壁 |
「だから、本気だって言ってるじゃないスか!」
ムキになって言う少年の声が響く。
昼休みの部室には、二つの影だけ。
「わかった。本気なんだね。………だから何なの?」
諦めたように肩を竦めて、もう一人がそう言う。
先程まで「冗談ばっかり」と言って笑っていた顔は、今は、口調と同じく冷ややかだ。
雰囲気をガラリと変えた先輩――不二周助の鋭い視線に、言い募る少年――桃城武は、思わず息を呑んだ。
このひとは、そう、なのだ。
いつも笑顔で、人当りが良くて、懐深く受け入れてくれるように見えるけれど。
調子に乗って踏み込んではいけない領域に踏み込むと、途端に態度を硬くする。
酷く、その境界がはっきりしたひとなのだ。
桃城は唇をぎり、と噛んだ。
「俺は先輩が好きです。………できれば応えて欲しいと、思います」
「無理だよ」
取り付く島も無い。
不二は、依然として冷ややかな目で桃城を拒絶する。
その頑なな態度に押されてしまう自分を感じながら、諦めきれず、桃城は口に出してはならぬ言葉を口にしてしまう。
「何でッスか?好きなコ、とかいるんですか?」
不二の眼の色が変わる。
逆鱗に、触れたのかもしれない。
「随分と自分に自信があるみたいだね、桃?僕が君を受け入れないのには、まるで大層な理由が必要みたいじゃない?」
射抜くような鋭い視線から、桃城は目を逸らすことも出来ない。
不二は、口角を左右に引いた。
つまりそれは笑顔を形作ったわけなのだが、いつもの彼のそれとあまりにも違うものであるため、桃城にはそれが笑顔だとはとても思えなかった。
「何で、だって?――簡単だよ。僕は君を好きじゃないからさ」
そう言って、不二は後ろの壁に凭れかかり、桃城を見据えた。
最後通告。
桃城は、もうこれ以上この場にいることは許されない。そう、感じた。
やっと不二から視線を逸らし、俯いたまま「失礼します」と呟いて部室を出た。
顔を伏せて、明るい笑い声が響く昼休みの中庭を、ほとんど走るように通り過ぎる。
五月の太陽は、馬鹿みたいに燦燦と、桃城の背中を照らしていた。
***********
鬱々として、午後の授業をやり過ごす。
いつものように物事を前向きに考えられず、黙ったままの桃城は、傍から見るとひどく機嫌が悪いように見える。
機嫌は確かに悪かった。ただ、その怒りの全ては自分に向けられていた。
失敗したのだ、自分は。
不二先輩にあそこまで言わせてはいけなかった。
先輩は、ちゃんと線を引いていた。ここから先に入ってくるなと線を引いていた。
自分にはそれが見えていた。入ってはいけなかった。
でも、それでも自分は先輩に自分を見て欲しかった。
聡いあのひとは、きっと自分の気持ちに気付いていたはずだから。
自分が何も言わない限り、それに気付いたことも隠し切って笑うから。
誰に対して向けるのとも同じ笑顔で、自分に笑いかけるから。
違う顔が見たかった。自分にだけ見せる顔を見せて欲しかった。
………どこか、期待していた部分があったことは認める。
先輩とは良く話したし、嫌われているとは露ほども思ったことは無い。
他の後輩よりは特別だと、そう自惚れていた。
だから間違えた。
先輩が、誰かを好きになったとしたら、それを相手に告げない訳は無いのに。
つまりは『そういうこと』なのに。
自分は、先輩が引いてくれていた線を、踏み躙った。
桃城は、右手で頭を抱え、指先に力を込める。
「………明日は、準決勝だっつーのに」
こんな不安定な状態では、いい結果を残せるはずは無い。
桃城は、らしくもなくため息を吐いた。
***********
どんなに沈んでいようと部活はあるし、準決勝も待ってはくれない。
桃城は気持ちを切り替えようと、ホームルームが終わるなり、バッグを持って駆け出した。
今は、テニスに集中する。先輩のことは、もうどうすることも出来ないことだ。
桃城は、自分にそう言い聞かせた。
桃城が部室の前まで来ると、視界の隅に人影を捉えた。
不二だ。その傍に立っているのは、部長の手塚。
校舎の、裏手に少し入ったところで、向かい合って何か話している。
部室に入らない二人を訝しく思いつつ、つい、桃城は身を潜め、二人に気付かれないようにそっと近づいていった。
「趣味悪いな、手塚。見てたの?」
責めるような不二の口調。手塚はいつもの仏頂面で几帳面に訂正する。
「二人で部室に入るところをな。覗いてなどいない」
「そう。よかった」
そう言って押し黙った不二の声音は不機嫌そうだ。
二人を覗き見る訳にもいかない桃城は、不二の表情を見ることは出来なかったけれど、ただ驚いていた。
不二のこれほど感情を露わにした声など聞いたことが無かった。
普段は笑みを崩さないし、試合中だってどこまでも冷静だ。
「何があったんだ、不二」
「………ふうん。もしかして妬いてくれてるの?」
「不二。そうやって話を誤魔化そうとするんじゃない」
桃城は不二の台詞に目を見開いた。
