発展という名の恐怖譚、あるいは『ゆかりちゃんねる』
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 魔法の森の端、無精に伸びた藪の奥にその店はある。

 

 古道具屋 香霖堂

 

 普段は客も寄り付かず、静寂のみを背景音としているこの店が俄に活気付いたのは数週間前

 河城にとりの来訪がそもそもの切っ掛けだった。

 

 

 

 

 

 その日もいつもの様に、読書の片手間に客待ちを続けていた霖之助は、

 控え目なカウベルの音に釣られて本を閉じた。

 

 見ると、不自然に大きなリュックサックを背負った少女が恥ずかしそうにこちらを見ている。

 入りたそうにしている様だが、控え目な性格なのだろうか。その足を店内に踏み出す様子は無い。

 

 ――――お客かな?それとも、それ以外だろうか。

 

 それ以外 ――― 心中に手のかかる妹分を思い浮かべ、少し苦笑。

 そう言えば最近は姿を見ていないが、元気でやっているのだろうか。風邪などひいていないだろうか。

 

 霖之助が思中に耽っている間に、少女は決意を固めたらしい。

 後ろ手にドアを閉めると、カウベルの音に追いやられるように小走りで、霖之助の前に転がり出た。

 

 控え目、と先程評したが、こう近付いてみると随分印象も変わるものだ。

 先程とは打って変わって勝気な視線が霖之助の顔をじぃと捉えている。

 好奇心と、少しだけの恐怖が綯い交ぜになった不思議な視線だ。

 

 まるで、自分が商品になったような気分だな。なんてことを思いながら、霖之助は黙ってその視線を受け止めた。

 

 その眼の奥に、並々ならぬ覚悟が垣間見えたのだ。そういった目は嫌いではなかった。

 

「あんたが森近霖之助かい?」

 

 やがて彼女がそう言った。

 程良く鼻に抜けたその声は、見た目相応に十四、五くらいの、あどけない少女のそれを思わせる。

 けれど声にはしっかりと芯が通っていて、その心が見た目相応で無い事はすぐに分かった。

 

「ああ、そうだが……君は?」

「私は谷河童のにとり、河城にとりさ。あんたの事は魔理沙から色々聞いてるよ」

 

 河童のにとり

 そう言えば、魔理沙の話の中にそんな名前が出てきた記憶がある。

 魔理沙の様子から察するに――――

 

「魔理沙の友達かい?」

「盟友だよ」

 

 どう違うのかは分からないが、自信を持って言うのだからきっとそうなのだろう。

 にとりは少し腹を立てたのか頬を膨らませている。

 その様子を尻目に、霖之助はにとりを値踏みするように目を細めた。

 

 この子は真っ当な客だろうか。それが霖之助にとっての一番の関心事だった。

 以前もあのじゃじゃ馬の紹介で手酷い目にあっている。

 流石にこちらも警戒を覚えて良い頃だ。

 

 少々険しい目でにとりを見遣ると、にとりの関心は既に別に移ってしまったらしい。

 まるで店の中を玩具箱か何かの様に、楽しげに見回しているのだった。

 

 踊る様に陳列棚を一回り、二回り、そして三回り終えた時になって、ようやくにとりは口を開いた。

 

「いや、凄いね。まるで宝箱じゃあないか」

 

 その様子は見た目よりも、もう数歳幼子のそれに見える。

 楽しそうな様子にすっかり毒気を抜かれてしまったのだろうか。

 にとりへの警戒心が幾分か抜け落ちた気がした。

 

「分かるかい?」

「そりゃあね、河童だもの」

「ふうん……?」

 

 河童という種族と直接の面識は無いが、技術に秀でた妖怪であると聞く。

 とすると、彼女もその技術者の一人なのだろう。

 しかもこの香霖堂の商品を宝と称せる辺りに彼女の技術に対する素養が見て取れる。

 久しぶりの良客の予感に、霖之助はすっと背筋を正した。

 

「それで、今日は何をお求めかな?」

「ああ、ゴメンゴメン。今日は買い物に来たんじゃあ無いんだよ」

「出口はあちらだよ」

 

