大きな国の 小さな歴史 第3章 |
第3章 灰色の大地
1
知事の一人であり、北都の真の為政者であるガスティアには5人の娘と3人の息子があった。娘のうち、長女は18歳、次女は16歳で三つ子の王子と年齢的に釣り合う。
魔術師イギュアの愛弟子という立場と名声から、地方に居ながらにしてかなりの情報を入手することが出来ていたし、足りない部分は自分の魔術で補ってもいた。
そうして集めた情報によって、ガスティアは王位を継ぐのがバディオスであると知っていた。そこで、他の二人の王子にも増して、長兄バディオスにはゴマをするようにして仕えてきたのだ。息子達にはバディオスが北都に在住の折には、いつも側にいて世話をするようにと申しつけていたし、長女と次女をたきつけてバディオスの寝所に潜り込ませもした。もっとも、バディオスは色情狂の気があるらしく、14歳の三女ばかりか、息子達までも寝所に引き込んでいるようだった。
そのことを知っても、ガスティアは憤りを感じる事はなかった。むしろ、嫌がる子供がいれば叱ったぐらいだ。だが、幸い3人の娘も、息子達ですらガスティアの権力第一主義を骨の髄までしみこませていたらしく、自ら喜んでバディオスの相手をつとめているようだ。
性格も他の二人の王子よりガスティアと合っていた。
トルディウスはガスティアから見て全てをおおっぴらにしすぎたし、なんでも自分でやるのが気にくわなかった。バディオスとトルディウスが部下を罰することがあったとして、バディオスが他のものに命令して、残虐な処罰を見て楽しんだのに対して、トルディウスは自分でその部下を殴ったり、とにかく直接手を下すのだった。この対応の違いはガスティアにとって大きな意味を持っていた。バディオスの行動こそが、王族としてもっとも品のあるものに思えたからだ。
そんなだったから、ディシウスの行動などは全てが気にくわなかった。
気軽に身分の低いものに話しかけ、意見を聞きすらする。貴族以外を人として認めないガスティアにとって、ディシウスの行動は嫌悪すら覚えるものだったのだ。しかも、どこの馬の骨かも解らぬ男を護衛隊長にまで取り立ててやっている。
なにより、一番気にくわなかったのは、ディシウスが彼の魔術を全く畏れもしないばかりか、認めもしなかったことだ。実際、どういうわけかディシウスへ直接作用させようとした魔術は、ことごとく効果を表さなかった。
しかし、だからといってディシウスを脅威に感じたことはない。ただの世間知らずの王子に思えたし、なんといってもバディオスがグール王の寵愛の息子であることに、代わりはないのだから。
バディオスの即位を、ガスティアは一度として疑ったことはなかった。
そう、あの稲妻の夜がやってくるまでは。
「きゃああああ!」
その朝は、絹を切り裂くような絶叫に始まった。
バディオスの寝室からのものと知って、ガスティアは急いで寝間着のまま駆けつけた。声は、王子と同衾している娘のものに違いなかった。
駆けつけると、王子の部屋の前には城仕えの使用人たちで、すでに人だかりが出来ていたが、皆とまどい気味に顔を見合わせてばかりだ。
短気で残虐な第一王子の怒りを畏れて、駆けつけはしたものの、部屋には踏み込めないのだろう。
ガスティアの姿を認めて、一様に安堵の表情が浮かぶ。
「何をしている。私が様子をお伺いする故、お前達はいつでも踏み込めるよう少し離れて待機しておれ」
ガスティアは家来達を部屋から離すと、バディオスの寝室の扉を叩いた。
バディオスに対する不安は全くない。彼からの信頼は得ていると言う自負があるし、万が一、悲鳴が王子によってもたらされたものでも、つまり、自分の娘が王子から虐待を受けていたとしても、そのこと自体を責める気もない。
彼にとっては我が子ですら最大限に利用すべき、手駒の1つでしかなかった。
「殿下。今の悲鳴は一体、どうなさったのです」
「ガスティアか。許す。入れ」
中から動揺した声が響く。普段冷静なバディオスにしては珍しかった。
「失礼します」
扉を開けて、まず目に入ったのは抜き身の剣を手に、ベッドの上に片膝を立てて構える裸体のバディオスと、その背後でシーツにくるまって震えている長女の姿だった。
扉を後手で閉めながら、ガスティアはバディオスの睨み付けているものを見た。
微力な力を感じさせる、黒いもやがそこにはあった。しかも、その力の気配には覚えがある。
