願いの果てにあるものは |
「ありがとうございました」
深々と頭を下げ、帰っていく客を見送る。
今の客が買って行ったのはひしゃくや桶などの水周り用品。無難で何の面白みもない普通の『道具』だ。
ここは人里の大手道具屋『霧雨店』
生活に必要な道具は、ほぼここで揃う。
無い物があっても、注文すれば仕入れてくれるだろう。
幻想郷において最も大きい店、それがここだった。
尤も、人間の、という注釈はつくが。
扱う品は多岐に渡るが、どれもこれも普通の道具だ。誰もがその名を知っていて、その用途を知っていて、使い方も心得ている。
そこには面白味が欠けている、と僕は思う。
日常使う道具に面白味を求めてどうするのかという話もあるが。
「ふぅ…」
ため息をひとつつき、店の中へと戻る。途端、ため息などついたら客が寄り付かなくなると怒られた。
確かにため息にはネガティブなイメージがあり、客に聞かせるべきものではないだろう。
店先には僕以外には誰もいなかったが、親父さん――ここの店主で霧雨家の当主。僕の師匠に当たる――の言うことも尤もだと思う。
とは言え、不満が顔に出ていたのか、蔵の整理をするように仰せつかってしまった。
辛気臭い顔を客に晒すなということだろう。生まれつきこの顔なんだが。
なんてことを口に出せば余計怒られるだけだろうから大人しく蔵へと向かう。
さすが大手と言うだけあって蔵も大きく、複数ある。そのうちの1つ、指示された蔵の扉を開け中へと入った。
蔵の扉は重くて開けるのに苦労するから嫌だ。さらに中はカビ臭く埃っぽい。物を入れるだけで殆ど出すことのない蔵だからだろう。
もはやそれだけで嫌になっているのだが、雑多に並べられた道具たちを見てさらに辟易する。
「……扱う品が多いのはわかるが、こうも適当に放り込まないで欲しいな。整理する身にもなって欲しいよ」
思わずひとりごちる。
自分が店主だったら絶対綺麗に整頓するのに、といつか持つであろう自分の店に思いを馳せながら。
「よう、また怒られたんだってな」
そんな僕を現実に引き戻す声が戸口の方からかけられた。
蔵の戸口に立っていたのはこの霧雨店の跡取り息子。僕や周囲からは、親しみを込めて若旦那と呼ばれている。
僕と若旦那は気が合い、年はとんでもなく離れているが親友と呼べるような仲だ。
とんでもなく離れているというのは、僕が人間ではなく、人間と妖怪の間に生まれた半妖だから。自分でも正確には覚えていないが100年は優に生きている。
だが僕が老人なわけではない。
僕の見た目は若い人間と変わらないが、銀髪と金色の瞳は、日本人しかいないここ人里では酷く目立つ。また、半妖であることも特に隠してはいないので、気味悪がる人もいる。
本来人間と妖怪は喰われる側と喰う側だ。
幻想郷が隔離されてからは幻想郷の人間が喰われることはなくなったが、それでも相容れるわけがない存在同士の相の子など理解ができないのだろう。
それに、どれだけ年月が経っても僕は年老いない。少なくとも人間にはそう見える。そこに妬みや嫉みが生まれるのは仕方のないことだ。
嫌味や皮肉を言われたことは一度や二度ではないし、直接居なくなれと言われたこともある。
その時、死ねと言われなかっただけマシか、などと思う僕をよそに本気で怒ってくれたのが若旦那だった。
若旦那は僕のことを他の誰とも違わない、当たり前の接し方をしてくれる。避けられることに慣れていた僕だが、それはとても嬉しかった。
それ以来、少なくとも僕は、彼を親友だと思っている。恥ずかしいから口には出さないが。
「若旦那」
「またどうでもいい考え事でもしてたんだろ」
「どうでもいいとは失礼な。どうせ若旦那もくだらないことやって蔵の整理を仰せつかったんでしょう」
「……くだらないことじゃねぇよ」
彼はここの跡取り息子でありながら、あまり真剣に商売について学ぶ様子がなく、不真面目そのものだった。しょっちゅうどこかへ出かけては、妙な道具を手に入れて帰ってくる。
そのたびに親父さんに怒られているが、本人には馬の耳に念仏のようだ。
ふてぶてしいやつだが、不思議と憎めない。
それに、彼が持ち帰る妙な道具も興味深かった。
殆どは名前も用途もわからない代物だったが、僕の能力によってそれらを知ることができる。僕は、触れるだけで道具の名前と用途がわかるという能力を持っているのだ。
その為持ち帰るたびに鑑定を頼まれてる。そのうちになんだか自分が鑑定屋になった気になり、それが少し心地よかった。
この霧雨店で働き始めたのも、そもそもはこの能力を活かしたいと思ったからだ。
しかし、ここに並べられる道具はどれもこれも名前も用途も使い方も全てわかりきっているものばかり。能力を活かす機会など殆どなかったところに、それを知ってか知らずか若旦那が色々な珍品を持ってきてくるようになったのだ。
「で、今度は何をやったんです?」
きっと今回も何かを拾ってきたのだろう。
そういう期待を押し隠しつつも、ほんのすこし催促をするつもりで聞いてみる。
「んー、まぁちょっとな」
いつもならここで得意気に手に入れたアイテムを見せてくるのだが歯切れが悪い。
どうやら違うらしい。
「……ああ、あの娘のところへ行っていたんですか」
「い、いやっちがっ、わないけど……」
実にわかりやすい反応を返す。
あの娘とは最近幻想郷に迷い込んだ外来人の女性のことだ。
外来人、とは、まさに『外』から来た人間のこと。
幻想郷は2つの結界が張られている。
1つは幻と実体の境界。
外の世界で忘れられ、幻想となったモノが幻想郷へと現れるようにする結界。
そしてもう1つが博麗大結界。
物理的なものではなく論理的な結界であり、別名常識と非常識の結界と呼ばれる。
外の世界の常識を持つ者は幻想郷に入ることはできず、幻想郷の常識つまり外の世界にとっての非常識を持つ者は幻想郷から出ることができない結界である。これにより幻想郷は外の世界から隔離され、外の世界で忘れられたり存在が否定されたモノが幻想郷へと『幻想入り』する。
だが時折、外の世界の人間が迷い込むことがある。理由は様々あるが、彼女もその一人だ。
透けるような白い肌に豊かな金髪を持つ彼女は、日本人ではないようだった。西洋人であろうことは見て取れたが、あまり多くを語ろうとはせずどこの国の出身かもわからない。
ただ、日本語は流暢に話せる為意志疎通には困らなかった。語らないと言っても無口というわけではなく、人と関わり合うことを避けている……僕はそんな印象を持ったのだが若旦那はお構いなしに会いに行っているようだった。危険も省みずに。
「毎日毎日飽きませんね……」
「毎日なんて行ってねぇよ!」
「前に行ったのは?」
「……昨日」
「ですよね」
「くっ……」
実は、彼女は今人里には住んでいない。いや、住まわせて貰えなかった、と言うのが正解か。
外来人というのはとても珍しい存在で、幻想郷にはない外の世界の知識を持っている。それは非常に貴重であり、ありがたがられることも少なくはない。
しかし日本人しか住まないこの人里では、彼女の姿は奇異に映ったのだろう。
だがそれ以上に忌避されたのは彼女の職業、能力。彼女は魔法を使う魔女だったのだ。
幻想郷には魔法も存在する。
魔法とは理論を積み重ねそれらをなぞり正しき解を導き出し、その思考を回路として魔力を流してやることによって様々な事象を発生させる力だ。
尤も、意外とアバウトなのか魔法を使う方法は人によって違うらしい。今のはあくまでも僕の――っと、それは関係がないことだった。
ともかく、その魔法はこの人里では忌避されるべき力であり、禁じられた存在なのだ。
魔法は極めれば人であることを捨て、魔法使いという種族――つまり妖怪になることもできる。恐らくは幻想郷における人妖のバランスを崩しかねないものであるから、そうと知ってか知らずか、そのような風潮が産まれたのだろう。
そんな魔法を使う彼女が人々から気味悪がられ、人里での居場所を得ることができなかったのも仕方のないことなのかもしれない。
そこで、彼女になんとか住む場所を用意し、面倒を見ているのが若旦那なのだ。
人里から離れた場所に魔法の森と呼ばれる森がある。瘴気が立ち込め妖怪ですらあまり近づかないという森だが、その入り口付近に妙な建物があった。大陸風のその建物は長く使われておらず誰も住んでいないことから、そこを自分で補修し彼女の家としたのだ。
ちなみに彼女はまだ人間のようだった。半妖の僕の方が快くとはいえないまでも迎えられているというのはなんとも皮肉なものだ。
「それでどうだったんですか?」
「ど、どうだったって、別に俺とあいつはそんな……」
