天外魔境掌編:黄泉平 |
一、
地下独特の生臭い空気に混じって、すぅっと冷たい風が流れてきた。それが来た方向を見やると、ちょうど自分らが立っている位置からそこまで、踏みならされた石の「道」があり、突き当たりに縄梯子があった。その縄は、朽ちているどころか新しく綯われたばかりのものである。何者かが出入りしていることは明らかであった。
「おい、卍丸。根の一族の里ってぇのが、ここにあるって話、やっぱマジなんじゃねぇのか?」
自分の見たものに気付いた団十郎が、声を落として言った。
「だけど、それにしては様子がおかしくないか。静かすぎる。本拠地に敵である俺たちが来たんだぞ?」
現に、ここに来るまでの間に会った根の一族の顔ぶれと強さは、普段の旅のそれと変わらなかった。根の一族の本拠地ならば、根の城と同じくらいの重要性を持つはずであるのに、特別な警備兵一人配置されてもいない。
「極楽さん、根の里について何か知らないか? 本当に、この先に根の里があるのか?」
千年前の戦いをその目で見ている戦士、極楽太郎に話を振った。極楽はじっとこちらを見返すばかりで、何も言おうとしない。
「オッサンよ、千年も生きてるのに、そんなことも知らないのかよ」
沈黙に焦れた団十郎がなじると、やっと極楽は口を開いた。
「見た方が早い。行け、卍丸」
明らかに極楽は根の里のことを知っている。何故、話そうとしないのか。団十郎が露骨に不満を露わにしたが、それを制して、まずは自分から縄梯子を上がることにした。その次に団十郎、絹と続け、極楽は最後とした。
縄梯子を登ると、石を積んで作られた庵の内部に出た。地面は完璧に人工的に舗装された石畳だ。籠もった空気は抜けて、むしろ湿っぽさを強く感じるようになった。少し寒い。この冷気を自分は感じたらしかった。
続けて登ってきた団十郎が、開口一番「おお、寒ぃ」と呟いた。防寒の備えをしている自分ですら寒さを感じるのだから、ましてや伊達男を気取るあまりに薄手の着物でやせ我慢をしている団十郎はもっと寒いはずである。が、その呟き以上に団十郎は寒さに言及しなかった。
「絹と極楽は上がるのを待ってくれ。俺と団十郎で様子を見る……いいな?」
「いいぜ、とっとと行くぞ」
縄梯子の下へ呼びかけてから、団十郎に念を押すと、団十郎はあっさりと受け入れた。自分が策戦を相談無しに決めると、その内容を吟味せず突っ掛かってくる団十郎だが、こと絹の扱いに関しては異議を唱えない。……それが良いのか悪いのかは、わからない。
相変わらず周囲は静かだ。庵の壁を背に、外に人の気配がないか探りつつ、出入口へと近付いていく。
「俺様は飛び出しちまうぞ、いいな?」
団十郎は慎重策を嫌う。自分が頷くと、団十郎はだだだっと外へ駆け出した。
緊張の一瞬。
「なんだ、いったいどこなんだ、ここは!」
団十郎が素っ頓狂な声を上げた。そっと外を窺うと、
「どこか知らずに来たのか? 火の一族」
団十郎に話しかけた男が、地上で暮らす人間の男とどこがどう違うのか、と聞かれても、咄嗟に答えられそうになかった。年の頃は中年であろう。日の当たら ぬ場所で暮らすせいか、肌の色がくすんで見える。敢えて言うなら、それが地上に暮らす人々との差か。でもそれは、人間が同じ環境で暮らせばそうなるであろ うと予期できる以上、根本的な差異とは思えない。
男の背後には、正に老若男女全ての人々が揃っていた。人数は十名前後か。
「俺様を火の一族と知ってる……おめぇはいったい、誰なんだよ?」
団十郎はうさんくさげに、自分を出迎えている人々を見回す。
「本当に知らぬのか、火の一族。我らは根の民。ここは、根の国だ」
そこで、ゆっくりと、卍丸も庵から出た。
「俺の目には、あなたたちは、普通の人間のように見えるが」
男は、現れたもう一人の火の一族の少年を無遠慮に見る。
「今じゃ、戦うだけに存在するバケモンばっかりだからな、根の民は。もう、生まれた時からそうだ。だが、最初からそうだったわけじゃない。それだけのことだ」
「根の一族の本来の姿が、あなたたちだと……そういうことか?」
「さぁな。お前が根の一族をどう考えているかは知らんが、今までお前が戦ってきた根の一族とわしらが違うことだけは、事実だ」
