Je crois rever.
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 エステルはいつも唐突だ。お友達宣言も唐突なら同性同士だというのに恋人宣言も唐突で、確かに淡い友情以上の想いを彼女に対して(同性という問題はひとまずリタにとっては果てしなくどうでもいい部類の問題だ)抱いていたのは事実だけれど、それにしても、恋人である。

恋人、だなんていう、リタにはほぼ縁がなかったであろう言葉も、けれどエステル相手だとまあありかな、なんて思えてしまうのだ。彼女の存在というのは、リタにしてみればすべて唐突で新鮮で理解しがたくて、けれども、一緒にいたいと思える大切な存在。

 それにしても彼女の唐突さには、どうにも慣れることができない。彼女の行動基準とか思考回路がリタにしてみると理解し難いという前提を考慮した上でも、やはり世間一般の人間(リタの知る限りではあるが)と比較してみるとどうにも、唐突、な印象が否めない。

 当然、好きだと告白されて抱き着かれて押し倒されて翡翠の瞳にじっとのぞきこまれてキスされた、のも、唐突だった。

だから、今回もやっぱり彼女らしく、それはもう唐突だった。

「エ、エステル?なんでこんなところに…」リタがとりあえず住居兼研究所を構えているハルルの街に、帝国副皇帝がろくろく共もつけずにフラリとやって来たのだから、いくらリタが研究とエステル以外の世の中の事象にはほぼ興味皆無であったとしても、そりゃあ驚いて当然だ。

 その、護衛もつけずに唐突にお忍び(?)でハルルの街のリタを尋ねた副皇帝ことエステリーゼときたら、愛しいリタの姿を翡翠の瞳に映して認めた瞬間、花の綻ぶような笑顔を満面に称え、きらきらとした光をふりまきながら「会いたかったです、リタ!」とそれは弾んだ声で、抱き着いてきた。

「う、わ、ちょっ!」

 あれから何年か経っているけれども、リタの背丈は相変わらずだ。エステルの背丈が縮む、ということは少なくとも最低三十年くらいは考えられない。だから当然、エステルのいつもどおりだけれども唐突な、悲しいかなリタが唯一未だに恋人となってしてもまず予測不可能な行動を案の定リタの明晰な頭脳は予測も憶測も推測もできず、結果色気のない音を立てて尻餅をついてしまった。

「いったぁ…もうっ、あんたはいつでもそうやって突然なんだからっ!」などと叫ぶリタの頬は、ほんのりと赤かったり、するのだけれど。

「ご、ごめんなさい、リタに会えたのが嬉しくて…」

 申し訳なさそうに、けれどぎゅうう、っと顔をすりよせられて抱き締められて、その後ちょっと顔を離してこくりと首を傾げられたら、もうリタには何も言えなくなる。それがわかっているのかわかっていないのか、エステルときたらにこにことホントウに幸せそうに笑ってるものだからリタの体温は急上昇。

「そ、それは、…その、…あ、あたしも…嬉しい、けど……」どぎまぎしながら喋るものだからどもってしまった。とはいえ、これでも、我ながら随分と感情表現は素直になった方だ、とリタは思う。相変わらずぱぁっと表情を輝かせるエステルの顔は直視は出来ないのだけれども、以前ならばこんな風に抱き着かれて体温を感じているというだけで心臓がはちきれそうで、とてもじゃないけれど何かを喋るという事自体が無理だったのだ。つまり、これでも随分と進歩した。

 エステルとてそれはよおおくわかっているものだから、ちいさな恋人の可愛らしい、けれどもいじらしい努力の結果の進歩に、それこそ蕩けそうな笑みを浮かべて「はいっ」と頷く。

 

 が、流石に一般的生活能力ほぼ皆無ついでに常識も殆ど皆無対人関係スキル徐に絶望的な研究一筋な筋金入りのリタもそこではたと気づいた。

 そもそも、エステルは単身帝都を離れて何をしに来たのだ。

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 彼女がソコソコに強い、というかぶっちゃけ帝国騎士団の一小隊くらいは軽くのせる実力がある事は周知の事実であるし、帝都ザーフィアスからこのハルルまでやってくる際になぜか商人の護衛をしてきたこともあったほどである――本人曰くは、一応それが身分を偽った隠密行動であったらしいのだが、まあ、ふつうにバレていた。王室御用達の織物職人だったので口も堅く、そのエステリーゼ様武勇談は皇帝であるヨーデルや騎士団長フレン以外には殆ど知られることはなく済んだのだが、それはまた別のお話。

