各駅停車の超鈍行。
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各駅停車の超鈍行。

 

 

 ――――王様であろうと、百姓であろうと、自己の家庭で平和を見いだす者がもっとも幸福な人間である。 =ゲーテ=

 

 

* * * * *

 

 

 腹に響く、重低音。

 騒がしい店内の筐体≪きょうたい≫の前に立ち、自分の音楽と落ちてくるバーだけに集中してキーを叩きターンテーブルを回す。

 汗をかくほどに、熱中する。自分の好きな音楽に合わせて手を動かす。ただそれだけに、全力で。

 ふぅ、とベンチに座って一息つく。ヤニ臭いゲームセンターに通い始めて、もうどれくらいになるだろう。

 家にいても俺はやることがなかった。勉強はそれなりにはやってはいたけれど、大学に行っても目標がないならただの学費の無駄に思えた。だからこうやってよくここでタバコの匂いを服に染み込ませている。それが不快でたまらないのだが、ゲームに熱中している時だけが自分であるように思えたから。スコアを出すことだけが自分の存在意義だとさえ思えたから。

 ――さて、人が退いた。続けるとしようかな。

 筐体にカードを挿し込み、俺は今日もまた金と時間をゲームに費やす。

 

 

「……失礼しました」

 イライラが伝わるように言ってから職員室から出る。しくった。見られてたとは。

 運動部の男臭い掛け声と吹奏楽部のやかましい音が聞こえ、真夏の日差しが差し込む八月の昼。俺は呼び出されて小一時間ほど説教をくらっていた。

 なんでこんなところに呼び出されたかっていうと、どうやらうちの教師にゲーセンで俺が遊んでいるところを見られたらしくて呼び出しをくらったのだ。ゲーセンとかカラオケとか確かに出禁だけど説教なんてしなくてもいいじゃん別に……。

 ……こういうイライラはやはり音ゲーでリフレッシュするしかないな。また見つかったら懲りない奴め、とか言われそうだけど、知ったことじゃない。教師が言うことなんてただの綺麗事か戯言だ。聞くに値する話なんてなかなか滅多に無い。

 とりあえずとっとと帰って着替えよう。いつものゲーセンじゃまた誰かいるかもしれないから、今日はちょっと遠いが別のゲーセンに行くとしよう。あっちにも確かあの筐体置いてあったっけ―――

 

「――――〜〜♪」

 

 ふと、声が聞こえた。

 声というか、歌。聞いたこと無い歌だけど、どこかから聞こえた。やけにはっきりと。

「……うちに合唱部なんて無いよな…?」

 ぽつりと呟く。ていうかそもそもこれ、合唱向きの歌じゃない。ポップソングみたいな、軽やかな感じ。

 ……まぁ、どうでもいいか。早く帰ろう。

 玄関に向かって歩くと、近づいているのか声が大きく聞こえるようになってきた。誰だよ、こんな真昼間に学校で堂々と歌ってる奴……。

 階段を下りて下足箱に向かう。靴を履いて玄関を出た、ところで。

 

「ねぇ」

 

 突然、後ろから声をかけられた。

「あ?」

 振り向くと、やや小柄な少女が立っていた。肩に届くくらいまで伸びた黒髪にはやけに艶があり、ぱっちりとした少し薄い色の目が俺を見上げていた。制服の校章の色が、彼女が上級生であることを示している。

「わ、不機嫌そうな顔してるね。なんか怒られた?」

 やけに親しげに話しかけてきた彼女だけど、俺は会った覚えが無い。見たこともない。

「…………」

 踵を返して立ち去ろうとすると、「あ、待って待って!」と俺の腕を掴んで引き止めた。

「……なんか用?」

 早くゲーセン行きたいんだけど。

「もう、そんな言い方するようじゃ嫌われるよ? にこやかにしなきゃ」

 ……じゃあさようなら。

「待って待って!」

「……なんなんだあんた」

 ただでさえイライラしてるんだからこれ以上イライラさせないでくれるか。

「わかりました、用件言います!」

 それがもうもったいぶってるんだけど。変な奴。

「私の歌、聞いた?」

 ………それ、本題?