 にとりは少し腹を立てた様だった。

 眉をギュッと上げ、唇を尖らせた様は、まさしく河童の嘴だ。

 その子どもっぽい仕草に、幼き日の魔理沙が重なって、霖之助は表情に出さずに少し笑った。

 

「なんだい、突然態度を変えやがって。いけ好かないなあ。今日は買い物じゃなくて、取引に来たんだよ」

「取引?」

「そうさ」

 

 少し偉ぶって胸を反らすにとりと、呆れ顔の霖之助。

 その様子に気付いていないのかにとりは人差し指をピッと立てて、すっかり気分は講釈師の様だ。

 

「魔理沙から外の世界の物は高いって話を聞いてね」

「そりゃあ貴重品なんだ。値が張って当然だよ」

「こっちもそれ位は理解してるさね。だから、取引なんだ」

 

 にとりは、まるで秘密の相談事を漏らすかの様に声を潜ませ、神妙な顔つきで霖之助の耳元に唇を寄せた。

 

「ねえ、霖之助。私にここにある機械を分解させてくれないかい?」

「出口はあちらだよ」

 

 何のことは無い。蛙の子は蛙、魔理沙の友人は魔理沙だった。ただ、それだけの事だ。

 とりあえずこの少女にはお引き取り願おう。

 霖之助が真っ直ぐにドアを指差すと、にとりは少し顔を顰めた。

 

「全く、あんたはせっかちだねえ。魔理沙みたいに奪ってったりはしないよ。言ったろう?取引だって」

「先程の君の言い分ではそんな風には聞こえなかったがね。それじゃあ、ちゃんと分かる様に説明してもらおうか」

「つまり、こういうことだよ」

 

 人差し指をピッと立ててすっかり気分は講釈師。

 にとりはどうやらそれが気に入ったようだ。

 

「魔理沙に聞いた話では、霖之助は外の道具の使い方が分からない。ここまではいいね?」

 

 痛い所を突かれたな。そんな事を考えて、霖之助は表情を少し歪ませた。

 

「ああ、僕の能力で名前と用途までは分かるんだが、どうにもその先が良く分からなくてね。

 まさか、にとりはそれを知ってるというのかい?」

 

 それに対してにとりの様子は飄々としたものだ。

 

「それこそ、まさかだよ。そんなのが簡単に分かったら河童革命が起きてるさね。

 でもね、霖之助。山の巫女知ってるだろ?あいつから動いてる様子を聞いたことならあるんだ」

 

 動いている……様子を……?

 

 霖之助の胸が、不意に高鳴った。

 けれど、それを悟る間も無くにとりの言葉は続いてゆく。

 

「改めて取引しようじゃないか、霖之助。私に外の機械を弄らせて欲しいんだよ。

 山の巫女の話と私の技術があれば、どんな機械も動かしてみせる自信がある。

 私としては動かす事ができればそれでいいから、万一動かせたら、後は霖之助の好きにしていい。

 お互いの“にいず”に合わせた素晴らしい作戦だと思うんだ。どうだい?」

 

 そう言ってにとりは、芝居を演じるかの様にすっと手を差し出した。

 じぃと霖之助の顔を見つめ、その口が開くの今か今かと待ち侘びている。

 

 霖之助は、その視線に答えず、ただ静かに俯いた。

 

 今回のにとりの提案は、霖之助にとっても魅力的な話であった。それは十二分に分かっているつもりだ。

 けれど、速決に踏み切れなかったのは、その提案に何かが欠けていると思ったからだ。

 少し考え、その正体はすぐに知れた。それは根底、あまりにも霖之助の根底であった。

 

「分かった、君の提案を呑もう。ただし、一つだけ条件があるんだ」

「な、何だい?」

 

 不安げなにとりの顔に苦笑を溢し、霖之助はそっとその口を開いた。

 

「僕にも手伝わせて貰えないかな。根底にある物は違えど、僕も道具を愛する者だ。

 君の話を聞いていたら技術者の腕が騒いでね。

 これでも、魔理沙の八卦炉を作った実績もある。君の邪魔にはならないと思うんだが、どうだろう」

 