 兎に角、そういうイミでは安心のお姫様だが、それでも心配なものは心配である。少なくともテルカ・リュミレースには未だ魔物姿は数多く、その被害が減っているという報告は残念ながら城にソコソコ出入りしていても、聞いたことがない。

 それに何よりも、用事があるならばその旨を手紙に認めるなり伝令を寄越せばよいのだ。公私混同だろうけれど別にそんな手紙は巡礼のついでだってよいわけだし、御用達の行商をひっつかまえたっていいわけだし。

 それこそ会いたいという理由でも別に怒らない。リタにしても、そう遠くはないとはいえ離れて過ごすことが辛く感じられる昼とか夜とか夜とかあるわけだし。そうじゃない時もあるけれど、最近はエステルを差し置いておけるような急でかつ興味を引かれ夢中になるような研究対象は、残念なところ発見出来ていない。

 そうなると、リタの興味は専らエステルである。色々な意味で。とにかく、会いたいというのはリタも同じなのだから、単身わざわざ危険を冒してエステルがハルルくんだりまで来る必要性は……そもそもリタが赴けばよいだけの話なのだが、リタはちょうが付くほどの出不精な上に筆不精、研究以外の事柄に夢中になったこと自体が人生において初めてなので情状酌量の余地がないわけではない、のだ。

 リタは、徐に深呼吸した。出来ればひっついてるエステルを引き離した方が精神安定上よろしいのだけれど、こうしてくっついているのも別に嫌いではないので(エステル限定だけれど)それはやめることにした。どうせ力じゃかなわない。

「あ、あのさー……エステル?」

「はい?」こくりとまた首を傾げる様が兎に角かわいい。年上なのに、その表情は反則。思わずぐっと息を呑んでしまう。つやつやした肌は白くてほんのり桜色でキレイだし、翡翠の瞳はついじっと奥を覗き込みたくなるし、何よりも柔らかそうな桃色の髪の毛がさらりとゆれて、なんだかリタは目がちかちかしてしまう。実際に眼と眼の間で星が飛んだ。けど、それはずっと薄暗い部屋で文字ばっかり睨んでいたからだ、と自分に言い訳をした。

「えっと、…その!あんた、何しにきたのよ?」

「あ!」そこで、エステルはようやく当初の目的を思い出したといわんばかりにリタを抱き締める腕を離して、ぽん、と両手のひらを合わせる。「忘れてました、リタ!温泉、いきましょう!」

「………はぁ?」

「温泉、です!だって、私たち、実はふたりで旅行とか、したこと、ないじゃないですか!」にっこにこと満面の笑みで、エステルは言い切った。

 

 

 

 

 

 

「だからってなんで…」

「あら?リタは、嫌だったのです?」少ししゅんとなって、なんだか悲しげな仔犬の目をされてしまい、リタはうう、と呻った。

 エステルのことは当たり前だけど嫌ではない。どころか二人きりの旅行だなんて嬉しくて仕方ないのだ、そりゃエステルほど表に出して喜びはしないけど…などととりあえずひとしきり心の中で言い訳をしてから「違うわよ、嫌なんじゃないけど!」と半ば叫ぶように言った。

「なら、よかったです!」やっぱり、喜びのあまり抱き着いてくるエステル。

「だぁっ、だからっ、あんたはっ!」が、まったくもって言いたいことを巧く言えないリタ。実に、悪循環。

 こんな嬉し恥ずかし少女同士のキャッキャウフフを街道で繰り広げていたとて、なにせ片やいかにもいい所のお嬢様育ちと言わんばかりに天真爛漫な笑みを惜しげもなくふりまきまくる少女、片やぶすっとしてて愛想がないのが玉に瑕だが、少年のようなすらりとした体型に少し大きめの猫目は知的で溌剌とした短髪の少女、別段視覚的に害になるどころか可愛い子同士の睦言である。

 とりあえず、この年頃の女子にありがちな、いささか過剰気味ではあるものの友情に基づくスキンシップの一貫と凡そ世間は見做してくれようか。溜息混じりにそんなことを考えつつ、リタははあ、と少女らしからぬ溜息をつく。エステルは勿論、そんなことは髪の毛一本ほども考えてはいない。

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 閑話休題。

 テルカ・リュミレースで温泉といえばイコールユウマンジュ、金持ちの好事家達が好んで利用するなんだか異世界の風情をかもし出す某所であるが、兎に角法外な利用料金である。

