Cha_Noir(シャ・ノワール) 後編
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3.

見上げる形で振り返ったリュウと、ボッシュはほぼ同時に動いた。

天井の赤いライトを背に受けて、ボッシュの髪が淡い金色に光ったかと思うと、積み上げたジャンクの山のてっぺんから跳躍し、突き出た鉄骨に着地してそれをまた蹴り、さらにリュウたちのいる奈落へと降りていく。

リュウが動いたのは、軽い靴音をさせながら降りてくるボッシュの右手が、レイピアをすらりと抜き放ち、抜き身で携えたのを見たからだ。

「ボッシュ…!」

リュウは、思わず降りてくるボッシュのほうへと駆け寄った。

そして、その殺気に気づき、息を詰めながら速度を上げる。

坂を落下した速度のまま、駆けよりながらレイピアを振り上げるボッシュに、リュウは、なかば体当たりのように背中をぶつけて勢いをそぎながら、満身の力をこめて、ボッシュの右腕をつかんだ。

リュウの念頭にあったのは、なんとかボッシュの右手を止めること。それだけだった。

「邪魔するな…!」

「だめだ。サミュエルだ、こわがってるんだよ。」

「馬鹿野郎!! あいつを見ろよ!!」

両手でボッシュの腕をつかんだまま、リュウが、一瞬、首を回して背後を振り返る。

その隙を逃さず、ボッシュがはずみをつけて右のブーツでリュウの足をがつんと蹴った。

姿勢をくずしながらも手を離さないリュウに引きずられ、そのまま、二人はもんどりうって油くさいごみの中に倒れこんだ。

逆さになった景色の中で、頭をそらしたリュウは、長い尾をもつ黒いディクがしなやかに身を翻し、あっという間に、うず高く積み上げられたジャンクの山の陰へと姿を消すのを見た。

