くだものナイフはミツの味。
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 放課後。新聞部の部室で今月の原稿を書き終えた私は、他の部員を帰して独り机に伏していた。私もさっさと帰ってから休めばいいとは思うが、鉛のように重いまぶたがせめて数十分の休息を私にけしかけてくるのだ。締め切りに追われていた気疲れも要因の一つだが、昨今頭を悩ませている事件についての憂いが、今の私を最も追い詰めていると言えよう。

 何せ、人が一人死んでいる。その渦中に私はいるのだ。

 硬いイスに長時間座っていたため臀部の痺れを起こしていたが、それでも冷房の効いた部室は私を着実に夢の世界へとエスコートしてくれる。冷たい机に頬を任せ、腕で顔を覆った。

 しかし惜しいことに、あと数秒で意識が抜けそうだという所で、新聞部の部室がそろそろと開かれる気配を感知してしまった。

「――あのぅ。新聞部はここでよろしいですか?」

 顔を上げると、部室のドアが拳一個分程度の隙間を空けている。その隙間から、メガネをかけた男子生徒が中を覗き込んでいた。

「……そうですが、何か御用ですか?」

 仕方なく、私は身を起こした。

 失礼しますと言って入ってきた男子生徒は、私の恨みがましい視線に気付いたようで、線の細い体をさらにちぢこませている。

「あの、お邪魔でしたか? 出直した方が――」

「いいわよ別に。それで、何か用かしら?」

 さっさと済む用件なら、早いところ終わらせて眠りたい。余計な言葉を遮って、私は彼を促した。

「すみません。えっと……先日、藤林先生が殺害された事件は、その後どうなりましたか?」

 彼の質問に、まぶたの重みが一キロほど軽減した。

 先日――二日前。生徒指導の藤林先生が、体育倉庫のロッカーから刺殺死体で発見された。第一発見者は、私。

「……そんなこと聞いてどうするの? 貴方、先生の近親者か何か?」

 詰問じみた私の言葉に、彼は一瞬肩を震わせ、目を瞬かせて怯えた表情になった。いかにもひ弱そうな印象全開の風貌は、その通り臆病な内面を体現しているようだ。

 この事件は、未だテレビや新聞には報道されていない。ゆえに事件のあらましを知っているのは、私を含める発見者と高等部の先生方、そして藤林先生の限られた近親者だけだ。

 もっとも、生徒の中でも一部のゴシップ通には既に知っている者がいたりもする。今のところ救いなのは、それはあくまでも噂という形で収まっていることだ。

 そんな不確かな情報を元に私の所まで嗅ぎつけたなんて、いったいどれだけの生徒に噂を聞き込んだのだろう。おまけにこの男子生徒の口ぶりは、なんだか決意的な雰囲気を纏っているようにも思えた。気になった私は、少し彼を絞ってみることにした。

「確かに私たちは、この事件について出回っている情報を逐一把握してはいるわ。他の取材でついでに聞き込みとかしたりしてね。でも残念だけど、話題が話題なだけに新聞部はそれを記事にするつもりはないの。調査はあくまでも趣味の領域。やっていることは、生徒の間で一人歩きしている事件の概要を収集しているに過ぎない。だから、人が欲しがるような新しい情報を持っているわけじゃないのよ。貴方が何を知りたがってるのかは知らないけど、残念ながらお役に立てるとは思えないわね。

 それとも貴方は、新しい情報を提供するためにここへ来たのかしら? それなら、お礼をしなきゃね」

 私は鎌をかけた。私の提供できる情報は本当にたかが知れる物だが、タダで引き渡すつもりはないという意思表示でブラフをかました。彼が何かしらの進展情報を持っている可能性を探るためだ。

「いや、その……」

 彼は視線をさ迷わせ、唇を舐める。この態度で私は、彼が事件において被害者側の立場ではないと判断した。事件を暴こうという意気も、真相を求めようという姿勢も認められなかった。

 ということは彼は、単に情報を求めてここへ来たわけではないはず。何かを握っていると見て対応すべきだ。

「ぼ、僕はちょっと、そのことでお願いがありまして……」

「お願い? 何かしら」

 来訪には、やはり取引の目的があったようだ。

「あの事件の犯人が、僕だって新聞に載せてもらえませんか?」

「……何ですって?」

 私は自分の耳を疑った。彼は今、とんでもなく馬鹿なことを口走りやしなかったか?

「えっと、つまり、その。僕が藤林先生を殺したって臭わせるような記事を、か、書いてほしいんです。もちろんお礼はしますし、何か変なことになったら、自分で責任は取りますから――」

「ちょ、ちょっと待ちなさい。本気で言ってるの? というかそんなことしたら、ウチの部活だって迷惑をこうむるわ。断固ご免よ」

 この学校の新聞部は、それなりに有名だ。文系の部活動でも規模は大きく、読者は少なくない。特定の噂を故意に根付かせるのに、ウチの刊行する新聞への掲載はかなり有効な手だと言える。しかし強力であるがゆえに、記事のデマが発覚した時は手痛い反動を覚悟しなければならないだろう。そうしたら、もう私の責任問題だけでは済まない。

「……どうしても、ダメですか?」

「……」

 私は思案する。こんな提案を受け入れるなんて愚の骨頂だが、彼がそうしたいと思う理由には興味があった。

 それにこの取り引きは、ちょっと捻れば現状を打開する秘策になるかもしれない……。失敗は許されないけれど、上手く運べばそれなりの利益は約束される。

「何を考えているのか知らないけれど、今のところ私には、リスクを犯してまで貴方に協力する理由がないわ。それを覆せる材料があるのと言うのなら、聞かせてみなさい」

 何はともあれ、まずは彼の言い分を全て聞いてみる必要がある。私がこの提案を受諾しうるだけの理屈が欲しい。何の方便もなく、こんなトンチキな話を受け入れることはできない。

