【DQ5】遠雷(1)【主デボ】 |
遠雷が微かに轟く。その音に、重い体を起こすと、デボラは窓の外に目を向けた。
居眠りしている間にずり落ちたらしい膝掛けを手繰り寄せる。雷は、まだ、鳴り響いていた。ふと、鈍痛を音声化したらこんな音だろう、などと考える。膝掛けをかけ直しながら、それを己にかけてくれた、中年の女官の顔を思い出す。それをきっかけに、ここ最近に出会った人達の顔が頭の中をぼんやりと流れていく。そうして、最後に、ほんの少しだけ“しもべ”の顔を、思い描いた。
“彼”と出会ってから、デボラの世界は随分変わってしまった。
望んだのは、“自分だけのものが欲しい”ということ。それは手に入った。“彼”が与えてくれる。その上、たくさんのものをくれた。
今、こうしていられるのも、“彼”のおかげだ。出会った時は、こんな世界が待っているなど、予想もしなかったものだ。
「人間にこうべを垂れる魔物の気持ちが、漸く解った。」
“彼”は、まず、そう言った。次いでデボラの前に跪き、恭しく顔を伏せた。そして、奇妙に潤んだ瞳でデボラを振り仰ぎ、言った。
「わたくしめのことは、小魚と、お呼びください。」
それは、“宣誓”だった。
自ら望んだ事ではあったが、実現するとは思っていなかったので、デボラは、内心では大層驚き、かつ、戸惑った。
父が、“彼”に向かって「デボラと結婚するとは、正気……じゃない、本気か!」などと詰問する声は遠く、呆然と此方を見つめる、自分と同じ色の瞳はぼんやりとしていた。
遠雷
サラボナに来る以前のことは、殆ど覚えていない。
わずかに、小さな妹を抱えて、遠い地響きのような轟音から逃れる様に走っていたことだけは、覚えている。
何から逃れようとしていたのかは、思い出せない。多分、思い出さない方が良いのだろう。
走り疲れてへたり込んでいると、目の奥が痛くなってきた。まだ歯の生えそろわない妹が、ころころした指で頬を撫でながら、
「おねえちゃん、いたいの?」
と言ったのが、悲しくてたまらなかった。
妹を、一人にしてはいけない。妹には、己しかいないのだから。
そう言い聞かせながら、どこまでも走った。
姉妹共々、親切な富豪に見いだされたのは、幸運だった。
人の良さそうな顔をした、恰幅の良い富豪は、デボラ達を心身共に優れた人間に育てようと苦心した。
妹は、その期待に応えた。勉強が嫌いで面倒くさがりな己とは対照的に、教養を身に付け、美しく清らかに成長していく。それは、姉としても喜ばしいことだった。
父が、花嫁修業の為に妹を修道院へ送る、と聞いた時は、驚いた。
そのことで、父と三日三晩に渡って口論した。
妹は、寂しがりやだ。幼い頃、姉が視界から消えると火がついた様に泣いた。だから、デボラは反対した。
それまで、生活態度は悪くとも、面と向かって反抗したことのなかったデボラのあまりの剣幕に、最初は、ルドマンは気圧された。けれども、意見を覆すことはなかった。
当のフローラを脇に置いた激しい口論が済むと、冷戦状態になった。
やがて、フローラが、思い詰めたように父と姉の間に入って、自ら進んで、修道院へ行きたい、と言いだした。
デボラは、驚いた。
そうして、己を父への反抗へ駆り立てたものが何だったのか、認識しなくてはいけなかった。
―― 寂しい。
妹が居なくて寂しい。
湧き上がって当然の感情を、無理に押し込めた。
抑えれば抑えるほど、強く、激しく、歪んでいくのが解った。だが、デボラにはどうしようもなかった。
やがて、思い立つ。
―― 自分だけの、ものが欲しい。
己だけを見、己だけに触れ、己だけを想い、己の為だけに生きる者が欲しい。
その望みが、寂しさの底に、静かに佇んだ。
しかし、望めば望むほど、“それ”は遠ざかっていった。
(つづく)
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