ディクが消えた方向から、また軽い擦過音と、それを追う複数の足音が響く。

ごみの山の中に転げ落ち、あたりがしんと静かになると、ようやく二人は体の緊張を解いた。

「いまの…サミュエルじゃない…? ディク…?」

埋もれたボッシュの上になかばおおいかぶさるように身を伏せていたリュウは、おのれの間違いに気づいて、さすがに申し訳なさそうに、声をかける。

「…ゴメン、ボッシュ…。」

うなり声を上げながら、ボッシュは、下からリュウの体を押しのけ、ごみくずの中から身を起こすと、身についた汚れをぱんぱんとはらいのけて、レイピアを腰に収めた。

「いま、なんて考えてるか、わかるかローディ?」

「…さぞかし『馬鹿だ』と思ってんだろ。」

「ぜんぜんちがうさ。 …『死んでいいほどの、馬鹿』 だ。」

身を起こし、ジャンクの山に背をもたせたまま、リュウが天井を仰いだ。

「…あぁもう。どうなってる。

確かに、サミュエルがいたんだよ!」

「俺には、大きくて真っ黒いあのペットのディクが、間抜けなレンジャーに跳びかかろうとしているようにしか、見えなかったぜ?」

「逃げてったあのディクは俺も見た。でも、俺が見たサミュエルは? どこへ消えた?」

「もちろん、逃げてったのさ。馬鹿ローディ。」

「いつ?」

「あのペットと、いっしょにだ。というより、最初からあいつしかいなかった。」

「だって、そんなこと…?」

「リュウ、馬鹿だな。そんなことも…」と言いかけて、ボッシュは息をついだ。

まじまじとリュウを見る。

バイオ公社で秘密裡に行われている数々の実験。

そんなことを、このリュウが、知るわけがないのだ。

「ともかく、あれは改造ディクだ。人の姿に化けるように、だれかが細工をしたのさ。」

「…でも、しゃべったんだ。」

「あの店でお前、言ってたよな…さぞかしレア種、なんだろ?」

やれやれ、というように手を広げたボッシュの前に、すっくと立ち上がるリュウがいた。

「な、なんだよ?」

「もう、どっちでもいい。」

「はぁ?」

「約束だから。どっちも助けよう。」

「ナニ言ってん…。」

面食らったボッシュに、リュウがニッと微笑んだ。

「まだ45時間は、俺たち任務中。 だよな…?」

言い返そうとしたボッシュの耳に、さっきよりも激しい銃声とそれに続く爆音が響いてきた。

見えない敵を仰ぎ見る二人の上に、ぴりりとした緊張が走る。

「ランチャーまで持ち出して…いったい誰が!?」

「捕獲じゃなく、本気で殺る気らしいな。リュウ、任務中は休戦だ。」

「あの黒猫を捕まえて、本物のサミュエルを見つけ出す、までね。」

「とりあえず、雑魚を片付けるぞ。」

「行こう、ボッシュ。」

あの子供を見つけるまで、ずっと手を触れていなかった剣に、リュウは手をかけた。

ボッシュがそれを見て眼を細め、リュウの右側に立った。

そうして、ふたりは息をあわせ、一気に、黒いディクが姿を消した、ジャンクの山をかけのぼった。

 

 

 

ガラクタの山の頂上で、二人は一瞬、足を止める。

扉を開けたまま横たわった冷蔵庫や、かじられたようなコンクリの破片から飛び出す赤茶けた鉄骨や、得体の知れないジャンクでできた小山が、広大な敷地に累々と続いている。

屑山と山の間のくぼ地のすみずみにまでは赤い天井の光が届かず、身を隠す闇がそこここに、ある。

すぐに、ふたりは、廃棄され溶解を待つリフトの陰に転がり込んで、身を隠した。

ぱっと見渡した限りでも、リュウの眼はいくつかの金属光をとらえていた。

このジャンクの山には似合わない、赤茶けてない、ぴかぴかのやつだ。

「連中、何者かな。街のハンターのみんなじゃ、ないみたいだ。」

「当たり前だろ。あのランチャー、セミオートマチック、カスタムまでしてある。

アレの値段で、お前の黒猫が何匹買えるんだよ?」

「通信の声が聞こえないのも変だ。街の連中なら、狩りのときは、いつもにぎやかだから。」

「俺たちもうかうかしゃべってると、一生口をきけないようにされちまうのが落ちだろ。」

「…そう、かも。」

「場所は、把握したか?」

リュウがボッシュのほうを向き、にっと笑うと、息を整えたボッシュはちらりと手元の計器に目を落とし、右手のほうからジャンクの下り坂へと飛び出していく。

それを見たリュウのほうは、すぐに坂へと飛び出さずに、いまいるジャンクの山のさらに上方向へと駆け上った。

あちこちから飛んでくる銃弾にうがたれて、足元のコンクリートがはじけとび、足がふわふわと舞い上がるような心地がする。

そのまま駆け抜けたリュウは、なんとかこのガラクタ山の天辺にあるパワーショベルの操作ボックスへとたどり着いた。

パネルを開き、ひきちぎった金属線同士を縒り合わせると、大きな騒音と煙をたててエンジンがかかる。

そのまま、レバーを最大にまでひき倒し、そばにあったチェーンで何度も巻いて結びつけると、パワーショベルは狂ったように、頭をもたげ、そのまま大きくぐるぐると回転をはじめた。