 何もそんなセレブな場所に敢えて何度も何度も行く理由もない。

 リタとて決してああした場所が嫌いなわけではないのだが、あそこでなければならない理由もない。

 何よりあそこだと確実に知り合いに会いそうな気配が濃厚なのだ、別に、これといった確実な原因があそこに存在しているわけではないのだけれど。あのレイヴンとかいう神出鬼没のおっさんとかおっさんとかおっさんとか、おっさんとか。

 などとエステルが同じことを思ったのかどうかは兎も角も、二人がこうしてきゃっきゃうふふじゃれあっているのはかの高級温泉施設ではなく、元の名前を学術都市アスピオ、つまりはリタのかつての棲家であった。

 色々あって都市機能そのものがぶっつぶれてしまい、そこに住んでいた住人らは元々帝国の出先機関でもあったことからだいたいは帝都ザーフィアスにその活動拠点を移していた。或いは、リタのように帝都近くの都市部に住まい、或いはまだ見ぬ秘境(?)或いは未踏の地を目指して旅立った。なにせ、旧アスピオの住人ときたらすべてにおいてまず優先すべきが己の学問を深めること、恋人がわめこうが親が危篤になろうが一度これと定め決めた学問を探求を捨てる或いは諦めることは決してないのだから。

 そうした人々の中に、この研究都市跡をフラリと訪れた者がいた。

 彼あるいは彼女の研究は、この旧アスピオという場所そのものであったのだ。確かにアスピオという都市自体がそもそもまるごと遺物であり、特殊な場所であったことはいうまでもない。そして彼あるいは彼女は都市が丸々浮上してぶっこわれたその後も変わらず研究を続けた。結果、出てきたものがこのエアルに中途半端に満ちた温泉である。

 全く冗談みたいな話なのだが本当だ。

 かつては都市の入り口であった場所は崩落してしまったが、かの都市の裏口はまだ生きていた。そしてそこから入り込みしばらく薄暗い洞穴を一定間隔でとりつけられたほのかな魔導灯を頼りに進んでゆくと、唐突に光が差し込んでくる。続けて、むわっとした湯気と妙な臭いのするエアルが立ち込めた空間が現れる――これこそ、帝都ザーフィアスの奥座敷といわれる旧アスピオ温泉だ。

 ついでに、ここは元々あった天井は派手にぶっこわれて風穴があいており、まあそれなりに空も拝めたりする。急に光が差し込んでくるのも、要するにそのためだ。

 誰がそんな適当な名称をつけたのかは不明である。そもそもここの研究をしていた人間の名前はおろか性別も不明なのだが、それはともかく旧アスピオ温泉は政務の傍ら骨を安めに来る貴族や議員や騎士などで常に繁盛していた。

 三ヶ月ほど前に、幸福の市場がいよいよその存在のおいしさに眼をつけてからは、庶民的な利用し易い公共浴場とちょっと贅沢をしたい小金持ちを対象としたそれとに分かれ、さらに謎のアスピオ名物温泉饅頭やら温泉卵やらほぼでっちあげの土産物屋なども立ち並び、ちょっとした温泉街の風情である。

 などと、そんな話は幾度も聞いていたものの、こうして目の当たりにするのは初めてであるリタは、いざ旧アスピオ温泉街に足を踏み入れるやぽかーんとあたりを見回してしまった。

 それはそうだろう、なにせ、見慣れた?筈の場所が(理屈では既にあの記憶に留められた場所ではないということはわかってはいるものの)なんだか全く違う、上によくわからないものに変化していればむしろ当然の反応である。「わぁ、にぎやかです!」などとはしゃぎながらリタの腕をひっぱるエステルの声や様子も頭に入らず、ただ、呆然としていた。

 子供のようにはしゃぐエステルに連れられてなんとなくぼんやりと歩いてゆけば、あれよあれよと次々に視界に飛びこんでくるものは、記憶と視覚を拡散してやまぬそれら――全面ガラスの扉で店内が丸見えな意味不明なものを売り込んでいる土産屋であったり、温泉の蒸気でふかしたとかいうできたてほかほか饅頭を軒先で売る中年女性であったり、ユウマンジュでも備え付けてあった「浴衣」なる薄手の衣装に身を包んだ若い女性の集団であったり、薄暗さは旧アスピオと同じながらその趣はまったく異なる、ユウマンジュとは違う意味で現実世界とはかけ離れた異空間である。