なにやらゴニョゴニョと両の人差し指をつつき合わせながら言う若旦那。
正直気色が悪い。
僕も彼女には何度か会ったことがあるが、とても恐れられるような人ではない。完全に魔法に対する偏見のみであることがわかる。
面倒見がよくて明るい性格は、本当なら誰にでも好かれたことだろう。遙かに年上の僕を年下のように扱うのは不満だが。
ただ、自分の過去のこととなるとあまり語ろうとはしない。さっきも述べたが、彼女は人を避けている。始めは若旦那のことも避けようとしていたようだが、あまりに熱心に通い詰めるので根負けしたようだ。
若旦那のその真っ直ぐな情熱には感心する。
「妖怪に喰われていたりしませんでしたか?」
「そんなこと俺がさせるかよ」
彼女に与えられた家が危険な場所にあることは彼も承知していたが、他に選択肢はなかった。
幸い魔法を扱える彼女は自衛の手段を持ち得ている。
魔法の森はその瘴気の所為で妖怪もあまり近づかないからある程度は安心なのだ。
とは言え、それでも瘴気が平気な妖怪がいるかもしれないし、彼女よりも強い妖怪だった場合為す術はないだろう。こう人里から離れていては誰かが助けることも難しい。
「だからと言って若旦那、ご自分が妖怪に襲われても知りませんよ。確かに妖怪は人間を襲わないようにしていますが、それも人里の中でのこと。外に出てしまえば可能性は低いとは言え絶対ではないのですから」
多くの妖怪は人間を食糧としている。
しかし人間が存在し妖怪の存在を信じ恐れていないと彼らはそこに在ることすら叶わない。だから幻想郷の人間は必要以上に減っては妖怪にとって困る。
故に幻想郷の中、取り分け人間の里では決して人間を襲ってはならないことになっている。彼らの食糧は、妖怪の食糧係と呼ばれる者達が外の世界から調達してくるのだ。
ただし全ての妖怪が聞き分けがいいわけではないし、妖怪になりたての場合などは理解していないこともある。
逆に増えすぎても外の世界の二の舞だ。
その為、人が増えた場合には減らす為に喰うことがある可能性も否定できない。つまり外来人という人間が増えたことで、人里の外では襲われてもおかしくはないと言える状況なのだ。
ちなみに僕は特に食事を必要としない。勿論、人間を食べる必要もない。
「まぁ大丈夫さ。俺にはこれがあるからな」
そう言って取り出したのは小汚い動物の足――兎だろうか。鎖がつけられており、アクセサリらしいことがわかる。
「……なんですかそれ」
「お守りだよお守り」
「はぁ…お守りですか。そんなもので妖怪から襲われなくなると?」
兎の足は、大陸では幸運を呼ぶお守りとして知られていた。
恐らくそのことを知っていた誰かが作ったのだろう。
尤も随分と小汚いので拾ってきたのかもしれないが。
「馬鹿野郎、これはただのお守りじゃないぞ。なんでも願いを叶えるすげぇお守りなんだ」
「なんでも願いを叶えるお守り……?」
胡散臭い。
元来、願いを叶えるというアイテムは古今東西多く存在する。しかしその殆どは嘘や勘違い、思い込みによるもので、そもそも都合よく願いを叶えてくれるものなどありはしない。
中には本当に願いを叶えるものも存在するだろうが、それは大きな代償を要求するものだ。
「眉唾物ですね……大体そんなものどこで手に入れたんですか」
「拾ったんだよ」
やはりか。
「どうして拾ったものを願いを叶えるアイテムだなんてわかるんですか、僕じゃあるまいし」
「教えて貰ったんだよ」
「誰に?」
「誰にって……こいつに」
「は?」
「だからこいつだよ。声が聞こえるんだ」
どう考えても怪しいアイテムじゃないか。
そんな声を信じるなんて単純な……。
「馬鹿言わないでください。そんなのどう考えてもおかしいじゃないですか」
「聞こえるもんは聞こえるんだからしょうがないだろ」
「そうじゃなくて、願いを叶えてやると話しかけてくるアイテムなんて怪しいにも程があるじゃないですか。第一、なんでも願いを叶えるなどと言ってくるのは悪魔か妖怪と相場が決まっています。どんな代償を求められるかわかったものでは……」
「だーいじょうぶだって、お前は心配性だなぁ」
「あなたが楽観的過ぎるんです。だいたいですね、いつもいつも……」
「うるさいな、そんなんだとハゲるぞ」
「ハゲません」
「ハゲる」
「ハゲません」
「ハゲてる」
「ハゲてません!」
僕は断じてハゲてないしその予定もない。
まったく失礼な人だ。
「とにかく危険なものかどうか、僕の能力で視ますから貸してください」
「大丈夫だって言ってるだろ」
「ですから大丈夫かどうかを視るんです」
「大丈夫だって!」
「根拠がありません」
「俺が大丈夫って言ってるんだから大丈夫なんだよ」
「意味が分かりませんよ」
だんだんと言い争いになっていく。普段なら言わずとも視せるのに……。
もしかするとあのアイテムに取り込まれ始めているのかもしれない。
そうだとすると危険だ……ここは力尽くでも……。
そう思った時、蔵の入り口に人影が立った。
「お前達、整理もせずになにをやっとるんだ!」
激しい怒鳴り声と共に入ってきたのは親父さんだった。
しまった……ついつい若旦那につられて騒ぎすぎた。
「親父……」
「何やら騒いでいると思えば言われたこともやらずに……この馬鹿モンが!」
ご尤もである。蔵の整理は一切進んでいないと言っていい。
しかし元はと言えば若旦那が妙な物を拾ってくるのが悪いわけで僕まで怒られるというのは……いや、いつもその拾ってくる道具を楽しみにしていたのも事実か……。
親父さんのお説教はとても長い。きっとそのあとに蔵の整理をやらされるだろうから相当遅くなるな……。
そう思っている間にも親父さんの説教は始まっていた。
「だいたいお前は不真面目すぎる」
どうやら主に若旦那の方に矛先が向いているようだ。
密かにほっとしつつ、大人しく聞いている振りをする。
説教をやり過ごすコツは真面目な顔で頭の中を空っぽにすることである。
幸い長く生きた僕は、思考停止させるのにも慣れていた。
「霧雨店の跡取りとしてもっと自覚を持たんか。くだらない物を拾っては溜め込んだり、怪しげな魔女にうつつを抜かしたり……」
「怪しげな魔女ってなんだよ」
「あの外来人のことだ。こそこそと逢瀬しているのは知っているぞ」
「それの何が悪いってんだ。あいつは怪しげな魔女なんかじゃない」
「魔法で誑かされおったか」
「違う! 俺は俺の意思であいつのことを……!」
なにやら雲行きが怪しい。
そういう話は苦手なんだ。
若旦那も適当に流してしまえばいいものを…。
「とにかく今後あの魔女の元へ行くことは許さん」
「親父!」
「お前はこの店の跡取りだろう! あんな魔女と関係を持っているなどと噂されれば店の信用に関わる」
「あいつと店は……!」
「これは命令だ! 金輪際、あの女と関わるな」
ううむ、親子喧嘩なら余所でやって欲しい。なんで僕の前でやるんだ……。
若旦那は拳を握りしめ震えている。
親の言うことは絶対。人間の社会ではそういうものらしい。
しかし、この時ばかりは様子が違った。
「黙れよ……」
決して大きな声ではなかった。しかしはっきりと聞こえた、身体の最も深い部分から絞り出すかのような声。
正直ぞっとした。
今まで聞いたことのないような、昏い声だったからだ。
今のは本当に若旦那の声だったのか…?
「何……?」
親父さんも何か異質なものを感じたのか後ずさる。
「お前……親に向かって……!」
「黙れよこのクソ親父っ!」
半妖である僕は確かに感じた。
これは妖気だ……まずい……!
咄嗟に若旦那に手を伸ばすが遅かった。
「カッ……! ……っ!?」
親父さんが苦しげに喉元を掻きむしる。
声が出せない……いや、呼吸ができていないのか!?
「親父さん! 大丈夫ですか!?」
声をかけるが辛うじてうめき声のようなものをあげるだけで言葉にならない。
呼吸が止まっていると判断した僕は人工呼吸を試みるが、まるで喉に壁でもあるかのように送り込んだ空気が押し戻される。
「くっ……若旦那! ……若旦那!!」
なにが起こったのか理解できていないのだろう、呆然とする若旦那に声をかける。
「若旦那! 医者を呼んできてください、早く!!」
怒鳴るように若旦那に叫ぶと、ようやく気がついたのかよろよろと部屋の外へ出ていく。
色々と心配なこともあるが今は先に親父さんだ。見る限り呼吸ができないらしい。
気道を確保し、人工呼吸を試みる。だが不思議なことに、空気をいくら送れども肺に届いている様子がない。胸が上下しないのだ。
……明らかに普通じゃない……。
「親父さん、しっかりしてください……!」
せめて意識を保たせようと声をかけるが全く反応がない。
くそっ……どうすればいい……!
