新生アザディスタン王国編 第一話
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新生アザディスタン王国編 第一話

 

 ニュース番組の画像。

 海上を航行する複数の軍艦の空撮に、白人女性キャスターのバストショットがワイプされている。

『先日の政府決議を受けて、地球連邦軍スポークスマンは平和維持軍の紅海への展開を完了したと発表しました。平和維持軍の主要編成は、独立治安維持部隊アロウズのモビルスーツ部隊で構成されており、紛争の早期沈静化が期待されます』

 別のモニターには、ジュネーブの国連本部を背景に黒人男性キャスターの映像がある。

『今回の治安出動は、アザディスタン王国のマリナ・イスマイール王女暗殺疑惑に端を発した、旧クルジス人との武力衝突が急速に悪化、国内紛争に拡大したための出動です。当局筋の情報によりますと、部隊の展開が完了する12時間以内に、アザディスタン領内への大規模な空爆が行われるとの見方が有力で――』

 青いパイロットスーツに身を包む青年は、モニター類から振り返ると、決然とした面持ちで宣言した。

「ヴェーダがなくとも、俺たちのなすべき事は変わらない」

 ソレスタルビーイングのガンダム・マイスターの一人、刹那・F・セイエイである。

「それでいいのね? 刹那」

 慎重に問いかけたのは、戦術予報士、スメラギ・李・ノリエガである。

 もちろん、刹那の決意は変わらない。

「そうだ。新生アザディスタン王国に対して武力介入を行う」

 

***

 

 時間は1年3ヶ月ほど遡る。

 西暦2312年。4年間の沈黙を経て再び武力介入を開始した私設武装組織ソレスタルビーイング。

 アザディスタン王国第一皇女であるマリナ・イスマイールは、以前ソレスタルビーイングのガンダム・マイスターである刹那・F・セイエイと関わった事から連邦保安局に更迭されてしまう。

 時期を同じくしてソレスタルビーイングは、ガンダム・マイスターの一人である、アレルヤ・ハプティズムが監禁されている連邦収容所を強襲する。

 その際、偶然にも同じ施設に軟禁されていたマリナ・イスマイールも救出される。

 しばし彼らと行動を共にするが、マリナはアザディスタン王国への帰国を決意する。

 ソレスタルビーイングに関われば、連邦政府にマークされるのは必定である。それでも危険を覚悟のうえでアザディスタン王国へ向かう刹那とマリナであった。しかし彼らが目にしたのは、炎につつまれた国土と、真紅のモビルスーツ、アルケー・ガンダムの禍々しい姿であった。

 

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***

 

 カタロンの支部に引き返したマリナは、友人であり以前は王宮での側近でもあった、シーリン・バフティヤールと向き合っている。

「都市部の主要施設は、そのほとんどが破壊されていたわ」

 ようやく落ち着きを取り戻したマリナは、ぽつりぽつりとアザディスタン王国で見た惨状を語りはじめる。

「警察も、軍も機能していなかった。それでも私はあの国に……、ラサーに託された国を」

 落胆の度合いが痛々しい。

 真紅の炎に染め上げられ崩落する建物以外に動くものはなく、まさしく焦土と化した故国を目の当たりにすれば、その衝撃は、その悲しみはいかほどのものだろうか。いつも厳しく現実を指し示すシーリンですら気遣わずにいられない。

 自然、マリナをいたわるような口調になる。

「よく戻ってきたわね」

「刹那が、強引に」

「彼に感謝しなきゃね」

 しかし、マリナを取り巻くのは悲しみだけではなかった。

「私は死んでもよかった、アザディスタンのためなら……、私は……っ!」

 悲痛な叫びだった。このように彼女が感情を露わにするのも珍しいことだった。

 己の無力さに対する怒りだろう。叫び、震えて、泣き崩れる。

「マリナ……」

 マリナを支えるシーリンの表情も重い。

 皇族として祭り上げられ、本人の資質など無視されたまま、政治の舞台に立たされたマリナである。

 シーリンはまさしくその傍らに立って、その姿を見てきた。

 取引材料の持ち合わせもなく援助だけを取り付けるための、まさしく「物乞い外交」を押し付けられた。

 政治家の資質なぞ皆無であったマリナだが、それでも彼女はよくやったとシーリンは評価する。

 経緯はどうであれ、国連の援助を取り付けたのは確たる実績であるし、もとより『自分でしか出来ない事だから』と、自身の立場を律して、周囲の期待に答えようとする真摯な姿勢をシーリンは評価したのだ。