 ここまで別物になっていると、だがいっそ清清しい気もした。

 あの暗くて陰鬱でかび臭かったアスピオが懐かしくないわけではないけれど、別に好きだったかどうかというと、結構どうでもいい。そういう感覚は憶えたためしもない。

 それに、なによりも今はエステルと一緒なのだ。

 そこで、リタははっとなった。研究がらみならば電光石火の頭脳も、対エステルとなるとその頭のキレときたら亀の歩みのごとく鈍い魔導少女である。何も言わなかったし特に意識もしなくて当たり前みたいにしていたけれども、リタの手はエステルに繋がれっぱなしなのだ。

 急に、リタの頬にカっと血が上った。繋いでいる手まで熱くなり、ついでに妙な汗をかいてきて、心臓がどきどきしてくる。汗っぽくなっているのはこの妙なエアルと湿気のせいだと言い訳はできるのだけれども、こんなに心臓をばくばくさせていたら、繋いでいる手から伝わってしまうのではないか。そうは思いながらも、けれどもじゃあ手を離したいか、というとそういうわけでもない。むしろ、離したくはない。こんな風にエステルにひっぱって行かれることは嫌いじゃないし、一緒の歩調で歩く(ひっぱっていかれてるけれど)のだって結構楽しい、と思う。

 が、こうして歩く度にいちいち早くなる動悸とか、気づかれたらどうしよう、とその先を想像するとさぁっと背筋が寒くなるあたりとかは、お世辞にも楽しいとは言難くて、つまりこの状況がずっと続いて欲しいと思いつつそうなったら自分の心臓はどうなるのかわからない恐怖のようなものが、リタの脳内のほぼ百パーセントを占めているのだ。

 離れたくない。離したくない、離してほしくはない、けれど、恥ずかしい。まさに嬉し恥ずかし乙女心真っ只中。

 が、エステルときたら以下略。

 「あっ」何やら彼女の全方位満遍なく発信されているポイントがいまいちよくわからない興味を引いたものが彼女の心を捉えたのか、リタの手を握ったまま駆け出した。「わ、ちょ」文字通り、引きずられてゆくリタである。

「リタ!あれ、おいしそうですよ!!ほら、蒸かしたて、です!」

「だから何よっ!」

 エステルの目を引いたのは、「アスピオ温泉の蒸気で蒸かした名物!アスピオ饅頭」である。名物も何も明らかにでっちあげくさいシロモノだが、確かに目の前のむしろの中に等間隔に鎮座してほかほかの湯気をまとうそれは、周囲の空気感もあってかひどく食欲をそそる。色が二種類あるのは、どうやら中身が違うから、らしい(とお品書きにかいてあった)。

「それ、ひとつずつ、下さい!」リタの手を握ったまま満面の笑みで告げるエステルに、これまた満面の笑みで「はいよ」と返し、店員は徐に蒸気の中から色の違う饅頭を一つずつ取り、薄手の紙でささっと包んで手渡す。「いいのかい?一つずつで」さりげに二人の少女を一瞥し、倍売りつける気満々な商売人根性は流石である。が、エステルはきっぱりと首を横に振り「大丈夫です」と饅頭二つ分の代金を手渡す。店員もそれ以上売りつける気はないのか、「熱いから、気をつけるんだよ」と付け加え愛想を精一杯に振りまいた。

「はい、リタはこっちです」にこにこしながら、見るからに熱そうな蒸かしたての饅頭を一つリタに差し出すエステル。どうやら、白いものがふつうの餡で、茶色のものが味噌餡のようだ。リタ的には別にどちらでも構わなかったのだけれど、それでもなんとなく受け取るのを躊躇していると、こくりとエステルが首を横に傾げて「両方半分こ、です」そう言って徐に自分の手の中にある茶色の皮の饅頭をぱくりと頬張った――小さめのそれを、丁度半分。エステルの口がもごもご動き、やがてこくりと飲み込む様をなんとなくリタは凝視してしまう。別に、やましい想像とかしてないんだから!胸の中でそんな言い訳もしながら、一方エステルから受け取った饅頭をこちらも頬張る。ふんわりとしたよい香りとこしあんのほんのりした甘さが口の中に広がる。

「ん、……おいしい」なんとなく上がりつつあった体温を誤魔化す為にそんな事を言いながら口を動かすが、美味しかったのも事実だった。特に甘いものが好きとかではないけれど、このくらいの甘さは脳を活性化させるためには丁度良い気もする。

「はい、それじゃ、半分こ、です」

「うん……」なんとなくそう言われるままにお互いが半分食べたものを交換して、そのまま口にして塩っけを含んだ甘味をリタがもごもごと頬張っていると、エステルがさっと顔を寄せて唐突にとんでもないことを口にした。

