雪のプラネタリウム |
はやく家へ帰らないと、雪女が探しに来るよ。
そう声をかけられて、分かってるよと答えながら、少年は眼の前で屈託なく微笑む少女からどうしても心を引き離せなかった。
まばたきをするごとに、暗さが増していく。空を仰ぐと、雪が降りはじめていた。嬉しそうに少女が言った。
今夜は星座が見られそう。
星座? 雪が降っているのに?
うん、雪のプラネタリウム。
それ、なに? 聞いたことないよ。
わたしはよく見るよ。こんな素敵な夜に、いろいろな子たちといっしょに、たくさん見てきた。
誰と? 家族のひと?
それは秘密。
ぼくも見てみたい。
だめだめ。はやく家へ帰らないと、雪女に見つかるよ?
少年は苦笑する。この子は学校の同級生たちの誰よりも大人びていて素敵なのに、どうしてこんな子供だましなことを真顔で言うんだろうと思った。でも、ずっとこうして話をしていたかった。こんな機会、いまこのときを逃したら、きっと二度とめぐってこない、と思った。誰かが言っていた、初恋は実らないものなんだ、って。
いっしょに星座を見よう。
そう言って、少年は雪の夜空を振り仰ぐ。
きみ、このままここで凍え死にしたい?
そう言って、少女は腕組みをする。
そのしぐさ、なんだか先生みたいだな。
少年は笑い返したが、少女は微笑まなかった。
だいじょうぶ、あまり寒くないよ。
少女は答えなかった。
少年は夜空を見上げる。静寂だけがあった。雪は、散りばめられた白い光となって夜空を静かに舞っていた。天から降り注いでいるのに、まるで、大地へ引き寄せられるさだめから解き放たれたかのようだった。やがて無数の光点は静止し、星々とおなじ輝きを放ちはじめる。
ああ、ほんとだ……!
と少年は歓声を上げる。
すごい、雪のプラネタリウムだ……
光の雫が、天の闇を覆い尽くしていく。凍りついた夜から闇を切り抜いてさまざまな模様に象っていく。少年は頭上の一点を指さした。
ねえ、なんだっけ、見覚えがあるんだけど、あの星座。
あれは猫座。
そう答えた少女を、少年は星空から視線を引き戻して、じっと見つめる。
少女は澄ました顔に大人びた密やかな笑みを浮かべる。
猫、かわいがっていたでしょう。
家族だったよ、
そう言って、少年は寂しく笑った。
また会えて良かったわね、
そう答えて、少女は寂しげな笑みを浮かべる。
じゃあ、あっちの星座は?
たずねられた少女は、少年の指し示したほうを視線で追った。
どれかしら? ……ああ、あのふたつ並んでいる星座ね。見覚え、あるでしょう? 忘れてはいないはずよ?
そう言われてみると、そんな気がする。……ああ、そうだ、思い出した。おじいちゃんとおばあちゃんだ。わあ、懐かしい。
いつ亡くなったの?
ずっと小さかったころだよ。すごくやさしかった……
あの大きな星座はなに?
今度は少女が訊ねた。
あれはわかるよ。去年の県大会だ。はじめて一位になったときのだ。
少年の声には誇らしさがあった。
ふうん。……あら、むこうに女の子の星座が。
わ、あれはべつにいいだろ。ちょっとかわいいなって思っていただけだよ。好きなのは――
なあに? 好きなのは?
……うるさいな。
はいはい、と少女は悪戯っぽく笑った。
少年は細く長く静かな白い息をつき、記憶の輝きと想い出の彩りとが織りなすいくつもの星座を、ただ眺めた。
ずっとこうしていたいなあ。
と少年は呟いた。
家へ帰らないと。
と少女は言った。
もうすこしいっしょに星座を見ていたい、そんなに寒くないしね。
少年は、また新しく星座が現れてくるのを見つめながら言った。
雪女に捕まるよ?
少女は、耳元へ微風のように囁いた。
少年は、さすがにむっとする。
雪女なんかいないってば。もう、いいかげん子供じゃないんだから。そんなのを真に受けるのを、迷信っていうんだぞ。
そうだよね。
そう答えて、少女はすこし寂しそうに頷いた。
昔はそうじゃなかった。昔はね、みんな雪女がいるって信じていたよ。だからこんな雪の夜には、大人たちは子供を家の外に出さなかった。雪女は遊び相手をいつも探していて、家に帰らずにいる子供を見つけると捕まえて魂を連れていってしまう。……そう信じられていたからね。
ふうん。……雪女って、友達いないの?
いないの。でもね、雪女は、べつに友達がほしいわけではないから。
え? でも、きみ、言ったじゃん。雪女は遊び相手を探しているって。
うん。それは、人間がそう信じていただけ。それこそ迷信。ほんとうは違うの。
じゃあ、どうして。
楽しい想い出をいっぱいに詰め込んだ子供の魂は、暖かくておいしいんだ。
そうして少女は、暖かい笑顔を少年に向けて、
「捕まえた」
少年は後退ろうとする。
身体が動かない。
少女は、少年の顔を覗き込んで微笑む。
雪のプラネタリウム、こんな素敵な夜に、いろいろな子たちといっしょに、たくさん見てきた。
身体が動かない。
きみの魂、とても美味しそう。
身体が動かなかった。
無理よ、きみ、凍えきって、もう地面に倒れているんだから。
そう言って少女は、少年の頬を撫でる。その細く白い指は、ほんのり温かかった。
違うのよ。わたしが暖かいのではなくて、きみの身体が凍えているの。
少女は嬉しそうに言う。
いまはもう、ぜんぜん寒くないでしょう?
吐息が感じとれるほど顔を近づけている少女の、さらさらと流れる長い髪が、夜空を彩る雪の光に照らされて、透き通るように青白く輝いていた。
頬を寄せて、少女が囁く。
きみのこと、大好き。
初恋が実るのも悪くない、と少年は思った。
説明 | ||
暑い日が続くので、寒い季節の小話を。 | ||
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