Deneb |
私は、
虫退治用のスプレ──さえ噴けない程に、
右手を弱らせていた。
【Deneb】
毎年の事ながら、梅雨というもんはどんどんと先に延びてきてると思う。
梅雨が6月なんていうのは絶対ウソだ。明らかに7月だろう。
じめじめした天気。
うっとぉしい雨雲。
ため息をつかずにはいられない湿気。
誰だ? 七夕なんてくだらんもんを作った奴は。
毎年曇り空じゃねぇか、ざまぁみろ。
などと、毒を吐きたくなる7月の始め……──
「病院へは行ったの?」
「……は?」
「だから、病院ですよ。」
来なくていいと言っていたおばあ様がやって来たのは、つい三日程前。
たった一人しかいない孫を云々……と言い出した時点で電話を切ったらやって来てしまった。
うかつだった。
目の前には、香りの良いハ──ブティ。
私はぼさぼさのボブを掻きながら、どう返答しようかと迷っていた。
正直、病院など行きたくない。
研究が終わり、後は学会での発表を残すのみとなった今……確かにやる事はない。論文もちゃんとまとめた。どんな質問にも応えられる様に、教授と何度も話し合った。
完璧だ。
しかし、病院は行きたくない。
苦手だ。
あの、独特の雰囲気とか。やたら鼻につく消毒のニオイとか。アレが、ダメだ。
私が渋って頭をひねっていると、背後から気配を感じた。
まずい……嫌な予感がする。
「ミキハマダ、病院ヘハ行ッテイマセンヨ。」
おそるおそる見たおばあ様は、さして驚いた表情も見せず「あら」と呟いただけだった。
「どちら様かしら?」
「ハ。私ハ『デネブ』ト申シマス。」
カチカチの機械の身体を丁寧に折り曲げて、デネブはおばあ様にお辞儀をした。
私は盛大にため息を吐いてから、彼に怒鳴った。
「デネブ、部屋から出るなとあれほど言っていたでしょ──がっ!」
「ス……スマナイ、ミキ。シカシ……──」
「何よぉ?」
「一度ハゴ挨拶ヲト。」
「あらっ、なんて礼儀正しいロボットさんなんでしょう!」
おばあ様は嬉々とした顔でぱんっと手を叩いた後、
「でも……これ本当にミキさんが作ったの?」
と、尋ねて来た。
どう言う意味だ! と言ってやりたかったがなんとなく理解できたので、うなだれるしかない。
「虫がね……──」
「え?」
「頭に止まっても笑ってる様な奴なんだよね。」
意味もなく笑いが込み上げてくる。
振り返って見たデネブは、少しだけ首を傾げていた。
デネブの基本的なデ──タの入った電子回路を渡されたのは、5年前の冬の日。
病室だった。
喀血ばかりを繰り返していた父が、この日ばかりはとても穏やかで……微笑んですらいた。
病院に担ぎ込まれたにも関わらず、だ。
ぽとん
と、落とされた電子回路。
「託すよ。」
私は……父の事が心配だわ、こんな電子回路をどうすればいいのやらだわで、ただただ途方に暮れていた。
おそらく、泣いていた。
「ミキならきっと、完成してくれると思うんだ。」
ロボット工学の世界でなかなか表舞台に立てなかった父が、やっと胸を張れるモノを作ったと言うのに……何故不祥な娘に引き継がせなければいけないのだろう。
悔しかった。
「ミキなら、きっと……。」
私は、父のあの笑顔を忘れない。
忘れず、ここまでやってきたのだ。
忘れず、ここまでこぎ着けたのだ。
それが「デネブ」だった。
「いや! でもあのデネブはスゴイって!」
大声で怒鳴る様に吠えた幼なじみを、私は苦々しい顔で見つめた。
何しろ公道だ。道ゆく人みんながこちらを見てる様で恥ずかしい。
私はため息混じりに彼に尋ねた。
「どこがスゴイ訳よ……?」
「だってさ! 従来の二足歩行のロボットにはあり得ないあの滑らかな動き! それに! 自分の意志を持って喋る!! ドラえもんの時代はすぐそこまできているぞ、ミキ!」
何故「アトム」じゃないのか笑えてきたので、思わずノって返してしまった。
「マコト君、だったら私は『どこでもドア』の開発に力を注いでるね。」
「バァカッ!」
マコトは口をとんがらせて言った。
「お前さぁ、自分がどんだけスゴイ偉業を成し遂げたのか分かってんのか?」
偉業……。
それの大半を成したのは父だ。