ショベルの回転経路にあった岩を、コンクリートの巨塊を、横倒しになった廃棄リフトを、なぎ倒し、弾き飛ばしながら。

その動きをよけながら、すぐにリュウも、左手から坂を下る。

はるか下を駆けていたボッシュが、リュウのほうを、ちらり、と振り返るのが、ジャンクの陰から一瞬見えた。

坂を駆け下りるリュウの足元を狙う銃弾の数が、明らかに減っている。

左手間近から狙っていた敵の場所に、リュウは見当をつけていた。

さっきまで静かだったジャンク置き場は、ショベルに突き当たり、転げ落とされる機械の悲鳴と轟音に満ちている。

背後で、誰かのランチャーがパワーショベルを破壊した爆音と、背を押すような熱風が吹き付けてきた。

がらがらと飛び散るジャンクの、その飛沫から逃れようと、黒づくめの狙撃手がたまらず、飛び出したところを、追いついたリュウは、斜めに斬った。

勢いを得た重い剣の先が、セミオートマチックをがしんとはじき、男の手から武器を奪い去った。

はずみで、尻餅をつく敵に、リュウが駆け寄る。

「ひっ。」

「手を上げて。抵抗すれば、排除する。

いったい…なぜ、あのディクを殺そうとするんだ?」

リュウの切っ先は、男の首にぴたりと向けられている。

動揺した男が背後をまさぐるような動きをした。

「…リュウ!!」

背後で鋭い声がしたかとおもうと、リュウの右肩のそばを、背後から熱い風が行きすぎた。

呆然と立つリュウの目の前で、男がごぼごぼと血を吐く音をたてて、こときれていく。

男の喉もとから、見慣れたレイピアが天井に向かってななめに生えているのが見えた。

「ボッシュ…!!」

リュウが、憤然と振りかえる。

激怒するリュウのわきを、涼しい顔で歩みよったボッシュは、倒れた男の死体に足をかけて、投げつけたレイピアをぐずりと抜き取った。

ごろんと転がされた男の背後から、リュウの掌よりも大きな、黒いサバイバルナイフが現れた。

「いつも、言ってるだろ。お前のやり方は、甘いって。」

「警告なしに攻撃することは、俺たちには、許されてない。」

「はぁ? …何言ってる?」

ボッシュは、処置なしというように手を上げ、リュウを置いて、歩き出した。

「…とりあえず、今回は、」

「……。」

「ありがと、ボッシュ。」

ボッシュが固まったように足を止めると、リュウのほうをばっと振り返り、何も言わずにまたゆっくりと前を向いた。

そのぎこちない背中の動きを見て、リュウはなぜだかおかしかったけれど、その気持ちを隠してうつむいたまま、ボッシュに追いついた。

「…なんだよ。」

「なんでもない。それより、あのディクの位置、つかんでるんだろ?」

ボッシュに追いついて、その肩ごしに、リュウはボッシュの手元を覗き込む。

官製ではない、動体探知機をボッシュが隠しもっていることに、リュウはもう気づいていた。

それから、背中に、ほかにもまだ、何か。

「ふん。手ごわいやつはあらかた片付けたから、残り2、3匹と、

あとはここに隠れてる、あのディクをやっつけて、終わり。」

「やっつけるじゃなくて、つかまえる、だろ。」

そのとき、リュウの手首の受信機が震えだし、リュウは届いたメッセージにすばやく目を走らせた。

「…わ。大変だ。」

「なんだ?」

「下層街からの知らせ。闇で、あのディクにつけられた値段が跳ね上がってるって。

そのうえ、……、

賞金は、生死不問ですらない。

『毛皮用ディク。死体のみひきとり可。』だって…」

「その値段じゃ、さっきのあの連中どころか、

下層街のやつら総出で、あいつを狩り出して、

射殺しちまうんじゃないのか。」

「…本当だボッシュ。これじゃもう…。」

「アレを逃がしちまったのは、お前だぜ?

本気で生かしておく気なら、急ぐんだな、リュウ。」

「でも、…あの猫をどうやったら捕まえられる…?」

リュウの勘のよさにボッシュは内心、舌を巻く。

「わかったよ、使えよ。」

ボッシュは、自分の背中に手を回し、腰の後ろ側に挿していたレザーの塊を引き抜いて、自分の左側を歩くリュウに手渡した。

レザーのカバーごしにも、確かな重みとグリップが、リュウの手にずしりと伝わってくる。

受け取った重みを左の腰の革の部分に挿し込んで、並んで歩くボッシュの肩に右手を回すと、リュウは、一瞬だけボッシュのほうにこつんと自分の頭を寄せた。

 

 

4. 

「ほら。急ぎで調合したから、一発しかないぞ。」

ジャンクの山に背を当てたボッシュは、急ごしらえの銃弾を、ひゅっ、とリュウに投げた。

「わかった。」

「ほかの連中に先に射殺されたら、ゲームオーバーだ。

最初にたたきこめ。

くそ、俺が撃つほうが早いんだよ――。」

「ボッシュのほうが腕がいいから、援護射撃してもらわなきゃね。

俺のほうはあのディクに一発だけだ。

大丈夫、はずさないよ。」

右手でボッシュから渡された短銃に銃弾を装填しながら、リュウは左手で通信機に番号を打ち込み、口をよせた。

「こちらはサードレンジャーのリュウ。

下層街のみんな、聞いてるよな?

