ピンク(レンリン) |
「ねえ、変じゃない?」
もう何度目になるのか分からない少女の問いかけに、浴衣の着付けを終えて一息ついていたルカは、額の汗を拭いながらまた同じ言葉を口にする。
「変じゃない。可愛いわよ」
「やっぱりこの帯だと子供っぽくない?」
その言葉に少女も一度は納得しかけたものの、ふわふわと蝶々のように揺れる帯の結び目をちらりと視界の端にとらえると、むう、と唇を尖らせた。
「そんなこと言ったって、うちにある浴衣でリンのサイズに合うのはそれしかないわよ」
「うー…………」
白地に赤い蓮の模様が描かれたその浴衣は数年前に仕立ててもらったもので、その頃から多少は身長が伸びたとはいえ、新しい浴衣を必要とするほどの窮屈さは感じられない。
また大きくなっても着られるようにと選んでもらったその浴衣の柄をリン自身、とても気に入っていた。
「あ、もう浴衣出したんだ」
そんな問答を繰り返しているうちに、二階の自室にこもって夏休みの課題と格闘していたミクが、「今日はもうやめやめ」と階段から降りてくるなり、縁側に面した部屋で浴衣に身を包んでいるリンを見て、ぽつりと呟いた。
「お友達と花火大会に行くんですって」
「あっ、ミク姉。ねえ、変じゃない?」
「え? すっごく可愛いよ。食べちゃいたいくらい!」
……ミク姉はときどきおかしなことを口走るなあ、と反応に困っていると、すぐ隣からルカの呆れたような溜息が聴こえてきた。
「髪もアップにしたんだね」
「うん。でもいつもと違うから変なかんじ……。やっぱり下ろした方がいいのかな」
そう言って、リンは先ほどからしきりに首の後ろあたりを気にしていた。普段は肩に触れるくらいの長さで子供特有の柔らかさを残した髪は、今は頭のてっぺんで漆塗りの髪飾りに束ねられている。いつもは隠れている頬の輪郭や首筋が見えてしまうのが恥ずかしい。そんな風に。
「えーっ、絶対にそのままがいいって! そっちのほうが大人っぽいよ?」
「……そう、なの?」
大人っぽい、という言葉にリンは快い反応を見せる。それを微笑ましそうに見つめながら「そうね」とルカも頷いた。
「いつもは見えない無防備な項に、男心はグッと来るんだから!」
「……ミク。あなたちょっと黙ってなさい」
子供相手に変なこと吹きこむんじゃないの、と叱り始めたルカとそれを聞いて首を垂れているミクをよそに、リンはミクの言葉を頭の中で反芻させていた。
……男心。
「じゃあ、このままでいい」
それから少しだけ俯いて、項に触れながら素直にそう呟いた。あまりの素直さに、さっきまでの問答は何だったんだとルカは呆気に取られたあと、ああそういうこと、と唇に笑みを浮かべる。
「気になる男の子でもいるの?」
「そんなんじゃ……」
ない。と続けるつもりだった声は、もごもごと唇を動かしているうちにどこかに消えてしまった。
それから慣れない下駄に何度も躓きながら待ち合わせ場所へ向かったリンは、花火大会の会場からは少し離れた場所にある神社の鳥居の前に立っている少年の姿を見つけると、急ぎ足になった。
「遅い。他の奴らはとっくに来てるよ」
いつもの制服ではなく私服を着ている同じクラスの少年──レンは、途中で転ばないようにと足元に気をつけて駆け寄ってくるリンの姿を見るなり、ぶっきらぼうに声をかけた。
「お、遅いって……待ち合わせの時間どおりじゃないの?」
「……まあ、そうなんだけど。先に屋台見て回るって、俺だけ残して行っちゃったよ」
「ええっ!?」
ひどい。いくら早く行きたいからって先に行っちゃうなんて。
もしかして仲間外れにでもされてるんじゃないのあたし。いや、それを言ったらレンも同じような状況になるんだけど。
「早く追いつこうぜ。どうせゲームのところにでもいるだろ」
「う……、うん」
そんな不安に気付いてか、レンは花火会場への近道になっている神社の階段を早足で駆け上がっていく。
リンもすぐにその後ろ姿に追いつこうとしたが、浴衣の裾が足にまとわりついて、あまり早くは歩けなかった。
「ま、待っ……て」
「……ん? ああ」
しばらく進んでからそのことに気が付くと、レンは少しだけ歩みを遅らせた。
「女って面倒くせーの」
「うー…………」
一段上がるごとに息が上がる。汗が滲んだ肌に髪がはりついて気持ちが悪い。
せめてあたしが追い付くまでは足を止めてくれてもいいのに、と恨めしい気持ちを抱きながら、ようやく階段を上がりきった、その直後。
「ほら」
「え? きゃっ……!」
頬に冷たい瓶のようなものをいきなり押し付けられて、リンは小さな悲鳴を上げる。
「……あ。ラムネ」