「この気配は……まさか、イギュア聖師?」
「なに?イギュア、だと?」
ガスティアは力強く頷いて、バディオスともやの前に進み出た。
「我が師、イギュア。あなた様でいらっしゃいますか?」
ガスティアの呼びかけに呼応して、もやがゆっくりと人の顔に近い形をつくる。
『おお、無念じゃ。我を倒せしはディシウスの…』
顔らしきものを醜く歪ませながらもやは進み、後じさるガスティアの身体に吸い込まれるようにして消えてしまった。
声にならない悲鳴を上げ、身体を床に叩き付けるようにして倒れたガスティアを見ても、バディオスは眉を寄せただけで駆け寄ろうともしない。
むしろ冷たい目でもだえるガスティアを見下ろし、いつでも斬りかかれるよう剣は軽くかまえたままだ。
暫くして、ガスティアはようやくよろよろと立ち上がった。わずかな時間だろうに、3人には何時間も経ったように感じられた。
「お、お父さま……」
裸のまま父に駆け寄ろうとした長女を、素早くガウンを羽織ったバディオスが左手で制する。
「お前は真にガスティアか?」
青ざめ、苦痛に歪んだガスティアの表情に、引きつった笑みが浮かぶ。
「賢明な…判断でございますな………バ…ディオ………」
引きつった笑顔のまま、ガスティアはゆっくりと崩れ落ちた。
2
「一体何が起こったのだ」
ガスティアが目を覚ましたのは、かなり夜も更けてからのことだった。
早朝の一件の後、ガスティアは城内に占めた自分の部屋で、死んだように眠り続けた。
顔は青ざめ、脈を取ってもよほど注意しないと、そのかすかな動きを感じることすら出来ない。死体そのものの様子のガスティアを見て、家臣達は不安に駆られた。
魔術師イギュアの一番弟子、自身魔術師としては北都一の実力を持ったガスティアを襲った黒いもやを、彼らは畏れた。
「自分がそれに襲われたら」という心配をするものがいる一方で、「天罰が当たったのだ」と陰口を叩く輩もいる。
事実の追求を求める家臣達を後目に、なにもなかったかのように、そのままガスティアの長女と部屋にこもったバディオスだったが、知事が目覚めたと聞くとようやく部屋から出てきた。
自らガスティアの私室に足を運ぶと、人払いをしてベッドの端の椅子に腰掛ける。
ガスティアは高く積み上げたクッションに、上半身を預けてバディオスを見た。
「このような体勢で、バディオス殿下にお向かいする事、お許し下さい」
「そんなことはよい。一体あのもやはなんであったのか。それを申せ」
「あのもやは我が師、イギュアの最後の魔術でございました。その無念の思いが、私に師を襲った悲運を伝えたのでございます。バディオス殿下。師は二人の刺客によって、討たれてしまわれたのでございます。父王を殺害し、王位を簒奪したディシウスめの放った刺客によって!」
師を失った怒りと悲しみから、青ざめ、震えるガスティアの口から出た最後の一文に、バディオスの顔色が変わる。
いま、なんと申した……。誰が、父上をどうしたと……。いいや、王位がどうなったと?」
暗い藍色の目をカッと見開き、身を乗り出す。
「殿下。これは裏切りでございます。師の魂が、事の詳細を余すところなく私に伝えて下さいました」
「ディシウスが父を殺害したと……」
「師が討たれたのが昨夜の事…そして、グール王は今朝、ディシウスめの手によって…我が師イギュアが最後の力を振り絞り、私に真実を見せて下さったのです」
「バカな…世迷い言ならいい加減にせよ。父王は私に約束して下さったのだ。来年、私が王都に帰還した折には、王位を譲って下さると……」
「王はもう、この世においでではありません。ディシウスの手によって…」
「いい加減なことを申すな!」
バディオスは激しく椅子を地面に叩き付けた。木製の頑丈な作りの椅子が、大きな音を立てて壊れた。
「バディオス殿下!真実でございます」
ガスティアは臆面もなくバディオスを正面から睨み付けた。第一王子の目がさらにつりあがる。
「許してはなりませぬ。認めてもなりませぬ。殿下、早急に手を打たねばなりませぬ。気をお鎮め下さい。ディシウスが即位してしまう前に、手を打たねばなりませぬ」
ガスティアの迫力に圧されたのか、バディオスは押し黙った。ただでさえ切れ長の目を、よりいっそう細めてみせる。
「では、イギュアがお前に見せたという事実を、その詳細とやらを、今度はお前が私に余すところなく伝えるのだ」