「そう、私が聞きたかったのそれ」

 ……なんか、無性に腹立ってきたぞ。

「聞いたっていうか聞こえた」

「そう。どうだった?」

 どう、って言われても……。

「いい歌だったな」

 世辞でも言えばいいのかと思ったけれど、褒めてやるのは嫌だったから曲の方を褒めてみた。

 と。

「ほんと!?」

 花のような笑顔が咲き誇った。「上手かった」とか「いい声だった」とかを期待して聞かれたと思っていたので、その反応に呆けてしまう。

 なんか……ほんと、変な人。

「用件それだけだろ? じゃぁ俺は帰るぞ」

「あ、うん。引き止めてごめんね。ばいばい!」

 笑顔のまま手を振って見送る彼女を見て、それまでのイライラが少し消えている自分に気がついた。

 

 

 リズムを身体に感じながら、十六個のパネルに浮かび上がるマーカーに合わせてパネルをタッチする。次々浮かんでくるマーカーを叩き、叩き、叩く。

 DJのゲームの筐体は意外なことに混んでいたので(といっても二人が待ってるくらいだったけど)、割と空いてる別のゲームをしていた。さすがに最高レベルのラスボス曲にもなると汗をかくなぁ、なんて思っていた。

 吐き出されたカードを財布に戻して一息つく。すっかりイライラは吹き飛んでいたが、相変わらずタバコの臭いが身体に染み込むのは不快だった。

 ふぅ、と息を吐く。肺の中からあがってくる空気でさえヤニ臭い。

「ずいぶん必死だったねぇ」

 背後、すぐ後ろから声がした。ついさっき聞いた声。

振り向くと、さっき学校の玄関で会った女の子がいた。ちゃんと着替えて私服を着ている。涼しげな水色のタンクトップと、短めのスカート。

「……ストーカー?」

「違いますぅ。開口一番でそれ?」

 怒ったような表情で俺の頭を小突く。なんでこんなとこに居るんだよあんた。

「キミを探してたんだよ?」

 やっぱストーカーじゃねぇの?

「違うってば。キミが少しタバコ臭かったから、ここかなぁと」

「……それだけで?」

 ていうか俺そんなヤニ臭い? 制服だったんだけど。

「あと、先生に怒られてたっぽいから」

 ……それだけで?

「うん、そう。それだけ」

 ……なんていうか……変だよ、あんた。

「よく言われる」

 あはは、と笑う。

「……で、今度は何の用だ?」

 たぶん何か言っても意味がないのでとっとと用件を済ませてもらうことにしよう。

 俺の問いに、彼女はにこっと微笑んで言った。

「お昼食べに行かない?」

 ……今、十五時だぞ?

 

 

「実はフライドポテトに梅干をちょっとつけて食べると美味しかったりするよ」

 これ以上無いくらいどうでもいい情報である。

「プリンにつけても美味しい」

 あんたそれ試したのか……?