視界をよぎる水色に、それが何なのかはすぐに分かった。夏を閉じ込めたみたいな瓶の中で、炭酸の小さな泡が浮かび上がっては、すぐに弾けて消えていく。
「屋台といえばコレだろ」
どうやら階段を上がってすぐの場所にあったジュース屋で買ったらしいそれを一本手渡して、レンは自分のラムネに口をつけた。
「あ、りがと」
すぐにリンも受け取ったラムネを両手で傾けて飲みはじめた。喉がカラカラに乾いていたので一気に飲んでしまいたかったが、普通のソーダ水よりも炭酸がきついのでうまく飲むことができず、何度か噎せそうになる。それに飲み口のところで詰まってしまうビー玉もとんだクセ者だった。
それから「んく、んく」と小さな子供のように苦しそうな音を立てて飲んでいるリンの姿を、すでに飲み終わってしまったレンは退屈そうに見つめていた。
「ヘタクソ」
「う…………」
男の子って、どうしてこう無神経なんだろう。そんなことを考えていると、また丸いビー玉が飲み口に詰まってしまう。
「しっかし、この人の多さじゃ見つけようにも見つからないんじゃないか?」
「…………だね」
花火会場に近付くにつれて隙間がないほど密集していく人の波に、二人はすでにうんざりした様子で呟いた。この中から知り合いを探すなんてかなりの難易度なんじゃないだろうか。
「ったく、アイツらも変な気ばっかり回しやがって……」
「え?」
「何でもない。それより早く飲めよ」
「う、うん」
どこか苛立ちを含んだレンの声に、慌てて残りのラムネを飲み干した。今度はビー玉も炭酸も詰まらなかった。
そのかわりに、別のものが喉の奥で詰まっていくような感じがした。
……何だか今日のレンはそっけないような気がする。
自分の思いこみでないのなら、少し前まで自分とレンはかなりいい雰囲気だった、とリンは思っていた。
お互いのことをかなり意識しながらも、それに気付かないフリをするような、微妙な距離感。
だけど微妙な距離で保たれていたものは、いきなり崩れてしまった。何を伝えたわけでも、伝えられたわけでもないのに。
そしてその理由がまったく思い当たらないわけでもなかった。
(ねえ、もしかして)
(あのウワサを気にしてるからじゃ、ないよね)
それは誰が流したのかも分からない、根も葉もない噂。
「リンちゃんって隣のクラスの……君と付き合ってるんだって」
「一緒に手を繋いで帰ってるところを見た人がいるって」
「私が見たわけじゃないけど、友達の話だからきっと本当だよ」
「もうキスまでしちゃったとか」
噂は自分の知らないところでどんどん尾ひれはひれを含んで、ちょうどそこの屋台の水槽にいる育ちすぎた真っ赤な金魚みたいに、もう誰の手にも負えなくなってる。
違うの。そうじゃない。
なんて、どうしたら言えるんだろう。聞かれてもいないのに。
「…………っ、」
どうしようもない焦燥に、唇を噛んだまま下を向いた。自分でもどんな顔をしているのかは分からない。
そんなリンを見て、レンはしばらくは何かを言いだそうとしていたが、結局は何も言い出せずに少し前を歩いた。
すると今にも泣き出しそうな顔をして、それでも背中だけは見失わないようにしていたリンの目の前に、ふいに赤くて丸いものが差し出された。
「ん」
「…………へ?」
「さっき、言いすぎたから」
……何だろうさっきから。とりあえず食べ物を与えておけば機嫌が直るとでも思っているんだろうか。
「……っ、はは。ありがと」
泣きたいような笑いたいようなおかしな気持ちで、リンはその子供だましみたいに赤くて丸いリンゴ飴を受け取った。
でも見た目ほど美味しくないんだよね、これ。
そんなことを考えながら口に含んだそれは、今までに食べた中で一番甘くて酸っぱい味がした。
「どこにいるんだろうね。みんな」
「さぁ……」
みんな、と口にした瞬間に、それに応えるレンの声がわずかに低くなった。置いていかれたことを怒っているんだろうか。
「もう来年になったら、みんな別々の高校に行ってるんだよね」
「まあな」
「ちょっと寂しいな」
「会おうと思えばいつでも会えるだろ。その気があれば」
「そう、なんだけど……」
たぶん女の子同士なら、本当の仲のいい子とは学校が変わってもまた会ったりできるだろうけど。
相手が男の子の場合は、そうもいかないでしょ?
「ねえ、レンは」
「え?」
必死に押し出した声は、どうしようもないくらい震えていた。だけどこれが最後のチャンスだと思った。
きっとこの夏休みが終われば受験でそれどころじゃなくなって、そのまま卒業まで何もできずに終わってしまう。誤解をとくことも、何かを伝えることも。
「卒業しても、あたしと──……」
また、こうして会ってくれる?