背後に人の気配を感じて振り向けば、絹と極楽がこちらに来ていた。
「来な、火の一族。出雲大社に行くんだろう。難儀するはずだ、泊まって行け」
男が、手に持っていた杖を振って自分たちをいざなう。卍丸は素直に男へ従った。極楽と絹も卍丸の後に続き、その場に立ちつくしていた団十郎は慌てて三人を追った。
二、
石造りの庵が、どうやら一般的な根の国の人々の住居らしい。石の寝台に寝具を敷いて使うのだが、寝台の数は足りなかった。寝台に横たわれぬ極楽と、卍丸が、野営に使う寝具を出して床に寝ることを決めた。団十郎が床で寝るはずもなく、絹に床で寝ろと言う者は誰もいなかった。
黄泉平に入ったのは昼頃であったから、腹の空き具合から今が晩飯時であるはずだ。根の一族の男もそれは察したらしく、晩飯の用意が始められた。
玄関先に、代わる代わる根の里の者が訪れ、火の一族たる自分たちの様子を見物しに来る。あまりいい気分はしない。
老婆が玄関先に現れた時、思い切って、卍丸は声をかけた。
「あの、俺たちに言いたいことがあるんなら、どうぞおっしゃってください」
言われて、老婆はくしゃっと笑い、つつつと部屋の中に上がると、極楽の前にどっかりと座った。
「あんた、極楽太郎だね? 八人目の火の勇者になるはずだった」
「千年前の話だ、それは」
極楽はぶっきらぼうに言った。触れられるのが嫌だ、とまではいかないが、話すことに積極的になれる話題ではなさそうだ。
「あんたのお陰だよ、今、根の一族が復活できたのは。あんたが戦場から逃げ出したお陰で、ヨミ様の封印が不完全なままで済んだのだから……」
「止めろ、婆さん。ヨミが復活したところで、わしらに何をしてくれるわけでもない。千年前は、わしらにとって悲劇でしかない」
嬉しそうに喋り出す老婆を、この家の主である男は遮ると、追い出してしまった。
「すまんな。あそこの婆さんは、ちぃとここがね」と、男は頭を指さした。
「産んだ子供を尽く取り上げられてんだ。ヨミ復活が正しいと信じる他に、生きてゆくことができなくなっちまった」
「だが、あの婆さんの言ったことは、真実だ」
極楽はぼそりと言った。
「なら、今度は失敗しなけりゃいい、違うか?」
男はあっさり切り返した。
「おい、ヨミってぇのはおめぇらの神さんだろ、復活して欲しくねぇみてぇじゃんかよ」
団十郎が話に入った。
「千年前で懲りたのさ」
男はそれだけ言うと、晩飯の準備に戻ってしまう。
「それじゃさっぱりわかんねぇぞ!」
「……ヨミは、人々の精気を吸い……吐く息で、根の一族の恐怖心を奪い、戦意を高める……」
団十郎は断続的な呟きを聞いて、そちらを見た。
「なんでぇ、卍丸。気味悪ぃんだけどよ」
「前に、天狗に聞いた。ヨミの吐く息が、根の一族を戦いに駆り立てるって。つまり、そういうことなんじゃないのか」
「何が、そういうことなんだよ?」
「だから、根の一族がたとえ、戦いを厭うようになったとしても……ヨミの下《もと》では、戦いを止めることができないんじゃないか、いやむしろ、千年前の 戦いも、根の一族自身が望んだ結果より、ヨミの影響によるものが大きいんじゃないか、って。今、暗黒蘭が咲いているだけでも、これだけの戦乱が起きてい る。復活したらどうなる?」
「悲劇っつーのは、そういうことかよ。けっ、弱音だ、それは」
団十郎は卍丸の推測を正当とみた上で、それを切り捨てた。
「火の一族は、強いのね」
少女の声が、唐突に割って入った。玄関先にまた、根の里の人が訪れていた。今度は少女である。団十郎の頬が緩み、それを見て取った卍丸がため息をついた。
団十郎はいそいそと玄関に寄っていく。
「よぅ、かわいコちゃん。君もここに住んでるの?」
「当たり前よ。あたし、あなたのこと、知ってるわ。傾キ団十郎さんでしょ?」
団十郎は雪駄を履くと、少女と並んだ。
「おぅ、俺様の名を知ってるたぁ、話が早い」
「三博士が時々ここに来て、相談しているのが聞こえたのよ。火の一族でも、傾キ団十郎は物の数に入らないって」
思わず卍丸が吹き出し、団十郎はぎろりと卍丸を睨んだ。
「でも、暗闇城では肉助を倒したのはあなただって」