 俄に掻き曇ったにとりの表情が、満面の笑顔に花開く。

 薄紅色に頬を染め、頬皺で顔をくしゃくしゃにしながら彼女はほこりと笑ったのだった。

 太陽の様だなと、柄にも無く霖之助は思った。

 

「よう、相棒。足引っ張るなよ」

「僕を誰だと思ってるんだい?万に一つもヘマなんてしないさ」

 

 目の前にいる小さな相棒、その細い右手が徐に挙げられる。

 気付けば霖之助も手を伸ばしていて、無意識の内にお互いの手は中空でがしりと固い握手を交わしていた。

 

「それじゃあ、改めて宜しく頼むよ。相棒」

「ああ、任しときな、相棒」

 

 それが数週間前の出来事

 物静かな古道具屋が動き出した出来事

 

 そして恐怖の歯車が、ぎりりぎりりと軋み出す。

 静かな狂気の目玉が、じぃと二人を見つめている。

 

 

 

 

 

 数週間の苦労の成果は今、ただ静かに二人の前に鎮座していた。黒い光沢のある箱状の機械である。

 正面に備わったモニタと呼ばれる部品が二人の緊張した面持ちを朧に映し出していた。

 

 彼らの前にあるのはテレビジョンと呼ばれる外来の機械、山の上の巫女が頻りに恋しがっていた道具の筆頭。 

 後ろのコードは河童特製の木箱に繋がれ、その上で不格好な金属の触角がすんと天井を突いている。

 

 見る人が見たら、何やら狂科学者の大実験の様だと言ったかもしれない。

 失敗しそうだと分かり切っているのに、本人は微塵も成功を疑っていない。

 そんな実験の様だと言ったかもしれない。

 けれど少なくとも、この時の二人は狂科学者であった。

 

「それじゃあ、いくよ」

「ああ」

 

 言葉少なに声を掛け合い、にとりが震える指で、そのスイッチを押す。

 カチリという乾いた音がしたかと思うと、モニタが薄らと光を帯び始めた。

 初めは弱い光だったものが、次第に強さを増してゆき、やがて人の顔の様なものを映し出す。

 

「やった、霖之助。やったよ!!映った」

 

 諸手を上げて破顔一笑、にとりの声が嬉し泣きに歪む。

 にとりの歓声に、霖之助は答えない。

 けれど、その手は強く握られており、汗にじとりと濡れていた。

 

 画面の中では眼鏡をかけた壮年の男性が何事かを喋っているが、声は掠れて良く聞こえない。

 音が小さいのだろうか。

 霖之助が良く聞こうと身を乗り出そうとした矢先である。

 スピーカが一際大きく音を立てたかと思うと、くしゃりと画面が捩れ、何も映し出さない砂塵状の灰色へと戻ってしまった。

 

 にとりの顔が不安に歪む。

 

「え、どうして……」

 

 きょろきょろと落ち着き無さそうに視線を走らせ、その表情は今にも泣きそうだ。

 霖之助も慌てて視線を走らせ、やがてその原因に気付いた。

 

「にとり、アンテナだ!!」

 

 力無く突っ立ったアンテナは何をキャッチするでもなくただ天井を指している。

 

「あ、そうか」と声を溢して、不格好な金属の触角を器用に指先で弄り始めた。

 

 右へ左へ、前へ後ろへ。

 その度に画像は少しずつ変化し、人の顔を明瞭に映し始める。

 声が聞える。聞き慣れない野太い男の声、けれど良く通る声だ。

 テレビから聞こえてくる。

 

「岐阜県根尾市で発生した神隠し事件は――――」

 

 野太い声が、聞こえてくる。

 

 やがて、にとりはアンテナを弄るのを止め、霖之助の隣にペタンと腰を下ろした。

 その表情は、多少呆然としていたけれど、思いの外穏やかだった。

 少し潤んだ瞳で、穏やかに緩んだ口角で、そっと微笑んでいる。

 霖之助は驚いた。

 自身の心臓はこんなに跳ねて興奮しているというのに、それがまるで子どもじみたもののような気がした。

 

「やったね」

 

 にとりが言った。酷く落ち着いた声だった。

 