 音楽家としての自分の夢を捨て、王国の再建だけに尽力してきた。

 マリナの悲しみや悔しさはいかほどのものであろうか。どのような苦境であっても前向きに生きようとする彼女ですら、己の命を引き換えにと言わしめるほどなのだ。

 それを思えばシーリンも知らずに下唇を咬んでいた。

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「あの……」

 遠くで聞こえた女性の声にシーリンが振り返った。

 室内の明かりは落とされていたので、入り口に立つ影がはっきり見える。

「だれ?」

 シーリンはするどい口調で問う。

 影は一人だった。足元はブーツ、脇に下がるホルスター、右手に携帯通信機を持っているようだが、シルエットから難民ではなく兵士である事はすぐ知れる。

 むしろシーリンが警戒したのは、気配を感じさせない相手の所作だ。暗い部屋で唯一明かりの差し込む入り口に立たれて、声をかけられるまで気づかなかったのだ。

「マリナ様に少しお話が」

 控えめな口調の人影は入り口から動こうとしない。やはりカタロンのメンバーとは違う雰囲気がある。

 レジスタンスと呼ばれる種類の組織が形成される初期段階に見られる傾向として、軍律を生理的に敬遠するという特徴がある。世界規模の組織に成長したカタロンであるが、その傾向を未だ根強く持っている。

 例えば今の状況なら、大抵のメンバーはそのままこちらに歩み寄ってくるだろう。悪い言い方をするなら馴れ合いなのだが、仲間意識が強いとも言える。

 シーリンが以前から気に掛けていた事柄だったので、違和感として引っかかったのだ。

 組織として最も洗練されているのは結局のところ軍隊だ。連邦軍に打ち勝とうとするなら、わだかまりは捨てなくてはならないと、シーリンは考えていた。

 涙声ながらも、姿勢を正したマリナは毅然と答えた。

「はい、どうぞこちらに」

 許可を得てようやく室内に踏み入った人影は、マリナとシーリンを見据える位置で立ち止まる。

 褐色の肌をもつ中肉中背の女性だ。おそらくアラブ系なのだろうが、なんというか、全体的に印象が薄い。『特徴のなさ』が印象になってしまうような、捉えどころの無い人物だ。

 ただ、声量がなくとも良く通る声音が特徴といえるかもしれない。シーリンの立ち位置から入り口まで5メートルはある。目の前の女性は、最初は入り口に立ってつぶやくように呼びかけてきたのだ。

「バフティヤール様もご一緒にどうぞ。いまや数少ないアザディスタンの方ですものね」

 シーリンの眼差しの鋭さが本物になる。

 アザディスタン王国の一件は、カタロン内部でもまだ広まっていない。

 同じくマリナも察したようで、目の前の女性を怪訝な眼差しで見据えている。

 シーリンが口火を切る。

「誰なのアナタは?」

「失礼しました。わたくし、サーミャ・ナーセル・マシュウールと申します。とはいえ、今はわたくしの名前なんてどうでもいい事なのですけどね」

 表情を緩めているが言っている事はかなり怪しい。

 シーリンはマリナを守るようにサーミャの前に立った。目の前の女はカタロンではないと言っているのだ。

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 サーミャは手にしていた通信機を掲げて見せる。

「わたくしの用向きは大したことではありません。マリナ様とお話したいという、とある人物にお繋ぎしようと訪れたまでです」

 そう言って、彼女は適当な高さに山積みされた資材の上に通信機を置いた。

 いくつか操作してスピーカーフォンに切り替えると、すぐに声が聞こえた。

 中年男性。流暢な英国英語と品の良い口調は社会的地位の高さを感じさせた。

「マリナ・イスマイール皇女殿下でいらっしゃいますかな? わたくし7姉妹評議会の対外事業戦略室室長を務めますザザーレム・アズディニーと申します。火急の用件にてこのような形で挨拶させていただくことをお許し願いたい」

 充分に配慮された物言いである。しかし、あえて音声のみで通話しようとするのは、シーリンのみならずマリナも気に掛かるところであった。

 ともあれ、なんらかの理由があるのかもしれない、今はともかく用件を聞かなくては何も進まない。

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「はじめましてアズディニー殿、わたくしはマリナ・イスマイール。また、以前オブザーバーを務めましたシーリン・バフティヤールも同席させています。ご了承お願いします」