正確には、止めを刺したのが団十郎なのである(註1)。石見の根の城・暗闇城を守っていた地獄釜の肉助は、氷の術を苦手とする、ということは事前に分 かっていた。極楽は術自体が使えず、卍丸と絹も氷の術は使えない。氷を身上とするのは誰であろう、暗闇城で合流することになった団十郎であったのだ。
「そう、俺様は決める時にビシッと決める男なんだよ。些事に追われてあちこち駆けずり回っているガキんちょとは違うのさ」
少女に褒められて有頂天になった団十郎は、卍丸を当てこすった。些事に追われるガキに、幻夢城攻略で出し抜かれたのは誰だ……とやりかえそうとして、その馬鹿馬鹿しさに、卍丸は口を噤んだ。
それからはもう、団十郎の独壇場である。少女相手に軽口を叩き、少女もそれがまんざらでもなさそうであった。そして、「ちょっくら行ってくるわ」と、団十郎は晩飯を待たずに少女と家を出ていってしまった。
入れ違うように男が夕餉を運んできた。「一人足りんようだが、呼ばなくていいのか?」という男の問いに、卍丸はただ黙って首を振った。
少女が「見せたいものがある」というので、団十郎は彼女についていった。
そこは、物置らしき場所であった。大小のつづらがいくつか積み重ねられているのを、少女は片っ端から開いてその中身を調べている。やがて、「あったあった」と、少女が笑顔で取り出したのは、一振りの剣であった。真っ赤な糸巻の柄に、漆黒に紅蓮の炎が浮かび上がる意匠の鞘の、ずいぶんと派手な剣である。
「秘剣不知火といってね、千年前に根の民が打った刀よ(註2)。根の民は鍛冶を生業とする者もいたの。念をこめれば刃に炎が宿るとも言われている」
少女はその剣を団十郎に差し出した。
「俺様に、くれるってのか?」
言いながらも、団十郎は既に手を剣へと伸ばしている。
少女はすっと剣を背に回して、団十郎の手をはねのけた。
「その代わり、お願いがあるのよ。聞いてくれる?」
茶目っ気たっぷりに言う少女に、団十郎は微笑みかける。
「そう来なすったか……どんなお願いだ?」
問いかけの形を取ってはいたが、団十郎は少女の願いをくみ取って、少女の肩へ手をかけ、己に引き寄せた。頤をしゃくり、少女の顔を自分へ向き合わせると、まずは口付けようと顔を寄せた。
「あっ」と、少女はぶるっと震えると、顔を逸らした。団十郎は少し腕を緩めたが、少女を解放はせず、自分の懐に収めたまま、優しく語りかけた。
「どうした? 安心しろ、俺様に任せな」
「違う……聞いて、聞いて欲しいの……あたし、あたし……」
少女は小刻みに身体を震わせている。団十郎に対する脅えではなかった。少女の手から剣が落ち、団十郎の着物の襟をぎゅっと握りしめる。
か細い声で、少女はある告白をした。
団十郎はそれを聞いて絶句した。
少女は、しばらくは団十郎が何か言わぬかと探るように黙っていたが、団十郎が何も言いそうにないと分かると、ぽつりぽつりと語り始めた。
「ち……じょうの、話は……あたしたちの耳にも入る……傾キさんの話も、いっぱい、いっぱい、聞こえてくるの……ホントは……あたしも、地上の女の人みた く、傾キさんと、お話してみたいな……って。でも、あたし、ばかだ。傾キさんとお話できるってことが、どういうことか、わかってなかった。傾キさんが、こ こに来るってことは……。急に、怖くなっちゃったの……ねぇ、お願い……」
少女は涙を目に一杯ためて、団十郎の顔を見上げた。その拍子に、涙が崩れて顔の横へと流れて行く。思い詰めた少女の気持ちを、裏切れる団十郎ではない、だが。
団十郎は、自分の着物の襟を掴む少女の手を、上からそっと握った。
「ダメだ」
はっきりと、少女の願いを拒む言葉を、団十郎は言った。
「俺様にできることなら、何だってやってやる。だが、それだけはできねぇんだよ」
「何で!!」
決死の表情で、少女は掴んでいる襟を揺さぶった。
「傾キさんは、火の一族なんでしょう!」
「そうだ、俺は火の一族だ、だからできないんだ!」
団十郎の語調は強かったが、荒くはなかった。
少女の、団十郎の着物を掴む手が、そっと解けて落ちてゆく。溜まっていた涙はこぼれ落ちきって、乾いていた。