 正面に座ってハンバーガーを頬張る彼女を、ポテトをつまみながら見つめる。なんていうか、会ってすぐだけど変な人だってことだけはよくわかった。

「炭酸飲料につけるのはオススメしないけどね」

 しないから安心してくれ。嘆息してポテトをつまむ。

「で、何で俺なんて誘って飯なんて言い出したんだ? それもわざわざ探してまでして」

 正直とっととゲーセンに戻りたいんだが。

「それが先輩に対する口の利き方?」

 イラつかせない先輩だったらちゃんとした対応してるよ。

俺の表情から言いたいことがわかったのか、先輩は頬を膨らませる。

「失礼しちゃうなぁ。もう」

 そう言って一口ハンバーガーを頬張る。子供っぽいのも原因のひとつだと思うぞ。

「で、用件なんだけど」

 咀嚼してからまっすぐ俺を見つめて言う。

「キミのこと気に入っちゃったの、私」

 ………そりゃどうも…。

「あ、迷惑そうな顔してる。ほんっとに失礼な人だねキミは」

 いいからさっさと用件話して俺を解放してくれ。

「ん、じゃぁ携帯出して」

「……何で?」

「番号交換」

 ……まぁいいけど。

携帯を取り出して赤外線送信をし、受信をする。画面に表示されたのは「大澤」という苗字だけだった。

「……名前は?」

「入れてない。知りたいの?」

「別に。携帯のマイプロフィールにフルネーム入れない奴初めて見た」

 俺の言葉に、先輩は少しだけ悲しそうな表情をした。

「……入れたところで誰も名前で呼んでくれないから」

 少しの間、沈黙が流れる。

「……なんてね。ほら、私変でしょ? 浮いちゃってるんだよね」

 あはは、と笑って誤魔化そうとする。……まぁ、追求すべきじゃないことだろうから、黙ってるけど。

電話帳にデータを保存して携帯を閉じる。

「用件それだけか?」

「まぁそれだけといえばそれだけかな」

 ……携番交換の為だけにわざわざ俺を探して飯誘ったのか…。

「あんた、変っつーかアホだろ」

「面と向かって言うことじゃないよねそれ」

 事実だ。

「否定はできないけど」

 言ってから、笑う。変だけど、悪い奴じゃない。

 

 

 先輩が食べ終わるのを待ってから、一緒に店外に出た。

「さて、キミはどうするの? またゲーセン?」

「もう帰る。一回外出たら服がタバコ臭くてたまらん」

「そっか。私も帰るかな。行くとこないし、お腹膨れたら眠くなってきたし」

 乳飲み子かお前は。

「赤ちゃんじゃなくてもお腹膨れたら眠くなるよ」

「俺は眠くないけど」

「ポテトしか食べてないからでしょ?」

 あぁ、そうかもな。

「あ、私こっちの方向だけど、キミは?」

 先輩は南側を指して言う。

「腹立たしいことに俺もそっちだ」

「腹立たしいってなにさ、腹立たしいって。冗談きついなぁ」

 すまん、口が滑ったんだ。

「本音ならなお悪いよ!」

 どうでもいい。さっさと帰るぞ。

 嘆息して、歩き出す。隣をとてとてと先輩がついて歩くので、少しだけ歩行速度を落として歩いた。

車が行き交う道路の歩道は、少し声を張らないと聞こえない。俺が面倒くさがっていることもあり、二人の間に会話は無かった。

十五分くらい歩いたところで先輩が立ち止まる。

「私こっちだから」

 分かれ道の西側を指して言う。俺は南に行くから、ここでようやくお別れってことだ。

「じゃぁね」

 微笑んで手を振る彼女に、小さく手を挙げて応える。踵を返して歩き出すのを見てから、俺も帰路についた。

 少しだけ、いつもより晴れやかな気分で。

 

 

寝てた。帰って風呂入ってすぐ寝てた。俺も眠かったのかもしれない。横になってたらいつの間にか寝てた。

身体を起こして携帯を見る。帰ったのが十七時くらいだったのに、今はもう深夜の一時だった。

しくったなぁ。こんな時間に起きてもやること特に無いぞ……。

「……あれ? メール…」

 手に持っていた携帯が震え、メール受信画面が表示される。

「……は?」

 内容を確認して、思わず声が出た。

メールの差出人は先輩だった。題名は無題で、本文は「T駅集合」の四文字だけ。

T駅はすぐ近くの駅だった。田舎で駅は少ないものの利用者はそれなりにいる鉄道の、終点から三つ隣の駅だ。

なんてったってそんなところに行かなきゃいけないのかと思ったけれど、先輩のことだからたぶん俺の返答に関わらず行くに違いない。さすがにこの時間に女の子の一人歩きはやばいだろう。俺でも居ないよりマシだ。

「……しゃあねぇ…」

 立ち上がって着替えを探し、家族に気付かれないように家を出た。

自転車にまたがり、夜の闇の中駅へと向かった。

 

 

「あは、来た来た」

 俺を出迎えた言葉はそれだった。

「さすが私が気に入った人だね」

「妙な言い方すんな。心配して来てやったってのに」

 街頭だけが仄かに照らす駅のベンチに座る先輩は、薄桃色のワンピースを着ていた。

「心配してくれたの?」

 そりゃこんな時間に女の子が出歩くのは誰だって心配するだろう。

「……なんでそんな嬉しそうなんだ?」

「へへー」

 ……よくわからんが上機嫌なようだ。まぁ、いいか。

「で、なんでこんなとこに?」

 しかもこんな時間に。

「うん、ちょっと付き合ってほしくて」

 呼び出すんだからそういうことはわかってるって。何に付き合せたいのか聞いてるの。

「聞きたい?」

 そりゃあ聞きたいが。

先輩は、にこっと笑って言った。

 

「今から線路の上を歩くの」

 

 ……は?