「宜しいでしょう。ともあれ挨拶はここまでにして、本題に入らさせていただく。先日のアザディスタン王国襲撃を受けて、連邦政府は暫定政権を擁立します。アザディスタン王国は事実上解体。中東地域再編成の橋頭堡となります」

 ここで間を置いたのはアズディニーの配慮であろう。

 マリナもシーリンもまさしく息を呑んだ。理解が追いつかない。

 マリナはともかく、シーリンですら予想できていなかったのだから。

 なにしろ誰が何のためにアザディスタンを襲撃したのか現在も不明なのだ。

 対外的にはテロと判断されてもおかしくない。であれば、近隣諸国あるいは国連に災害援助と治安の安定化を要請すべきだろう。この場合、状況次第であるが他国の軍隊を領土内に引き入れる事になるかもしれないが、そこは妥協すべきだろう。

 それと平行して実行犯を特定し国際法の元、犯人を罰する。あるいは対象が国家となれば国連を通じて制裁処置など外交手段を講じる局面もあるかもしれない。

 漠然とであるが、シーリンはそのようなシナリオを思い描いていた。

 だが、アズディニーの言う事は、それらの段取りすべてを飛び越したものだ。俄かに信じられない。そんな内なる疑問に応じるように、通信端末の声は続ける。

「そこで皇女殿下には主席執政官として暫定政権を牽引していただきたい」

 その言葉でシーリンは納得した。段取りなど関係ない。すべては織り込み済みなのだ。

 腹の底にどす黒い怒りが堆積していく。同席している立場を弁えず口を挟む。

「連邦政府の傀儡になれと?」

 形式はどうあれ、マリナとの直接会談という場においてシーリンが発言するのは失礼でしかないが、アズディニーは全く変わらぬ平然とした調子で答える。

「そう捉えられても仕方ありませんな。しかし考えてほしい。過去、国連や米国による独善的な政治介入が中東諸国にどれほどの傷跡を残してきたか」

 太陽光発電競争の敗者となった中東諸国には、もはや国際的発言力なぞ皆無だ。

 連邦政府に名を連ねる国、いわゆる国際世論からすれば中東諸国の事情なぞ対岸の火事でしかないのだ。

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 3世紀以上前、ソビエト連邦の崩壊を契機に東欧地域を中心に乱立した独立国家が、貧困にあえぎ、多くの犠牲と引き換えに統廃合を繰り返した血塗られた歴史を、国際世論は黙殺した。あれと同じである。

 いやむしろ、やり口としては植民地政策に近い。支配国に属する領主では領民は従いづらい。だから――

「だから、現地人にやらせると」

「そのほうが再生作業はスムーズに出来るとは思われませんか? むしろチャンスだと考えていただきたい。我々は独自の外交手法をもってして暫定政府運用の主導権を獲得した。あと必要なのは、組織を牽引し国民を先導できるアイドルなのです」

 

 マリナはふらりと立ち上がった。

 ゆっくりした動作で周囲に視線を巡らせる間も、そんな自分を含めて俯瞰できるくらいに意識がフラットになっている。さきほどまで喪失と混乱でどうしようもなく乱されていた自分が嘘のようだ。

 そんな彼女を不安げに見上げるシーリン。

 次にサーミャが視界に入る。無表情で通信端末を見つめている。

 最初に声を聞いたとき、ニュースキャスターのようだとマリナは思った。騒音で周囲が多少うるさくても聞こえそうな声音で、滑舌もいい。

 だが、それ以外に特徴がない。顔立ちも綺麗といえるのだが、やはり印象に残りにくい。

 そんな彼女の目がマリナに向けられた。おそらくマリナの視線に気づいたのだろう。

 途端、サーミャの双眸に感情がこもる。

 見た事のある色だった。

 暗い輝き。

 ソレスタルビーイングの刹那・F・セイエイと初めて会った時の印象が思い出された。

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 瞬間、何かを理解したマリナは、確認するように静かに問う。