僕は医者ではないからとれる手だては限られている。
それでも知りうる限りの知識を用いて処置を施そうとするが、まるで何か見えない力に阻まれるかの如く効果がなかった。
気持ちばかりが焦る……。諦めたくはなかったが……僕には半ば分かっていた。
親父さんは助からない……もう既に意識はない。心音も聞こえなくなった。
医者が来たところで、施しようはないだろう……失われた命が戻ることは、ないのだから……。
こうして、先代霧雨家当主は息を引き取った。
数日後―――。
慌ただしく親父さんの葬儀が済み、僅かながら静けさが戻った霧雨家。
店は臨時休業しているがいつまでもそういうわけにはいかない、と番頭達は思っているようだが、肝心の若旦那はあれ以来部屋に籠もってしまい出てこない。
当主が亡くなったのだから若旦那と呼ぶのも変だが、突然だったのでまだ正式に跡を継いだわけでもない。
亡くなってすぐにそんな話をするのも……と皆控えてはいるが、今後どうすればいいのか不安になっている。
かく言う僕も、これからどうするべきか……。
親父さんの死は、あの兎の足によるものである可能性が高い。
なんでも願いを叶えると若旦那は言った。
あの時、若旦那は親父さんが黙ることを願ったわけだが、その手段として親父さんの命を奪った。そう推論するのは簡単だが、ただの偶然である可能性もある。
相変わらずあの兎の足は若旦那が持ったままだが、閉じこもっていて会ってくれない。
できれば僕の能力で視て確証を得たいところなんだが……。
まぁしかし、自分が放った言葉の所為で父親が死んだのかもしれないのだ、早々もう一度願いをなどとは考えまい。
彼が閉じこもっている間に、別の方法で調べておく必要があるだろう。
あの時感じた妖気は、僕にとっては馴染みのあるもの。その推測が正しいかを調べる為、僕はある場所へ向かった。
「ごめんください」
人里の中でも一際大きい屋敷。
その閉ざされた門の前で、僕は中にいるであろう家人か、或いは門番に声をかけた。
幻想郷には千年以上昔から続く由緒正しい家がある。
かつては朝廷に仕え、天皇より古事記の編纂を仰せつかった人物。求聞持の能力を持つ稗田阿礼が末裔稗田家だ。
朝廷に仕えた程の人物の末裔が何故幻想郷のような辺境に住み着いたのかはわからないが――まぁ、お約束の権力闘争でもあったのかもしれない――ともかく彼らはこの地に根付き、そして一冊の書を編纂し始めた。
稗田阿礼の持っていた求聞持という能力は、一度見たり聞いたりした物事を決して忘れない能力である。
そして、稗田阿礼はその能力の為なのだろう、前世の記憶を保ったまま転生を繰り返しており、百数十年に一度程度現れるのだ。勿論、求聞持の能力を持ったままである。
そうした阿礼の転生体たち――御阿礼の子と呼ばれる――は、ここ幻想郷の人間達の為に妖怪対策の指南書『幻想郷縁起』を書き綴った。
現在でこそ妖怪は人間を襲うことが殆どなくなっているが、結界が張られる前は普通に人間を襲っていた。ここに住む人間達も、元々はその妖怪達を退治する退治屋だった者の子孫が少なくない。
そんな危険な場所だったから、御阿礼の子たちは妖怪に対抗する為の指南書を作ったのだろう。
稗田家が『幻想郷縁起』の編纂の為、非常に多くの妖怪やその類についての資料を所蔵しているというのは、人里に住む者なら誰でも知っている。
そこで僕は、それらを見せて貰うことであの兎の足の正体と対策法を見出そうと考えたのだ。
「どちら様で?」
脇門から門番らしき男が出てくる。
僕は率直に蔵書を見せて欲しいと伝えた。
が、特に約束のない者や面識のない者は通せないと言う。恐らく昔からの通例なのだろう。
妖怪対策の指南書なんてものを書いていれば、当然妖怪に狙われることだってあったろうし、さらに言えば僕は半妖だ。それに気づいているかはともかくとして、こうもあっさり断られるとは思わなかった。
霧雨家と稗田家は仲が良く、先だっての葬式にも稗田家当主が来ていた。その霧雨家で働いているからなんとかなるかと思ったのだが……。
或いは先代御阿礼の子である稗田阿弥が生きていれば、知らぬ仲ではなかったので何とかなったかもしれないが彼が彼岸へ旅立ってからもう百年以上経つ……。
百年も経てば人間はすっかり代替わりしていて、当時の僕を知る者もいやしない。
ちなみに当代の御阿礼の子はまだ存在しない。百年は過ぎたし、あと数十年のうちには現れるだろう。
だがそれを待つわけにもいくまい。
さて、どうしたものか……と、門番の視線を受けながらも思案しているとき、
「こんにちは」
と女性に声をかけられた。
「どうも……こんにちは」
はて……どこかで見たような気もするが誰だったか……。
「確か霧雨店の店員の人だったな」
「あ……確か寺子屋の……いつもご贔屓に……」
「上白沢慧音と言う。先日は惜しい人を亡くした…」
彼女は確か何度か店に来ていた。
寺子屋で歴史を教えているんだったかな……。
お客の顔や名前も覚えていないというのは商売人としてさすがにまずいだろうか。そう言えば葬式にも来ていた気がする。
「いえ……」
「稗田家に何か用が?」
「ああ……少し調べたいことがありまして……」
「調べたいこと?」
「ええまぁ…妖怪のことについてなので、稗田の家なら資料も豊富かと思って……」
内容についてはさすがに言えない。最悪親殺しになりかねないのだ。
仮にあの兎の足の力で親父さんが死んだのだとして、若旦那は親父さんの死を願ったわけじゃない。
黙らせることの代償だったのかそれとも黙らせる手段として死を与えたのか、それはわからないが、若旦那の意志でなかったことだけは確かだ。
それでも、事の次第が周囲に知れれば若旦那は親殺しと見られるかもしれない。できればそれは避けたいと僕は思う。
親父さんにも若旦那にも……いや、霧雨家には世話になっている。僕の力で救うことができるのなら、なんとしても救いたい。
「ふむ…先日ご当主が亡くなられたことと何か?」
「……いえ、それとは関係ありません。私事です」
「そうか。霧雨の店にはうちの寺子屋も世話になっている。良ければ口を利いてもいいが」
「本当ですか? 助かります」
渡りに船とはこのことか。これも霧雨店が信頼されているからこそだろう。
このあとは先生のお陰で上がらせて貰い、蔵書を見せて貰えることになった。
稗田家の書庫はとても広く、いくつもの本棚が並び無数の書物が収められている。多くは妖怪に関するものがだ、それ以外の資料や外の世界の書物もあるようだった。
「私もここはよく利用させて貰っていてね。と言うのも、寺子屋では歴史を教えているんだ」
「聞き及んでいます」
「良質な資料がたくさんあるので重宝するよ。それで、妖怪関係だったな……どう言った類のかはわかるか?」
「……そうですね……何かに化けて人間に取り入る妖怪か……道具の妖怪、付喪神だと思います」
付喪神とは長く使われた道具が、妖力を得て妖怪化したものだ。
あの兎の足はお守りという道具。ということは付喪神である可能性もある。
付喪神は人間に害を成すこともあれば益をもたらすこともある。古来より道具や或いは自然界の物には意志が宿ると信じられてきた。
そしてそれは事実であり、道具が妖怪化したり、自然物が信仰を受けて神となることもある。
或いは狐や狸のような物に化けて人間を騙すタイプの物かもしれない。
「化けると言えば狐や狸か……それならこの辺りの棚だな。付喪神は、あの辺だ」
数ある棚の中からいくつかの棚を教えてくれる。本は各妖怪ごとに綺麗に纏められていて探しやすくなっていた。状態もいい。
これだけの本を管理するのは大変だろう。
いつか僕もこんな書庫を持ちたいものだ。
「今教えた棚に狐や狸、付喪神関係の資料が収められている。数はかなりあるが……」
「読むのは早いので大丈夫です」
「そうか。私はこれからまた寺子屋に戻らなくてはいけないので手伝えなくて申し訳ないが」
「いえ、殆ど初対面の人に手伝って貰うわけにもいきませんし。それに口を利いてくれただけでなくこうやって資料のある場所まで教えて頂いたのですからそれだけで十分に過ぎます」
「わかった。あ、ただしくれぐれも本の持ち出しはしてくれるなよ? ここの本はどれも大事なものだからな」
「当然です。僕も昔は知り合いだった家ですし、迷惑をかける気はありません」
「………? まぁよくわからんが、そろそろ行かなくてはならない。また店の方に寄らして貰うよ」