「だから、線路を歩くの。終点までの三駅をね。この時間なら電車ないし」

 いや、だからって何で歩くの?

「『スタンド・バイ・ミー』って知ってる?」

 先輩の問いに首を横に振る。

「スティーヴン・キングの非ホラー短編集、『恐怖の四季』の秋の物語『THE BODY』を原作とした映画。四人の少年たちが線路に沿って死体を探し行く話」

 ……なんか、変な話だな。

「で、それと同じように線路の上を歩きたいってわけか」

「うん、そう」

「で、あんたは何を探しに行くんだ?」

 俺の言葉に、先輩はにっ、と悪戯っぽく笑って言う。

「着いてからのお楽しみ」

 ……オーケイ。

「わかった。付き合うよ。一人よりは安全だろ」

「ありがと」

 言って、棒状のものを手渡す。

「……ちゃんと持ってくるんだな」

 手渡されたのは懐中電灯だった。線路の上は明かりがないところが多い。明かりは必須だ。

同じものを手にした先輩の後に続いて歩く。

柵を乗り越え、線路の上に立つ。

「さて、じゃあ行きますか!」

 楽しそうに歩き出す先輩ほどではないにしても、俺も少しわくわくしていた。

 

 

 線路の上を歩く、と言ってはいたけど危ないからと線路の上は歩いていない。線路のすぐ横を、線路に沿って歩いている。

「キミはさ、ゲーム好きなんだよね」

 闇を懐中電灯で切り裂きながら歩いて十分くらい経った頃、それまで会話が無かったのに先輩が急に話を切り出した。

「まぁ」

「楽しいから?」

「楽しいっていうか……熱中できるから、かな。全部忘れて、スッキリする」

「……そっか」

 後ろを歩いているから表情はわからないけれど、どこか寂しげな言い方だった。

「他の人―――家族とか、何か言ってきたりしない?」

「たまに言われる。金の無駄だとか、くだらないとか」

「……そっかぁ…」

 先輩はそれきりで黙ってしまう。結局何が聞きたかったんだろうか。わからないけれど、追求しないでおく。人と深く関わりすぎることはしたくない。

 

 

 歩き始めて、最初の駅が見えた。時刻は二時を回ろうとしているところだった。

「ようやく最初の駅(チェックポイント)到達!」

 立ち止まってバンザイをする。子供かお前は。

「終点≪ゴール≫まであとどれくらいだっけ」

「八キロくらいかな?」

 なら2時間ちょっとで着くか。

「疲れてない? 大丈夫?」

 先輩が振り向いて尋ねる。ナメんな、これで結構体力あるんだ。

「そっちは?」

「私も大丈夫。でも、一応休憩しようか」

 ここの駅は少し大きめなので、防犯カメラが回っている可能性もある。念のためホームには上らないことにした。座るところが無かったので、仕方なく地面に座る。地面が塗れていないことが幸いだった。

 またしばらく会話のない時間が流れる。たまには俺から話を振ろうか。

「なぁ、あんた俺のどこを気に入ったんだ?」

「……単刀直入だね」

 無遠慮で悪いな。

「んー……まぁ、歌を褒めてもらえたからってのが一つかな」

「あー……」

 ……微妙に捻くれた考えの結果ってのは言わない方がいいよな。

「もうひとつ、似てるなって思ったから」

 ……似てる?