「ツォメトなのですね、貴女は」

 サーミャは返事もせず、まるで何事も無かったように、視線を外す。双眸の鈍い輝きすら消えている。逆にシーリンが怪訝な表情で見つめていた。

「マリナ?」

 だが答えない。というより、耳に入ってもいない。

 声だけの男と、表情を繕う女。マリナの推測が正しければ、二人の背景には相克する組織が存在する。

 再び腰掛けなおしたマリナは、迷いのない口調で言った。

「分かりました。アズディニー殿、そのお話お受けいたします」

「ちょっ、マリナ!?」

 反射的にシーリンは身を乗り出す。

「ダメです。返答は後日改めさせてください」

「いいえ!」

 マリナが頑なに否定する。

 ただの強情とは違う。得体の知れない強い意志を感じて、シーリンは語気を緩めてしまう。

「な、なに言ってるの。先方の意図も分からないのに、今返答するのは軽率だわ」

「わたしはアザディスタンを無くしたくない。そのためなら何だってやるし、どんな事でも耐えてみせる」

 マリナの口調は、決して落ち着きを失ったものではない。むしろ冷静さすら伴った強い決意。

 本来のマリナは良くも悪くも周囲の意見を尊重する人柄である。それだけに強行とも思える言動に違和感がある。

(私は死んでもよかった、アザディスタンのためなら……、私は……っ!)

 自らの死の覚悟を口にしたあのときから、マリナの何かが変わっていたのかもしれない。

 そう思いはするものの、素直に受け入れられない。シーリンはちょっとした動揺に陥っていたのだ。

「気持ちは分かるわ。でも、政治できないでしょアナタは」

 だから、このような子供じみた揚げ足を取ってしまう。

 シーリンの心を揺さぶるのは、あの時の記憶を想起させることを無意識に拒絶しているからだ。最後にマリナと正面から意見を対立させたあの日の記憶だ。

 マリナはしばし沈黙すると、伏し目がちにつぶやいた。

「……貴女はアザディスタンを見捨てているのよ」

 ガツン、と衝撃を受けたような錯覚。

 あの日、一緒にアザディスタンを建て直していこうと引き止めるマリナを置いて、故国を去った。

 シーリンは力なく腰を落とした。

「お騒がせしてすみません。アズディニー殿、改めて申し上げます。さきほどのお話、お受けいたします」

「ありがとう。では、評議会の裁定を仰ぎますので本日はこの辺で。以降の作業については別途マシュウールを窓口とするので、宜しく」

 それには応えず、マリナは膝の上に置いた両手を軽く握る。

「マリナ・イスマイール皇女殿下。新たなアザディスタン皇国を共に築いていきましょう」

 アズディニーが締めくくると、通信は終了した。

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 通信端末を片付けるサーミャを気にすることなく、その向こうに見えるシーリンを正面に見据えて口を開いた。

「聞いてシーリン、これは時間との戦いなのよ。一瞬の判断の遅れが破滅につながるほどの」

 マリナとて、シーリンがカタロンに身を置くことで間接的にアザディスタンを救おうと考えているのは承知している。

 シーリンもまた、結果的に彼女を糾弾するような発言になってしまった事をマリナが悔いているのは分かっている。

 顔を起してマリナを正面から見据える。眉根を寄せて少し困った様子は、よく知ったマリナの表情だ。いたたまれなくなって、思わず助け舟を差し出してしまう。そんな場面が何度もあったが、今やそれは決定的に違ってしまっている。だからシーリンは投げ捨てるように小さく笑った。

「7姉妹評議会、アラブの亡霊が何かを企てているのかもしれない、そのせいで、もしかするとアザディスタンが復興できるかもしれない。それは分かる。けど――」

 彼女は現実を見た。残酷であるとか愚劣であるとか、そんな言葉より軽く、とても軽くそして安易に人の命が消えてしまう現実。シーリンは苦渋で顔を歪める。

「――けど、200人いた仲間が、わずか10分で70人になったのよ……っ」

 ついさきほど、カタロン中東第三支部はアロウズによって壊滅されたのだ。

 その事実を刻まれたシーリンには、どのような形であっても連邦に組する選択肢は無かった。

 

***

 

