女の子三人が適当に遊ぶだけの話
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「誘った本人が遅刻するってどうなんだろうか」

 

 駅前のマクドナルドの店内二階、隅っこのほうのテーブル席。わたしはばったりと突っ伏し、目だけで柱に掛けてある時計を見上げた。

 約束の時刻からすでに二十分経過。

 事前に「ごめんね、ちょっと遅れる(>_<;)」と顔文字付きのメールが来ているものの、そもそも「ちょっと」ってどれくらいなのよという話である。田舎なら「ちょっと」が三十分とかざらにあるそうだが、生憎とここは世界に誇る日本の首都東京の繁華街である。「ちょっと」と言ったらだいたい五分くらいが妥当ではないだろうか――

 

「――と思うんですがどうでしょうか、遠野朋絵さん」

「……知るかいな。私じゃなくて美姫本人に聞きなって」

 

 わたしは顔を上げて、対席に座っている我が親友その一を見た。

 女性用のジーンズに、サイドギャザーのカットソーと控えめな色のストール。軽い茶髪のポニーアップと、目鼻が少し鋭い顔立ち。一七二とわたしより頭一つ分近く高い長身だから、服装、容貌と相まって、なんというかこう、カッコイイ女の子である。

 遠野朋絵。それが目の前にいる彼女の名前だった。

 そしてわたしたち二人は、楠本美姫というもう一人の友人を待っているところだった。ちなみにその彼女こそがわたしたちを誘った張本人である。何度も思うけど、誘った本人が遅刻するってどうなんだろうか。

 

「メール送ってもなぜか返ってこないし」

 

 そう、わたしは十分前に、何時何分何秒くらいに着くかを尋ねるメールを美姫ちゃんに出していたのだが、返信がいまだないのである! ……いや、さすがに秒単位では聞いてないけどさ。

 携帯電話という名称なのだから、ミス機械オンチの美姫ちゃんもさすがに携帯しているはずである。おそらく、たぶん、いやきっと。

 などと思っていると、朋絵は「あ」と思いだしたかのように言った。

 

「そうそう、たしかアイツ電車内だとケータイの電源切ってたはずだぞ」

 

 ぶっ! と口に含んでいたシェイクを吹き出しそうになった。

 今なんか物凄いことを聞いた気がする。平成生まれの人間には考えられないようなことが。いや、まさか! たしかに「優先席付近では電源をお切りください」と車掌さんも定型句として言っているが、実際には大多数――九九%どころか限りなく一〇〇%に近い人がそんなことをせずにマナーモードのままにしているはずである。マナーモードにすら設定していないマナー違反者が稀にいるというのは置いといて。

 そんなわけだから、いくらあの美姫ちゃんでも――

 

「いや、マジだ」

「……マジで?」

「マジ」

 

 と大マジな顔で頷く朋絵さん。

 わたしは再びテーブルの上に突っ伏した。まあ、美姫ちゃんのその行為自体は非難すべきことでもないだろう。問題は遅れるなという話なわけで。

 

「……ここで文句言っても仕方ない、か。向こうが来るのを待つしかないし」

「そういうこと」

 

 朋絵は肩をすくめて、水に口をつけた。

 

「うう、わたしだけ先に買って食べてるってどうなの……」

「美姫が来たらまた買えばいいんじゃ?」

「ちょ、わたしに太れってこと!?」

 

 と言いながらもポテトをつまむ。

 食べるのを待てばよいのではないか――という発想は残念ながら意味をなさない。知っているだろうか、冷たくなったマックのポテトがどれだけおいしくないのかを。しかもあれは、レンジでチンしても油が抜けてるから美味しくならないという不可逆性商品。ゆえに買ってすぐに食べなくてはならないのだ。

 というわけで、もぐもぐと口を動かしながら、バッグから財布を取り出し中身を見る。スッカラカンではないが、悲しいことに一般的な女子高生としてはかなり少ないほうである。金銭的な面でも追加注文はためらわれた。

 

「うぐぅ、貧乏人は辛いのよ……」

「推薦合格が確定してからずっとバイトしてるんじゃなかったっけ、アンタ」

「コンビニアルバイターは低賃金で酷使されてるんです!」

 

 わたし、朋絵、そして美姫ちゃんの三人は、全員がすでに推薦で大学が決定していた。だからこそこうして世間が受験期でも一緒に遊べ、親しくなれたのだ。もちろん遊ぶだけじゃなくて、それぞれ最低限の勉強とかバイトとかはしているけどね。

 わたしはどちらかというとバイトに力を入れていた。すぐ近く――というか徒歩一分以内の超お隣さんのコンビニで働いている。けっこう長い間そのバイトを続けているものの、賃金の大半は大学のための費用へと消えるために、手元に残ってくる分は少ないのである。

 

「バイト変えたら? もっと儲かるところあるんじゃない?」

「たとえば?」

「メイド喫茶とか」

 

 ぐッ、と危うくポテトで窒息しそうになった。慌てて飲み物で流し込もうとする――ってダメだ! シェイクじゃ無理すぎる!