「はい、お待ちしております」
店でそうしているように深々と頭を下げ、先生を見送る。
さて、急いで調べねばなるまい。
狐や狸の妖怪は非常にメジャーだし、付喪神も無数に存在する。その中からあの兎の足に類するような妖怪を探さねばならない。
叶えられる願いやその数に制限があるかはわからないが、複数叶えられる可能性は十分ある。
恐らく今はそんな気力もないだろうが、いつ願いを思いつくかもわからない。また悲劇が起こる前に正体を掴み、何とかしなくてはならないんだ。
本棚から取れるだけの本を取り、近くの机に積み重ねる。
第一の候補は狐か。
狐と言えば化けて人間を騙すことで有名だ。
長く生きた狐は妖狐となる。長く生きれば生きるほど、妖力が強くなればなるほどその尻尾は増えていく。あの有名な白面金毛九尾の狐もこの妖狐の類だ。
しかし狐は物に化けるよりは人に化けて騙すことが多い。
道具に化けるのならむしろ狸だろうか。
狸も化ける術に長けている。そして、狐よりも物に化けるのが得意な伏がある。
有名な分福茶釜も狸だ。
ではあの兎の足は狐か狸だったのだろうか……。
どうにもそうは思えない。
願いを叶える、というのは高位の狐狸なら可能かもしれないが、そんな高位の存在があのような化け方で人を騙すとは思えない。
そもそも高位の狐狸は神にも等しくなると言われ、それらはその徳も同時に高いのだ。
ざっと資料にも目を通したが、否定する材料の方が多いように思う。
「やはり……」
僕はあの時感じた妖気を思い出して独りごち、もう1つ出してきた資料を開き読み始める。
付喪神。
道具の妖怪である彼らは僕にとっては馴染み深い。
これまでに付喪神を何度も見てきたが、それらはすべて一様ではなかった。姿も、持った能力も違う。元となった道具と、その用途、或いは受けてきた思いによって違ってくるのだ。
それ故に、あの兎の足が付喪神だったとしてもこの資料の中に載っているかはわからない。
逆に載っていればほぼ特定できたも同然だろう。
ぱらぱらとページをめくっていく。他から見ればとても読んでいるようには見えないだろう。それほどの速さで僕は読むことが出来る。尤も、本来は精読することが好きなので普段はやらないが。
資料の中には数々の付喪神が収められていた。
実に興味深くついつい読みいってしまいそうだが今はそんな場合ではない……今度別の機会にじっくり読ませて貰おう。
幾度となく本棚と机を往復し、狐や狸、付喪神に関する全ての資料を読み終えた。
そして……。
「該当なし…か」
願いを叶えるという程の大きな力を持つならば古い付喪神だろうから、載っているかと期待したのだが……。
知られていない付喪神だろうか。
そうなると外の世界からやってきた可能性もある。もしそうだとしたら調べようがないな……。
「ふぅ……さすがに疲れたな」
書庫には窓がないから正確にはわからないが、蝋燭の減り具合からしてもう夜だろう。
途中、何度か稗田家の者が様子を見に来て、お茶や軽食などを差し入れてもくれたがすっかり冷めてしまっている。
さすがにこれ以上は迷惑だし、店にも戻らないといけない……仕方がない、帰り支度をするか。
机の上に積み上げられた本を元の場所へ戻していく。
「結局何の手がかりも得られずか……」
妖気の質から考えれば付喪神である可能性は高い。
だが願いを叶えるなんて強い力……待てよ……?
「願いを叶える……願い事……口にした事が現実になる……そうか!」
僕の中で閃きが走った。
それを敢えて口に出すことでさらに自信が湧く。
「まだ調べていたのか」
その時、上白沢先生が書庫に入ってきた。
「先生」
「口を利いた手前気になってな。どうだ、何かわかったのか?」
「……そうですね、確信ではありませんが。先生は言霊をご存知ですか?」
「言霊? 勿論知っているが。口にした言葉には力が宿っている。良いことを口にすれば良いことが、悪いことなら悪いことが起こるというようになんらかの影響を現実に与えるのが言霊だな」
そう、言い換えれば口にした事が本当になる、言葉にはそのような力がある。
当然なんでもかんでも本当になるわけではないし、必ずしも言ったその通りになるというわけでもない。それだけの強い思いが籠められた言葉だからこそ現実に影響を与えるのだ。
縁起の良い言葉、悪い言葉というのはそういった言霊信仰から生まれた部分もあるのだろう。
「先生は歴史の先生と聞きます。とは言え少し専門外かもしれませんが……過去に言霊を操るような妖怪が居なかったかご存知ありませんか?」
「言霊を操る妖怪……? ……ふむ、言葉を扱う妖怪なら例えば山彦であるとか、言葉と言うよりは音だが音霊という妖怪もいるな」
「ふむ……」
それらは違うような気がする……。
だが僕の推測が正しければ、あの兎の足は言霊に干渉する力を持つのではないだろうか。より正確に言えば言霊を増幅する力。
それならば自分自身に願いを叶える力など必要ない。誰かが口に出した願い……その言霊を増幅してやればいいのだから。
「ありがとうございました。何か掴んだ気がします」
「そうか。なんだかよくわからんが力になれたのならよかった」
「それでは僕は店に戻ります。今後とも霧雨店をご贔屓に」
「ああ、また寄らせて貰うよ」
彼女に別れを告げ、僕は店へと急いだ。
稗田家をあとにした僕は店へと戻る。
外はすっかり暗くなっていた。
心配したのは僕がいない間に若旦那がまた願い事をしていないかだったが、店に戻れば皆普通だったので恐らく大丈夫だろう。
今のうちに兎の足を取り上げ、処分しなくては。
一旦自室に寄り、ある物を懐に入れてる。効果があるかはわからないが、こんなこともあろうかと普段から作っておいた物だ。
それから急ぎ足で若旦那の部屋へ向かう。
若旦那は相変わらず引き籠もったままのようで、部屋の外には手つかずの食事が置いてあった。あれ以来まともに食事も摂っていない。僕じゃあるまいし、人間にとってはそろそろ危ないはずだ。
「若旦那」
ノックをして呼ぶが反応はない。
「若旦那、入りますよ」
承諾の声はないが勝手に襖を開ける。
中は酷いものだった。恐らく暴れたのだろう。衣服や本がそこら中に散らばっていて、どれもこれも破れたりしている。
今は暴れ疲れたのか、そんな気力も消え失せたのか、机に伏せてぐったりしていた。
まともに食事を摂っていないのだから当然か。
「……少しは食べませんと身体を壊しますよ」
眠っているわけではないようだが、返答はなかった。
無理もない。
目の前で自分の親が死んだのだ。自分の言葉の為に死んだのかもしれないのだ。
心が、壊れかけているのだろう。
「……今日、稗田の家に行ってきました」
適当に物を片付けながら話しかける。返答はないが構わない。
「あの兎の足のことを調べる為です」
ピクッ、と身じろいだのがわかった。
物をどけて開いたスペースに座る。
「確かなことまではわかりませんでしたが……あれが危険な物であることは間違いありません」
こちらを見る。
その目は昏く澱み、本当に若旦那なのかと思ってしまうほどだった。
「願いを叶える力などあれにはありません。あるのは……」
「じゃあ……」
弱々しいのに、どこか怖気を感じる声で若旦那が遮った。
「親父はなんで死んだんだよ……」
「………それは」
思わず言いよどむ。
あなたの言霊を増幅したからだ……それはつまり、あなたが殺したのだと言うに等しいのではないだろうか。
若旦那に責はない……僕はそう思っているが、今の彼にちゃんと伝わるだろうか。
逡巡していると、若旦那がゆらりと立ち上がった。
「それはなんだよ……またいつもみたいにわけのわからない薀蓄で誤魔化すつもりか?」
少しむっとしてしまう。
わけのわからないとは失礼な。人よりも進んだ考えであろうことは自覚しているが、わけがわからないというのは心外である。
「お前はいつもそうやってなんでもわかったような口振りで……」
「そんなつもりは……」
「なぁ……はっきり言ってみろよ……俺が親父を殺したんだって……」
ゆっくりとこちらへと歩み寄ってくる。
「俺があんなこと言ったから親父は……!」
胸ぐらを掴まれるが、僕は抵抗できなかった。
若旦那はそのまま膝を折り顔を伏せ、嗚咽を漏らす。
「若旦那……」
言葉がない。