 時を同じくして、世界は緩やかに動き出す。

 カタロンとの共同戦線から離脱したソレスタルビーイングであったが、先んじて宇宙に戻ったイアン・ヴァスティから連絡が入る。

 オーライザーを含めた支援機を受け取るために、一度宇宙に戻り合流しようというものだった。

 この間、スメラギ・李・ノリエガがトラウマで昏倒したり、カティ・マネキン大佐率いるアロウズのMS部隊に襲撃されたり、ティエリア・アーデがイノベイターと接触したり、ソーマ・ピーリスがマリー・パーファシーに戻ったりと、過酷な地上作戦の連続であったが、ともかく宇宙へ戻る算段は出来つつあった。

 アロウズの上層部が経済界のパーティに出席するという情報を、王留美から入手したのも、この時期であった。

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***

 

 ちょうどその頃、アロウズの襲撃で壊滅状態に陥ったカタロン第三支部とマリナ・イスマイールたちは、カタロン中東第二支部と合流を果たす。

 クラウスたちを迎え入れたマハル支部長は、挨拶もそこそこに中東情勢の話題を切り出してきた。

「それより、ついに連邦政府が中東に乗り出してきた」

 ざわめきがその場を支配する。カタロンのメンバーは動揺が隠せない。

「……」

「襲撃を受けたアザディスタンに正規軍が乗り込んで暫定政権を樹立させたらしい」

 マリナやシーリンにしてみれば予定調和なのだが、改めて突きつけられた事実に言葉も出ない。

 故国を失った現実が圧し掛かる。

 その事実を改めて突きつけるように、サーミャ・ナーセル・マシュウールがマリナの前に再び現れた。

 

***

 

 サーミャの言によれば、マリナが暫定政権における主席執政官としての、最初の仕事であるのだという。

 無理を押して同行したシーリンであるが、この状況に少々混乱している。

 初仕事とは、連邦政府と繋がりの深い政財界が執り行うパーティにマリナを出席させようというものだ。もちろん軍の上層部が出席するそれはつまり、暫定政権主席執政官としてのマリナ・イスマイールのお披露目を意味していた。いずれにせよ、まずは出迎えと合流する手はずなのであった。

 場所は第三支部から車両で3時間ほど走った山岳地帯。

 シーリンは結局、マリナが暫定政権に参画する事を誰にも知らせなかった。クラウスにおいてもである。よって今回のように連邦関係者と接する場面は内密に処理しなくてはならなかった。

 カタロンに知らせなかった理由として、はっきりした根拠もあるのだが、それよりもまずシーリンは現状を整理せずにはいられなかった。

 合流場所にたどり着いてまず目に付いたのが、1体のモビルスーツである。

 なるほど、会場は欧州になるというから、高機動、高巡航性能が売りのモビルスーツを移動手段とするのもアリだろう。だが、この機体はなんだろうか。

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 まがりなりにもカタロンの一員として行動するにあたり、敵対する戦力評価としてモビルスーツにも詳しくなった。しかし目の前に立つ機体ははっきり判別できない。おそらくアロウズの主力であるアヘッドなのだと推測できるのだが。

「お初にお目にかかる。マリナ・イスマイール第一皇女殿下」

 モビルスーツで移動させようとは、いささか強行な手段といえる。仮に百歩譲ってそれを良しとするにしても、問題なのは、この相手である。

 モビルスーツパイロットであろう事は状況から推測できるのだが、珍妙なマスクで顔を隠し、制服も連邦軍正規のものではない。

 北米訛りの英語からユニオンの出自であろうと予測できるが、なによりこの人物が纏う雰囲気に違和感を覚えずにいられない。無意識のうちに警戒してしまうのは、相手が連邦の軍人だからという理由だけではない。なんというか尋常ではないのだ。

「このたびは、殿下の護衛として参上つかまつるが、正直なところ、殿下には興味ないのですぐに準備していただこうか、急いで出発したい」

 挨拶もそこそこに、いきなり横柄ともとれる態度。

 矛先を向けられているマリナ本人は動じることなく、というより言われるがままに首肯して従いすらするのは、彼女らしいとしか言いようがないのだが、納得できていないのはシーリンだった。