悪いけど、あのディクには手を出さないで。

俺たちが追ってるから、

現在、追跡中のものは、追うのをやめてくれ。

でないと、間違えて撃っちまう可能性があるんだ――。」

「ったくしかたねぇな、リュウ、こりゃ営業妨害だぜ。後で帳尻合わせろよ?」

「ちゃんとやれよ、新米!」

「金髪の相棒に、よーろーしーくー、なー!」

無線の先から、さんざん重なり合う口笛や下品なやじや歓声が飛んできた。

「…あーもう、うるさいよ、みんな。」

どっと大きな笑い声が返されて、リュウはそのまま無線を切った。

これでリュウにも、遠慮なくやれる。

ボッシュはレイピアを腰におさめ、さっき倒した相手から奪ったオートマチックを拾い上げ、その安全装置をかちりとはずしている。

リュウは短銃のグリップをもう一度、確かめるように握りなおした。

「リュウ、新手が来たぞ。援護する。走れ!」

ボッシュが、積まれたコンテナの陰へと消え、リュウはあのディクの逃げた方向へとまっすぐに走り出す。

があん、がああん、と頭のしんに届くような、銃声が追ってくる。

駆けながら、リュウの耳に2つの声が響いていた。

(追われてるんだ。助けてくれる?)といったサミュエルのまっすぐな瞳と声。

そして、「コワイ」と、ぽつりとつぶやいたあのディクの声を、

リュウはもう一度しっかりと胸にしまいこんだ。

「レンジャーに先回りされるな。」

「足をとめろ!」

空気をすりつぶすような軽い音が、背後からリュウを追いかけてきて、追い抜き、

目の前のコンテナの壁面に小さく丸い穴を開けた。

「まっすぐだ。走れ!」

そんな声が飛ぶが早いか、背後でがんがんと撃ち込む音がする。

リュウが振り返ると、コンテナの上からリュウに狙いをつけていた連中が、次々と倒れていくのが見えた。

正確なボッシュの援護に感謝しながら、リュウは廃棄コンテナに囲まれた暗い通りに駆け込む。

「聞こえるな? リュウ。」

「ああ、大丈夫。」

コンテナと廃棄車両の隙間にいったん身を隠し、リュウがボッシュからの通信に耳をすます。

「ゴーグルにあのディクの正確な位置を転送したぜ。見えるか?」

「了解。対象の位置を確認。」

リュウはゴーグルを目の前にいったん引き下げて、グリッドの上の緑色の光点の座標を確認すると、すぐにまた外す。

頭の中の地図に頼るほうが、リュウは確実に動けるのだ。

この街のどんな場所も、リュウは目を閉じても見えるほどだった。

まぶたを閉じ、ひとつ数えて、走り出す。

それまでとは真逆の方向へと走り出したリュウに、追撃手はあわてて狙いを変えるが間に合わない。

その隙に、ジャンクの山の中へ、リュウはつっこんだ

濃い機械油の匂いの中、のたくるパイプをくぐり、現れたフェンスを乗り越える。

追っ手は、確実に、ジャンクとジャンクの間に作られた道沿いに、あの黒猫へと向かっているだろう。

けれど、リュウは、誰よりも早く、追いつける自信があった。

ボッシュが応戦する銃声の中、フェンスを飛び降り、コンテナとコンテナの間をすり抜けて、その先にあるパイプの上を走り、その先端から、小さな通路へと飛び降りた。

やがて、身を起こしたリュウの前に、角をまがって逃げ惑う黒いディクが現れた。

あと、10メートル。

短く黒い毛皮は恐怖のため全身にはりついて、しなやかな手足の筋肉の動きが遠くからもはっきりと見える。

手足の先は大きく、うなり声とともに、肉食獣特有の犬歯がきらりと光った。

突然現れたリュウに行く手をふさがれたディクは、一度後ろを振り向き、背後からの足音に追われて、心を決めたようだ。

そのまま、リュウのほうに、向かってくる。

カッと音を立てて足をすべらせながら、我を忘れた獣は、リュウのほうへと、大きく跳んだ。

「おい、光点がお前と重なるぞ!? どうなってる!?」

ボッシュの声が、通信機から、遠く響く。

リュウはたじろがず、まっすぐに銃を構えた。

黒く、大きな爪が宙を掻いた。

思い切り腰を落とし、跳びかかってくる獣の下をくぐるように、体を横倒しにすべらせたリュウは、両手で握った銃を頭上に振り上げて、跳躍する獣の腹に向けて、手持ちの一発を撃った。

そのままの勢いで、ジャンクの山の中に転がり込んでしまう。

「いって……。」

頭を押さえながら、立ち上がったリュウに、通信機から相棒の声が届く。

「ごくろうさん。ゲームセット、俺たちの勝ちだ。ま、当たり前だけどな。」

勝ち誇ったようなその声の後に、ボッシュの撃った最後の長い銃声が、通信機を通さずとも、リュウの耳にも聞こえてきた。

 

 