「ああ」

 

 霖之助の声はどこか上ずっている。

 

「やった……んだ」

 

 もう一度、にとりが言う。

 

「ああ」

 

 霖之助が言う。

 

「やった……んだ……よね」

 

 にとりが……。

 

「にとり?」

 

 霖之助がにとりの顔を窺うよりも早く、にとりの両の手が霖之助に抱きついた。

 

「やった!!やったよ、霖之助ぇ、霖之助ぇ、霖之助ぇ」

 

 泣いていた。にとりが泣いていた。

 霖之助の胸に顔を埋め、にとりはただただ涙を流す。

 

 そういうことか。

 霖之助の口元が自然と綻んだ。

 

「お疲れ様」

 

 霖之助は一言呟き、その柔らかな髪を撫でようとして、止めた。

 その掌に浮かんだ球粒状の汗をティッシュで拭き取り、それからそっと彼女の頭を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 にとりは眠っている。喜び疲れたのだろう。

 霖之助の膝の上に頭を乗せ、穏やかな寝息を立てていた。

 霖之助はそんなにとりの寝顔に表情を柔らかくしながら、その髪をそっと撫で続けている。

 

 テレビジョンはまだついたまま置かれていた。

 画面の中では、どこか猿の様な顔をした壮年の男が、女性の声の質問に答えている。

 どうやらテレビジョンを介した人生相談らしい。

 

「それで、奥さん。どうされたんですか?」 

「私の主人は古道具屋を営んでいるんですが、道具に夢中で私のことなんてちっとも構ってくれないんです」

「それは奥さん、旦那さんは貴女に甘えていますね」

 

 テレビジョンの中から、女性の逼迫した声が聞える。

 どこか聞き慣れた声のような気がしたが、きっと気のせいだ。

 壮年男の慰めの声を聞きながら、霖之助はチャンネルのつまみを捻った。

 

 

 

 画面が一瞬ぶれたかと思うと、今度は一面の人混みが映し出された。

 どこかの祭りなのだろうか。

 映し出される人、人、人。

 黒髪の男性、日傘を差した金髪の胡散臭そうな女性、茶髪の青年。

 様々な人々が思い思い方向へ歩みを進めて行く。

 思わず不快を催す騒音は、いつか聞いたあの音によく似ていた。

 

 もしかしたら、いつかあの地に立つことになるのかもしれない。

 そう思うと、胸がいよいよ高鳴ってくる。

 霖之助は、暫く食い入る様に画面に見入っていた。

 

 人の群、鉄の上を走る新幹線、そして超高層ビル

 幻想では至れぬ境地がそこにある。

 

 暫くそれを見ていたが、やがて霖之助は溜息一つ溢し、チャンネルのつまみを捻った。

 人混みの中に見知った姿があった様な気がしたが、きっと気のせいだ。

 

 

 

 次に映し出されたのは、沢山の子どもの姿。

 カラフルな舞台の上で、青年を取り囲むように、子ども達が一様の踊りを踊っている。

 

 これは……なんだろう。

 霖之助は、首を捻り、やがて小さく手を叩いた。

 

 成程、これは寺子屋に違いない。

 踊りの授業とは珍しいが、外ではそういう事も珍しくないのだろう。

 このテレビジョンを見る事で、寺子屋に赴かずとも授業の様子が確認できる。

 なんとも便利な時代になったものだ。

 

 子供達は笑い、踊っている。

 魔理沙にもあんな頃があったなあ、なんて感慨に耽っていた霖之助の目にそれが飛び込んできたのは、

 全くの不意な出来事であった。

 

 テレビジョンの画面の右端、金髪の少女が踊っている。

 万歳をしたり、膝を持ったり、楽しそうに踊っている。

 見た目は5、6歳くらいだろうか。可愛らしい少女だ。ただの、可愛らしい少女の筈だ。

 だというのに、彼女を見た瞬間、霖之助は総毛立つことすらも忘れた。

 

「あ……あ……」

 

 声にならないうわ言が漏れた。

 体の震えが止まらない。

 直感が告げている。

 

 これは“八雲紫”だ。

 