ガスティアの口から、イギュアがイスタとイミテの兄姉によって果てた事実が、イギュアが知り、見たままに、王都においてはディシウスが父、グール王の躰を二分にした事実までもが、事細かに語られた。
自分の魔術がイスタの竪琴が音を奏でるごとにかき消され、呼び出した異界の獣たちすらイミテの剣技によって容易く倒され…イギュアの心が絶望と怨嗟に満ちていく。彼は師の体験と思いを共感した。最後の瞬間、そう、イミテの剣が振り下ろされるその瞬間に感じた恐怖までも。
「ああ、なんということだろう。あの兄妹、兄妹に師の殺害を命じたディシウス、とりわけ師を手に掛けた銀髪の小娘は決して許さぬ」
話の途中でガスティアはさめざめと泣いた。彼の心は怨嗟と恐怖に満ちた心に満たされていた。
それから師、イギュアは魂だけとなって、この無念を伝えるべくガスティアを訪れたのだ。そして弟子にとりつき、その意識を伴って、ディシウスが今まさに喜々として父王を殺害しようとしている、その現場におもむいたのだった。最後の力を振り絞って、愛弟子に自分が死ぬ前に予知した真実の現場を見せたのだ。
だが、それだけだった。ディシウスの暴挙を止めるだけの魔力はイギュアには残っていない。所詮はただの黒いもやだったのだ。勿論、連れて行かれただけのガスティアにもその力はなかった。グール王の躰から雨のように降りしきる鮮血が、眼球を覆って視界を防いだかと思ったが、そうはならなかった。
それほど近くにいたのだが。
それからディシウスは王冠を、ガスティアが欲して止まない、けれど自身の手では決して手に入れることの出来ない権力の象徴を、ゴミのように投げたのだ。彼の目の前を、重いはずのそれは、チリのように宙を舞った。それも、彼が決して認めることの出来ない馬の骨の手に収まるために。
馬の骨というのはもちろん、ディシウスの護衛隊長を務めるアトレイトだ。
怒り以外の何ものも感じ無かった。
ディシウスに鞍替えしようという考えは全くなかった。ガスティアにとって、ディシウスは最も王族と認めたくないようなタイプの人間だったのだから。
ディシウスとその一派は、彼から権力の一切を奪い取ろうとする寄生虫以外の何ものでもない。
「汚点です。汚点だ。あのような輩を、例え一瞬でもこの栄誉あるサナディウス王家の、歴史の頂点にいただくことになるとは…考えただけでも気が狂いそうなほどの怒りを覚えます。許せませぬ。父王の復讐を、ぜひ、バディオス殿下!!」
「お前に言われずとも、このままでおくはずがない。我がものに決まっていたものを、どうしてやすやすとあれにくれてやろうか!」
ガスティアとバディオスは、煮えくり返る怒りを腹に抱えて、ディシウスに復讐を誓ったのだった。
3
〈事実〉を知って数日後、ガスティアは自身の館にバディオスを招いた。しかし自分の館と言っても、バディオスが北都に滞在の折は、ガスティアはほとんど王子たちのために用意された城にいたから、自身帰るのも久しぶりのことだ。
勿論、ただの宴席に招いたというのではない。目的は他にある。
まさにその日、王都ではディシウス王の手によって先王の密葬が行われようとしていた。
ガスティアはバディオスを、館の離れの地下室に案内する。
長い螺旋状の石段を下ると、暗く広い石室に行き着いた。円を描くように背の高い燭台が7台、それぞれ3本の蝋燭を明々とともしている。その下には黒いフードを目深に被った黒衣の、恐らく青年が6人。それぞれ手には形の異なった杖を持っている。ガスティアの魔術の弟子で、今回の助手達だ。
床には赤黒い巨大な魔法陣があった。
胸の悪くなるような匂いは、その魔法陣から立ち上ってくるようだ。何かの血で描いてあるのは間違いないだろう。
線を踏まないようにと注意を与えて、バディオスを魔法陣の中央に立たせると、自身は一台残った燭台の下に、人の骸骨を飾った銀の杖を持って立つ。
頷いて弟子達に合図を送ると、7人は低い、奇妙な抑揚のついた呪文を唱え始めた。
やがて赤黒い魔法陣から黒いもやが立ち上る。イギュアの亡霊のもやによく似た、重くて無気味なもやだ。そしてそれは意志を持った蛇のようにうねり、地面ギリギリに這って来て、バディオスの体躯をゆっくりと覆い尽くした。
黒い、黒く濃いもやの中で、バディオスは恍惚感を味わっていた。今までに味わったことのない、奇妙な感動がその空間にあった。