「……ごめんなさい。分かってたけど、でも、どうせなら、嘘でもいいから、やるって言って欲しかったけど、でも、だめなのね、分かってたけど……」
少女は自分が取り落とした秘剣不知火を拾った。
「傾キさん。あなたにあげます。この剣、火の一族であるあなたに似合うと思うんです」
差し出された剣に、今度は団十郎は手を伸ばさなかった。代わりに、その少女を抱きすくめた。
「俺様が嫌いになったかよ」
強く少女を抱きしめて、団十郎は囁く。
「嫌いになったんだったらよ……剣をよこすんじゃなくて、それで俺様を刺しちまえ」
せっかく止まった涙が、また少女の瞳から溢れ出す。
「嫌いになんか……なれないっ……だって、ずっと、ずっと、憧れてたんだもん! 傾キさんなら、あたしたちのこと分かってくれるって、きっと助けてだってくれるって思ったんだもん!」
「俺は、君を助けてやれないぜ。それはさっき、言ったろう?」
「でも……嫌いじゃない。あたし……」
団十郎はそれ以上、少女に言葉を紡がせなかった。その唇を、己が唇で塞ぐ。
──結局、卍丸たちが宿を取った家に団十郎は戻って来ず、卍丸は団十郎が眠るはずだった寝台で眠った。
<註釈>
註1:止めを刺したのは団十郎=卍丸の先回りに命を賭けた団十郎は、自分の術が肉助の弱点である、なんてことは当然知らず、卍丸が念のため持ってきた氷刃の巻物を巨大豚汁鍋に落として「今の俺様にこんな術は不要!」などと啖呵を切る。逸る団十郎を、極楽が制止。卍丸と極楽の攻撃のコンビネーションが決まったところで、団十郎が術で畳みかける……と策戦を練り、それが成功。
註2:秘剣不知火=ゲーム『天外魔境II』では、カブキ団十郎が暗闇城で仲間になった時の初期装備である。根の国で入手できる刀は「村雲の剣」。鍛冶の話は、出雲地方のたたら製鉄のイメージが背後にあるが、資料には当たってない、悪しからず。ちなみに本文で根の国が罪人の島であることには触れていないが、根の国の元ネタはおそらく古典文学お馴染みの隠岐諸島であろう。
三、
翌朝、と言っても朝日は感じないが、卍丸は習慣から目覚め、父の形見の剣を手に、外へ出て軽く素振りなどをした。それをまた、根の里の人々が珍しげに遠巻きにして見る。やりにくかったが、諦めた。聖剣より伝授された必殺剣の型を復習する。五本目の聖剣、静乱斬は未だ実戦で使う機会がない。静乱斬は、どうしても防御が疎かになりやすく、術でこちらの防御を補う必要がありそうだ。金剛の術は、肌を一時的に固くするが、一方で動きが鈍くなる(註3)。もっといい術はないか?
(絹の持ってる術の中に、そういう術がないか訊いてみよう……)
だいたいの区切りがついたところで、卍丸は剣を鞘に納め、家に戻った。
男が朝食の準備を調えており、極楽と絹は、身支度を終えて食卓に着いていた。卍丸も剣を置くと座り、三人は食事を始めた。
「なぁ、絹が持ってる術の中で、防御の術は何かないか?」
卍丸は朝の稽古で思ったことを絹に訊いた。
絹はゆっくりと手にしていた食器を置くと、
「城壁の術……(註4)」
と言った。絹の持つ巻物の数は多いが、その管理は絹任せにしている(註5)。城壁、と名前だけ言われてもどんな術かは分からない。
「相手の刀剣を弾く見えない楯を身に纏わせます……その時間は短く、その割に力を必要とするので、あまり皆さんのお役には立たないかと思いますが」
「どのくらいの時間だろう……たとえば、相手の懐に入って、何合か打ち合うぐらいの時間は?」
「素早く打ち込まれるのであれば、数合の競り合いには堪えると思います」
正に静乱斬のためにあるような術ではないか。
「後で、どんな感じか掛けてもらえるかな?」
「はい……」
それ以外に、特に会話を交わすこともなく、三人は食事を終えた。
「団の奴が、戻ってこんではないか」
と、極楽が言う通り、さすがに一行が出立するだけとなれば、欠員の存在が嫌でも強く感じられる。
「ここからは出てないだろうし、荷物も残ってんだから、戻ってくると思うけど」
答えた卍丸の声に力は籠もっていない。自分の言葉に自信がない……のではなく、ただもう団十郎の身勝手さに疲れ切っているためであった。
