羽箒でさようなら
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「私は天使になりたいの」

「昔天使だったと言うのにかい」

「うん、あの頃の私は自分が天使であることを知らなくて、そのせいで仕事をさぼってばかりいたから、神様の怒りを買って地上に落とされてしまったけど、今なら分かる、どれだけ天使が素晴らしい職業だったかって」

「リストラ受けて今の君は堕天使ってわけだ」

「それは違うよ、堕天使は罪を持った天使が呼ばれるものだから、不良品としてすてられた私にはそんな位与えられてない」

「ははは、じゃあ神ゴミってところかな」

「うまくない」

「きついなぁ、結構自信あったんだけどね、さて、僕は君を何と呼べばいいだろうか」

「なんでもいい、名前はないから」

「ふうむ、ということは名づけ親になるってことか…………………そうだねぇ、夢羽なんてどうだろう、君の今の姿にぴったりだと思うんだけど」

 彼女は両手に純白の羽箒を持っていた。

「順番が後先になってしまうけど、それ、何に使うの」

「飛ぶため」

「ライト兄弟もびっくりだね」

「そんなことない、昔飛べたのだから、羽さえあれば私はまた飛べる、羽が私を連れてってくれる、天にだって昇れる」

「それはまた洒落にならないなぁ、ま、そこまで言うならがんばってみなよ、止めはしないけど、応援くらいはさせてもらうから」

「うん、がんばる」

 少女は羽箒を持った手を水平に広げ、屋上の淵に足をかける。本当に自分が天使であったと信じているのだろう。微塵の震えもない。

「いってきます」

「行ってらっしゃい」

そして彼女は一歩を踏み出した。

 

あれから八年、僕はまたこうして屋上にいる。

 

「………彼女はどうなったんですか?」

 少年は泣き腫らした瞼を擦って僕に尋ねてきた。

「さあね、天使になったのかもしれないし、天に召したのかもしれない、どちらにせよ天に昇れたことには変わりないんだし、どっちだっていいと僕は思うけど、あ、いや、彼女はあくまでも天使になりたいんだったか」

「ふざけないで下さい。それを知ってるってことは、あなたは最後まで見ていたんでしょ? そうでなくとも……落ちたなら墜落音が聞こえたはずです、彼女は、彼女はどうなったんですか?」

「さあ?」

「さあって、やっぱり嘘な」「紛れもない真実だよ」

 僕は彼の話途中に割って入った。

「………じゃあ、なんで教えてくれないんですか」

「教えるまでもないからさ、ここは現実だよ?」

 僕は懐から羽箒をとりだす。

「それって………話の……」

「そう、彼女が持ってたやつ」

 少年は悔しそうに俯いた。

「ほんとさ、間抜けだよね、あの子にはそもそもこれすら必要なかったんだから」

「……それは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。土壇場になってこれ捨てたの、結局のところ、作りものの羽なんて彼女には必要なかったんだ」

 僕はわざとらしく肩をすくめてみせた。

 そんな僕を少年は黙って注視する。

 風が吹いていた。

 空にはちらほらと雲が散らばっていて、ずっと続く青の上を、ただ一直線に横断している。自由気ままにも、窮屈そうにも見える、おかしな風景。

「ところで君は昔天使だったりしなかったかい、そして今神ゴミだったり」

「僕が天使だったらまず自分を救ってます」

「そう」

 再び沈黙が降りようとしたところで、彼は立ちあがって屋上の正しい出口に向かった。一度こちらを振り返り、けれど何も言わず扉の向こうに消えてしまう。

 入れ違いに白衣の女性が一人入ってきた。

 彼女はポケットに手を突っ込んでゆったりと僕の隣に着く。

「今日は晴天ですね」

「そうだね、しかし雲量からしてみると若干快晴に届かずっといったところかな、おしいなあ」

「前々から疑問でしたけど、雲量一以下でなければ快晴でないというのは、だいぶシビアじゃないですか?」

「それだけ気持ち良く晴れ渡った状態を実感するのは難しいってことさ」

「………そんなところですかねぇ」

「そう、そんなところ」

 僕は咳払いを挟んで隣の同業者に尋ねてみた。

「さっきまで見てたの? 僕らのこと」

「ええ、見てました」

「それまたなんで?」

「どこかのバカが性懲りもなく患者より先に飛び降りるんじゃないかと心配したからです」

 横目で隣の女性の顔を覗き見る。見るからに不機嫌そうだ。

 思わず笑ってしまった。

「………先生、そう言えば院長が患者を勝手に連れだしたバカを探して走りまわってますよ」

「うわぁ、それはやばい、さっさと帰ろうかなぁ」

「じゃあこのまま真っすぐ進んでください、あっという間に地上に着きますよ」

「はは、君が言うと冗談に聞こえないな」

 僕はぐっと伸びをして逃走経路をいくつか頭に浮かべた。どれも大丈夫そうだ。

方向転換してその場を去ろうとした僕の背に独白じみた声が掛る。

「彼女はなんで羽すら必要とせずに飛べたのでしょう」

 足を止めて振り返った。

「なんだ、そんなの決まってるじゃないか」

「決まってる?」

「そう、だって彼女は心優しき天使なんだよ? 堕ちる人は救わなきゃ、なりふりなんてかまってられないじゃないか」

 きょとんとした顔がこちらを向く。それから、二人して笑いだす。

 

 彼女の笑顔の向こうでは、真っ白なシーツがはためいてた。

 

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だいぶ埃かぶってます。
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