倒れたディクのほうに急いで駆け寄ったリュウは、黒い大きな獣の体が、すでに変化を始めるのを見た。

油が黒くしみた地面の上に横たわった、しなやかで大きな野獣の体は、びくびく、と痙攣しながら、次第に変貌していく。

先の丸い大きな手は、だんだんと5本の指に分かれ、とがっていた耳はくぼみ、刃を出して突き出た口が次第に平らになった。

半開きの口からだらりとなげ出され、分厚く長くのびていた舌は、青黒い色から次第に赤く、短くなっていく。

いま、その目で見るまで、リュウには信じられなかった。

リュウの目の前で、大きな黒い獣が、人間の少年の姿へと変わっていくことを。

だが、すっかりと姿を変え、無防備に投げ出された裸身の幼い少年を目にすると、立ちすくんでいたリュウはあわてて、自分のジャケットを脱ぎ、その背中の上に覆いかぶせた。

裸体の少年のひざやひじはあちこち擦り切れて、うす赤く血がにじみ、傷口にもそうでないところにも、油の黒いしみがべったりとついている。

そのまま触れようとして、気づいてあわてて革のグローブを外したリュウは、意識の無い少年の頬にかぶさった黒い巻き毛をそっとかきあげた。

ようやく追いついたボッシュが、奪い取ったオートマチックライフルを肩に下げたまま、コンテナの上から姿を見せて、おもしろそうな目でリュウを見つめている。

「…ボッシュ…、どうしよう…この子、やっぱりサミュエルだ…。」

「バーコードだな? 見せてみろよ。」

身軽に飛び降りたボッシュは、ぐったりと目を閉じた少年のうなじに機器を押し当てた。

「サミュエル=1/256。完璧に、正規のバーコードだ。」

「ボッシュ! 知ってたの…!?」

「当たり前だろ。こいつがサミュエルの正規のバーコードをつけてるなんて先に言って、お前に撃てたかよ。」

「ボッシュ!!」

「待てよ。でもこれで、誰が、このばかげた茶番を仕掛けたかわかるだろ。」

「この子はサミュエルじゃ…?」

「もちろん、違うさ。

偽装した改造ディクにサミュエルと同じバーコードをつけたんだ。

でも、このバーコード自体は偽造物じゃない、ちゃんとした政府発行の正規品だから

普通なら、これでごまかせる。」

「どうして違うと言える…?」

「このバーコードの放射線値があり得ないほど、新しいんだよ。

6年前に生まれたサミュエルにつけられたものとは思えない。

そこまで疑わなければ、誰も気づかないさ。」

「じゃあ…。」 リュウは、幾分ほっとした。だが、ボッシュの怒りはおさまらない。

「本物のサミュエル1/256は、どこか別のところにいて、

誰かが、これを仕組んだ。

念の入ったことに、プロの狙撃手までまぎれこませ、

改造ディクを放し、ハンターが射殺したこいつの遺体を、レンジャーが発見する。

『ディクと見誤って、撃たれた行方不明の子供の遺体を発見、バーコードでサミュエルのIDを確認。』ってわけだ。

オイ、俺たちはまんまと死体を見つける役をおおせつかったんだぜ?」

ひざを折ったリュウは、幼い少年の髪をなでつけた。

ボッシュの調合した催眠弾のせいで、いまは、そのか細い首も縮んだ手足も、ぴくりとも動かない。

リュウは、その首筋に光る青いバーコードを見つめた。

「ボッシュ、このままじゃ、終わらない…。」

