エスキースとクロッキーの手帖/ #001: AIR
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 ラグタイム・パレード上のリョ不二:

 # エスキースとクロッキーの手帖

CARENT D'ESQUISSES ET DE CROQUIS

[ #001/ AIR ]

 

 

 夕暮れ時で周囲が紅く染まり水彩画の中にでも迷い込んでしまったかのような淡色の風景の中。

 越前は実に不思議な光景に((出会|でくわ))した。

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 すぐに下校せず、これから通う事となる青春学園の校内をぶらぶらと散策していると、不意に何処からともなく歌声が聞こえ、思わず息を潜めて足を止めた。

 

『ライゼ フレーエン, マイネ リーデル……』

 

 それはまだ変声前の美しいボーイソプラノで奏でられる聞き覚えのある旋律だ。

 しかし、日本の標準的な学校の校内で聞くにはとても場違いな代物に感じた。

 その違和感の元は恐らく歌詞にあるのだろう。英語と日本語しか分からない越前には何語で歌われているか分からず、それが日本ではない場所に迷い込んでしまった感覚を呼び起こすのだ。

 歌声の主はテニスコートの脇に設置されているロングチェアに腰掛けて、テニスウェアから覗く華奢な両足を??何故か裸足の足を??交互に揺らしながら不思議な言葉で歌っている。

 

 ??セイレーンかも知れない。

 

 越前は真面目にそう考えた。

 茜色に染まるこの世界は現実感が無く、異世界に迷い込んだに違いない。

 そうだ丁度、今は逢魔ヶ時なのだ、と越前は思った。

 

『フリューステルントシュラーンケ, ヴィープェル ラ??……』

 

 サビらしきところで、より一層高らかに歌い上げられたその歌声は不意に途絶え、歌声の主は驚いた表情で越前の方を向く。

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 そのセイレーンは伝説に違わず、美しかった。

 美しいと表現するにはまだ((幼|いと))けなさが残っており、どちらかといえば可愛らしいと表現する方が妥当かも知れない。

 夕日に透けるその髪は元々色素が薄い為か同じように茜色に染まっている。

 色白の肌も同様に夕日に透け、身体との境界線が輝いている。

 それは紛れもなく、越前とは別の生き物に思えた。

 

 その不思議な姿に魅了され、息を呑み言葉を発する事なく目の前の、ジャージを羽織った少年を越前は不躾に見つめる事しか出来なかった。

 

「……吃驚した。キミ、うちの生徒?」

 

 セイレーンは穏やかな笑みを浮かべて越前に語りかける。

 その全てに現実感が伴わないが、そのような事で臆す越前ではない。

 

「何、歌ってたの?」

 

 相手の問い掛けには返答せず、問い返す越前。

 通常ならば気分を害すところだが、そんな越前を物珍しそうに眺めた少年は何かが琴線に触れたのか、ひと呼吸置いた後で、ゆっくりとその問いに答えた。

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「セレナードだよ。シューベルトの」

 

「??何語?」

 

「……ドイツ語」

 

「ふーん、」

 

 気になっていた事が解消された越前は心中とは裏腹に、さして興味も無さげに返し、そのまま少年の隣へと腰を下ろす。

 

「ねぇ、何で裸足なの」

 

 座ると同時に間髪入れず再び問い掛ける越前。

 成長期前の越前が言えた義理ではないが、その越前と同様に華奢な体躯である少年の、華奢な骨格が浮き彫りに見える下肢を指し、遠慮無く問う。

 

「不注意で水が入ったバケツを足で蹴っちゃって、運悪く僕の方に倒れてきて足元に水を被ったんだ」

 

 部活も終了し部室へ帰る途中、何処かの部が備品を洗う為に用意していたらしいそれを、話しながら歩いていた少年は気付く事なく派手に蹴飛ばしてしまったのだ。

 不幸中の幸いと言うべきか、制服に着替える前であった為、膝から下へ豪快に水を被ったものの、水難の被害に遭ったのは実質的に足元のソックスとテニスシューズのみだった。

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「??で、ここに座ってるの?……変なの。どうやって帰るつもり?」

 

 越前は更に質問を重ねていく。

 

「僕だって部室まで歩いてくって言ったのに、手塚が濡れたソックスとシューズを無理やり奪ってったんだ。裸足でこんなところ歩きたくないし、仕方がないから彼が戻ってくるまで待ってるの」

 

