ボディーガードとお嬢(仮) |
一人の男が小汚い路地裏で冷たくなりかけた指先を握りしめ、僅かながらの暖を取っていた。男の顔面は見た者が皆目を背ける程のグロテスクな形をしている。右側が内出血でどす黒く変色し、目は見えていないのか白く濁っている。
こんな事をしたって、この寒さと食べ物もない環境ではもうすぐ飢え凍え死ぬ。左手に掴んでいた酒瓶を口に運び、ほんの1時間前に飲み干してしまった事を思い出し、その酒瓶を壁に叩きつけるように投げた。
折角の暖を取る方法が1つ無くなった。
(そんな事をしても、どうせこの環境じゃもうすぐ死ぬ)
砕けた瓶の破片が僅かに差し込む光に反射してキラキラ光っている。心の豊かな人なら綺麗だと思うのだろうが、残念ながら彼の心は現在荒みきってささくれまで出来上がっている。
あの時生き残ったのは本当に奇跡なのだろうか。
来る日も来る日もそればかりを考えていた。友人の言葉が胸の奥に引っかかっていた。
「気を落とすな。お前は運が良かったんだ。良すぎたんだよ」
運がいい?悪いの間違いだろう。今でもあの友人には腹が立つ。大切な部下を一遍に奪われたものの不条理さが分からないのだ。
だから、ある日一回殴ったら今度は警察に追われる羽目になった。男は呆気なく捕まり数か月もの間拘置所に入れられた。
その間どうしてあの友人を殴ったか何度も聞かれた。男が質問に答える事は無かったが。
その後、ようやく釈放されて住んでいた街に戻ってきたが、何故か家が無くなっていた。
どうやら空家と判断されて取り壊されてしまったらしい。
あの友人の言っていた事は本当に間違っていた。自分は本当に運が悪い、と男は理解した。
そして今に至る。
そんな彼の名はフレデリック・バトラー。
路地裏生活を始めてもう3カ月、季節は過ぎ去りいつの間にか冬になっていた。生きる為に物乞いをしようとしても、彼の顔を見るだけで女子供は悲鳴を上げて逃げ出し、男からは気味が悪いと言われ殴られたりもした。そんな状況でも同情して少しの施しを恵んでくれる者も少なからずいた事を男は忘れていない。
(でも、寒さだけはどうにもならない)
男は遂に座っている事も出来なくなり、その場に横になった。
死ぬのならば、このまま目を閉じて目の前に散らばるガラスの破片を使って頸動脈を切ってしまえばいい。
冷えて硬直した指をぎこちなく動かし、破片を掴んだ。疼くような感覚の後に僅かな痒みを伴った鈍い痛みが手のひらに起こった。流れ出る暖かい血液を感じながら、彼は薄く笑う。
(まだ、生きてるんだな)
当たり前のことが、今の彼には何故か嬉しかった。生きたいのか死にたいのか、思考に霞がかかる。
ふと、フレデリックの目の前に影が出来た。ぱりっとした質感のスラックスとしっかり磨かれた靴。どう考えてもこの汚い場所に似つかわしくない。男は左目を僅かに上に向ける。獣の耳が生えた髪の長い男性がいる。どうやら亜人のようだ。
目が丸く、睫毛は長く唇は薄すぎず厚すぎるわけでもなく、ほんのりと桃色に色づいている。
何よりも、男にしては体が華奢だ。これなら出会った人の何人かが女として見ていても可笑しくないだろう。
男は「よいせっ」と年寄りじみた掛け声を上げてその場にしゃがむ。その声は声変わりしかけた少年のような多少高めの声だ。
「おま、え、聞きたい事、がある」
何故途切れ途切れで喋るのだろうか、と疑問に思ったが一種の個性だと思う事にした。
「何故、死のう、と、する?」
その質問に彼は何も答えなかった。何も知らないような奴に答える筋合いなどないのだ。どうせ人は他人の不幸を分かろうとしないのだ。自分が幸せであればいいのだ。
溜息が聞こえたその直後、いきなり服の襟を掴まれて上に持ち上げられた。男の丸い目が彼をじっと見つめる。亜人よろしく瞳孔が小さく、獣のような目をしていていささか不気味さを感じた。彼は人外では無い。ただの人間であるフレデリックの体を軽々と持ち上げている。どうしてこうなった。その華奢な体に似合わず男は相当力があるらしい。
「質問、に、答えろ、みすぼらしい、男」
「……不幸だからだ」
フレデリックはようやく質問に答えた。長い間声を出していないのと酒ばかり飲んでいた所為で酒焼けを起こし、低く掠れていた。これ以上生きていても良い事など後一度訪れるか訪れないか分からない。人生の絶頂はとっくに過ぎた。後は緩やかに落ちていくばかりだろう、と認識していた。それとも今がそのどん底か。
「不幸、だと?」
亜人が低い声で唸る。
「不幸、如きで、いとも、簡単に、自らの、命、を、捨てるか」
呆れたように言い、襟を掴んでいた手を離すとフレデリックの脚は大地を踏みしめることなく泥に膝を付けた。
項垂れたままの彼を見下ろして亜人は無感情な声で言う。
「ここまで、這いあがって、来い。死ぬくらい、ならば、命、御嬢様、に、捧げろ」
亜人の声に導かれるまま壁に手を付きながら、脚でしっかりと地面を踏みしめ反動を付けて立ち上がる。若干ふらついているものの、立てないというわけではないらしい。ただ単に長い間立っていなかった所為で脚の筋肉が弱っていただけなのだ。
亜人はフレデリックの硬直して冷え切った手を取――らずにその鳩尾に拳を一気に叩きこんだ。
咄嗟に受け止めようとした男の手のひらもろとも亜人の拳は鳩尾の中央に深く食い込んだ。見た所この男は筋肉質のようだった為亜人はその事を考慮し気を失う程度の強さで突いたのだが、若干衰えてたるんだ脂肪はいとも簡単に拳を受け入れた。
その事に亜人は憮然とした表情を浮かべる。
「ぐぶぇえっ」
蛙が潰れたような呻き声を発しながら胃液を吐きだしたフレデリックは前のめりに倒れかかり、意外と力のある亜人の小脇に抱えられた。
立たせるなら、何故また倒れさせるのだろうか。
彼の心内に不条理な考えが浮かんでいたが、鳩尾の痛みと強い吐き気が思考を混乱させた。
(ええい、ままよ)
自分の運命を亜人に任せるとして、フレデリックはこみ上げてきた胃液を再び吐き、その吐いたものに若干の鉄の味を感じながら意識を暗闇の中に落とした。
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