festa musicale [ act 2 - 4 ] |
朝。 午前五時半。
馨がなんとか語学の課題をメールで提出し終わったまさにその時、私は自然と目が覚めた。
(馨、ちゃんと課題出したのかなー。 いつもどこかすっとぼけてるから心配だわ)
と、本人のいないところで口に出さずに侮辱、もとい心配する。 いや、あくまで心配しているのであって、侮辱ではない。
さて。
最近の日課として、朝起きたらまずコーヒーを淹れることにしている。
何しろ好きな相手が無類のコーヒー好きで、しかも飲むのも淹れるのもプロ級なので、手を抜くわけにはいかない。 ちゃんと練習しないと置いていかれてしまうのだ。
豆を挽いたときの香りと、お湯を注ぎ込んだときの香り。
どちらもコーヒー本来の香りになるように気を付けながら、時には湿度や温度と言った、外の環境にも気を配らなきゃいけない。
その辺りを勘だけで乗り越えてしまう馨が羨ましい。
昔どこかの大学を作った偉人が、
『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』
なんて言葉を残したらしいけど、嘘っぱちだと思う。 本当にすごい人というのは凡人から見たら信じられないようなことを平気でやってしまう。 それも一度限りではなく、何度も何度も。
例えば指揮を振る才能を持つ人は例外なく人を統率するカリスマ性を持つと同時に自身もものすごく楽器が上手かったりする。 いや、勿論例外はあるけど。
その偉人さんも、『まぁ、そういう妄想をしたんですよ』と注釈を入れるべきだ。
「ふぅ…」
などとくだらないことを考えていると、お湯が適温になったことを知らせるアラームがなる。 ちょうどいい温度でコーヒーを淹れると、香りの立ち方がぜんぜん違うのだ。
今朝も細心の注意を払って完成したコーヒーだが、それでもまだ馨の淹れるそれには程遠い。
(何がいけないのかな)
そんなことを考えながらコーヒーを飲む。 ちなみに初めて”空”で馨の淹れるコーヒーを飲んだその時からコーヒーはブラックで飲むことにしている。 砂糖とミルクを混ぜこぜにしたコーヒーは唯の茶色い清涼飲料水だと思う。 さらにどうでもいい事を言うと、そして甘すぎてとても”清涼”とは言えない。 以前はそういう飲み方もしてたけど、本当に美味しいブラックを飲んでしまったらもうブラックからは離れられない。
コーヒーを飲みながら充電していた携帯電話を取り出す。 先学期は朝の六時から練習したりと言う超ハードスケジュールをこなしていたものの、体力的精神的につぶれそうになったので、今は六時に起きて、七時に学校に向かって練習することにしている。
だから六時にアラームがなるので、携帯電話のアラームを止めておかないと突然鳴り出して心臓に悪いのだ。
と、新見君からメールが来ている。 彼はここ二・三日、バンド関係の話をたくさん流してくれている。 どれも馨にいいバンドを教えて、それを馨が今度仕切るイベントを盛り上げるために使って欲しいからだ。
でも、今日のメールは用件が違っていた。
もっと面白い内容だったのだ。
「初めましてー、穂積灯です。 新見君とはただの知り合いです」
「それひどくね!?」
ウインドの練習が終わってから、私は家の近所にある音楽スタジオに来ていた。
このスタジオは全国的にも有名なバンドも利用する、結構バンドマンのメッカ的なイメージのあるスタジオだ。 安くて設備も良くて、スタッフの人当たりもいいので、この辺りでバンドをやっている人間なら一度は利用したことがあるっていうくらい有名なスタジオになっている。
ちなみに今日の練習ノルマは朝のうちに終わらせた。 さらに言うなら馨とは違ってちゃんと課題も全部提出してある。
「あっはっは、面白いねー。 どうも初めまして、私神前智代(かんざき ともよ)って言います。 よろしく」
そう言って握手を促してきたのは、メチャクチャ美人だった。
「いやね、近々ウインドとかこの辺のバンドとかごちゃ混ぜにしたイベントやるってこと言ったら、あのときのライヴで馨が告った相手ってのをどうしても見てみたいって言われてさ」