 ひょいと朋絵が差し出したコップを受け取り、水を一気に呷る。それでなんとか落ち着いた。

 わたしはじとりと朋絵を睨んで言う。

 

「つーか朋絵さん……もうちょっと常識的なのを挙げてください」

「そうか? 秋葉はそんなに離れてないし、時給もいいんじゃ?」

「秋葉が近いのはまあそうだけど、アレってじつは時給はほとんどコンビニのバイトと変わらないらしいですけど?」

 

 前にアルバイトの職種別時給ランキングなるものを見たことがあるが、金額で言えば基本的にメイド喫茶は普通の接客業とそれほど変わらないらしい。というのも、意外と需要(メイド萌えな人)と供給(コスプレしたい人)が釣り合っているからだとか。

 残念ながらわたしには理解できない世界である。というかぶっちゃけ理解したくない。

 

「ふーん、そうなのか。琴音に似合ってると思うんだけどね」

 

 メイド服を着た自分を想像して、わたしは身悶えた。実際にそんなことになったら自殺でもして冥土行き確定である。

 

「というか、そーゆー朋絵がやればいいじゃないの」

「私じゃ“可愛い系”から外れてるから需要ないでしょ」

「う、嘘だッ!」

 

 知っている! わたしは知っているぞ、遠野朋絵! 学校でのモテ度はクラス内どころか学年内でも上から数えたほうが早いくらいだったということを!

 たしかに可愛い系じゃないかもしれないが、こんな美人のメイドさんがいたら誰もが認める人気ナンバーワンになるだろう。

 ……と思ったけど、よくよく考えたら朋絵がメイド姿で「いらっしゃいませ、ご主人さま♪」などと媚び媚びなセリフを発するのを想像できない。むしろ店にやってきたオタクどもを上から目線(身長が高いから文字どおりである)で威圧する場面しか思い浮かばない。やっぱりダメだこりゃ。

 

「むしろ美姫ちゃんかなぁ」

 

 と、わたしは未だ来ぬ親友その二の姿を思い浮かべた。

 黒髪ロングに無害そうな幼い顔つき、オプションにメガネ。そんな子がエプロンドレスに白いフリルカチューシャを……。

 あ、あれ? 意外にアリなんじゃない? とか不覚にも思ってしまった。

 それに本人の“趣味・嗜好”がわたしたちより向いているのではないだろうか。あの子、やたらと漫画とかアニメとかが好きみたいだし。

 

「いや……アイツの性格だとむしろ――」

 

 と、朋絵が口を開いたその時。

 階段のほうから、耳慣れた声が響いた。

「琴音ちゃ〜ん、朋絵ちゃ〜ん。ごめえぇんっ!」と店の中だというのに空気を読まない声量に、ほかのお客さんたちが奇異の目を向ける。……たぶん焦っていて気づいてないんだろうなぁ、美姫ちゃん。

 わたしは顔をちょっと引き攣らせながらも、裾レースの白ワンピースがよく似合っている美姫ちゃんを出迎えた。

 

「もうちょっと空気読もうね、美姫ちゃん……」

「ううぅ……次は遅刻しません……」

 

 って、そっちのことじゃないし! まあ時間のこともそうではあるんだけどっ。

 いちいち突っ込むのも疲れると思ったので、わたしは黙ってソファーの奥に座りなおす。美姫ちゃんは「ありがと〜」と純真な笑みでわたしの隣に着く。こういうのを見ると、なんとなく何でも許せてしまう気になるのは、たぶんわたしだけではないだろう。

 さてさて、ようやく三人揃ったわたしたちはいったん食べるものを注文することに決めた。そうなると必然的に荷物番に誰かが残ることになるわけで、ご多分にもれず、すでに自分の分を注文していたわたしが選ばれることになった。……まあいいんだけどね?