数々の本を読み、無数の言葉を知っているが、それでもかける言葉が見つからない。言葉には力があると確かめてきたばかりなのに、その言葉が、出ない。
どうしたものかと考えていると、ふっと、胸ぐらを掴んでいた力が抜けた。
「ふ……ふふははは……」
突然笑い出す若旦那。
戸惑う僕を尻目に、さらに声を上げて笑う。
「若……旦那……?」
「ふふふ、あははははは! だけどなぁ、もう大丈夫なんだ……親父は帰ってくる……」
「っ…まさか……」
「そうだ、親父を生き返らせるように願ったんだ……これで、元通りだ……!」
「なんということを……! 死んだ者を生き返らせるなどあってはならないことです……!」
全ての魂……人も動物も植物も無機物ですらも、そして妖怪も、全ての存在は輪廻の環の中にいる。一度死の向こう側に旅立ったのなら、あの世で閻魔様の裁きを受け、地獄に堕ちた者は全ての罪を償ってから、そうでない者は冥界でその魂を休息させてからでなければ輪廻転生することはできない。
輪廻の環を抜けることが許されるのは自ら悟りを開いた者か、閻魔様より天に昇ることを許された者だけである。
それを無理に生き返らせるなどすれば間違いなく歪みが生じる。
古今東西、不死に並び死者の蘇生は短い寿命しか持たぬ人間の夢の1つであり、幾度となく試みられた。しかしその結果の殆どは悲惨なものである。
中には成功したような話しもなくはないが、恐らくは後の世に改変されたか、全くの作り話だろうと僕は考えている。
死者の蘇生はイザナギとイザナミの神話にもあるように、神にすら成し得なかったことなのだ。
「親父の帰ってくることの何が悪い!」
「若旦那、聞いてください……そいつの能力は願いを叶えるなんてものじゃない。言霊を増幅して、現実を操作する能力なんです」
推測の段階ではあるがそれは言わない。
「言霊はとても不安定で何が起こるかなんて予測できたものではないのです。そもそも死者の蘇生なんて神々にすら……」
「うるさい! 親父を生き返らせて何が悪い!!」
「まともに生き返るとは限らないと言っているんです! お気持ちはわかりますが……もう少し冷静に……」
「半妖のお前に人間の気持ちがわかるものかよ……!」
「っ……」
……落ち着け、今若旦那は彼奴に取り込まれているだけだ。
親父さんの死によって混乱し、彼奴の所為で心にもないことを言っているだけ。
正気を取り戻せばなんでもない。売り言葉に買い言葉と言うものもある。ただそれだけだ。
そうだと思おうとしても、解ろうとしても……言いようのない寂しさのような、虚しさのようなものが胸に去来する。
無意識のうちに、ぐっと拳を握り込んでいた。
若旦那の言葉が本音であろうとなかろうと、僕は彼と霧雨家を助けると決めた。それを曲げる気はない。
だから……例え嫌われることになろうとも、僕が助ける。
「……半妖だからこそ、そいつの危険性がわかるのです。今なら逆にそいつの力で取り消すことができるかもしれません……そいつを、渡して下さい」
言霊は不安定だ。発したどの言葉が現実に影響を与えるかもわからない。
しかしそれを増幅できるというのであれば、それを願いとして受け取るというのであれば、具体的に示してやればある程度操作できるはずだ。
「嫌だ……! そんなことを言って俺からこいつを奪う気だろう……! 半妖の言うことなど信用できるか!」
「そうですか……ならば、力尽くでも渡して貰います……!」
僕は覚悟を決め、若旦那に飛び掛る。
「貴様……!」
飛び掛った僕を払い除けようと若旦那が腕を伸ばすが、なんとかそれを避わして組み付いた。
元々僕は体力に自信がない。腕力も人並み程度。嫌だと言うのに何度も挑まれた腕相撲で若旦那に勝てたことはただの一度もなかった。
それでも僕は必死にしがみつき、若旦那の手に握られた兎の足を奪おうと手を伸ばす。
「もう少し……!」
殴られ、蹴られ、かけていた眼鏡も割れて歪んでしまったが、構わず渾身の力を込める。
あと少し…あと僅か……!
届い……ッ!
「こ…のっ……! 俺から離れろォ!!」
「うわっ……!?」
あと僅かというところで若旦那の叫びと共に僕の身体が吹き飛ぶ。
そのまま襖を突き破り、廊下の壁に叩きつけられた。
「ぐっ…ぅ……」
ずるりと床へ座り込む。
背中が……いや、体中が痛い……。
今のは恐らく……。
「若……旦那……!」
痛みに耐えつつ目を開くが、その先に見えたのは黒いモヤのようなものに包まれた若旦那だった。
これは……兎の足が若旦那を取り込もうとしているのか……?
痛む身体を無理矢理起こし、若旦那へ近寄ろうとするがどうしてか足が前へ出ない。
一瞬それほどダメージがあるのかと思ったが、そうではないようだ。
やはり今のは兎の足の……。
「離れろ、か……これも、それほど効果はなかったようだな……」
懐からはらりと二切れの紙が舞い落ちる。
ヒトガタと呼ばれる、人間の形を模した紙だ。いわゆる身代わりとなってくれる力があり、万一の為用意しておいたがあまり効果はなかったようだ。
いや、ヒトガタが二つに切れているということは、何かしらの効果はあったのかもしれない……。
もし……もし本当に親父さんが生き返っているのならそれでも……と、一瞬そんな考えが浮かんでくるが、やはりダメだと頭を振る。
今が良くてもいつか若旦那が死した時、間違いなく地獄へ落とされるだろう。それだけならまだしも、輪廻をねじ曲げるなどという重罪……下手すれば永遠に許されず地獄に留まり続けることになりかねない。
「くっそ……若旦那、正気を取り戻してください……!」
どうする……僕の言葉に力はない。
いくら呼びかけたところで届くか……。
それにこの感じ……僕は恐らくもう……。
「い、一体なにごとですか?」
その時、霧雨家の使用人達が騒ぎを聞きつけて集まってきた。
しまった……今の音を聞きつけて来たか。しかしどう説明する……?
「……お前、若旦那様に何かしたな」
「は?」
どちらかと言えば僕が何かされたように見えると思うが……。
……いや、これは兎の足の力か?
「半妖め、若旦那様から離れろ!」
「離れなければ退治してしまうぞ!」
口々に僕を追い立てる言葉を並べる。
確かに半妖であることでいくらかの反感を抱かれていたのは知っていたが、これは異常だ。
『俺から離れろ』
若旦那はそう言った。
そして兎の足はそれを願いと受け取ったのだろう。
先程吹き飛ばされたのと、若旦那に近寄れないのがその効果だと思ったが……思った以上に厄介なようだ。
「出ていけ、半妖!」
「くっ……」
仕方がない、どちらにしても若旦那には近寄れないのだ、ここは去るしかない……。
共に働いていた者達に追い立てられ、痛む身体に鞭を打ち僕は店を出た。
……くそ……。
これからどうするべきか。
親父さんの蘇生は既に叶えられたと言うが、実際にどうなっているのか不明だ。少なくとも現時点で親父さんの姿はない。
考えられるとしたら中有の道から戻ってくるか、或いは埋葬した墓からか……。
様子を見に行くにしても中有の道は遠すぎるし、推測が当たっていればそちらから来ることはまずあり得ない。
なら、まずは墓の方から見に行ってみるか……。
人里の外れに墓地はある。そちらへ向けて歩き出すが、すぐに呼び止められた。
「おい、こんな時間に出歩くと危ないぞ……と、君か」
僕を呼び止めたのは上白沢先生だった。
女性が夜に一人歩きしている方が危険だと思うのだが……。
「先生こそお一人で出歩いては危ないですよ。こんな時間までお仕事だったんですか?」
もしかしたらあのあと稗田の家で何かしていたのかもしれない。
「いや……なんとも不気味な気配を感じてな、念の為見回りをしているんだ」
「不気味な気配……」
そういえばこの人は半人半獣だと聞いた覚えがある。
それで感じ取れたのかもしれない……あの兎の足が発した気配を。
「何か嫌な予感がする。すぐに戻ったほうがいい」
「……ご忠告痛み入りますが、生憎と戻るに戻れない事情がありましてね。僕のことは結構ですから、他に誰か出歩いていたりしないか見回りの継続をお願いします」
戻ったところでまた追い出されるだろうし……。
とは声に出さない。勿論顔にもだ。
「ふむ……君は何か知っているようだな。先程稗田の家で調べていたことと関係があると見た」
「……ええ、まぁ」
「聞かせて貰えないだろうか? これでも私は半人半獣のワーハクタクでね、多少なりと力になれると思う」
ワーハクタク!