そう言ったのは横で私たちが自己紹介するのをニコニコと見ていた新見君だった。
「はぁ、そうなんですか」
「あー、そのしゃべり方、馨にそっくり」
ピクンと反応する。
「あのー、失礼ですけど馨とはどういうご関係…?」
「あ、大丈夫、馨とはとっくに男女の関係じゃなくなっちゃったから」
さらに体が勝手に反応するのを何とか抑えて、
「あ、そうですか」
とだけ言う。 あの野郎。
「まぁまぁ、あっていきなりそんな険悪にならない! そして智代さんも嘘つかない! 馨と付き合ってた事実なんてないでしょ!」
と、新見が言う。 なんだ嘘か。
嘘でも納得出来ないけど。 今度馨を問い詰めてみようと、ひそかに誓った。
「いやいや、お互い大変ですね」
「ホントよね」
と、同じ悩みを持つもの同士なだけに打ち解けるまではそんなに時間はかからなかった。
勿論、打ち解けることと気を許すことと仲良くなることは、それぞれ全然違うけど。
「それで、新見君、用はそれだけ?」
「いやいや、違うから! むしろ今までのあれに意味とかないから!」
とりあえずスタジオのロビーで(新見君におごってもらった)コーヒーを飲む。 馨が淹れたやつどころか、私が自分で淹れるものよりも美味しくない、至って普通のインスタントだから、砂糖くらい入れないと不味くて飲めない。
「実はね、今日はあなたに面白いお話を持ってきたの」
「いや、知ってますけど。 その話が面白そうだったから来たんですもん」
「あぁ、そうだよね、失敬失敬」
と、普通にお茶目な部分もあって良い人だ。 なんで馨はこんな人を振ったんだろう。
…どうせ『音楽の方が大事だ』とか、『おれは今コーヒーを淹れる事に命をかけてるんだ邪魔するな』とか、そんな至極くだらない理由なんだろうけど。
「いやね、今度やるイベント用にスペシャルバンドを組もうと思うんだけど、私ギター出来るから灯ちゃんカワイイしボーカルなんてどうかなーって」
「え、ボーカルですか?」
そこまでは聞いてなかった。 ただ新見君が『イベント用のスペシャルガールズバンドやらね?』とだけメールしてきて、それが面白そうだったからというだけで来たから、そういえば詳細は何も聞いてないんだった。
「そ、ボーカル。 一番目立っちゃうし、やっぱ飛びっきりカワイイ子じゃないと」
「いやまぁ、その理屈は分かりますけど。 だったら智代さんがやればいいんじゃないですか?」
そう、今朝どっかの偉人の話を思い出していたけど、智代さんこそそういう人間だ。
前に馨に連れられてライヴを見に来たときに、たまたま智代さんのバンドがオープニングアクトを務めていたから、その実力は知っている。
ギターも弾けて歌も歌えて、かつキレイ。 どのくらいキレイかと言うと、街を歩いたら大抵の一人身の男は振り返ってしまうくらい。
「いやいや、灯ちゃん歌上手いじゃん。 前にカラオケ一緒に行ったとき、うちのバンドのメンバー全員聞き惚れてたんだよ」
「いやー、所詮カラオケだし」
と、やんわり断ろうとする。 それに謙遜でもなんでもなく、本当に私よりも智代さんの方が適任だと思う。 だから、
「私が歌うよりも智代さんが歌ったほうが盛り上がるんじゃないですか?」
と言うと、
「いや、そこはほら」
「ねぇ」
と、新見君と智代さんの二人が口調を合わせながら、ニヤニヤ笑っているのだ。
あ、なんかいやな予感。
「「だって、主催者の彼女が目立たないなんて、ねぇ?」」
つまり、馨はまったくもって迷惑な男だったのだ。
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今回は灯視点です。 --- 馨がまた無茶で面白そうなことをやろうとしている中、なぜか私にも変なお誘いが来た。 『バンド』というキーワードに惹かれてスタジオに行ってみると…? |
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