 男子生徒は、しばらく無言だった。ドアの前に棒立ちしたまま、自分の足元を見ている。少し息が荒い様子から、これから言う言葉に対する覚悟を固めているのだろう。

「……僕は、あるヤツらをどうしても黙らせたいんです。あいつら、僕をからかうことしか考えてなくて、他にもっと面白いことあるだろって思うんですけど、僕は何もしてないのに――」

 訊いてもいない身の上話を始めた。

 彼はどうやら、複数のタチの悪い連中にいじめを受けているようだ。何とか彼らを退ける手段を今まで色々と試したようだが、何の成果も得られず、こうなったら武力に頼るしかないと結論づけたそうな。つまり、自分はキレたら何をするか分からない爆弾だという印象を、彼らに植え付けたいらしい。

 気が弱く控えめな性格だが、どうやら少し危ない方向に性根が腐っているようだ。私はこの手の人間があまり好きではないが、今は黙って話を聞き、その捻くれた方向性を持った熱に油を注いでやることに専念する。

「――それで一昨日もあいつら、僕にちょっかい出してきて……。我慢できなくなって『ぶっ殺すぞ』って叫んじゃったんです。自分でも驚きました。でもこれで少しは黙ってくれるかと思ったのに、あいつら冗談だと思ってて、やれるもんならやってみろとかって、リンチされて、カッターまで出してきたんですよ? 頭おかしいですよ! 昨日から僕も、机にカッターを入れておくようにしてるんですけど、いきなり武器使うのはあいつらと同レベルだからやりたくないんで――」

 目を血走らせて話す内容は、段々と本筋を見失い始めていた。

「まぁまぁ、貴方の心意気は充分伝わったわ」

 彼の言葉を一旦制して、私は言った。

「そうね、確かに酷いわ。そんな馬鹿達が私の新聞を読んでるかと思うと、反吐が出そう」

 そんな爪弾き共が、そもそも新聞を読める脳みそを持ち合わせているとも思っていないが、焚き付けになるように共感を装う。

「たまには、学校の治安維持ってものを考えるのも悪くないかも。うん。取り引き次第では、考えてあげなくもないわ。それで貴方、切り札を手に入れる対価に何が差し出せるのかしら?」

 私の言葉に彼は心底感激を覚えているのか、怒りで充血していた瞳はそのままに、口元をいやらしく吊り上げた。

 対価とは言ったものの、本当は余計な見返りなど何一つ期待してはいない。彼の知ったことではない所で、充分もらうつもりだ。

「ほ、本当ですか!? ありがとうございますっ」

 彼は懐から封筒を出して、私の机に置いた。手にとって中を見ると、何枚かの諭吉が顔を覗かせている。

「……お金ね。なんか、映画に出てくる悪者みたいな気分だわ」

 まぁ、悪者には違いないか。

「なんだか貰いすぎな気もするし、少し演出にも協力してあげる」

 彼の希望通り、実は危ない人なんだと周りの人間に知らしめるための策として、私は色々と指示を出した。嬉々とした調子で私の言葉を聞く彼は、目的が達成された暁のことで頭がいっぱいのようだ。彼の気質から言って、計画を携えて部室まで来ること自体に相当な緊張を感じていたようだが、ここに来て糸が切れたのだろう。ほとんど上の空状態で、私の話に何ら不審の念を抱く様子もない。

 彼が新聞部を出て行くと、私は秘策の下ごしらえに向かった。

 

 その一ヶ月後、刊行された新聞には、約束通り彼の所望する内容を追加しておいた。もちろん言い訳を見繕えるだけの余裕を残した物に仕上げた。この情報は綿密な取材活動によって発覚した噂であり、事実の域には至らない、と。

 無論、特定の生徒を貶めうる記事なことには違いない。顧問の先生には大目玉をくらい、私は部長の座を退いた。どうせ引退時期だったのだし、かまいはしない。

 それにこの程度の損失、私の手に入れた安息の代償と考えればお安いものだ。

 彼は予想通り、学校から姿を消した。いや、不登校に陥ったという意味ではない。今頃は刑務所だろうか?

 私の演出通り動いてくれた彼は、新聞の刊行前に不良グループの一人を果物ナイフで切りつけた。この刃傷沙汰を効率よく学区内にふれこませ、例の記事と私の最終目的のための布石に仕立て上げた。

 そしてめでたく新聞は発行され、彼の願望は現実となったのだ。彼もきっと満足してくれただろうが、同時に驚いたことだろう。本当に逮捕されるとは夢にも思っていなかったはずだ。

 彼の供述の裏取りのために、私も当然警察に出頭することにはなったが、

「新聞に彼の勇姿を載せるよう脅迫されていました。後で怖くなって通報しました」

 この一言で全てのかたを付け、仕舞いに泣きを入れることで被害者の立場を手に入れることに成功した。

 それでもしばらくは警察にマークされることになるだろうが、それも予測済みだ。必要な隠蔽は全て済ませてある。

 しかし、彼に会うまで凶器を捨てないでおいて本当によかった。

 これでまた、ゆっくり眠れる日々が戻ってくるのだから。

 

説明
大学の授業に提出した作品を上げときますw プロットも何も作らず簡単に仕上げちゃいましたけど、書いた後友人に見せたところ、 「これ、スパイラルちゃうのん?」  って突っ込まれました。確かに似てる……。

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