「任務終了だろ普通は。」

「でも、このまま済ますつもりは、ないよね?」

ボッシュは、立ち上がったリュウの手が強く握られているのを見た。

リュウは、ジャケットでくるんだ幼い体を抱き上げ、

ボッシュの方を見上げるように振り向いて、きっぱりと言った。

「だろ?」

リュウの表情は、どうしてそんな当たり前のことをきくんだ、という風に、ふしぎそうにさえ見えて、

ボッシュはおかしくなった。

ボッシュは、リュウが抱き上げた子供につけられたバーコードに、もう一度だけ、触れた。

すべての発端となった、青いバーコード。

「大きな計算違いは、俺たちに依頼したこと。

だが、相手がいる場所は、お前は入れないぜ?」

「そう、だっけ?」

腕の中に眠る子供をしっかりと抱き上げたリュウが、もう一度その子を胸に抱き寄せ、顔を上げて、にっこりと笑った。

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5.

薄暗い自室に一歩足を踏み入れたときから、闇の中に誰かの視線を感じ、スタイルズ1/128はためらった。

部屋に入ろうとして、扉のところでもう一度引き返し、高い天井に点々と明かりの灯った廊下を遠くまで見渡した。

使用人にはしばらく暇を出した。誰も居る、わけがない。

ましてや、こんな夜中に。

だが、部屋に踏み込んだスタイルズが、部屋の暗さに目を慣らすと、部屋の奥にある大きな書き物机のあたりにぼんやりと光があるのが見えた。

そのかすかな光が、どっしりした机に足をかけて、こちらをねめつけている少年の髪の色だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

レンジャー服を着た金髪の少年が、スタイルズの書斎の椅子にどっかりと座り、組んだ足を机に乗せてふんぞり返っている。

「何だね、きみは!!

サードレンジャー風情が、こんなところに入っていいと思ってるのか?」

スタイルズの恫喝に答えるように、びいいん、と重い金属音が響く。少年が書斎の机を蹴飛ばして立ち上がった。

そして、机の上に片手をついた。

「話があるのは、俺のほうだ。

あんたの猫を見つけた。

俺のところに、依頼が回ってきたんだよ。

あんたの息子のペットを撃ったら、ディクは、あんたの息子のバーコードをつけていた。

さて、なぜか。

話してくれるよな?」

近づいてみて初めてスタイルズは、少年の右手を見た。

指先で針のように細い剣をぶらぶらともてあそんでいる。

鈍い銀の線が、薄闇の中で、一瞬、ぴかりと光る。

スタイルズは、はっとした。

この少年には、見覚えがある。

確か…。

「あれは…、あのバーコードは…」

滲み出した汗を拭きながら、世故に長けたスタイルズの頭の中で、ひとつならずいろんな言い逃れが浮かぶ。

だが、少年の低めた声が、スタイルズのもの思いを打ち砕いた。

「言っとくが、俺は、あんたの自作自演につきあわされて、頭にきてるんだ。

ご丁寧に改造したディクを放して、レンジャーに息子の捜索を依頼、

わざわざあんな違法な連中まで雇ってディクを殺し、息子が死んだことにする。

え、スタイルズ、なぜ、こんなおかしなまねをしたんだ?