 何故?とか、どうやって?とか、そんな疑問は思考の片隅にも上らなかった。

 ただただ、霖之助は恐怖した。

 

 彼女の実物に恐怖を覚えた事は無い。畏怖した事はあっても恐怖では無かった筈だ。

 だというのに、この気持ちは何だというのだろう。

 見てはいけない彼女の側面を垣間見てしまった。

 知ってはいけない事実を知ってしまった事が、ただただ霖之助に恐怖を与えていた。

 

「にとり……」

 

 気付けば、相棒に縋り、声を求めていた。

 当の相棒は「んふふぅ、もう食べれないよぅ、霖之助の胡瓜」などと口の周りを涎まみれにしながら笑っている。

 それをティッシュで拭き取ってやり、体を激しく揺すると漸くにとりはその重い瞼を眠そうに開いた。

 

「んんぅ?朝?」

「違う、これを見てくれ」

 

 霖之助が指差した先では、相変わらず子ども達が踊っている。

 しかし、その光景の中に、八雲紫の姿は既に無かった。

 

「ああ、可愛いねえ。へえ、外の世界ではこんなのがやってるのか」

「違う。そうじゃない。さっきまで八雲紫がいたんだ」

 

 にとりの目が疑わしげに細まり、けれどすぐに思い直したように首を振った。

 「相棒を信じる」にとりの矜持なのだそうだ。

 少なくともこの瞬間、霖之助その矜持に感謝した。

 

「隙間妖怪が?そっくりさんとかじゃなくてかい?」

「ああ、あの雰囲気がそっくりさんとはとても思えなかった。画面を介して見ても鳥肌が立ったよ」

「ふうん……」

 

 食い入る様に画面を見、にとりは徐にその手をチャンネルのつまみに伸ばした。

 画面が乱れ、番組が切り替わる。

 

「それでは依頼人の登場です!!」

 

 明るい拍手に包まれ、初老の紳士が舞台の奥から姿を表した。

 

「にとり?」

「いや、他の番組に出てないかなって思ったのさ」

 

 そう言って再び食い入る様に画面に見入るにとり、釣られて霖之助もそれを見つめた。

 

 その番組は、自宅に埋没していた価値の分からないものを鑑定してくれるという趣旨の番組らしい。

 

「霖之助の好きそうな番組じゃないか」

「ああ、外の世界に行ったら是非とも出てみたいね」

 

 紫の事も忘れて、気付けば番組を楽しんでいた二人。

 画面上では、高額結果の出た伊万里焼を嬉しそうに見ていた老人が退散し、次の依頼人が呼ばれるところだった。

 司会者の女性の明るい声が響く。

 

「それでは、次の依頼人の登場です。長野県からお越しの、八雲紫さん」

 

 八雲紫……ヤクモユカリ?

 

 舞台奥から彼女が姿を現した瞬間、再び鳥肌が霖之助を襲った。

 にとりは「ヒィッ!!」と悲鳴を上げたっきり、何も言わない。ただ眼を丸くして画面を見ている。

 舞台裏から現れたのは、正真正銘、隙間妖怪 八雲紫その人だった。

 

「私が鑑定していただきたいのは、こちらですわ」

 

 そう言って紫が小さな玩具を取り出す。

 霖之助にはそれに見覚えがあった。それもそも筈だ。

 数日前まで陳列棚に飾ってあった筈のものなのだから。

 いつの間にか行方不明になっていたと思ったら、そんな所にあったなんて。

 

 歯噛みしている霖之助を余所に、紫の玩具には高額の鑑定結果がつけられ、

 笑顔と共に八雲紫は画面の外に姿を消した。

 画面からの明るい声が、薄ら寒くすら聞こえる。

 霖之助とにとりは、押し黙ったまま呆然と画面を見ていた。

 

 やがて、にとりが徐に呟いた。心の抜けた力無い声だった。

 

「本当に隙間妖怪だったねえ」

「ああ、何故彼女が出ているかは知らないが、僕が思うにこのままテレビジョンを見続けるのは危険だ。

 彼女が、秘中の秘を知る者を野放しにしておく性格にはとても思えない」

 