「な、貴行、皇族に向かって無礼ではあるまいか」

 厳しく斬り返して、シーリンはハッとする。

 なんなのだ、自分の喋り口すらおかしくなっている。"あるまいか"などと我ながら妙な口調に狼狽してしまう。

 そんなシーリンの動揺を他所に仮面の男性は、不遜とも取られかねない堂々とした口調で続ける。

「たしかに無礼で、不遜である。そもそも軍人風情が仮面も取らずに皇族と接するなど失礼極まりないことは熟知している」

「だったら……」

「熟知、している、と、いっている、のだ」

 もはや何処から突っ込むべきかも分からないシーリンである。

 仮面の男性はきびすを返す。言いたい事を言ってしまえば後はどうでもよい、という風に感じられてシーリンは釈然としない思いで睨みつける。

 ただ一度だけ歩みを止めると、仮面の男はマリナに向き直った。

「臣民の集まらぬ皇族になんの意味があろうか、少なくとも皇女殿下はご承知のはずだ」

 マリナはただ、表情を強張らせるのだった。

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***

 

 真紅に輝く擬似GN粒子を放出しつつ、モビルスーツが飛翔する。

「なんなの、あの男は」

 悪態をつくシーリンにサーミャは苦笑しつつ応じた。

「少々個性的な人柄でしたが、パイロットとしての技量は確かなようですよ」

 サーミャの属する組織において、仮面の男の素性は把握されている。

 アロウズにおいて「ライセンス」を与えられている特殊なポジションにある彼を寄越したのはある意味で正解だ。シーリンがこの期に及んでマリナの行動を阻害する恐れがあったからだ。

 ひと悶着ありはしたが、仮に連邦軍の一般兵が相手ではもっとこじれていた可能性すらある。ましてやアロウズが相手となればシーリンがどう反応したか知れたものではない。

 シーリンたちの出鼻を挫くことで仮面の男はそれらの憶測を許さぬまま事を運んだのである。

 そんなサーミャの表情から確たる自信を読み取ったシーリンは、不遜な笑みを浮かべる。

「なるほどね。CIAやFSBが恐れるだけの事はあるわね」

 皮肉に応じることなく、サーミャは遠ざかる機影を見上げていた。

 

 コクピットから眼下を見れば、機体を見上げるシーリンとサーミャの姿がみるみる遠ざかっていく。

「気をつけられよ、怪我などされては困る」

「すみません、慣れないもので」

 コックピットシートの背後から、すまなさそうに顔を出すマリナ。

 仮面の男は相手の様子など気にした風でもなく続ける。

「いやしかし、皇女殿下は以前、ガンダムにも乗っているのではなかったかと?」

「よくご存知ですね。まさか連邦の機体にも乗ることになるとは思いませんでした」

 唯我独尊を地で行くような彼であるが、それでも関心事の1つや2つはある。

「ガンダムと比べると、違うものなのですかな?」

 勘ぐられないように、充分注意しつつ、極力さりげなく言ってみせる。

 まさしく最大の関心がガンダムなのだ。一連のやりとりも露骨な、というより不器用すぎる誘導であったが、そんな配慮など不要である。ガンダムに乗ったことがある人物としてのマリナに関心を寄せているなどと誰が想像できるだろうか。

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 だから、マリナは言われるがままに瞳を閉じて機体の挙動に身をゆだねてみる。

「……そうですね。この機体は鋭さのようなものを感じます」

 表情からみるみる緊張が解けて、穏やかなものになっていく。

「ガンダムのそれは、規則正しい旋律が幾重にも重なって、なんというか聖歌をイメージさせました。旋法も教会のものに近かった。でも、この機体は違う。もっと馴染みやすい、そう、マイナー・ペンタトニック……いえ、もっと軽妙ですね」

「ほう、面白い言い回しをされる」

 思わず仮面の男も関心する。まさか音楽に例えられるとは思ってもいなかった。

 彼を受けて、マリナは気恥ずかしい苦笑を浮かべる。

「すみません素人なのです」

 珍しく興味を示した仮面の男だが、マリナはこれ以上の感想を差し控えた。

 彼女とて相手の趣向を察する配慮はあるのだ。

 珍妙な仮面は東洋の鎧兜をイメージさせるし、衣装も古風な印象で、なによりそのものズバリ帯刀しているのだから、相当勘違いしている部類ではあるが日本びいきなのは間違いない。