息子を社会的に葬ることに、何の意味がある?」

だが、そんな少年の金の髪を見ながら、スタイルズは、自嘲めいた笑みを浮かべずには、いられなかった。

少年の父が口にした数字を、ふと思い出したのだ。

「なにを、笑ってる?」

「きみには、わからない、ことだ。

わたしの息子のD値を知らないだろう。」

「サミュエル1/256…だろう?」

「それは記録上のことだ。」

相手の素性を知って、戦略を変えることにきめ、スタイルズは、大きく、長く、息を吐いた。

「なんだって?」

「サミュエルが生まれてすぐ、私はD値の記録を書き換え、ちがう数値のバーコードをあの子につけた。

わたしの立場なら、そこまでは簡単だった。

けれど、あの子はもうすぐ6つだ。

学校や街へ出れば、どこにでもゲートがある。

バーコードと本当のD値のずれに、いつか、誰かが気づく。

あの子の本当のD値を、ずっと隠しておくことはもう無理になったんだ。」

「はぁ? そんなことで息子を公に死んだことにしようと考えたわけ?

ご丁寧に、息子そっくりなダミーまで用意して?」

「あのディクは、こんなときのために作成しておいたものだ。

それに、あの子がなついてしまって、

ちょっと目を離したすきに勝手に下層街まで追いかけて行って、

一時は頭をかかえたがね。

…サミュエルの、あの子のD値は、…本当は、1/4096だったんだよ。」

追いかけたそのとき、サミュエルはリュウに声をかけたのだ。

自分の身代わりとされる、あの猫を、助けるために。

「それまでD値至上主義を主張してたあんたが、いきなりおとなしくなったのは、あの息子が生まれたからか。」

「私の子供がローディだなどと、世間に顔向けができるわけがなかろう? ましてや下層街にやるなどと、冗談ではない。

エリートのきみなら、わかるだろう?

勿論、きみが黙っていてくれたら、できるだけのことはさせてもらう…。」

ボッシュの肩に手を置こうとして、だが、さっきまでとはうって変わった相手のようすに気づき、スタイルズは動きを止める。

ボッシュの目が細まり、むしろ面白いものを見るような目つきで、ぐいと身を乗り出した。

「――で、自分の子供だけは死んだことにして助けようと? ほかの子供は、つき落としてきて?」

「……。」

「なぁ? 教えてくれよ。

ローディに生まれたからって、どうなんだよ?」

ボッシュの言葉に、はっとしてスタイルズは顔を上げた。

この少年の口から、そんな言葉が出るわけがない。

「ローディに生まれたから不幸かよ? そうでなきゃ幸せか?

いまここで俺がこの手をすべらせたらどうなる?

試してみるか?

――俺も知りたいんだよ。

いったい誰が不幸で誰が幸せか、どこまでD値で決まるかを?」

ボッシュが、ゆっくりとスタイルズに歩み寄る。

右手のレイピアが、角度を変えて、もう一度、ぴかりと光る。

その角度にスタイルズは息を呑んだ。

「いいわけなんて、いくらでも立てられる。

なにしろ、俺のD値は、あんたのより、高いんだからな。」

ボッシュは、言葉をなくして立ち尽くすスタイルズに顔を寄せ、言い聞かせるように、小声でささやいた。

「言ったろ、今回のことには頭にきてるんだ。でも。

ローディだよ。

あんたが昔突き落としたローディが、あんたを許すと、言ったんだ。」

「いったい、何が望みだ?」

スタイルズの顔色は、蒼白に変わっていた。

「俺たちは命令どおり、あんたの息子を見つけた。

だが、息子はすでに死んでいた。

あんたが死亡届を出せば任務完了。

サミュエルが生きてることは、望みどおり秘密にしておいていい。」

ボッシュは、ずいと身を引き、レイピアを金属の鞘におさめた。

「だが、かわりに、あのディクを引き取れよ。

あんたのローディがひっそり隠れて暮らす場所をどこかに用意してるんだろ?