 だけど一人だけ早くも食べ終えるというのはなんだかなあ、ということでわたしは仕方なく二人が席を立つ時、朋絵にハンバーガーを一つ買ってきてもらうように伝えた。なんだか泣ける。カロリー的な意味で。

 数分後、二人は注文品を乗せたトレーとともに帰ってきた。それからわたしたちは飲み食いしながら適当に雑談をして時間を過ごした。もう登校日数も少なくなってきた学校のこと、これから通うであろう大学のこと、春物ファッションで何がおすすめかということ、最近の気になるアーティスト……。

 心任せの漫談。話したことを一つ一つ思い出せと言われても難しいほどだった。そんな中、ふとある話題を美姫ちゃんは口にした。

 

「ねえねえ、この辺りの都市伝説って知ってるかな?」

 

 都市伝説。

 それは民間における「普通の人々」によって語られ、信じられている伝説のことを言う。「都市」とあるものの、これは都市部における伝説ということではなく、都市化した伝説なのらしい。……といっても、違いを説明しろと言われてもわたしはできないんだけどね。

 そんな都市伝説だが、これはけっこう身近にあるものなのだ。学校の怪談とかもじつは都市伝説の一部に含まれる。〜〜という場所で告白すると結ばれやすいとかいう、いわゆる告白スポットだって根拠がないのに信じられる都市伝説である。

 

「都市伝説ねえ」

 

 朋絵は思い出したかのように言った。

 

「マクドナルドのハンバーグの肉にはミミズ肉が使われている、とか?」

 

 ……本日何度目だろうか。わたしはちょうど水を含んでいたせいで思いっきりむせた。

 

「ハンバーガー食べてた人の目の前でそういうこと言わないでよ!?」

「ん? 私も食べてたんだけど」

「そ、そーいうことじゃない……」

 

 にやにや笑いながら言ってるから確実に確信犯だ! ……いや、この言葉を使いたかっただけ。本当は故意犯って言うんだよね。

 わたしは一つ呼吸を整えてから、話に加わる。

 

「でもさ、朋絵が言ったようなのって全国各地で聞くものでしょ? この辺り特有の都市伝説ってどんなの?」

 わたしの疑問に、美姫ちゃんは少し嬉しそうに胸を張って答えた。

「ここよりちょっと離れた場所なんだけど、そこに幽霊が出るんだって」

 ……なんだ。幽霊話なんてそこら中に転がっているんじゃないかなぁ。

「一ヶ月くらい前に、母親とはぐれたところで車に轢かれて死んじゃった子供がいるの。その子が幽霊となって母親の姿を探し求めて彷徨っているらしいよ」

「ふーん」

「えぇ、信じてないの〜!? 『見た』って人もいっぱいいるんだから!」

 

 ……いっぱいいる?

 なんか引っ掛かった。わたしが言うのもどうかと思うが、美姫ちゃんはそれほど交友関係が広いとは思えない。いったい誰から聞いているんだろう?

 という疑問を、先に朋絵が代弁してくれた。

 

「美姫、アンタその話どこから仕入れてきたのさ?」

 

 そして美姫ちゃんは待っていましたと言わんばかりに満面の笑みで答えた。

 

「インターネットで見た」

 

 ……なん……だと……?

 インターネットがソースかいな! というツッコミは置いておこう。

 そんなことよりも重要なことがあった。

 

「美姫ちゃん……………………パソコン使えたの?」

 

 人様が聞いたら失礼な質問に思えるかもしれない。だが待ってほしい。このすぐ隣にいる清楚系メガネ少女は、じつは携帯電話を買ったのが今年の初めという超が三つくらい付くレアな平成生まれの若者なのである。当然ながらパソコン? 何それ? 状態だった……はずなんだけど。

 

「ひ、ひどいな〜。どうせ大学で必要になるから、っていうことで勉強しはじめたんだよ? 最近は毎日使ってるくらいなんだから」

「……本当?」

「ウソついても仕方ないよっ」

 

 どうやら本当らしい。なんか美姫ちゃんがパソコンを使いこなしている姿が思い浮かばないけど。

 しかしまあ、そんなものだろうか。たしかに大学でレポートなどを書くとしたら、パソコンがなければどうしようもない。この二一世紀に手書きってのもおかしいしね。

 なんとなく感慨深く頷いていると、美姫ちゃんは喜々としてパソコンのことについて語りだす。

 

「今まで食べず嫌いしてたけど、パソコンってやっぱり使えると便利だよね!」

「まあ使えたほうが断然得だね」

「キーワードを入れるだけで簡単に調べられるし!」

「あー、まあ大体は検索すると出てくるね」

「それに画像検索なんて、好きなキャラクターの名前を入れるといっぱい出てくるんだよ?」

「…………へ?」

 