これはまたなんと珍しい半人半獣だろうか。半人半獣といえば人狼――狼男とも呼ばれる――が最も有名だが、ハクタクの半人半獣なんて初めて聞いた。
「自称だが、里の守り人の真似事もしている」
「そうでしたか……わかりました、では少しご協力頂けますか?」
「勿論だ」
少し逡巡しつつも、僕は上白沢先生に事情を話した。
兎の足のこと、若旦那のこと、親父さんの死について、そして、その親父さんを生き返らせる願いを叶えられたこと。
「……そうだったのか……それは不幸なことだったな……」
「………」
「それで君は、当主殿がまともな状態で戻ってくるわけはないと考えているんだな」
「はい。恐らく魂は既に閻魔の元におりましょう。さすがに言霊だけでその魂を引き戻せるとも思えません」
「閻魔も許さないだろうな。となると、肉体だけの復活……」
肉体だけの復活。それはつまり生ける屍となることだ。
古来よりきちんと埋葬されなかった死体は、妖怪となって蘇ると信じられてきた。
蘇ると言っても、既にその者の魂はそこになく意思なきただの動く死体である場合が殆どだ。
西洋ではゾンビなどとも称されるその妖怪は、生きる者全てに恨みを持ち、自らと同じ死者とすべく襲い掛かる。大陸にはそれらを制御する術もあるが……今は関係ない。
「上白沢先生は戦闘の経験は?」
「守り人の真似事をしていると言ったろう? 嗜む程度には心得ている」
「わかりました。では大変心苦しくはありますが、もし親父さんが生ける屍と化していた場合……」
「退治しろ、か」
「はい。博麗の巫女であれば浄化も可能やもしれませんが、呼びに行く時間はなさそうです」
博麗の巫女とは、この幻想郷を守護する人間だ。幻想郷の果て、外の世界との境界の中にある博麗神社の巫女で、博麗大結界を管理している。
妖怪退治の専門家でもあり、妖怪が異変を起こした場合それを解決するのが彼女の仕事だ。
彼女であれば巫女の力によって不浄なる存在を浄化できるだろうが、生憎と博麗神社までは距離がある。
「万が一親父さんの死体が人間を襲ったなどということになれば霧雨家の名声は地に落ちます。それだけは絶対に避けたい」
「……わかった。人里に入る前になんとかしよう」
「頼みます」
「それで、君はどうするんだ?」
「僕は……若旦那を助ける為、ある人のところへ行ってきます」
「ある人?」
「はい。僕の声は届きませんでしたが……きっと彼女の声なら。そして彼女の力ならなんとかできると」
「……ふむ。里の者ではなさそうだな……一人で大丈夫なのか?」
「これでも半妖でして、戦う力はありませんが妖怪が襲う理由もありません」
「なるほど、君が……通りで珍しい髪と瞳の色だと思っていたよ」
「はは……」
銀髪に黄色い瞳。まぁ、人間……というより日本人にはまずいないだろう。
目立つからそれなりに知られているかと思っていたが、案外知らない人は知らないものだな。
いや、興味がなかっただけか。
しかしそう言う上白沢先生も十分に変わった髪の色だが……ワーハクタクだからだろうな。
「私の役割は理解した。気をつけて行ってくれ」
「ええ、先生もどうか無理はなさらず」
女性に妖怪退治を頼むというのも情けない話だが……いや、博麗の巫女も女性か。
幻想郷では女性の方が強いのかもしれないな……。
今から助けを求めに行く相手も女性であることに苦笑を漏らしつつ、僕は里を後にした。
里を出た僕は魔法の森へ向かった。正確にはその入り口にある家だ。
既に日は完全に落ち、夜の世界が広がっている。
取る物も取りあえず出てきた為ろくな物を持って来られなかったが、幸いいつも使っていた小型の火炉だけは持ってくることができた。
この火炉は八卦炉を模して作ったもので――差詰めミニ八卦炉言ったところか――魔法で火を起こすマジックアイテムだ。暇を見て自作したものだが、なかなか便利で重宝している。
これを明かりにして、僕は夜の道を急ぐ。
若旦那が完全に取り込まれるのにどれほどかかるだろうか。一刻も猶予がないのは間違いない。
気持ちだけが焦る……と思ったのだが……。
不思議なことに里を離れれば離れるほど心が安心を覚える。なんだ、この安心感……これではまるで……。
「まるで、自分の居場所があそこではなかったと言っているようなものじゃないか……」
急いでいた足がいつの間にか止まっていた。
いや、違う……これはあの兎の足の所為だ。彼奴の言霊の作用が及んでいるだけに過ぎない。
だから、前に進むんだ……前に……。
…………
………
……
…
「どうしたの?」
足が前に進まず、立ちつくしていた僕に声がかかる。
視線を上げると、一人の女性が立っていた。
僕が助けを求めようとしていた相手。
「あ……」
「確か霧雨くんのところの半妖くんよね。こんな時間にこんなところにいるなんて、何かあったのかしら?」
意識せず膝が地につく。頭を垂れ地面に手をつき……奥歯を噛み締めた。
言わなくてはならない言葉が出ない。
僕は何をしにここまで来たのだろう。この感情は一体なんだ。悲しみ……いや、悔しい……のか。
「……さっきから妙な気配を里の方から感じていたけれど……それが原因?」
「………彼を、助けてやって下さい……」
絞り出すように、肺を無理矢理押し潰すかの如く声を出した。
僕自身の感情なんて、今は何も必要ない。
元々僕は感情を動かすことが嫌いなんだ。いつものように、冷静で理性的になれ。
心を落ち着かせ、立ち上がる。
「霧雨くんに何かあったのね」
「……ええ。きっと、貴女なら彼に……若旦那に声が届く」
僕は事の次第を彼女に伝えた。
兎の足のこと、親父さんの死のこと、そして、親父さんの蘇生を願ったこと。
……僕に離れろと願ったことは言わなかったが。
「どうか若旦那を助けてやってください。若旦那が大切に思っている貴女なら、魔法の力を持つ貴女なら……人間の貴女なら、彼を助けることができる」
「……ふぅん……魔法の力なら、あなたも持っていそうだけど」
「……僕に魔法なんて扱えませんよ。せいぜい、この火炉を動かす程度のしか」
「そっか。うん、わかった。霧雨くんには私もお世話になってるからね、私で力になれるのなら喜んで」
「ありがとうございます」
彼女は呪文を唱えると、背中に翼を得てフワリと宙に浮かんだ。
飛翔の魔法か。
呪文の構成は簡素且つ緻密だった。よほど修練しているのだろう。
彼女ならばきっと、若旦那を救える……。
「あなたは行かないの?」
「……僕は今里に入れないようでしてね。兎の足が何かしたようで」
「そう……なら私の家で待っていて頂戴。霧雨くんは必ず助けるから」
「ええ……お願いします」
ほんのり薄く輝く彼女は、一条の光となって里の方へと飛び去る。
恐らくは魔力の輝きだろう。何か防護魔法も併せてかけていたというところか。
僕はただそれを見送り……背を向けた。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
僕は彼女の家の前……魔法の森の入り口にある大陸風の家の前で座り込んでいた。
待つ間、ひたすら頭の中をカラにすることだけを考えて。カラにするのに考えるというのもおかしなものだ。
それでも、先刻のことが頭にちらつく。考えたくないことほど浮かんでくるなど、これも半分は人間だからだろうか。
本来理解できないことはすぐに忘れるようにしているのだが、理解ができないわけでもないから浮かんでしまうのかもしれない。
そんな風に過ごしていると、空が白み始めた。
夜が明ける。
と、何かが切り替わったような妙な感覚を受けた。
これは……兎の足の気配が、消えた……?