 そんな相手にロックやブルースの旋律に似ているなどと言った日にはこのまま外へ放り出されるかもしれない。それはさすがに怖い。

 そう、怖いのだ。

 旋律から醸し出される鋭角的な感触もあるが、もとより抜き身の刃を目の前にするような緊張がパイロットにもモビルスーツにもある。

「……。兵器なのですよね、ガンダムと同じく」

 ぽつりとつぶやいてしまう。怖いと感じる根源にあるのはそういったことなのだろう。

「いかにも。そしていつか、少年との決着も」

「本当にそうなのでしょうか?」

 伏し目がちに言い募るマリナを、仮面の男は黙って促す。

「このような力を平和のために使うのは、いけないことなのでしょうか?」

 途端に、仮面の男は高笑いを発した。裏表のない、ある意味清々しい笑いだ。

「たしかに、おっしゃるとおりだ。しかし、それを言う御仁を私は多く知っている」

 ひとしきり笑って、仮面の男は言葉を継ぐ。

「平和利用として使えば、村一つ、町一つの復興は格段に早くなるだろう。だが、その銃把が導く結果と勝利に、どれほどの意味があると思われるか?」

 マリナは言葉を失ってしまう。

 モビルスーツに乗る直前に言われた事といい、仮面の男の言動はマリナの心を揺さぶる。

 彼女の信念を折ろうとするのだ、刹那・F・セイエイと同じく。

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***

 

 数日後、マリナを見送った場所に、同じくシーリンとサーミャの姿があった。

 さらに同じモビルスーツに、仮面の男もいる。

 欧州での連邦のパーティから帰国する日である。

 夜空が白んで、差し込む陽光を背に仮面の男は簡潔に言った。

「マリナ皇女殿下はここには戻らない。殿下はアザディスタンへ帰られた」

 

***

 

 同時刻、アザディスタン王国領内、南中央平原。

 10年ほど遡ればクルジス共和国との国境があった地域である。そのため幹線道路とそれに付随する産業以外は特筆する施設もなく、砂と岩しか存在しない荒涼とした平原が、ただひたすらに続く。そのためか先の襲撃でも難を逃れている。

 その只中に一人、マリナ・イスマイールが佇んでいる。

 障害物のない平原を吹きすさぶ乾いた風が、たおやかな黒髪を洗い、ドレスは揺らされるがまま、その奔流に身をゆだねる。

 この地をはじめて訪れる者であれば、ざらついた風は不快でしかないだろう。しかし望郷の想いは誰しも変わることは無い。

 生きる物全てに厳しい自然を象徴する乾いた風が、マリナにとって故国の匂いそのものなのだ。

 朝焼けのおだやかな陽光の中、見上げた視線の先には突き抜けるような蒼穹。

 今思い返せば、先日のパーティの席で描こうとしたのは、この情景だったのかもしれない。自然と紡ぎだされた旋律には、たしかに望郷の想いがあった。まさしく目の前に故国の原風景がある。

 

 陽光の中に青いきらめきを目にしたのはそのときだった。

 星空の残滓がそこだけ残されたような輝きがたなびく。先日見たモビルスーツの真紅の粒子と同じだ。ただ、色合いが違う。

 目を凝らして正体を推察するよりも早く、その輪郭はみるみる近づいて明確になっていく。

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***

 

 GN粒子を放出しつつ、飛翔する2体のモビルスーツ。

 アロウズ上層部が出席するという財界主催のパーティへの潜入調査を、予想外の事態から撤収することになった刹那・F・セイエイとティエリア・アーデであった。

 そんな彼らが帰路の途中でアザディスタン王国を通過することになったのは、単に偶然でしかなかった。さらに言うなら、GN粒子によるステルス性能が保証されているとはいえ、低空飛行による対レーダー軌道は定石であった。

 それらの要因が重なってその姿を捉えることができたのは、やはり偶然だったのだろうか。

 

***

 

 実際の時間にしてしまえば、わずか数秒。

 モニター越しであったが、それでも確かに二人は視線を交わしていた。

 そしてマリナ・イスマイールは決意する。

 懐かしい故国の土と風。しかし彼の地には住まう者が一人としていない。

 眼前を疾駆する青い煌めきは、戦いの中に光を求めた。

 ならば、自分はその行く末を見守ろう。そして全てが終息を迎えたとき、彼らを受け入れる場所を用意しよう。

 なぜなら彼にはもう戻れる故郷がないのだから。

 

−続−

 

説明
アザディスタン崩壊以降に、マリナ・イスマイールが世界の敵になる妄想。シリアス路線。 皇女殿下を信奉する者による、皇女殿下を信奉する者のための、皇女殿下に捧げる物語。5話構成
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