「……おっす」と、気まずそうに玄関から首だけこちらに突き出して、団十郎が戻ってきた。
「もう行くぞ、朝飯食ったし」
「おう、俺様も食ったぞ」
嫌味のつもりで言ったのだが、まともに返されてしまった。
「ちょっと俺様の荷物取ってくれ、荷物」
部屋の隅に置いてある団十郎の荷物はきちんとまとめられている。団十郎本人は、昨日ぶちまけたきりここに戻っていないのだから、極楽か絹かがそうしたのだろう。それを引きずるように手元へ持ってくると、団十郎目掛け投げつけてやった。
「うぉっとっと!……うむ、すぐ戻ってくるって、ちょっと待ってろ」
団十郎は器用に荷物を受け取ると、また姿を消した。
待っていろ、と言われてもこの家からは出ていった方がいいに決まっている。
「すみません、一晩宿を貸してもらって、助かりました」
去り際に、男へ言葉をかける。男は目をしばたたかせて、
「あぁ……いや、いい。ありがとよ」
と、逆に礼を言ってきた。何故、こちらが礼を言われるのか、よく分からなかった。
外に出ると同時、団十郎がいそいそと戻ってきた。その帯刀が変わっている。どうしたのか、と問いかけようとして、止めた。昨日の少女の貢ぎ物に決まっている。
「羨ましい性格してるよ、お前は」
皮肉と分かる口調で言ってやる。もちろん、
「妬くな妬くな、ガキの分際で。俺様とは男の格が違うのよ」
というような言葉が返ってくるのは承知の上だ。団十郎の返事は聞き流すに限る。
集落の一番奥、自分たちが出てきたのとは反対側に、長い階段があった。その両脇に、村人らがまたまた集まって、自分たちが出てゆくのを凝視する。つくづく、自分たちが珍しいらしい。その視線を窮屈に思いながら、地上へ出る階段を登ってゆく。その間、団十郎の面もちが、ひどく緊張していたのを、卍丸は見逃した。
階段は地上に出てもまだ続いた。四人は黙々と登る。左右に咲く暗黒蘭の、地表から飛び出している根が、ゆらゆらゆらゆら、今にも触れられそうな距離まで近付いては遠ざかってゆく。階段は出雲大社まで続いている。一度登ってから、建物内を下らなければならないようだ。
普通の建物で言うところの、二階の真ん中ぐらいの高さに来たところで、卍丸が足を止めた。急に立ち止まったので、その後に続いていた三人が少し姿勢を崩してしまうが、どうにか体勢を立て直す。
「なんだ、卍丸。危ないぞ」
極楽がその背に呼びかけるが、卍丸は振り返らない。極楽は、自分の声が届いていないのではないかという不安に駆られた。
「……たくさんの」
絹の目が、他の二人には見えないものを捉える。
「たくさんの、霊が、卍丸を……卍丸を、迎えに来ている(註6)」
極楽と団十郎が、絹の顔を見、再び卍丸の背を見た時──卍丸は抜刀し、何もない場所をひたすら斬りつけていた。
卍丸は死神将軍を、はまぐり姫を、マダム・バーバラを、地獄釜の肉助を、斬り捨て続ける。彼らは、自分が斬った根の一族の兵士たちを従え、寄せては返す波のように、押し寄せる。いくら斬っても、またどこからかふわりと現れ、迫ってくる。こんなことが、あるはずがないのに、戦わなければ殺されると、卍丸は 確信し、刀を振るう他無かった。首筋が冷たい。肌に着物が張り付いて気持ちが悪い。
「卍丸、おめぇ何やって……わっとっと! おい、危ねぇだろ!」
団十郎の目には、卍丸が狂気に陥ったか幻に囚われたか、としか見えてこない。卍丸が霊に押されてぐいぐい下がってくるために、団十郎はよろよろと後退し、極楽は絹を抱えて後退する。
「卍丸。それは、あなたが今まで殺した者たち。斬っても、斬れないわ」
「絹! わしらはどうしてやればいいんじゃ!」
肩に担ぎ上げた絹が落ち着き払っているのを上目づかいで見て、極楽は叫ぶ。
「何も、できません。霊は、卍丸を迎えに来ているだけだから」
絹は狂ったように虚空で刀を振り回す卍丸を、冷ややかな、何の感情もそこにない目で、見つめる。
霊に押されじりじりと後ろに下がる四人。このままでは、根の里へと逆戻りしてしまう。
「卍丸! いい加減正気に帰れよ! 幽霊なんか斬れるわけねぇだろが!」
団十郎が怒鳴った、その声も卍丸の耳には届かない。
「くそっ、これは一旦戻った方がいいかもしれんぞ」