僕は立ち上がり里の方を見やる。里を見ることはできないが……何かが終わったような気がした。
自然と里の方に足が向き、僕は戻ってきた。
その途中、東へ向かって空を飛ぶ紅白の人間が見える。
あれは、博麗の巫女か。そうか、彼女が来てくれていたのか……。
「無事だったか!」
里に入った僕に駆け寄ってきたのは上白沢先生だった。
ところどころ汚れているのは戦いの跡だろう。
僕は言葉を告げるより先に頭を下げた。
「ありがとうございます……」
「そう畏まらないでくれ。私は自分のやるべきことをやっただけだ。それに……最終的に当主殿を浄化してくれたのは博麗の巫女だ」
上白沢先生に語るところによれば、親父さんは推測通りアンデッドとなって墓から上がってきた。それどころか多数の死者が蘇ったと言う。
恐らくは兎の足の力が暴走していたのだろう。
当然まともな状態ではなく、先生を見るなり襲いかかってきたそうだ。
それを迎え撃ちつつ里から引き離そうとしたが、少しでも里から離れると襲うのをやめて里の方へと向かったらしい。
「さすがに数が多く、足止めをするのも精一杯という具合だった。それに、見知った顔ばかりではどうにもやり辛くてな……」
ああいった生ける屍のようなアンデッドは、当然生前と同じ顔をしている。スケルトンと呼ばれる骨だけのアンデッドや、肉が腐り落ちたような状態になっていれば別だが、死後それほど経っていないなら本当に生前の姿なのだ。
例えそこに魂はないとわかっていても、見知った顔の相手はし辛いだろう。
「すいません……僕が無理を言ったばかりに」
「言ったろう? 私は私のやるべきことをやっただけだ。それに、助けもあった」
「助け?」
「ああ。少し前に現れた外来人の魔法使いがいただろう? 彼女がやってきて障壁を張ってくれてな。行かなければならないところがあるとすぐに行ってしまったが、お陰で里へ侵入されることなくなんとかなった」
「そうでしたか……」
その後、辛うじて足止めをしている間に博麗の巫女が現れ、親父さんたちを浄化したとのこと。
博麗の巫女が来てくれなければどうなっていたことか……。
上白沢先生には本当に感謝してもしきれない。
「君が助けを求めると言っていたのは彼女のことだったのか?」
「はい。兎の足の気配が消えているということは、きっと上手くやってくれたのでしょう」
とは言え確認していないのだから気が気ではなかった。
先生から概ねの話を聞いたあと、別れを告げて霧雨家へ急ぐ。
外から見ると何も変わりはないように見えた。
先刻のことが思い浮かび、入ることに一瞬躊躇いを覚えるが、意を決して勝手口より中へ入る。
恐る恐る若旦那の部屋の方へ向かうと、廊下には使用人達が倒れていた。死んでいるのかと思ったが、気を失っているだけのようでほっとする。
そのまま進むと、若旦那の部屋の襖や壁が吹き飛んでいるのが見えた。
嫌な汗が背を伝う。
外からはわからなかったが……これは……。
妙な静けさが不安を増幅させる。何故こんなにも静かなんだ。
まさか……。
無意識に唾を嚥下し、ごくりと喉が鳴る。
「若旦那……?」
小さく声をかけつつ、部屋を覗き込む。
部屋の中はそれはもう酷い有様だった。家具という家具は全て破壊され、原型を留めているものは1つもない。机も箪笥も、元の姿を知らなければ一体なんだったのかわからない程だ。
壁には大穴が開き、天井もひしゃげている。よく崩れないものだと思わず感心してしまう。
そんな部屋の中央に、血にまみれて倒れている二人の男女。血の気が引いていく。
……落ち着け……まずは確認するんだ。手当てをすれば大丈夫、助かる。もし――という考えは思考外に追いやった。
と、その時、ぴくりと若旦那が動いた。
「若旦那……!」
駆け寄ると、少し呻いたあと若旦那が目を覚ます。
思わず安堵の息が漏れる。
「ご無事でしたか……」
血まみれに見えるが、どうやら若旦那自身に外傷はないらしい。
ということは……。
もう一人の倒れた女性を見やる。服には大量の血が滲んでおり、さらに頭からも出血しているようだった。
急いで状態を確認する。
辛うじて息はあるようだが……。
その傍らには、あの兎の足が落ちていた。見た目上は何も変わりがないように見えるが、あの気配は消えている。
警戒しながらも、慎重に手に取った。
これは……。
「っつ……俺は、一体……」
頭痛でもするのか、頭を抑えながら若旦那がゆっくりと身体を起こした。
見せるべきではないと思ったが、この部屋の惨状共々隠せるようなものではなかった。
彼女を見た若旦那の顔が見る見る蒼白になっていく。
「……なんだよ、これ……」
どこまでの仲だったのかは知らないが、大切に想っている人が血まみれで倒れているのだ、驚くのも無理はない。
カタカタと震える若旦那の肩に手を置く。
「……若旦那、落ち着いてください。彼女はまだ生きています」
そう、まだ生きてはいる。もう既に手遅れではあるが……。
……僕が、彼女に助けを求めたばかりに。
「おい、おい…! なぁ……返事しろよ……!」
若旦那の呼びかけに彼女は答えない。答えられない。致命傷なのだ。
しかし……。
「僕がなんとかします」
はっきりと告げる。
大切な人を二人も失うなんて、そんな悲しい思いをさせるわけにはいかない。それに、僕の考えが正しければ助けられるはず……。
僕は若旦那を宥め賺し、部屋の外へ追い出す。
見たくはあるまい、もう一度アレを使うところなど。
「さて……お前の用途を使わせて貰うぞ」
手に取った兎の足を見る。恐らく彼女に何かされたのだろう、若旦那にかけていたような声はない。
大人しくしてくれるならありがたいものだ。
「お前は道具だ。だから、使われたかったのだろう? 道具は誰かに使って貰ってこそ、道具足り得る」
こいつの名称は『兎の足』、用途は『願いを叶える』。
そのままだが実際その通りの用途なのだ。
僕は彼女の状態を素早く観察する。
見た目でわかるのは頭部に挫創があること……だが血の量から察するに頭部の傷からの出血だけではなさそうだ。
口元に血が付いている。恐らくは吐血したのだろう……。
ということは内臓にダメージがあるのかもしれない。
「いいか、これから僕はお前を道具として使ってやる。だから僕の言うことをよく聞いて、僕の意志に沿って力を行使しろ」
弱々しい……むしろ怯えているかのうように、応の意志が伝わる。
「まずは彼女の内臓が、どの部分がどの程度損傷しているのかを知りたい。余計な部分は必要ない。僕がそれを知るだけでいい」
慎重に願い……むしろ命令を伝える。
こいつの能力は不安定だ。恐らくは若い付喪神で、力を持て余しているか何か別の理由で暴走していたのだろう。
もしかしたら外の世界から幻想郷に来たことによるショックが原因かもしれない。
兎にも角にも、この不安定な、言霊を増幅させるという力を、できるだけ事細かな願いにすることで必要以上に現実を歪めないよう注意する。
今はこいつも落ち着いているのか、昨日のような無茶なことは起きない。
やがて、彼女の傷ついた内臓の部位と、その状態が僕の脳に浮かんでくる。
「よし、いいぞ……」
その後も細やかに、言葉に気を付けながら願いを伝え、彼女の傷を把握し癒やしていく。
良き意志に基づいた良き願いならば、良い結果を生む。負の願いや自分勝手な願いでは、悪い結果しか残らないのだ。
「……ふぅ……」
額の汗を手で拭い息を吐く。
何時間かかっただろうか……しかしようやく彼女の傷は癒え、危険な状態からも脱しただろう。
部屋の外からはずっと若旦那の祈る声が聞こえ続けていた。
それからは慌ただしいものだった。
翌日に目を覚ました彼女は、記憶と魔力を失っていた。恐らくは頭部に受けた傷の所為だろう。
そんな状態の彼女を一人にしてはおけないと、若旦那は彼女を引き取り家に住まわせた。一生をかけて償うのだと。
それを言うのならば助けを求めた僕にも責任はあるが……何もしない方がむしろ償いになるような気がする。
始めは家の者も反対したが、魔法の力を失った上、若旦那を、そして里を救った一端が彼女にあることを知ると、反対できる者は居なくなった。
里を襲った生ける屍達については、妖怪の起こした異変と上白沢先生が里の者に伝えた。その際に彼女の働きも伝えられたのだ。
時間はかかるだろうが……きっと迎えられるのではないかと思う。
そして僕は……。
「……本当に行くのか?」
「ええ」
それから数日経った早朝。
僕は自分の荷物を手に、そして、今まで若旦那が集めた珍品を背負い、店の前に立っていた。
「……お前が出ていく必要なんて」
「必要はあるんです」
少し強い口調で返すと、若旦那は少し驚いた顔をした。そして悲しい表情になる。
ああしまった、そんなつもりで言ったんじゃないのに。
「若旦那……これは僕自身にとって必要なことなんです。本来僕は、自分の能力を活かしたいと思ったからここで修行をしていた。でも、その修行が終わるときが来たんです」
「………」
「今回の一件は正直に申し上げてきっかけではあります。ですが、それよりも前から考えていたことでもあるんです」
ここは商売を学ぶにはとてもいいところだった。
しかし、僕の能力を活かせる場所ではなかったのだ。誰もが名前も用途も使い方も知っている道具達。僕が求めているのは、それらではない。
「暖簾分け……とはいかないでしょうが」
「いや、俺が許す。これは暖簾分けだ。俺が許す」
「二度言わなくていいですよ」
クスリ、と笑いが漏れる。
本当にこの人は面白い人だ。
「だが……本当にあそこでいいのか? お前さえよければ人里の中で店舗を探してやっても……」
「いいんですよ、あそこで。あそこなら家賃もいらないでしょう?」
「そうは言っても……」
あそことは、魔法の森の入り口にある大陸風の建物……彼女が住んでいた場所だ。
霧雨家に引き取られることになったあと、無理を言って僕が譲り受けた。
「立地が悪い、と仰るのでしょう? とんでもない、あそこは最高の立地ですよ」