私はただプログラムを組み立てただけ。
確かに足掛け4年はかかったが、父の資料やプログラムが完璧だったからこそ、そんな短期間で完成させる事ができたと思う。本来ならもっともっとかかってるハズなのだから。
「なんかさぁ……。」
「おう?」
「あ──んま実感わかないんだよねぇ……。」
呟いてから、ペットボトルをバッグから取り出そうとして落っことしてしまった。
慌てて拾おうとして、静止したペットボトルを掴もうとする。
「ミキ?」
冷や汗が、背中を伝った。
無理だ。
持ち上げるどころか、掴む事すら怪しい。
私の右手は完全にイカれていた。
「おい、ミキ!」
マコトが少し青ざめた顔で寄って来た。
「大丈夫。大丈夫だから。」
「大丈夫じゃないだろ! ほら。」
ペットボトルを差し出され、左手でそれを受け取る。
「病院、急いで行こう。タクシ──拾ってさ。」
あわあわしてるマコトの肩に手を置くと、私はふるふると首を振った。
「いい。大学病院までは一駅だし。」
「よかないよ! とにかく急ご……──」
「いいってば!」
強い口調。
自分でも少し、驚いていた。
「いいから。もう帰っていいよ、マコト。」
「ミキ?」
「うちのばあ様が無理言わせて悪かったね。」
ぽかん……と立ち尽くしているマコトを背に、私は駅に向かってがつがつ歩き出した。
「追って来たら殺す!!」
とりあえず、釘をさしておこうと吠えた。
哀しいかな、これが一番人々の注目を集めてしまった。
病院での診断は呆気無いものだった。
反復過多損傷……などとなんだかよく分からない病名を言われたけれど、平たく言うと「無理な姿勢でのタイピングのし過ぎ」らしい。
あぁ。
もう笑いが止まらない。なんだそら、と言いたい。
整体にでも言ったらどうでしょう?──と、医者はこちらの目も見ずに言った。
だから、病院なんて……嫌いなんだ、バカやろう!
長い時間待たされた挙げ句の結果がこれだ。
全くもって情けなくなる。
どでかい病院の玄関を出ると、空にはゆっくりゆっくりと帳が降り始めていた。
私は右手をさすると、何故だか泣きたい気分になった。
頑張ってきた4年間の結末。
タイピングしすぎで動かなくなった右手。
アホで間抜けなロボット。
これが、私の頑張った結果だ。
そりゃ、涙も出る。
はすっぱに、歩き出す。
どうせ一駅なのだから歩こうと、思った。
確か線路の近くに河川があったハズだ。そこで寝転んでくのも悪くない。
思いっきり、泣いてやる。
教授もみんなもデネブは素晴らしいロボットだ!……と、褒める。
確かに、デネブは今までのロボットにはなかったものをたくさん持っている。
人類が夢にまでみた滑らかな二足歩行をし、プログラムされた会話を繰り返さず、一つ一つの単語を自ら選び、人間と違わない様に話す。
デネブは……新たな意志在る生き物として、作られたのだ。
しかし、やっぱり私は納得がいかなかった。
デネブはなんと言うか、聡明な感じのヤツじゃなかったからだ。
蝶を見つけては追いかけ、花を見つけてはいくら呼びかけても微動だにしない。
いつまでもいつまでも空を仰ぐ……。
そんなヤツなのだ。
教授は全てを自己のプログラムに納め、自分なりに消化しようとしているんだろうと言っていた。
だけども、
デ──タファイルの整理を頼んでもしっちゃかめっちゃかだったし、いつだったか大事なディスクを割ってしまった事もあった。
単純に、私はただ単純に、ヤツはアホだと思う。
私は、あんなロボットを作る為に……父さんの意志を継いだ訳ではないのだ。
惨めすぎる。
「ソレハ、涙トイウモノナノカ?ミキ?」
影が、すっと頭上に入った。
今一番会いたくないヤツが、目の前に、しかもドアップで首を傾げている。
ぶっ壊してやりたい衝動に駆られて、左手で拳を作ったけれど……四日後に控えている学会の事を思うとすぐに萎えてしまった。
「なんで私がここにいるって?」
「オバア様ガ歩イテ帰ッテ来テイルノデハナイカト、まことト話シテイタカラ。」
「あんたね、学会まではその姿誰にも見せちゃいけない事になってるの……知ってるわよね?」
「大丈夫。モウ外ハ真ッ暗ダ」
あほ!