 ごくり、と喉の鳴る音が聞こえた。にとりのものなのか、霖之助自身のものなのかは分からない。

 けれど、それが合図だった。

 

「消そう」

 

 互いに眼で合図すると、どちらとも無しに頷いた。

 にとりがそっとスイッチに手を伸ばす。

 そして、そして―――――

 

 もしも後悔をする事が許されるのなら、霖之助はティッシュを片付けなかった事をまず悔いようと思った。

 にとりが手を突いた先に、ティッシュの箱が置かれている。

 にとりはそれに気づくことなく手を突いて、盛大にバランスを崩した。

 スイッチを消す筈だったにとりの手は宙を切り、チャンネルのつまみを回した。回してしまった。

 

「あ……」

 

 声を上げてももう遅い。

 テレビジョンから明るい声が響く。地獄の様に明るい声が

 

「本日の友達親子は八雲さん親子です。どうぞ!!」

「テレビだって〜、どうしよう、藍お母さん。紫、困っちゃう」

「ああ、そう……だな。紫さ……紫」

 

 畏怖を通り過ぎ、恐怖を通り過ぎ、もう笑うことしかできなかった。

 いや、笑う事が出来たのもほんの数秒だった。

 

 ふと視線を上げたにとりの表情が、恐怖に固まる。

 その方向を見て、霖之助の表情も固まった。

 

 それは一粒の眼球だった。

 深い闇の中に、眼球が一つ浮かんでいる。

 溶けそうな闇の中だというのに、はっきりと眼球は浮かび上がっているのだ。

 眼球はまるで動かない。二人をじぃと見つめたまま、動かない。

 金色の瞳にテレビジョンの光が当たってチロチロと脈を打っている。

 この暗闇の中にいるというのに、その瞳孔は収縮したままちっとも振れる様子を示さなかった。

 

 ズルリ……ズルリ……

 

 肉の引き摺る音が聞える。

 荒い息づかいが聞こえる。

 音が近付いてくる。

 

 やがて、一際空間を大きな闇が覆ったかと思うと、その中から一人の女性が這い出した。

 

「見たわね?」

 

 冷たい声だった。

 霖之助は答えられない。にとりは既に気絶していた。

 声は静かに続ける。

 

「ずっと監視してるつもりだったのだけど、

 まさか藍の奴がこんな時にナイトスクープの観覧券を当てるなんて、間が悪いったら……」

「紫」

「黙りなさい。貴方は見てしまったのよ、霖之助さん。私が外来のテレビに出演する事が趣味だって事を知ってしまった。

 能力を使って色んな番組に出ている事を知ってしまった。」

 

 それは悲痛な独白だった。

 霖之助は、声を掛ける事が出来なかった。

 

「仕方が無いじゃない。ストレスが溜まってたのよ。最近変な奴等がどんどん好き勝手し始めて、

 どんどんおかしな事が起きて……

 ちょっとくらい自己顕示欲に浸ったって、何が問題だって言うのよ!!

 こっちは必死で頑張ってるっているのに、誰も認めてくれない。誰もチヤホヤしてくれない。

 だったら、テレビの中くらいチヤホヤされたっていいじゃない!!」

 

 長い独白を一息に吐き、紫は深呼吸を一つ。

 荒げていた声を、先程の冷淡な声に戻し、紫はポツリと呟いた。

 

「貴方達には罰を与えなければなりません、これは、私の秘密とは何ら関係の無いところ。

 貴方達は知り過ぎた。貴方達の知識と技術はこの先幻想郷を脅かすかもしれない。だから罰を与えます」

 

 広がる隙間、それがにとりを、そして霖之助を包んでゆく。

 知らず知らずの内に、霖之助はぎゅっとにとりを抱きしめていた。

 

 紫が冷淡に見下ろしている。しかしその姿も次第に闇に溶けて見えなくなった。

 

 嗚呼、溶ける。

 意識が溶ける。

 

「ごめんなさい」

 

 意識を失う瞬間、誰かの声が聞こえた気がしたが、あれは誰の声だったのだろう。霖之助には分からなかった。

 こうして森近霖之助の意識は、完全に闇の中に落ちた。

 

 