極楽が背後の距離を確認して言った。団十郎が苦々しい顔をする。
「戻りたくねぇよなぁ……」
「なんか言ったか!」
「あー、そのだな……一度やるって言ったことは、やらないと男がすたるって……」
「何を言っとんのじゃ!」
極楽に問い詰められても、団十郎はもごもごと口を動かすばかりである。
「卍丸。火刃の女王、静は、光無くとも、敵の姿を見ることができた……あなたには、できないの?(註7)」
絹が、淡々と、いつも通りの小さな声で言う。
「見えなくとも、見えるものと、見えていても、見えないものの区別すら、できないの?」
(見えなくとも……見えるもの……)
絹の声は卍丸の聴覚を刺激しない。しかし、絹の言葉は卍丸に届いていた。
(見えていても……見えないもの……この世にないもの……)
卍丸の動きが止まった。
だらりと腕を下げ、肩の力を抜き、そこへただ立つ。
根の将軍と根の兵の霊が、卍丸の顔へ、肩へ、腹へ、腕へ、足へ、斬りつけ、体当たりしては、卍丸の身体をすり抜けてゆく(註8)。
全ての霊が卍丸を過ぎていった時……卍丸の眼前には、出雲大社への階段のみがあった。
「ったく、ビビらせんなよ。何だったんだよ、いったい?」
団十郎がほっと安堵して話しかけてきた。
「俺を、迎えに、たくさんの霊が来ていたよ。鬼骨城の将軍から何から、みんなでお迎えしてくれた」
「なんでぇ、絹ちゃんと同じこと言ってるぜ、こいつ」
と、卍丸を親指で指しながら、団十郎は極楽と絹とに言う。
「とにかく、さっさと暗黒蘭を二本、ばっさりやっちまえ。だいぶジパングもすっきりするはずだ」
極楽は、立ち止まった一行を促した。卍丸を先頭に、再び階段を登り出す。団十郎は、極楽と絹に先へ行くよう言った。どうにも団十郎の歩みが遅かったが、出雲大社の中へ入り、下へ行って暗黒蘭の根本に来る頃にはきちんと四人の足並みが揃った。
卍丸はまず、大霊院女彦を手に暗黒蘭の前に立った。団十郎は卍丸が足下に置いた、武器を納めている荷物袋をちらちら見ている。団十郎がはっと我に帰った時には、卍丸が暗黒蘭を一本、封印し終えていた。
「やっち……まったか、やっぱり」
卍丸が荷物袋を担いで、もう一本の暗黒蘭を斬ろうと歩き出すと、そんな言葉が背後から聞こえてきた。
「何言ってんだ、団十郎?」
「いい、おめぇはいいんだ、それでよ」
団十郎は手を振って、女彦で封印された暗黒蘭の根が張っていた周辺をうろうろとしていた。不審に思いながらも、卍丸は暗黒蘭にいろは宮静を突き立て、その根を枯らし、暗黒蘭を封印した。
<註釈>
註3:金剛の術=ゲーム『天外魔境II』では、単に防御力を上げる術であるが、ここでは効果を考えて、不利になる点も作ってみた。
註4:城壁の術=これまた、ゲーム『天外魔境II』では、物理攻撃に対する無敵状態を数ターン(キャラクターの行動が回ってくる回数)作り出す術……なのだが、リアリティに欠けるので、このような解釈となった。
註5:絹の持つ〜絹任せにしている=卍丸は絹に遠慮しているのである。ゲーム『天外魔境II』ではそんな遠慮も無しに個々人の荷物を参照・移動(売買)・使用できるのだが。
註6:たくさんの……=これに類する台詞は、ゲーム『天外魔境II』では根の国の村人が言っている。この後の展開に於ける絹の言動は、『FAR EAST OF EDEN 研究序説』で、火の勇者と火の巫女という分類が提示され、絹がZIRIA編の月姫と共に火の巫女とされていたことに影響を受けている。
註7:卍丸……=巫女として卍丸を導く立場にある、ということからこのような台詞になった。卍丸と絹は、マリの加護で結びついているのかも知れない。
註8:根の将軍と根の兵の霊が……=あだちひろし『天外魔境 FAR EAST OF EDEN』(大門招来上下巻と併せて見ると一巻に当たる)P294参照。もう、そのまんま。
四、
四人が出雲大社を登り、階段を下って根の里に戻った時、根の里の外には誰も出ていなかった。
またてっきり、里の者全員で出迎えられるかと思っていた卍丸は拍子抜けした。もしかして、暗黒蘭が封印されたことで、ヨミと三博士に盲従しているわけで ない彼らはどこか別の地へと移り住む決心でもしたのかもしれない。紀伊のイヒカの民も、千年の地下生活から、徐々に地上へ赴くようになったはずだ。