 なんか雲行きが怪しくなってきたぞ。

 美姫ちゃんは「えへへ」とか頬を微妙に赤く染めているし。……何を想像しているんだろうか。気になるがなぜか知りたいとは思えない。というか聞いてもわたしの理解できない領域であろう、絶対に。

 

「ま、まあ、パソコンについてはいいか。えーと、なんだっけ? そうそう、都市伝説だ! いやあ、わたしも気になるなー」

 

 後半、完全に棒読みになってたけど気にしたら負けである。ふと気づいたら、朋絵が同情的な目でわたしを見つめていた。くっ、そんな目でわたしを見るなあぁ!

 ……と、まあ、そんなこんなで。

 その後、幽霊話もそこそこに、いつの間にか別の話に移り、それがさらに次の話題に塗り替えられ――

 店側からしたらそろそろお帰り願いたいという頃合い、わたしたちは次の場所に移ることにした。すぐ近くに駅前のデパートがあるが、そこの中に書店もある。けっこうな広さで品揃えも良く、美姫ちゃんと朋絵がついでに寄っておきたいということだったので、わたしはそれに付き合うという形になった。

 ところでわたしは、これまであまり本を読んだことがなかった。嫌いではないが、そこまで好きでもないといったところか。小学校時代に「十分間読書」なるものが朝のHR後に設けられていたのだが、その時わたしの家にはろくに子供が読むような本がなく、困ったわたしは適当に父親の読んでいた本を持っていって……。まあ結果は言わずもがなである。あの頃は無駄に意地っ張りだったのが災いし、小学生には意味不明すぎる文面を苦行僧の如く読み進めていた。そのおかげで小さいながらにして、読書=苦痛の等式ができあがってしまったのである。あの頃に戻れたらわたしは言いたい。「せめてあんたら子供にまともな本買ってやれよ!」と親に。

 って言っても、まあいわゆる純文学系の小説にアレルギー反応が出るだけで、今ならだいたいの本なら読めるんだけどね。というか読まないと国語とかどうにもならないし。

 適当に平積みされた本を眺めながらそんなことを思っていると、会計を終えた朋絵がやってきた。

 

「あれ、もう買ってきたの? 早くない?」

「欲しいのはすぐ見つかったからね」

 

 朋絵は袋から二冊の本を出してわたしに見せた。一つは村上春樹の小説で、もう一つは名前も知らない著者の新書本だった。たぶん詳細を聞いてもあんまりわかんないだろうなぁ。

 

「美姫ちゃんは?」

「私がお金を払っている時にレジに並んでいたから、もうすぐ来ると思う」

「何買ったんだろう?」

「それは……私にわかるわけない」

 

 あー、うん。たしかにそうだろう。朋絵は美姫ちゃんが好きそうな本にはまったく縁がなさそうだし。

 そんな話をしていると、タイミングよく美姫ちゃんもやってきた。大事そうに本の入った袋を抱えている。

 

「おかえりー、美姫ちゃん。何を買ったの?」

 

 と安易に聞いたわたしを責めないでほしい。

 美姫ちゃんはその言葉を聞くと、目を子供のようにきらきらとさせて本を取りだした。

 予想どおり、表紙にはアニメ絵の少年少女が描かれていた。いわゆるライトノベルである。

 

「この最新巻、つい昨日出たばかりなの。とっても面白いんだよ、このシリーズ。前巻は『真なる緋色の詠使い』が((後罪|クライム))の((触媒|カタリスト))を《((讃来歌|オラトリオ))》なしで((名詠門|チャネル))を開かせ、((黎明の神鳥|フェニックス))を詠び出す場面がすごく盛り上がって……」

 

 日本語でOKだよ美姫ちゃん。

 このまま暴走させるのは危険と見たわたしは慌てて言った。

 

「あ、あのさ、じゃあほかにはどんなものを買ったのかな?」

 

 と言うと、美姫ちゃんはもう一つの本も取り出す。

 それは先程と同じような絵柄の美少年二人が見つめ合っている表紙で……って、これライトノベルじゃない気が。

 

「……なんて言うんだっけ、こういうジャンル」

「BLって言うんだよ、琴音ちゃん」

「す、好きだね。そういうの」

「BLが嫌いな女子なんていませんっ」

 

 そんな自信満々に言われても……。というかそれ、わたしも入っているのだろうか?