『妬いてるの?』と訊くその意味は。不二と手塚が―――。
「明日は準決勝なんだからな。レギュラーにはしっかりしてもらわなくては」
「部長、だね手塚。後輩には優しいんだから」
「桃城のこともそうだが―――不二、お前もだ」
「……僕?」
「そうだ。お前、一体何故そんなに荒れている?」
鈍すぎるにも程があるが、手塚の台詞を聞くまで、桃城は二人の話題が不二と自分のことであると気付かなかった。一瞬、二人の前に出ようかと足が動いたが、止めた。
二人の間に入りにくい空気を感じたし……不二の言葉を聞きたかった。
おそらく、不二が手塚に語る言葉に嘘はない。そう思える空気が二人にはあった。
「……自分のやり方が間違ってたとは思ってないよ。でもやり切れないんだから仕方ない」
不二が、呟くように言う。余り感情を込めないように言おうとしているのが判った。
手塚は、黙って聞いている。
「下手にやんわり断るより、断ち切った方がいいと思ってる。中途半端な気持ちなら簡単に断れるけど、桃は本気だから。僕にも譲れないものがある以上、『良い人』で終わろうとするなんて欺瞞じゃない」
「でも辛いんだな」
手塚の声は、ひどく優しかった。不二を包み込むように響く。実際触れているのかもしれない。
桃城は、少しだけ、胸が痛んだ気がした。
「………辛いよ。僕も桃のことは好きだもの。でも―――」
不二は一度言葉を切った。手塚を見上げているのかもしれない。
「僕には手塚がいるから」
それを聞いて、桃城は一歩を踏み出し、二人の前に姿を現した。
軽く目を見張る二人に向かって、桃城はいつもと同じ不敵な笑みを見せた。
そして、大きく腰を曲げて頭を下げ、大声で言う。
「不二先輩、ありがとうございましたッ」
そうしていつまでも頭を上げようとしない桃城の、肩に手を添えて、不二は頭を上げさせた。
「ごめんね、桃」
謝る台詞だが、不二の顔は全く済まなそうではない。
桃城はそれでよかった。それだからこそ、感謝の言葉を言うことが出来た。
だから、桃城は不二が好きなのだ。
酷く厳しく、酷く優しい――おそらく桃城はその優しさにより強く惹かれたのだろう。
哀れみも、誤魔化しも無い。真摯にただ事実だけを示す。
だからこそ、今、こんなにも落ち着いている。
その事実を、受け入れることが出来る―――理性では。
ただ、未だ断ち切れない想いもまた、いずれ胸の内に収めることが出来るようになるであろうことを、桃城は確信してもいた。
***********
顧問の竜崎の指示を受けて、桃城は前に進み出た。
「ウッソー、こんな時に部長とかい」
そう口にする反面、桃城は妙に納得した気分だった。
先刻、顔を上げた桃城の脇を通り過ぎながら、手塚が言った台詞の意味はこれだったのだ。
気持ちが昂ぶる。これから始まる試合にわくわくする。
それは決して、強い相手と試合が出来る喜びだけから湧き出るものではなかった。
部長の手塚としてではなく、不二が選び不二を選んだ手塚として。
手塚は桃城の目の前にいた。
ニヤリ、と笑う。ラケットを持つ右手を大きく回した。
「まったく―――ついてねぇな。ついてねぇよ」
そんなこと、心の隅にも思っていなかったけれど。
―――いい天気だ。
試合が終わり、桃城はコートに横たわって空を見上げていた。そうして、今の試合の記憶を反芻する。
―――強い。
そんなことは初めからわかりきっている。
ただ、「本気の」手塚がこれほどまでに圧倒的だとは正直思っていなかった。
しかも、ハンデをつけたままなのだ。
自分は、自惚れていた。桃城は、それを思い知らされた。
自惚れていたのだ、手塚に対して―――そして、不二に対しても。
「かなわねぇよなぁ」
天に向かって独りごちる。
先程は焼け付くばかりに感じた陽射しが、今は暖かい。
桃城の心の中は、憑物が落ちたようにさっぱりしていた。
『………すっきりさせてやる』
本当に、あの二人には敵わない。
これ程に自惚れ、思い上がっていた自分に対して、何処までも真摯だった。
不二は、明確な答えをくれた。
手塚は、「本気」であることを知らしめてくれた。
これ以上、自分に何を望むことがあるだろうか。
焦がれる想いは、もう、無い。
「負けねぇぞ、っと」
そう言って、上体を跳ね上げるようにして立ち上がった。
コートを出ると、越前との試合を終えた不二が、汗を拭いながら桃城に微笑む。
桃城は、ニヤリ、と不敵な笑みを返すと、不二に向かってゆっくりと歩いていった。
―――敵わなくても、負けんのキライですから。
心一つ負けていても、テニスでは必ず追いついてみせる。
桃城は独り、拳を握り締めた。
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以前やっていたテニスサイトからのサルベージ続き。塚不二前提の桃→不二が好きでした。 | ||
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