私は反復過多なんちゃらになっている右手で、デネブをどついた。
全然力が入らなくて、コツリとも音はしなかったけれど。
「ドウシテ、帰ラナイ?」
デネブはそんな事にはちっとも動じず、まじまじと私を見つめてくる。
私は、だだっこの子供みたいに顔をしかめた。
「道草よ。」
「ミチクサ?……道ノ、草?」
デネブはそっと私の隣に座ると、しげしげと河原に生えている草を見つめだした。
「そぉ──じゃっなくって!!道草!真っ直ぐ家に帰らずに、ふらっとどっかに寄ってから帰る事よ!!」
説明内容が明らかに怪しいと思いつつも、私は声を荒げた。
デネブはしばらく、う──ん……と唸っている様だったが、なんとなく納得したみたいだった。
「ミキ。」
「何よ。」
「ドウシテ泣イテイタ?」
そんな事、こいつに話した所でなんになると言うのだろう。
罵声だけしか浴びせる事ができない気がする。
「あんたに関係ない。」
「ミキ。」
「何よ。」
「夜ノ空、キレイダナ。」
しかめっ面で夜空を見上げる。
星の大群が、網膜を貫いた。
キレイ、だった。
デネブから発せられた「キレイ」という単語は、何一つ濁りがなかった。
私は、唇を噛み締めた。
「アリガトウ。」
ゆっくりと彼は言う。
「アリガトウ、ミキ。私ヲ作ッテクレテ。明日デ私ガデキテ丁度一年ダ。」
あぁ。
あぁ……。
そうだ。忘れていた。
彼が動き出したのは、丁度、去年の今頃だった。
あの時の感動を。
あの時の喜びを。
どうして……
どうして私は忘れていたのだろうか。
私はそっと…デネブを抱きしめた。
「あんたの名前、なんでデネブって言うか、知ってた?」
ギュ、と音をたてて、デネブは私を見つめてきた。
「ソウイエバ……聞イタ事ガナカッタナ。」
「あんたがね、一番明るく輝く希望の星だからよ。」
デネブはつぃと首を傾げた。
「デネブって星が……あ──、う──んと、ごめん、ちょっと星座に疎いから分かんない。でもね、デネブって星が実際にこの夜空にあって、一番明るく輝いてる星なのよ。父さんが言ってた。」
デネブが表情を作れるのは口だけだ。
彼は、微笑んでいた。
「ソウダッタノカ。」
心底、嬉しそうな、表情に見えた。
私はこの時初めて……
デネブを作って、
デネブに出会えて、
良かった と、思った。
しばらくデネブと一緒に星空を見ていたのだけれど、私はぱっと立ち上がった。
「さっ、帰るか。」
デネブも慌てておぼつきながら立ち上がる。
「学会ではヘマしないでよ?。完成してから一年間の研究も含めて、世間に初おひろめになんだから。」
「アア。」
返事をしたと同時に、こける。
私は、ハァ?……と頭を抱えた。
「デネブ。」
「大丈夫ダ。」
「あんたの大丈夫はいっつも信用ならん。」
ハハ……と、苦笑いの声。
私もなんだかおかしくなって、一緒に笑っていた。
四日後の学会は、計らずも七夕だったりする。
どうせなら、晴れればいい。
オヒリメ、ヒコボシの為なんかじゃなくて、デネブが、よりよく輝いて見える様に……──
end
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某、伝説的ライダーの始まる前に書いたSSです。 あまりのニアミスに大笑いしました(笑) 父親に託された研究資料と、電子チップを元に「感情ある」ロボットを作り上げた女の子の話。 けれど、彼女はそのロボットの事をあまり良くは思っておらず……── |
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