よろしくね」

 変わらない笑顔で手を差し出す彼女は、短く切った亜麻色の髪とシュっとした眉を持ち、大きな目でこちらを見ている。ジーンズでも穿いて背中側から見れば男と間違われても仕方がないような姿だ。ざっくばらんな喋り方もそれに拍車をかけている。

「三島陸、2のAっす」

 体育会系な口調になってしまったのは、相手が恐らく年上だということで少し緊張しているせいかも知れない。それに、彼女は今まで周囲に居ないタイプだったし、何より美人だ。

「そのなになにっすってのやめない?別に部活やってるわけでもないんだしさ」

 そう軽く言われても困る。亮二と違い帰宅部専門の俺は上級生と触れ合う機会が無かったのでどう接すればいいのか良くわからないのだ。

「あたしはそうだな、第一希望は名前呼び捨て、第二希望も第三希望も名前呼び捨て、それ以下は認めないっす」

 いきなり無理難題を押し付けられた、空……は意地悪そうにくくくと声を押し殺している。本来なら「藤沢先輩」だとか「空さん」と呼ぶ所なのだろうけれど、それは許さないゾ、と目で語っていた。

「所でリクは何してたの?随分気持ちよさそうに寝てたけど」

 かしゃんと音をさせフェンスに体重を預けるとそう聞いてきた。太陽が空の肩にかかっていて俺の視界を切り取れば「黄昏」なんていうタイトルの絵画になりそうだった。

「あー、ええと……」

 授業をサボって寝ていました。とは初対面の、しかも上級生には言いづらい。空は軽く身を乗り出すと、子供が描くお日様のような笑顔でこう続けた、

「サボリでしょ?」

 昼休みの間だけと思っていたけれど、結果としては空の言葉は限りなく正解に近かったので頷くしかない。

「似た者同士だね」

 足を肩幅に開きしっかりと芝を踏みつけ、空は腕を組みウンウンと首を上下に動かしていて、これがまた嵌っている。学ランを着せればどこかの応援団員と言っても通じそうだ。

「くう……もサボリ?」

 恐る恐る呼びかけてみる、距離感をつかみにくい相手だなと思った。でも、それは嫌な感じじゃない、むしろこれから先何が起こるか分からないことへの期待感、ジェットコースターの列で順番待ちをしているような感覚だ。

「ま、そんなトコ。色々あってねぇ……あたしゃー疲れているんダヨ」

 空は大きな口をニッと横に広げる、つられて瞳も細くなる。表情の豊かな人だなと思った。

「所でリク、明日は昼ご飯おごってくれるよね?」

 空は、今日はいい天気だね、なんていう軽い調子で言った。

「は?」

 一体何を言っているんだ?カーディガンをかけてくれたのは助かったけれど、その程度じゃ俺が彼女に昼飯をおごる義理になんてならないだろう。

「だーかーらー、明日リクの教室にいくから、ご飯をおごりなさい」

「っと、それはどういう理由で?」

「見物料よ」

 空はスカートの裾を軽く持ち上げ、にこりと笑った。

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