 どうせ部室で着替えなきゃいけないのに、と若干、拗ねたように少年は答える。

 ((出立|いでた))ちからして新入生ではなく確実に越前より上級生である事が窺い知れるが、その様子は越前よりも幼い印象を与えた。

 

「あっそ。じゃあそいつが来るまでずっと待ってなきゃならないんだ?大変だね、あんたも。じゃ、俺はもう帰ろっかな。??ばいばい、不二センパイ」

 

 待ち人が来る前に退散すべく、越前は口の端にシニカルな笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「なんで?僕の名前、知ってるの?!」

 

 不二と呼ばれた少年は驚いた様子で、立ち去る越前の背中越しに声を掛ける。

 越前は振り返り「ジャージのネーム、」とタネを明かしてみせると、不二は更に驚いた様子で自分のジャージを見る。

 その様子があまりにも可愛らしく、((堪|こら))える事も出来ず思いきり笑いを洩らしながら越前は去って行った。

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 越前が去って間も無く、手塚と呼ばれた少年が不二のもとにやってくる。

 

「タオル、持ってきてやったぞ」

 

 靴とタオルを不二に渡しながら手塚は言った。

 眼鏡をかけている所為か、大人びた印象の少年である。

 

「もう殆ど乾いちゃったよ」

 

「ちゃんと拭かないと、どうせ気持ち悪いって言い出すだろう?」

 

 言いながら、不二の足に微かに残る水分を拭き取ってやる手塚。

 その様子は保護者然としており、不二と同学年であるとは俄には信じ難い。

 中学三年生にしては不二が小柄な所為もあるが、二人が並んで歩くと手塚のそれは更に顕著に現れる。

 

「あ、ちょっと、靴ぐらい自分で履くから……!」

 

 靴を履かされようとしている状態に気付いた不二は慌てて言った。

 

 外履きの靴と、丁寧にロール状に巻かれてはいるが履き口に無造作に挿し込んで置いてあった制服のソックスを一緒に持ってきた手塚は、不二が漠然と他の事を考えて心を浮遊させ(それは既に彼の特技の域である)ている間、テキパキと両足にソックスを穿かせ、何の反応も無くされるがままになっている不二の様子を気にするわけでなく慣れた様子で、靴まで履かせようとしていた。

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「折角だから最後までやってやる。と、いうか……いつも気になっていたんだ、その靴紐が」

 

 そう言うと不二の制止を受け流し、靴紐まで結びにかかる手塚。

 きちんと結ばれたそれには彼の性格が如実に現れている。

 

「あまり、きつくしないでね。脱ぐ時大変だから」

 

「それも計算してる。??はい、終了。……いつ不二が靴紐を踏んで転ぶかハラハラしてたんだ」

 

 両足とも結び終わり、手塚は不二を解放する。

 終わると同時に立ち上がり結び具合を軽く確認し「これくらいなら、脱げるかな」と不二は言った。

 

「……なんか、手塚って跡部みたい」

 

 立ち上がると身長差から自然と手塚を仰ぎ見る形になる不二は、上目遣いで呟いた。

 

「跡部と一緒にされるのは心外だな」

 

 傍目には無表情に見えるが、不二には手塚が明らかに眉を顰めた事が分かる。

 それは暗に「奴の実力だけは認めるが、あんな傲慢不遜でチャラチャラした奴と一緒にするな」と非難しているのだった。

 

「だって、二人して世話焼きなんだもの」

 

 手塚の言葉に出さない部分も正確に読み取りつつ不二は答えた。

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 不二の指摘は事実である。

 彼らは事ある毎に不二の世話を焼くのだ。

 対外的には品行方正で優秀な不二は、実のところ馬鹿と天才は紙一重という言葉が当て嵌まる部分を持っている。

 それは彼特有の掴み所の無い性格に由来しているのであろうが、傍目には隙の無い不二は気の置けない友人には気付かぬうちにその部分を露出している。

 ラインの内側の人間にとって不二は優秀だけど天然なところがある不思議系な人間という認識である。

 本来の子供じみた部分を見せるのは幼馴染みである跡部以外いなかった。

 

 跡部と離れ中学から青学に進学した不二は、物怖じしない性格が幸いし周囲から恐れられている手塚へと懐き、いつの間にか学校では一緒にいる時間が長くなり、その分お互い気心の知れた人間となったのだろう。

