宝石箱
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 滞在している宿から歩いて一区画の所に少女の家はあった。

 私がカメラを首から提げてぶらぶら歩いていると、今日も彼女の姿が目に入ってきた。

 レンガ造りの小奇麗な家の前には、家人が置いたのか三人掛けのベンチが据えられていて、そこに座る彼女ははじめて会ったとき同様、まだ地に届かぬ足を退屈しのぎに揺らしていた。

 やあ、と軽く手を上げて挨拶すると、少女もこちらに気付いて笑顔で手を振ってくる。

 どうやら今日は機嫌がいいようだ。

「何かいいことでもあったの?」と尋ねると、彼女はコクリとうなずき、はにかんだ様子でそばに置いた小さな箱の蓋をそっと開けた。

 ニス塗りで全体にバラの彫刻を施した木箱。一度だけ中を見せてもらったことがある。

 青く透き通ったガラス玉や黒く艶めく楕円形の石、真っ赤な珊瑚の髪飾り等々、少女の大切にしているものはみんなこの中にしまわれている。いわば宝石箱だ。

 彼女はそこから一枚の手鏡をゆっくりとした手つきで取り出した。よほど大事なものなのだろう。

 大人の手のひらより一回り小さいサイズの鏡には、背面や柄にきらびやかな装飾が施されていて、およそ子どもの持ち物とも思えなかった。

「きのう、ママからもらったの」

 少女は私にそう教えてくれた。

 

 彼女との出会いはつい先日のことだ。

 私は特に被写体も定めず、町の様子を写して一回りしてきた帰り道で彼女を見かけた。

 浮かない表情の女の子は私の持つカメラが珍しかったのだろう。前を通り過ぎようとすると目だけで追いかけてきた。

 少し通り過ぎたところで私は立ち止まり、少し考えてから彼女に向き直った。

 この少女を撮ろう。そう決めた。町にはいろんな感情があふれている。彼女の沈んだ表情もまた偽らざる真実なのだ。それに、私はこの世界の美しいものをカメラに収めるために生きているのだから。

 私は彼女に一言断ってからカメラをかまえた。彼女は喜びこそしなかったものの、嫌がらずにフレームに収まってくれた。そして撮影を終えると、私は彼女に話しかけた。

 はじめのうちは口もきいてくれなかったが、何度か彼女を写しに行くうちに次第に心を開いてくれるようになった。

 どうやら彼女は最近この街に移住してきたらしい。友達もおらず、近所に親しい者もいない。両親は共働きで一日中家を空けているので、日が暮れて帰ってくるまで彼女は一人ぼっちで過ごさなければならないのだ。

 淋しくないのかと問えば、彼女は一瞬泣きそうな顔をしたあと「さびしい」と正直に答えた。

 

 そんな彼女がいまは笑っている。

「ほんとうはゆびわがほしかったの。だけどママがかがみのほうがいいって。パパとママの『いちばんたいせつなもの』をくれたんだって」

 少女は鏡を覗き込んで不思議そうに小首をかしげた。しかし、すぐに笑顔を取り戻す。

「それからね。ママ、もうおしごとにいかなくていいんだって。これからはね、ずーっといっしょ」

 なるほど、これこそが彼女が嬉しそうにしていた本当の理由だろう。

 私はカメラを構えた。一歩二歩と後ずさり構図を決めていく。

 彼女と会うのは今日で最後だ。私は次の地へと旅立つこととしよう。彼女ならもう大丈夫。すぐに仲のいい友達だって出来るに違いない。

 彼女は鏡を手に持ったままこちらに微笑みかけている。

 そうだ。やはりここには宝石にも勝る美しいものがあった。鏡を持つ本人はまだ気付いていないようだが。それは彼女の両親がもっとも大切にしているものだ。

 私は立ち止まるとシャッターを切った。一枚、二枚と仮初の永遠を与えていく。

 レンガ造りの宝石箱に。

 かけがえのない宝物に。

 

説明
2010年12月22日作。偽らざる物語。
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掌編 オリジナル カメラ 写真 大人の童話 少女  孤独  宝石箱 

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