 なんというか、これ以上続けると泥沼に陥りそうだったので、わたしは朋絵に救いを求める目を向けた。意を察したのか、朋絵は話に割って入る。

 

「こんなところで立ち話を続けるわけにもいかないだろうから――」

 

 うんうん、そのとおり。

 

「続きはカラオケボックス内でやりなよ」

 

 朋絵さーん!?

 

「うん、わかった!」 

 

 ちょ、美姫ちゃんも勢いよく頷かないで!

 わたしは微妙に涙目になりながら朋絵を睨んだ。でも本人はどこ吹く風なのが悔しい……。

 まあ何はともあれ、いったんは美姫ちゃんのノーマルっぽくない方面の話は避けることができた。願わくば、それが再開されないことを祈るばかりである。……すごーく可能性が低そうだけど。

 わたしたちの事前の計画だと、これから夕方まではフリータイムのカラオケで過ごそうということになっていた。その後はちょっと離れたところにあるけど、安くて美味しいお好み焼きのお店でお腹を満たし、そして解散、というのが今日の流れである。現在の時間的にも大きな変更はないだろう。

 そんなわけで、平日昼間のカラオケボックス内。フリータイムで三時間近く余裕があるものだから、時間に追われないで気楽に歌えるのはよかった。とはいえ最初の一時間は順々で歌っていたものの、みんなネタが切れてきたのか徐々に曲を入れるペースも鈍りはじめ、とうとう「歌いたくなった人はご自由にどうぞ」という雑談タイムになり果てていた。まあ、ある意味、当然の流れではある。むしろ三時間ぶっ続けで歌える人がいたら、それはそれで感心する。真似したくないけど。……とか思いながら、隣で熱唱しつづけている朋絵さんをちらりと見やる。

 さてそうなると、残っているわたしと美姫ちゃんの二人は、いかなる雑談をするかという話になるわけである。残念ながらわたしは常時話題を提供しつづけることができるほど饒舌家でもないので、自然と朋絵の歌声が響くだけの間ができる。

 それを待っていたかのように目を光らせる美姫ちゃん。先刻の書店での朋絵の余計な言葉が蘇る。

 ……まあ、あれだ。人間は解り合える動物である。頭ごなしに否定しないで挑めば、きっと良い結果が待っているに違いない!

 そんなふうに考えていた時期がわたしにもありました。

 

「つ、疲れたあぁ……」

 

 結論から言おう。やっぱり無理でした。

 というわけで、わたしは諦めて曲を入れることにした。戦闘には逃げるコマンドも必要なんです。

 

「お疲れ様。で、あと三十分ちょっとあるけど、どうする?」

 

 朋絵がケータイで時間を確認しながら聞いてきた。ちなみに美姫ちゃんはお手洗いに行っているので、今ここにいるのはわたしと朋絵だけである。

 なにもフリータイムぎりぎりまで居座ることもないだろう。これだけダレている状況なんだから、歌いたいのを歌ったらもう出ていいかもしれない。

 という旨を伝えると、朋絵は一つ大きな伸びをした。

 

「そうしてくれるとありがたいよ。できれば夕飯も早めに取りたいし。さすがにカロリー消費しすぎた」

 

 あはは……そりゃ、あれだけヒトカラ状態が続いてたらね。いいBGMだったよ。

 

「了解ー。わたしもけっこうお腹すいてるし」

 

 イントロが終わり、歌詞が表示される。

 その一瞬間、わたしは大きく息を吸い込んだ。

 そしてメロディに合わせて歌を紡ぎはじめる。

 ――わたしはひと時の間、ただ歌うことに熱を注いだ。

 

 

 

 

「これってお好み焼きじゃないと思うんだ」

 

 《お好み焼き(おこのみやき)は、鉄板焼き料理のひとつ。水に溶いた小麦粉を生地として、野菜、肉、魚介類などを具材とし、鉄板の上で焼き上げ、調味料をつけて食するものであるが、焼き方や具材は地域において差が見られる。》

 だがちょっと待ってほしい。いくら地域差があるとはいえ、基本的にお好み焼きと言えば、出来上がりは平べったい丸の形になるのではないだろうか。少なくともわたしの記憶では、ぐちゃぐちゃのところどころ半生状態で、水分過多のホットケーキ生地のように無駄に広がりすぎて、隣で焼いている生地にまで侵蝕するなどという意味不明なものではない。断じて。絶対にだ。

 ふと横を向くと、朋絵が自分で焼いていたはずのものを見つめながら肩を震わせていた。「わ、私のお好み焼きが……ッ」などとまるで我が子の災厄を目の当たりにした如く、真に迫った表情で呟いている。いや、気持ちはわからなくないけどさ。