 自然と不二は跡部に見せる素の自分を完全にでは無いにしろ手塚にも見せるようになっていたのだ。

 相手の性格にもよるが、そうなると手塚も不二のおっとりとした部分を看過する事が出来なくなり、つい世話を焼く羽目になる。

 跡部に甘やかされる自分を省みた結果、このままで良いのだろうかと思い、敢えて進学先を別にした筈が、結局は本末転倒な事態に陥っている事に不二は知らぬ振りを決め込んでいる状態である。

 

「それは不二がちょっと頼りないところがある所為だ」

 

 不二の言葉を受け、手塚は軽く溜息を吐きながら答える。

 続けて「来年は高校生になるのだから少しはしっかりしないとな」と、保護者的な言葉を付け加え、不二はニコリと微笑み「これでも僕はしっかり者なんだよ、」と説得力の無い言葉で返す。

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「??ところで先刻、人影があったような気がしたが……誰かいたのか?」

 

 会話が一段落したところで手塚は、ここに向かう途中で微かに捉えた人影の事を尋ねる。

 もしも彼の視力が良かったならば、遠目からでも鮮明に捉える事が出来たであろう。

 

「あぁ……??パックがいたんだ」

 

「何だそれは」

 

「悪戯好きな妖精」

 

 不二は思い出し笑いを洩らしながら答えた。

 冗談なのか本気の話なのか判断しかね、眉を顰める手塚。

 しかし不二のこういった類の例え話はよくある事だ。

 

「知り合いか?」

 

「いや、全然知らない子」

 

 けろりと答える不二の様子に、呆れる手塚。

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「あのな……今更こんな事、言いたくはないが……知らない人間と喋るのは((止|よ))せ」

 

 誘拐されても知らないぞ、と手塚は幼い子供に言い聞かせる如く諭す。

 それだけで不二が見ず知らずの人間の後へ安易について行く事などはないと知っており、且つ、不二が食べ物をくれる相手には弱い事を本人以上に理解している跡部ならば「お菓子を貰ってもついて行くな」と忠告するだろう。

 どちらにしても、その注意は幼い子供に対するものである事に変わりはない。

 

「大丈夫。だって、青学の生徒みたいだったよ?僕よりも小さかったから多分、一年生だよ」

 

 不二は邪気の無い無垢な笑顔??下手をすると白痴にも見えかねない純粋な笑顔で答える。

 時折見せる誰よりも冷酷で腹黒い一面を除けば、不二という人間はこの上なく善良なものに見える。

 手塚は彼の笑顔を見たいが為に多少振り回される事には目を瞑り、彼の傍にいるのだった。

 

「一年生って……、じゃあ名前は?」

 

 不二のこの調子だと下級生に軽んじられてしまっているのではないか、と手塚は少々頭を抱える。

 

「知らない」

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「ふむ……まぁ、別にめくじらを立てる事もないか。名前も知らない新入生なら、もう会う事もないだろうし」

 

 案の定な不二の答えに微かな頭痛を覚えた手塚だが、その程度ならばそこそこ生徒数の多いこの学校で二度と会う事もないだろうと高を括る。

 

「とんだところで時間を食ったな、さっさと着替えて帰ろうか」

 

 そう言うと手塚はスタスタと部室の方へと歩を進めた。

 

 不二はというと、跡部ならば、最終的に戻る羽目になる部室へ靴を取りに行くなど二度手間な事などせずに、そのまま不二を背負って部室まで行っただろうな、と思いつつ、「そーだね、」と短く返して、手塚の後に続く。

 彼の隣を歩きながら、普段の手塚ならば考えられないような無駄な行動を度々、それも真剣にやってみせるから手塚といると飽きないんだろうな、と自他共に面白味の無い人間と捉えられている手塚を唯一、面白い人間だと認識している不二は一人微笑み、自分が水を被った事など忘れて「今日は面白い事ばかりだ」と思うのだった。

 

 数日後、手塚の予想に反し、不二たちが所属するテニス部の新入部員として現れる越前と再会する事となるが、この時点では不二と手塚は((疎|おろ))か、越前すらも未だその事を知る余地は無い。

 

END.

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2009.4

セレナードは越前が聞いたコトバとして敢えてカタカナ表記。

後半、手塚と不二の話になってますけど、あくまでもリョ不二です(苦笑

説明
リョ→不二 妄想文
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版権 テニスの王子様 リョ不二 越前 不二 

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