「うん、似てる。私と少しだけね」

 嬉しくない。

 先輩は立ち上がって服をはたく。

「さて、行こうか」

 

 

 次の駅に着く頃には、先輩は少し疲れているようだった。

「大丈夫か?」

 ベンチに座って休憩している自販機で買ったお茶を手渡す。この駅はホームだけがある無人駅だから、カメラの心配はない。

「大丈夫。ありがと」

 三時を回って、辺りはいっそう不気味さを増していた。

「……ふぅ。さて、行こうか」

 歩き出す先輩の後ろに続いて歩く。一体彼女は、何を探しに歩いているのだろうか。

 

 

「――――〜〜♪」

 先輩が歌を口ずさみ始めた。昨日歌っていた、あの歌。

 ただ闇の中を歩きながら、先輩の歌を聞く。

 やがて歌い終わり、先輩が立ち止まった。

「―――この歌を作った人たちね、同人のサークルで、馬鹿みたいなこといっつもやってるの」

 顔の向きは変えないまま、話し続ける。

「くだらないことやって、馬鹿やって、いっつも笑ってるんだ」

 くるっと振り向いて、まるで想い人のことを語るかのような柔らかい笑みを浮かべる。

「……あんたは、その人たちが大好きなんだな」

「……うん!」

 嬉しそうな笑みで大きく肯定する。

 俺も小さく笑みを返して、また二人、歩き出す。

 終点≪ゴール≫はもうすぐそこだった。

 

 

 終点の駅もまた、無人駅だった。田舎だし、珍しいことじゃない。

ようやく着いた。時刻は四時半前。

「はぁ〜、疲れた……」

 先輩はベンチに腰を下ろす。さすがに俺も疲れた。深夜といえど夏だ、蒸し暑く汗で服も少し塗れている。

「死体≪探し物≫はいいのか?」

 自販機で買った紅茶のペットボトルの蓋を開け、一口飲む。

「あぁ、うん。いいよ。無いし」

 ……はぁ?

「ただ歩いてみたかった。それだけだもん」

「……殴っていいか?」

「暴力、ダメ、絶対」

 大きくため息をつく。結局あんたの気まぐれかよ……。

「まぁ用事があったのはここじゃなくてキミにだし」

 ……俺?

「そう、キミ」

 だったら普通に話せよ……歩くだけ無駄じゃねぇか。

「そんなことないよ」

 先輩はあはは、と笑って上を見上げる。

「さっき、キミは私がサークルの人たちの話をしたとき、私はその人たちが大好きなんだなって言ったよね」

「……言ったけど」

 それが何だってんだ。

「私の周り、家族とか、友達とかからは、みんないつもくだらないとか、馬鹿らしいとか、そんなことばっかり言われてきたんだ。私が大好きだって言ってても、その気持ち踏みにじって、私ごとその人たちを否定した。終いには私と誰も話そうとしなくなったよ」

 俯いて、続ける。

「くだらないことでも、馬鹿みたいなことでも笑えるのって素敵なことだと思う。くだらない、って切り捨てるんじゃなくて、そのくだらないことでも笑って楽しめるのって一番楽しい人生だと思うんだ」

 どんなことであれ、楽しむことができる。確かにそれは、素敵なことだと思えた。

「キミだけだよ、私の気持ち理解してくれたの。だから、嬉しかった」

 ……それで俺にゲーセン通いについて何か言われるか、なんて聞いてきたのか。

「好きなもの、好きなひと、否定されるのは辛いってみんな知ってるはずなのにね」

 小さく、呟くように言う。

彼女は否定され続け、苦しんできたんだろう。俺の捻くれた世辞が、心に染みたのかもしれない。

「キミは強いと思うよ。否定されても、それを流せるんだから」

 俺はそこまで思い入れがあるわけじゃないし、憧れてる訳じゃないからだと思うが。

「でも、強いと思うよ。私はそうはいかなかったもん」

 先輩は服のポケットから何かを出して口に放り込んだ。

「……何食ってんの?」

「いちご飴」

 ……あっそ。

 飴を口に入れたことにより、少しもごもごしながら先輩は続ける。

「大好きな人たちが作った大好きな歌を褒めてもらえたとき、すっごい嬉しかった。いつもその人たちを遠くで見てるだけなのに、自分のことみたいに嬉しかった」

 顔を上げて彼女ははにかむ。

「キミともっと話したかった。キミなら、私を否定しないでいてくれると思ったから。現に、キミは私を、私が好きな人たちを肯定してくれた」

 ―――些細なこと、だと思った。

家族や友達と何かを共有すること。そんなことすら、彼女はできなかったのかもしれない。だからこうやって俺なんかを頼ってしまうのだろう。

彼女の頭に手を乗せる。

「……?」

 疑問符を浮かべる先輩の頭を、優しく撫でてやった。少し驚きつつも嬉しそうに笑う彼女に、俺は何とも形容し難い感情を覚える。

「……あんたは変な人だな」

「よく言われるよ」

 言って、お互い笑った。今までゲームにだけ熱中してきた俺には、初めての経験だった。

 