 

「とりあえず――このままだと朋絵の焼いてる分と完全に合体しちゃいそうだから、切り離そうか美姫ちゃん……」

 

 わたしの忠言に「あわわ、はわわ」と取り乱していた美姫ちゃんはハッとなり、鉄ヘラを振りかざし――

 

「ま、待て美姫ッ」

 

 朋絵が制止しようとするが時すでに遅し。美姫ちゃんの一閃は朋絵のと融合してしまっていた部分をズバッと一直線に切り取り、なんとか分離したものの……朋絵のお好み焼きは元の綺麗な円から微妙に一部が欠けた形になってしまった。それを見た朋絵は憮然として硬直している。哀れ……。

 

「ま、まあ食べれればいいじゃない?」

 

 と、わたしはいまだ放心状態の朋絵の肩を揺さぶる。ようやく意識が戻ったのか、朋絵はちょっと目を潤ませながらこくりと頷いた。というか、たかがお好み焼きにどんだけショック受けてるのよ。

 その後、悪戦苦闘した結果、美姫ちゃんのお好み焼きは不格好ながらもなんとか人間が食べられる物体になることができた。そもそもお好み焼きを食べられないように焼くほうが難しいのだが、天才的(もちろん悪い意味で)な腕を持つ美姫ちゃんの手にかかれば因果を逆転させかねないから恐ろしい。

 全員が焼き終え、わたしたちは食べる準備をしはじめた。

 ソース・カツオブシはやはり鉄板であるのか、三人ともたっぷりと使う。しかし青のりとマヨネーズは人によって好き嫌いがあるもので、わたしはマヨネーズをちょっと入れるのが好きなのだが、青のりは苦手だった。どうもあの舌触りが受け付けないのだ。

 さーて、やっと食べ……られ…………。

 なんかありえないものを見て、わたしは固まった。……目をしばたたくが、やはり光景は変わらない。

 

「美姫ちゃん……マヨネーズ好きだね」

「うんっ」

 

 と笑顔を振りまきながら、お好み焼きの体積と同等の量のマヨネーズを乗せる美姫ちゃん。それはもはやマヨネーズの味しかしないのではないかと突っ込みたくて仕方なかった。

 またまた隣から異様な気を感じ取ったので、そちらを向くと――朋絵が箸を握りながら「冒涜だ……お好み焼きを冒涜している……ッ」と小さな声で呟いて、体を震わせていた。気持ちはわかるけど頼むからこらえてください、朋絵さん。

 そんなこんなで時間は過ぎ去り――

 涼しいと肌寒いの中間くらいの夜気を含んだ帰り道。

 わたしたちは暗い路地を歩いていた。大通りならまだ明かりが輝いているが、先程のお好み焼き店は駅からちょっと離れたところにあり、戻るにしてもこの街灯も少ない小道を通るほうが早いのである。さすがに三人もいれば、怪しい人間に目をつけられるということもないし。

 天を仰ぐ。重苦しい、真っ黒な雲が一面を覆っていた。まだ午後八時にもなっていないが、その雲に月明かりは遮られてしまっている。

 交通量の多い通りもはるか後方となっていた。車の音はいっさいなく、じつに静かである。

 そんな環境のせいか、わたしたちの口数は少なくなっていた。

 遅すぎるわけでも、早すぎるわけでもない三人分の足音。

 ただそれだけが、沈黙を阻止する物音であった。

 そして――ふいに、完全な無音の世界が広がった。

 三者三様、その場に立ちつくす。言葉を発するまでは、いささかの時間があった。

 わたしたちの視線の先にいたのは――

 

「――子供?」

 

 曲がり角のすぐ近く。おぼろげな街灯の足元に、人影が見えた。それは比較的小さく、たしかに朋絵の言葉どおり、子供であるように思えた。

 どうしたのだろうか。その子はこちらに背を向けて、うつむいたままでいる。

 どうしてそこに立っているのだろう。

 どうしてそこから動かないのだろう。

 

「迷子、かなぁ?」

 

 困ったように美姫ちゃんが言う。

 仮に迷子だとしたら、さすがにこんな暗いところに放ってはおけない。本人に話を聞いて、送り先がわからない、あるいはわたしたちでは送りきれない場所だったとしたら、このまま駅付近の交番に連れて行くべきだろう。

 だから。

 

「とりあえず……あの子のところまで行こうか」

 