不思議と、恐怖は全くなかった。
「身を任せよ」という何ものかの声に導かれて、彼は意識を身体から解放した。
次に意識を取り戻したとき、彼の目の前には空の棺があった。
その向こうにディシウスが、神妙なふりをして立っている。それを見たとたんに怒りが全身を貫いた。
目の前の、空の棺が誰のために用意されたものであるのか、彼は瞬時に理解したのだ。
『いいや、許しはしないぞ』
その声は怨嗟を告げるグール王、本人のもののように神殿内に響いた。
『いいや、許しはしないぞ』
バディオスは怒りと恨みを込めて再度言い渡した。葬儀に参列した面々の顔をしっかりと見極める。
見知った顔がたくさんあった。自分が王都にあったときにおべっかを使ってきた臣下の面々はもとより、親戚や母・二人の姉までも、素知らぬ顔で参列している。
その日、その場にいる全ての人間を彼は憎んだ。中でも同じ血を持ち、同じ日、同じ時刻に生を受けた、今、目の前にいる輝く金髪の男を。
目が合う。自分を認識して、ディシウスの空色の目に驚愕と、彼と同様の殺気がこもる。
おかしな話だが、彼ら兄弟が意志を通じ合ったのはその時が初めてだった。
彼らは初めてお互いの本性をむき出しで対峙した。
憎しみだけをその目に込めて。
憎悪以外のものが入る余地は全くない様子で、彼らは厳しい言葉を投げかけ合った。
同時に生を受けたが故に、誰よりも相手のことがわかるのだった。
その奇妙な対峙を、何かが遮断した。それが何かはバディオスには解らなかった。
銀色の線を識別したその瞬間に、興奮が瞬く間に消え去り、激痛が彼を襲ったのだ。
いいや、激痛などという生やさしいものではない。地獄に堕ちたとしかいいようのない苦痛だった。皮膚はあつく、焼けただれたよう、内蔵の全てはあらゆる激痛を伴って、切り刻まれているかのようだった。
彼は狂ったように叫び、身もだえた。
その瞬間から、彼は闇に完全に飲み込まれてしまったかのように感じたのだった。やがてその感覚は、再び彼に闇への恍惚感をもたらしたのだ。
そして、バディオスは現実の世界に引き戻された。
忌々しくも楽しい時間の終わりだった。
目の前に、急に現れた白いか細い腕を、バディオスは反射的に掴んだ。
勢いよく飛び上がって、初めて自分が横たわっていたことを知る。
「ここは……」
薄暗い部屋のベッドの上のようだ。
「あの、我が家の客間です」
よく聞き慣れた、脅えた声が応じる。枕元に置いた明かりに浮かび上がっているのは、ガスティアの次男ゼクダルの青ざめた顔だった。兄弟の中で最も繊細で秀麗な容姿をしており、バディオスの一番の寵臣でもある。彼だけは、王都に帰るときも一緒に連れていった程だ。
「私はどうなったのだ。確か、地下の……」
瞬く間に記憶が甦る。当然のように怒りがこみ上げてきた。
「ディシウスめ…」
見た目に知れるほど身体を震わせるバディオスに、傍らのゼクダルはますます青ざめた。
「あの男が何をしたか知ってるか?」
激しい調子で言い、バディオスはゼクダルの腕を引いてベッドに組み敷いた。
「い、いいえ」
あからさまに震えてみせる。他の兄弟と違って、ゼクダルはバディオスに自分から言い寄ってくることはなかった。自分が一番の寵臣であると知っていてもだ。
いつも震えて、恐らく本人は押さえているつもりなのだろうが、顔に嫌悪感を浮かべて、それでもバディオスのなすがままに身を任せるのだった。
そういうところがバディオスの嗜虐性を刺激するのだった。
しかし、いつもはそうでも今日はむしろその態度がしゃくに障った。
「もういい。出て行け」
バディオスはゼクダルの身体から手を離した。恐る恐る細身の美少年は体を起こし、上目遣いにバディオスを見る。
「聞こえなかったのか。出て行けと言ったのだ!」
バディオスの怒号を聞き慣れているゼクダルだったが、さすがに今回ばかりは様子が違うと悟ったのか、一言も言葉を発することなくベッドから転がるように降りると、慌てて部屋から立ち去った。
「ディシウスめ。覚えているがいい。殺してやる…」
低く響くその声は、部屋の闇をよりいっそう深くしたようだった。
ディシウスの王位を確たるものにするには、いくつかの難関を越えねばならないようだった。
第3章 了
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