 

帰りは電車に乗ることにした。さすがに今からだと線路の上は危ないし、一時間半もすれば最初の電車が来る。少しの間休んで電車を待つことにした、のだが。

 すー、すー、と寝息を立てて俺の脚に頭を乗せて寝ている奴のせいで、俺は気を抜いてうっかり寝ることができない状態になっていた。

 ぼーっと、ただ時間が過ぎるのを待つしかない。先輩放っておくわけにもいかないし、起こすのも悪いし。

……そういえば、他人(ひと)の体温感じるなんて何年ぶりだろう。俺も、ずっと一人でいたから。

 静かな朝方の、不思議な時間だった。

 

 

やがて電車が来て、先輩を起こして乗り込む。T駅で降りて、まだ寝ぼけている先輩を自転車の荷台に座らせる。二人乗りはダメなんだけど、疲れているのに歩かせるのもかわいそうだし、何より帰り道で倒れられても困る。

フラつく自転車を転ばないように運転しながら、先輩を家まで案内させて送り届ける。

「ごめんね、わざわざ」

 そう思うなら夜中に呼び出す前に思ってくれないか。

先輩はあはは、と笑って「そうだねぇ」と言う。

「でも、楽しかったでしょ?」

「それは否定できないな」

 なんだかんだで俺も少し楽しかったのは事実だ。

「じゃあ、俺は帰るから」

「うん。ありがとね」

 踵を返――――そうとして。

「そうだ」

 ふと思って、留まる。

「あんた、名前は?」

「……名前?」

 言いながら、先輩はまたいちご飴を取り出して口に放り込む。まだ持ってたのか。

「知りたいの?」

「あんた、じゃ失礼だろう」

「……そう思うのが遅いよ」

 お互い様ってこった。

「まぁ知りたいなら仕方ないかな」

 先輩はにっ、と笑って歩み寄る。

 そして。

 

唇に柔らかな感触と、いちごの味が広がった。

 

完全な不意打ちだった。俺の思考がフリーズする。

「私の名前はその飴の味です」

 悪戯っぽく笑んで「じゃあね」と家の中に入って行ってしまう先輩をただ呆然と見つめることしかできなかった。

俺の口の中に押し込まれたいちごの飴は、良いか悪いかは別として一生の思い出になりそうだった。

 

 

* * * * *

 

 

「懐かしい夢を見た」

食卓に並べられた朝食は、白米、味噌汁、焼き鮭、きゅうりの漬物。

椅子に座って口を開いて、最初に言った言葉はそれだった。

「どんな夢?」

 正面に座る妻が尋ねる。

「『スタンド・バイ・ミー』の真似をして線路を歩かせたどこかの馬鹿の夢だ」

 俺の言葉に、妻がはにかむ。

「懐かしいね」

「人生、何が転機になるかわからんもんだ」

 手を合わせてから鮭をほぐして口に運ぶ。妻も食べ始めた。

 今もこうして二人、平凡で平和な生活を送っている。あの時俺が呼び出されてなければ、俺が捻くれていなければ、今の生活はない。

 今の生活が、俺にとって何より幸せだと思える。それが、素敵なことだと思える。

 

楽しもうとする努力は、きっと人生を豊かにする。でも、そのことを知らない人が多い。「もっと楽しいことを」というのでは、いつか頭打ちになる。退屈だと思えることさえ楽しむことができれば、それはきっと、素敵なことなんだろう。

 今の私達の家庭のように、平凡でも、幸せであれば、それでいいと思う。

 

 

 

説明
夏休み中、ゲーセンで音ゲーをしているところを見られて呼び出しを食らった俺に、一人の変な女の子が話しかけてきた。
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