「ふふっ、これ、間接キスですね」

「んぐっ」うふふ、と笑うエステルの頬がほんのり赤らんでいたのだけれども、リタにそれを確認する余裕はなかった。口の中にあったものを思い切り飲み込んでしまったのだ。

「あ、も、突然、何言ってんのっ!」顔を真っ赤にしつつなんとかそれを飲み込み抗議するリタなどどこふく風、少し頬を赤らめたまま上品に饅頭を頬張るエステルが、この時とても憎らしいと思いつつ、それでもやっぱり適わないなあ、と嘆息する魔導少女であった。

 

 

 

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 そんなこんなでエステルの気ままに任せつつ、ようやく辿り着いた温泉宿らしきものは、大変風情があった。

 なにせ元アスピオである。元アスピオは学術閉鎖都市だなんてあまり誇らしくも格好良くもない、けれども的確な二つ名があり、それはこの場所特有の構造から来ていたのだ。今でこそどでかい風穴が開いてしまって天井もなく空が拝めたりはするけれども、元々は岩盤の柔らかい場所を掘りぬいて掘りぬいて、さらに気合で掘りぬいて作られた都市である。

 その名残がそこかしこに残り、夕闇に朧に浮かび上がる陰影と掲げられている魔導灯の明度も相まって、ひどく現実離れした幻想的な空間になっているのだ。

 いわゆるエアルクレーネに少し近い気もする。きらきらと、空中を漂うエアルは確かにそれに近のだが、身体に有害な濃度ではない。有害だとすればいささか刺激のあるこの臭いだろうが、我慢できないわけでもなかった。そんな空間の中にあるのっぺりとひらべったくて横長な木造の建築物が、目的のお宿だった。

 ささっと受付を済ませて、今は二人のんびりと、こじんまりとした部屋でくつろいでいる。そこから見えるユウマンジュ風の庭園は、掲げられている特殊な形状をした魔導灯の光も相まってかまあそれなりに風情があり、部屋の広さもリタ的には丁度良い。広すぎず狭すぎず、である。

「へえ…なんとなくユウマンジュのあそこに似てるけど、でも、もっと合理的だし機能的だわ」リタなりの、これは褒め言葉だった。というか、そもそもあそこは金を持っている暇人の為に最高に無駄におもてなしと贅をつくしたような場所なので、明らかに庶民を対象にしているこことは比べる意味は皆無なのだが、それでもリタなりの褒め言葉にエステルは目を輝かせた。

「きっと、リタは気に入ってくれると思ってました。それじゃ、お風呂行きましょうか」

「は、ええぇ?」心の準備がまだできてないわよっ!と心の中で叫ぶが時既に遅し。エステルはとっくにスタンバイ出来ている。そういえば、部屋に着いてからすぐさま「ご飯の前に温泉に行きましょう」とか言っていたような気もする。寛ぎすぎてすっかり忘れていたけれど。

「ちょっと、待って、今、準備するからっ」

「はい、わかりました」

 

 

 

 情けない、まったく、情けない。

 けど、悲しいかなあの時のレイヴンの嬉し恥ずかし期待で胸がドキドキ☆な感覚が理解出来てしまう。だから、尚更情けないのだ!誰彼構わずその場でわめき散らしたい衝動を、リタは必死に抑えていた。

 時間的にも些か早いからなのか、幸い脱衣所はエステルとリタ以外の人間はいなかった。

 最初はお互い気にもせずに服を脱いでいたのだが、ふとリタが隣に視線を向けると、肌着一枚+下着姿のエステルの肢体があり、クラリと眩暈がした。日焼けもしない素肌は真っ白くてきめ細かで、さわったら吸い付いてきそうな気すらする。首筋から鎖骨、そしてその下へと向かう艶かしい曲線もリタのものとは比べ物にならない。ジュディスほど強烈ではないけれども、リタにしてみればエステルくらいが理想的だと思うのだ。

 が、期待はしつつも羞恥心その他で、やっぱりどこか居たたまれなくなってしまったリタは、「先に入ってるから!」と慌てて下着を外して裸になり、タオル一枚で風呂場に駆け込んだのだ。その時エステルが何かを言いかけていたのだけれど、聞いている余裕なんか、あるわけがなかった。

 顔だけでなく身体中がかっかしてきてたまらなくて、ええいままよと修行僧ばりにリタは風呂桶に溜めたお湯をざばりと頭から被る。それでも、水ではないので当然頭も身体も冷えるわけがない。

「はー……お湯にでも、つかっちゃおう…」

説明
エスリタエス温泉デート話。同人誌「Je crois rever.」の冒頭サンプルです。
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