そこにいっしょに放して、生き延びさせてやってくれとさ。それが条件だ。」

思ってもみなかった申し出に、スタイルズはたじろいだ。

「だが、なぜ、きみがそんなことをいう。

わざわざ、危ない橋を渡ってまで、あの改造ディクを助ける理由はなんだ?」

「…………」

ボッシュは、長く答えなかった。

「いっとくが、今後は表でも裏でも、俺に協力してもらうから。――じゃあ、な。」

「待て。なぜだ。」

そのまま、スタイルズを無視して、すたすたと出口へと歩み出したボッシュの背中に、もう一度スタイルズが叫ぶ。

ボッシュは足を止め、しぶしぶというように頭を振って、ようやく答えた。

「ローディてのは、どいつもこいつも世話が焼けるよな? ―― そうだろ。」

 

 

6.

スタイルズの部屋からボッシュががらんとした廊下に出ると、見慣れた黒い頭が廊下の四つ角からひょっこりと顔を出した。

「ボッシュ!」

「お前…! こんなところで何してる!?」

「やっぱりボッシュ1人じゃ心配だから。」

「勝手に上層街に来たなんて、見つかったら、資格剥奪じゃすまないぞ。」

あきれたことに、リュウの足元には、すっかり元の姿を取り戻したあのディクが、前足をそろえ、長い尻尾をリュウの足首のあたりに巻きつけて、きちんと座っていた。

体のわきに下ろしたリュウの手のひらに、その何倍もある頭をすりつけて、ぐぅるるる、という、ボッシュには威嚇としか思えないような、とんでもないうなり声を出している。

「目を覚ましたから、つれてきたんだ。話はすんだ?」

艶のある、くろぐろとした毛皮を取り戻したディクは、何度も体をすりつけリュウの足元にまとわりついていたが、突然大きな耳をぴんと立て、ぱっと遠くを見たかと思うと、いきなり駆け出した。

あっけにとられるボッシュが、ディクの走り去った先に顔を向けると、

長い廊下の先に光が漏れて、大きなドアの隙間から、黒い巻き毛の少年が顔をのぞかせた。

飛ぶ早さでダッシュしたディクは、もう幼い少年のところまでたどり着いて、そのままの勢いで、男の子にぐいぐいと全身をぶつけている。

腕を精一杯のばして、肩までの高さのディクを抱きしめながら、少年が一度だけ、こちらを振り返る。

「いつか、また下層に遊びに来るって。勿論、ほとぼりがさめてからだけど。」

ボッシュの横に立つリュウが、笑顔でひらひらと少年に手を振っている。

まったく、ローディってやつは…どいつもこいつも。

ボッシュは、あきれ返った。

「あー、何か言うのも、ばかばかしい。お前なんか、一生下層でくらしてろ…!」

ボッシュは、リュウを置いて、大またでずんずんと歩き出した。

「なんだよそれ。おいまてってば! ボッシュ!」

「こんな夜中まで、くだらないことにつきあわされて、腹は減るし!」

「ひょっとして、それ、俺に作れって催促してるんじゃ…?」

「他に誰が作るんだよ。言っとくけど、食堂のまずいメシや下層街の店屋物なんかでごまかそうとしたら、承知しないからな。」

ほとんど、子供のような物言いに、リュウはやれやれとため息をついた。

「しかたないなぁ。なにが、食べたい?」

「そうだなぁ、あれ作れよ。この前のやつ。それと、その前のあれ。それからだな…。」

機嫌を直し始めたボッシュに追いついたリュウの手が、突然、ボッシュの手をつかんで、強く引いた。

振り向かされて絶句する相棒の目の色を、リュウはじっと見つめる。

「ほんとは、なにが一番ほしいの?」 と、真顔でリュウがきいた。

…いっしょに、いること。

そんな言葉が突然浮かんできて、

でも、ボッシュは、口を引き結び、次いで、また開く。

「…お前が俺にできること、全部 !!」

しかめっつらのまま、ボッシュが言う。

「ま、今日はとりあえず、ご飯かな。」と、涼しい顔で、リュウが応えた。

 

 

‐END‐

説明
ゲーム「BOF5 ドラゴンクォーター」二次創作小説です。レンジャー時代、リュウとボッシュがふたりで迷子の黒猫をさがすお話。後編です。
※女性向表現(リュボ)を含むので、苦手な方はご注意を。
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タグ
ブレスオブファイア ドラゴンクォーター BOF ボッシュ リュウ リュボ 女性向  

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