 そうしなければ話は進まない。というか、そっちが帰り道なんだし。

 わたしが歩き出すと、二人もそれを機に足を動かす。さっきよりも早足で、子供のほうへと向かう。

 そう間もなく、その子のところには辿り着いた。

 距離にして数メートル。それだけの距離になれば、その子の格好が後ろ姿からでもよく見えた。

 薄手のジャンバーに、長ズボン。頭には耳当て付きのウールのニット帽を深々とかぶっている。髪はわたしと同じような肩ほどまでの長さで、身長はわたしよりちょっと小さいくらい。どうやら女の子のようだ。

 そして――その少女には、何か言い表せない奇妙な雰囲気があった。

 どのような要素がおかしいのだろうか。いったい何が彼女をただの少女とするには余計なのだろうか。

 ……いや、違う。余計――常態よりも多いのではない。むしろ逆だ。

 足りていない。欠けている。

 何かが不足し、何かが欠落している。

 それは、何?

 

「……きみ」

 

 少しの逡巡の後、わたしは意を決して少女に声をかけた。

 

「どうしたの、きみ」

 

 わたしの言葉に、少女は振り返る。

 弱々しい街灯に照らされたその顔を見て。

 ――どきり、とした。

 ……べつに恋愛小説の如くときめきを感じたというわけではない。その子の顔は今にも涙を流しそうで、今にも嗚咽をこぼしそうな顔をしていたのだ。そんな顔を見て焦らないほどわたしは冷徹な人間ではない。

 放っておけない。助けなくてはならない。自然とそんな感情が湧き出てくる。

 

「大丈夫? 迷子になったの?」

 

 わたしは優しくほほえんでみせた。

 

「…………」

 

 少女は言葉を発することなく、されどわたしたちにもわかるように頷いた。

 

「名前は、教えてくれる?」

「……高井優希」

「そう、優希ちゃんね」

 

 わたしがそう名前を繰り返すと、少女はふるふると首を振った。

 ……え? 何かおかしかったのだろうか。発音的にも、高井が姓で優希が名だったはずだけど。

 

「ボク……男だよ」

「なっ」

 

 ――なんだってーっ!?

 ど、どど、どういうこと。だってどう見ても女の子にしか見えないし……。

 狼狽するわたしを見て、美姫ちゃんが力強く言う。

 

「そうだよ琴音ちゃん。こんな可愛い子が女の子のはずがないよ」

 

 なんか間違ってる気がするよ美姫ちゃん!

 と、とにかく、もう一度本人に確認しておこう。

 

「えーと……優希くん、でいいのかな?」

 

 こくりと頷く。やっぱり男の子なのらしい。

 たしかにこの年齢ならまだ二次性徴が来ていないのかもしれないけど……なんか、納得がいかない。

 そんなことを思っていると、朋絵が先に迷子になったことについて聞く。

 

「家は近く?」

「……遠いところ。だから……戻れない」

「誰とはぐれたの? ご両親?」

「……お母さんと」

「そのお母さんがどこにいるか、心当たりは?」

 

 首を振る優希くん。

 

「家族に連絡できる番号はわかる?」

 

 答えはノー。「参ったな……」と朋絵は頭を掻く。

 こうなったら、もう手段は一つしかない。すなわち、交番まで届けるということ。おそらくそれが最善であろう。あれこれと下手な世話を焼いても、逆に家族と再会するのを遅らせてしまうかもしれないのだから。

 

「交番まで行こっか、優希くん」

 

 わたしの言葉に、彼はゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 誰だってむかし、まだ小さな子供のころ、迷子になった経験があるはずだ。覚えているか、忘れているかにかかわらず。

 それはわたしも例外ではない。何歳だったかも覚えてない、けれども確実に迷子だったことの記憶。わたしは泣いていた。それはこう思ったから。

 ――もう二度と会えないかもしれない。

 実際には、いくら迷子になろうと最終的には親切な人や警官が家族のもとへ送り届けてくれる。でも子供はそんなことを知ってはいない。子供には、子供に映る世界には、ただ近しい人がいないという現実があり、絶望がある。だから平静を保てない。だから泣き散らす。だから――怖くて恐ろしくて仕方がない。

 そう、だから――

 

「もう会えないなら、どうすればいいのかな……」

 

 だから、優希くんはそう悲観的な想像をするのだろう。

 

「……大丈夫だよ。かならず会えるから」

 

 会えるはず。会えるはずなのだ。

 優希くんは十歳くらいの年齢だ。ならば、それくらいはわかるはずなのに。

 

「ううん……」

 

 首を振るのだ。

 なぜ?