と、団十郎があちこちの家を覗き込んでは「ここじゃない」とか「違う」とかぶつくさ言っている。探し物をしているようだった。
「どうした、忘れ物でもしたのか?」
「あぁ、まぁ……そうだな。おい、どっか剣が突き立ててあるところがあると思うんだ、探してくれや」
ずいぶんと奇異な探し物だが、暗黒蘭を二本も封印した後である。団十郎のわがままに付き合ってやろう、という気になった。卍丸と極楽も、手分けして根の民の家を回った。疲れているのか、絹は動かなかった。
家を回る内、卍丸は奇妙なことに気付いた。衣類や食料など、生活に必要なものがそのままになっているのである。新天地を求めるために移動するなら、これらのものはできるだけ持っていこうとするのではないだろうか? 突然の失踪。そんな言葉が浮かんだ。
「あったぞ!」と声を上げたのは極楽であった。団十郎と卍丸がそこに駆けつけ、絹も後からそちらへ訪れた。
梯子のある部屋に、剣は突き立てられていた。
「あれ、これ団十郎が持ってた剣じゃないのか?」
団十郎は頷いた。そして、自分の簪に手を伸ばして、一本簪を引き抜こうとする。
「団十郎さん」と、それを止めたのは誰であろう、絹である。
目を丸くして団十郎は絹を見た。
「紐を。赤い、あなたの髪を結ってる紐を」
団十郎はぽかんと口を開けた。
「何でそんなこと、知ってる……あぁ、そうか。絹ちゃんは、見えるんだな……どうだ? 様子は?」
「あなたを、ずっと、待っていた、と。これからも、ずっと、待つと……」
「へへへ。そりゃ、男冥利に尽きるねぇ」
団十郎は、するすると自分の髪を結っている紐を解き、髪を下ろしてしまった。その紐を、突き立ててある剣の柄に、蝶結びに結んでやる。
「こんなんで、いいか? 何せ、俺様には見えねぇもんでさ」
「いいと思います。幸せ……だと」
「ちぇっ。安い女は男に都合が良いだけだぜ。もっとバーンとわがまま言っちまえよ」
団十郎はしばし剣の前で手を合わせてから、ポリポリと鼻を掻いた。
「あ、やべぇ。お前のわがまま、聞いてやれなかったんだっけか……すまん! この通りだ、許せ!」
パンッと音を鳴らして、もう一度手を合わせると、団十郎は深々と頭を下げた(註9)。
卍丸は、団十郎と絹のやりとりに愕然となった(註10)。二人が通じ合っている様子があまりに衝撃的で、二人が何について会話していたのか、何の推測も働かない。助けを求めるように極楽を見たが、極楽の表情は穏やかに事を見守るそれである。
言いづらいが仕方ない。
「何が……あったんだ?」
「ん? つまりだ、根の国の連中で、兵隊になれん連中は、まぁ……その、生殖とか実験に多少使われてだな、用済みとなった後は、出雲の暗黒蘭の養分にされてたんだと。で、出雲の暗黒蘭を斬ると、その瞬間にできるだけ多くの養分を吸収しようとするから、根の国の連中は全員消し飛ん……」
団十郎の最後の言葉が途切れたのは、卍丸が掴みかかったからだ。
「お前、それ彼女から聞いたのか!」
「そうだぜ? おかしいか? あの娘は名前すら無いって言うから、俺様がつけてやった。ゆかり、ってな(註11)。ゆかりは俺に剣をくれたから、俺もゆかりに剣をやったんだよ。この世から消える間際に、俺様の剣を突き立てろ、そうすりゃお前がどこにいたかわかるから、ってさ。何だ、何か文句あるか!」
「何で、何で黙ってたんだよ!」
「お前な……」
自分に掴みかかっている卍丸の手首を、団十郎は取った。
「お前に言って何になるんだよ! 暗黒蘭をぶった斬るのを止めるとでも言う気か!」
「そうじゃない……けれど、戦う気のない者までを巻き込むのを、防ぐ方法くらい……」
それは、高山の祭が暗黒蘭で蹂躙されるのを目の当たりにしてから、ずっと、卍丸を苦しめる思いであった。自分が、戦う者同士が、血を流すことに何の恐怖も躊躇もない。だが、戦わない者、戦いたくない者を犠牲にしなければならない論理も因果も、この世に存在はしないのに、戦乱は彼らをも巻き込んでいく。それを最小限に食い止めるのは、血を流す者として立ち上がった火の一族の使命であると、そう思うことで何とか堪えてきているのである。だから、自分が戦乱の被害に無知であることに、卍丸は堪えられない。