声はたしかに喉から出ていた。みっともないくらい掠れた声。
そしてそれはレンの耳に届くよりも先に、打ち上げ花火の音に持っていかれてしまった。
「……え、何? 花火の音で聞こえな……」
「いいの」
暗い夜空に打ち上げられる、大輪の赤い花。火薬の匂いが鼻につく。
もう、いいの。
首を振って呟いた言葉すら、次々に打ち上げられる花火の音にかき消されて、ひとつも君には届かない。きっとそういう風にできている。
だからけっして届くことはないこの気持ちのように、空を焦がしてくれればいいと思った。騒々しい音に紛れて、気持ちを伝えるのもこれが最後。
「本当はずっと、君のことが好きでした」
End.
初恋は叶わないからこそ眩しいのです。
夏ですねお祭りですね。浴衣(これ書いたあとに知りましたけど、今は大人でもへこ帯つけるんですね)でラムネでリンゴ飴ですね。好きですとも。大好きですとも。
そして友達以上恋愛未満な甘酸っぱい話も。そりゃあ好きですとも。書いている人間の趣味にのみ特化したお話でした。
……そして私は報われない話と同じくらい、はっぺーえんど好きでもありまして。(さらにバッドエンド好きでもあるのですが、それはさて置き)
書きはしたものの、これいるのかしら、いやいや入れないほうが綺麗にまとまってないか、とも思うのですが。
せっかくなのでオマケとしてその後(というか直後)の二人です。
花火の音に紛れてずっと言い出せずにいた気持ちを口にしたあと、それでもまだうまく消化しきれない気持ちを胸に抱えたままで、花火を眺めていた。
そんなリンの近くを通りかかった一人の少年が、しばらくその横顔を見つめて、少し驚いたように声を上げる。
「……あれ、リンちゃん?」
「──ク、クオ君?」
それは隣のクラスの男の子で、住んでいる家が近いこともあって、リンとは小学生のときから親しい関係にあった。
「浴衣、よく似合ってるね。いつもと全然雰囲気が違うからすぐには気付かなかったよ」
そう言って意味もなく髪に触れてくる少年に、クオ君がこんな風にすぐ触ったり引っ付いたりしてくるからあたしと付き合ってるなんて変な噂を立てられるのよ、とリンは思わず憤りをぶつけたくなった。
悪いのは無責任な噂を広めた人たちで、クオ君が悪いわけじゃないというのも、もちろん分かっていたけれど。
「……と、レン君。二人してこんな近場でデート? やるねぇ」
「ち、ちがっ……!」
これ以上おかしな噂を立てないで欲しい。リンはすぐに否定しようと声を上げたが、それを遮るように──、
「そうだよ。だからジャマすんな」
「…………へ」
否定するどころか明らかに誤解を招く(というか肯定しているも同然の)レンの言葉に、リンは呆けた声以外には何も口にできなくなった。
「ふぅん。じゃあまた今度ね」
するとクオは何かを察したように小さく頷くと、リンの髪にもう一度だけ触れてから、その場を立ち去った。
「え、えっと……」
いったい何が起こったのか分からず戸惑っていると、遠ざかっていくクオの後ろ姿を睨みつけながら、レンがゆっくり口を開く。
「……あいつと付き合ってるって本当?」
「ち、違うっ! 全然違う!」
するとリンは周囲にいた人間が驚いてしまうほど大きな声で叫んだ。
「そっか」
「…………うん」
あまりに必死すぎて後から恥ずかしくなってしまったが、どうやらそれを尋ねたレンも同じように恥ずかしかったらしく、二人は目の前で打ち上がる花火を見上げることもせずに俯いてしまった。
どうしよう。もう二度と伝えることはないと思っていたはずの気持ちがまた喉のあたりまでやってきて、今にも飛びだしてしまいそう。何度弾けてもまた浮かび上がってくるラムネの泡みたいに。
打ち上げ花火はどうやら次の仕掛け花火の準備のために中断したらしく、空は静まり返っている。今ならきっと、届いてしまう。
「レン、あのね」
口にしかけた言葉は、またしても途中で持っていかれてしまった。今度は花火の音でも誰かの声でもなく、重ねられた唇の中に。
ああ、これなら誰かにジャマされることもなく確実に伝わるのか、なんて冷静なんだか動揺しているんだか分からない思考を持て余し、リンは瞼を降ろした。
End.
オマケをつけたらさらにこっ恥ずかしい終わり方になったよ! わぁい。
あとこれも蛇足ですが、「あいつら余計なことしやがって」とかレン君が言っているのは、噂話のせいで二人の仲がうまくいってないことに焦れた友達が気を遣って二人っきりにしてくれたんですね。むしろグッジョブと言うべきですね。
好きなものだけを詰め込んでいったらやたら長くなりましたが、夏の話を書きたくて書きたくて仕方がなかったので悔いはない! ……本当に夏中毒ですみません。
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夏!!ですね!!夏といえば夏祭りレンリンですねワッショイ!現代パロです。すれ違いウママ。 | ||
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