 

 

 

 朝日が昇る。

 物静かな古道具屋をも等しく照らしてゆく。

 

 部屋の中はがらんとしていた。 

 昨晩は確りと鎮座していた筈のテレビジョンの姿はいつの間にか消えていて、

 部屋の真ん中に二人分の影が、お互い離さぬように固く抱き合ったまま眠っている。

 

 やがて朝の光が二人の瞼を穏やかに刺して、同時にその眼が開かれた。

 カチ合う視線、絡み合う身体と身体。

 何故か早打つ互いの心音に耳を傾けながら、霖之助とにとりはどちらともなしに頬を染めた。

 

 しかしそれも数瞬、すぐに霖之助は何かがおかしい事に気付いた。

 自分の中から何かが抜け落ちている。そんな気がするのだ。

 少し考え、その正体はすぐに知れた。

 

 霖之助が顔を真顔に戻すと、にとりも釣られて顔を正す。

 やがて、霖之助がゆっくりと口を開いた。

 

「おはよう、にとり。突然ですまないが、君はここ数週間の事を覚えているかい?」

 

 それに対し、にとりは一頻り首を捻った後、そっと首を横に振った。

 

「ううん、ぼんやりとしか覚えてないよ。霖之助も?」

「ああ」

 

 つまりはそういうことだ。

 霖之助とにとりはここ数週間の記憶を失っていた。

 

 いや、完全に失った訳では無い。

 朧には覚えているのだが、肝心な事が思い出せない。

 にとりが数週間と香霖堂に住み込んでいた事は覚えていても、何故住み込んでいたのか、それが思い出せない。

 昨晩、あれだけ興奮した事も、叫びそうになった事も良く覚えている。

 けれど何故そんな行動をとったのか、それが思い出せなかった。

 

 もしかしたら部屋の中に何か原因が残っているかもしれない。

 注意深く見回して、霖之助はそれを見つけた。そして気付いた。気付いてしまった。

 

 部屋の隅、丸まったティッシュが山の様にうず高く積まれている。

 そして自身とにとりの乱れた着衣

 僅かに紅潮したにとりの頬

 数週間のにとりとの共同生活

 昨晩の記憶、興奮した事、叫びそうになった事

 そして……無くなった記憶

 

 これを総括するとどうなる?

 結論は一つだった。

 

 だが、本当にこれでいいのだろうか。頭の片側が警鐘を鳴らす。

 分からない。けれど、目を覚ました時、彼女の顔に心臓が高鳴ったこの気持ちは間違いなく本物だった。

 

 にとりを見遣るとにとりも同じ結論に達したらしい。

 少し頬を染めて、彼女はにへりと崩れた笑みを見せた。

 

「シちゃったんだねえ、記憶が飛ぶほど激しく」

「ああ」

 

 何となく照れ臭くて、霖之助はにとりの顔を直視する事が出来なかった。

 

「私は優しい方が好きだって言わなかったっけ?」

「すまない、次は善処するよ」

「次は?うん!!」

 

 にとりが笑う。太陽の様に笑う。

 心臓が高鳴った。ああ、そうだ。この気持ちに嘘は無い。

 

「食べさせて、霖之助のお化けキューカンバー」

「にとり……」

 

 どちらともなく目を閉じて、その唇がそっと触れあった。

 

 それが数日前の出来事

 物静かな古道具屋が動き出した出来事

 

 河城にとりが森近にとりなった、そんな物語

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、奥さん。どうされたんですか?」 

「私の主人が、河童みたいな女と浮気をしまして……」

「紫様……」

 

何だかんだで、彼女も現状を楽しんでいるようである。

 

 

説明
以前某所に伽藍堂という名義で投稿した「発展という名の恐怖譚もしくは、ゆかりちゃんねる」というssを微修正したものです
年齢制限に引っ掛かるような描写はありませんがスケベです。注意
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コメント
森近(旧姓 河城)にとりは後にこう語っている。「あれはズッキーニだった」と(春秋柿)
「食べさせて、霖之助のお化けキューカンバー」で爆笑した。(tanakasummer)
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東方 森近霖之助 河城にとり スケベ 

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