 どうして?

 そんなに心配する必要なんてないはずだ。

 そんなに悲しむ必要なんてないはずだ。

 そんなに――泣く必要なんてないはずだ。

 

「お母さんに、謝りたい……」

「……どうして?」

「もう……会えないから」

 

 堂々巡りの水掛け論。

 空転不毛の押し問答。

 もう何度同じことを繰り返しているのだろうか。どうしてそこまで、頑なにわたしの言葉を否定しつづけるのか。

 わたしは優希くんじゃないから、その真意がわからない。わかるはずがない。だけど、このまま黙っているのも癪だった。……ムキになっていたのかもしれない。わたしは元来、意地っ張りだったのだから。

 

「“謝罪”じゃないよ、優希くん」

 

 わたしは歩みを止める。

 そして隣にいる優希くんの肩に手を置いて、その綺麗で澄んだ瞳を見つめる。

 

「ねえ、どうしてきみはお母さんに謝りたいの?」

「……もう会えないから」

「もう会えなくて、お母さんが悲しむから?」

「…………」頷く優希くん。

「――子供に謝られて嬉しい親なんているかな?」

「え?」

 

 これはわたしの勝手な考え。

 

「きみがお母さんに会ったとして、ひたすら謝りつづけて、それでお母さんは嬉しいと思う?」

 

 わたしはそう思わない。

 だから。

 

「だから“謝罪”じゃない。きみが本当に伝えるべきは――」

 

 わたしは言葉を紡ぐ。

 

「“感謝”だよ、優希くん。きっとお母さんは、きみのことを心配して、無事を願いながら、必死に探している。だからきみはお母さんに会ったらこう言うべきだよ。迷惑かけてごめんなさい、だけど、心配してくれて、無事を願ってくれて、必死に探してくれて、ありがとう――ってね」

 

 優希くんがわたしを見つめる。

 とても澄んだ目。

 とても悲しい目。

 とても優しい目。

 ふいに――その目に涙が溜まった。

 

「……うん」

 

 そう呟いた優希くんに、わたしは笑みを浮かべる。

 

「さあ、それじゃあ交番に……」

 

 行こう、と続けようとして、優希くんの突然の行動に目を奪われた。

 彼はぶかぶかのニット帽を取ると、それをわたしの頭にかぶせようとしたのだ。とはいえ無理やり振り払うわけにもいかず、なすがままにされ、帽子をかぶる。そのニット帽は――暖かくて、温かくて、紛うことなき確かなぬくもりがそこにあった。

 そして優希くんは、ふっと笑って。

 

「――ありがとう」

 

 風のように、姿を消した。

 

 

 

 

 漆黒の闇、なんてものとはもう無縁だった。そこら中で明るい、カラフルな光が交錯する。ついさっき、数分前の場所と比べると、まるで異世界に迷い込んだかのようだった。

 両手で耳当てを押さえると、あったかくてなんだか心が落ち着いた。そこに彼がいたという証があるのだ。

 三者三様、他人が見れば異様とも思えるほどの無言を貫きながら、駅を目指して繁華街を通り抜ける。

 電車に乗って、家に帰って、家族と話して、お風呂に入って、そして寝て、また次の一日へと踏み出す。変わらない日常のサイクル。変わらないからこその安堵できる繰り返し。帰れるところがある。安らげるところがある。こんなに嬉しいことはない。

 駅のすぐ目の前にまで来た時だ。

 ――肩を掴まれた。

 びくりと振り返ると、知らない女性がそこにいた。歳は三十後半だろうか。ひどく必死な顔をしている。

 

「――あ」

 

 思い直したかのように、女性はわたしから手を放し、そして慌てて頭を下げる。「ごめんなさい」と、そして続けてこう言った。

 

「……迷子で((い|、))((な|、))((く|、))((な|、))((っ|、))((た|、))子供に似ていたものですから。お騒がせしました」

「――これ」

 

 わたしはニット帽をゆっくりと取った。そして女性に差し出す。

 

「その子が見つかったら、渡してあげてください。いつの日か、迷子の子から貰ったんです。何かの縁でしょうし」

 

 自分でも奇妙な申し出だった。

 だけど。

 その女性は朗らかに笑って。

 

 

 

 

「――ありがとう」

 

 

 

説明
 タイトルどおり。けっこう前に書いた作品なのだが、いま見返したらいろいろと恥ずかしすぎて死にそうになるぜ……。
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オリジナル 短編 女の子 幽霊 

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