どこが、と言う顔をされる。
「あの場所は境界なんです。人の世界と、妖の世界との」
人里から多少離れているが来られない距離ではないし、不必要に妖怪が住んでいたりもしない。
魔法の森の中なら妖怪も寄ってこないだろうが、入り口ならばそんなこともない、と思う。
つまり、人も妖怪もやってくる、そういう立地なのだ。
僕が扱いたいと思っている道具は、名称も用途もわからない道具達。それらを僕の能力で解き明かし、お客様に買って頂く。
僕の能力を活かした見事な商売じゃないか。
「お前がそこまで言うなら……」
「ええ、そこまで言います」
それに……半妖の僕にとっては、あの場所こそがお似合いなのだ。だから僕はあそこに僕の居場所を……僕の城を築こうと思う。
「たまには、顔を出せよ」
「善処しましょう」
何故か苦笑を返された。善処という言葉は苦笑されるような言葉だったろうか。
「ああそうだ……」
ひとつ、思いついていたことを若旦那に告げる。あの場所に店を構えると決めてから、考えていたことだ。
「……そうか。じゃあ、今後は間違えないようにしないとな」
「そうですね。僕も、これからは若旦那とは呼びませんよ」
「おいおい、なんて呼ぶつもりだ?」
「決まっているでしょう?」
そんな歳じゃない、と怒られるが、僕はお構いなしに新しい呼び名を使う。
きっと今は少し辛いだろう。でも、彼はもう、霧雨家の当主なのだ。
「それじゃあ、僕はそろそろ行きます」
「……そうか。わかった」
固く握手を交わす。
その瞬間、霧雨家に来てからのことが走馬燈の如く浮かんでは消えていく。
……ああ、なんだかんだ言って、僕は楽しかったんだな。
万感の思いを胸に、握った手を離した。
「それじゃあ……親父さん、お元気で」
「ああ……お前もな、森近霖之助」
「ん………」
うっすらと開いた瞼から、薄暗い店内が見える。いくつもの棚や床に雑然と並べられた道具達。
ああ……ここは……。
「お、やっと起きたか」
眼鏡を外し瞼をこする僕に気づいて、大きな壷の上に座った少女が声をかけてくる。
「……魔理沙か……商品に座るなといつも言ってるだろう」
「気にしないぜ」
気にしているのは僕の方だ。
彼女は霧雨魔理沙。そう、あの霧雨家の娘だ。
何度言っても聞かないのは……父親に似たんだな。
ふっと笑みがこぼれる。
「なんだ? 気持ち悪いぞ香霖」
「……失礼だな君は」
香霖とは僕のことだ。
ここ香霖堂――僕の店の名前だが、そこから取って呼んでいる……というよりは幼い頃の魔理沙が僕の名前を正確に発音できず、いつの間にか香霖の方で呼ぶようになった。
「今、昔の夢を見ていてね……」
「へぇ、香霖の昔か」
興味を持ったらしい。だが、次の言葉を言えば興味を失うだろう。
「ああ、僕がまだ霧雨店で働いていた頃の夢さ。親父さんも出てきたよ」
案の定、しかめっ面になる魔理沙。
彼女は霧雨家の娘だが、勘当同然で家を飛び出した家出少女なのだ。魔法の森に居を構えていて、しょっちゅうここにやってくる。
だが客ではない。何も買っていかないのだから。
「……うー……じゃあ親父のところ省いて話せ」
「えっ」
まさか食い付いてくるとは。
普段は実家のことを口にするとすぐに機嫌を悪くして、話題を変えようとしたり耳を塞いだりするというのに……。
「……無茶を言うなよ」
「なら親父のところはできるだけ削れ」
どうしてそこまで聞きたがるんだ……。
ああ、もしかして少しホームシックにかかってるのか?ふむ、それなら話してやってもいいな。
「わかったよ……でもどうしても省けないところもあるからね」
「……その時は耳を塞ぐさ」
聞きたいんだか聞きたくないんだか。
ともかく、僕はいくつかのことをぼやかして夢のこと――実際にあったことだが――を話して聞かせる。
特に親父さん……魔理沙のお祖父さんの死については完全に省いた。今のデリケートな時期に、父親が祖父を殺したと取れるようなことを話す必要はないだろう。
その結果、妖怪の起こしたゾンビ異変を、僕と彼女の母と上白沢先生で解決した、という話になった。
「ふーん……」
何故か不機嫌になる魔理沙。結局親父さんはあんまり出なかったんだが……。
「……お前が慧音と知り合いだったとはな」
「は?」
慧音……上白沢先生のことか。そういえば永夜異変の際に知り合ったと魔理沙は言っていたな。
「あーまぁそうだね、その時に知り合ったんだ。色々助かったよ」
「……へぇーフーン……」
な、なんだ……この居心地の悪さは。魔理沙の視線がもの凄く痛く感じる。
ぼ、僕が何かしたか?
「……で?」
「で? とは……?」
「……慧音とはそのあとも会ったりしてるのか?」
「いや、一度お礼に伺いはしたが、それ以来全く会っていないよ」
と、まるで花が咲いたかのように表情が変わる。
コロコロと表情が変わるのは見ていて面白いが、このへんも親父さんに似たんだろうか。
「本当か?」
「どうして疑うのかがわからないが、本当だよ」
こちらに店を構えて以降、あまり人里には行っていない。大半の道具は自作できるし、食事も必要ない僕にとって、人里へ行く理由はあまりないのだ。
そもそも店から出ることも少ないが。
「なんだそっかー、会ってないのかー」
へへへと笑う魔理沙……なんだか気色悪い。声には出さないが。
「それにしても、母様すごかったんだな」
「ああ……魔法を使うところを見たのは一度だけだったが、それだけでとてつもなく修練を積んだのだろうことがわかったよ」
「お前にそんなことわかるのか?」
「……君は僕のことを少し侮り過ぎてやしないかい?」
結局、彼女……魔理沙の母はあのあと記憶を取り戻すことはなかった。だから、彼女の過去も、どうして幻想郷に来ることになったのかも、知る術はない。
魔法が使えること自体は周囲から教えられていたので、当然魔理沙も知っている。
その影響か、魔理沙は魔法使いになった。と言っても、種族としての魔法使いではなく職業としての魔法使いだが。
家を飛び出したのはそれが原因かとも思うが、魔理沙も親父さんも話してくれないので真相は不明だ。特に興味もないけれど。
「よし香霖、腹減ったろ? なんか飯作ってやるよ」
「……そうだね、じゃあ頼もうかな」
僕は食事を必要としないので空腹になるということはないが、食べられないわけではない。
断ると嫌な予感もするのでここは大人しく頼んでおこう。
それに魔理沙の作る料理は美味いのだ。食べるのに吝かではない。
「そう言えば魔理沙、ミニ八卦炉の調子はどうだい?」
「あー? すこぶる調子いいぜ」
僕が持っていたミニ八卦炉は、魔理沙が家を出た時に魔理沙用に改良し、餞別として贈った。
魔理沙はなかなか上手く使いこなしているようで、ミニ八卦炉がない生活は考えられないとまで言ってくれた。道具屋冥利に尽きるというものである。
さっきの昔語りの時に兎の足のことは言わなかった。言えばきっと強い興味を持ったことだろう。
だがあの後、兎の足には「元の幸運のお守りになれ」と願い、願いを叶えるという能力を失わせた。ただの幸運のお守りとなったわけだ。
多分、その方が彼奴にとってもよかったのではないかと思う。危険なアイテムとして恐れられるよりは、ただのお守りとして使われる方が。
道具は使われてこその道具なのだから。そして今、彼奴は大切に扱われているようだ。
「あれには幸運のお守りも解かして混ぜ込んであるからね。大切にしてやると、応えてくれると思うよ」
「言われなくても大切にしてるぜ。幸運が訪れてるとは思わないけどな」
やれやれ、僕から見れば十分幸運に恵まれているように思うのだが、本人にはわからないものなのかな。
もしかすると、これから先何十年か何百年か後に再び付喪神となり能力を得るかもしれない。
だが次は上手くやれるだろう。
そう願わずにはいられない。僕にとって『道具』は商品であり、身近な友でもあるのだから。
「そういや香霖、さっきので1つわからないことがあったんだけどさ」
「なんだい?」
あれだけ色々省けば齟齬も出よう。面倒な質問だけは止して欲しいものだが。
「どうしてその異変が、香霖が独立する切っ掛けになったんだ?」
「それは……うん、もしかすると妖怪の呪いかもしれないね」
「呪いだぁ?」
確かにあの時、僕はそろそろ自分の店を持ちたいと思ってはいたし、霧雨店では僕の能力を活かせないとも考えていた。
だが、若旦那が言ったあの『離れろ』という願い。もしかすると、その効果によって僕は霧雨家を出てしまったのではないか、などとも思う。
尤も、その後も霧雨家には何度か足を運び、若旦那――親父さんとも会っているので思い違いだろうけど。
ただそれでも考えてしまうことがあるのだ。あの時、あの言葉がなかったら、僕はどこに居たのだろうと。
今でも親父さんと一緒に店を切り盛りしていただろうか。魔理沙が家を出ることもなく、霧雨家で例えばお嬢様などと呼んでいたりしただろうか。
「……なんだよ香霖、私の顔になんかついてるか?」
「いや、別に……ただ、ありえない想像をしてしまってね」
「ありえない想像だと?」
「ああ、ありえない想像さ」
想像は想像に過ぎない。もし、なんて考えてもそれは空想に過ぎないのだ。
今の僕には、今の僕の今がある。
霧雨家を出たからと言って縁が切れたわけでもない。今目の前にはその娘がいるのだし。
それに何より、今の生活はすこぶる気に入っている。
「なんだよニヤニヤして……きもいぞ」
「きもいって……」
「どうせまたどうでもいい考え事でもしてたんだろ」
「……本当に君は」
親父さんにそっくりだな。
E N D
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霖之助の過去話です。 捏造設定多数ので苦手な方はご注意を。 色々な人に読んで貰ってアドバイスを頂きました。本当にありがとうございました! |
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