「阿呆! おめぇの頭で、あのイヒカの内でも大天才だっていう連中の技術を破ることができんのかよ! 思い上がるのもいい加減にしやがれ!」
「思い上がる……だって? お前こそ、目先の慰めで彼女の苦痛を誤魔化しただけじゃないのか! 自分の楽しみで、彼女を弄んだんじゃないと言えるのかよ!」
激昴した団十郎の視界が赤く染まる。
「てめぇみたいなガキが……どうしてっ……ゆかりが俺様に何を頼んだか知らないくせに!」
怒りで顔を真っ赤にしている団十郎とは対照的に、卍丸は爆発しそうな感情を抑え、冷静さを保っている。
「お前なんかに何を頼んだって言うんだよ?」
「聖剣を折れ、と言ってきたんだ、ゆかりは」
それは死にたくない、と同義の言葉であった。
「俺様が、何て断ったと思ってんだよ……!」
ぎりぎりと歯を噛みしめる。視界が揺らいできた。
「俺様はなぁ、火の一族だからお前の言うことは聞けねぇっつって断ったんだぞ! この俺様がだ! 俺様の女の頼みを、断ったんだぞ、火の一族だからってな! ふざけんな!」
怒鳴る声はまた、震えていた。ぼろぼろと大粒の涙を、団十郎は幾重にも重なる形でこぼす。おそらく、涙を流していることの自覚はないであろう。
卍丸は、表情を曇らせ、うつむいた。
「……すまん、誤解してた。悪かったよ、団十郎」
あっさり卍丸が折れたので、団十郎の感情もそのまま発散していく。
「分かればいいんだよ、てめぇみたいなガキに、わからんことはいっぱいあんだ、わかったか」
団十郎は卍丸の手を離した。卍丸は少し手首を回し、団十郎に掴まれていた痛みを取る。団十郎は己が涙を流していたことに気付き、ぐいぐいと袖で拭った。
「やっぱり、俺はお前が羨ましいよ」
「何だと? この期に及んで皮肉かよ!」
「違う。褒めてる。羨ましいと言ってるだろう。俺には、暗黒蘭を斬る以外のことは、何もできない、結局は(註12)」
「……ふん。俺様とお前じゃ、器が違うのよ。ま、聖剣持ってんのは、おめぇにお似合いよ」
団十郎はふと思う。自分が聖剣を使える身であったら、どうしていたか? 結論は……考えない方が良さそうだった。卍丸なら、たとえゆかりの話を聞いても、暗黒蘭は斬れる。今も、卍丸は斬ったこと自体を後悔しているわけではないのだから。
「お前ら、気が済んだか。なら、さっさと行くぞ」
極楽は生あくびをし、伸びをしながら言った。
「若ぇのぉ、お前らは。わしも羨ましいぞ」
「オッサン……っつーよりよ、時々ジジィみたいだぜ、あんた」
団十郎は照れ隠しに、極楽へ突っ掛かった。
「そりゃそうじゃ。千年生きとるからのぉ」
ぞろぞろと三人は縄梯子から順に下へ降りてゆく。
絹は突き立った剣の前に、立ち止まった。彼女の心に、卍丸と団十郎の言い争いは届いていない。彼女の心を占めていたのは、剣に宿っている根の少女の霊であった。
「あなたは、それでも、一人ではないと……思えるのね」
そう言って、絹もまた、その場から姿を消した。
<註釈>
註9:パンッと音を鳴らして=死者の墓を詣でる時に、柏手を打ってはいけない。団十郎は手を合わせた勢いで音を鳴らしてしまったのだろう。
註10:卍丸は、団十郎と絹のやりとりに愕然となった=二人の会話になまじっか男女のそれらしき単語が混じっていたために、卍丸は混乱したらしい。以降の団十郎との喧嘩は、このやりとりに対する嫉妬も含まれている。
註11:ゆかり=縁。人と人との関係。
註12:俺には……=後に、絹が母親恋しさに一行から離脱した時、卍丸が深く悩む背景の一つに、このような考えがあるのではないだろうか。
(二〇〇三.十一.十二初稿/二〇〇九.十.二一改稿)
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ゲーム『天外魔境II 卍MARU』出雲国黄泉平〜出雲大社におけるイベントを踏まえた掌編です。 | ||
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