暖炉の暖かさ
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 ……わずかな音が聞こえてくる。ベッドの上でまどろんだ意識が覚醒していくにつれ、それが彼の声ということに気付いた。私は声をかけようとしたのだが、駄目だった。

 ――頭が、痛い。

 ガンガンと殴られたかのような痛みが走った。動こうとするだけで頭が痛くなるようだった。それに加えて喉も痛い。風邪をひいたかもしれない。そう思った。目を開けることが出来なかった。頭と喉が痛くて痛くて視界を開いたらもっと酷くなりそうだと察したからだ。頭痛を残したまま彼の声を聞いた。

「ああ、どうしよう……」

 彼は私の異変に気付いたようだ。私の顔は歪んでいるに違いない。しかし、まだ目を閉じたままなので、悪夢にうなされているとでも思っているのかもしれないと私は思った。

「あ、そうだ。薪は……薪はどこにあったっけ……」

 どうやら彼は風邪を引いたのを察してくれたようだった。薪を採りにいくために部屋を出たのか、ドアを閉める音が室内に響いた。私達の寝る部屋には大きめの暖炉があって、そこに薪を入れて火を焚くことが出来る。パチパチと音をたてながら燃えていく炎が、癒しと温かさで室内を満たし眠気を誘うのだ。

 昨日は雪が降るほど急激に気温が下がった。きっとそのせいで私は風邪を引いてしまったのだ。普段風邪を引くことがない私が風邪を引いたものだから彼は慌てふためいたことだろう。看病など一度もしたことがないであろう彼。その慌てる姿を見たいものだが、無理は禁物という言葉に従うことにする。素直に彼が来るのを待つことにした。

 しばらく経っても中々戻ってこない。汗も出てきたようだった。額から雫が頬を伝ってベッドに落ちる。今日は無理だとしても明日には治して家事をしてあげないと、彼に任すと何が起こるか分かった物ではない。

 彼が戻ってきたようだった。ドアの開閉音でそれを察する。彼は薪を持って来ることが出来たのだろうか。確か外の倉庫に保管をしておいたはずなのだけど。心配だったが、それは杞憂だったと彼が薪を落とす音から分かった。

 相変わらずドジな人だ……私は呆れるとともに微笑ましく思う。そんなところが彼の魅力だった。普段はパッとしない人で頼りなさそうな人だけど、いざという時の行動力はある人だと私は分かっている。

「ライターと新聞紙は……」

 そう呟いてまた部屋から出ていく。ドアが閉じる音がした瞬間、また頭が痛んだ。寒気も酷い。体が凍ってしまうかのような感触に包まれる。さっきまで動かせなかった腕は寒さのせいだったのだ。弱音を吐きたくないが、正直なところ辛い……早く体を温めたい。

 彼が戻ってきた。今回は薪のときほど時間はかからなかった。ドアを閉める音が再度響く。その音を聞くたびに痛みが走った

 ――パチパチと、薪の燃える音がする。

 彼が新聞紙から火を大きくして薪に火を移したのだろう。直接見ることは出来ないが暖炉に火が灯り、煙が煙突から出て行く様子を想像できる。ゴトゴトという音が聞こえるから薪をどんどんくべているのだろう。室内は暖かさで満ちていると思うのだが、私は以前、寒いままだった。

 私はこの症状が普通の風邪ではないという気がしてきてしまった。こんなにも寒気が取れないというのはおかしい。インフルエンザだろうか。それとはまた別の病気かもしれない。しかし、昨日は家から出ていないはずだ。インフルエンザを外から貰ってくるなんてことはありえない。昨日は風邪を引くようなところには行っていない。昨日はどうやって過ごしたのだろう。何故かすぐには思い出せず、思いだそうと試みた。

 ――ズキン、と。これまでにはないぐらい酷い痛みが走った。

 頭が殴られ続けて割れてしまったような痛みだった。頭を抱えようとしたが、腕は動かなかった。まるで自分の体ではないように不動を保っていた。痛みを堪え、じっとしていると不意に抱き上げられた。彼の華奢な腕の感触が背中にあった。

 暖炉がある方向に向かっているようだった。火の燃える音が近づいてきている。暖炉の前にはソファーが置いてあって、そこに寝かしてくれるのだろう。温かい暖炉が近づいているというのに体は寒いままだった。暖炉の前で彼が立ち止まった。

 ひざを折り、彼は私を――暖炉に優しく投げ入れた。

 

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 燃えていく炎の中、私は全てを思い出した。昨日は家から一歩も出ず、帰宅してきた彼と夕食を共にした。その後、彼とケンカをしたのだ。結婚をしてから今までにないぐらい酷いケンカだった。あの彼が花瓶を持って私を殴るほどだ。彼は非力であったし、そんなもので死にはしないとでも思っていたのだろう。頭というのは本当に簡単に壊れるものだと今なら分かる。

 当たり所が悪かったのだ。私には一瞬の痛みが走り、そのまま地面に支えもなく倒れこんだ。私はそれで死んだ。血はほとんど出ずに、頬を一滴伝う程度だった。汗だと思ったものは血だったのだ。寒気というのは実際に体が冷たく、体温というものが抜け落ちていたからだった。腕も動くはずはない、目も開けられるはずがなかった。私はもう死んでいて意識だけが何故か残り、音だけを伝えてくれたのだ。

 それも、もう終わるのだと私は察していた。腕が寒気を感じることもなくなった。きっと腕が燃え尽きて無くなったのだろう。何も感じることは出来なくなる。炎は大きく、どんどん燃える。彼が薪をどんどんくべている。彼は一体どんな心境で私を燃やしているのだろう。

 冷静な判断が出来なくなって私を燃やしたということであってほしい。私は彼を愛していた。だからこれは事故で、不幸な出来事だったのだと夢を見させて欲しいのだ。でも彼は答えてくれない。ただ薪をくべるだけだった。せめてこの目が開いてくれたら……そんな些細な願望さえも叶うことはなかった。

 炎は私を燃やす。無情なる炎は全てを包み込んで燃やすのだ。痛みを感じることはもはや無かった。さっきまでの頭痛も錯覚だったのだと気付く。私は実際には死んでいたのだから痛みなど感じるはずもない。今ではそれも幸せだと思う。灼熱の地獄を体験しながら死ぬよりは何も感じないほうがいいと思った。

 ――私はあっという間に灰になり、僅かながらに生かされた意識さえも灰になった。

 

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